転ばぬ先の

「おっ先生、新しい杖買ったのか?」
 石畳の道をひっそり歩く学者を見つけて、アーフェンは思わず声をかけた。ある町に到着し、夕食まで自由時間ということで一度解散した直後のことである。
 起伏の多い土地だからか、サイラスは珍しく杖をついていた。そういえば、戦闘中に彼が武器を振るう場面を、アーフェンはほとんど見たことがなかった。
「ああ。前の村で買い替えてね」
 サイラスが振り返る。平素と変わらぬ調子だったが、何故かアーフェンは違和感を覚えた。内心首をかしげる。
「……そっか。じゃ、俺買い出しに行ってくるわ」
「いってらっしゃい、アーフェン君」
 サイラスの笑顔に送り出された後、町の広場で待っていたトレサたちと合流した。彼女は腰に手を当ててアーフェンを迎える。
「遅いわよアーフェン!」
 彼は買い出し当番に選ばれていた。他にも二人、武器や防具を新調するためハンイットとテリオンが集まっている。これから商人見習いのトレサとともに店を巡るのだ。彼女にとっては、目利きや交渉の修行という意味合いもあった。
 悪い悪い、とアーフェンは軽く頭を下げてから、
「なあトレサ。この前寄った村で買い出しに行った時、サイラス先生っていたっけ?」
「えっ、先生は……いなかったわよ?」
 トレサは妙にぎこちなく首を振った。先ほどのサイラスの返事と明白に矛盾している。一体どういうことだろう。
(なーんか気になるなあ……)
 とはいえ直接トレサに聞いても素直に答えるとは思えないので、まずはまわりから攻めることにした。
 先導するトレサの背中を眺めつつ、隣を歩く狩人に話しかける。
「サイラス先生の杖が新しくなってたんだけど、ハンイットはなんか心当たりあるか?」
 彼女は森を思わせる色の瞳を瞬いた。
「いいや。買い替えたのか」
「そうみたいなんだよ。でもさ、そもそも先生ってあんまし杖使わねえよな」
「ああ、それは前にわたしが言ったからだろう」
 アーフェンは目を丸くする。
「どういうことだ?」
「アーフェンたちと合流する前の話だ」
 ハンイットは思い出を手繰り寄せるように、目を細めた。
 学者、神官、狩人、商人の四人でフラットランドの平原を歩き、立ちふさがる魔物を排除した後のこと。ハンイットは思うところあって、学者に言葉を投げた。
「サイラス、あなたはあまり前に出るな。危ないから」
 学者の杖は、魔法と違って圧倒的に射程が短い。不用意に出てこられては、前衛を固めるハンイットやトレサを妨害しかねないし、学者の身を危険に晒すことになる。だからそう言った。
 アーフェンはびっくりした。
「えっ。その時、先生なんて返事したんだ……?」
「さあどうだったか。とにかく納得した様子だったぞ」
 本当だろうか。ハンイットの意見はもっともだが、女性三人に男性一人という構成にもかかわらず、サイラスは後ろに追いやられてしまったらしい。いつも穏やかな学者もさすがに思うところがあったのでは……? とアーフェンは勘ぐってしまう。
「あれ以来、サイラスはあまり杖を使わなくなったな」
 ハンイットはうんうんと頭を振っている。
 経緯は分かった。しかし、サイラスが新しい杖を持っていた理由は不明のままだ。
 そうこうするうちに一行は武器屋に到着した。ドアをくぐると、とたんに金属と油の匂いが漂う。
「こんにちはー!」
 さっそくトレサは声を張り上げ、店の主人と交渉をはじめた。
 アーフェンは剣の品定めをするテリオンに近寄った。
「テリオン、ちょっと話があんだけど」
「断る」
 相変わらずの返事にも、もう慣れてしまった。
「いいから聞いてくれよ」
 無理やり話を進めると、テリオンは嫌そうな顔をしながらも武器を置き、話を聞く体勢に入った。アーフェンは目一杯声のボリュームを落とす。
「先生が新しい杖持ってたんだけど、なんか心当たりない?」
「ない。興味もない」
「冷たいこと言うなって。じゃ、先生が前にいつ杖買ったか覚えてないか」
「知らん」
 本当にそっけない。オフィーリアやトレサを相手にする時はあんなに寛容なのに。まあ、アーフェンも完全に無視されない程度には打ち解けたと思おう。
 それじゃあ仕方ねえか、と諦めようとした時、テリオンが口を開いた。
「だが……あいつが杖を買わなくなったのは、多分俺が言ったからだな」
「え、どういうこと?」
 テリオンは聞き取りづらい声でぼそぼそと語った。
 今度は、リンゴの実る村で学者たちと合流した直後くらいの話らしい。その日の買い出し当番はトレサ、ハンイット、テリオン、サイラスという面々だった。
 トレサは店先の品を眺めて必要なものを買い取り、「次は先生の杖ね」と学者を振り返った。
「それなんだが」
 テリオンが口を挟んだ。彼がこうして声を上げるのは珍しいことなので、他の三人はきょとんとした。
「杖、買う必要あるか?」
 当然の疑問だろう、とテリオンは思う。今まで誰も言い出さなかったのが不思議なくらいだ。
 学者が武器を使うのはただ身を守るためであり、杖で相手に攻撃を加えることはほとんどない。であれば、一定以上の性能は必要ないだろう。
 ハンイットは腕組みをした。
「そういえばオフィーリアは杖で魔法を使っているが、サイラスの魔法は魔導書で強化しているのだったな」
「ああ、そうだね」
 サイラスの返事は少し控えめだった。ハンイットはその些細な変化に気づかず、
「確かにテリオンの言う通りだ。強い杖は必要ないな」
 と言い切った。トレサは絶句した。
「えっ……先生はそれでいいの?」
「構わないよ。旅の資金も限られているからね」
 そう答えたサイラスは、ほほえみすら浮かべていたという。
 ——話を聞き終えたアーフェンは頭を抱えた。
「テリオン……お前なあ」
 その論調ではサイラスが遠慮するに決まっているではないか。さらにタイミング悪く、以前杖について物申したハンイットがその場にいた。トレサだけは疑問を抱いたようだが、押し切られてしまったのだろう。
「おたくが口を挟むことか? 本人もまわりも文句言わないんだから、別にいいだろ」
 こうして堂々と開き直るテリオンは論外だが、抗議を飲み込んでしまうサイラスも問題である。アーフェンは額をおさえながら、
「はあ……結局、なんで先生が新しい杖持ってたんだろ」
「自分で買ったんじゃないか」
「でも先生ってそういうことするタイプじゃ……あ」
 アーフェンはあることに思い当たった。
 男たちが小声で会話しているところに、リュックを背負ったトレサがやってくる。
「二人ともどうしたの? いい武器でも見つかった?」
「あーそれなんだけど……トレサ、ちょっと外で話そうぜ」
「え、何?」
 アーフェンはトレサの腕を引っ張り、武器屋の外に出た。ハンイットとテリオンを置いてけぼりにしてしまったが、少しの間だけ許してもらいたい。
 十分に情報が出揃った今なら話ができるはずだ。彼は店先でトレサに問いかける。
「サイラス先生のことで、俺たちに隠してることがあるよな」
「なっ……そ、そんなのないわよ」
 分かりやすくうろたえる彼女に耳打ちする。
「みんなに黙って杖買ってるんだろ?」
 トレサは「うっ」と言葉に詰まった。図星らしい。
「どうしてそれを……」
「いろいろ話を聞いたら分かっちまったんだよ。あ、でも別に責めたいわけじゃないぜ。とにかく理由を教えてくれよ」
 トレサはうつむき、喉から声を絞り出した。
「だって……先生だけずっと古い装備のままって変でしょ?」
「そりゃあそうだな」
 とはいえ、あまりにも杖の使用頻度が低いため、今日までアーフェンも気づかなかったのだが。
「それに、先生って見た目がいいから……いい武器を持ってもらって一緒に買い物に行くと、商談がまとまりやすいの」
 がくりとアーフェンの肩から力が抜ける。なるほど、杖を買うのはサイラスの身なりを整える意味もあったのか。実に商人らしい理由だった。
「あ、杖の代金なら問題ないわよ。あたしが他のものを値切って浮いた分のお金で買ってるから!」
 トレサは得意げに胸を張ったが。
「でもさ、それって実は先生も困ってるんじゃねえか……?」
「え、どうして? いつも喜んで受け取ってくれるわよ」
 それはきっとトレサに気を遣っているのだろう。普段生徒扱いしている女の子に装備を買い与えてもらうのは、さすがにまずい構図だ。彼のことだから、あとで共有の財布に杖の代金を補填していた可能性はあるけれど。
 思ったよりも面倒な事態を掘り起こしてしまった。誰も悪意を持って行動しているわけではないのに、どうしてこうなったのだろう。アーフェンはうなり声を上げる。
「なあ、杖っていつもどこで買ってるんだ? やっぱり店?」
「それだとみんなにばれちゃうでしょ。だから、杖を売りたがってる人を探して買い取ることが多いわね。町の人も意外といい品を持ってるのよ」
「へえ。てことは杖以外も買えたりして……?」
「杖ばっかり探してたから分からないけど、防具やアクセサリーなんかを売ってくれてもおかしくないわね」
「よし、いいこと思いついた!」
 アーフェンが指を鳴らすと、トレサはきょとんとした。



 それからしばらく旅を続けて、一行は別の町を訪れた。
「はーい、みんな注目!」
 トレサは宿のロビーに集った仲間たちを見回す。
「この町の人から買い取れそうなものを聞いてきたわ。今回は斧と短剣と槍よ。みんな、何がほしい?」
 早速アーフェンが手を挙げた。
「俺の斧、切れ味悪くなってきたんだよな」
「高いわよ、五千リーフだって。値切っても二割がいいところね」
「え、じゃあ店売りのやつでいいや」
 アーフェンが引っ込むと、ハンイットが身を乗り出す。
「ならばわたしがいただこう」
「はい、ハンイットさんに決まり。お金はあとでもらうわね」
 トレサは生き生きと場を仕切っている。
 彼女は杖の買い取りをやめた。その代わり、集落を訪れる度に住民に声をかけ、装備品を売ってくれる人を探すようになった。
 町人の所有する武器や防具は、店売りのものより性能が良いことがある。トレサは商談相手を見つけると、その場で値段を聞き出し、売り物の状態を見極める。そして持ち帰った情報をもとに、こうして身内で一種の競りをはじめた。
 この新しい買い取り方式はトレサが提案した。アイデア自体はアーフェンが考えたが、そのことは伏せている。唐突な話にもかかわらず、皆はあっさりと受け入れた。
 トレサは広げた手記にメモを残してから、剣士に顔を向けた。
「オルベリクさん、槍はどう?」
「そうだな、今回はトレサに譲ろう」
「わあ、ありがとう!」
 ひととおり全員の希望を聞き出し、トレサは壁に寄りかかるサイラスに手を振る。
「今度は先生の杖も見つけるからねー!」
「はは、お構いなく」
 これからトレサは皆が所望した品を入手するため、再び町人と交渉を行う。若葉色の瞳は使命感に燃えていた。
 アーフェンが満ち足りた気分でその様子を眺めていると、こつこつと硬い靴音が近づいてくる。
「この競りを提案したのはキミだね、アーフェン君」
 サイラスが青い目をにこやかに細めた。アーフェンはぐっと親指を立てた。
「さっすが先生。よく分かったな」
 話を聞かずとも察したのだろう。やはり学者の探りの技術は一級品だ。
 アーフェンと違って、サイラスはまず相手の仕草や雰囲気を読み取ることからはじめるらしい。会話をするのはほとんど答え合わせの段階なのだ。こういう聞き出し方もあるのだな、とアーフェンは感心する。とはいえサイラスの話術は思い切りが良すぎて、あまり見習えない部分もあった。
「おかげで助かったよ、ありがとう」
 予想通り、彼はトレサの好意を断りきれずに困っていたらしい。余計なお世話にならなくてよかった。
「へへ、これで先生も堂々と杖を使えるな!」
 するとサイラスは眉を下げ、おとがいに手をあてる。もう片方の手には新品同様の杖があった。
「そうなのだが……最近あまりにも杖を持っていなかったから、使い方を忘れかけていたよ」
 アーフェンは膝が崩れそうになった。
 思えば、先ほどトレサが「先生の杖も見つけるからね」と言った時、ハンイットもテリオンも何も言わなかった。問題は杖自体ではなかったのか。もしかすると、二人は「学者が前に出なくてもいいように、前衛の自分たちがどうにかすればいい」と思っていたのかもしれない。その対応はある意味では正しかった。
 サイラスが面倒な状況からなかなか脱しようとしなかったのは、本人も杖を使う気が薄かったためらしい。なんだか拍子抜けする展開だった。
「……先生、頭だけじゃなくてたまには体も使わないと」
「はは、そうするよ」
 サイラスはかつんと床に杖をついた。

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