守りの極意

 冷たい風をはらんだ後ろ髪が無造作になびく。
 エアハルトは斜面に張りついた急階段を上り、山頂近くの村にたどり着いた。視界に入るのは石造りの家が数軒だけ。産業は農耕に畜産――生活に必要な食糧が確保できればいい、という規模である。
 彼が長く暮らしたウェルスプリングの町と、どこか似たにおいがした。気候も人口も異なるが、共通する雰囲気があるのだ。
 槍を持った見張りの前を通り抜け、灰色の家並に近づいていく。
「こんにちは、旅人さん」
「ようこそコブルストンへ」
 さっそく村人が声をかけてきた。女性が二人、家事の合間に休憩をとっていたのだろう。エアハルトは目当ての人物が住まう家への道を尋ねた。
「まあ、オルベリクさんのお知り合いの方!」
「残念ねえ、あの人は今お留守なの。なんでもヴィクターホロウの知り合いに呼ばれたとか」
「そうだったのか」
 しまった、と顔をしかめる。この村に来たら会えるとばかり考えていたが、友人だって外出の用事くらいあるだろう。行き違ったのは、手紙で予定を知らせなかったエアハルトの落ち度だ。
 オルベリクは以前ヴィクターホロウの武闘大会で優勝したと聞く。あれからも町の住民との縁は続いているようだ。再会こそ叶わなかったが、友人が元気にしていると分かり、エアハルトは安堵した。
(不在なら仕方ない。もののついでだ、家くらいは見ていこう)
 彼は女性に教わった道をたどった。
 短い石段を上るとすぐにオルベリクの住まいがあった。何の変哲もない小さな民家だ。おそらく村人たちの好意により贈られたものだろう。
(あいつ、こんな場所に住んでいたのか)
 エアハルトは現在ウェルスプリング内の守備隊の宿舎に身を寄せているが、少し前までは砂漠にある監視所のような場所で暮らしていた。この家はあそことよく似ている。ホルンブルグが滅亡して別々の道を歩んできたはずなのに、二人が選択した人生は似通っていたらしい。彼は家を見上げて感慨にふけった。
 出し抜けに、内側から扉が開いた。思わず身構える。
「なんだ、あんたか」
 拍子抜けしたような声は予想よりも低い位置から聞こえた。伸びやかな緑の両目がこちらを見つめている。エアハルトは軽く息を呑んだ。
「お前はオルベリクの……」
「テリオンだ。あいつに何か用か」
 オルベリクの旅仲間だ。リバーフォードでヴェルナーの屋敷に突入する際はずいぶん働いてもらった、と友人に聞いた覚えがある。
 テリオンと名乗った男は、以前よりやわらかい雰囲気を醸していた。彼との関わりが薄かったエアハルトにも、その違いははっきりと伝わった。
 それにしても、どうして彼がここにいるのだろう。エアハルトと同じ目的で立ち寄ったのか。視線で探りを入れつつ、答える。
「久々にオルベリクの顔を見ようと思ったのだが、留守なのだな」
「ああ、俺が留守番をしている」
 何故……? という疑問が顔に出たのだろう。テリオンはむっと眉根を寄せた。
「頼まれたんだから仕方ないだろ。旅の途中で顔を出したら、つかまったんだ。ヴィクターホロウに行く間だけでも留守番してくれって」
「ほう」
「おかげで仕事がやりづらくて困る」
 オルベリクは、ゆうに十以上は歳が離れているだろう青年に、家の番を頼んだのか。それに「仕事」とはなんだろう。エアハルトはテリオンの生業を知らなかった。
 そのあたりをどこまで深掘りして良いものか。二人を結びつける唯一の存在がいない場で、私情に大きく踏み込むことははばかられた。
 しばし沈黙が続いた。不意にテリオンは見えないジョッキをあおるような仕草をして、
「……飲んでいくか?」
「昼間からか」エアハルトは驚く。
「ここの酒はまあまあうまいぞ」
 この若さで酒浸りとは。エアハルトは若干不安になる。素面でいるのが気詰まりなのか、もしくはテリオンなりに歓迎の意を示しただけかもしれないが。
 ここは少しだけ付き合って、一泊してから砂漠に帰るか。そう考えた時、高い空に金属音が鳴り響いた。
「魔物が出たぞ!」
 入口の方から大声が届く。先ほどの見張りが手持ちの鐘を鳴らして危機を知らせているようだ。
 この村にはオルベリクが鍛えた自警団がいる。魔物の接近に気づいたのも彼らだろう。エアハルトは腰の剣の位置を確かめ、加勢に入ろうと体の向きを変える。が、テリオンは泰然と佇んだままだ。
「放っておけ」
「だが……」
「何も問題はないさ」
 彼がこれほど悠長に構えているのは、「自分やエアハルトがいればなんとでもなる」と思っているからだろうか。
 リバーフォードを奪還した後、杯を交わしたオルベリクは「最近仲間に剣を教えている」と言っていた。相手が誰かは聞かなかったが、おそらく学者や薬師、女性陣ではないだろう。ならば消去法でテリオンしかいない。今の彼は相当な実力を持っているはずだ。自信満々な態度をとるわけである。
「……そんなに気になるなら、来るか?」
 テリオンはまったく危機感のない表情で、散歩でもするようにのんびりと歩いていく。エアハルトはその背中に従った。
 村の入口には数名の自警団が集まり、防衛ラインを固めていた。エアハルトは彼らの軍隊然とした動きに驚く。定まった指揮系統のもと、それぞれの駒が完璧に役割を果たしている。田舎の自警団とは思えない無駄のなさだ。
「テリオンさん、お疲れ様です」
 見張りの若者が挨拶した。すっかりこの村に馴染んだ様子のテリオンは、少し首を傾ける。
「どんな調子だ」
「ハイランドゴートが五頭。大したことはありません」
「すぐに片付くな」
「ええ、家畜にも作物にも被害は出しませんよ」
 若者は得意げに胸を張った。その後ろで村の外に目を光らせている男性は、自警団の長だろう。彼らが見つめる先をエアハルトも覗き込む。
 入口の階段を降りた先の踊り場で、数人の自警団員が魔物と戦闘していた。先陣を切る大男の剣さばきには見覚えがある。
(なるほど。あいつがいるなら加勢の必要はなさそうだ)
 ほどなく魔物は撃退され、無傷の自警団員が堂々と階段を上ってきた。
「おお、エアハルトの旦那!」
 角つきの兜を頭にのせた大男が、髭面に喜色を浮かべた。ガストンだ。以前同じ傭兵団に所属していた頃、剣を教えたことがある。顔を合わせるのは久々だった。
「お前はこの村の用心棒になっていたのか」
「オルベリクの旦那に負けちまってから、心を入れ替えたんですよ」
 ガストンは陽気に笑った。この男の事情もオルベリクに聞いていたが、自警団として村に居着いていることまでは知らなかった。見れば、他の団員にも傷のある顔が混じっている。どうやら山賊時代の部下らしい。
「団長、討伐完了です」
「ご苦労だった」
 ガストンの報告を受けて、控えていた自警団長が重々しくうなずく。テリオンはその様子を無表情で眺めていた。
 自警団は即座に解散して通常の体制に戻った。エアハルトはガストンにこっそり尋ねる。
「この村は……一体何があったんだ?」
 声に不審感があらわれていたのだろう。ガストンは笑いながら説明した。
「オルベリクの旦那は、山賊だった俺たちが村を襲う前から、軍隊仕込みのノウハウで自警団を鍛えてましてね」
「それがここまでしっかり組織されたのは、サイラスの……学者先生の入れ知恵だな」
 テリオンがさりげなく付け加えた。
 あの学者の仕業か。エアハルトは得心がいく。リバーフォードでも彼の頭脳には助けられたものだ。
 旅の途中でここを訪れたサイラスは、オルベリクに頼まれて自警団の体制を一から見直した。巡回の際に注意すべきポイントの洗い出し、見張りと本隊の連絡方法、いかにしてすばやく団員を集合させるか――彼は不文律で定められていた事項を文章に書き出し、山賊を取り込んで大きくなった組織を運用する方法を整理した。そのおかげもあって、今や自警団はウェルスプリング守備隊もかくやという組織に育った。もはや山賊などでは相手にもならないだろう。
「オルベリクも学者殿もよく考えたものだな。少々やりすぎな気もするが」
「こういう場所で働けるのは、気持ちのいいもんですよ」
 満足気に相槌を打ってから、ガストンは「また後でゆっくり話しましょうや」と言って持ち場に戻る。その背を見送り、テリオンはくすりと笑った。
「オルベリクは留守の間、村のことが心配になって俺を引き止めたようだが……絶対に必要なかったよな」
 いやに実感のこもった言葉だ。村に来た当初は、彼もエアハルトと同じように自警団の強さに圧倒されたに違いない。その発言に同意した後、話題を変える。
「そういえばテリオンは一人で旅をしていたのか」
 名を呼ばれたことに驚いたのだろう、青年は軽く目を見開く。
「ここに来るまではな。それより前は――別のやつといたが」
 彼は何故か言葉を濁した。
 その返事に納得する。オルベリクがテリオンをここにとどめた理由は、村の守りを考慮しただけではないのだろう。
 きっと友人のことだから、根無し草のテリオンをかつての自分と重ね合わせて心配していたのだ。そのため不器用ながら世話を焼いて、家の留守番を任せた。実際、この村で暮らすテリオンはくつろいだ顔を見せていた。
「オルベリクは守りを固めるのが本当にうまい」
 エアハルトがぽつりとこぼすと、テリオンは不思議そうにこちらを見返した。
 コブルストンの自警団は、オルベリクの振るう「守るための剣」が極まったものだろう。彼はかつてホルンブルグ王の助けに間に合わなかった反省からか、自分がいなくても成り立つ守備体制を整えたのだ。
 さらにオルベリクは、山賊のように行き場のない者たちの居所をつくった。それこそが、本当の意味で「誰かを守る」ということかもしれない。
(そうだ。私もあの日、リザードマンの巣窟でオルベリクに居場所を与えられた一人だった……)
 山々のはるか向こうにある、砂にまみれた遺跡に思いを馳せる。心に染み入るものを感じたエアハルトは軽く剣の柄を叩き、手持ち無沙汰にしているテリオンに話しかけた。
「今晩はガストンも誘って酒場に行こう」
 酒好きの青年はにやりとした。
「それがいいな。あんたにはオルベリクの旦那に関する面白い話を期待してる」
「任せてくれ。ネタはいくらでもあるぞ」
 エアハルトは唇をほころばせた。
 その夜、それぞれの居場所を持つ三人は、共通の友人の思い出話で大いに盛り上がった。

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