変わらぬ心の焦点

 外でもアーフェンが自分の道を貫き通せるかどうか、賭けてみようよ。
 テリオンがクリアブルックで出会った薬屋の友人は、いやに自信満々に勝負を挑んできた。それは「薬師としてどんな人も無償で助ける」という薬屋のスタンスがどこまで行けるかを試すものだった。
 当初のテリオンは少しでも薬屋の相手が面倒になれば、すぐに別れるつもりだった。だが結局、今も一緒に旅を続けている。それにはあの賭けも少しだけ関係しているのかもしれない。
 今やテリオンの旅の連れは都合七人に増えた。現在このゴールドショアに来ているのはそのうちの三人――薬屋、踊子、商人だ。他はストーンガードで狩人の用事に手を貸している。
 彼らが二手に分かれることになったのは、薬屋の提案が発端だった。ストーンガードに滞在中、例によって酒場を訪れた彼は、近くのゴールドショアで熱病が流行しているとの噂を聞きつけた。彼は「俺が治してやらねえと」などと正義感にあふれる発言をして、この町に来ることを決めた。
 テリオンはストーンガードに残るつもりが、こちらに振り分けられた。「頼む、テリオンもついてきてくれ」という薬屋の懇願があったからだ。テリオンが手伝えることなど何一つないのに、彼はそう希望した。
(まあ、賭けの経過を見るついでだな)
 病人の世話はしない、という条件をつけて了承した。さらに踊子と商人も手を挙げて、四人で海辺の町にやってきた。
 ゴールドショアといえば貴族街がある。盗賊の稼ぎどころだ。しかし、この熱病は富裕層にも蔓延しているらしい。まずは適当に屋敷の情報でも集めるか、それとも病の終息を待つか――迷った末、テリオンは用もなく海のそばをぶらぶらしていた。
 黄金の砂浜を横目に下町を観察する。熱病のせいか、道行く人々に元気がない。景気の悪いことだ、と思いながら住宅街を歩いていると、目の前の民家から草色の上着をまとった男が出てきた。
「……俺がちゃんとしてないような言いっぷりだな」
 薬屋は腕組みして何やらつぶやいている。声が大きいので丸聞こえだ。テリオンが無視して去ろうとしたら、また同じ扉が開いた。
「ごめんなさい……べつの薬師さんがいたなんて」
 今度は煉瓦色の髪をした小さな女の子である。殊勝にも薬屋に向かって頭を下げていた。彼はしゃがんで女の子の頭をなでる。
「いいってことよ。姉ちゃん、助かって良かったな」
「うん、ありがとう」
「それじゃ風邪引くんじゃねえぞ!」
「アーフェンもね!」
 女の子が家に引っ込むと、薬屋の胡桃色の目がこちらに向けられた。にこりと細められる。
「お、テリオンじゃねえか」
 彼は麦穂のような髪をなびかせ、大股で近寄ってきた。テリオンは仕方なくその場に留まり、口を開く。
「追い出されたのか」
 先ほどの民家をあごで示す。おおかた薬を持って他人の家に押しかけたが、迷惑だと断られたのだろう。薬屋はきまり悪そうに頭をかく。
「まあな。今の子……エリンの家族が病気だって言うから診に行ったんだけどよ」
 彼が駆けつけた時にはすでに別の薬師が手当てした後だったらしい。
「しかしきれいに熱が治まってたな。腕は確かそうじゃねえか。勉強させてもらいてえな、どんな薬師なんだ……」
 彼はいつも持ち歩いている手帳を取り出し、ぺらぺらとページをめくる。以前「ゼフと一緒に勉強した成果さ」と自慢していた手帳だ。
「旅の薬師って、そう何人もいるもんなのか」
「いや、そこそこ珍しいと思うぜ。ましてや同じ町に集まるなんてな。俺と一緒で、熱病の噂を聞いて来たんじゃねえかな」
 薬師連中にとっての稼ぎ場らしい。薬屋は同業者のことで頭がいっぱいになったらしく、真剣に手帳を読みはじめる。テリオンはその横をするりと通り抜けた。
「何でもいいから、さっさと用を済ませろよ」
 次の目的地の都合上、薬屋の用事が終わったらまたストーンガードに戻り、学者たち四人と合流することになっている。あまりこの町に長居はできなかった。
「おう!」
 薬屋はこぶしを振り上げる。無駄に元気な返事だ。
 彼と別れ、テリオンは商店の建ち並ぶ通りに出る。このあたりは人出が多い。中でも日焼けした漁師の姿が目立った。しかし、ああいう生業は得てして懐が豊かではない。やはり貴族街が狙い目か……と考えていると、今度は正面から旅の連れである商人が歩いてきた。帽子の羽飾りがひょこりと揺れて、こちらに気づく。
「テリオンさん、調子はどう?」
 これは盗みの首尾を聞いているのだろうか。旅の連れの中でも最年少だが、なかなか胆力がある少女だ。テリオンはかぶりを振った。
「こうも病気が流行ってたら、どうにもならん」
「あはは。アーフェンが早く治してくれるといいわね」
 からりと笑う彼女は、薬屋の腕前を疑っていないようだ。
「そっちこそ、商売の種でも見つけたのか」
「うーん……今はやっぱり熱病に効く薬かしらね。アーフェンがつくってくれたらいいのになあ」
「あいつ、代金は取らないぞ」
「そう、そこが問題なの! 薬を売って一儲け、ができないのよね」
 商人も不満を抱えているようだ。ものと金銭の正当な交換に重きを置く彼女だから、余計に気になるのだろう。もっと本人に言ってやれ、とテリオンは思う。
「ま、そこがアーフェンらしいところじゃない?」
 横からいきなり顔を出したのは踊子だった。あっさり旅の連れが集合してしまう。この分だと、薬屋以外の全員が用もなく町をさまよっていたらしい。商人が口を尖らせる。
「プリムロゼさんはあれでいいの?」
「アーフェンが勝手にやっているんだもの、私がとやかく言うことじゃないわ」
 冷淡だが適切な距離のとり方である。こちらに実害が出ない限りは好きにさせておけばいい。……おかしな賭けなどしていなければ、の話だが。
「えー、あたしはもったいないと思うなあ。あれだけ勉強して薬もいっぱいつくってるんだから、もっと報われてもいいはずよ」
 未練たらたらの商人はふくれっ面になった。
 もうこの二人だけで会話が続きそうだ。テリオンは黙ってその場を離れようとしたが、商人も踊子も喋りながらついてきた。三人で貴族街へ向かう階段を上る。
 途端に商人が立ち止まった。
「あれ、アーフェンじゃない?」
 ずいぶん早い再会だ。しかも薬屋は見知らぬ女と相対していた。紫の髪を頭頂部で結った女だ。明るい雰囲気だが、目つきが妙に鋭い。
「あの人も鞄持ってるから薬師なのかな」
「ふうん。顔はまあまあだけど、私ほどじゃないわね」
 と踊子が評する。一体何を張り合っているのだ。
 薬屋が何か言い、女はかぶりを振る。そのまま女と別れた薬屋は、こちらに駆け寄ってきた。
「みんな集まってどうしたんだよ」
「それより今の人は誰?」商人が問いかける。
「ああ、あいつがエリンの姉ちゃん――さっき俺が治療を断られた家の子を治した薬師だ。ヴァネッサっていうんだとよ。薬を見せてくれって頼んだけど、断られちまった。ま、仕方ねえ。技術も財産だからな」
 それを承知しているなら、どうして自分の技術はただで分け与えるのだろう。おまけに薬本体まで無料にするのだから、テリオンには意味が分からない。
 薬屋の脳天気な顔を、商人がじっと見つめた。
「アーフェンが患者さんに薬をただであげちゃうのって、やっぱりあの恩人さんが関わってるの?」
 彼は自慢げに胸を反らす。
「もちろんさ。あの人は、ゼフの親父さんも知らない病気の特効薬をつくった上、お代も受け取らねえで俺のことを治してくれた……。俺はいつかあの人みたいになるのが夢なんだ」
 出た、いつもの話だ。もう酒の席で何度聞いたか分からない。近頃のテリオンの脳内では、見たこともない恩人さんとやらの顔がぼんやりと像を結びはじめている始末だった。
「その人、かっこよかったの?」踊子が興味をのぞかせた。
「そりゃあ命の恩人だからな。ほとんど輝いて見えたぜ。ま、顔はちょっと思い出せねえけど」
 踊子はルックスに言及しているだろうに、的はずれな答えだった。こと恩人に関して、薬屋の目は相当曇っていそうである。商人が首を傾ける。
「その恩人さんがどうやって財布をやりくりしてたのか、分かればいいのになあ」
「トレサ、やけにアーフェンを気遣うわね」
「だって画期的な節約術があるかもしれないでしょ?」
「ああ、そっちかよ……」
 三人で会話をはじめたので、テリオンは頃合いを見計らってその場を離れた。今度は誰も追ってこなかった。
 せっかく貴族街に来たので、あたりの様子だけでも見ていくことにする。テリオンは海を見下ろす広場に足を運んだ。身なりの良い女性たちが歓談していたので、何気なく近づいて聞き耳を立てる。
「ついにお隣の奥さんも倒れたのよ」
「うちも子どもがやられてね……でも、家に例の薬師様がいらっしゃったの!」
「それは良かったわ。薬師様の手にかかれば、きっとすぐに治るわよね」
 こちらでも熱病が流行っているという話は本当らしい。そのまま話を聞くうちに、熱病はそもそも貴族たちから庶民に広まったことが判明した。迷惑な話だ。そのくせ金持ち連中は率先して薬を買い占めるのだろう。それが世の常だと知っていても、テリオンとしては面白くはない。
 のんきな女性たちの話をそれ以上聞いていられず、彼は苛立ち紛れに身を翻した。
 足早に階段を降りる途中、先ほどの薬師ヴァネッサを見かけた。彼女は身分の高そうな女に頭を下げられていた。
「薬師様、主人が熱病にかかったのです。お薬を譲っていただけるとおうかがいしたのですが……」
「ええもちろん。お代はお気持ち程度で結構ですから」
 薬屋と違って少しは金を受け取っているらしい。それならまだテリオンにも理解できる。彼は観察を続けた。
「これを飲めばすぐに熱は引きますよ」
 ヴァネッサはにこりと笑みを浮かべた。テリオンがよく知るたぐいの表情だ。彼は直感する。
 この女は多分、嘘をついている。



 案の定だった。
 一旦快復に向かった患者たちは、翌日になって急激に悪化した。今度は咳が流行りはじめたのだ。すると、ヴァネッサは手のひらを返して高価な薬を売るようになった。
 昨日薬屋が面倒を診たエリンの姉も同じく弱ってしまい、母親は「薬を買うお金がない」と困り果てた。そんな彼女に声をかけて家に乗り込んだ薬屋は、容態の急変に違和感を持ち、自分の記憶と手帳をたどってヴァネッサのやり口に見当をつけた。
「間違いねえ、あいつは最初から特効薬を高く売りつけるつもりだったんだ……」
 病人の前では口に出さなかったが、彼は確信を持った。ヴァネッサは、副作用のあるガボラオネマという解熱剤をわざと大量に処方して、別の症状を流行らせたのだ。
 薬を売るだけ売った後、ヴァネッサは突然姿を消した。薬屋は町で聞き込みをして彼女の行方を突き止めた。ヴァネッサは薬の材料となるアオホタル苔を取りに行くため、近くにある青碧の洞窟に向かったようだ。
「……で、なんで俺も行く必要があるんだ」
 洞窟に連れてこられたテリオンは思わず不満を漏らした。例の苔はよりにもよって洞窟の奥にあるらしい。何故入口付近に生えていないのかと問いたい。
 踊子がまなじりを吊り上げる。
「文句言わないの。相手は傭兵を雇ってるって噂なんだから、こっちもある程度人数がいるわ」
「えへへ、あたしが調べてきたんだからね! 感謝してよアーフェン」
「ありがとよ」と薬屋が答える。金や人の動きに敏い商人は、ヴァネッサが傭兵を募集していたという噂を町で拾ったらしい。
 テリオンはため息をついた。薬屋はヴァネッサを問い詰めるつもりでここに来たのだろう。しかし――
「被害者の中に貴族がいただろ。あの女の悪事を言いふらせば、それだけで体面が傷つくんじゃないか」
「町には今も苦しんでる患者がいるんだぜ。まずはアオホタル苔を採って薬をつくらねぇと、だろ?」
 何を当たり前のことを、と言うように彼は首をかしげる。
 放っておいたら薬屋は間違いなく一人で洞窟に駆け込んでいただろう。そこでヴァネッサに返り討ちに遭えば、もっと面倒な事態になっていたかもしれない。テリオンたちがついていくのが道理である、と認めざるを得なかった。
 踊子はあたりを見回す。ランタンの暖色の明かりに、岩壁を覆う苔が照らし出された。
「それにしても、こんなに近くで特効薬の材料がとれるのね」
「多分、この洞窟を見つけたから、解熱剤にガボラオネマを使おうって考えたんじゃねえかな」
 有り得る話だ。薬屋はヴァネッサの悪事を思い出したのか、むすっと眉間にしわを寄せた。商人と踊子が彼の顔色をうかがいながら小声で話す。
「傭兵と戦うことになったら、苔を荒らさないようにしないとね」
「サイラスがいなくてよかったわ」
 確かに学者の魔法など放てば苔が全滅する危険性がある。今の四人ならその心配はないだろう。
 洞窟の角を曲がると、話し声が聞こえてきた。
「……ヴァネッサだ」
 薬屋が低くつぶやいた。さてどうする、と相談する前に、彼はいの一番に飛び出していく。
「よおヴァネッサ……ちと聞きたいことがある」
 傭兵たちを使って苔を採取していた女は、くるりと振り返る。
「ふーん、嗅ぎつけたか。意外に勘がいいわね」
 彼女は余裕たっぷりに口の端を持ち上げた。薬屋の登場を予期していたらしい。同じ町に薬師が二人いれば、今回のからくりがばれるのは時間の問題だろう。
 薬屋が抑えた調子でガボラオネマの件を指摘すると、ヴァネッサは腰に手を当てた。
「あたしは各地を旅しながら薬師として稼がせてもらってるの。皆、病気や薬には無知だもの、騙すなんてちょろいものよ。あなたみたいな同業者を除いてね」
 彼女は堂々と自白した。どうしようもないやつだ。「お代は気持ち程度で」という発言は真っ赤な嘘だったわけである。続いてべらべらと自分の手口を打ち明けるヴァネッサに、
「……救えねえな、あんた。治す薬が思い当たらねえ」
 薬屋は啖呵を切った。めったにないほど腹が煮えた様子だ。テリオンは軽く目を見開く。
 話の合間に三人の傭兵が徐々に包囲網を狭めてきた。後ろに控えるテリオンたちは、出番を見越してそれぞれ武器を構える。
 ヴァネッサは冷たい笑みを浮かべた。
「あなた、邪魔だわ。大人しく帰りそうもないし、帰ったとしても口を閉じてなさそうだしね」
「ああ、帰る気も口閉じる気もねえな。その代わり、その苔で薬作って町の人を治してやる。薬師の誇りにかけてな!」
 彼にとっての誇りは、きっと恩人がもたらしたものなのだろう。盗賊の矜持とも違うそれを知り、テリオンの胸は少しだけ波立った。
 ヴァネッサはイライラしながら足を踏み込む。
「じゃあここで死んでよ。ケチくさい正義感と一緒にさ!」
 ヴァネッサと傭兵たちは一斉に襲いかかってきた。
 商人が目一杯引き絞った弓から矢が放たれ、傭兵の腕に突き刺さる。テリオンと薬屋が前に出て傭兵に対処する間に、踊子が短剣でヴァネッサに斬りかかった。ヴァネッサは自分の短剣を閃かせて攻撃を防ぐ。踊子は至近距離から女薬師に冷え切った声をかけた。
「稼ぎ方がケチくさいのはあなたの方じゃないの? こんな場所でせこせこ苔なんか採って、挙句の果てにアーフェンに見つかってるし」
「な、なんですって……」
 ヴァネッサの声が怒気に震えた。ぶつかり合う目線の先で火花が散る。女薬師は空いた手で懐から袋のようなものを取り出し、踊子に投げつけた。
 テリオンはとっさに反転し、踊子の腕を掴んで袋から逃れる。袋が地面に落ちた瞬間、大きな音とともに煙が立つ。爆薬が炸裂したのだ。踊子は煙でむせながら慌てて後退した。
「あ、ありがと」
「煽るのも大概にしろよ」
 テリオンが諌めれば、彼女は不満げに唇を曲げた。だが一応は忠告を受け入れたようで、そのまま引き下がる。踊りに集中することにしたらしい。
「外したか……」
 ヴァネッサは舌打ちして傭兵の後ろに逃げ込む。
 傭兵を抑えていた薬屋たちに合流すると、彼はおののいた様子で背後をちらりと見る。
「なあ、なんでプリムロゼがあんなに怒ってるんだ?」
「知らん。あの女と反りが合わないんだろ」
「態度が気に食わないって感じよね」
 商人は喋りながら器用に傭兵の攻撃を避けた。双方人数は同じだが、実力はこちらが上だ。一人でも相手を戦闘不能にできれば一気に形勢が傾くだろう、とテリオンは予測した。
「で、あの女、どうやって仕留める?」
 薬屋は呆れたような声を出す。
「仕留めるって……衛兵に突き出すに決まってんだろ」
 彼はぱっと片手を上着の内側に入れ、調合薬を取り出した。
「みんな、ちょっと離れてろよ!」
 合図を受け、テリオンは商人とともに飛び退いた。そこに瓶ごと薬が投げ込まれる。地面にぶつかりガラスが割れて、もくもくと煙が立った。中に閉じ込められていたのは、ひやりと冷たい氷の煙だ。
「うわっ」「これ……は……」
 煙に巻き込まれた傭兵たちが昏倒する。後ろに控えていたヴァネッサだけは被害を免れたが、これで四対一だ。彼女自身も煙の余波を食らって膝をつく。
「これはスイミンカの――舐めないでよ、このくらいすぐに治してやるから」
「じゃあやってみろよ」
 薬屋は何故か「もう戦闘は終わりだ」とばかりに武器を下げた。ヴァネッサは即席でつくった薬を傭兵に与える。
「ほら、立ち上がりなさい! ……あら?」
 煙が晴れても傭兵たちは気絶したままだ。薬屋は意地悪く笑った。
「ただの睡眠薬だと思ったろ。でもちーっと違うんだよなこれが」
 踊子が勝ち誇った笑みでステップを踏めば、テリオンの体が軽くなる。槍を構えた商人がじりじりと前進した。唇を噛んでうつむくヴァネッサに、薬屋が歩み寄る。
「もう降参しな。アオホタル苔は採らせてもらう。あんたにゃしっかり罪を償ってもらうぜ」
「くっ、仕方ないわね。負けたんだから……」
 そう言いつつ、ヴァネッサはちらちらと周囲に目を走らせる。まだ諦めていないことが丸わかりだ。テリオンはいつでも取り押さえられるよう身を低くしたが、薬屋に制止をかけられた。彼はじいっとヴァネッサを見つめ、
「あんた、逃げようとしてんな? 俺もそこまで甘くねえよ」
「なっ何言ってるのよ」
 彼女はぎくりと固まる。薬屋は鞄から何かを取り出し、すばやく女の腕をとった。身をよじるヴァネッサに構わず、その腕に針のようなものを刺す。ただそれだけでヴァネッサはがくりと頭を落とした。
 薬屋は意識を失った体を仰向けに寝かせた。ヴァネッサは盛大に顔をしかめて「ううん……」とうめき声を漏らす。
「今のは?」踊子が目を瞬いた。
「シトゲ草っつって、トゲに強い催眠効果があるんだ。さっき傭兵にばらまいた薬も、それを混ぜたやつさ」
 手短に説明した薬屋は、今度こそ壁際に苔を取りに行く。「手伝ってくれ」と言われたのでテリオンもその後ろに従った。踊子と商人は手分けしてヴァネッサ一党を縛り上げる。
 薬屋は採取用の短剣を岩壁に滑らせた。テリオンは下で袋の口を広げて剥がれ落ちた苔を受ける。
 黙々と作業する薬屋に、テリオンはぽつりと問うた。
「……あの女、どうする気だ?」
「とりあえずは牢屋行きだろうな。あとはあいつの反省次第か」
「牢屋に入った程度で反省するとも思えないが」
「いやあ、どうだろ。結構うなされてたみたいだけど」
「どういうことだ」
 薬屋はあっけらかんと答える。
「あいつに刺したシトゲ草には副作用があるんだ。なんていうの、罪悪感ってやつ? そういうもんが胸の奥にあると、えらく怖い夢を見るらしいぜ」
 だから苦いものでも飲み込んだような顔で眠っていたのか。完全に開き直っているように見えたヴァネッサにも、一応罪悪感があったらしい。
「まあ、夢から覚めた後はもう俺の領分じゃねえけどさ。今頃、心の底から反省するくらい怖い思いをしてたりしてな」
 甘いのか厳しいのか、よく分からない処置だ。テリオンは肩をすくめる。
「……なら、いいんだがな」
「ひょっとして俺の心配してくれてんの?」
 にやにやする彼からテリオンは顔を背けた。
「単なる忠告だ」
 薬屋は何がおかしいのか少しの間肩を震わせると、やがて短剣をしまった。
「よし、苔はこのくらいでいいだろ。ゴールドショアに戻るぞ」
「傭兵はどうするの?」と商人が尋ねる。
「んー、全員町に連れて行くのは厳しいよな」
 ひとまずヴァネッサだけを町の衛兵に引き渡すことに決め、薬屋は自ら女を背負った。まだ悪夢を見ているらしく、彼女は憎い敵の背中の上でうなされている。
 帰り道で、商人が唐突に声を上げた。
「あたし、プリムロゼさんが怒ってた理由が分かったわ。アーフェンのことを悪く言われたからでしょ!」
 いきなりの発言だったので、全員がびくりと肩を揺らした。
「え、俺?」
 薬屋が自分を指さして目を丸くする。商人はこれが正解だろうと言わんばかりに目を輝かせた。
「ねえそうでしょ、プリムロゼさんっ」
「……さあ、どうかしらね」
 そっぽを向いた踊子の耳は赤くなっていた。なるほど、彼女なりに薬屋のことを評価していたらしい。彼のやり方には口は出さないと言っておいて、この入れ込みようだ。薬屋はなかなか人たらしの才能がある。
 踊子は気恥ずかしくなったのか、歩幅を広げて先に歩いていった。「あ、待ってよ!」と商人が追いかける。
 残された男性陣の間に小さな沈黙が降りた。苦笑する薬屋の隣を歩きながら、テリオンはふと気になったことを質問する。
「……もし、その女の薬が本物で、ただ高い金をとるだけだったら、おたくはどうしてたんだ」
 薬屋はしばらく虚空を見つめて考え込んだ。
「そうだな、そん時は別に邪魔はしねえかな。俺のなりたい姿とは違うけど、そういう薬師もいるだろうし」
 どうやら彼にとって、金をもらうかどうかは最優先事項ではないらしい。であれば、友人との賭けも少しは意味を持つだろう。
「だが、おたくがただで薬を配ったら、同業者は商売あがったりなんじゃないか」
「そん時は俺よりヴァネッサの薬の方が効きがいいかもしれねえ。でも、エリンたちみたいになかなか薬が買えねえ人もいるだろ。そういうやつを一人でも救えたらいい、って思うんだ」
 夢物語のような言葉を紡いだ薬屋は、こちらを向いて曖昧な笑みを浮かべた。
「こう言うと怒るかもしんねえけど……あんたみたいな人も、その中に入ってるんだろうな」
 テリオンは思わず足を止めた。薬屋はそのまま前に進んでいく。
 彼は、盗賊のように社会の枠組みから外れた者にも薬を届けたい、と告げたのだ。
 幾度も彼の薬の恩恵に与っているテリオンは、何も言えなかった。恩人の思想には「馬鹿げている」と切り捨てられないものがあった。
 友人ゼフが薬屋を村の外に送り出した理由が、なんとなく分かった気がした。



「じゃあなーっ!」「元気でね、アーフェン!」
 幼い姉妹に送り出され、薬屋が町の入口へと走ってくる。
 あの後、薬屋はヴァネッサと傭兵たちを町の衛兵に突き出し、苔でつくった薬をただで配って事件の後始末を済ませた。最初に追い出された家の病人もしっかり治したため、こうして子どもたちに慕われるようになったらしい。薬屋がゴールドショアを出ると聞いて、わざわざ姉妹が見送りに来たのだ。
 入口で待つテリオンたちと合流した薬屋は、何度も目元をこすった。商人がくすりと笑う。
「あ、泣いてるのアーフェン?」
「泣いてねえよ。砂が目に入っただけだ!」
 踊子も穏やかにほほえんでいる。商人が彼に向かって両手を差し出した。
「で、薬のお代は?」
「へへ、しっかりもらってきたぜ」
 薬屋が手のひらを開くと、そこには白い貝殻が載っていた。
「それってフィール貝だっけ」
「おうよ。エリンとフリンとの大事な思い出さ!」
 相変わらずの返事に、テリオンは呆れてしまう。踊子が首をひねり、
「お礼の気持ちが薬代ってこと?」
「うーん、アーフェンの言いたいことは分かるけど……あたしはやっぱりお金を受け取ってほしいわ」
 商人もほおをふくらませる。
「だからお代なんかいらねえって。ケツがかゆくなっちまうよ」
 薬屋は笑って誤魔化した。
(もしかすると、こいつは何があっても変わらないのかもしれないな)
 テリオンはひとつ息を吐く。自分たちはこれからもそのお気楽さに振り回されるのだろう、という確信があった。
 こちらの憂慮など露知らず、薬屋はコーストランドの日差しのようなまばゆい笑みを浮かべていた。

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