I Will Follow Her

 旅をするなら、ふたり旅がいい。
 大好きな友だちと一緒に歩けば、どんなに大変な冒険もきっと、素敵な思い出に変わるから。



「ウィチ・カちゃーん、ケアルちょうだい」
 とブレンダは薄汚れた白ずきんの下で微笑を閃かせ、両手を差し出した。
「はい」
 わたしは言われた通りに緑色の魔石を渡す。が、彼女は笑顔のまま首を振った。
「そうじゃなくて、回復して」
「……はあ?」
 声が一段高くなる。呆れた。
 クラヴァットらしく魔法が得意なブレンダは、燦然ときらめく緑の指輪をはめている。
「ケアルリング、持ってるでしょ」
「やだ。人のぬくもりを感じるケアルがいい」
 スコーピオンにつけられた傷は浅く、駄々をこねてまで治してもらう必要があるとも思えないのだが。セルキーのわたしがのろのろ詠唱する魔法の、どこがいいのやら。
 ここで何を考えたか、彼女はこちらにぴたっとくっついてきた。
「暑い」
 即座に苦情を申し出るが、さらにすり寄られる。肩布がぐいぐい引っ張られた。ああ、鬱陶しい。
 ちなみにここはライナリー砂漠。モーグリすら「あついクポー」と文句を垂れることで有名な場所だ。いくら髪が短いわたしといえど、この気温は耐えがたい。加えてクラヴァットの暑苦しい服が肌に絡んでくるのだ。どっと汗が噴き出し、みるみる体温が上がっていくのが分かる。
「離れてよ」
 ブレンダはますます笑みを深めて、
「いーや。このまま戦ったら、もらいケアルできる!」
 キラキラ瞳を輝かせた。わたしはため息をついて前方を指さす。
「……あれ見ても、そんなこと言える?」
 目の前には巨大な鳥、ズーが黒々とした日陰をつくっていた。しかもあの構えは射程の長いソニックブームだろう。
「ちぇー」
 ほおを膨らませながらブレンダが離れる。
 口の端を釣り上げて、わたしは地を蹴った。





 肩のあたりでくるんと跳ねるのは、淡いすみれ色の髪。日をよく反射する、我ながら素敵な色だ。緑の瞳との相性もいい。
 わたしは、セルキーの中では標準的な顔立ちだと思う。一方、スタイルにはちょっと自信がある。
 髪の毛の次は全体の服装を整え、最後にうっすら紅を引いて、終わり。
「ブレンダ、交代」
 たっぷり自分の姿を見回して、鏡の前からどいた。
 この小さな鏡は、キャラバンの馬車の中につるしてある。昔はもっと大きかったらしいけど、割れたり欠けたりしてずいぶん小さくなった。女ふたりが暮らしているとは思えないほど散らかった馬車の一角で、ただひとつ主人の性別をあらわすものだ。
「ふわぁ〜い」
 ブレンダはあくびまじりにやってきた。朝の身支度はいつも彼女が二番目。油断するとすぐに毛先が広がる茶色の髪を、なんとかコンパクトにまとめようと奮闘を始めた。
 わたしから見ても、彼女はかわいい。目はくりくりしてて背もちょっと低いし、何より表情に愛嬌があるのだ。これで性格さえまともであれば、引く手あまただったろうに……。
 しかめっ面で髪を梳くブレンダに、背中から声をかけた。
「今日は気合い入れて準備してよ。町に繰り出すんだから」
 たちまちブーイングが返ってくる。
「別に、ちょっと着飾ったからってお客さんの数は変わんないと思う」
「質は変わるかもよ。もし素敵な男性に夕食に誘われたりしたら、どうする?」
 彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
「ウィチ・カちゃんに声をかけてくるオトコなんて下心満載だよ。私がずたずたにしてやる」
 この程度の妄言は日常茶飯事だ。そう、彼女は極度の男嫌いだった。わたしたちの使命から考えると致命的な欠点である。
「あのねえ。そこは食事だけおごってもらって、帰るのよ」
「でもぉー……」
 いよいよ不満げに唇をとがらせたので、これ以上いじめるのはよしてあげよう。
「ま、それより演奏に力を入れるべきよね。笛の方、期待してるから」
「任せておいて!」
 おだてれば、一瞬で機嫌を直してくれた。ちょろいもんだ。
 小さな鏡越しにウインクをして、ブレンダは振り向いた。



 すう、と軽く息を吸うと、メロディは自然に流れ出てきた。
 夕闇に包まれたアルフィタリア。わたしはブレンダの笛の音にのせ、歌をうたう。
 クリスタル広場で雑談していた奥さんたちは唇を閉じて、忙しそうに歩いていた人たちは足を止めて。次第にわたしたちのまわりには人の輪ができる。昔はお客さんが増えると緊張してしまったけれど、今では慣れっこだ。
 それは大昔の恋歌だった。戦争の時代に恋に落ちた、リルティの青年とユークのお嬢様が織りなす、お涙ちょうだいの悲劇。正直、甘ったるくて赤面ものの詩である。
 何事もなくうたい終え、ふたり揃って頭を下げれば、熱意のこもった拍手をもらえた。投げ銭用に置いた帽子の中にも、そこそこの硬貨が入っている。
「行こ」
 ブレンダは笛をしまうと、こっくり頷いた。
 と、その時。
「もし、楽士のお嬢さんたち。ふたりはキャラバンでザマスね」
 バラバラになった人垣から、ひとりのユークの奥さんが抜け出てきた。
 わたしたちは顔を見合わせる。よく分かったなあ。
「そうですけど」
 こういう時は、(女性限定で)愛想のいいブレンダの出番だ。彼女はにこにこ人の良さそうな笑顔を浮かべて応対した。
「何かご用ですか?」
「セルキーとクラヴァットということは、もしかしてティパ村の?」
「あんな大きな村じゃありませんよ。誰も知らないような、ちっちゃなところです」
「ブレンダ」
 わたしは急かすように名前を呼ぶ。
「ん、分かった。そういうわけで、私たちは行きます」
「引き留めてしまってごめんなさいね。キャラバンの旅、がんばるザマス」
 奥さんに見送られ、広場を後にする。
 わたしは手早く硬貨を数えた。ブレンダが覗きこんでくる。
「宿、泊まれそう?」
「大丈夫。……だけど、ここで節約したいな」
「ジャック・モキートの館から帰った時に泊まればいいもんね。さっすがウィチ・カちゃん」
 彼女はぱちんと指を鳴らした。
 というわけで、今夜も野宿だ。町の外に止めた馬車に帰って、保存食で夕飯を済ませる。底冷えのする夜で、風が吹き抜ける度に体が震えてしまう。
 漆黒の空には星がいくつものぼっていた。膝を抱えてぼうっとそれに見とれていると、ブレンダは笛を取り出した。
「歌ってよ、ウィチ・カちゃん。私のためだけに」
「は?」
「子守歌がいいなあ。ね、お願い」
 お腹はいっぱいだし、喉の調子もととのっていない。面倒だなあと思いながら、仕方なく口を開いた。
 故郷の歌。誰も知らない山奥の集落で、母がうたってくれた。歌詞だってあってないようなものだ。けれど、不思議と胸にしみる。
 途中でブレンダの伴奏が消えた。彼女は笛をもどし、うたい続けるわたしの膝の上に頭を乗せた。茶色の長い髪がばさっと広がる。
「おいおい……」と心の中でつぶやいたが、時すでに遅し。ブレンダは夢の中だった。最初からこれが目的だったのか。なんという策士だ。
 すうすう寝息を立てる彼女は、わたしよりもひとつ年下。なのに、ずいぶん幼く見える。
 歌をやめる。早くも足が痺れてきた。
「もういいや」
 ついに諦め、わたしは眠気に任せて目を閉じた。





 リバーベル街道にてジャイアントクラブを倒し、無事にミルラの雫を得る。
 怪我をするものも出なかったので、軽い食事を取りながら安らかな時間を過ごせた。
「でも、まさか自分がこれまで戦いに向いているとは——」
「またその日記?」
 訊ねると、ブレンダは口の端から食べかけのまんまるコーンを一粒落とした。
 思わずわたしは顔をしかめる。「ばっちい」
「えへ」
「食べながら書くな、先取りして書くな」
 リバーベル街道の途中、小川のほとりでのランチタイムだ。
 ダンジョンに入る時は必ず、互いにお弁当をつくって交換する——いつしかふたりの間にはそんな習わしができていた。今わたしが食べているのがブレンダのつくったニクだんごで、彼女がほおばってるのがわたしの茹でたまんまるコーン。……料理はあんまり得意じゃない。
 にしても、昼食中にダンジョン攻略後の日記を書き始めるとは。いくらなんでも早すぎる。
「だって、いっつもぜんぜん苦労しないから、日記も同じでいいかなって」
「これ読む長老の身にもなってよ」
「私、お祭りの時の口上なんて聞いてないもん」
 集落の命を預かるクリスタルキャラバンとは思えない発言だ。
「いい加減だなあ……」
「ウィチ・カちゃんは真面目すぎるんだよ。せっかくの旅なんだから、もっと気楽でいいじゃん!」
「そうかねえ」
 ブレンダは、親元を離れた旅を好んでいる節がある。家庭内で抑圧された感情がうんぬんとか、そういうやつだろう。妙にわたしにべたべたしてくるのも、旅先だとより顕著になる。
 お腹が満たされると、彼女はコーンの芯をぽいっと捨てた。「ちょ、えっ」それは遠くにいたゴブリンの頭に見事命中し、怒りに満ちた悲鳴が響く。
「腹ごなしに、運動しますかっ」
 ブレンダはすらりと剣を抜き放つと、元気に駆けていった。あれでどうしてお腹が痛くならないのだろう。まんまるコーンは葉っぱまで食べられるのが売りなのに、彼女は食感が気にくわないと言って、いつもよからぬことに再利用する。
 そこで、わたしはあることに気づく。
「ケージ忘れてるって!」





 うちのパパオは年寄りだ。
 もう引退の時期にさしかかかっているところを、騙し騙し走らせている。だから街道を行くスピードは、常時スロウがかかったようにのろい。
 わたしがあくびをかみ殺しながら御者台で手綱をとっていると、道をそれたところに誰かが座っているのが見えた。
「よお、ウィチ・カじゃねえか」
 マール峠キャラバンのロルフ=ウッドだ。わたしはちらっと自分の馬車を確かめるけれど、起きてるはずのブレンダはうんともすんとも言わない。
 諦めて、ひとりで応対することにする。
「ミスリルください!」
 気づけばそう口走っていた。
 ロルフは苦笑した。「またそれかよ」
 だって、わたしたちにとってのマール峠キャラバンといえば、ミスリルだもの。
 何年か前のこと。ブレンダとわたしは、かの希少金属を巡って喧嘩した。絶望的な素材不足で、一週間もカトゥリゲス鉱山にこもったのに五個しか手に入らなかったのだ。まともに商店で買えば一個五千ギルもするミスリル。わたしたちのお財布事情では、到底手が出ない。それなのに必要とするレシピは多いのだ。結局話し合いでは決着がつかず、ふたりの喧嘩は物理的な方にまで発展しかけた。
 その不毛な争いを止めたのが、マールキャラバン。彼らは救世主のように現れると、目の前に二つのミスリルを差し出した……。
「あの時はありがとうございました、ミスリルください」
「その装備だったらもういらないだろ?」
 確かにわたしの背中のラケットは、ミスリル装備よりも一段階よいものである。
「いやいや。売り払えば、いいお金になるので」
 こちらはジェゴン川の渡し銭にすら難儀する、貧乏キャラバン。もらえるものはもらうし、高く売れるものは限界まで値段を釣り上げるのが信条だ。
「ごめんね、今回ミスリルはとれなかったのよ」
 マールキャラバンの紅一点、ルッツ=ロイスが謝った。
「なあんだ」
「代わりにひすいがあるから、それで我慢してね」
 それでも素材を分けてくれた。気前のいい人たちだなあ。リルティはうちの村にはいなかったけど、案外気が合うものだ。
 三人組の最後のひとり、ライン=ドットはわたしたちの馬車を気にしている。
「なあ、今日はクラヴァットの方はどうしたんだ」
「……。多分、ブレンダなら寝てます」
「そっか。あっちにもよろしくな」
「はい。あとで、お礼の手紙書かせますねっ」
 ふたつのキャラバンは、手を振り合って別れた。
 基本的に本街道を歩かないわたしたちは、他のキャラバンとあまり遭遇しない。でも、素材のために魔物を追いかけ、道を外れるマールキャラバンとは、ときどき顔を合わせていた。親しみやすい人たちだと思う——わたしは、ね。
 しばらく道を行ったところで、幌の中を覗いてみる。
「ブレンダ」
 咎めるように口を開くと、彼女は毛布のかたまりの中から頭を出した。
「……もう、いない?」
「いないよ。やっぱり陰から見てたのね。失礼でしょ、ひすいまでもらったのに」
 ぶうっとブレンダはほおを膨らませ、
「だって、ふたりもオトコがいる!」
 これだ。男嫌いもいい加減にしてほしい。
「まともに話したこともないくせに。三人とも、いい人たちよ」
「話したくなんかないよ。ああやってウィチ・カちゃんを誘惑してさ、あーやだやだ」
「誘惑はしてないでしょ、むしろ憐れまれてるんじゃ」
「と・に・か・く、イヤなの!」
 こういう時のブレンダは、何を言っても無駄だ。長年の(不本意な)付き合いで分かっている。
 でも、一応嫌味だけは投げておこう。
「あなた、そのままでいいと思ってるの? わたしたちの使命、忘れてないわよね」
「……」
 押し黙る。彼女にとっては一番つつかれたくないところだろう。
「もらったひすい、置いとくからね」
 からん、と薄緑の石が馬車の床を転がった。





 郵便モーグリは大陸中を駆け回っていて、わたしたちのような旅人にも正確かつ迅速に手紙を届けてくれる。
「お手紙クポ!」
 今日も、瘴気ストリームの前で呼び止められた。わたしへはひとつ、ブレンダには……三つもの手紙が渡される。
「どうしたのよ、それ」
 受け取った彼女は、苦々しい顔をしていた。あの家には母ひとりしかいないはずだし、その母親とも別段仲がいいわけじゃないのに。
「中身、見る?」
 封も切らずに投げられた。不審に思って開くと、内容は三つが三つとも「送ってくれた、くだもののタネだけど、もう、うえているのよね。どうしよう、うえかえる?」だった。
「そういえばブレンダ、妙によくタネ拾ってたわね」
 それを全部、親に送りつけていたのだ。徹底した嫌がらせである。
「手紙なんて書きたくないから、タネでごまかしてたの。にしても、こんな嫌味みたいに毎回返事書かなくてもいいのに」
 この子供にしてあの親あり、ということだろう。どっちもどっちだ。
 ブレンダは話題を変えてきた。
「ウィチ・カちゃんは、どんな手紙だったの」
「今年は不作だから、小麦のタネを送ってほしいって」
 わたしの家は農家だ。と言っても、あの集落は土地がやせているので、自分たちで食べる分をつくるのが精一杯なのだが。
 ファム大農場やティパ村みたいな恵まれた場所は、よそに出荷できるほどたくさんの作物が育つ。わたしたちは水の確保にすら一喜一憂してるってのに。つくづく、生まれた場所で人生がある程度決まるなんて、不公平だ。
「それと、いい男は見つかったかって、訊かれたわ」
 ブレンダの眉がぎゅっと寄せられた。
 うちの村。名前もない、いつからあるのかもよく分からない村。大昔に、リルティとユークが大きないくさを巻き起こした。その戦火から逃げて来た人々が、山の中にあった小さなクリスタルのもとに集落をつくったのがはじまりらしい——と長老のおじいちゃんユークが言っていた。
 今は二十人にも満たない村人たちが肩を寄せ合い、どうにかこうにか暮らしている。昔から住んでる一族、他の集落からあぶれた家族、日の当たる場所にいられなくなったひとりもの。そうした人々を受け入れたり、跡継ぎができずに血が途絶えたりして、現在リルティ以外の三種族が生活している。
 山奥にあるから旅人が補給に立ち寄ることもなく、行商人すらその存在を知らない。わたしたちキャラバンも、裏道を通ってこそこそ活動している。
 そんな村で、クリスタルキャラバンに求められるのは、雫を持ち帰ることだけじゃない。新しい血を取り入れるため、旦那さまを見つけること。これは他の村よりも特に、切実な問題だった。
 だからこそ、わたしたち——貴重な働き手である年頃の娘ふたり——の旅が許されている。特殊な事情がなければ、キャラバンとしても絶対にありえない組み合わせだろう。
「まあ、気になる人なんて、いないんだけどね」
 付け加えると、ブレンダは肩の力を抜いた。
「それでいいよ。ウィチ・カちゃんは私とずっと一緒なんだから」
「何言ってるの、あなただって、いつかは見つけなきゃいけないのよ」
「いーやーでーすー!」
 思いっきり叫ばれる。郵便モーグリがいなくて良かった、誰かに聞かれたら恥ずかしすぎる。
 わたしは彼女と違って健全な思考の持ち主なので、見つけられるものなら見つけたい。素敵な旦那さまをね。
 ……でも、まあ。今はやんちゃな子供の面倒を見るので、精一杯なんだけど。





 あれはかの有名な、シェラの里のキャラバンの馬車ではないか。
 やっぱりそうだ。確信するや否や、わたしはブレンダを幌の中から引っ張り出した。
「顔くらい見せなさいっ」
「ほんとーに、顔だけだからね!」
 ユークのアミダッティなんてほとんど性別不明にすら感じるのだが、彼女はしっかりオトコとして忌避の対象に入れているらしい。
「やあ、ウィチ・カどの」
「こんにちは」
 向かい合ったキャラバンはそれぞれ馬車を止めた。旅の最大の娯楽とも言える、おしゃべりの時間のはじまりだ。話題は雫集めの状況から入って、近ごろのダンジョンや魔物の動向、それから雑談にふける。
 わたしはとっておきのネタを持ち出した。
「聞いてくださいよ。この前ブレンダったら、カビの生えたいなかパンを食べたんですよ!」
 突然注目の的になった彼女は飛び上がった。
「ウィチ・カちゃん! やめてよ、そんな話っ」
「だってこんな面白いネタ、話さないわけにはいかないでしょ」
 涙目のブレンダがかわいくて、わたしはおちょくりまくる。
「ちょうど村と村の中間で、食料がなくなりかけてたんですよ。普通なら獣を狩ったりするでしょ? それが、もったいないからって、今年の初めに村から持って来たパンを——」
 含み笑いすると、彼女はうわああと頭を抱えた。
 ひとしきり反応を楽しんだところで、わたしはシェラキャラバンがいやに静かになっていることに気づいた。
「あの、アミダッティさん?」
 ユークの仮面に映るのは、見たこともないような色。
「恐ろしい……」
「え」
「瘴気に満ちた世界を食らうとは。そなたがあまりにも恐ろしい……」
 アミダッティは震えながら言った。「私のこと?」ブレンダは憮然としている。
 失礼なシェラキャラバンは揃って踵を返すと、口々に「恐ろしい」とつぶやきながら、慌ただしく馬車に乗りこみ去って行った。
「何よ、わけの分かんないこと言って」さすが変わりもので有名なユーク。ま、カビたパンを食べてもケロリとしているブレンダの胃袋は、確かに恐ろしいけれども。
「……だから、オトコって嫌いなの」
 当人は可憐な顔をくしゃりと歪める。機嫌、直してあげるか。
「ごめんごめん。変な話題出して。おわびに、晩ご飯は好きなのつくってあげるから」
「ほんと!? じゃあね、さかなの塩焼きとーモーグリ形のりんごとー」
 ころっと表情を変え、指を折っていく。
 内心微笑ましく思いながら、わたしは食材の残りを計算し始めた。





 ざわりと肌が粟立つ。嫌な気配がした。
 あたりはのどかな田舎道。何ヶ月も往来がなかったらしく、草はぼうぼうだった。わたしたちみたいな人目をはばかる旅人以外は通行していないようだ。
 魔物か? いや、ダンジョンからは遠いし、その可能性は低い。基本的に、あいつらは道にはいない。だって、ミルラの木への道中で待ってたら、絶対にキャラバンという名のエサが来るもの。
 それじゃあ……。わたしはパパオを止めて、そうっと馬車の荷台に上がった。
 今はブレンダがお昼寝中のはず。うず高く積み上げられた毛布の山がそう。寒がりなのだ。
 気配を感じた通り、散らかった荷物の中で、何かが動いている。
 わたしは二重にした靴底から短剣を取り出すと、そいつ目掛けて思いっきり突きこんだ。
「クポぉ!?」
 間一髪で避けられる。明らかになった敵の正体は、
「なんだ、しましまか」
 名前は忘れたけど、しましま盗賊団とかいうしょうもない奴らの一員、紫のモーグリだった。幌の外を覗くと、悔しそうに地団駄を踏んでいるセルキーのボスが目に入った。
「りんご目当てなんでしょ? とるものとったら、さっさと出て行ってね」
 これ見よがしに短剣をヒラヒラさせる。モーグリは縮み上がって、猛スピードで逃げていった。
「ブレンダ」
 安全を確保すると、わたしは毛布を揺さぶった。一拍置いて、もそもそ動き始める。
「んっ……ウィチ・カちゃん」
 お尻に敷いた髪の毛はあちこち跳ね放題。寝起きでなかなか残念な光景だが、目をこする仕草がかわいいから許せてしまう。
「今盗賊が忍びこんでたの、気づいた?」
「え。そうだったの」
「相手がしましまだから良かったけど、結構危ないとこだったのよ。女ふたりなんだから、もっと注意しないと」
 わたしは右手に持ったままの短剣を見て、
「やっぱりブーツは出しにくいな。どこかいい隠し場所ない?」
「腰布の下とかどう。取り出す度に、チラッてするよ」
「何がだ」
 たまにこの子は発言におっさんが入る。着替えの時にわたしの胸元を凝視していたこともあった。
 もちろん彼女も短剣を常備していて、ふわっと広がった袖の中に隠しているようだ。
「ウィチ・カちゃんに迷惑かけちゃ、いけないもんね。次は気をつける!」
 ほおをピシャッと叩いて覚醒するブレンダ。
 そうじゃなくて、自分の身に気を配ってほしいんだけどなあ。
 子供みたいな性格をした彼女とふれあうほど、「わたしが守ってあげなきゃ」という思いは強くなるばかりだ。
 そこで、はっとする。ふところが妙にスースーしていないか?
「ない……」
「何が?」
「あれ、いつものあれが」とっさに固有名詞が出てこない。
 しかし長年の付き合いで、意思の疎通はできた。
「あっごめん!」
 ブレンダは声を上げると、毛布の中をごそごそしてあれを取り出した。
 手のひらサイズの木彫りの人形。わたしは脱力する。
「良かったあ……盗まれたかと思った。にしても、なんであなたが持ってるのよ」
「えへへ〜」
 曖昧な笑いが返ってくる。茶色の瞳にじっと目線を合わせると、すぐに白状した。
「馬車で眠る時、ひとりだと寂しいから。ウィチ・カちゃんのぬくもりを感じたくて」
 もちろん問答無用で人形を取りあげる。まったく、肌身離さず持っているものを、どうやってかすめ取ったのだ。根っからの盗賊であるセルキーを出し抜くとは、末恐ろしいクラヴァットである。
「過ぎたことはしょうがないけど、これからはやめてね」
「はーい。代わりに、一緒に御者台に座ってもいい?」
「もう、好きにしなよ……」
 ぺったり体を寄せてきたブレンダはそのままにして、わたしはパパオの手綱を握った。





 フェニックスの尾。持っているだけで、力尽きた時に自動でレイズの魔法が発動する便利アイテム。
「残り一個かあー……」
 燃えさかる魔法具を見つめて、ブレンダはため息をついた。
 ティダの村終盤、アバドンやプラントたちとの連戦につぐ連戦に、気がつけば手持ちが底をついていた。しかも今回、レイズの魔石を拾えていない。
「レイズリングほしーよー」
「あんな貴重なもの、あるわけないでしょ」
 わたしは反論する。彼女の指には数々のリングが光っているが、蘇生魔法レイズのオレンジの石だけはなかった。
 当然、議論の焦点は、
「どっちが持つよ」
 ということになる。わたしたちの行く手にはボスのアームストロングと、直前のアバドン軍団が待ち構えていた。
 少し考えた末、「ブレンダが持って」と羽を渡す。
「え。ウィチ・カちゃん、痛いのキライでしょ」
 驚く彼女へ、わたしはちょっと笑ってみせた。
「あなたの方が、土壇場で生き残れる気がする」
 ブレンダは眉を曇らせた。
「むー、プレッシャーかけないでよぉ」
「ふふん」
 武器のラケットを握り直す。じわじわ湧いてきた汗でグリップが滑る。ああ、水浴びがしたい。
 彼女は不安そうに腕にすがりついてきた。
「大丈夫だよね。ふたりで切り抜けて、旅を続けられるよね?」
 ——そうして、わたしは案の定、戦いの途中に意識を飛ばしたわけだが。



 血臭で目が覚めた。最悪の気分だ。
 体は鉄か何かのように重くて、ちっとも動かない。まぶたを開ければ、泥や菌糸にまみれたブレンダの顔が目に入ってきた。
 トレードマークの白ずきんが、薄茶ずきんぐらいになってしまっている。怪我はなさそうでほっとするけれど、張り詰めた表情が胸を打った。
「ど……どうしたの、よ」
 わたしが必死に声をしぼり出すと、彼女はじわりと目尻に涙を浮かべた。
「もうやだぁ……!」
 言葉と雫が一緒にこぼれてくる。わたしのために感情を爆発させてくれるのは嬉しいが、放出したものを顔に垂らすのはやめてもらいたい。こっちは地面に縫い付けられたみたいに、身動きがとれないんだから。
「ウィチ・カちゃん、死んじゃうかと思ったんだよ。そのへんの魔物を手当たり次第にやっつけて、なんとかフェニ尾見つけたんだけど……うぅ」
「そんなことしたの」
 呆れの色は声に出ただろうか。九死に一生を得たことは分かるのだが、今は不思議と安らいだ気分だった。
 ブレンダはぎゅっとわたしの手を握り、
「ね、キャラバンなんてやめて、ふたりでどこか遠くに行こうよ。うん、それがいい」
「はあ、本気?」
「ウィチ・カちゃんがいなくなるくらいだったら……」
 クリスタルキャラバンの使命は、ミルラの雫を集めて期限までに帰ること。それを放棄するならば、故郷はこのティダの村と同じ末路を辿ることになる。
 勢いをつけて上体を起こした。腹筋が痛い。
「わたしは、イヤ。そんなんだったら帰る」
「うえぇ〜」
「わがままはやめてよ! 逃げるならひとりで行って」
 一喝すると、本格的に泣き出してしまった。まったく、仲間が情緒不安定すぎて困る。何年もの付き合いで慣れきったようでも、たまにうんざりすることがある。
 わたしは有無を言わさず、クリスタルケージを持ち上げた。節々の痛みを無視しながら。
「ほら、行くよ」
 あごで促せば、腰布のすそをつかまれる。まだまだ彼女はしゃくりあげている途中だが、置いて行かれるのは困るのだろう。
 仕方ない。励ますつもりで、ほこりだらけの頭をなでてあげた。
「フェニ尾、商人から買えたらいいのにね」
「う、ひっく。……買えてもきっと、高いよ」
 妙に的を射た発言に、わたしは苦笑した。
「そうかもね」





 マール峠には二年に一度行商人がやって来て、市を開く。なかなか便利だからよく利用してるけど、少し値段が高い。相手はセルキー。わたしは持てる技術を総動員して、交渉に臨む。
「鉄を三つと銅二つ、しめて二千百ギルだね」
「あー……鉄四つだけで千七百ギルになりませんか」
「えぇ? ちょっと待てよ」
 商人は難しい顔で腕組みする。
 わたしが必死に世渡りしている間、ブレンダはそのへんをぶらぶらしていた。
 戦果である鉄二つと銅三つ(しめて千五百ギル、作戦は大成功!)を持って、彼女に近寄る。
「かわいいなあ」
 とろけそうな笑顔を浮かべながら、ブレンダは峠を駆け回るリルティの子供を眺めていた。
 ……わたしは金属を取り落とした。
「ウィチ・カちゃん、おかえり」
「た、ただいま」
「どうしたの」
 それはこっちのセリフだ。
「さっき、何て言った?」
「子供ってかわいいよね」
 わたしは素材を拾い上げ、ぷぷっと笑った。
「ブレンダだって、子供みたいなものじゃない!」
「あー、言ったなっ」
 言葉に反して、彼女は笑いながらわたしのほおを引っ張る。
「らって、おかひいんらもん」上手く発音できない。
「ウィチ・カちゃんも、かわいいって思うでしょ。リルティって大人でもまるまるコロコロしてるし」
「まあ、ね」
 あれは宿屋の三兄弟だろう。全員が「大きくなったらキャラバンになる」と同じ夢を抱いている。「かわいい」という形容詞は、十人中十人が当てはめるはずだ。
「ブレンダはオトコが嫌いなくせに、子供は好きなんだー?」
「うん。子供はいいよ、ウィチ・カちゃんみたいな人の子供だったら、いくらでもお相手したいな」
 また、始まった。わけの分からない論理。
「でもウィチ・カちゃんが結婚するのはやだし……」
「はいはい」
「あの子たちが一生成長しなきゃいいのになー」
「そうねえ」
 願望をそのまま垂れ流す彼女は、自分にも子供時代があったことなんて、棚に上げている。
 思えば、最初にブレンダに会った時。クラヴァットの子供を初めて見て、頼りなさそうな体つきにびっくりした。「あんな肩では農作業なんてとても無理だ」と。それは勘違いで、大陸一の農耕地帯はクラヴァットたちが開いている上、セルキーよりもずっと体は頑丈だったのだが——この子はわたしが守ってあげなきゃ、っておせっかいな決意を固めたんだった。
 回想から戻ってくると、隣でブレンダがにやにやしていた。
「今、私のこと考えてくれてたよね」ぎくっ。
「ちっちがうし。よろいのレシピのこと考えてたの」
「ふぅーん?」
「ほら、鍛冶屋行くわよ」
 心底嬉しそうにしているブレンダを引きずっていく。
 いつか、彼女がわたしの子供の世話を焼くこともあるのだろうか。それは考え得る限りで一番、平和かつ幸せな光景だった。



10

「私、ここ、来たことある」
 学び舎のバルコニーからシェラの里を見晴るかして、ブレンダはそんなことを呟いた。手すりに腰掛けているのが危なっかしくて、ヒヤヒヤしていたわたしは、聞き流しそうになる。
「ええっ? それ、本当なの」
「うん。あの望遠鏡、知ってるもん」
 ブレンダは学び舎の屋根を指さす。筒のようなものがくっついているのが見えた。
「ごめん、望遠鏡って何?」
「天体観測の道具だよ。星の動きを見て、自然現象を予測したりするの」
「は、はあ……」
 よどみなく説明しつつ、彼女は手すりの上で背中を反らした。
「まだちっちゃかった頃——ウィチ・カちゃんと会う前、私はここに来たことがある」
 そう、断言した。わたしは、少し暗い気分になる。
 ブレンダはうちの村で生まれたわけじゃない。十年ほど前に、別の村からやってきた。
 あまりよく知らないけれど、引っ越し前の彼女はずいぶんと「真っ当な」道を歩んでいたらしい。歴史の裏を生きる村には、ふさわしくないような道を。
 わたしが何とも言えずに沈黙していると、下の広場をぐるぐる回っていたユークの女性が、こちらを見て驚いたように声を張り上げた。
「あなたは、ブレンダさんではありませんか!?」
 しかし当の本人は首をこちらに向けて、
「……ウィチ・カちゃん、知り合い?」
「いやいや、明らかにあなたの方でしょ」
 興味のないことには、とことん無関心な彼女だ。面倒くさそうに応じる。
「確かに私はブレンダですけど?」
 その態度はまずいだろう。わたしは彼女の首根っこをつかみ、地面までおりてきた。ユークの女性は気分を害した様子もなく、一礼する。
「失礼しました、私はエレオノールと申します。あの、本当に覚えていませんか」
「はい、ぜんぜん」
 悪びれもせずに頷く。さっきとは別の意味で冷や汗が出てきた。
「十年以上前、あなたはここに留学に来ましたね。当時話題になっていました。小さなクラヴァットの女の子が、親元から離れて勉学に励んでいると」
 シェラの里への留学といえば、いわゆるひとつの出世街道だ。学者先生のようなエラーイ人がするものとばかり思っていた。十年前というと、彼女がマール峠で「かわいい」と言った子供くらいの年齢のはず。
「その女の子が、どうして私だと?」
「屋根の上の望遠鏡に覚えがありますよね。あなたが夜中にのぼって、大騒ぎになりましたから」
 エレオノールの声に笑いが混じる。
 言葉の端々から、このユークの優秀さは伝わってきた。そんな人と、ブレンダはまったく対等な立場で会話している。
「ああー……ちょっと思い出してきたかも」
「どうです、その後は。確か、お医者様の娘さんでしたよね」
 わたしは息を呑む。父親の話はまずい! 予想通り、ブレンダは思いっきり顔を歪めた。それでもかろうじて平静を保ち、
「別になんにもありませんよ。今はキャラバンをやってるんです」
「すると、ティパ村の?」
「違います!」
 静かなシェラの里に似合わぬ、大音声が響いた。わたしはあわてて割って入る。
「ええと、わたしたちは小さな村のキャラバンで——」
 適当に説明した後、エレオノールに頭を下げ、どすどす足音を立てて先行するブレンダを追いかけた。
「ま、待ってよ」
 声をかけた途端に向こうが立ち止まったので、ぶつかりそうになる。
「あなた、留学なんてしてたの。知らなかったわ。勉強ってどんなことを?」
「医術の。お父さんに言われて、無理矢理ね」
 口元がへの字に曲がっている。深入りしない方が良さそうな話題だ。
 そう、ブレンダの男嫌いははっきりと父親不信の感情から来ている。根っこは瘴気ストリームの底よりも深く、もはや取り除けそうにない。
「あーあ、やなこと思い出しちゃった。行こっ」
 この村に来た理由と言えば、アクセサリ専門の鍛冶屋にある。幸いにも、噴火は避けられたようだ。わたしは胸を撫でおろした。
 しかし、嫌なことは続くものだ。
 鍛冶屋でアクセサリができあがる間、近くでぼけっと待っていると、ユークの子供たちの噂話が聞こえてきた。
「知ってる? ティパのキャラバンが、ヴェオ・ル水門を開放したんだって!」
「へえー……」
 ここの近くにあるダンジョンのことだ。最近ジェゴン川が干上がっていたのは、どうもあそこが魔物に占拠されていたことが原因だったらしい。わたしたちは、高額の船賃をふんだくる渡し守・トリスタンに恨みを持っていたので、「ざまあみろ」と喜んでいた側なのだが——そりゃあ、普通の人々は難儀していたはずだ。
 ブレンダは積み上げられた箱の上にほおづえをついた。
「強いんだね、ティパキャラバンって」
 街道でも集落でも、彼らにだけは未だ会ったことはない。……正直、顔を合わせたくはなかった。
 エレオノールも言っていた通り、ブレンダがやってきたのは——
「帰りたい? ティパの村に」
 彼女はきょとんとした。
「何言ってるの。あんなとこ、私の村じゃないよ」
 忌々しい父親がいた場所であり、生まれ故郷でもある。彼女にとっては、複雑な思いを抱く土地だろう。
 でも、もしブレンダがそのままティパ村にいれば、あちらのキャラバンに入っていたかもしれない。輝かしい功績を残したキャラバンは、十にも満たない歳でシェラの里に留学した彼女にふさわしい居場所ではないか。
 一方、わたしの帰るところはどこだろう。うちの村——変化がなさすぎて、はるか遠くの未来まで見渡せるような村。けれど、家族のいる場所。
 わたしのいたいところは、きっと……。



11

 ルダの村を歩く時はいつも、ブレンダはわたしにべったりだ。
「ちょっとは離れなさい」
「そ、そんな殺生な……こんなセルキーだらけの村でウィチ・カちゃんに見捨てられたら、私死んじゃうよお」
 彼女は一度、この村で無防備に歩いていたところをスリの被害に遭い、スッカラカンになりかけたことがある。わたしからすれば自己責任だけれど。
 ひっしとしがみついてくる姿は、ムーあたりを思い出してかわいいのだが、いかんせん暑い。
「手えつないであげるから、我慢して」
 と言って首を動かした時、何気なく視界に入ったものを見て、びっくりした。
 砂の大地の壁面には、背中に鳥の翼を生やした人が彫られていたのだ。
「あれ、ウィチ・カちゃんのお人形さんに似てるね」
 わたしはいつも持っている、古ぼけた木彫りの人形を取り出した。
 つくられてから多くの年月が経ったため、角がとれたり一部が欠けたりしているけれど、翼の生えた人というモチーフは共通していた。
「なんで、これが……」
 親から子へと、代々うちで受け継がれて来たもの。まさか家から遠く離れた海の上で見つけるとは、予想だにしなかった。
 わたしが立ち止まっているうちに、ブレンダは近くの女性をつかまえて話しかける。
「すみません、あれって何ですか?」
 そういう行動があっさり金を盗まれる原因で、つまり今もポケットを探られているのだが、彼女は気づかない。
「ごめんなさいね、私はあんまり詳しくないの。きっと、ド・ハッティなら知ってるわ」
「ド・ハッティ?」
 男の名前と悟って彼女が盛大に眉をしかめたので、わたしが代わりに訊ねた。
「あの焚き火のところにいる人ですか」
「そうそう」
 セルキーなのにいつも海を眺めて物思いにふけっている、変な人がいるなあとは思っていた。話しかけづらい上にブレンダのこともあったので、直接会話したことはない。
「よし。その人に話を聞きに行くわよ」
「……うぅ〜」
 うめき声を上げた彼女の手をつかんで、海辺へ向かった。
 いた。水色の髪をバンダナでまとめたセルキーの男性。相変わらず、大海原に向かって哲学しているようだ。
「ド・ハッティさん、ですよね。わたしはウィチ・カと申します。あの壁にある彫刻のこと、何か教えてくれませんか」
 彼はこちらに気づくと、立ち上がるわけでなく、隣に腰をおろすよう指示した。
 右からド・ハッティ、わたし、ブレンダの順に並んで、崖のへりに腰掛けた。視界に真っ青な海が広がる。彫刻は、背中の側だ。
 視線を遠くに飛ばし、彼は流れるように話し始めた。
「あれは大昔、ここを見つけたセルキーの祖先が彫ったものだな。各地を流浪して心細かった時に、信仰の対象にしたらしい」
 セルキーはレベナ・テ・ラの時代、手先の起用さを生かした仕事についていたという。人形を握る手に力が入った。
「シンコウって、なんですか」
 ブレンダが無邪気に質問した。話には興味があるらしい。かたくなにド・ハッティと目を合わせないあたりは、徹底しているけれど。
「信仰はつまり、何かを心のよりどころにすることだな。分かりやすい例で言うと、クリスタルに祈ったりすることさ」
「そっか。じゃあ、私はウィチ・カちゃんを信仰してるってことだね」
 違うと思う。
「確かに、誰か個人を対象にすることもあるな。でもセルキーは長い間、盗賊として虐げられて来ただろ? だから、この世でないものに祈ったんだよ」
 わたしの村に置き換えるならば、狭い聖域、やせた土地で生きる現実が苦しかったから、この人形をつくったということか。翼を持ったあり得ない人の姿は、ご先祖さまの切実な願いをあらわしているようだ。
「翼があったら、好きなところに行けていいね」
「どうだろうな。瘴気に満ちた世界だったら、翼も意味がないかもしれないぞ」
 ド・ハッティはそう言って、ブレンダに嫌な顔をさせた。
 摩耗して顔の造作すら分からないけど、小さい頃からずっと持っていた。泣きわめく赤ん坊のわたしにも、これを握らせたんだと母が言っていたっけ。
 わたしを支えるものは、今も昔も変わらずこの人形だ。その理由が分かった気がする。——ご先祖さまが逃げたくなるものが、なんとなく理解できたから。



12

 ファム大農場のクリスタルの聖域に入って、大きく息を吸いこんだ。うーん、気持ちいい。ケージがあるといえども、瘴気の世界を歩くのは、少なからず緊張するのだ。
 今日は路銀にも余裕があるので、村の宿に泊まるつもりだ。パパオと荷台を引いて、のろのろ農道を横切っていく。
「ウィチ・カちゃん、あれ」
 ブレンダが示したところには、先客の馬車があった。あれだけたくましいパパオだったら、きっと旅もしやすいだろうな。
 何気なく通り過ぎようとした時、賑やかな一団とすれ違った。
 男女入り混じり、全種族揃って総勢四人。クリスタルケージを持って、笑いながら歩いていく。
 わたしは立ち止まった。沈みかけの太陽の方角へ向かう彼らが、なんだかとても眩しかった。
「さっきの人たち、ティパのキャラバンだよね」
 そうか、あれが。年齢も種族も性別もバラバラなのに、すこぶる仲が良さそうだった。
 本来なら、あの中に——ブレンダもいたはずだったのに。
「ウィチ・カちゃん?」
 あたりがすっかり暗くなるまで沈黙していたわたしは、肩を揺さぶられて我に返る。
「行こ」
「……うん」まだ、パパオの手綱を引いたままだった。
 わたしたちはより暗い方へと歩を進める。ティパキャラバンと、対照的に。



「ティパ村が持ってたクリスタルケージ、変な色じゃなかった?」
 宿の夕飯の席で、ブレンダは急にそんなことを言い出した。
「変な色って?」
「白っていうか、虹色っていうか。光の加減かとも思ったんだけど……」
 食堂にはわたしたちしかいなかった。ティパの四人は、酒場にでも行っているらしい。
「あれは何属性なんだろ」
 彼女は思案顔になる。そうすると、いつもの五倍は賢そうに見えた。口の端にソースがついているあたりは、間が抜けてるけど。
「……そんなに、ティパ村が気になるの」
「え? だって、ケージの色が」
「そうだけど、そうじゃなくて」
 わたしはぶんぶん首を振る。ブレンダはくすっと笑った。
「気にしてるのはウィチ・カちゃんの方だよ。対抗意識でもあるの」
 対抗意識。そうかもしれない。
「だって本当なら、あなたはあっちのキャラバンにいたのよ」
 ブレンダは目を丸くした。
 彼女は、ティパの村で生まれた。小さな頃父親に酷い目に合わされ、母と一緒に半ば逃げるように引っ越してきたのだった。
 言葉の意味するところを理解したのか、彼女はすうっと目を細める。
「変なこと言うね。本当なら、って?」
「あなたのお父さんがもっとまともな人だったら」
 ばしん、とブレンダが食卓を叩いた。
「冗談はやめてよ。あんな奴がまともとか、ありえるわけないじゃん」
「でも今、お父さんがどこでどうしてるかも、知らないんでしょ」
 彼女は鼻白む。父親とは、死に別れたわけではない。当時キャラバンをやっていたうちの母が、ティパ村の母子を見るに見かねて連れ出してからは、ろくに連絡も取っていないはずだ。
「知らないよ。知りたくもない。きっと、どこかでのたれ死んでるよ」
「それなりに名の知れたお医者さんだったって聞いたわよ。遠くの村からも、患者がやってくるような」
 ブレンダの心境を慮り、キャラバンに入ってからもそのあたりの噂はシャットアウトしていた。当然、ティパ村には足を踏み入れたこともない。
 彼女はいつしか泣きそうな顔になっていた。
「ウィチ・カちゃん、どうしたの。なんか変だよ。こんな話、したくない」
「このままずっと、逃げ続けるわけにはいかないわ。いつかは、向き合わなくちゃいけない問題なのよ」
「そうかもしれないけど……」
 うつむくブレンダを、わたしはまっすぐに見つめた。
「ティパの村に、行ってみたら」
「で、でも、まだ雫が残ってるよ。あと一回はダンジョンに行かないと」
「そっちはわたしがやる。村へは、ブレンダがひとりで行けばいい。あなた自身の問題だから」
 彼女は肩をびくっと震わせた。
「そんな。ウィチ・カちゃんがいないと、私……なんにもできないよ」
「わたしはあなたの親じゃない。いい加減、わたしに甘えるのはやめてくれる?」
 容赦なく言い放った。相手が息を呑む気配がする。
「ブレンダ。あなたはわたしなんかに頼らないで、自分の意志で行動すべきよ。本当は、分かってるでしょう」
「ごめん、一晩考えさせて」
 それ以上の発言を遮るように立ち上がると、彼女は食堂を後にした。
 ひとり、取り残されたわたしは、ほうっと息を吐いて突っ伏した。



 その夜、夢を見た。
 ブレンダとの初対面を、そっくりそのまま再現した夢だった。
 キャラバンの旅から帰ってきたうちの母が、ティパという村から誰かを連れてきたらしい。噂だけは聞いていたけど、それが女の子だとは知らなかった。
 生まれて初めて、同年代のクラヴァットにお目にかかった。あの子は見たこともないほど真っ白な服を着ていて、ちょうど畑仕事で土まみれだったわたしは、自分の格好がちょっと恥ずかしくなった。つるつるの肌と、なめらかな髪の毛に、しばらく見とれちゃったっけ。
 わたしたちは無言で見つめ合った。彼女も、どう声をかけるべきか迷っているようだった。
 いつしか勝手に唇が動いていた。
「髪の毛、伸ばした方が似合うわ」
 ブレンダはその言葉を聞いて——じわじわと喜色を満面に広げていった。
「ほんとにそう思う?」
「うん」
「えへへ、前の村じゃ伸ばせなかったんだ」どうやら父親に禁じられていたらしい。
 この言葉のおかげだろうか、彼女は今でも腰まで茶髪を垂らしている。実際、それがよく似合うのだ。
「私、ブレンダ。名前は?」
「ウィチ・カよ。これからよろしくね」
 小さなわたしたちは、その瞬間、かけがえのない友だちになった。



「ファムキャラバンにお願いして、ティパ村に連れて行ってもらえることになったの」
 朝食の席でブレンダはそう言った。つまり、昨晩のうちに行動は起こしていたのだ。まぶたは腫れていたけど、表情は穏やかだった。
「ごめんね。私、ウィチ・カちゃんに甘えてた。保護者でも何でもないのに、ごめん」
「……」わたしは言葉が出ない。
「でも、ウィチ・カちゃんは親じゃないよ。私の一番大切な友だちだから」
 じわり、パンの味が分からなくなる。
「ふたりでいられないのは、辛いよ。それでもウィチ・カちゃんがそうした方がいいって言うなら、がんばってみる」
 無理に明るい笑顔をつくり、ブレンダはクラヴァットばかりの四人組と一緒に旅立っていった。村での再会を約束して。
 わたしはひとりになって、ぶらぶらファム大農場を散歩した。
 三つのクリスタルに守られた広大な土地は、見渡す限り緑に覆われていた。豊かな土壌、明るい日差し、温和な人々。何もかも、わたしの村とは違う。
 水路沿いを歩いて、りんご園までやってきて——切り株に腰をおろした。
「はあ……」
 青空を見上げてため息。無意識のうちに肩が震えていた。大きく深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
「おうい、お嬢さん。どうしたんだ」
 リルティのおじさんが声をかけてきた。アルフィタリアの兵士の格好をしている。
「いや、ちょっと……黄昏れてただけです。あなたは?」
「ゲーラ=ボイス。城から派遣されてきたんだ」
 彼はわたしの隣に座った。
「ウィチ・カです。一応、キャラバンをやってます」
「ああ、クラヴァットの女の子と一緒だったろ」
 見られていたのか。ただ、頷く。
「今はひとりなのか」
「……はい」
 わたしが黙りこんでしまうと、ゲーラさんはふところからしましまりんごを取り出して、こちらへ放った。
「まあこれでも食べろよ」
「ど、どうも」いかにも自然に譲ってくれたけど、どこから持ってきたんだろう。
 ゲーラさんも、もうひとつ出してかぶりついた。しゃくしゃく、リズミカルな音があたりに響く。
「友だち——ブレンダって言うんですけど、今はちょっと、別れて行動してるんです」
「へえ。そりゃまた、どうして」
「どうしてかなあ」
 自問する。口の中のりんごは甘くておいしい。いつもなら半分に割って、ふたりで食べていたところだ。
 結論はずっと前から、心の奥底にあった。
「ブレンダは、わたしのそばにいるべきじゃないんです」
 ゲーラさんは目線で続きを促す。
「今からでも遅くないわ。あの子にふさわしい、日の当たる場所に行くべきなの……」
 りんごが妙に塩辛い。こみ上げてくるものはもう、おさえようがなかった。
 昨日出会ったティパのキャラバン、胸が苦しくなるほど眩しかった。あんな風に笑いあい、当たり前に歩いていけたら、どんなにいいか。やせた土地にしがみつくことも、少ないお金に頭を悩ませることも、先細りの未来を見つめることもなく、生きていけたら。
 キャラバンを引退すれば、わたしは一生をあの村で過ごすことになる。隣にいてくれる誰かとともに、細々と命を繋いでいくのだ。
 だからこそ、わたしは叶うはずのない願いを抱き、木彫りの人形——否、ブレンダに託した。翼の生えたあの子は、どこへでも自由に羽ばたいていける。わたしと違って。
「で、向こうの女の子はどう思ってるんだ」
「わたしのこと、恨んでるかも。急に突き放したから」
 むしろあちらから離れてくれるなら、万々歳だ。彼女の足を引っ張る瘴気はわたしなのだから。
 ゲーラさんは首を傾げる。
「それは、どうかな。今もどこかの空の下で、ウィチ・カちゃんのことを考えてるんじゃないのか」
「ふふ……」
 曖昧に返事をした。ティパ村から帰ってきたら、真っ先にわたしに会いに来るかもしれない。でも、思いきって突き放してやろう。そうして少しずつ、ふたりは離れて行く。それが自然なこと、正しいことだから。
 りんごのお礼を言って、さて、と立ち上がる。ゲーラさんは思い出したように、
「そういえば、ティパキャラバンの噂、知ってるか」
「噂?」
「なんでも、これからずっと北に進んで、瘴気を晴らしに行くらしいぞ」
 わたしは目を丸くし、次いで笑った。
「何ですかそれ。瘴気を晴らす? わけ分かんないですよ」
「ここの村長が、そんな話を聞いたらしいんだ。まったく、どこまで本気なのかな」
 ブレンダに手紙で教えてあげたいところだが、わたしにはやるべきことがある。
「これからどうするんだ?」
「セレパティオン洞窟へ行きます」
 最後の雫を求めて、ひとりで旅をしよう。



13

 街道の反対側から、ルダ村のキャラバンがやってきた。ファム大農場でたっぷりと無為な時間を過ごした後、洞窟への道中でのこと。
 わたしは少しうんざりした。こういう時に限って、会いたくない人たちに出くわすものだ。
「やっほー、ごくろーさんっ」
「お疲れさまね〜」
 陽気なセルキーの男女は、同じ種族のはずなのに、正直苦手だった。あのテンションについていけない。しかも使命に対する責任感はブレンダ並に適当で、相変わらず空っぽのクリスタルケージを抱えていた。あのケージが満杯になったところ、見たことないんだけど。
 ふたりは遠慮なくうちの馬車を観察した。
「今日は、ひとりなの?」
 この、プライベートにずばずば突っこんでくるあたりがどうも好きになれない。
「……はい、そうです」
 同じふたり旅のキャラバンとして認識されていたのだろう、彼らは意外そうにしていた。
「えっ、どうして?」ダ・イースが訊ねてくる。
「別行動してるんです。あの子はやることがあるので」
「寂しくないの?」
 ハナ・コールから直球で質問されて、一瞬言葉に詰まった。
「まさか。向こうが寂しがるなら、ともかく」
「そーかなー。あたしなら人恋しくなるけどなー」
 その発言を聞きつけて、ダ・イースがにやにやした。
「ほうほう、オレがいなきゃダメなわけ?」
「だって、誰とも喋れないと退屈だし。別にアンタじゃなきゃいけないってわけじゃないよ」
 テンポのいいやりとりが続き、ふたりはからからと笑った。
 置いて行かれる格好になったわたしは不機嫌をあらわにしていたが、そんなのお構いなしに、ハナ・コールは笑顔で振り向いた。
「だからさ、寂しくなったら手紙でも書いたら」
「別に寂しくなんかありません」
「あっはっは」
 ちっとも取り合ってくれない。わたしは肩を落とした。
 やがてルダキャラバンは、明るくうるさく去って行き、わたしは豆粒サイズの後ろ姿を長いこと見つめていた。羨ましいわけじゃない、断じて。



 セレパティオン洞窟は寒い、暗い、辛いの三拍子がそろう嫌な場所だった。
 ただ、もっといやらしいダンジョンはいくらでもあるし、むしろここは景色が綺麗なので(ミルラの木がある場所のロケーションが最高なのだ)キャラバンには人気なのだが、今のわたしにはどんな地上の楽園も不愉快なところである。
 クリスタルケージを持ち上げ、歩き、敵の気配を感じておろす。その動作ひとつひとつすら面倒くさい。いつもは——ふたり旅では——あんなにもスムーズにやっていたのに。特にオリハルコンをとるために砂漠でズーを狩っていた時なんか、逃げる相手を追いかけて代わる代わる運んだものだ。
 この洞窟といえば。風力エレベーターがあるエリアはブリザドの効く敵が多いんだ、とブレンダは得意そうに語っていたっけ。
 わたしは首を振る。思考はすぐに「ブレンダが」「ブレンダは」だ。まったく、どっちが甘えていたのだろう。
 それでも、決めたんだから。うじうじ悩むのは、意思の弱さのあらわれだ。
「こんのぉ……!」
 理不尽な怒りは、凍ったリザードマンを叩く時にぶつける。すると、バラバラに砕け散った氷の破片が飛んできて、ほおを切った。
「つまんない」
 わたしは無意識につぶやいていた。
「ぜんぜん、つまんないよ」
 吹き抜ける風に揺らされ、わたしの髪とおんなじ色の結晶が澄んだ音をたてても、ちっとも心に響かなかった。



 ここのボスはケイブウォーム。近づけば近づくほど危険な相手だが、今のわたしはめちゃくちゃに暴れたい気分だった。
 とっととエレキクラゲを始末して、ラケットキックで飛びこむ。化物は巨体を持ち上げ、こちらを押しつぶそうとしてきた。が、動きは見切っている。ひょいっとバク宙でかわして、三連撃。もはや作業のようなものだ。
 相手は吸いこみ攻撃をしてきた。基本的に無害だけど、クリスタルケージが動くのが鬱陶しい。
 地面からケージを持ち上げようとして、強風に耐えきれず転んでしまった。いつものように、かっこつけて取ろうとしたのが失敗したみたいだ。
「いたたた」
 転んだ拍子に人形がふところから飛び出た。
「あっ」
 吸いこみはまだ終わらない。どんどん人形は手から離れていき——ケイブウォームに踏み潰された。
 その衝撃は体よりも、心を襲った。
「あ、ああ……」
 だめだと分かっているのに、翼が胴体からもげた木彫りの人形を、わたしの元から羽ばたいたブレンダに重ねてしまった。
 もう、会えないかもしれない。その予感は、心臓が止まるほどのショックを与えた。
 土くさいブレスを真正面から受けても、わたしは動けなかった。キャラバンの使命へとつなぎとめていた何かが、壊れてしまったようだった。
 ダダダッと誰かが走り寄る音がした。なんだろう、運命の足音かしら。
「ウィチ・カちゃんっ!」
 幻聴かと思った。
「ブレンダ……!?」
 しかし彼女は現実にここにいて、クリスタルケージを抱えて晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「ど、どうして」
「細かい話はあとあと。ほら、もうすぐ倒せるよ。いつもみたいに、合体攻撃しよ?」
 ブレンダは魔石のリングを取り出しケイブウォームと対峙する。その背中が不思議と頼もしかった。
「いくよ!」
 短い詠唱とともに、燃え盛る炎がわたしのラケットを包んだ。体は心よりも早く活動を再開した。薄暗い洞窟に真っ赤な軌跡を描き、そのまま相手に叩きつける!
 最後の一撃だったらしい。長い長い苦悶の声を上げて、化物は巣穴の奥に帰っていった。
「はあ……」
 肩で息をして、ぼろぼろの人形を拾い上げ——わたしは彼女に向き直る。うん、幻じゃない。
「ブレンダ、その」
「大変なんだよウィチ・カちゃん。とにかく私について来て」
 こちらとしてはゆっくり話をしたいのだが、ブレンダはいやに急いでいた。わたしの手を引いて、何故か入口の方へと誘導する。
「待ってよ。ミルラの雫をとっていかないと」
「そんなのいいから、早く外に出よ」
「ていうか、あなたケージは? クリスタルなしでここまで来たの」
「うん。ウィチ・カちゃんに会いたくて、走ってきた」
 その一心で瘴気の壁を突破したのなら、とんでもない功績を残したことになる。そもそもファム大農場で別れてから十数日しか経っていないのに、はるか南のティパ村まで行って、戻ってきたというのか。——わたしのために?
 帰り道はふたり。ほとんど本気の走りで、セレパティオン洞窟を駆け抜ける。
 息を切らせながら、わたしは夢中で声をかけた。
「あの、その……わたし、ブレンダにいろいろひどいこと言ったよね。ごめんなさい」
「え? 何が?」
「まさか、忘れたわけじゃないでしょ。聞きたくもないような話をたくさんっ」
「あーそのことね。別に気にしてないよ。外に出るのが先!」
 あっけらかんと言い放つ横顔はキラキラしていて、ああ本当にブレンダが隣にいるんだ、と実感できた。それは、洞窟攻略時に感じたつまらなさなんか吹っ飛ばすような、素敵な時間だった。
 やがて、外の光が見えてくる。わたしは眩しさに思わずまぶたを閉じた。
 ブレンダは先に日のもとに出て、こちらへ手を伸ばす。
「さあ」
 迷わず、その手をとった。
「……うわあ」
 思いきって足を踏み出せば、見たこともないほど真っ青な空に迎えられた。
 空気の匂いがいつもと違う。瘴気のまっただ中のはずなのに、クリスタルの近くにいる時のような安らいだ気持ちになった。
「これって……どういうこと?」感覚は何かを訴えているのだが、答えが見つからない。
「瘴気が晴れたんだよ」
 ブレンダはそう言って、にこっと笑った。わたしには思い当たることがあった。
「まさか——ティパのキャラバンが!?」
「そうそう。あの白いクリスタルケージには、こういう意味があったんだ」
 空を小鳥が飛んでいる。洞窟から生まれる風も、そよぐ木々も、何もかもが今日という日を祝福しているようだ。
「すごいよねえ。生きてるうちにこんなことになるなんて、考えもしなかったよ」
 隣で同じように天を仰ぐブレンダ。わたしはそっと人形のかけらを握った。
「……ティパの村は、どうだった?」どうしても訊かずにはいられなかった。
「いい村だったよ。自分たちのキャラバンが瘴気を晴らしに行くんだ、ってなんだか誇らしげだった。ああいう村だったから、キャラバンもこんなことが成し遂げられたのかもね」
 予想に反し、わたしはその言葉を素直に聞いていられた。
「お父さんのほうは……?」
「七年前に死んでたよ」事もなげに言った。実際、ほとんど感情が動かなかったのだろう。表情もさっぱりしたものだ。
「私たちに逃げられて、最初はずいぶん荒れたみたいだけどね。晩年はちょっとはおとなしかったみたいよ」
 彼女はそこで、大人びた面差しをくるりと変えて、
「それよりも! もっと大事なことがあるんだ。私、なんでウィチ・カちゃんのことが大好きになったのか、思い出したの!」
「へえ。それは是非聞きたいわね」
 ブレンダはとっておきの話をするように、唇に指をあてた。
「私が昔、シェラの里に行ってたことは知ってるよね。あの頃は、けっこうマジメにお医者さんの勉強をしてたの」
 妙なエリート意識を持つ父親からの、圧力があったのだろう。子供ながら勉強に精を出す彼女は、同年代の村人たちから距離を置いていた。家族のゴタゴタもあり、ティパ村ではろくに友だちができなかったらしい。
 当時、ブレンダは息苦しさを感じていた。勉学に励めばまわりの大人は褒めてくれるけれど、誰も「私」を見てくれない。自分らしさは窮屈な体に押しこめられて、悲鳴を上げていた。
「だから、ウィチ・カちゃんに会って、普通に声をかけてもらえて——私のことを見てもらえて、本当に嬉しかったんだ」
 見るものの心に日が差すような微笑みを浮かべる。
「ふさわしいとか、ふさわしくないとかじゃなくて。一緒にいたいから、いるの。それでいいんだよ」
「……うん」
 言葉のひとつひとつが、心地よい冷たさを持って胸にしみこんできた。
「ブレンダ。わたしも、夢を見て思い出したわ。初めて会った時、あなたはこれに似てるって感じたの」
 と人形の残骸を見せる。
「さっきの戦いで壊れちゃった」
「そっか……大事にしてたのにね」
「でも、もういいの。——あなたがいてくれるから」
「ふえ?」
 人形なんかなくったって、わたしの隣には、心に翼を持つ友だちがいてくれる。
 ここから先のセリフは、ちょっぴり気恥ずかしい。
「ひとりのダンジョン攻略、すごくつまんなかった。それで、ブレンダがいなかったら、わたしの人生はぜんぜん面白くなかったんだって、気づいたんだ」
「……えへへ」
 ブレンダは、ほおを染めて照れいった。こちらの顔も負けず劣らず、真っ赤になっているのだろう。
 それから彼女は手のひらをわたしのものと重ねて、
「ねえ、これから何する? 瘴気が消えたんだから、私たちキャラバンは廃業だよ」
「あら本当だ」
「もうどこへ行くのも自由だね」
 クリスタルによる境界はなくなった。土地にこだわる必要はなく、人々は好きな場所で生きていける。わたしの両親だって豊かな畑を耕せるのだ。
 にわかに、希望が湧いて来た。ブレンダは青空に夢を描く。
「私は旅を続けるよ。もっとたくさんの世界を見てみたい。堂々と胸を張って、いろんな人に混じって……」
「うん」
「ウィチ・カちゃんは、どうする?」
 訊ねる瞳が笑っている。答えなんてずっと前から決まっていた。
「一緒に行く!」
 ブレンダは大きく頷いた。「そうこなくっちゃ!」
「あ、目的はどうしようか」
「ウィチ・カちゃんの旦那さま探しはどう」
 わたしは反射的に「えっ」と口をおさえる。
「こっちは大歓迎だけど、ブレンダはいいの?」
「仕方ないよ。それに、ウィチ・カちゃんの旦那さまなら、オトコでも許せる気がする」
「あははは」
「まず、村に帰らないとね。みんなきっと混乱してるよ」
 との発言に、少なからず驚いてしまった。そこまで気が回るようになったんだ。子供だ子供だと思っていたのに、いつの間にかブレンダは立派に成長していた。なんだかそれが、自分のことのように嬉しい。
 彼女のまぶしさは、目を刺すようなものじゃなくて、木漏れ日のように優しく人を包みこむ。
「そうね。家に帰って、それから——」
 目の前に広がるのは、どこまでも続く明るい道。わたしたちはふたりで、肩を並べて歩いていく。



 旅をするなら、ふたり旅がいい。
 大好きな友だちと一緒に歩けば、どんなに大変な冒険もきっと、素敵な思い出に変わるから。
 だから、わたしはあの子についていくの!

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