かみ合わない

 フロッゲンの体に突き刺した槍の穂を引き抜く。あたりはすっかり静まり返っていた。戦闘の終わりを確信し、トレサは武器をしまった。
 地面に崩れた魔物の死体を確認したが、プラムなど有用なものは持ってないようだった。死んだ魔物など気色悪くて触れられない、とは言っていられないのが旅の日常だ。こういう行為にもすっかり慣れてしまった。父や母に習った武器の扱いが、こうして役に立つ日が来るとは思いもしなかった。
 同じく倒した魔物を見定めていたテリオンも首を振った。その唇が小さく動く。
(ん?)
 今、何とつぶやいたのだろう。
 なんとなく気になったが、直接尋ねることははばかられた。トレサは「もしや」と思い、その後テリオンを観察してみた。
 次の戦いが終わり、さりげなく彼に近づき耳を澄ませる——そしてぼそりと放たれた台詞を聞き、トレサは目を丸くした。
 戦闘を繰り返しながら街道を進み、やっと町に着いた。真っ先に酒場に消えていく紫の背中を見て、彼女は確信を強める。
「テリオンさんって相当なお酒好きよね」
 彼との付き合いが一番長いアーフェンに近寄り、そう切り出した。彼は麦穂色の髪を掻き、
「あー、まあな」
 この意味ありげな反応、やはり彼も気づいているらしい。薬師ならば当然だろう。
「あのね、あたし聞いちゃったのよ。さっき戦いが終わった時、テリオンさんがこう言ってたの」
 ——酒でも飲みたい気分だ、と。
「戦闘が終わる度に毎回毎回言ってるのよ!」
 それを聞いたトレサは反射的に「えっ」と声を上げ、テリオンに怪訝そうな目で見られた。意図せずこぼした独白のようだったが、いささか真に迫りすぎていた。
 思い出すのは故郷リプルタイドの酒場だ。家業を手伝っていたトレサは毎日近所の酒場に仕入れた酒を配達しており、その度に酔っ払いを見かけた。酒臭い息を吐き、時に絡もうとしてくる彼らを適当にいなしながら(ここで鍛えた槍と弓の腕が生きてくる)、トレサは「絶対にああはなるまい」と心に決めていた。
 テリオンが分かりやすく酔っ払っている場面は見たことがないが、今後もしあんな風になってしまったら……と不吉な予感を覚えてしまう。
 アーフェンは難しい顔をして、
「そうなんだよなあ。しかも、ああやってつぶやいてるのも全然意識してねえんだよ。本人に聞いても『そんなこと言ってない』とか答えるんだぜ」
 ますます不安がこみ上げる。大丈夫なのだろうか、あの年齢で酒浸りだなんて。
 なんだか紫の背中が悲哀を背負っているように思えてしまい、トレサは早足で酒場に駆け込んだ。



 迫りくるラットキンたちを得意の雷で殲滅したサイラスは、ぱたんと魔導書を閉じた。そして一言、
「授業は終わりだ」と告げる。
 ……授業? 隣で短剣をおさめつつ、プリムロゼは眉をひそめた。
 戦いが終わり、手帳にメモしている彼との距離を詰めて、そっと尋ねる。
「ねえ先生、今の戦闘で私たちに何かを教えていたの?」
「うん? 何の話かな」
 サイラスは小首をかしげた。もはやプリムロゼはこういうとぼけた返しにもだんだん慣れはじめていた。
 このまま本人に尋ねても埒があかない。即座にそう判断し、プリムロゼは雪豹をなでていたハンイットをつかまえる。
「ねえハンイット、先生って戦闘後に変なこと言ってるわよね」
「あれはいつもそうだ。気にしてはいけない」
 彼女は虚空に視線を投げる。どこか遠い目をして。
(って言われても、気になるのよね)
 プリムロゼは街道を歩きながら、彼を観察することにした。サイラスという男は自分に向けられる感情にとことん無頓着のくせに、妙な部分で勘が鋭い。背中に注いだはずのこちらの視線に気づいて「どうしたのかね」と急に振り返ってきた。本当に扱いづらい男だ。
 適当にごまかしているうちに、再び敵と遭遇する。このあたりには大した魔物は生息しておらず、なんなく撃退できた。その後のサイラスによく注目していると、
「大した強さだ、合格点だよ」「この程度では不合格だな」
 などと言っていた。
 もしや、戦闘の度に相手の強さをはかっているのだろうか。
(……なんで?)
 そういえば、彼は勤めていた学院を半ば追い出される形でこの旅に出たのだった。不本意ながら教職を外れたことが、実は精神に悪影響を及ぼしているのか。そのような繊細な性格にはとても見えないのだが——謎は深まるばかりだった。
 こんなことで悩むのもどうなのかしら、と思いつつも考えを巡らせていたら「今日のプリムロゼ君は少し集中力が欠けているようだね」と言われてしまい、がっくり気が抜けた。
 本日、仲間たちは四人ずつの二組に別れて行動していた。合流地点の町につくと、サイラスは待ち合わせとして指定していた酒場に入っていく。
(あの学者先生が変わり者だなんて、もう今更言うまでもないわよね……)
 ハンイットの言葉に従うべきかもしれない。プリムロゼはため息を吐きながら彼に従った。



 仲間の輪から外れ、一人カウンターに腰掛け杯を傾けていたテリオンに、サイラスがつかつかと靴音を響かせて歩み寄る。
「テリオン君、また飲んでいるのかね」
 話しかけられた彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「あんただってそうだろ」
 指摘の通り、サイラスは片手にグラスを持っている。しかし彼は見事に自分を棚に上げて、
「必要以上の酒精は明晰な思考を奪うものだよ。それでは合格点はあげられないな」
「いちいち点数を出すな。あんた、それ戦闘後にもやってるだろ」
「まさか。それを言うならキミも毎度酒を求めているだろう?」
「俺はそんなこと言ってない」
 二人の会話を聞いていた仲間たちはだんだん気が遠くなってきた。
(やっぱりお互いにおかしいと思ってるんじゃない……)
 とトレサは頭を抱え、
(相手のことは分かるのに自分の発言は分からないのね)
 とプリムロゼは肩をすくめる。
 彼女たちの中心人物二人は、全くかみ合わないやりとりを延々と続けていた。

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