授業の終わり、家路のはじまり



「父さん、母さん……!?」
 クリスの目の前には半透明になった家族がいる。二人とも、とうの昔にこの世を去ったはずだった。
 八人の旅人たちによって魔神ガルデラは倒された。おかげで気がついた時には奪われた体が元に戻っていた。クリスも皆も立って歩けるだけの体力が残っていたので、一刻も早く門の中から出るべく、儀式の行われた祭壇を降りようとした矢先のことだ。
 突然現れた父親は、十年前に別れた時そのままの姿をしていた。懐かしい旅装をまとって、妙に清々しい顔をしている。病に倒れたはずの母親は、クリスもほとんど見たことのない健常な姿で静かにほほえんでいた。
 思わず駆け寄ったが、手を伸ばすことはためらわれた。彼らの体は向こう側が透けている。やはり二人は魂となってしまったのだ。
(でも、こんな闇の底で、旅路の果てに会えるなんて……!)
 込み上げた思いが喉を塞ぎ、なかなか声が出せない。
「クリス……大きくなったな」
 父親のグラム・クロスフォードは目を細めた。今のクリスは父親の知る頃から別人のように成長を遂げた。それでもグラムは息子として認識してくれたのだ。
 感極まって何も言えずにいると、グラムは祭壇の下にいる旅人たちに視線を転じた。
「運命とは分からぬものだ。私のあの旅も無駄ではなかった……今はそう思える。あなた方の旅があったからこそ、オルステラの大地は救われた」
 彼は深々と頭を下げる。
「本当にありがとう」
 八人はなんだか照れくさそうにしていた。アーフェンが泣いているのが見える。グラムに憧れて薬師になったという彼は、本当にいい人だ。トレサは目をうるうるさせ、一方のハンイットは複雑な面持ちで唇を閉ざしていた。
 魔神は倒され、大陸を脅かす存在はいなくなった。本来ならばこの上なく感動すべき場面なのだろう。だが――
(そうじゃないだろ)
 それはクリスが父親に求めていた言葉とは違った。
 むずむずした気分で半透明の横顔を見つめる。グラムはもう一度こちらに向き直った。
「クリスよ、私たちの分までお前は生きてくれ」
「え、あ、うん……」
 母親も同じように満足げな表情を浮かべている。そのまま二人の体は薄れていった。今のが最後の言葉だったのか、と驚く間もない。思わず伸ばした手は空を切った。
 ――その命尽きるまで、全力で生きろ。
 瞬きの間に父母は消えていた。祭壇にはクリス一人が取り残される。
「クリス」
 誰ともなしに名前を呼ばれ、きっぱりと顔を上げた。
「……行きましょう、みなさん」
 下で待つ旅人たちは大きくうなずいた。クリスは短い階段を降りながらこぶしを握る。
 やっぱり、父さんには文句の一つも言いたかった……!



 翌朝はすっきりした目覚めを迎えた。
 ここはハイランド地方の奥地、フィニスの門の前だ。クリスたちは殺風景な谷間に天幕を張って一晩を過ごした。
 こういう野営にも慣れたものだ。今回は旅芸人をしていた頃よりも天幕の人口密度が低いので、過ごしやすかった。
 クリスはのそりと体を起こす。男性陣の天幕の中ではアーフェンとオルベリクが泥のように眠りこけていた。相当疲れていたようだ。一方でサイラスとテリオンの寝袋は空だった。どこに行ったのだろう?
 二人を起こさないように注意しながら軽く身支度を整え、外に出る。きんと冷えた空気を吸うと、肺が清らかになった。クリスは谷間にそびえる石の門を見上げる。
(よし、ちゃんと閉まってるな)
 扉の合わせ目はぴったりと塞がっていた。昨日はサイラスや魔大公の教えを受けながら儀式を行った。我ながらいい封印具合である。
 うーんと大きく伸びをしていると、隣の天幕の入口が開いた。
「おはようクリスさん、体は大丈夫?」
 白いワンピースをまとったトレサははつらつとした声を響かせた。さすが商人、朝に強い。
「おはようございます。ここ最近で一番元気ですよ。昨日この体で大暴れしたからですかね?」
「えー? あはは」
 割と本気の発言だったが、トレサは笑って流した。
「今ね、当番のハンイットさんが朝ごはんつくってるわよ! 男の人たちはまだ寝てるの?」
「みなさんぐっすりでしたよ」
「あれだけ戦ったら無理もないわよね……あたしはみんなに守ってもらったからなあ」
 クリスははっきりと戦いの様相を覚えていないが、オルベリクやアーフェンが体を張って動いたであろうことは容易に想像がついた。天幕の中の停滞した空気を思い出し、ふとあごに手をやる。
「そういえば、サイラスさんとテリオンさんの姿が見えませんでした」
「へえ、珍しいわね」
 サイラスの体調は回復したのだろうか。彼は門の封印が終わった途端にふらりと倒れた。あの時はびっくりしたし、すかさずテリオンがやってきて学者の体を支えたことにも二度驚いた。
「きっと散歩でもしてるのね。二人一緒なら大丈夫かな」
 トレサはひとつうなずいて、「あたしは近くの沢で水汲んでくる!」とぱたぱた駆けていく。それを見送ったクリスは朝食の手伝いに赴くことにした。
 ハンイットは少し離れた場所に設けられた即席の煮炊き場で立ち働いていた。クリスが近づくと、足元にいたリンデがいち早く気づいて喉を鳴らす。雪豹の頭をなでてからハンイットの隣に立った。
「おお、クリスか。おはよう」
 彼女は笑顔を見せる。
「あなたは手先が器用だから、任せたいことがたくさんあるんだ」
「喜んで!」
 クリスは旅芸人一座でこういう雑用を進んでこなした。芸事が苦手だった分、別方面で役に立とうと考えたのだ。座長たちも元気にしているといいな、と思う。きっと心配をかけただろうから、後で手紙を書こう。
 ハンイットはてきぱきと荷物から食材を取り出していく。一体どこに仕込んでいたのか、と尋ねたくなる量と品揃えだ。
「保存食、たくさんありますね」
「サイラスが計算した分を持ってきたんだ。狩りでも戦いでも、食料がなくては元気が出ないからな」
 なるほど、いつでもおいしいごはんを食べられる安心感こそが、彼女たちの強さの秘訣かもしれない。
 ハンイットの指示に従って野菜を切っていると、オフィーリアがやってきた。
「おはようございますクリスさん。アーフェンさんが呼んでいましたよ。念のためお体を診ておきたいそうです」
「あ、分かりました」
 ほほえんだオフィーリアはさっとクリスと入れ替わり、ハンイットの補助に回った。その気遣いに恐縮しながら男性陣の天幕に行く。
「クリス、ずいぶん早起きじゃねえか」
 寝袋が片付けられて広くなった場所で、アーフェンがにこやかに迎える。彼はクリスの服の袖をまくって肌を観察したり、道具を使って心音を聞いたりした。
「うーん、本当に元気そうだな。どこもおかしくねえんだよな?」
「はい、ぴんぴんしています」
「そりゃあ良かった」
 その横を、身支度を整えたオルベリクが剣を持って通り抜けようとする。すかさずアーフェンが声をかけた。
「待てよ旦那! あんたも結構怪我してたろ、ついでに診とくぜ」
「む……そうだな、助かる」
 オルベリクはクリスが譲った場所にどっかりと座り込んだ。彼が武器を携えていくということは――
「もしかして、こんな日でも鍛錬するんですか?」
「日課だからな」
「一応、今日みたいな日はメニューを軽くするんだよな。しっかり休むのも仕事のうちだぜ」
 それは、かつてホルンブルグの騎士だった彼がこの崖上の戦場を駆けた時から変わらない習慣なのだろう。フィニスの門の存在はかの国が滅びる原因になったというから、彼には思うところがあるようだった。
 アーフェンは丁寧にオルベリクの体をもみほぐしていく。クリスがその様子を興味深く眺めていると、
「みんなー、ごはんの準備できたわよ!」
 トレサの声に誘われて、三人は天幕を出た。アーフェンは頭の後ろで手を組む。
「悪ぃな旦那、鍛錬の時間なくなっちまった」
「食事の後に少し時間をおけば問題ないだろう」
「だな。そしたらテリオンも誘えるし」
 二人はテンポよくやりとりする。その背中を、クリスは小さな充実感とともに追いかけた。
 煮炊き場の近くの地面には敷布が広げられていた。ハンイット、トレサ、オフィーリアが料理の盛られた木の器を並べていく。集まったメンバーを見てクリスはきょとんとした。
「プリムロゼさんは?」
「あいつ朝遅いからなあ」
 アーフェンの発言と同時に女性陣の天幕が開いた。オフィーリアが目を丸くする。
「おつかれですね、プリムロゼさん」
 髪を解いた踊子がのそりのそりと歩いてくる。かつて旅芸人一座で数日間寝食をともにしたが、その時にはまず見られなかったくだけた姿だ。彼女はがくりと肩を落とす。
「もう野宿はいいわ……肌がボロボロよ。アーフェンあとで美容液お願いね」
「あいよ」
 アーフェンは笑いながら応じた。
 全員で車座になる。それでもまだ二人足りない。
「サイラスさんとテリオンさんは……?」
 クリスがきょろきょろした時、
「みんな、おはよう」
 高らかに靴音を鳴らす学者と、ほとんど無音の盗賊が崖の方面からやってきた。心配に反してサイラスは元気そうである。
 プリムロゼが唇を尖らせた。
「どこに行ってたのよ、先生」
「散歩だよ」
「ふうん。テリオンと一緒にねえ……」
 踊子の鋭利な視線を浴びて、盗賊は肩をすくめた。
 学者と盗賊はなんだか当たり前のように隣にいる。クリスは詳細を知らないけれど、いつかノーブルコートで見かけた時よりもずいぶん仲が良さそうに見えた。それは過ごした時間の長さがなせる業だろう。クリスの旅にはなかった、仲間という概念だ。
 サイラスがこちらを見て眉を上げた。
「クリス君、具合は良さそうだね」
「みなさんのおかげですよ」
「待てサイラス、先に朝ごはんにしよう」
 長話を見越したハンイットに機先を制され、学者は「おっと」とつぶやく。彼は一足先に腰を下ろしていた盗賊の横に座った。
「それじゃあいただきます!」
 トレサが真っ先に歓声を上げて皿に手を伸ばした。
 各人には切れ込みの入ったパンが配られた。その中に、皿に盛られた好みの具材を挟んで食べる形式だ。軽く炙られたパンの表面を押さえると、ぱちりといい音が立つ。具材は色とりどりの野菜に獣肉など、多岐にわたった。
「おいしそうですね」クリスはさっそく薄切りの燻製肉を選んだ。
「パンもまだまだあるし、甘いジャムも用意しているぞ」
 ハンイットが言うと、「ジャムは昨日死ぬほど舐めたな……」とテリオンが苦い顔になる。きっとあの戦いでブドウやプラムを山のように消費したのだろう。クリスはくすりと笑った。
 サイラスはチーズを挟んだパンを食べて満足気にうなずいた。次いで、溢れんばかりに具材を盛った商人に目をやる。
「トレサ君、それでは中身が落ちてしまうよ……あ」
 ぽろりとこぼれた葉物野菜を、トレサはすかさず空中で掴んで再びパンに載せた。
「行儀が悪いぞトレサ」狩人が眉をひそめると、
「ごめんなさい。ハンイットさんの用意した具がおいしくて、全種類食べたくなっちゃったの」
「そ、そうか……」
「ハンイット、あなた流されかけてるわよ」
 プリムロゼから鋭い指摘が飛んだ。オルベリクが小さく肩を震わせる。
 アーフェンはハムがはみ出たパンをほおばり、物足りなさそうに水を飲む。
「うめえけど、こういう時はやっぱり酒がねえとな~。なあ先生、ファストトラベルでさくっと移動できねえの?」
「私、エバーホルドで打ち上げなんて嫌よ」
 間髪入れずにプリムロゼが答え、サイラスが苦笑した。つまり現在はエバーホルドに魔法陣の出口があるのだろう。あらかじめ帰還用に準備していたに違いない。おそらく今のクリスならサイラスよりも自在にファストトラベルを使いこなせるだろうが、議論の推移が見たいので黙っていることにした。
 ごくんとパンを飲み込んだトレサが身を乗り出す。
「えー、さっさと帰ったらもったいないわよ! だってみんなで一緒にいられるのも、もう……」彼女は急に顔を歪めた。
「わたしもトレサさんに賛成です。歩いて戻りましょう」というオフィーリアの発言に、
「酒浸りの意見は無視に限るな」
 さりげなくテリオンが同調した。アーフェンがじと目になる。
「言ったなテリオン。あんた酒いらねえのかよ」
「は? 飲むに決まってるだろ」
「やはりそういう気分なのだな」オルベリクが軽やかに笑う。
「そうだ、酒が飲みたい気分だ」
 こう言うテリオンはよほど酒が好きなのだろう。もしくは、皆と一緒に飲むこと自体が好きなのかもしれない。
 クリスは酒にあまり興味を持てず、今までほとんど口にしたことがなかった。だが、こうも声高に主張されるとだんだん気になってきた。
「……僕も飲んでみようかなあ」
 すかさずトレサが口を挟む。
「やめといた方がいいわよ、アーフェンみたいになるから」
「どういう意味だよ!」
「僕、アーフェンさんみたいになりたいですよ。薬師ってかっこいいですよね」
 こう答えると、アーフェンは照れくさそうに鼻の下をこすった。
「そりゃあグラムさんの……あんたの親父さんの背中を追っかけてきたからな」
 彼の発言を聞いて、唐突に昨日の光景がフラッシュバックした。喉にパンがつかえる。
 クリスの旅の目的だった父親は、もう絶対に手の届かない場所に行ってしまった。魔大公に言われてある程度覚悟はしていたけれど、事実を突きつけられるとそれなりに響くものがあった。
「クリス……」
 不自然に黙りこくった彼に、まわりの視線が集中する。クリスはゆっくりとおもてを上げた。
「……僕ってどこにお墓参りに行けばいいと思います?」
「えっ」
 オフィーリアが目を瞬く。クリスは皿にパンを置き、指折り数えた。
「アーフェンさんがオアウェルに父さんの墓を作ってくれたんですよね? それで、サンランドの遺跡でハンイットさんが赤目を鎮めてくれて……。でも魂はこの門の中にあるみたいだし、母さんの墓はボルダーフォールだし……僕はどこに行くのが正解なんでしょう?」
 父親が各地に痕跡を残したおかげで、ただの墓参りが相当難しい事態になっている。これが地味にクリスの頭を悩ませていた。
「……クリス、そのあたりでやめてやれ。二人がダメージを受けている」
 テリオンに言われて頭を持ち上げ、ぎょっとする。アーフェンが涙目になり、ハンイットが食器を握りつぶさんばかりの形相になっていた。
「ご、ごめんなクリス……! 俺なんも考えねえで墓つくっちまって……」
「あなたはここで待っていろ。魔物を使って徹底的にグレイサンド遺跡を調べてくる。何かグラムさんのゆかりのものが見つかるかもしれない」
 クリスの発言は二人の情緒を妙な方向に刺激してしまったらしい。慌てて手を振った。
「あ、いえ、お二人が気にする必要はないんですよ! だって元はと言えば全部父さんが悪いんですから。家族に何も話さないで、一人で行動して大陸中に迷惑をかけてますからね。本当にどうにかして欲しかったですよ。
 父さんが魔術師のことや魔神のことをちゃんと僕たちに説明していたら、今回の件はほとんど防げていたと思いませんか?」
 旅人たちは互いに視線を交わした。プリムロゼが真顔で大きく首肯する。
「さすがは身内、容赦がないわね」
「クリスさんのお気持ちも分かりますが……」
 ぎこちなくほほえむオフィーリアの隣で、サイラスが首をかしげた。
「テリオン、何故こちらを見るんだい?」
「まわりにろくな説明をしないで突っ走るやつが、どこかにいたなと思って」
 この当てつけのような発言は、まさかサイラス自身を示しているのだろうか? 賢い彼がそんなことをするなんてクリスには信じられなかったが、仲間たちがしきりに相槌を打っているのでどうやら事実らしい。
 それはそれとして、やはり父親の所業は許しがたい。これだけ多くの人を巻き込んだのに、何やら満足そうに消えていったことも、クリスの「ずるい」という気持ちに拍車をかけていた。
 もやもやした思いを抱える彼に、トレサがにこりと笑いかける。
「あのねクリスさん、あたしたちはグラムさんに迷惑かけられたなんて思ってないわよ」
「そのリボンに込められた思いと同じように、私たちは彼の旅路に結び付けられたのだからね」
 サイラスが示したのはクリスが身につけたシャットアウトリボンだ。周囲から注がれる旅人たちのまなざしが、心に清涼な風を吹かせた。クリスは見慣れた群青色のそれをそっと握る。
(父さんは消える前に『自分の旅も無駄じゃなかった』って言ってた。もしかして、一度は旅を後悔したのかな……)
 無念を抱えて倒れたグラムにとって、魔神打倒を果たした旅人たちの存在は救いとなったのだ。だからこそ、あの場では謝罪ではなく感謝をした。それでも一言くらい謝ればいいのにとクリスは思ったが、旅人たちは気にしていないようなので「……みなさんがそう言うなら」と水に流すことにした。
 いつしか木皿の上からパンと具材がなくなっていた。胃がほどよい重さを感じている。
 丁寧に口元を拭い、オフィーリアが唇を開いた。
「クリスさんはこれからどうされるのですか?」
「そうですね、まずはボルダーフォールに帰ろうと思います。その後は……何しようかなあ」
 墓参り候補地を巡ってみてもいいかもな、とぼんやり考えていると、サイラスが人さし指を立てた。
「それならアトラスダムに来ないかい? 本物の魔術師の数百年ぶりの再来だ。しかも守護神と対話した実績があるなんて、何を取っても話題の的だよ。キミが望むなら王立学院の生徒になれるよう口利きをしてもいいよ」
「へ」
 驚いたクリスが言葉に詰まると、アーフェンが慌てたように声を上げる。
「え、え、クリスは親父さんを継いで薬師になるんだよな!? 俺で良ければいろいろ教えるぜ! オーゲンだって喜ぶと思うし、ていうかむしろそうさせてくれ」
 今度はテリオンがさっとクリスの前に手を出して、
「馬鹿を言うな、こいつは俺の舎弟にする」
「盗賊にしちゃうの!? それなら絶対商人の方がいいわよ!」
 トレサまで話に乗ってきた。呆然とするクリスの前で、何故か彼らは「私が」「いいや俺が」と騒ぎはじめた。
「えーっとみなさん……?」
 おずおずと声をかければ、口論する四人をよそにオフィーリアが笑みをつくる。
「クリスさん、教皇聖下にぜひ門の中でのことをお話ししていただけませんか? 聖火の持つ力についてお伝えしたいのです」
「え、僕が教皇様に……!?」
 戸惑うクリスを、今度はハンイットが森の色の瞳で覗き込む。
「あなたはいつかまた旅をするのだろう。シ・ワルキのそばを通ったらぜひ寄ってくれ。あなたに負けないよう、わたしも新しいレシピを考えておく」
「ノーブルコートにもね。特別にタダで私の踊りを見せてあげてもいいわよ」
「何かあればコブルストンに来たらいい。俺で良ければ困りごとにも力を貸そう」
 積極的に論争に加わらない踊子や剣士も次々と未来の提案をした。
「ええと、僕は……」
 クリスが目を白黒させているうちに、あちらの勝手な言い合いにも区切りがついたようだ。
 テリオンは肩の力を抜いて振り返った。緑のまなざしが穏やかに投げかけられる。
「ずいぶん勝手なことを言ったが……お前にはお前の道がある。好きなようにしたらいい」
「キミはその分だけ生きていくのだろう?」
 サイラスが言葉を引き継ぎ、ほほえんだ。
 彼らは己の道にクリスを引き込もうと考えていたわけではない。目的を失った彼にいくつもの可能性を提示して、視野を広げる手伝いをしたのだ。
「……はい!」
 旅人たちの意図を正しく理解したクリスは満面の笑顔になる。父親の旅が発端となった大切なつながりは、クリスに新たな門出をもたらした。
 そう、自分の前にはどんな道だって開かれているのだ。


「輝く平原の物語」裏話 その1 / その2

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