あと始末

 ウルフは剣戟の音で目を覚ました。
 一瞬自分がどこにいるのか分からない。部屋の隅に、ほのかな光を放つしのび草が飾られているのを見て、やっと気づいた。ここはリンクの家にある自分の部屋だ。
 そう、恐ろしいことに彼はこちらのハイラルの拠点として、自分の部屋を持っていた。しかもハテノ村にあるリンクの家の中に。一階角部屋、日当たり良好、惜しむらくは階段を上り下りする音が時折天井から響くくらいで、家賃はなんと無料。文句なしの優良物件である。
 ――というのは冗談として、別にウルフは自分の部屋など必要なかった。あちらとこちらで通貨は共通だから、ハテノ村に滞在する時は宿に泊まればいいと考えていた。最悪オオカミの姿になれば寝床なんていくらでも確保できる。だが、リンクにそう言ったら首を振られた。
「そんなことしなくていいよ。うちの家無駄に広いんだし、サクラダさんに頼んで部屋を増築してもらおう」
 そして問答無用で工事が発注された。その費用さえリンクは「客間として使えるから僕が出す」と言って聞かなかった。あれよあれよという間にウルフの仮住まいは整ってしまった。工事中サクラダが生暖かい目線を向けてきたが、何かとんでもない勘違いをされた気がしてならない。
 ともかく、ウルフはリンクの家に荷物を置かせてもらい、結果としてこちらに来ている時はほとんどリンクと二人暮らしのような有様になっている。
(……って、そうじゃない、変な音がしたんだよ!)
 この家は村の中心部から離れており、普段は物音なんてほとんどしない。夜は近くの谷川の音がかすかに聞こえるくらいだ。なのに今、外から明らかな金属音が響いてくる。
(誰かが戦ってる?)
 彼はそっと起き出して、自分のハイラルから持ち込んだトアルの剣を手に取る。武器はリンクから借りる場合もあるが、長さも重さもこの剣が一番手に馴染むのだ。
 断続的な剣戟の音はやはり外からやってくる。彼は部屋から出て、そうっとリビングの窓を覗いた。
 暗い夜の中にリンクの背がぼんやり白く浮かんでいた。寝間着のまま、なぜか右手に剣を持っている。
 対峙する相手は体にピタリと馴染む赤の装束をまとい、白い面で顔を隠した――
「イーガ団!?」
 ウルフは即座に玄関を蹴破った。
「ウルフくん!」
 リンクは驚いて振り返る。敵に背を見せるなよ、とウルフはトアルの剣を構えながらリンクの前に出た。
 不利を悟ったのか、相手はすぐに煙幕を張って姿を消した。
 あたりの殺気も消え失せた。ウルフは慌ててリンクの様子を確認した。
「襲われてたのか? 怪我は?」
「大丈夫だよ。起こしちゃってごめんね」
 リンクはへらりと笑った。初めて出会った時、イーガ団と鉢合わせて青い顔をしていたのが嘘のようだ。寝間着も多少の乱れはあるが、破れたところはない。
「なんでイーガ団がこんなところに。寝込みを襲ってきたのか?」
 にしては真っ先に二階のリンクが気づくのはおかしい。いくらなんでもウルフだって自分に殺気を向けられたら飛び起きる。むしろ、いつものリンクなら武器を突きつけられても眠りこけているはずだ。――つまり、リンクは襲撃を予期してこの時間に起き出したのか。
 訝しげな視線を受けて、リンクは言いづらそうに、
「えっと……いつものことだから、これ」
 一瞬ウルフの思考は停止した。
「どういうことだ」
「もう何回も襲ってきてるんだ。あの人も大変だよねー」
 軽く話を済ませようとするが、流石にそうできない雰囲気を感じたのだろう。リンクはふっと表情を消して口を閉ざした。
 勇者の命を狙うイーガ団は、リンクが自ら壊滅させた。厄災討伐の旅の途中、街道で出会うたびに小競り合いを繰り返した末、ゲルド地方に赴いた際ついにボスを撃破した。おまけに厄災戦の直前には残党処理まで行っている。厄災が封印されてからは、ほとんどの残党はシーカー族への恭順を誓い、あるいは武器を捨てて野に下ったはずだ。
 それなのに、まだ活動している団員が残っていたのか。それもリンクを標的にするなんて――
「もう少しちゃんと説明してくれるか」
「……多分だけど、あの人はイーガ団として生きたいんじゃないかな。今まで百年ずーっと厄災が蔓延ってて、あの人たちの天下だったんだよ。それなのにいきなり厄災が封印されたって、そう簡単に生き方を曲げられないよね。いつも同じ人が、たった一人で襲ってくるんだ」
 厄災封印を根に持つ残党がイーガ団活動を続けるとなると、ゼルダやインパ、パーヤ、それにウルフあたりは標的になりかねない。そこを、リンクが一人で積極的に引きつけていたということだ。
 ウルフの顔が険しくなる。
「まさか自分が狙われるように仕向けたのか」
「まあ、ね」
 イーガ団には一度、パーヤやウルフ自身を人質に取られている。あの時のリンクはかつてないほど怒りをあらわにした。それなのに、今度は自分が同じ立場になったとしても、構わないというのか。
 ウルフの声はどんどん低くなっていく。
「なんで、俺に隠してたんだよ」
「そんなつもりは……ウルフくんが帰ってくる前に襲撃がはじまったから、言う機会もなくて」
 そんなに前から続いていたのだ。ウルフは軽くめまいを感じた。
「これからどうするんだよ。こんな無意味なことを続けて、取り返しのつかない事態になったら――」
「大丈夫、そうはならないよ。向こうも僕の方がずっと強いことを分かってて、それでも気がおさまらないから襲ってくるんだ」
「自分さえイーガ団の相手をしてたらいいっていうのか?」
「他の人の手を煩わせるまでもないし、あの人が気が済むまで付き合おうかなって」
 それは、あまりにもリンクらしくない、優等生すぎる答えだった。
「なんか……そんなのおかしくないか」
 ウルフは小さく呟く。もやもやした気持ちが渦巻いて、うまくまとまらない。リンクはむしろ心配そうに、
「どうしたのウルフくん。もう寝ようよ。あの人は一回帰ったらしばらく来ないから大丈夫」
 だから、もしそのリズムを崩されて奇襲を仕掛けられたらどうするんだ。それでも返り討ちにできるから平気、と言い張るのか。
 そう言ってやりたい気持ちは山々だったが、ウルフには分かっていた。今の自分ではどうやってもリンクを説得できないだろう。この後輩は「これ」と決めたことに対しては相当に頑固なのだ。
 この状況を打開するには、他人の力を借りる必要がある。



「それは本当ですか」
 ウルフが昨夜の事情を話すと、さすがのゼルダも顔色を変えた。
「いいじゃない、リンクがアタシたちの身代わりになってくれるなら」
 とプルアは軽く言うが、目が笑っていない。本心の発言であるはずがない。
 翌朝、一人でハテノ古代研究所を訪ねたウルフは、たまたま居合わせたゼルダと所長のプルアに昨晩のことを相談した。ゼルダがいたのは幸運だった。特に彼女には必ず伝えるべきだと思っていたからだ。
「すみません、私も全く気づきませんでした。教えてくれてありがとうございます、ウルフさん」
 青くなりつつも律儀に頭を下げるゼルダに、ウルフはばつが悪そうに頭をかく。
「俺なんかずっと近くにいたのに昨日やっと気づいたんだぞ。情けないったらありゃしない……」
 プルアは幼さに似合わぬ苦い顔で腕組みする。
「しっかし、イーガ団の残党ねえ。厄災討伐から結構経ったっていうのに。そんなにどうしようもないやつ、もう捕まえちゃえばー姫様?」
「そうですね……その方の処遇についてはインパに相談します。我々よりもいい案を思いついてくれるでしょう。
 しかし、それよりも大きな問題があります。そうですよね? ウルフさん」
 ゼルダの問いかけに、ウルフはこっくりとうなずいた。
 リンクのあの発言は「自分だけが犠牲になればいい」と思っているに等しい。彼はおそらく、自分が狙われるかウルフや他の皆が狙われるかを天秤にかけ、あっさり自分を切り捨てたのだろう。残念ながら予想のつく話だ。
 さらにあの残党は、勇者というよりも厄災を撃退した「今のリンク」としての役割を求めている。そのせいでリンクはああして歪んだ関係を受け入れてしまっているのだ。近衛騎士としての延長線上の役割を背負わされていたら、今頃拒否反応が出ているはずである。
「リンクのあの考え方はまずい。でも俺じゃ崩せなかった」
「そうでしょうか。ウルフさんから言われた方が、効果がある気がしますが……」
「だってあいつ割と弁が立つんだぞ」
 すねたような物言いに、ゼルダは少しだけ笑う。
「ふふ、確かに。要は、リンクに反省してもらえばいいんですよね」
「え。ま、まあ……」
 ぞくり、とウルフの背筋が震えた。ゼルダの微笑みはフリーズロッドに宿る冷気よりも冷たい。
「いい案を思いつきました。ウルフさんの協力が必要です」



 通り道のハテノ村はのどかそのもので、夜中にイーガ団の襲撃があったことなんて嘘のようだ。走り回る子供たちの間をすり抜けてウルフが拠点に帰ると、リンクは昼ご飯をつくって待っていた。この香りは焼き魚だろう。
「おかえりウルフくん。どこ行ってきたの?」
「ハテノ古代研究所。プルア博士とゼルダ姫に俺の故郷の話をしてきた」
「黄昏のハイラルの話かあ。僕も聴きたかったなあ」
 黄昏の、とは二つのハイラルを区別するために便宜的につけた名前だ。あちらはトワイライトや影の国の黄昏が特別印象に残っていたので、そう呼んでもらうことにした。ちなみにこちら側は「息吹の」ハイラルである。言わずもがな古代エネルギーのことだ。
 ウルフはこちらの研究者たちに、問われる限りあちら側のことを話すようにしている。そうしないと目的の達成に近づけないからだ。今回は方便として使ったが、研究所に行く用件としてこう答えれば、まずリンクは疑わないだろう。
 リンクの用意する昼食は二人分あった。それを見越して、いよいよ本題に入る。
「それでさ、俺、しばらく向こうに帰ろうと思う」
 食卓をととのえるリンクの手がピタリと止まった。
「そうなんだ。何日くらい?」
「さあな。何ヶ月も帰ったままかもな」
「え」と漏らしたリンクの顔が引きつる。
「ど……どうして? 何かあったの」
 ウルフは眉をしかめ、ことさら凄んでみせた。
「あっただろ、昨日。こんな危ない家にいられるかよ。ちゃんとイーガ団の問題が解決するまで、俺は帰らない」
 リンクの顔はもはや蒼白になっていた。
「そんな、きみには指一本だって触れさせないよ!」
「悪いけどもう決めたことだ。シーカーストーンを貸してくれ」
 ウルフが断固として黄昏のハイラルに帰ること――これがゼルダ姫の提案だった。いつまた襲撃されるかもしれない状況で、リンクを一人にするのはまずいだろうと最初ウルフは渋ったが、「リンクはあなたがいない方がずっと堪えると思います」とゼルダに言い切られてしまった。イーガ団確保のためにすぐシーカー族も動くそうだし、ウルフはひとまず彼女の案に従ってみることにしたのだ。
 リンクはしばらく呆然としていたが、改めてウルフが促すと、渋々腰から石版を外した。テンソウ――プルアが新たに開発してくれたウルフ専用のアイテムを選ぶ。
 食卓の上で湯気を立てる料理が少しもったいない気もしたが、ウルフは心を鬼にしてシーカーストーンを操る。
 リンクはこの上なく殊勝な顔をしてそれを見守っていた。
「あ、あのさ……イーガ団のことが解決したら、すぐ戻ってきてくれる?」
 ウルフは少し意地悪をしてやりたくなった。
「どうだろう。あっちでやることも溜まってるし、しばらくのんびりして来ようかな」
「そっか……」
 不透明に沈み込む青い瞳を見て、ウルフは若干心を痛める。だが、あえて言ってやった。
「それでは、実家に帰らせていただきます」



「――というようなことがあったので、俺はしばらくこっちにいます」
 ウルフは故郷に帰って早々「黄昏の」ゼルダ姫にそう報告した。姫は、
「そうですか」
 としか答えなかった。
 転送先はできるだけ広い方がいい、多少座標がずれても安心だから……とプルアが言ったので、ウルフの帰還地点――ワープマーカーというものを設置している場所――は黄昏のハイラル城、それも謁見の間に設定されている。もっと目立たない場所でも良かったのだが、転送先を相談した際、他ならぬ黄昏のゼルダが許可したのだ。ウルフが帰ってきた時真っ先に息吹のハイラルの状況――ひいてはミドナ探索行の進み具合を知りたいからに違いない。彼女はその神通力によって事前にウルフの帰還を察知し、人払いをしてくれているようだ。
 今回の報告を終えて(リンクとのトラブルの件は適当にぼかした)ゼルダの前を辞し、城下町に出たウルフは大きく伸びをした。
「とりあえず……家の片付けでもするか」
 彼はテルマの酒場に預けていたエポナを拾い、本当に久々に自分の家に帰った。
 トアル村のはずれにある懐かしき我が家は記憶よりもこぢんまりとしていて、なんだかほっとする。ハテノ村のリンクの家は広すぎるのだ。それに、思ったより散らかっていない。どうやらイリアが定期的に清掃してくれているようだ。だが、いかに幼なじみといえど、好意に甘えっぱなしはまずいだろう。
 ウルフは自宅を一通り片付けた。作業がひと段落する頃には日が暮れようとしていた。あちらとこちらのハイラルで、基本的に時間のずれはない。昼頃に帰ってきてテルマの酒場で適当に食べて以来、何も口にしてなかった。
「晩飯……晩飯なあ」
 食材など蓄えているわけもない。わずかな可能性に賭けて地下倉庫を覗いてみたが、いつ仕入れたかも分からない干からびた玉ねぎらしきものがあるだけだった。
 なら仕方ない、とトアル村の雑貨屋に食料を調達しに行く。
「いらっしゃい。あら、リンク! 久しぶりだねえ。最近はお城の仕事が忙しいのかい」
 店長のセーラがあたたかく迎えてくれた。ウルフにとってはうっかり涙が出そうになるほど(どうやっても出ないけど)懐かしい顔だ。
「まあそんなところかな。なんか食い物ある?」
「ああ、ハムが手に入ったんだよ。ついでに牧場からチーズをもらってきたらどうだい」
「いいな、それ!」
 分厚く切ったハムステーキに、削ったトアル山羊のチーズをかける光景を想像し、ウルフは唾液を飲み込んだ。おすすめに従って雑貨屋でハムを仕入れ、すぐ牧場に飛んで行く。牧場主のファドは突然現れた元牧童に驚きつつも、快くチーズを譲ってくれた。
 ほくほくしながらエポナの背に食料を積み込み、ウルフはのんびり家路につく。トアル村はそろそろ各家で夕餉の支度がはじまる頃だ。空腹を刺激する香りがあたりに漂う。
(トアル山羊のチーズ……そういえば、あっちのリンクが食べたがってたな)
 現在ウルフはある程度息吹のハイラルと自由に行き来できる。だが、一方でリンクはまだこちらに来ることはできない。息吹のゼルダ姫は、ウルフの召喚は「呼ぶ」と「行く」が重なってなされた奇跡なのだと語っていた。
 だから、剣の試練の時にリンクと結んだ約束を果たすまで、まだしばらく時間があるわけだ。
(もしあいつがうちに来たら……何作ってやろう?)
 あちらでも何度か料理しているし、ウルフの実力はすでにリンクも知っている。ウルフは大胆な調理法を好んだ。燻製とか、炙りとか、とにかく強火が好きなのだ。リンクの方は、さすらいの料理人に師事しただけあって操る調理法も多彩だ。焼くも煮るも蒸すも、果てにはお菓子作りだってしてしまう。まあ、そのモチベーションは基本的に「ウルフくんに食べてもらうため」なのだが。
 将来つくるべきメニューを夢想しながらハムを料理したウルフは、一人きりの食卓についた。
 真向かいに誰もいないのは正直寂しいけれど、これはこれで悪くないものだと思う。一方、向こうのリンクは今頃どんよりしていそうな気がする。「かわいそうなことをしたかな」と一瞬考えたが、慌てて首を振った。
(ちゃんと問題が解決するまでは帰らないぞ、絶対!)
 翌日から、彼はかつての職場である牧場に顔を出して牧童の仕事をしたり、カカリコ村に赴いてマロの手伝いをしたりした。皆はウルフとの再会を喜びつつ、「でもなんでここに?」という質問を浴びせてきた。いつしかウルフはいないのが当たり前の存在になっていたらしい。正真正銘の故郷だと言うのに居心地の悪い話だ。
 そんなある日、ウルフは弟分たるコリンにあることを請われた。
「あのさリンク、しばらく村にいるなら剣を教えてくれないかな……」
「おう、いいぞ」
 ちょうど手持ち無沙汰になっていたところだ。二人は木刀を手に取り、ウルフの自宅前の広場で向き合った。
 村一番の剣士モイの息子だけあって、コリンの飲み込みは非常に早かった。いい歳をしてあちこちふらふらしているウルフより、将来はよほど村やハイラルに貢献する剣士になるだろう。
 満足するまで打ち合い、二人で休憩していたら、
「リンク、このまま村にいていいの?」
 コリンがまっすぐ見上げてきた。ウルフは言葉に詰まる。
「何か他にやることがあるんじゃないの……?」
 言われずとも分かっていた。このまま故郷をうろついていても、「ミドナに会う」という肝心の目的には永遠に近づけないのだ。
 ぼんやり視線を横にずらしたら、家の前につないだエポナが優しい目でこちらを見ていた。ウルフは肩をすくめた。
「俺があっちこっち行ったら、コリンは嫌じゃないのか?」
「嫌だって言っても行くでしょう。前からそうだったよね、リンク」
「確かに」とウルフは苦笑した。実際、マスターソードを森に返した後の自分は、誰がなんと言おうと再び旅立つのをやめなかっただろう。たとえその結果馬ごと崖から落ちるのが分かっていても、だ。
「大丈夫。リンクが帰ってくるのを、僕らもイリア姉ちゃんもずっと待ってるよ」
 まったく、よく出来た弟分だった。「ありがとな」と手で髪の毛をくしゃくしゃにしてやると、コリンは嬉しそうにしていた。
 翌日、ウルフはエポナにまたがって登城した。
「待っていましたよ」
 ハイラル城ではゼルダ姫がわざわざ出迎えてくれた。そのまま城の奥にあるテラスに招かれる。丸テーブルにはティーセットが用意してあった。
(い、一体何の用なんだ……)
 二人はしばらく無言で茶を楽しむ。正直ウルフは緊張で味など良くわからなかったが。すると、ゼルダが気を遣って話しかけてくれた。
「あちらの勇者と喧嘩でもしたのですか」
 喧嘩。結果的にはそうなのかもしれない。ウルフはリンクの言い分を許容できず、一方的に突き放したのだ。息吹のゼルダの申し出とはいえ、それに従ったのはウルフ自身だ。
 ゼルダは静かに笑った。
「本当に仲が良いのですね。ミドナともよく喧嘩していましたね」
「はは……そんなこともありました」
 リンクもミドナも、ウルフにとってはそうやって自分の心を打ち明けられる仲なのだ。
「ですがこのままだと永遠にミドナと再会できないので、あなたにはなるべく早くあちらに戻っていただきたいのです」
 率直すぎる発言だった。彼はふうーっとわざとらしく息を吐き、手を組んで頭の後ろに回した。
「まるで厄介払いじゃないですか。あーあ、こっちが俺の故郷なのになあ」
「そうは言っても、あなただって寂しそうにしているでしょう?」
 図星をつかれた。寂しいかどうかは別として、面倒を見るべき相手がいなくて暇を持て余しているのは事実だ。自分の後ろをついてくるばかりだったはずの弟分さえ、気づけばよほどウルフよりも精神的に自立していた。いつまでも同じ気持ちのまま堂々巡りしているのはもはや自分だけなのだと思えてくる。
 それでも彼はミドナを追いかけ、そのためにリンクの手を借りると決めた。目的にも手段にも、もう迷いはない。
「今は好きなタイミングであちらに行けるのですよね」
「はい。まあ……そろそろあいつも反省したかな」
 いい加減イーガ団の騒動も片付いただろう。そろそろ頃合いだ。
 ゼルダはまろやかな味わいの紅茶を一口すする。
「あちらの勇者のこと、いつか私にも紹介してください」
「いいですよ。俺と全然違うから驚きますよーきっと」
「なるほど。とても真面目な方なのでしょうね」
 あくまでゼルダが真顔だったので、ウルフは冗談かどうか図りかねた。
 彼は帰還用に預かっている端末を持ち出す。シーカーストーンのように多彩な機能は備わっていないが、世界を渡るだけならこれで十分だ。転送先はインパの屋敷に設定しておいた。
「それじゃ、行ってきます」
 古代エネルギーの青が視界を包む。そうして彼は、もう一人の相棒がいる世界に「帰って」いった。



 青い光がするりとほどけて、薄暗い室内が目に映った。木造の大広間――インパの屋敷だ。
「ウルフさん!」
 そこにはゼルダにインパ、パーヤらが勢ぞろいしていた。何故か門番のドゥランもいる。彼女たちは座布団を輪に並べて座っていた。会議中だったのだろうか。
「……もしかして、まずい時に帰ってきた?」
「いいえ、ちょうどいいタイミングですよ」
 ゼルダはにこりとした。
 今でも黄昏のゼルダ姫の美貌にはしばしば圧倒されてしまうウルフだが、息吹の姫は素直に可愛いと思える。二人ともハイラルの王族なのでわずかでも血のつながりはありそうなものだが、黄昏と息吹の姫はずいぶん異なるタイプの容姿を持っていた。
 ウルフはふと気づく。見慣れた人々の輪の中に、見知らぬシーカー族が混ざっていたことに。
「この人は?」
「リンクを襲っていたイーガ団です」
「なっ」ウルフはとっさに身構える。
「大丈夫です、ドゥランが説得してくれました」
 元イーガ団の男は無言で頭を下げる。この男がリンクに夜襲を仕掛けていたのか――と、ウルフは思わずまじまじとその顔を見つめてしまう。あの不気味な面を取ると、カカリコ村に住む一般的なシーカー族と何も変わらない見た目だ。思ったよりも若く、リンク(の外見)と歳が近そうだ。
「えっと、姫がここに連れてきたのか?」
「いえ……実は、リンクが案内してきたのです」
「あいつが!?」
 イーガ団の男は「説明せよ」というインパの目線を受けて一礼すると、静かに語り出した。
 彼は物心ついた頃から戦闘の術を仕込まれ、生粋のイーガ団として育てられてきた。将来は幹部昇進間違いなしという才能にも恵まれた。だが、念願の厄災がいよいよ復活という段になって勇者リンクが目覚めてしまう。イーガ団は力を合わせて勇者を仕留めようとしたものの、強烈な返り討ちに遭った。ボスは底なしの穴に落ちて行方知れず、敵討ちを企てた幹部も敗れた。そんな中、最後まで暗殺集団として活動を続けた彼は、平和になった世の中にたった一人で放り出された。
 彼はイーガ団以外の生き方など知らなかった。だから、自分の実力ではどうやっても敵わないと知っていながら、リンクに戦いを挑むしかなかった。
 ある意味では予定調和とも言える敗北――しかし、リンクは彼にとどめをささなかった。首刈り刀を弾き飛ばすと、「もう帰りなよ」と声をかけ、見逃してくれたのだ。その真意を問うことはできなかった。生き延びてしまった以上、彼はもう一度リンクに襲いかかるしかないと思い込んだ。こうして数日置きに夜襲をかけては追い返される、勇者と暗殺者の奇妙な関係が完成したのだ。
 そして、つい先日のことだ。彼がいつものように夜中にリンクの家に赴くと、標的は家の前でじいっとイーガ団を待ち構えていた。ついにこの日が来たか、と彼は思った。あの勇者がひとたび本気になれば、自分など一捻りだろう。
 だがリンクは予想外の行動に出た。ようやく姿を現したイーガ団を捕まえて、「僕と一緒に来てほしい」と告げたのだ。
「こんなことを続けさせてしまって、きみにとっても良くなかった。ごめんなさい」
 そんな風に謝られると、暗殺者としてはどうしたらいいか分からない。
「だから、きちんときみの今後を考えてくれる人のところに行こう」
「ど、どうして……」
 イーガ団がやっとそれだけ言うと、リンクは必死の形相で、
「だってそうしないと僕の相棒が帰ってこないんだもの!」
 ――説明を聞き終えたゼルダはため息をつく。
 ウルフは赤くなった顔を必死に隠しながら、元イーガ団員に尋ねた。
「あ、あのさ、あいつじゃなくて俺に手を出そうとか考えなかったのか?」
「いえ、あなたは、その……まずいので。いろいろと」
 気まずそうに目をそらされる。それはそうだ、今の今までイーガ団活動を続けていたということは、リンクがシド王子を引き連れて残党処理を行ったあの一件を知っているのだろう。「何度だって襲えばいいさ。その度に返り討ちにしてやるよ」――あの時のリンクはいつもの温和な雰囲気を取り払い、明確にイーガ団を脅していた。
 ゼルダは困ったように首をかしげる。
「このような次第でして、こちらは解決したのですが、その」
「リンク様が大変なのです。ウルフ様、助けていただけませんか」
 パーヤが身を乗り出して言葉を引き継いだ。が、ウルフが目を合わせた途端に「きゃっ」と顔をそらす。なんだかショックだ。同じ男でもリンクにはすっかり慣れたのに、ウルフはだめらしい。つい最近までずっとオオカミだと思われていたので、仕方ないことだが。
「大変っていうのは?」
 ゼルダは答えず、ドゥランもインパも渋い顔をしている。
「お、俺が行ってなんとかなるのか……?」
 パーヤ曰く、
「ウルフ様でないとどうにもならないと思います」
 ゼルダは意を決したように告げた。
「ウルフさんは知らないことでしょうが……リンクはあなたがいないとダメなんです」
 さすがのウルフも息を呑んだ。
「だ、ダメなんですか?」
 それはリンクが自分を評価する時によく言っていた言葉だが、まさかゼルダの口から聞くことになるとは思わなかった。
「ええ。厄災討伐の旅の途中、あなたがガーディアンに撃たれてしばらく復帰できなかった時があったでしょう。あの時、リンクは一時行方不明になっていました」
「へ!?」
 全く聞き覚えのない話に、ウルフの頭は混乱に陥った。パーヤが両手を祈りの形に組む。
「その時は、リトの吟遊詩人のカッシーワさんに捜索を手伝っていただきました。ですがリトの翼を持ってしても、目撃者の方々にたまたま出会わなければリンク様を見つけられなかっただろう、とおっしゃっていました」
 そういえば、リンクはコログの森で再会した後「カッシーワには迷惑をかけた」と言っていた。初対面では頑なだった吟遊詩人への態度もいくらか軟化していた。あれはそう言う意味だったのか。
「厄災を倒してから始まりの台地でウルフ様が帰ってくるまでの間も、ハテノ村の自宅に閉じこもってしまって、あまり出てこられなくなって……」
 ウルフは今初めて、自分がいない時のリンクの状態を知った。なんとなく本人が言いたくなさそうにしていた理由もよく分かった。それだけに、焦りがつのる。
 ゼルダは深々と礼をする。
「ごめんなさい。ウルフさんが離れたらリンクもきっとイーガ団のことを考え直してくれるだろうと思ったのですが、完全に対処を間違えました。私の責任です」
「いや、俺だって賛成したから同罪だろ。それで、今あいつがどこにいるか分かりますか」
「そこの方を連れてきてドゥランに託して以来、行方が知れないのです」
「えっ」
 インパは難しい顔で頭を振る。
「目撃情報はあるのじゃが、まるで一箇所に留まらないから追いかけようがなくてな」
 大地に古代エネルギーが満ちたおかげで、シーカーストーンによるワープはかつてないほど自由度を増している。もはやリンクの足取りを追うことなど不可能に近い。
「ちょっと捜してきます!」
 居てもたってもいられず、ウルフはインパの屋敷から飛び出した。
(いい歳して他人に面倒かけすぎなんだよあいつ……!)
 まったく、こちらのハイラルではリンクのおかげで暇など与えられそうにない。



 シーカー族から馬を借り、襲歩で街道を駆け抜けた。ひとまずハテノ村の拠点に戻って玄関の戸を叩く。
「リンク!」
 鍵はかかっていない。そのまま中に入った。
 家は静かそのもので、当然リンクはどこにもいない。二階に上がって部屋を見分すると、旅の荷物がなくなっていた。家全体が妙にガランとしている。
(あいつ……もう!)
 本当に行方不明になってしまったのか。それでもなんとかして追いかけなくては――と玄関にとってかえすと、目の前で扉が開いた。
「うわっ」「あっ」
 そこには不審そうな顔をしたリンクがいた。何故か大荷物を背負っている。
「ウルフくんおかえり。そんなに急いでどうしたの」
 気が抜けたウルフはその場に座り込みそうになった。
「どうしたはこっちのセリフだよ……それになんだ、その荷物」
「あ、これ?」
 リンクは恥ずかしそうに笑う。
「あちこち行って換金できそうなものをかき集めてきたんだ。これからプルア博士に直談判して、いっそのことこっちからきみに会いに行こうと思って」
「いや、それはまだ無理だって、この前言われたばっかりだろ」
「でもいつかはできるようになるんでしょ?」
 リンクはほほえんだ。確かに彼なら本気で実現させかねない。シーカー族たちが手を焼くわけだ、あまりに行動力が突き抜けている。たまたま家に帰って来た時に鉢合わせたのは、本当に運が良かった。
「ゼルダ姫とパーヤから聞いたぞ。厄災討伐の旅の途中で俺がいなくなった時、お前がどうしてたのか。ウオトリー村に引きこもってたんだってな」
「ああ、それ……」
 リンクの口が重くなる。ウルフは肩をすくめた。
「さすがに、そういうのはもうやめたみたいだな」
 静かにうなずくリンク。浮かべる表情は、いささか覚悟が決まりすぎているくらいだ。
「うん。ただ落ち込むより、ウルフくんみたいにとにかく行動した方が話が進むって分かったから。きみがいなくて辛いのは一緒だけど、動いた方が気が紛れて楽になるし」
 なるほど、身近に生ける見本がいるだけはある。別世界に来てまでミドナの手がかりを追い求めるウルフを見習った、ということだ。
「それが行き過ぎて崖から落ちたりするなよ。この家の前だって、いい感じの吊り橋があるからな」
「え、吊り橋?」
「いや、こっちの話。ていうかイーガ団の件、ちゃんと反省したのかよ、お前」
 リンクはぺこりと頭を下げた。
「反省しました。ごめんなさい。あの人にも悪いことをしたよ」
「俺が何で怒ってたか分かるか?」
「……他の人にちゃんと話さなかったこと、だよね?」
「まあ、それもそうだけど。でも俺が一番嫌だったのは、お前だけ傷ついてたことだ」
 リンクは目を丸くする。
「勇者だからって一人で苦しむ必要はないし、そういうのをなくすための相棒だろ?」
「そうだね……そうだよね」
「お前だってその気になればすぐ解決できたんだからさ、自分しか関係ないからって適当に処理するなよ」
「これからは気をつけます」
 殊勝に返事してから、リンクは態度を一変させ、本当に嬉しそうに笑った。
「ウルフくん」
「なんだよ」
「帰ってきてくれてありがとう。実家に帰るだなんて言うから、本当に迎えに行かなきゃならないのかと思ったよ」
 リンクはごく自然にウルフに「おかえり」と言う。このハイラルはウルフの故郷ではないのに。だが、ウルフはそれをごく自然に受け入れられた。
 俺には帰る場所が二つもあるんだ。それって結構、幸せなことじゃないか。
「ああ、ただいまリンク」

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