スナザラシラリー

「高いところが好きなやつは風邪引かないんじゃなかったのかよ」
 ウルフがひとりごちると、眠っていたリンクはぱちりと目を開けた。
「そう……なの?」
「あ、いや、ことわざの主語が同じだからくっつけてみただけで……ていうか寝てていいぞ、リンク」
 うん、と小さく呟いて、再びリンクは布団に顔を埋めた。ウルフはため息をついて手を伸ばし、氷嚢代わりの白チュチュゼリーをリンクの額にのせてやった。
 カラカラバザール。近くにあるゲルドの街は女性しか入れないため、男性にとってはゲルド砂漠で唯一の休息所だ。
 おかげで普段から男性比率の高いこの場所だが、今日はいつもよりさらに多くの男性たちが押しかけていた。ある人に予約を入れておいてもらわなければ、宿を確保するのも難しかっただろう。
 中央ハイラルから遠く離れたこの場所が、いつになく賑わっている。何故かというと、厄災討伐を記念して、ゲルド族の伝統競技であるスナザラシラリーの大会が明日開かれるのだ。
 スナザラシラリーとは、砂漠にしかいないスナザラシという生き物にそりや盾を引かせて一定のコースを走り、いかに早くゴールにたどり着けるかを競うスポーツである。スナザラシ乗りは砂漠における高速移動手段として有名で、ゲルド族だけでなく旅人たちにも人気の高い種目だったが、少し前までは神獣ヴァ・ナボリスの台頭によりラリーのコース自体が使えなくなっていた。
 今回は、ナボリスが正常化し、厄災が無事に封印されたことを記念した大会だ。前回大会のチャンピオンや幼きゲルド族長まで参加すると聞き、中央ハイラル方面からわざわざ観戦しにくる者も多い。さらにはゲルド族とお近づきになりたくて選手登録するハイリア人もいるらしい。ここまで話が広がった背景には、たまたまゲルドの街に滞在していた「ウワサのミツバちゃん」という旅人が宣伝係として一役買ったという評判だ。
 さて、リンクとウルフが砂漠を訪れたのもこのスナザラシラリーに参加するためだった。ある日リンクの元に族長ルージュから手紙が届き、「厄災討伐の功労者として参加してほしい」という依頼があったのだ。リンクはナボリスに乗り込むための戦いで、族長と協力して決死のスナザラシさばきを見せた。参加資格は十分である。ついでにウルフも物見遊山気分でついてきたというわけだ。宿に予約も入れてもらって準備は万端だった。
 だが、肝心のリンクが――
「リンクの様子、どうですか?」
 鈴を鳴らすような可憐な声がウルフの背から響いた。宿にたむろするむさくるしい男たちの視線を存分に引きつけながら、青色の動きやすそうな服を着たゼルダ姫がやってきた。
 ウルフは肩をすくめる。
「ちょっと、これは明日までには治らないと思います」
「そうですか……」
 リンクはあろうことかこのタイミングで風邪をひいた。いつもは全然体調を崩さないのに、こんな時に限って。
 ゼルダの気配を感じたリンクはうっすら目を開ける。
「ウルフくんのごはん食べたら治る気がする……」
「そう言って昨日も食べたけど治ってないだろ?」
 リンクはぎゅー、というような音を発した。うめき声らしい。
「誰にでも調子の悪い時はあります。気にしないでください、リンク」
 姫は観戦側の主賓としてスナザラシラリーの大会に呼ばれた。彼女こそ、まさしくハイラルの平和の象徴である。こういう行事を積極的に引き受けてハイラルの人々をつなぐことで、復興への近道としているのだろう。広い国土のあちこちに顔を見せることはかなりの負担になっていると思われるが、インパに心配されながらも、ウルフが知る限りいつも元気に遠出している。
「でもリンクって大会の目玉なんじゃないですか? 欠席したらまずいんじゃ」
「ならばお前が出たら良いであろう、ウルフよ」
 幼くも凛とした声が割って入った。
 いつの間にか、宿はしんと静まり返っている。気づかぬうちに人払いされていたらしい。入り口には二人のゲルドの兵士が立ち、その間を冠を被った少女が通り抜ける。
「ルージュ族長、なんでこんなところに」
 ウルフは目を丸くする。赤髪を揺らした彼女は少し背が伸びたようだ。
「ゼルダ姫がリンクを見舞うと聞いてな」
「ちょうど、私たちはカラカラバザールで明日の打ち合わせしていたんです」
 だからゼルダに遅れて到着したのだ。ウルフは首をかしげる。
「……って、俺が出るんですか? 部外者だし、スナザラシなんて乗ったことないですよ」
「部外者ではないでしょう。リンクと共に厄災と戦ったのですから」
 ゼルダに指摘され、ウルフはむずがゆくなる。
「いや、観客になんて説明するんですか。やたら勇者に似てる謎の男って怪しすぎでしょ」
「リンクの相棒でよいだろう。あれだけ馬を器用に操るのだから運動神経も問題なし。決まりじゃな」
 王族二人の意向はもう定まったらしい。これはひっくり返せないな、とウルフは諦めた。
「ええ……大した結果残せなくても、文句言わないでくださいよ」
「ウルフさんなら大丈夫ですよ」
 散々リンクの参加を宣伝した手前、ルージュにも体面がある。ハイラル側の目玉として、とにかく何らかの肩書きをつけられる選手が欲しいのだ。
 スナザラシにはリンクもすんなり乗れていたから、ウルフだって練習さえすればある程度はいけるかもしれない。
 すると、ずっと沈黙していたリンクがベッドの中で身じろぎした。
「ひ、姫……」
「どうしましたリンク?」ゼルダは青くなって枕元に駆けつける。
 これを、とリンクが手渡したのはシーカーストーンだ。
「ウツシエで、ウルフくんの勇姿をたくさん撮ってきてください……」
 息も絶え絶えに頼むことが、それか。
「お前、姫をなんだと思ってるんだよ」
 ウルフは呆れ返ったが、ゼルダは苦笑しながら受け取った。
「構いませんよ。リンクに会場の様子が伝わるよう、きっちり撮影してきますね」
 リンクは安心したように力を抜いて、また眠りについた。
 ウルフはスナザラシラリーに参加した際の段取りを頭の中で確認し、ふとルージュに質問した。
「そういえば、優勝の景品とかあるんですか?」
「あるぞ。そうだ、これを聞いたらお前もやる気が出るかもしれぬな」
 ルージュは部下に命じて何かを持ってきた。大会を宣伝するチラシだ。指し示したのは、見覚えのある宝珠の絵だった。
「あ、これは……!」何度もチラシは目にしていたのに、肝心の景品を見落としていた。
「一万年前から歴代チャンピオンに受け継がれてきた特別なトロフィーじゃ。リンクが探しておるのだろう?」
 あの宝珠は、大昔のシーカー族たちが厄災に対抗するために作った祠を開ける鍵だ。ハイラルのあちこちに数え切れないほど散らばっていて、もはや平和になった世では必要ないものだが、
「これ作るために一箇所あたり一人ずつシーカー族が犠牲になってるんだよね。それを放置っていうのはちょっと……次の世代に残しておくには中途半端すぎるし」とリンクが言ったので、見つけられる限り見つけて攻略している。
 あの宝珠があれば新たな祠が一つ開けられる。じわじわ真剣な顔になるウルフへ、全てを見通すような瞳でゼルダが微笑みかけた。
「これは負けられませんね、ウルフさん」



 スナザラシラリーはゲルドの街南東部で行われる。コースは自然そのままの砂漠だ。チェックポイントとしていくつかアーチが設置されており、そこを一つももらさずくぐり抜けながらゴールへ辿り着かなければならない。
 開会式はかつてナボリスの監視所として使われていた場所の近くで行われた。オアシスというほどではないが樹が数本生えていて、一面黄色の大地に安らぎの色を添えている。そして、広場の中央には例の祠の台座があった。カカリコ村の近くで見かけたものとよく似ているから間違いない。あの半球形のくぼみに宝珠をはめ込めば、祠が姿をあらわすはずだ。さらに、台座の前にはこれ見よがしにトロフィーである宝珠が置かれていて、ウルフの闘争心を刺激した。
 優勝を競う選手は十人。もちろん現チャンピオン、族長ルージュ、そしてウルフがその数に入る。残りはゲルド族女性とハイリア人男性がほぼ半々で占める。
 ウルフは緊張した面持ちで選手用の席に並んでいた。目の前には予想以上の数の観客たちが集まり、皆が一様に興味津々の顔をしていた。
 リンクは結局今日も体調が優れず、カラカラバザールで留守番だった。ウルフは彼から「熱砂」と名のつく服を一揃い借りてきている。サイズ調節が容易なつくりのため二人で共有できたのだ。砂漠の暑さ対策になるらしい。上半身は肌がモロに出ているので日差しの防御ができないように思えたが、実際着てみると確かに涼しかった。
 開会の宣言まではまだ少し時間がある。隣に座るルージュが小声で話しかけてきた。
「まさか、わらわがあのウルフとこうして肩を並べることになるとは思わなかった」
「そうでしょうねえ。俺だって思ってなかったですよ。そもそも会話できるようになるなんて、考えられなかったし」
 この広場からゲルドの砂漠東部一帯は、かつてリンクとルージュがナボリスと戦ったあたりだ。ウルフはその時、戦う二人を見守ることしかできなかった。オオカミの体ではできることがあまりにも少なかった。
 その後、厄災戦でウルフはルージュの前に今のハイリア人姿をさらしている。が、その時は魔獣ガノンが暴れ放題で会話どころではなく、こうして二人が普通にやりとりできるようになったのはごく最近だ。
「そのピアスもよく似合っておる」
 ルージュはくすりと笑う。ウルフはそっぽを向いて「……どうも」と返した。そういえばリンクに贈られた夜光石のピアスはゲルドの街で購入したのだ。
 居心地が悪くなってもぞもぞするウルフへ、ルージュはさらに追い討ちをかける。
「ウルフよ、お前はこうして我々の事情に関わっていていいのか?」
「開幕前に心理戦ですか」
「いいや。これは前から気になっていたことじゃ。お前がここに呼ばれた役割はもう十分果たしたのだろう。自分の国で、何かやることがあるのではないか」
 いろんな人に何度も問いかけられ、自問自答もした話だった。ウルフの意思はすでに固まっていた。
「俺個人の目的のためにリンクに協力してもらってますから。できるだけあいつの手伝いがしたい。それに……俺、このハイラルが好きなんで、もっと関わりたいんです」
 ルージュはきょとんとした。ウルフは相好を崩す。
「――っていう気持ちももちろんあるけど、本音はただ、スナザラシラリーをやってみたいんだ。リンクの先輩として恥かくわけにはいかないしな」
「ふふ……そうか。ありがとう、ウルフ。リンクもそれを聞いたら喜ぶだろう」
「言うつもりはないですよ。本人には内緒でお願いします」
「善処しよう」
 ウルフは苦笑しながら背中の盾に意識をやる。リンクから借りてきた太陽の盾だ。これなら砂の上でも滑りやすいしバランスが取りやすいから、と熱に浮かされた状態にも関わらず選んでくれた。その好意には応えるべきだろう。
 ルージュは会話を切り上げ、前に出た。観客たちの視線が集まる。
「皆、今日は集まってくれてありがとう。厄災が封印され、ハイラルが平和になり、このような大会を開けることをゲルドの祖先に感謝したい。今、ここにスナザラシラリーを開幕する!」
 おお、と歓声が上がった。
「選手の紹介はゼルダ姫から行っていただく。よろしくお願いします」
 代わってゼルダが貴賓席から進み出た。人々は声もなく圧倒される。彼女は厄災渦巻くハイラル城を百年抑え、平和を取り戻した歴代最強の巫女姫だった。民の間では生ける女神様だという声すら上がっているようだ。彼女自身は高すぎる評価をあまりよく思っていないようだが、ただ一人生き残ったハイラル王家としての責務には、逃げることなく立ち向かっていた。
 今日もゼルダは人々に安心感を与える笑顔を浮かべる。
「スナザラシラリーというものは、一万年前にはすでに原初の形ができていたと言われています。もちろん百年前にもありましたが、戦乱の時代ゆえ私は見たことがありませんでした。この度ゲルドの地の素晴らしい伝統が復活したことを嬉しく思います。選手の方も観客のみなさんも、今日は存分に楽しんでください。私もこのシーカーストーンで見守っております。
 それでは選手の紹介に入ります。まずは、現チャンピオンのパフューさんから」
 パフューはゲルド特有のルビー色の髪をいわゆるアフロヘアーに仕立てた、迫力ある女性だった。腰に巻いた黄金のチャンピオンベルトと、強い日差しを遮るためのサングラスが威圧感を増している。ゼルダは手元の紙を読み上げ、「無敗の女王」とも呼ばれるチャンピオンの華々しい戦歴を語る。幼い頃からスナザラシと接してきたこと、調教の資格を取ってまでラリーに励んだこと、初めて優勝トロフィーを手にしてからこの五年間ずっと無敗であること――そこまで必死に努力を重ねてきたチャンピオンにぽっと出のウルフが勝てる道理はないと思われたが、それはそれとして彼は全力を尽くすまでだ。
 続いて主催者の少女が自信満々に進み出る。
「ゲルドの族長ルージュ。彼女は愛スナザラシのパトリシアちゃんで出場されます。ナボリスとも戦った精鋭ですから、活躍を期待したいですね」
 こうして選手紹介が進んでいき、「ついに自分の番が来た」とウルフは背筋を伸ばす。
「この方はウルフさんです。彼は勇者リンクとともに厄災と戦った相棒です。私もリンクも、彼にはとても助けられました」
 本当にそんな紹介をされるとは。ウルフの顔にかあっと血が集まる。観客たちは「勇者の相棒?」と顔を見合わせていた。リンクには多くの知り合いがいるが、自分のような仲間がいたことを知るのはほんの一部だ。つい最近までほとんどの人に見えなかった上、二足歩行ですらなかったのだから仕方ない。
「この度はリンクの体調不良により、ウルフさんが代理で参加されます。もちろん運動能力は私が保証します。きっと良い結果を残してくださるでしょう」
(めちゃくちゃ高く買われてるなあ……)
 これでビリになったらどうしよう。ウルフはいやに緊張してきた。
 開会式を終えた選手たちは横一列に並び、スタートラインに立った。前にはスナザラシが待機する。足を盾にかけ、片手で手綱を持つ。
 チャンピオンのコーチであるシャボンヌが審判をつとめる。彼女はさっと杖を持った片手を挙げた。
「三、二、一……スタート!」ピーっと笛が鳴る。それが合図だった。
「ご武運を!」
 ゼルダの声が背中を叩く。選手たちは一斉に砂の上に滑り出した。
 昨日一日を練習にあてることで、初心者のウルフにもスナザラシ乗りの感覚はだいたいつかめた。盾サーフィンができるだけの運動能力があればまず問題ない。
 ウルフが乗るのは、リンクのためにルージュが用意していたレンタルスナザラシだ。野生よりは乗りこなしやすいらしい。手元のひもにより操作するあたりは馬と少し似ている。ウルフの得意分野だ。それに加えて彼は「ある経験」から、そこまで苦労せずスナザラシ乗りをマスターできた。
(砂の上でも盾の上でもなかったけど、こういうのには慣れてるんだよな)
 あちらのハイラルで雪山の廃墟に住む獣人たちと雪すべり勝負に興じた日々を思い出す。あそこのコースは少し逸れると断崖絶壁、というスリリングすぎるものだった。何度も滑落しそうになって、その度もう一人の相棒ミドナに助けられた。それでも楽しさが勝って獣人たちに挑戦し続けたものだ。彼はこういうミニゲームには燃えるたちだった。
 おかげで鍛え抜かれたバランス感覚により、ウルフはスナザラシラリーでも選手たちの集団から抜け出した。
 チャンピオン、ルージュ、ウルフの順に続いた。さすがに優勝候補たちは手強かった。細身のチャンピオンも子供のルージュも、体が軽いことが速さの秘訣かもしれない。
 コーナーで勝負をかけなければこの差は縮まらないだろう。だが前を行く二人には隙がない。ウルフはやきもきしながら砂丘の谷を曲がった。
「うわっ」
 道の先にはいきなり砂嵐が発生していた。前の二人の姿はすでに見えない。ウルフは不可抗力でもやのなかに突っ込む。
 スナザラシが不安に思わないよう絶えず手元で指示を飛ばしながら、かろうじて見えるアーチを頼りに走った。
 彼の走り抜ける脇に、スナザラシが一匹うろうろしていた。パトリシアちゃんだ。
(なんだ……!?)
 ルージュに何かあったのか。スナザラシラリーは地面に降りたらその時点で失格だ。ただならぬ事態が起こっているに違いない。彼は決心し、自分もスナザラシを降りることにした。
「一体何があったんだ」
 パトリシアちゃんは怯えた様子だった。ウルフははっとした。あたりに魔物の気配が満ちているのだ。
 厄災を封印したといえど、魔物がいなくなったわけではない。赤い月による理不尽な復活がなくなっただけで、魔物が絶滅することはなかった。ただ、厄災の魔力を受けた白銀の個体はいなくなり、明らかに魔物たちの勢力は弱まっていた。それに、砂を泳ぐ巨大魚モルドラジークの不在が確認されたからこそ、今回の大会が開かれたのだ。
 ウルフは背負った剣を抜く。リンクから譲り受けた強化型のガーディアンナイフである。スナザラシラリー出場にあたり、念のため帯刀したい、でも重くない装備がいい、とだだをこねたらリンクが選んでくれた。手元のスイッチを入れることで青色の刃が飛び出す魔法剣だ。さらにはそり代わりにしていた太陽の盾を装備した。
 ウルフが臨戦態勢に入るのと同時に、砂に擬態していたリザルフォスが飛び出してくる。電気を帯びたツノを持つ個体だ。彼は襲いかかる刃をナイフの短い刀身で受けながら、
「ルージュ族長、それにチャンピオンも、無事ですか!」
 と叫ぶ。スナザラシがいたということは、近くに隠れているはずだ。
 案の定、ウルフの背後で砂が動く。
「ウルフか! わらわたちは大丈夫だ。だが魔物たちに襲われて、パフューがスナザラシとはぐれてしまった。やつら、砂嵐に潜んでいたらしい」
 ルージュたちは砂をかぶって伏せていたようだ。
「先に逃げてください。俺のスナザラシを使っていいから」
「だが、お前は――」
 ウルフは砂まみれの顔で微笑む。
「リンクがいたら、きっとこうするだろ?」
 ルージュはうなずいた。
「すまない。ここは任せた。すぐに応援を呼んでこよう!」
 ルージュたちはすぐさまスナザラシに乗り、戦場から離脱していく。
 ウルフが危なげなくリザルフォスを斬り伏せ、ほっとしたのもつかの間、新手の魔物が砂の山から飛び出してきた。
(次から次へと面倒だ……何匹いるんだ?)
 視界が悪くて把握できない。その時、いきなり後ろから何かがぶつかってきたので、「ぎゃ」と情けない声を上げてしまった。
「え、人?」
 ウルフを蹴飛ばしたのはスナザラシラリーの他の選手だった。遅れて砂嵐に巻き込まれたらしい。ウルフが説明する前に、飛び跳ねるシビレリザルフォスやどこからともなくわき出した黄チュチュに気づいて硬直する。
「ま、魔物だ」「きゃああ、なんでこんなところに!」
 後続の選手たちが次々やってきてパニックになる。ウルフは怒鳴った。
「ここは危ないから、早く戻るんだ!」
 当然武器など持っている者は少ない。本来スナザラシのスピードなら十分魔物から逃れられるのだが、今回は視界の悪さにより奇襲を許してしまった。そうなると武器不足はまずい事態を招く。
 スナザラシに乗ったままの者はウルフの忠告を聞いて即座にUターンしていったが、魔物に驚くスナザラシに振り落とされ、幾人かその場に残されてしまう。
 ここで選手が怪我でもしたらルージュの立場は非常に悪くなる。その上ハイラルとゲルドの友好にも傷がつきかねない。応援が到着するまで、ウルフはなんとかして無傷で彼らを守り抜かなければならない。
(リンクなら……あいつならこういう時、どうする?)
 ガーディアンナイフをふるいながら考える。あの相棒ならきっと、周りの人や物、自分の持ち物をフルに活用して切り抜けるはずだ。
 集団戦では、基本的に数の多い方が有利だ。だから劣勢の側は敵の数を減らしたり分散させたりする必要がある。動きを封じるとなれば電気か氷による攻撃が有効だが、シビレリザルフォスが相手となると電気は厳しい。しかし、氷の属性攻撃ができる武器も持ち合わせていない。
 ウルフは攻めあぐね、それでも取り残された選手たちを守りつつ魔物の相手をしていた。飛びかかるチュチュを盾で弾き、体内の電気が霧散したタイミングを狙ってナイフで斬る。息つく間もなく、シビレリザルフォスがツノを高く持ち上げ電気を貯めた。あれは周りに電撃を拡散させる合図だ。
「やべっ」
 慌てて回避に移ったが、間に合わない。発せられた電気が雷のようにウルフの全身を貫いた。
(ん?)
 ――はずだったが、予想していた痛みはなかった。軽い痺れ程度で、これなら無視できる。
(そうだ、熱砂シリーズの服は電撃を軽減する効果があるんだっけ)
 思わぬところでリンクに助けられたわけだ。攻撃が効いたと思い込んで油断していたリザルフォスを打ち倒し、返す刀で黄チュチュを破裂させ、彼は戦場を見渡す。砂嵐は晴れかけていた。敵は残り五匹。
 ウルフは選手の一人が腰に見覚えのある杖を提げていることに気づいた。暑さ対策に持ってきたのだろう、アイスロッドだ。
「それ貸して!」
「え? あ、はい」
 ウルフはチュチュを倒して得たゼリーに冷気をかける。白いゼリーがいくつも完成した。このアイテムは風邪っぴきの額を冷やすだけでなく、戦闘時にも有用なのだ。冷たさを我慢して拾い上げ、選手たちに渡す。
「これ投げつけて攻撃してくれ」
「なるほど、分かった!」
 選手たちの反撃がはじまった。ウルフが誘導した魔物に白チュチュゼリーを浴びせると、中に封じられた冷気が爆発的に飛び出し、魔物を凍りつかせる。そこにすかさず剣を振り下ろせば大ダメージだ。相手の数の多さにはチュチュゼリーの物量で対応し、一匹ずつ確実に撃退していった。
「なんとかなったかな……」
 砂丘の向こうに青空が見えた。ルージュとチャンピオンに先導されたゲルド兵士たちが到着する頃には、ほとんどの魔物は掃討されていた。これでなんとか主催者側の面目も保てただろう、とウルフはほっとする。
 選手たちは興奮した様子でルージュに向かっていった。「まさかコースの不備を問い詰めるんじゃ」と焦ると、
「あのウルフって人が助けてくれたんだ」
「さすがは勇者の相棒!」
 ルージュはにやりとしてウルフを見た。選手たちの無邪気な視線を浴び、彼は恥ずかしくなって背を向けた。が、ルージュが正面に回り込んできた。
「わらわたちも助けられた。ウルフよ、本当にありがとう」
「気にするなって。俺は事後処理とかはできないから、そっちはよろしくな」
 スナザラシを借り、開会式の場所まで戻ってくる。広場の中心に、なんだかよく知る空色の服が見えた。
「ウルフくん!」
 英傑の服を着たリンクが駆け寄ってきた。スナザラシから降り、ウルフは目を丸くする。
「お、お前……風邪は? もう平気なのか」
「ゼルダ姫がくれた特効薬で治ったんだ」
 それはもしかして、カエルが丸ごと入った薬ではないのか? 以前それを見たときは見た目も材料もどうかと思ったが、効き目は抜群のようだった。
 体も回復してすっかりいつもの調子を取り戻したリンクは、砂だらけになったウルフを心配そうに見つめる。
「で、大会を見ようと思ってここに来たら――きみこそ怪我してない?」
「俺がそんなヘマするかよ」
 ガッツポーズをしてみせると、リンクは笑みをこぼす。
「良かった。でも大会、中止になっちゃったね……」
 ルージュは兵士たち――族長側近のビューラもいるようだ――と何やら話し合い、選手たちは疲れたようにそこここで休んでいた。まだ正式なアナウンスはないが、大会は終わったと考え、カラカラバザールに帰る観客もちらほらいる。
 ウルフの姿を認めたゼルダは砂の上を軽快に走ってきて、シーカーストーンを持ちながらため息をつく。
「ごめんなさいリンク、監視所の見張り台から最大の望遠で撮影に臨んだのですが、砂嵐のせいでなかなか良い画が撮れなくて……」
「そんなあ!」「あ、いや、それは別にいいんですけど」
 二人はまるで正反対のリアクションをした。
 そんな時、ルージュがピンと背筋を伸ばして歩いてきた。
「いや、嘆くのは早いぞ。コースを徹底的に整備し、明日再び大会を行う。せっかくこれだけの注目を集めたのだ、ゲルドの名にかけて必ず開催する」
 ウルフの活躍のおかげで怪我人もなかった。大会の規模からして、経済効果も半端なものではないだろう。ルージュは心配性のビューラの反対を押し切り、意地でも大会を完遂するつもりのようだ。
 ウルフは大きく伸びをする。
「そっか。じゃあ明日はリンクが出るから、俺はもう用済み――」
「いや、明日こそ僕もウルフくんも、両方出ます!」
 相談もなしにリンクは言い切った。ああこれは本気の口調だ、とウルフは思う。
「な、なんでだよ」
「僕の相棒は素晴らしい人だって、みんなにもっと知ってほしいんだ」
 リンクはキラキラした目を向けた。この視線がくると、もうウルフは勝てない。彼のささやかな精神の砦は陥落寸前だった。
 助けを求めるようにルージュを見るが、
「一人増えるくらい問題なかろう」
「二人分の撮影、任せてください!」
 ゼルダまでやる気のようだった。王族たちにはもう完全に遊ばれている。
「まあ、みんながそう言うなら仕方ないか……」
 ウルフは不承不承うなずいた。もしリンクの体調不良がなければ、最初から「こう」なっていたのではないか、とさえ思える話の流れだった。
 するとリンクが実にいい笑みを浮かべた。
「あれー、ウルフくん嫌なの? もしかして、馬術はともかくスナザラシの扱いだったら僕の方が経験あるから、負けるかもしれないって思ってる?」
 ウルフは口の端を吊り上げる。
「ほー、言ったな? あとで泣きべそかいても知らないぞ」
 正直助かった、と思った。リンクはウルフが参加しやすくなるように言葉で誘導してくれたのだ。どうしても素直になれない彼の手助けなど、もはやお手の物だった。
 ルージュがここぞとばかりに間に入る。
「わらわとチャンピオンも忘れるなよ、それこそ年季が違うのじゃからな! ハイリア人など蹴散らしてくれよう」
 火花を散らす三人に、ゼルダはおかしそうに肩を揺らす。
「うふふ、誰が優勝してもおかしくないですね。でも今日は無理せず休んで、明日に備えてください」
 ――少し離れた場所から、その様子をこっそり観察する者がいた。
「明日の仕切り直しの大会には勇者リンクとその相棒がそろって参戦。相棒ウルフは今日の中断した大会で魔物をばったばったと倒し、選手を救ったイケメンハイリア人……」
 ミツバは広げたノートにすらすら書き記していく。
 こうして謎の青年ウルフの話は思わぬ形で伝わっていくのだった。

inserted by FC2 system