プロトタイプ2:旅立ち

 誰だ、僕のことを勇者だなんて言った奴は!
 リンクは心の中で悪態をつきながら峠道を全速力で駆け抜ける。その後ろからは、不気味な赤に染まった人影が凶器を持って迫っていた。
 イーガ団。厄災ガノンを信奉し、仇なす者を排除する、ハイラルの抱えた暗部である。シーカー族の片割れであり、目玉マークを逆さにした紋章を仮面にしている。
 噂には聞いていたが、まさか旅人に化けて襲ってくるとは思わなかった。道端で焚き火が起こせなくて苦労している様子だったので手伝ってやろうとしたら、突然変身し、武器を向けてきたのだ。
(何で僕が命を狙われなくちゃいけないんだよ……!)
 相手は魔物ではなく人間だ。自分も武器を持って対抗しようとは、どうしても思えなかった。リンクは相手の殺気に圧倒され、はっきりと萎縮していたのだ。
 この道の先はカカリコ村。このまま逃げ続ければ、村の中に危険人物を入れてしまうことになる。リンクの心に迷いが生じ、それはわずかな起伏につまづく結果をもたらした。
「うわっ」
 無様にも正面から地面に突っ込んでしまう。
 非常にまずい。なんとか上体だけは起こしたが、振り向けばもうイーガ団は目の前だ。咄嗟に抜いたのは剣でも盾でもなく、腰のシーカーストーンだった。直前まで何の機能を使っていたかも忘れてとにかく操作し、目の前にかざした。
「勇者リンク、覚悟!」
 赤い死神の首刈り刀がまっすぐに振り下ろされた。同時に、シーカーストーンが起動し、リンクがかたくつむったまぶたの裏に金色の光があふれた。
 ……覚悟していた衝撃はなかった。恐る恐る目を開けると、
「くそ、こいつっ」
 イーガ団が地面に這いつくばって悶絶している。その首筋には、見たことのない大型の獣がまとわりついて牙を立てていた。
「覚えてろよ!」
 イーガ団は捨て台詞を吐きながら魔術を使い、どこかへ転移していく。
 残された獣は体勢を立て直しながら見事に着地した。そして、青色の瞳でじっとこちらを見つめてくる。リンクが知らない種類の四つ足の獣だ。左前足には何故か壊れた枷をはめており、全身は墨色の毛に覆われている。その佇まいからは、確かな知性が感じとれた。
「きみは一体……?」
 はっとしてリンクがシーカーストーンを確認すると、「ショウカン」という機能が立ち上がっていた。
 召喚。ハテノ研究所のプルア博士に追加してもらったものだ。確か、リンクの冒険の助けになるものを異世界から呼び寄せるという機能だった。
「もしかして、きみ……」
 リンクが恐る恐る近寄ると、獣は身を翻して駆け去ってしまった。
「あ、待って!」
 獣が向かったのはカカリコ村の方角だ。リンクは慌てて追いかける。
 そこはシーカー族の故郷である。背の低い木造の家々が、ゆるやかな坂に沿って配置されている。かの種族は独特な生活様式を持つため、ハイラル国内だというのに異国情緒にあふれていた。
 彼は村内を見回っていた門番ドゥランに出くわした。立派なひげをたくわえたシーカー族の戦士だ。
「リンク殿。そんなに急がれて、どうされました」
 リンクは急ストップをかけて前のめりになりながら、
「今、ここを……動物が通りませんでしたか」
「ボガードの飼っているコッコのことですか?」
 コッコは、先ほどの獣とは似ても似つかないトリである。まさか、ドゥランはあの獣を見ていないのだろうか。もしかすると別の道を行ったのかもしれない。
 リンクが困惑してあたりを見回した時、坂を下った先にある広場のあたりから悲鳴が聞こえた。
「きゃああっ! だ、誰か!」
 リンクは弾かれたように動く。後ろにドゥランも従った。
 広場にはシーカー族をまとめる老女インパの屋敷がある。その階段の下で、インパの孫娘パーヤが例の獣と対峙し、尻餅をついていた。だが、獣は先ほどのように彼女に飛びかかろうとしているわけではない。軽く足踏みし、戸惑っているように見えた。
 リンクは急いでパーヤの前に出た。
「大丈夫ですかっ」
「は、はい」
 リンクが手を差し出すと、男慣れしていないパーヤはおっかなびっくりそれを握り、立ち上がる。
「あの獣、魔物ではありませんよね……?」
「えっと……僕の知り合い。危ないところを助けてもらったんだ」
 リンクはとっさに嘘をつくが、助けてもらったことは本当だった。パーヤは涙でうるんだ瞳を瞬いた。
「リンク様のお知り合いですか? あれは狼でございますよね」
「へえ、狼っていうんだ」
 獣の種類もろくに知らなかったリンクに対し、パーヤはきょとんといた。その二人に、ドゥランが近づいてきた。
「パーヤ様、一体どうなされました?」
「いえ、村に狼がいたので、つい……」
 彼女は大人しくなった獣を指差すが、ドゥランは首をかしげる。
「狼などおりませんが」
 二人はびっくりして顔を見合わせる。パーヤはさっと頭を下げた。
「わ、私の見間違いだったようです。騒いでごめんなさい」
 ドゥランは不審そうな顔をしながらも、村の警備に戻っていった。
 狼はいつの間にか行儀よく座って、こちらをじっと観察していた。
「僕たちにしか見えないのかなあ」
 リンクが何気無く近寄り、その毛並みに触れようとしたら吠えられた。急いで手を引っ込める。村が騒ぎになる様子もないし、この咆哮も聞こえないのだろうか。
「リンク様はどこでこの狼と出会ったのですか?」
 リンクは苦笑し、頬をかく。
「実は、ついさっきそこで……。シーカーストーンからいきなり出てきたんだ。正体はよく分からないけど、助けてくれた。だから味方だと思う」
「なるほど。あの、一度祖母に相談してみませんか?」
 パーヤが階段の上にある屋敷を指差す。
「そっか。インパさんなら、何か知ってるかもね」
 二人はうなずき合い、階段を上った。リンクが促すまでもなく、狼は後ろからついてきた。扉を開け放ち、インパの屋敷にお邪魔する。
「失礼いたします」
「先ほどの悲鳴は何事じゃ、パーヤ」
 いつものように部屋の真ん中に座していたインパが鋭く問いかけた。小柄な老女だが、かくしゃくとした様子に反して百年以上生きているというシーカー族の長老だった。
「おばあさま。この狼が見えますか」
 インパはリンクの足下の獣を一瞥する。
「ああ、確かに見えるのう。それがどうかしたのか」
 パーヤは祖母インパの正面に二つ座布団を出し、客人に促す。正座というものに慣れていないので、リンクは膝を崩した状態で腰を下ろした。狼も、その隣の床に座る。
 リンクはベルトから石版を外し、目の前に掲げた。
「このシーカーストーンから出てきたんです。もしかして百年前、見たことがありませんか」
 インパは首を振った。
「いや……心当たりはないのう」
「そうでございますか」パーヤが残念そうに胸に手を置き、
「やっぱりプルア博士に聞いてみるのがいいかな?」
 とリンクが一人合点する。インパは眉を微妙な角度に持ち上げた。
「百年前のことなら、そなたが記憶を取り戻せば分かることじゃろうて。どうじゃ、ウツシエに記された思い出の場所は探してみたのか」
 リンクはびくっと肩を揺らした。シーカーストーンには、彼の失われた記憶の手がかりが残っている。しかし――
「い、いえ、まだ一つも。さっき、探しに行こうとして村の外でイーガ団に襲われちゃって……」
 パーヤが心配そうに小声で、
「そうだったのですか。お怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫」
 インパはため息をつく。
「イーガ団については警戒を強めよう。そなたは一刻も早く記憶を取り戻し、ゼルダ様をお救いするのじゃ」
 その台詞を聞いて何故か狼が耳をピンと立て、リンクの横顔を注視する。
 リンクはそれに気づかず、眉根を寄せた。軽く息を吸い、声を低める。
「……どうして、知らない人のために命を賭けなくちゃいけないんですか?」
 瞬間、インパの顔色が白くなった。パーヤも息を呑み、狼が鋭い視線を向ける。
「ゼルダ様を、知らない人じゃと……!?」
 リンクは心底抱いた疑問をぶつけるように、たたみかける。
「だって会ったことないですし。何回か声を聞いただけです。それなのに、どうして僕がイーガ団みたいな奴らに――」
「この、大馬鹿者が!」
 雷鳴が響き渡った。同時にリンクの前髪が濡れる。インパに、飲んでいた茶をかけられたのだった。
「お、おばあさま!」
 慌ててパーヤが祖母に駆け寄る。インパは顔をうつむけ、肩をふるわせていた。一方で、リンクは濡れた顔を拭いもせずに立ち上がった。
「……失礼します」
 問答無用で彼が屋敷を出て階段を降りると、いつの間にか例の狼もついてきていた。
「ごめん、変なことに付き合わせて。さっきはありがとう。もう好きなところに行っていいよ」
 だが、狼は黙ってその場にとどまっている。
「そっか、きみのことが見えない人もいるみたいだよね。僕についてくる? きみが来たってこと、教えたい人もいるし」
 狼は頭を振り、うなずいたようだった。そして向けられるのは、リンクの内心を見透かすような、まっすぐな青い瞳だ。
(僕にはこんな表情できないなあ……)
 彼がかすかな羨望を覚えながら狼とともに元来た道を戻ると、後ろからパーヤが追いかけてきた。
「リンク様……先ほどは、その」
 申し訳なさそうにする彼女を制し、リンクは頭を下げた。
「いや、僕も考えなしだった。ごめんなさい、迷惑かけて。しばらくこの村には来ないけど、次はちゃんとインパさんに謝ろうと思う」
 パーヤは顔を赤らめながら、はい、と小さく頷いた。
 年齢層が高めなカカリコ村で生まれ育った彼女は、リンク以外の若い男性とろくに話したことがなかったらしい。最初はほとんど会話が成り立たなかったけれど、だんだん慣れてくれたのかな、と彼は嬉しくなる。
 そこでふと、尋ねてみた。
「パーヤさんは僕のこと、本当に勇者だと思う?」
 赤と青で渋く染められた衣の裾をつかみ、パーヤは眩しさをこらえるようなまなざしになった。
「わ、私は昔話でうかがっていただけですが……百年前のリンク様は、勇者にふさわしい活躍をされていた、とカカリコ村には伝わっております」
「そっか」
 リンクは視線を落とし、右手を握ったり開いたりした。パーヤは一歩踏み出した。
「ですが、イーガ団にはくれぐれもお気をつけください。パーヤはカカリコ村で、リンク様のご無事を祈っております」
「うん、ありがとう」
 リンクはこわばっていた肩の力を緩めて、息を吐いた。
 カカリコ村を出ると、すぐに先ほどイーガ団と交戦した道を通る。一瞬だけ警戒したが、旅人の姿はない。リンクが命を狙われて死にかけた痕跡など、微塵も残っていなかった。
 彼は肩をすくめ、隣を歩く狼に聞こえるように、ひとりごちる。
「なんで勇者なんかになっちゃったのかなあ、昔の僕は」

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