プロトタイプ1



 ある朝、俺が気がかりな夢から目覚めた時、自分が草の上で一匹の狼に変わってしまっているのに気づいた。
 いや、別にこの姿になるのはおかしくないんだ。慣れてるから。気がかりな夢っていうのも起きたら忘れちゃったし、体に異常はない。異常があるのは――
「わあああ、本当だ! 本当に出てきたよー!」
 目の前で、はしゃいだ声を上げる男。まだ少年と呼ぶべきか、やわらかそうな金髪を後ろでひとつにまとめ、青い衣を身にまとっている。そいつは変な模様の浮かぶ石の板を持って、俺のことを――心底嬉しそうに見つめていた。
「ねえねえキミ、名前は? どこから来たの?」
 異常があるのは、この状況だ。こいつ、獣姿の俺を全然怖がらない。それどころかますます近寄ってくるのだ。
(な、な、なんだよこいつ……!?)
 俺は気圧され、思わず後ずさりした。ハイラル城下街で、散々道行く人々に怖がられたことが脳裏に蘇る。あれが普通の反応だよな……? 何故かアゲハだけは平気そうだったけど、この男は彼女の反応ともまた違う。明らかに、俺に興味を抱いて近づいてきている。
(気色悪いっ……!)
 理解不能すぎて鳥肌が立ってきた。
 俺が警戒をあらわにするものだから、男は差し出した手を引っ込めて、
「うーん、こういう時はどうすればいいのかな」
 指で手元の石板を叩き始める。奇怪な行動だ。
 熱烈な視線から解放されて少しだけ余裕の出た俺は、ちらちらあたりを見回した。
 そもそも、ここはどこなんだ。気づいたら、まるで知らない大自然の中に放り込まれていた。そして目の前にはこの男だ。ふわふわした草の絨毯も、刻一刻と移り変わりを見せる青い空も、かぐわしい風も、全て俺の知ってるハイラル平原のようだけど、どれも少しずつ違う。
 なんだか急に怖くなってきた。夢――だよな? にしてははっきりしすぎてるし、目に入るもの全てが取り返しのつかないほど鮮やかだった。
 俺は、夢中になって石板を叩く男を睨みつけると――その場から逃げ出した。
「あ、待ってよ!」
 追いかける足音が、だんだん遠ざかる。獣の全速力に勝てるなんて思うなよ。
 なぜだか分からないけど、あの変な男といると、嫌な感じがする。「なんとなく気にくわない」が俺の中でどんどん膨れ上がっていた。
 起伏の多い草原を越え、崖っぷちに渡してあった丸太を渡り、ついでにそれを谷底に落としておく。これで追ってこられまい。
(なんなんだよ、もう……)
 草の上に伏せてちょっと休んだ。ようやく落ち着いたので、いろいろ考えを巡らせてみることにする。
(俺、ここに来る直前まで何してたんだろ?)
 正直全然思い出せない。ミドナは背中にいないし、俺は知らない場所でひとりきり。おまけに正体不明の男が追ってくる。
 それでも目に映る景色は、憂鬱な心を洗い流すほど雄大だった。真っ白い雲が空の高いところをゆっくりと流れ、俺の上に大きな影が落ちてくる。日差しと日陰のコントラストが肌を適度にあたためた。
(のんびりしてても、はじまらないか……)
 あいつから離れたら、ちょっとだけ胸のモヤモヤもマシになった。また歩きはじめる。とりあえず、目に入る限りで一番高い山を目指した。
 しかし行けども行けども、人里の気配はない。何でもいいからこの場所に関する情報を入手したいんだけどなあ。人間の姿なら辛うじて登れそうな高台も、今は見上げることしかできない。そんな場所に村があったらどうしよう。
 そうこうするうちに日が暮れてきた。俺の知ってるハイラルの黄昏とは違う。光の色とか、雰囲気とか……何よりも「あの世とこの世が繋がっている」感じがしなかった。それを見た瞬間、
(本当に変な場所に迷い込んだんだな)
 と実感した。同時にハイラルが恋しくなった。
 山の端に太陽が消えれば、一気に空気が冷たくなる。どこか、風をしのげる場所で休みたかった。この先何が起こるか分からないし、慎重に進みたい。
(ん、あれは……)
 浅い夜闇の中に、ぽつぽつ光が見えた。もしかして松明? 旅人がいるのかもしれない!
 俺は喜んで駆け寄ったが、すぐに足を止めた。人じゃない。魔物が火を焚いていたのだ。
(げーっ)
 げんなりして木の陰に身を隠した。火を使っていたのはブルブリンやボコブリンに似た小鬼の魔物だった。俺のハイラルで言うところのブルボーの丸焼きを囲んで、ぎゃあぎゃあさわいでいる。晩飯かな。正直、うまそうだ。俺も腹が減ってきた。
 ……いいかな。いいよな、相手は魔物だし、問題ないよな。
「飯よこせー!」
 俺は容赦なくその輪に飛び込んでいった。
 相手は三体。これならすぐに片付くだろう。足を踏ん張って唸り、威嚇する。
 魔物はこっちに向かわずに包囲網をつくって、じりじりと距離を詰めてきた。
(……こいつら、頭がいい)
 ただ直進してくるだけなら楽なのに、相手は数の強みと連携を考えた行動をとっている。冷や汗をかいた瞬間、小鬼の一匹が棍棒を振りかぶってジャンプしてきた。
「うわっ」横っ飛びで避ける。思ったよりもリーチが長い。
 せめて不意を打つべきだった。慎重に行動すると決めたばかりなのに!
(とにかく戦線を切り崩さないと)
 俺は一匹に狙いを定めてジャンプアタックを仕掛けた。小鬼を突き飛ばして気絶させることに成功するが、致命傷には至らない。すぐに意識も戻るだろう。それでも頭数は減らしたから、他の奴を――と振り向こうとした途端に、俺の右耳を矢がかすめる。
(弓兵もいるのかよ!?)
 暗闇の中で見えていなかったが、すぐそこに低いやぐらがあって、三匹のうちの一匹が上がったらしい。
(容赦なさすぎだろ!)
 びっくりしていると先ほどの一匹が起き上がってきた。あ、やばい。
 矢と棍棒の包囲網で、俺はじりじりと追い詰められた。どうしよう、逆に食糧にされそうだ。ミドナの魔法が恋しい。今まで俺って相当彼女に頼ってきたんだな……。
(逃げた方がいい、かも)
 後ずさりしながらそのタイミングをうかがっていると――出し抜けに、熱い風が吹きつけてきた。闇夜の中で草原が燃えている!
「えええ!?」
 松明が倒れた? 俺の逃げ道ないじゃん! にわかにパニックになった俺は、魔物と一緒にそこらを右往左往した。
 そこに、また矢が飛来した。思わず身を縮めたら、矢は俺を狙わず、魔物たちだけを次々と打ち取っていく。
(なんだなんだ?)
 やぐらの上の小鬼がそれに気づき、新たな射手を狙って弓を引き絞る。その一瞬前に、矢が宙を駆け抜けた。矢尻がぶち当たった小鬼は全身凍りついてしまう。疾風のブーメランのような、氷の魔力を秘めた道具らしい。
 あたりから魔物の気配が無くなった。射手がからりとした声を上げる。
「心配したよー。こんなところにいたんだね」
 あの、青い衣の男だ。弓を片手に近寄ってきた。フードを外し、にこっと笑う。
 俺は気が動転していて、「怪我してない?」と男に近くにしゃがみこまれても、無遠慮にやたらとなでなでされても、大人しくされるがままになっていた。
 たっぷり俺の毛並みを堪能して、奴は、
「大丈夫そうだね。良かったー。ところでお腹空いてない?」
 なんなんだこいつは。どうやったら俺に対してこんなに自然な対応ができるんだろう。見た目に限っても、さっきの魔物と俺と、どこが違うっていうんだ……?
 男はその場で首を左右に回した。火にかけっぱなしだった例の丸焼きを見つけ、目を輝かせる。
 ナイフを取り出して少し焦げた肉をこそげ取り、近くにあったナベにぶち込む。さらに手持ちの食材を足していった。水とキノコと……あとはなんだろう。
 手際よく火をつけて、彼は腰に手をあてた。
「んーんー、ふーふふーん」
 え、今の鼻歌? お粗末すぎないか。俺の遠吠えの方がいくらかマシだぞ。
「でーきたっ」
 鍋ごと火から降ろして、そのまま俺の目の前に置いた。それは料理と呼ぶにはあまりにも原始的すぎた。肉とキノコの――煮込み? 味付けは途中で削っていた岩塩だけらしい。見たところ火の通り方もまばらだし、全然食欲をそそられない。
 俺はしぶしぶ口をつけた。
(うええ。おいしくない……)
 落胆の後にやってきたのは怒りだった。俺の肥えた舌はこんなものでは満足できないぞ!
 思わずギロリと睨みつけてやったら、
「そーかそーか、そんなにおいしいか!」
 とそいつは笑った。違うっての!
 でも、俺は食べた。この先もこんな食事が続くなら、慣れるしかない。空腹も手伝って全部平らげてしまった。
 そいつも同様に膨らんだお腹を抱えて、
「そういえば、自己紹介がまだだったよね。おれはリンクって言うんだ」
 え。思わずまともに奴の顔を見た。誰かと似てると思ってたけど、それは鏡の中の俺だった……。
「きみの名前は?」
(俺もリンクなんだけど)と吠える。
「うーわんわん? そういう名前なの」
(違うってばー!)
「もうちょっと呼びやすい方がいいなあ。名前、名前かあ……」
 青いリンクは手元の石の板を叩きはじめた。昼間出会った時も持っていたアレだ。一体何してるんだ、と石板を覗き込んでみたら、表面にめまぐるしく文字が浮かんでは消えていくのが見えた。魔法……だよな。ものすごいテクノロジーを感じる。
 彼は石板をくるりとひっくり返し、俺に見せた。獣の俺に似た動物が浮かび上がっている。
「きみはこの、狼ってのに近いのかな。ウルフ……って呼んでもいい?」
 仕方なしに頷く。これ以上のネーミングは望めない。
 それにしても、言葉も通じない獣に呼び名を尋ねるなんて――なんだか本当に人に対して接しているようだった。
 青リンクは嬉しそうに右手を差し出した。
「よろしくね、ウルフくん!」
 握手のつもりだろうか。俺はそれには応じず、横を向いてフンと鼻を鳴らした。
 よろしくも何も、これ以上お前に関わる気なんてないんだよ。さっさと帰る方法を見つけて、こんな訳の分からん場所からオサラバしてやるんだからな!





 昨晩は、魔物のすみかをそのまま野営地にした。
「おはようウルフくん!」
 青リンクは爽やかすぎる笑顔で起きてきた。こいつ、なかなかに図太い。俺なんか獣になって余計に鼻が効くから、魔物くさくてよく眠れなかったのに。
「今日はね、南の方に行くよ」
 何故か俺も一緒に行くことになっている。でも――あれだけ草原を歩き回っても、こいつ以外に人を見なかった。今のところほぼ唯一の情報源だから、ついていって損はない……と思う。
 その時、ぐう、とお腹が鳴った。恥ずかしいことに青リンクのじゃなくて、俺の腹の虫だった。
「その前に、腹ごしらえかな」
 リンクはにこにこしている。また、こいつのマズイ飯を食うのか……不満タラタラの俺は、奴のベルトを鼻先で突っついた。
「うんうん、いつもキノコじゃ不満だよね。今日は魚をとろうか!」
 言うが否や、青リンクは自らの服を脱ぎ捨てた。
(!?)
 何てことだ、こいつは露出狂だったのか。いくら誰もいないからって大自然の中で脱ぐなんて。俺がもしメスの狼だったらどうするつもりだったんだ――やっぱり気にしなさそうだな、うん。
 青リンクはパンツ一丁になって草原を走っていく。うむ、俺よりは筋肉ないな。良かった。
 しばらく俺はのんびりその背中を見送っていたが、もし汚れなき乙女がこれを目にしたら大変だ、と万が一の可能性を考えて、追いかけることにした。
 まばらに木の生える森を抜けると、小さいけれど深そうな池があった。奴は無防備すぎる格好でそのほとりに佇み、例の石板を何やら操作しながら、
「この板ね、シーカースレートって言うんだ。ちょっとすごいもの見せてあげる」
 最後にとん、と表面を叩くと、リンクの空いた右手に球体が出現した。
 青い光を放っているので魔法道具のようだが、明らかに見覚えのあるデザインだった。球体からはひも――否、導火線が伸びている。
(バクダンじゃないか!)
 一体どこから取り出したんだ。魔法で作ったってことか? 魔法と縁がない俺はただただ仰天する。
 彼は手に持ったバクダンを、ぽいと投げた。池に向かって。バクダンは水面にぶつかる寸前、景気のいい爆発音をたてた。同時に高く水柱が上がる。
「とれたとれた。よーしっ」
 目をこらすと、水面には魚がいくつも浮かんでいた。青リンクがそこに飛び込む。
 もしかして釣り……というより、漁をしたってことなのか?
(釣竿を使え、釣竿を!)
 文明の利器をなんだと思ってるんだ。やっぱり原始的すぎるぞこの男ー!
 リンクが魚をかき集めて、陸に上がってくる。水中で一気に仕留められた魚は、新鮮そのものだった。
「朝ごはんは焼き魚でどう?」
「ムニエルにしてくれ」と言えるわけもなく、俺はただただ頷いた。
 リンクは荷物から出した薪を使って即席で焚き火を作ると、焼き魚を作り始めた。味付けは相変わらず岩塩を振っただけだが、こんがり焼き目がつくまで炙ると、鮮度の良さも手伝ってなかなかうまかった。
 にしても青リンク、獣の俺よりはるかに文明から遠い生活をしてるぞ。こいつと一緒にいると、ますます野生味が増してくる気がする。
 奴はきっちり魚の骨まで咀嚼して、ぷはっと息を吐いた。
「朝ごはん終了! さて、目的地を目指すぞ~」
 シーカースレートはマップ代わりにもなるらしい。リンクは石板をさらさら指でなぞって行き先を確かめる。影の世界の魔力と、どっちがすごいんだろう。
 大きな雲が、見渡す限りの草原の向こうから湧き上がってきた。植生も俺のハイラルとは違うようだ。見たことのない草花が目に入る。青リンクが知らないだけで、中には食べられるものもあるかもしれない。
 丘を越えると、少し遠くに背の高い建物が見えた。屋根が落ちているから廃墟なのは確定だが、自然にあふれたこの世界におけるはっきりとした人工物は、俺の胸を高鳴らせた。
 次第に遺跡の一部と思われるがれきが増えてきた。かすかだが確実に文明の香りが漂ってくる。
「ついた、ついた」
 青リンクは一息ついて、そばにあった妙なオブジェの上に座り込む。
 木桶をひっくり返したような形の大きな頭に、目玉のようなくぼみがぽつんとあいていた。そこにオクタイールの足みたいなのがくっついている。建物と同じく、そいつもやっぱり朽ちていたが。
「おっ」
 と言って、彼はがれきから何かを取り上げる。
「こんなところにあるなんて。見て見てウルフくん、綺麗でしょ」
 日の光を透過して手の中で輝くのは、見慣れた青いルピーだった。薄汚れて端も欠けてるけど、間違いない。
 彼はそれを物珍しそうに見つめる。
「いつか役に立つと思って集めてるんだよね。おカネ……って言うらしいんだけど。これが、いろんな物と交換できるんだってさ」
(こいつまさか、カネのことを知らないのか!?)
 やばい、こいつについていっても、人里には一生たどり着けないかもしれない。
 青リンクはルピーを皮袋の中に落とし込む。おカネのことがわからない奴がいるのに、ルピーがこうして落ちているってことは、もしかして一度文明が滅びてるのか……? 俺は過去か未来にでも飛んできてしまったのか?
 俺の内心の混乱はいざ知らず、青リンクは立ち上がって、天を目指す巨大な建物を見上げた。
 天井の高さから、昔はさぞ立派だったんだろう。築後数百年は経ってそうだ。どこかで見覚えがあるような造形をしている。
「ここは時の神殿っていうらしい」
(なんだって……!?)
 時の神殿は俺のハイラルにもあった。いや「かつてあった」と言うべきか。
「今いるここ、セントラルハイラルが栄えていた頃は、いろんな儀式に使われたらしいよ」
 何らかの情報が表示されているシーカースレートを見つめる青リンクを無視して、俺はいてもたってもいられず、時の神殿に飛び込んだ。
 俺の時代では、壁も柱も見当たらないほどに朽ちていた。でも、ここには辛うじて往時の姿を想像させるような外構がまだ残っている。
(ここが時の神殿なら、マスターソードがあるはず!)
 必死に探し回った。でも神殿の中心には羽を生やした女神の像があるだけで、剣の台座らしきものは見当たらない。隠し部屋がある可能性は否定できないが……なんとなく、ここにマスターソードはないと思った。あの剣を目の前にした時の、圧倒的な存在感がなかったのだ。
 俺はがっくりきて、床に伏せた。マスターソードさえあれば、人間の姿に戻れると思ったのに……。
 青リンクはゆっくり追いかけてきて、俺の横を素通りすると、女神像の前にひざまずいた。胸に片手をあて、お祈りのような仕草をする。
 しばらく沈黙が流れた。
「なんか、ここに来るとこうしなきゃいけない気がするんだよね」
 彼は照れくさそうに笑った。俺は神殿を荒らし回ろうとしたことをちょっと恥じた。
 彼は朽ちかけの椅子に腰掛けてしばらくぼうっとしていたが、やがて腰を上げた。
「外、行こうか」
 太陽が中天に登っていた。このセントラルハイラルは結構な高所にあるらしく、空気が冷たいのに日差しは強い。俺は目を細めた。
「あそこ」
 青リンクが指差す。いくつもの丘を越えた先に、ほとんど霞んでいるけれど、大きな建物が見えた。
「おれはあそこに行かなくちゃいけない」
 ハイラル城のように見えた。だがまわりにはどす黒い魔力が渦巻いていて、こんなに遠くから眺めていても気分が悪くなりそうだった。
 俺は、リンクをチラ見する。その横顔は使命感に満ちていた。
 一日ぶりに、胸のモヤモヤが復活した。同時にその正体が分かってしまった。羨望だ。
 こいつには、この場所でやるべきことがある。でも俺には何もない。だから使命を持って行動できるこいつのことが、羨ましいんだ。
 俺はただ、早く帰りたいだけだ。それなら帰るまでの間、ちょっとだけでもこいつの使命を手伝うのは悪くないかもしれない。
 リンクは軽く背を反らして、真剣な表情を崩した。
「さて……ここまできたら、やることはひとーつ!」
 実にいい笑顔を浮かべて、背中にくくりつけていた丸い盾を外し、足元に敷く。
(なんだなんだ?)
 片足で軽く勢いをつけると、彼はまるで雪すべりをする時のように、盾に乗ったまま坂をすべり出した。
「いやっほーぅ!」
 うわああ、楽しそー! あれ、俺もいつか絶対やろう!
 草原をすごい勢いですべるリンクを、全速力で追いかける。すると、俺の視界の限界ギリギリで、盾が壊れて草原に投げ出されるリンクの姿が見えた。
(……やっぱりやめとこうかな?)





 リンクはシーカースレートを台座にかざした。すると、青い光が満ちて、祠の入り口が開く。
 その中からはほんのり謎解きの匂いがした。俺がいつもやっているようなアレのことだ。多分、間違いじゃないだろう。
「じゃ、ちょっと行ってくるから。ここで待っててね、ウルフくん」
 この呼ばれ方にもすっかり慣れてしまった。俺は不承不承うなずいた。
 どうやら俺はお呼びでないらしく、リンクが中に消えるとすぐに入り口は閉まった。あのシーカースレートっていうのは一体何なんだろうか。マップにもなって情報も集められてカギ代わりにもなるとか、ちょっと便利すぎないか。
 完全に暇になった俺は、当然大人しく待つことなく、そのへんをぶらぶらし始めた。
 ここはセントラルハイラルというそうだ。俺が初めて降り立った場所と同じ地方だ。だがあまりに広すぎて、未だに地理は把握しきれていない。中心部でこの規模なら、ハイラル全体だとどれだけ広いんだろう。あの大きな山はもしかしてデスマウンテンか? 徒歩で行こうとしたら何ヶ月かかるんだろうか。
 時の神殿にまた行こうと思い立って、途中までは進んだが、全くたどり着けそうになかった。方向感覚にはそれなりに自信があったんだけどなあ。帰り道を見失わないうちに、洞窟まで戻らないと。
 そのうちに、俺は時の神殿で見かけたあの変なオブジェと同じものがたくさんある一角に迷い込んだ。崩れた低い壁と床の残骸が散乱していて、歩きづらいことこの上ない。石畳らしきものもあるし、ここにも昔は建物があったのかな?
 おっかなびっくりがれきの間を通った。一つ目の変なオブジェは、なんとなくビーモスに似ていた。こいつ、リンクは普通に椅子にしてたけど、急に動き出しそうで怖いんだよなあ。長い足といいギョロ目といい、昔は間違いなく元気に動いてたんだろう。
 まさか生物ではあるまい、と思いつつ、鼻を寄せる。
(埃のにおいしかしない、な……)
 鼻先でつんと小突いてみた。
 途端に目の前を青い光が覆った。
「うわっ!?」
 反射的に飛びのいた。殺気を感知したからだ。もちろん、あのオブジェから。
 そいつは完全に往時の元気を取り戻しているようだった。長い四つの足を使って、立ち上がる。大きな一つ目がヤバめの輝きを放った。
「――っ!」
 一瞬後、俺目がけてレーザーが発射された。ビーモスなんてレベルじゃない、極太で破壊力も桁違いだ。土がえぐれて飛んだ。小爆発が起こったようだった。草が焼け焦げて、延焼をはじめる。ほとんど勘で避けられたのは奇跡のようなものだった。
 一瞬芽生えた対抗心が、すぐにしぼんだ。
(無理だ。逃げるしかないって!)
 ミドナのいない俺は、近接戦闘しかできない。でもあんなものに近づけるはずないだろ。だからと言ってレーザーがあるから遠距離も得策とは言えないけど……とにかく今は逃げる!
 俺はその魔物に追いかけられながら、必死に駆けた。足は自然と、今来た道をたどっていた。
「ウルフくん、こっち!」
 知った呼び声がして、俺はその方向にあった壁の裏に飛び込んだ。
 青リンクだった。彼は弓矢を構えたまま壁の陰ギリギリに出て、俺を背中に隠した。またレーザーが発射され、轟音とともに岩壁を削った。
「マズイな……」
 完全に居場所がばれてる。ここから一歩でも出たら狙い撃ちだ。それで二人とも昇天。でも動かなくても、レーザーが岩を削り切って、いつかはまとめてやられてしまうだろう。
 それは、俺が何も考えずに行動してあの魔物を起動させた挙句、ここに隠れたせいだった――
「あいつはガーディアンっていうんだ。一応、打つ手はあるけど……あんまり自信ないんだよね」
 リンクは厳しい顔で弓を撫でる。「自信がない」と言いつつ、それでも彼は飛び出すタイミングを図っているようだった。
 俺はもう一度、よく考えてみた。
 このハイラルでは、俺はやることがない。使命も動機も何もない。でも、このリンクにはそれがあるんだ。きっとこのハイラルも、こいつを必要としているんだ。
 だったら取るべき行動なんて決まってるだろ。
 俺はぱっと岩陰から飛び出した。
「なっ!?」
 仰天するリンクを無視して、ガーディアンに向かっていく。きらりとその目が光った次の瞬間、レーザーが放たれた。何とかジャンプして避ける。が、削られた岩や土のかたまりが体にぶつかって、体勢を崩す。
 意識を失う直前に見たのは、爛々と輝く魔物の青い目と、リンクが渾身の力を込めて飛ばした青い光の矢だった。



「ごめん、おれのせいで……手当もろくに、できなくて」
 雨が降っていた。水滴がポツリと俺の顔に当たる。雨のせいでなく、リンクは顔をくしゃくしゃにしていた。
 俺はぐったりと地に伏せていた。全身がろくに動かない。リンクはかがみこんで、俺を覗きこんでいた。
 彼は右手で綺麗な石を取り出した。どこか懐かしい黄昏を映す色をしていた。
「この石で、きみを呼び出したんだ。シーカースレートが教えてくれた。これを使えば、おれの助けになる者が呼び出されるだろうって。
 本当だった。きみが来てくれた。仲間が……友達ができたって思った。嬉しかったんだよ、すごく。
 おれ、目覚めてからずっとひとりきりだったから」
 だから、獣だろうが人間みたいな扱いをしてくれた。そしてあんなに楽しそうに旅をしていたんだ。
 大事な命の源が体から流れ出して、どんどん目の前が暗くなる。でも俺は満足だった。
「俺がいなくても、ちゃんとやることやるんだぞ、リンク」
 偉そうに言いたかったのに、弱々しい吠え声にしかならなかった。
 びっくりしたように目を見開いたリンクの姿が、重くなるまぶたの裏にしっかりと焼き付いた。





『起きろ、リンク!』
 ぷは、と水面から上がった時みたいな声を上げて、俺は息を吹き返した。
 上半身を起こす。腕を上げてみれば、指がきっちり五本ある。いつの間にか人間の姿に戻っていた。そして、目の前にミドナがいた。
「俺……寝てた?」
『あの獣の試練ってのをクリアしてから、ぶっ倒れたんだよ』
 そこはハイリア湖のほとりだった。夜が近づいてくる時刻で、俺のハイラルの、懐かしい黄昏に満ちている。
 そうか、とひとりごちる。あれは夢だったんだな。
 ある朝、俺が気がかりな夢から目覚めた時、自分が草の上で一匹の狼に変わってしまっているのに気づいた――そもそもあのハイラルの話が、夢だったんだ。
 腹のあたりを撫でてみる。もちろんレーザーを食らった跡なんてない。
 俺にはここで、このハイラルで、果たすべき約束や使命がある。あの青リンクと同じように――。だったら投げ出したりせず、ちゃんとやり遂げなくちゃな。
 土埃を払って立ち上がりながら、
「俺にはミドナがいてくれてよかったよ」
『……!? 急に、どうしたんだ』
 ミドナは動揺したようだった。俺は続けて、
「話し相手がいるのって重要だなと思って。俺だけで旅してたら、絶対ひとりごとばっかりになってたよ」
『ああ、そう』その返事は残念そうに聞こえた。何でだろう。
 やっぱり俺は、このハイラルの黄昏が好きだ。山の向こうに消えていく太陽に向かって快哉を叫びたい気分だった。



「やった! また、会えたね~ウルフくん!」
 で、なんでまた青リンクが目の前にいるんだろう。
 リンクは別れた時と変わらずにこにこ笑いながら、握った手のひらを開いてあの石を見せた。
「あれから何度も試したんだ。しばらくはどうやっても召喚に応えてくれなかったんだけど……丸一日経ったら、いけたんだよ!」
 リンクはそれはもう嬉しそうにしていた。
 俺はじっと、彼の手にあるものを見つめた。あの黄昏色の石から、魔力を感じる。もしかして、あの石が俺を獣にしてるんじゃないか? ザントの残した楔みたいに。
(あれを奪えば、人間に戻れるしハイラルにも帰れるし、もう勝手に呼び出されることもないかも――?)
 俺はじいっと半眼で石を見定めた。
 いつか絶対、あの石を奪ってやる。それで伝えてやるんだ。俺もお前と同じ人間で、ちゃんとリンクっていう名前があるんだって。
 だからそれまでは、お前の使命とやらを手伝ってやるよ。

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