炉端の易者

「スサンナさん、みんな。……行ってきます」
 弓を肩に担いだ狩人が、きりりと表情を引き締めて宣言する。その足元で、相棒の雪豹が黄金の瞳を目一杯に開いた。
 師匠を救うために石化を解除する薬草を求める彼女は、これからスティルスノウを出て白き森に赴く。付き添うのは商人、剣士、盗賊の三人だ。
「あたしたちでいっぱいヘンルーダとってくるからね!」商人は元気いっぱいに手を振り上げ、
「暗くなる前に戻る」
 剣士は泰然と腕組みして、盗賊は無言かつどこか不服そうに、占い師の屋敷を出ていった。この家の用心棒であるアレークも道案内についていく。
 今回の出動メンバーは狩人が選んだ。魔物の住む森ということで、彼女なりの基準で判断したのだろう。誰からも文句は出なかった。
 玄関先で五人と一匹を見送った占い師スサンナは、くるりと室内を振り返る。
「で、あんたたちは残るんだね。てっきり全員で行くかと思ったが」
 彼女はフードの陰で愉快そうに眉を上げた。屋敷に残った踊子が肩をすくめる。
「大勢で行って下手に魔物を刺激する必要もないでしょ。それに、凍った湖のそばなんて寒そうな場所は勘弁よ」
「ハンイットさんたちなら、心配しなくても無事に戻ってきます」
 神官が胸の前で指を組み合わせ、大きくうなずいた。その隣で薬師が後頭部に腕を回す。
「ヘンルーダって珍しい薬草なんだよな。ちょっと見たかったな……。サイラス先生もそうだろ? 話聞いただけであんなに興奮してたし」
 唐突に水を向けられ、目を瞬く。
「そうだね。自生した状態をじっくり観察したかったが……」
 ちらりと視線をやると、占い師が訳知り顔でうなずいた。
「選ばれなかったなら仕方ないさ。さて、あんたたちはこれからどうする? ハンイットの帰りをここで待つのかい」
 老婆の申し出に、神官が首を振る。
「いつ戻られるか分かりませんし……あまり長居をするのは申し訳ないです」
「私は宿で休みたいわ。ここまで急いで雪道を歩いてきて、そのまま屋敷に上がり込んだのよ? もうへとへとよ」
 踊子が堂々たる態度で述べた不平のとおり、こちらの体にも重い疲労が溜まっていた。なるほど、狩人は消耗が少ない者たちを選んで連れて行ったのかもしれない。
 仲間を見送った時と同じ位置に突っ立っている四人に対し、占い師が不満げに唇を突き出す。
「つれないねえ。一人くらいは年寄りの話し相手になっておくれよ」
「あ、じゃあ俺が――」
「アーフェン君、ここは私に任せてもらえないか」
 とっさに割り込むと、薬師が目を丸くした。
「お、おう? そりゃあ構わねえけどよ」
 台詞の後に省略されたのは「何故」という問いだ。説明が足りなかったと判断し、理由を重ねる。
「スサンナさんの占いは優れた洞察力の賜物なのだろう。ぜひその秘訣を聞きたいんだ」
 静かに力を込めて言えば、薬師たちは「あ、なるほど」「またサイラスの悪い癖がはじまったわね……」とそれぞれに合点して引き下がる。神官が苦笑した。
「それではサイラスさん、わたしたちは宿で待っていますね」
「ああ。先にゆっくり休んでくれ」
 神官、踊子、薬師の三人は占い師に軽く頭を下げてから去っていった。先ほどまでにぎやかだった屋敷はしんと静まり返り、暖炉で薪の爆ぜる音ばかりが響く。
 占い師はこちらに椅子をすすめ、自分は水晶玉の置かれたテーブルを挟んで向かい側に座った。次いで、にやりと笑う。
「あんた、あんまり言い訳がうまくないね。せっかくわたしが助け舟を出したのに」
「すみません……」
 彼女と一対一になるための発言だったが、指摘どおりいささか強引な話の運びになったかもしれない。幸い、薬師たちは納得したようだが。
 占い師が目を細める。
「ところで、この間あんたが来た時に言ってた『黒曜館に忍び込んだ仲間』っていうのは、さっきの踊子さんだね」
「そうです。……よく分かりましたね」
 己は過去に一度、この屋敷で占い師に会っている。しかしそのことは仲間に告げておらず、今回は互いに初対面の素振りをすることになった。
 その「一回目」は、ノーブルコートで姿を消した踊子を追いかけてこの町にやってきた時のことだ。彼女が向かった黒曜館の位置がどうしても分からず途方に暮れかけ、不意にこの屋敷の存在を思い出した。一人で訪ねて事情を説明すると、占い師は秘密の館の座標を記した地図をあっさりと出してきたのだ。
 彼女は椅子の背もたれに体重を預ける。
「噂はいくらでも聞こえるさ。にしても、この町から黒曜会がいなくなってせいせいしたよ。あの踊子さんにも感謝しないとね」
「確か、スサンナさんは黒曜会に命を狙われていたのでしたね」
「昔の話だよ。灯台下暗しって言うけれど、近くにいたら案外気づかれないものさ。
 で、辺獄の書の件だが……まだ手がかりは何もないよ」
 軽く身を乗り出した占い師の目が鋭く光る。スムーズに本題に移って、こちらも気を引き締めた。
「そうですか。私は一つ見つけました」
 鞄から一冊の本を取り出し、机の上に置く。占い師は枯れた指でぱらりと本を開いて、すばやく情報を拾い上げた。
「ふむ、これは……辺獄の書のごく一部分の訳本ってところか。どこで手に入れたんだい」
「実は――」
 クオリークレストで起こった事件をかいつまんで報告した。鉱山労働者の失踪事件の犯人が、辺獄の書の訳本を元に怪しげな実験をしていた、と。
「なんだか都合がいいねえ。もともとクオリークレストには知り合いに本の情報を聞きに行くって話だっただろう。そこで別の手がかりが見つかるなんてね」
「確かに……運は良かったと思います」
 占い師の示唆した思わぬ可能性に、あごをつまんで思考にふけった。訳本の入手に誰かの作為が働いていた――まったくありえないわけではない。彼女は本を閉じて表紙に手を置く。
「あんたはこの本を手がかりに、どう動くつもりなんだい」
「材質からして、これはストーンガードでつくられたものでしょう。あそこで製本工房を探してみます」
 クオリークレストの先輩とともに本の材質を検証した結果、紙の産地が判明した。だから捜査の方向性は間違っていないと思うが、占い師はどう判断するだろう。
 久々に試験を受けるような心地で裁定を待つ。彼女はにやりとした。
「わたしも同じ見解だ。ストーンガードで次のヒントが見つかるかどうかは分からないが、健闘を祈るよ」
「ありがとうございます」
 ほっとした。差し出された訳本を再び鞄にしまう。
 この占い師と接点を持ったのは、ウォルド王国に紹介されたからだった。辺獄の書を探すにあたって「スティルスノウに王国の協力者がいる」と言われたのだ。
 最初に彼女と会った時は踊子の件に集中していたこともあり、正体に気づかなかった。しかし先輩に指摘され、かつて王国にスサンナ・グロトフという高名な学者がいたことを思い出した。豊富な知識に裏打ちされた洞察力にもうなずける経歴だ。
 そんな彼女でも、辺獄の書の行方は分からないという。改めてこの旅の厄介さが身にしみた。
 占い師がテーブルの上で指を組む。
「それじゃ、ハンイットが戻ってきたら次はストーンガードを目指すってことかい? 石化したザンターの坊やを見つけたのはあそこの森だってのに、また行かないといけないんだね」
「他の仲間の都合もありますから。緊急の用事がなければ、次はウェルスプリングに行く予定なので、ストーンガードにはその前に寄るつもりです」
「大人数だと大変だねえ。ああ、でもストーンガードで製本工房を探す時は人海戦術が使えるか」
「いえ、私一人で調べます」
 その返事に、占い師は何故か眉をひそめた。
「……仲間に手伝ってもらえないのかい?」
「辺獄の書についてはみんなに話していないので、そもそも協力を頼まないだけです」
 という返答に彼女はますます眉間のしわを深くする。
「それはあの本の存在が国家機密だから? だとしても、うまいこと誤魔化せばいいだろう。だいいち、ハンイットの目的はみんなで手伝っているじゃないか」
「赤目の生態が謎に包まれている以上、彼女の旅路には多くの人の助けが必要でしょう。それに引き換え、基本的に私の目的は本の行方を調べるだけですから」
 クオリークレストでは思わぬ事件もありましたが、と付け加える。占い師はしきりに首をひねっていた。
「あんた、難儀な性格だってよく言われないかい?」
「……言われるかもしれません」
 仲間や先輩からそれに近い言葉はもらっていた。つまり、占い師も同じことを言いたいのだろう。
(スサンナさんは、私が一人で辺獄の書を探すことに難色を示しているのか……?)
 困惑しながら自分の発言を思い返すうちに、ひとつ事実に反する説明をしたことに気がついた。
「そういえば、今の同行者のうち一人は私の目的を知っています。辺獄の書の名前は出していませんが、本集めを手伝ってもらっています」
「へえ、誰に?」
 占い師が急に前のめりになり、こちらはわずかに体を引く。自然と下がった視線が、よく磨かれた水晶玉に吸い込まれた。
「テリオン君という……紫の外套を羽織った青年です」
「あの盗賊みたいな男か」
 思わず目を見開く。初対面で彼の生業を見抜く者は今までほとんどいなかった。「神出鬼没の盗賊」という異名を持つ彼は、常日頃から普通の旅人に見えるように注意してふるまっていた。
「どうして盗賊だと分かったのですか?」
 占い師はくつくつと笑う。
「油断がなさすぎるんだよ。それだけならあの剣士もそうだが、盗賊はうちに入った途端に値踏みするように中を観察していたからね。残念ながらうちにあるのはがらくたに本ばかりだから、がっかりしていたみたいだよ」
 なるほど、それは盗賊の職業病だ。もし占い師の用心棒に知られたら相当警戒されそうな話である。
「それにしても、あの盗賊だけに協力してもらうなんて意外だね。そんなに信用の置けるやつなのかい?」
「その点は問題ありません。それに、彼の助けを借りることについては、いろいろと事情がありまして……」
 フラットランドで彼と再会した時に己があの取引を持ちかけたのは、レイヴァース家当主にあることを託されたのがきっかけだ。それに、盗賊だからといって信頼に値しないわけではない。事実、彼は引き受けた仕事はきっちりこなす人物だった。
 その時、記憶の隅に押し込めていた疑問がふっと浮上した。この占い師なら、何らかの答えを見つけてくれるかもしれない。
「……信用の有無とはまた別の話ですが、以前彼がよく分からない行動をしたことがありました」
「ふうん? 話してみなよ」
「この前、クオリークレストで起こったことです」
 かの鉱山の町にて、己と盗賊を含む四人は、地下水道で怪しい実験をしていた失踪事件の犯人を追い詰めた。しかし、犯人は確保される寸前に水路へ飛び込んでしまった。事件の証拠――おそらく辺獄の書が関わっている――を抱えて逃げるつもりだろうと判断して、自分もとっさに水に入った。そこまでは良かったが、何故か盗賊まで後を追ってきたのだ。水路は急流で、溺れる危険があったにもかかわらず。
「岸に上がってからテリオン君に『心配してくれたのか』と聞きましたが、否定されました。なので、彼の行動には別の理由があったのでしょう。確かに彼とは互いの旅路を手伝う取引を結びましたが、あそこまでするとは思わなかったので、驚きました」
「そりゃ、あんた……」
 どういうわけか占い師は絶句した。しばらくしてから、ようやく「いい仲間を持ったもんだね」と声を絞り出す。
(仲間、か……)
 客観的に見れば、リスクをおかして他人を助ける行為は、単純に友誼によるものと考えられるだろう。だが――
「仲間だから、ではないはずです。私はテリオン君の仲間には含まれていませんから」
「ほう。どうしてそう思うんだい?」
「彼の態度がはっきりと示しています」
 ノーブルコートで赤竜石を手に入れた時に抱いた直感は、時間が経つにつれて確信へと変わっていった。自分が盗賊と仲間になることは今後もないだろう。それでも別に問題はなかった。仲間でなくともあの取引は果たすつもりだ。
 長い沈黙があった。こちらがじっと見つめる先で、占い師は水晶玉に手をかざすような素振りをした。
「……これから言うのは、年寄りの余計なおせっかいだよ」
「はい」背を正して耳を澄ます。
「あんたはね、まず自分がどう思ってるのか、ちゃんと考えた方がいい」
 水晶玉から外された手が、こちらの胸のあたりを指さす。自分もそこに目を落として、首をかしげた。
「常に考えているつもりですが、まだ足りないということですか」
「そうだよ。それに、考えるのは『嬉しい』とか『悲しい』とか、そういう気持ちの方だからね」
「はあ……」
 まるでぴんと来なかった。とどのつまり、占い師は「クオリークレストで盗賊の行動を目の当たりにした時、驚きの他にも何かを感じたのでは」と指摘しているのか?
 彼女は肩をすくめる。
「まあ、あんたの抱える問題とは別に、その盗賊がずいぶん子どもっぽいやつだってことはよく分かったよ」
「えっ」と声が漏れる。どうしてそうなるのだろう。もしや、こちらの言葉が足りずに占い師を勘違いさせてしまったか。続く説明は抗議のような調子になった。
「私はそうは思いません。テリオン君は立派な大人です。彼は自分で集めた仲間たちを率いて旅をしてきました」
「ほう。それにあんた自身が含まれていない、っていうのはおかしくないかい?」
 うまく反論できず、唇を閉ざすしかなかった。
(だが、それが事実なんだ……)
 噛み締めた言葉が氷の破片になって、胸の奥を刺した。過去に同じような感覚を得たことがあった気がしたが、いつだったか思い出せない。
 黙ったままでいると、占い師が眉を下げ、口調を和らげた。
「あんたはまだまだ若いんだから、変に悟ったような口をきかなくてもいいんだよ。存分にもがけばいいさ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
 微笑が漏れた。確かにこの占い師に比べたら、自分は若造もいいところだろう。
 カーテン越しに差し込む外の光が弱まってきた。これ以上長居しては占い師に負担をかける。宿で待つ仲間も心配するだろう。
 そろそろ帰りますと言って、椅子から立ち上がった。玄関扉を開ける前に占い師を振り返る。
「またいつか、占っていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろん。悩める若人の相談なら、いつでも歓迎しているよ。アレークは邪魔するかもしれないけどね」
 からりとした言葉にほっとしてうなずきを返し、雪の大地へと踏み出した。
 身を切るような寒さに白い息を吐いた時、悟った。占い師の屋敷があたたかかったのは、主人のまなざしに暖炉の火を思わせる温度があったからだ、と。

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