癖の善し悪し

「ほう。つまり、あなたはその傭兵団の団長に焚き付けられたと?」
 目の前の学者が問いただす。語調はやわらかいが、矛先は鋭い。エアハルトはほろ苦い気分で口を開いた。
「今にして思えば、な」
 視線をずらして隣を見る。話を聞いているのかいないのか、オルベリクは楽しげにグラスを傾けていた。ほおが緩んでいるのは彼特有の酔いの兆候だ。こういう部分はまるでホルンブルグ時代と変わっていない。
(こいつ、私に押しつけたな)
 矢継ぎ早に質問が降り注ぐおかげで、エアハルトはいくら飲んでもまったく酔えなかった。
 正面に座るのは、アトラスダムの学者サイラス・オルブライトである。彼ら三人はウェルスプリングの酒場で一つの卓を囲っていた。
 明日オルベリクたちが町を出立すると聞き、挨拶のためエアハルトが宿に赴くと、学者に誘われた。
「町を去る前に是非あなたの話を聞きたくてね。私が一杯奢ろう。オルベリクも一緒にどうだろうか」
 サイラスとは、闇市に踏み込む際に初めて顔を合わせた。その時は事務的な言葉をかわしただけだったが、頭の切れる男という印象を抱いた。サイラスはごく短時間で闇市の裏に隠された対立関係を見抜き、黒幕をあぶり出したのだ。
 エアハルトは今まで学者という存在とあまり縁がなかった。そのため、学者といえば年中机にかじりついている頭でっかちな者、という典型的な想像を抱いていた。
 だが、サイラスが見せた戦局を見通す力は、決して机上だけで学べるものではない。生来の素質に加えて、おそらく旅の中で身につけた能力だろう。このような経緯で、エアハルトもサイラスにはそれなりに興味があった。
「構わない。オルベリクも行くだろう?」
「ああ……」
 オルベリクは眉根を寄せ、何か言おうとしてやめた。今思えばあれは忠告だったのだろう。聞いておけばよかった、と今更後悔しても遅い。
 三人は酒場を訪れ、杯を合わせた。間もなくエアハルトは学者に質問攻めにされた。
 何でもサイラスはフラットランドで教師をしており、よりにもよってホルンブルグの歴史について講義していたらしい。そうと知っていれば誘いは断ったのに。オルベリクは学者の相手をエアハルトに任せ、一人で楽しげに酔っている始末だ。
 エアハルトの胸中も知らず、サイラスはさらに深く切り込んでくる。
「その団長はどういう人物なのかな」
「ヴェルナーという名の……なんと言うべきか、恐ろしい男だった。傭兵団が解散した今は、どこかの町の領主になったらしい。くわしいことはもうオルベリクに話したがな」
 エアハルトは相方にさりげなく嫌がらせをしてやった。
「なるほど。それは探ってみる必要がありそうだ」
 サイラスは笑い、空になったグラスに自分で追加の酒を注いだ。彼はいくら飲んでも顔色も態度もまったく変わらない。少なくともオルベリクよりは酒に強そうだ。
「貴重な時間をどうもありがとう、エアハルト氏」
「役に立てたなら良かった」
 やっと質問の嵐から解放される——と思った矢先、酒場のドアが開いた。サイラスは現れた人物を見て柳眉を持ち上げる。
「おや、あなたは守備隊の」
「ベイル殿……」
 エアハルトは口を閉じるのを忘れかけた。どきりと心臓が跳ねる。
 何故ここに彼がいるのだ。詰め所で仕事を片付けていたのではなかったのか。
「おお、みなさん。こんな場所にお揃いとは」ベイルもこちらに気づき、声を上げる。
「明日出発するので、エアハルト氏に挨拶をしていました。あなたは今仕事が終わったのですか?」
「ああ。やっと書類がまとまってね」
 学者が引いた椅子にベイルが腰掛ける。エアハルトは危うく制止をかけるところだった。
「リザードマンと闇市の件を両方まとめて報告する必要があってな。まあ……大変だった」
 ベイルが肩をすくめる。詰め所にいる時とは違って、どこか安らいだ表情に見えた。
「それはそれは。一杯いかがですか」
 サイラスが追加のグラスを頼み、酒を注ぐ。
「では、乾杯」
 四人は杯を合わせた。オルベリクは何が面白いのか、脳天気に笑ったままだ。
 ベイルの喉がごくごく動くさまを、エアハルトは固唾を飲んで見つめた。この後に起こりうる事態からどう逃れるか、そればかり考えてしまう。
「うむ、やはりうまいな」
 満足気に息を吐くベイルに、サイラスが話しかけた。
「辛口の酒が多いのは、やはりこのあたりの気候が理由ですか」
「そうだ。この味がサンランドの料理によく合ってな」
 サイラスとベイルはつまみを食べながら二人で話しはじめた。
「どうした、エアハルト。そんなにベイル殿が気になるのか?」
 こちらのぎこちない態度に気づいたのか、隣のオルベリクが笑いながら肩を叩いてくる。エアハルトはため息をつきたい気分だった。
「まあな。あの人は——」
 出し抜けに、がちゃんと大きな物音がした。他の客も含めて、一瞬酒場が静まり返る。
「ベイル殿、大丈夫ですか」
 サイラスが落ち着いて尋ねた。ベイルがグラスの底をテーブルに叩きつけたのだ。ちらりとカウンターの方を見ると、バーテンダーも慣れたもので「はじまったな」という顔をしている。
「いやいや何も問題はないぞ。ほら、サイラス殿ももっと飲んで」
 ベイルはいやに陽気になって、隣のグラスに無理やり酒を足す。サイラスは首をかしげながらも「ありがとうございます」と言って杯に口をつけた。
 ついに来たか。エアハルトは体の向きを変え、オルベリクにだけ聞こえる声でささやいた。
「……ベイル殿は、少々酒癖が悪いのだ」
 昼間の彼は本当に立派な人物だ。多くの部下をまとめる立場にあり、常に己を律している。リザードマンから町を防衛し、闇市の騒動の後始末まで完璧にやり遂げた。ウェルスプリング守備隊は彼なくしては成り立たないだろう。
 だが、ベイルはひとたび酒を飲むと豹変する。エアハルトは何度か酔った彼を見ていた。その度に普段とのギャップに戸惑ってしまう。どうやら衛兵たちも酒を飲んだベイルが苦手らしい。リザードマンを退治した日の宴は隊長が欠席したため、皆は後ろめたい気持ちを抱えながらも安堵していた。
「む……そうなのか」
 詳細を話したわけではないが、こちらの表情から何か察したのだろう。オルベリクは自分のグラスを置いて立ち上がる。
「少しサイラスと話す」
「あ、おい」
 オルベリクは学者に歩み寄ると、彼を誘ってカウンターに移動した。止める間もなく、二人で何やら話しはじめる。つまり、卓に残ったのはエアハルトとベイルだけだ。
「エアハルト殿もさあさあ、どうぞ」
「ど、どうも……」
 問答無用でベイルが瓶を傾けた。なんとかグラスで受ける。勢いが良すぎて少し酒がこぼれた。
 すると、ベイルは急に真剣な顔になった。
「……エアハルト殿は、まだこの町にいてくださるのか?」
 妙に重い口調だった。エアハルトは軽く緊張する。これはきちんと答えるべき質問だ。
「もちろんだ。リザードマンの件はまだ完全に片付いていないからな」
 とはいえ、この町に骨を埋めるかというと、それはまだ分からない。いつか気が変わって、また旅立つかもしれなかった。酔ったベイルに伝えたらどうなるか分からないので、ひとまず黙っておくつもりだが。
 一体オルベリクはサイラスと何を話しているのだろう。もうこの気まずさに耐えられそうにない。早く戻ってこい、と思いながら酒に口をつける。
「だが、あなたはいつか町を去るのだろう。あなたにいなくなられると、我々は……」
 ベイルは真剣な顔でグラスを握りしめる。その拍子にまた液体がこぼれた。ついに泣き落としがきたか、とエアハルトが身構えた時、
「ベイル殿」
 戻ってきたサイラスが静かに声をかけた。
「私と飲み比べをしませんか」
 学者は酒場にふさわしくない理知的な声でそう言った。ベイルは興味がわいたのか、身を乗り出す。
「ほう、あなたが? いいだろう、受けて立つ」
「せっかくですから賭けをしましょう。敗者が勝者の酒代を持つのはいかがですか」
 サイラスは一気に話の流れを変えた。そのままベイルと交渉をはじめる。エアハルトは戻ってきたオルベリクに小声で話しかけた。
「どういうつもりだ? 確かに学者殿は酒に強そうだが」
「まあ見ておけ」
 オルベリクは自信満々だった。エアハルトは口をつぐむ。
 賭けは成立し、サイラスが新たな酒を注文する。度の強い蒸留酒だ。早めに勝負を決めるつもりか。
 学者と守備隊長は交互に一杯、また一杯と飲み干していった。みるみる瓶が空いていく。学者の飲みっぷりは見ていて気持ちが良かった。たとえグラスの中身が水だとしても、なかなかあんな速度では飲めないだろう。あの細い体のどこに酒が消えていくのか不思議だった。
「サイラス殿、なかなかやるな……」
 ベイルは頭を揺らしながらつぶやく。彼のペースは途中から明らかに鈍ってきた。ゆっくりと一杯ずつ飲んでは、小休止のためグラスを置く。
「酒には、飲んだ者の本心をさらけ出す作用があります」
 サイラスは苦戦する彼を眺めながら、探りを入れるように思慮深く言葉を紡いだ。
「ベイル殿はきっとお疲れなのでしょう。普段から何かと自制されているのでは?」
 エアハルトは息を呑んだ。
 そうか。ベイルの酒癖の悪さは、過労によって悪化していたのかもしれない。仕事中のベイルは守備隊の負担を一身に引き受け、結果として抑圧された状態にある。だから夜間に酒を飲んで発散していた、という側面は確かにあるだろう。
 ベイルは重そうにまぶたを持ち上げる。眠気に襲われたらしい。
「そうだな……部下といると、どうしても気が休まらなくて……」
「そういう時は、気のおけない仲間と飲むことです」
「ああ……私には古い友人がいるのだ……」
 ついにベイルは卓に突っ伏した。
 オルベリクがすっと立ち上がる。彼はいつの間にか水を飲んでいたようで、少し酔いがさめた様子だった。
「詰め所まで連れて行こう」
 彼はベイルの片腕をとって自分の肩に回した。彼の膂力なら意識を失った大人も楽に運べる。
「いいのかい?」サイラスが目を瞬いた。
「俺の提案だからな。その後は先に宿に戻っているぞ」
「分かったよ。よろしく、オルベリク」
 おそらくオルベリクが「ベイルを潰してくれ」と頼み、学者がそれに応えたのだろう。彼はサイラスの飲酒能力を十分に把握しているようだった。
 残ったエアハルトとサイラスは酒場を出るオルベリクたちを見送り、再び卓についた。
「ベイル殿はああした悩みを抱えていたのだな。私は近くにいながら、まったく気づけなかった……」
 こうして学者が暴かなければ、ベイルの内心を察することはできかっただろう。エアハルトはしみじみと感じ入る。
「たまたまだよ。彼が次に目覚めた時、どこまで覚えているかは分からないがね」
 サイラスはじっとドアを見つめながら言った。
 ふと、エアハルトは彼らを見送る時のためにとっておいた言葉を思い出した。
「……サイラス殿」
 学者が振り向く。その拍子に、結ばれた漆黒の髪が揺れた。
「なんだい、エアハルト氏」
「オルベリクのことを頼む」
 少々唐突だったのか、サイラスは首をひねった。
「私にそれを言うのかい? 私の方が世話になっているのだが」
「それでも、だ」
 オルベリクは今後ヴェルナーとの戦いを控えている。その時仲間がそばにいるのは心強い。中でも頭脳労働に秀でたサイラスは、剣士の短所を十分に補うことができるだろう。先ほどのさりげない連携からも、組んだ時の相性の良さは伝わった。双璧として肩を並べるエアハルトとはまた違う存在——互いに背中を預けることができる仲間だ。
 こちらの真剣さが伝わったのか、サイラスは神妙な顔でこくりとうなずく。
「分かった。私にできる限りの力で、オルベリクをサポートしよう」
「助かる」
 残った酒をきっちり飲み干し、サイラスは立ち上がった。賭けは建前だったらしく、ベイルの分も含めて全員の勘定を支払う。二人はそのまま外に出た。
「すまないな」
「私が払う約束だったからね。ところでエアハルト氏、これから何か予定はあるかい」
「これから? 何もないが……」
 もうあたりは真っ暗だ。予定などあるはずがない。
 すると、サイラスは信じられないことを言い出した。
「別の店で飲み直そうと思って。あなたも来るかい? 私はまだ聞きたいことがあるんだ」
 にこやかに笑う彼を前に、エアハルトは絶句した。
 オルベリクはまたもや逃げおおせたのだ。いや、彼は旅の道中逃げ場がないので、今回だけはエアハルトに押し付けたのだろう。
 酒癖は悪くないとはいえ、これはこれで大いに問題があるのではないか。だが、オルベリクの手助けを頼み、酒代まで払わせてしまった以上、逃げるわけにもいかなかった。
「……付き合おう」
 エアハルトは覚悟を決めてうなずいた。
 翌日、町を発つオルベリクたちを見送る段になっても頭痛が続く羽目になるとは知らずに。

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