クエスチョン

 そう、空を飛ぶのがとても楽しかったのだ。
 だからそのせいで本来の目的を忘れてしまったことは、仕方のないことだった――とリンクは自己弁護する。
 始まりの台地を駆け回り、やっとのことで手に入れたパラセール。彼はさっそくそれを使って、台地の端から外界に向けてふわりと滑空した。実際には高度が下がる一方なので「落ちている」のだが、その浮遊感はまさしく「飛んでいる」という感覚だった。
 目の前に広がる空と大地が、雄大な景色を等しく分けていた。
「おお……!」
 リンクは驚嘆の声を出す。始まりの塔から一望した光景も素晴らしかったが、手の届く距離に景色が近づいてくる様子には感動した。
 ハイラルの大地で、初めて降り立った場所は森だった。
「また登れないかなあ」
 そうしてもう一度パラセールで降りてみたい。リンクは物欲しげに首を上向けたが、今までいた台地ははるか高くそびえる壁の上にあった。さすがに徒手空拳で登れるとは思えない。
 いずれ必ず、と心に決めて、一旦意識をハイラルの大地へと戻す。
「……どこに向かえばいいんだっけ?」
 記憶喪失のリンクに、向かうべき場所を教えてくれた親切なおじいさんはもういない。ハイラル王と名乗った彼が最後に言い残したことを思い出すのに、しばらくかかった。
 そういえばハイラル王は「東にあるカカリコ村へ向かえ」と言っていたのだった。
「東ってどっちだろう」
 シーカーストーンを腰から外して起動させる。緻密な地形を表示し、何度もリンクを助けてくれたマップ機能であったが、始まりの台地を一歩出た先は真っ黒に塗りつぶされていた。どこかでシーカータワーを見つけなければ。
 まあいいや、とリンクは石版を戻した。実はハイラル王は、黒塗りの地図にもしっかり目的地の印を残していたのだが、リンクは隅々まで探さなかったため見つけられなかったのだ。
「歩いてたら、いつかは着くよね!」
 リンクはのんびりと森の中を散策しはじめた。
 うまい具合にイノシシでもいないものか、と思う。始まりの台地では食料調達がてら、狩りを楽しんだものだ。弓矢はなかなか命中しなかったけれど、それもいい思い出である。
 まばらな緑の中にちらりと赤い影が見えた。ボコブリンだろうか。リンクは様子をうかがい、身を硬直させた。
「え……」
 違った。リンクの三倍近い体長を持つ魔物であった。どこか愛嬌のあるボコブリンと違って目つきが鋭く、頭には巨大な一本角が生えており、しかも手には見るからに物騒な棍棒を持っていた。
(あれは絶対に無理!)
 口の中がからからに干上がったリンクはゆっくりと後退し、木々の切れ目を見つけるときびすを返して一目散に逃げ出した。あれは関わってはいけない類の敵だ。
 ひたすら見晴らしのいい場所を求めて走り、小高い丘を上る。そのてっぺんに、座るのにちょうどいい岩があった。魔物がいないことを確認したリンクはやっと一息ついて腰を下ろした。
 鳥がさえずり、雲が流れる。先ほどの緊張が嘘のようなのどかな光景だ。だがこの平原の向こうには、シーカータワーから見たあの魔城がある。リンクは暗澹たる心地になる。
「本当に行かなきゃならないのかな」
 勇者だとか、騎士だとか、英傑だとか。ハイラル王はリンクの過去に関して、一気に多くの情報を与えた。そして、厄災の中心にいるお姫様を救ってほしいのだという。
 かの王は亡霊となってまでリンクの目覚めを待ち続けた。それは百年間、ずっとあの土地に自ら魂を縛りつけるほどの覚悟だった。
「重いなあ……」
 リンクは立てた膝に顔をうずめた。今の自分が、そのままで厄災を討つことができるとは到底思えなかった。その下っ端の下っ端にすら苦戦し逃げ出しているくらいなのだ。
 だが、さすがに一人でやれと言われているわけではないはずだ。「カカリコ村に向かえ」というのは、そこに頼りになる仲間が待っているということに違いない――そう信じたい。
 願望を頭の中で転がしたリンクは、いつしか眠気に襲われうつらうつらしていた。
 出し抜けに地響きがして、全身ががくりと揺れた。慌てて目を開くと、体がゆっくりと持ち上がっている。
「うわわ、な、何なに!?」
 岩の上から転げ落ちた。呆然と地べたに座り込むリンクが見上げる先で、岩がみるみる宙へと浮かび上がり、大きくなっていく。否――地面に埋まっていた部分が姿を現したのだ。
 つい先ほどまで椅子代わりにしていたものは、岩の巨人であった。リンクなど一撃で粉砕できそうな両腕と、笑ってしまうほど小さな足を持っている。目も鼻も口もなく、そもそも顔自体がないのだが、彼は自分へ向けられた殺気をひしひしと感じた。
「――!」
 とっさに地面に身を投げ出す。すぐ頭の上を、巨人の腕から放たれた岩がかすめた。
 ぎょっとして顔を上げれば、岩の巨人は短くなった腕を地面に突き刺し、体の一部を補充している。
「そ、それはずるいって!」
 恐怖に駆られたリンクは叫び、身を翻した。
 体のすぐそばを巨人の飛ばした岩がかすめる。彼はジャンプを織り交ぜて破片を避け、丘を駆け下りた。幸いにも巨人は見た目通り鈍足だったらしく、体力の限界まで走ってなんとか撒くことができた。
(助かった……)
 リンクはへなへなとその場に崩れ落ちた。いつしか石畳の上に来ていた。ハイラルの大地に降りて初めて、文明の片鱗に触れた気分だ。
(いつか、あれにも勝てるように――いや、やっぱり無理だ。少なくとも、一人でやるようなことじゃないよ……)
 一日に二度も格上の敵と遭遇し、リンクはどっと疲れが出ていた。足を引きずりながらふらふら石畳の道を歩くうちに、集落跡と思われる場所にたどり着く。中央にメインストリートが一本通り、両脇にたくさんの石壁が崩れていた。時の神殿跡と少し似ている気がした。昔、誰かがここで生活していたのだろう。
「今日はここで休もう……」
 屋根はないけれど、風を防ぐには十分だ。壁に囲まれた小さなスペースに腰を据えた。窓の跡と思しき壁の穴から、傾いた日差しが差し込んでいる。
 結局、新鮮な食料の確保はできなかった。仕方なくリンクは荷物からしなびたリンゴを取り出してかじる。食料は常に備蓄すべきだ、と教えてくれたのもハイラル王だった。
 水筒を空にして腹を膨らました彼は、あまり期待せず近くを探索してみる。
「おっ」
 ぼろぼろのタルを壊してみると、錆びた剣が見つかった。切れ味など皆無だろうが、打撃武器としてはまだ使えそうだ。少し嬉しくなる。
 食料が足りなくても、安全な家がなくても、まともな武器がなくても、リンクは何でもないことに対して喜びを見い出せた。それは、彼が単純な性格をしているからだろうか。
(でも、一人で喜んでも……なあ)
 隣をちらりと見る。当然誰もいない。壁に囲まれた空白があるだけだ。
 始まりの台地では、一つ一つできることが増える度に心の沸き立つような感覚があった。その楽しさを教えてくれたのはハイラル王だった。狩りが失敗した夜は一緒に嘆きながら食料を分けてくれた。やたらとパラセールを求めるリンクを叱りつつも、穏やかに見守るおじいさんの存在が、記憶喪失の寄る辺なき不安を吹き飛ばしてくれたのだ。
 今、リンクは一人である。だから、一緒に喜びや悲しみを共有できる誰かが、友達が――欲しかった。
(英傑とか勇者とかは、別の人がやってくれないかなあ……いや待てよ。僕が『その人』と友達になればいいんだ!)
 リンクは目を見開き、地面の埃を指でなぞった。まだ見ぬ「誰か」をそこに描いていく。
(友達かあ。強くてかっこよくて一緒に戦ってくれて……でも、あんまりおしゃべりだったら困るかな。無口な人がいいなあ。僕のことを英傑だなんて言ってこないような――)
 背は高めで、目つきが鋭く、無口でもリンクと旅の楽しさを共有してくれる、友達。
 彼はふっと笑い、落書きを手の甲で消した。
「そんな人、いるわけないのに」
 壁にもたれかかって目を閉じる。夢も見ずに彼は眠りについた。
 ――まぶたの裏の暗闇に、炎が映り込んだ。
「おいキミ! 早く起きるんだっ」
 誰かの声とともに揺り起こされた。リンクが寝ぼけまなこをこすると、目の前に見知らぬ男の顔が浮かんでいた。深夜のはずなのに妙にあたりが明るい。
「え……え?」
 始まりの台地を出て、初めて会った人間だ。驚いて声が出ない。旅人らしき男は、緊張に満ちた顔をしていた。
「ここは危険だ。早くこちらへ!」
 何がなんだか分からないまま、リンクは腕をひかれて走る。寝床から飛び出して初めて気がついたが、奇妙な明るさは炎のせいだった。彼が潜伏していた廃墟一帯が燃えていた。かろうじてリンクのいた場所に火が届いていなかっただけだ。炎の向こうには大きな影――昼間見かけた赤い体の魔物が徘徊していた。
「ど、どうして魔物が、火を……」
 動揺したリンクは歩を緩めそうになる。だが男は強く手を引いた。
「こういう廃墟に泊まったり、住んだりしようとする人は後を絶たない。でもこのあたり――ハイラル宿場町跡地は、ほとんど奴らの縄張りだ。危ないところだったな」
「そんな」
 今さらながらリンクは震えた。見知らぬ男が助けてくれなかったら、本当にどうなっていたことか。
 二人は夜陰に紛れて走り、小さな川にかかる石橋にたどり着いた。
「ここはモヨリ橋。オレは魔物がここに棲みつかないように見回って、追っ払っているんだ。ここまで来たらひとまずは安全かな」
 男は槍を背負っていた。リンクが返事もせずにぼうっと突っ立っているのを見て、少し表情を緩めて片手を差し出した。
「ああ、オレはハッシモだ」
 リンクは名乗るよりも前に、ハッシモが上に向けた手の平を見つめ、
「……こんな場所でも、生きていかなきゃいけないんですか」
 と尋ねた。
 ハッシモは一瞬口を閉じ、やりきれないように首を振った。
「このあたりは街道沿いでも特に物騒なんだ。旅が不安になったなら、カカリコ村に行って事情を話すといい。助けになってくれるだろう。オレも、実はあの村から頼まれてここの見張りを請け負っているんだよ」
 夜は白々と明けはじめていた。消沈しているリンクの肩を、ハッシモはぽんと叩いて、橋の先を指さす。
「カカリコ村ならあっちの方向だ。双子山の向こうに馬宿があるから、そこについたら誰かに道を聞くといい」
 双子山は、始まりの台地からも見えた大きな山だ。真ん中で鉛直にぱきりと割れており、どうやらその下に道が通っているらしい。
 これからリンクは誰の庇護も受けず、危険に満ちた場所を旅しながら、最終的には厄災の根源を絶たなくてはならない。
 重く潰されそうな気持ちを背負い、彼はそれでも足を踏み出した。



「姫様のお言葉をたまわり、命を懸ける覚悟ができたのなら、またここへ来るがよかろう」
(そんな覚悟はないなあ)と考え、リンクは一旦インパの屋敷を辞した。
 宵闇に沈んだカカリコ村。彼が記憶を失ってから、初めてたどり着いた人里である。道中にあった馬宿という宿泊施設とはまた違う。一つの場所に人々が集まり、地に根を下ろして暮らす集落だ。
 しかもここの人たちは、ハイリア人のリンクとは違う「シーカー族」という種族らしい。彼らはリンクの持つシーカーストーンのことを知っていて、さらに長老のインパは百年前のリンク自身の知り合いであった。
 インパはハイラル城で厄災を抑えているゼルダ姫から伝言を預かっているようだが、リンクが記憶を失っていることを鑑みて、「覚悟が決まったら伝えよう」と告げた。
(覚悟も何も……とりあえずこっちに行けって言われたから来たんだけど)
 ハイラル王の亡霊は、リンクがハイラル城へ行くことを望んでいた。シーカー族たちもそうだ。ぼうっと村を横切るだけで希望に満ちた視線を浴びせられた。これだけ大きな期待を裏切る度胸はリンクにない。だからといって、命を懸ける覚悟も決まっていない。
(困ったな。どうしよう)
 進退窮まった彼は「何かいい案はないか」と夜風を浴びながら村を歩き回った。
 カカリコ村は水に恵まれた谷底にある。斜面の一方は段状に切り開かれており、その一段一段がきちんと区画整備されて水が張られ、月の光を反射していた。水の上には苗のようなものが整然と並んでいる。爽やかな緑が風に揺れた。
「あれは、ハイラル米を栽培しているんです」
 唐突に後ろから声がかけられた。
 リンクがゆっくり振り返ると、はっとした様子で口を抑えている少女がいた。シーカー族の民族衣装に身を包んでいる。確か、族長の屋敷の前を掃除していたインパの孫娘――パーヤという名だった。ほとんど明かりがないにも関わらず、顔が真っ赤になっているのが分かる。
「ハイラル米?」
 パーヤはもごもごと返事をする。
「あぅ、ええと、お米です。食べたこと……ないんですか」
「ないです」
 さぞリンクが物欲しそうな目をしていたのだろう、パーヤは「少々……お待ち下さい」と屋敷に戻り、やがて小さな布包みを持ってきた。
 結び目を解くと、三角にととのえられた穀物のかたまりが現れる。三角の中にはにぶく光る小さな粒がたくさん詰まっていた。
「これは……」
「キノコおにぎりです。お夜食に用意されたものを一つ、もらってきました」
「食べていいの?」「も、もちろんですっ」
 リンクは目を見開き、遠慮なくおにぎりを取った。口に入れる。
「おいしい!」
 頬がほころぶのが分かる。リンクが道端に腰を下ろすと、何故かパーヤも距離を置いて座り込んだ。
「あの、リンク様……おばあさまとのお話、聞いてしまいました」
「そっか」
 滋味の効いた米粒が喉を通っていく。その感触を楽しみ、リンクは指先を舐めた。
「お覚悟のことで悩まれているのですよね……?」
「うん。なかなか決まらないんだ」
 つい今の今まで、おにぎりのおいしさのおかげで忘れかけていたのだが。悩みといっても大したことないのかもしれない。
「そうですね。村の外には、イーガ団という賊もいるそうですから」
 パーヤの発言に、リンクの横顔が引き締まる。このハイラルにはあろうことか厄災を信奉し、インパや英傑の命を狙う危険集団がいるらしいと聞いた。とんでもない話だ。
「それでもリンク様は回生の祠から、この村まで来られました。その過程で、ある程度の覚悟はされたのではないでしょうか」
「あ……確かに」
 使命に対する覚悟ではないが、目覚めてからずっと命は懸けてきた。それはこの大地に生きていくために、当然のように必要とされる覚悟であった。
 唐突にリンクはシーカー族たちの願望を理解した。要するに、彼らは百年前のリンクに「ハイラルを救ってくれ」と頼みたいのだ。今のリンクにも同じ話をしているのは、記憶喪失と言えど同一人物には違いない、という理屈によるものである。
 だが、知略も剣の腕もここまで劣化し、昔のことを何一つ思い出せなくても、果たして同一人物といえるのであろうか。
「とりあえず、インパさんの話を聞いてみる。……明日になったら」
 ハイラルの大地において、リンクは自身が宙に浮いた存在のように思えた。過去を持たないから「自分はこういう人物だ」というアイデンティティを見いだせない。いつか記憶を取り戻せば、使命感にあふれた立派な騎士になれるのだろうか。
 彼はズボンをはたいて立ち上がる。
「ありがとうパーヤさん」
「……っ!」
 パーヤは何故か顔を覆って絶句していた。もしや感謝と間違えて場にふさわしくないことを言ってしまったのか、とリンクはうろたえる。
「え、ええと、おやすみなさい……?」
 彼はびくびくしながら、全く返事のないパーヤと別れた。
 今夜は村に宿をとっている。ハイラル米の水田を横目に斜面を降りつつ、
(誰でもいいから、僕がどうしたらいいのか全部教えてくれないかなあ)
 それこそ都合の良すぎる、夢のような話だ。ハイラル宿場町跡地で描いた「友達」を思い出す。
(……そんな人、いるわけない)
 乾いた息を漏らし、リンクは肩をすくめた。
(でもきっと、シーカー族が一人くらいは仲間になってくれるよね)
 翌日、リンクはとぼとぼとカカリコ村を後にした。インパは容赦なく彼を一人で送り出したのだった。



「チェッキー! シーカーストーンの基本アイテムを復活させてほしかったら、青い炎を古代炉から持ってきてネ~」
 カカリコ村の次に訪ねたのはハテノ古代研究所。そこで待っていたのは、小さな女所長プルアであった。シーカー族の高名な技術者らしいが、何故か見た目は年端もいかない子どもである。
 ともかく命じられた通り、リンクはたいまつを片手にハテノ村へと下りた。畑の奥に古代炉と呼ばれる施設があり、青い炎が燃え続けていた。炎をたいまつに移して歩いていたら、村人たちによく声をかけられた。「最近プルア所長の姿を見ないが、元気にしているのか」「プルアばあさんもやっと若者に炎運びを任せるようになったのか」などなど。あの変わり者の所長は、案外慕われているようだった。
 青い炎を運び、シーカーストーンの機能を拡張する――それが具体的にどう旅の役に立つのかは分からない。始まりの台地で目覚めてから、リンクは誰かの言うことを聞き、それを実行してきた。それしか自分に道はないのだと信じて。
 だが、インパに「四神獣を開放せよ」と言われた件については、ひとまず放置したままだ。今の自分に、そんなことができるとは思えなかった。
 村を出て急な坂を上り、研究所の入口脇にあるかまどに火をつけた。色の青さは別にしても、実に不思議な炎だった。持っていても熱くないし、どれだけ時間が経ってもたいまつが短くならず、燃料もなしに燃え続ける。青い炎は、普通のものとは違うエネルギーによって形を保っているようだった。
 研究所に帰るとプルアが小躍りしていた。
「リンク、ありがとう! しからばシーカーストーンの基本アイテム、さっさと復活させちゃおうネっ」
 青い炎によって力を取り戻した勇導石を使うことで、リンクの持つ便利な石版は新たな機能を得た。プルアが実演してくれる。
「ウツシエ、ハイラル図鑑、アルバム……うんうんだいじょぶっぽいネ! ほら、こうやって使うんだヨ」
「へー」
 どうやら、見た景色をそのままシーカーストーンの中に写し取る能力が追加されたようだった。武器としては使えそうにないが、思い出を絵に残せるのは面白い。リンクは興味津々で扱い方を教わった。
 アルバム機能を作動させると、画面に何枚かの絵が浮かび上がった。
「これ、なんですか?」
「昔の写し絵みたいだネ。百年前、よくゼルダ姫がウツシエを使ってたから、その時のものかな。ねえリンク、ゼルダ姫のおつきの騎士だったなら、姫の撮影場所に同行してたってことでしょ?」
 ぽかんとしているリンクを見て、プルアは首を振る。
「……あ、そっか。アンタ記憶をなくしてたんだっけ。でもちょっと待って! 考えてみたら古い景色の写し絵って、アンタの記憶をたどる手がかりになるかも。インパに相談してみたらいいと思う! ゼルダ姫のことならアタシよりくわしいはずだし」
「分かりました」
 素直にうなずきながら、(またカカリコ村にとんぼ返りかあ)と思わなくもない。
 だが、これで記憶の手がかりが見つかったわけだ。過去さえ取り戻せば、このふわふわした気持ちが落ち着くのだろうか。そう期待したい。
 それじゃ、と立ち去りかけたリンクに、プルアが思い出したように声をかけた。
「そーだ。もう一つ、おまけでアイテム追加しておいたヨ。このアタシがワープ技術の応用で新しく開発したんだ。ショウカンっていうの」
「ショウカン?」
 聞き覚えのない単語にリンクはまばたきする。プルアはとっておきの話をするように声をひそめた。
「そう。このハイラルとは違う異世界から、勇者の助けになるものを呼び出す機能。それがショウカン!」
「い、異世界……」
 唐突に馴染みのない概念が出てきた。思わず身を引いたら、プルアは手をひらひらさせた。
「ああ、くわしいことは訊かないでよ。アタシだってただ『シーカーストーンを介して繋がってる別世界がある』ってことしか知らないんだから」
 研究者としてそれでいいのだろうか。面食らったリンクは質問を変えた。
「僕の助けになるものって、例えばどういうものですか」
「んーと、食料とか武器とか防具とか。とにかくアンタの助けになるものなら、なんでもだヨ! ほら便利そうでしょ?」
 その時リンクの脳裏にぴかりと星が光った。
(助けになるもの、かあ)
 彼が求めるものはたった一つだった。



 もう一度、カカリコ村のインパのもとへ。
「姫様の想い出であるこの写し絵の地を巡れば、そなたの記憶を取り戻すことができるやもしれんの。どこか一か所でも訪れることができたなら、またここへ戻ってくるがよい」
 こうして直近の目的を失ったリンクは、双子山の塔を解放して現れたマップを開拓するため、しばらくカカリコ村周辺を歩き回った。古代の祠を発見したり、良さげな狩り場に巡り合ったり、魔物の砦を遠くから眺めたりした。四神獣とやらもウツシエの場所探しも、いまいちモチベーションが上がらないため今は脇に置いている。
 その日のリンクはシーカーストーンを注視しながら、カカリコ橋を渡っていた。地図でもアルバムでもなく、あるアイテムを起動させている。気になってはいるけれどまだ一度も試していない機能――ショウカンだ。
 ただ見ていても何も起きるはずがないのだから、さっさと発動させてしまえばいい。そして食料でもなんでも受け取ればいいのだ。しかし、彼はまだ踏ん切りがつかなかった。
 ひょっとすると――来てくれるかもしれない。目覚めてからずっと、求めていたものが。
「もし……旅の方」
 突然横合いから声をかけられ、リンクは顔を跳ね上げた。とっさにシーカーストーンを腰に戻す。
 橋を渡った先にいたのは、リュックを背負ったハイリア人の男だった。街道を往く旅人たちと似たような格好である。
「僕のことですか?」
 旅人は心配そうにリンクを注視している。
「そうです。苦難の相がお顔に出ていらっしゃるようで……これからのあなたの運勢が知りたければ、ぜひ占ってあげましょう」
 え、と声が漏れた。苦難の相など、心当たりがありすぎる。彼は食いついた。
「お、お願いします!」
「では……心して聞いてください」
 旅人は目をすがめた。ごくりとリンクの喉が鳴る。
「黒い色が見えます……深く深く、吸い込まれるような黒……」
 もしや、何か嫌なことが起こるのだろうか。ますます彼が前のめりになると、
「あなたは今日、無に帰するのです! 英傑リンク、お命ちょうだいする!」
 豹変した旅人が叫び、バックステップした。その体を赤い魔法陣が包む。
 不気味な光とともに現れたのは、真っ赤な装束に身を包んだ人物だ。顔には目玉模様の描かれた仮面、手には物騒な片刃の剣を持っている。
 魔物とは比較にならない殺気が吹き付けてきて、リンクは固まった。
(命をちょうだいするって……え?)
 姿を変えた旅人は武器を構え、こちら目掛けて突進してくる。彼はとっさに盾を構えて防御した。
「わっ」
 衝撃で体が揺らぐ。同時に相手の正体を悟った。イーガ団。シーカー族の裏切り者で、リンクの命を狙っている集団に違いない。
(なんでこんなところに!?)
 カカリコ村のお膝元ではないか。シーカー族は何をやっているんだ!
 なんとか一度目の攻撃は弾き返したが、動きが素早くて目で追えない。ほとんど反射的に動いて防御を間に合わせた感じだ。イーガ団はおかしな術を持っているらしく、突然消えたかと思えば頭上に現れるなど、神出鬼没だった。
 斜め後方から殺意が飛んできて、そちらへ盾を向ける。斬撃は予想以上に強く、リンクは無様に転んでしまった。ボコブリンを倒して手に入れた武器が、手からすっぽ抜けて飛んでいく。
 拾っている暇はない。イーガ団はもう目前に迫っていた。
「勇者リンク、覚悟!」
(もう、なるようになれ……っ!)
 とっさにシーカーストーンを取り出す。バクダンでもワープでもなんでもいい、とアイテムを発動させる。
 目の前が白く光った。リンクはかたくまぶたを閉じる。覚悟していた衝撃はない。
(あれ)
 すぐ近くで低い唸り声がした。ぎくりとして彼はさらにきつく目を閉じた。何かがもみ合うような物音と気配がした。
「くそっ……覚えてろよ!」
 いきなりイーガ団が捨て台詞を吐いて、殺気が消え失せる。
 肩で息をするリンクは、恐る恐るまぶたを開けた。
(あっ……)
 まるで彼をかばうように目の前に立っていたのは、黒灰色の大きなケモノだ。四つの足を地面につっぱり、口からは鋭い牙がこぼれる。ケモノはちらりとリンクを見た。切れ長の瞳に宿るのは気高きスカイブルーだ。
 握りっぱなしになっていたシーカーストーンの画面は、ショウカン機能が使われたことを示していた。
 心臓が徐々に鼓動を早めていく。
「きみ、もしかして……」
 リンクは立ち上がり、ケモノに一歩近づいた。物言わぬ救世主は、耳をピンと立てると素早く身を翻してしまう。
「ま、待って!」
 あっという間に後ろ姿が小さくなっていった。ケモノが向かった先は、カカリコ村だった。
 ほんの一瞬、リンクは自失状態にあった。あのケモノは、「彼」はもしや――シーカーストーンによって異世界から呼び出されたのではないか。
 そうだ、彼はリンクの助けとなるべき存在ではないのか?
(強くて、かっこよくて。無口だけどいつも僕を助けてくれて)
 そんな都合の良すぎる相手なんていないと分かっているのに、彼は高揚する心を止められなかった。
「彼」ならば、記憶を失った今のリンク自身を認めてくれるかもしれない。それは願望の押しつけに他ならないのだが、それでもあのケモノと関わってみたい。友だちになりたいという衝動が、リンクを突き動かす。
 ほとんど生まれて初めて抱いた晴れやかな心地で、リンクは未来の相棒へと向かう坂を駆け上がっていった。

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