誰がためのワザ

「神官様、本当にありがとうございました」
「いえ……息子さんが早く元気になるといいですね」
 オフィーリアは採火燈を片手に持ち、控えめにほほえむ。彼女をこの家に招いた女性は、困ったようにほおに手を添えた。
「あの子の言う通り、学者先生がいらっしゃればもう少し気持ちが上向くと思うのですが……」
 思わず隣のハンイットと顔を見合わせる。現在、仲間の学者サイラスとは別行動をとっていた。
 ストーンガードを発って西のウェルスプリングを目指す彼女たちは、ハイランド地方とサンランド地方の境界付近でこの町を見つけ、一夜の宿を取ることにした。
 町に入るといつも数人で物資を買いそろえ、その他は各々好きな行動をとることにしている。今回オフィーリアはハンイットとともに買い出しを担当し、主に消耗品の果物類を補充した。
 滞りなく買い物を終えた帰り道、「神官様」と声をかけられた。どこか差し迫った雰囲気を醸す若い女性だった。
「うちに病気の子どもがいるんです。どうか、聖火神に祈りを捧げてもらえませんか」
 二人はこの依頼を快諾し、彼女の家に招かれた。
 子どもの部屋に赴いたオフィーリアは、ベッドに横たわる息子のために祈りの言葉を紡いだ。その後、息子は枕にほおをつけたまま、かすれた声で旅の話をせがんだ。
「わたしが以前訪れたセントブリッジでは、あなたと同い年くらいの男の子たちと出会いましたよ」
「なかなか勢いのある子どもたちだったな」
 求められるまま、ハンイットと交互に思い出話をする。呼吸器が悪いらしい子どもは、途切れ途切れにつぶやいた。
「セントブリッジはブドウが特産で、立派な大聖堂があって、司教様がいるんだよね。いいなあ、行ってみたいなあ」
「まあ、よくご存知ですね。お勉強されたのですか」
 オフィーリアは部屋を見回しながら尋ねる。壁際の本棚には、所有者の年齢にそぐわず難しそうなタイトルの背表紙が並んでいた。
「前にね、今日の神官様みたいに旅の学者さんがうちに来てくれたことがあったの。その時に聞いた話が忘れられなくて……」
 子どもが軽く咳き込んだので、オフィーリアは布団越しに胸のあたりをなでてあげた。
 その学者は今まで訪れた町について惜しげもなく知識を披露し、さらには簡単な魔法まで見せてくれたらしい。
(旅の学者さん……サイラスさんのような方でしょうか)
 オフィーリアは北ストーンガード山道で見送った黒い背中を思い浮かべた。
「また学者さんのお話が聞きたいなあ」
 別れ際、子どもは寂しそうにつぶやいていた。
 ——母親に挨拶し、家を出たハンイットは不意に言葉をこぼす。
「サイラスかアーフェンがいればよかったな」
 学者と薬師、どちらがいても病気の子どもの助けになっただろう。
「トレサさんも、きっとあの子のためにおもちゃを選んでくれたでしょうね」
 いない人を話題にする度、胸に木枯らしが吹き込むようだ。彼女はいつしか八人で行動することを当たり前と思うようになっていたらしい。
 オフィーリアは胸に手をあてる。
「わたしにできることは、お祈りだけなのでしょうか……」
 子どもの苦痛や寂寥を和らげる具体的な手段を知っているだけに、歯がゆかった。薬はつくれずとも、せめて元気を分けてあげたい。
 その時、ハンイットが手をぽんと叩いた。
「……待て。学者の話を聞かせるだけなら、適任がいるぞ」
「え?」
 今この村には、オフィーリアたち二人に加えて剣士、踊子、盗賊しかいない。学者らしき旅人とすれ違ってもいない。一体誰のことだろう?
 ハンイットはしきりにうなずいている。
「あなたからも頼んでもらえないか?」
 続けて告げられた名前を聞き、オフィーリアはやっと合点がいった。
 ハンイットとともに町を歩き回ってその人物を探した。やがて紫の外套を見つけ、呼び止める。
「断る」
 得意の芝居で学者のふりをして、子どもに話をしてもらえないか——そう頼まれたテリオンは即座に首を振った。しかしハンイットは微塵もひるまず、
「そうつれないことを言うな。人助けだろう」
「俺がそうする必要がどこにある。だいたい、嘘をついてそいつを励ましたところで、何か意味があるのか」
「あなたの芝居は嘘という領域を超えている。わたしは見ているといつもわくわくするぞ」
「見世物じゃないんだぞ……余計にやりたくない」
 テリオンの厳しい物言いにも、ハンイットは堂々と胸を張った。どうやらテリオンの頑なな態度は、彼女に押し負けないためのようだ。
 オフィーリアは一歩前に出た。
「どうしても、だめですか?」
 必死に視線を注ぐ。テリオンは少しだけこちらを見てから、
「当然だ。慈善活動じゃないんだぞ」
「なら、営利活動にすればいいじゃない」
 いきなり割り込んだ声はプリムロゼのものだった。押し問答する三人を見つけて寄ってきたらしい。彼女は話の流れを承知しており、挑戦的な瞳をテリオンに向ける。
「母親から正当な対価をもらうのよ。それならどう?」
 テリオンはうつむいて少し考え込む。やがて諦めたように肩を落とした。
「どうやっても俺に芝居を打たせたいらしいな」
 これは了承と受け取っていいだろう。
 オフィーリアの顔がほころぶ。テリオンの技術をこうして活用できるのは喜ばしいことだ。「お母様にはわたしから頼みます」と請け負った。
「決まりね。ハンイット、テリオン、一緒に来て。お芝居のための衣装をそろえるわよ」
 プリムロゼの形の良い唇がにやりと吊り上がる。嫌な予感がしたのかテリオンは身を引いたが、
「仕立て屋だな。すぐに行こう」
 ハンイットがすかさず彼のマフラーを掴んだ。
「……くそっ」
 テリオンは目を三角にして手を振り払い、一人で歩いていく。仕立て屋の位置は把握済みのようだ。
 オフィーリアはこみ上げる笑いの衝動をなんとか飲み下して、
「わたしは先にあの子の家に行って、お母様に話をしますね。一緒にオルベリクさんも呼んできます」
「ああ、任せた」ハンイットが身を翻してテリオンの後を追いかけ、
「テリオンの晴れ舞台をみんなでじっくり鑑賞しないとね」
 プリムロゼが優雅に衣をなびかせ、手をひらひらと宙に泳がせた。
 三者三様の背中を、オフィーリアは掛け値なしの笑顔で見送った。



「ほ、本物の学者さん……?」
 子どもは勢いよく上体を起こした。目線の先には、普段と違う装いのテリオンが佇んでいる。
 オフィーリアたち四人は後方から様子を見守っていた。「テリオンさんのお芝居を見物しませんか」という誘いに乗ったオルベリクも、興味深そうに眺めている。
 テリオンはいつもの外套を脱ぎ、いかにも学者らしい衣装をまとっていた。が、よく見れば生地が本物と違う。仕立て屋でそれらしいローブを見繕い、即席で改造したからだ。ハンイットが縁に金のテープを貼り付け、刺繍に見えるよう細工をほどこした。じっくり観察されない限りはごまかせるはずだ。テリオンの演技力が加わればなおさらである。
 この家に来る前、テリオンは「芝居の間は絶対に俺の顔を見るなよ」と釘をさしていた。彼はフードをかぶって子どもと向かい合う。例の演技を仔細に見物できず、ハンイットは残念そうにしていた。
 子どもがおそるおそる尋ねる。
「本当に、ぼくのところに来てくれたの?」
 声が期待に弾んでいた。
 無邪気な視線を浴びたテリオンがどう返事するのか——一同は軽く緊張した。
「そうだよ、私は学者だ。ずいぶんキミを待たせてしまったね」
 次の瞬間発せられた穏やかな声に、仲間たちの間を静かな衝撃が走り抜けた。
 オフィーリアは息を呑み、隣のオルベリクと目を合わせる。二人は黙ってうなずきあった。
(これは……サイラスさんの真似ですよね)
 テリオンには他にも学者の知り合いがいる。ノーブルコートで出会ったバーラムやオルリックの方が、いわゆる学者像に近いのではないか。それなのに、彼は他でもないサイラスを手本にした。
 子どもは顔を輝かせ、身を乗り出す。
「だったら魔法を見せて!」
「いいよ。ほら、これでどうかな」
 テリオンはしゃがみこんで指に鬼火を灯す。風貌も声質も何もかもが違うのに、サイラスがそこにいるように思えてしまう。
 彼は今、きっとサイラスとよく似た朗らかな表情を浮かべているのだろう。だから絶対に仲間たちには見られたくなかった。
 いつもあんな横柄な態度をとっていたのに、テリオンは誰よりもサイラスのことを観察していたのだ。
 感動に打たれるオフィーリアの後ろで、ハンイットが声をひそめて隣に話しかける。
「サイラスにしては少し背が低いな」
「それ、本人には言わないであげてね」
 プリムロゼの淡々とした返事に、オルベリクが肩を震わせた。
「ねえねえ、先生は今までどんな場所を旅してきたの? いっぱいお話聞かせて」
「この町に来る前はストーンガードという町にいたんだ。製本工房……キミもたくさん持っている、あの本をつくる職人さんがいてね。キミは、本がどうやってつくられるのか知っているかな」
 テリオンと子どもは二人だけの語らいに突入した。これ以上部外者が聞くのは野暮だろう。オフィーリアたちはテリオンを残して部屋を出た。
 居間にいた母親を訪ねる。彼女は息子の部屋にテリオンを案内した後、邪魔にならないようすぐに退散していた。
「ありがとうございます。息子があんなに楽しそうにしているのは久しぶりです。それにしても、一体どこで先生と知り合われたのですか……? もしかして、お仲間さんなのですか」
 オフィーリアはほほえんだ。
「ええ、そうなんです」
「あれなら息子さんもすぐ元気になるだろう」
 ハンイットは大きくうなずく。久々にテリオンの演技を目の当たりにして、満足した様子だった。
 母親の好意でお茶をごちそうになっていると、テリオンが部屋から出てきた。彼はフードをかぶったまま、無言でオフィーリアたちの脇を抜けていく。「仕事は終えた」と言わんばかりに。
「あっ……待ってください!」
 オフィーリアはとっさに追いかけ、外に出た。まだ謝礼は受け取っていないが、残った仲間が気を利かせてくれるはずだ。
 テリオンはすぐそこで立ち止まっていた。面倒くさそうにフードを脱ぐ。学者のローブと見紛う黒い装束の肩に、白銀の髪が散った。じろりと振り返るのはいつもどおりの三白眼だ。
 オフィーリアが何か言う前に、彼は口を開いた。
「……別に、深い意味はない。一番真似しやすかっただけだ」
 何故サイラスの真似を、という質問を予期したのだろう。確かにテリオンにとっては最も身近な学者である。
「とてもよく似ていましたよ」
 オフィーリアがにこやかに感想を述べると、彼は思いっきり顔をしかめた。
 テリオンだって分かっているはずだ。あそこまで完璧に模倣できるということは、彼はサイラスの性格に関して一定以上の理解を示している。それを正直に認めることは、まだできないけれど。
「それよりあんたは」テリオンはオフィーリアとほとんど同じ高さからじっと目線を合わせた。「もういいのか」
「何が、でしょう?」
 質問の意味が分からなかった。
「ストーンガードで……いろいろあったろ」
 テリオンはどこか気まずそうに視線を外す。
 オフィーリアは瞬きして、ハイランドの町で起こった出来事を一つ一つ思い出した。
「ああ……もしかしてサイラスさんのことですか? 大丈夫ですよ。もう二度と『あんな真似』はさせませんから」
 言葉に力を込める。それは誓言だった。テリオンは前髪から覗く片目を大きく見開いた。
「あの人が何を考えていても、必ず追いついてみせます。サイラスさんたちがアトラスダムから帰ってきたら、本人にもきちんと伝えます」
 ストーンガードでは神官の秘術によってサイラスが傷ついた。だが落ち込んでばかりはいられない。オフィーリアはサイラスにとって一番最初の旅の仲間なのだ。誰がなんと言おうとそこは譲らないし、これ以上無茶はさせない。彼の旅の終わりまできっちり見届ける。
 みなぎる決意に背筋を伸ばすと、テリオンはそっぽを向いた。
「……あんただけは敵に回したくないな」
「わたしはいつでもテリオンさんの味方ですよ」
「なら、ハンイットがこれを着せてくるのを止めてくれ……。あいつ、好き勝手しやがって」
 テリオンは渋い顔でローブを引っ張った。オフィーリアは思わず口元を緩める。
 彼は本当に素直になった。こうして歯切れのよいやりとりをかわす頻度が増えたし、何よりも仲間たちの名前を呼ぶようになった。
(それならきっと、本当に届けたい言葉に気づく日も近いはずですよね)
 オフィーリアははるか山の向こうにある平原の町に思いを馳せた。

inserted by FC2 system