うたかたり

 踊子の濡れた唇が艶かしく弧を描く。その一挙手一投足にまわりの視線が吸い寄せられるのをひしひしと感じながら、対面に座るテリオンは居心地悪くエールを味わった。
 プリムロゼが猫のような目を細める。
「何よ、そんな顔して。この私がつきっきりでお酌してあげてるのよ? もっと上機嫌でいなきゃダメよ」
 横暴かつ自信たっぷりの台詞を吐き、彼女はテーブルの下で足を組み直した。テリオンはなかなか減らない酒を恨めしく思いながら、これ見よがしにため息をつく。
 ノーブルコートを出て平原をゆき、そろそろフロストランドに差しかかるあたりに小さな村があった。ちょうど日暮れ近くに訪れたため、二人はここで宿を確保した。すると、プリムロゼが「久しぶりに一緒に飲みましょうよ」と言って唯一の同行者たるテリオンを誘ったのだ。
 見るからに娯楽に飢えていそうな素朴な村で、踊子は外を歩くだけで注目を浴びた。彼女は久々に感じるであろう好奇の視線を心底愉快に思っているらしい。ノーブルコートではおしとやかに暮らしていたので、鬱憤が溜まっていたのだろう。少なくとも、知り合いが大勢いる故郷では、こんなふうに酒場に繰り出して色目を使うことは難しかったはずだ。
 テリオンはエールの泡を舐める。
「ずいぶん楽しそうだな、踊子」
「そうよ。あなたと違ってこういう視線には慣れてるもの。……ああ、そういえば最近はテリオンもよく注目されてるのよね?」
 どこか含みのある発言だ。盗賊がそんなに事態になるわけないだろ、と思いつつも、彼女の言わんとすることを推測する。プリムロゼは片目をつむって、
「ほら、サイラスが一緒だと視線が集まって大変でしょ」
「……そのことか。まあ、そうだな」
 学者と行動する場合、まわりの人間が見つめる対象は当然テリオンではない。こちらは路傍の石のごとく無視されるのが定番である。その状態ですら若干居心地が悪いのだから、何も感じていない様子のサイラス本人は相当鈍感かつ豪胆だった。
 給仕が空いたグラスを下げにやってきた。プリムロゼは流し目を使って無意味に給仕を誘惑してから、一転して声をひそめる。
「ねえ、サイラスってまだあの調子なの? いい加減、テレーズさんの気持ちくらいは気づいてあげてもいいと思うんだけど」
「アトラスダムでどう過ごしているのかは知らん。たまに聞く話からすると、テレーズはあくまで生徒扱いだったな……。それに、あいつはいくら町中で女に声をかけられても、相手の意図を理解できてない」
「相変わらずねえ。ほら、男二人なんだし異性の話題で盛り上がったりしないの?」
「するわけないだろ。どういう状況だ」
 テリオンはようやく酒を飲み干し、ジョッキを卓に置く。その時、ふと思い出すことがあった。
「……いや、一度だけあったな」
「本当!?」
 プリムロゼは立ち上がらんばかりの勢いでテーブルに手をつき、目を爛々と輝かせる。
「もしかして、サイラスの好みでも聞けた?」
 彼は苦い気分で首を振った。
「違う。……話をしたのは俺の方だ」
 ――ハイランド地方で、ある町を訪れた時のことだ。学者と歩いていると、サイラスの元教え子と名乗る女性と出くわした。
 彼女はもともとアトラスダムで王立学院に通っていたが、引っ越して町を離れたという。サイラスはもちろんそれを覚えていて、元教え子がその後も勉学を続けていたという話に上機嫌だった。学者に向かって熱心に近況を語る女性を見て、「これは長くなるな」と思ったテリオンは無言でその場を離れかけたのだが……。
「あの、そちらの方は先生のお知り合いですか?」
 急に矛先が変わった。サイラスが逃げ道を塞ぐように返事をする。
「彼は私の仲間だよ。一緒に旅をしているんだ」
「まあ……あなたのお話も聞かせていただけませんか」
 妙にきらきらした瞳を向けられ、テリオンはたじろぐ。それを見たサイラスは何を勘違いしたか、「そういうことなら二人でゆっくり話すといいよ」と身を引いた。あまつさえ、女性まで「先生、また後でお話ししましょう」と乗り気で別れを告げる。
 断るタイミングを逃して呆然とするテリオンは、女性と二人きりになって――結局サイラスについて根掘り葉掘り質問された。そうやって外堀を埋めようとするのは、テリオンが遭遇した学者の女性関係では新しいパターンだった。
 テレーズをはじめとして学者に懸想する者たちの行動を見る度に、テリオンは「婉曲的表現ではどうやっても本人に伝わらないのではないか」と考える。だが、ストレートに気持ちを届けたところで学者が理解するかどうかは怪しい。万が一正確に意図が伝わったとしても、サイラスは相手の恋心を認めた上で、付き合い自体は断りそうな気もする。
 女性の話を聞き流しながら、悲観的な想像がふくらんでしまった。これ以上学者の人間関係に振り回されるのも阿呆らしいので、テリオンは質問に簡単に答えてから、「これ以上踏み込むならそれなりの覚悟をした方がいい」とアドバイスした。つい深刻な口調になったためか、相手の女性も真顔でうなずいていた。
 長話が終わる頃にはすっかり日が暮れていた。女性と別れたテリオンは酒を飲む気にもならず、酒場で適当に食事を包ませてから宿に戻った。
 その日は二人部屋をとっていた。合鍵で扉を開けると、サイラスは机に広げた本から顔を上げた。
「おかえり。彼女との話は楽しかったかい」
 状況を盛大に読み間違えた発言である。面倒になったテリオンは適当に返事をする。
「ああ。あんたに対する文句で盛り上がった」
「え? ……ああそうか、以前の授業で厳しい指摘でもしてしまったのかな。今後は気をつけなければ」
 一人で納得したサイラスは、本を閉じてにこりとした。
「初対面でそのような話ができるということは、キミと彼女は相性が良かったんだろうね。彼女は確かに素敵な女性だが、キミの好みのタイプとは少し外れているから、意外だったよ」
「……は?」
 テリオンは耳を疑った。平然と放たれた言葉をじわじわ理解して、背筋が凍りつく。
(俺の好みって……どういうことだ!?)
 今まで学者とはそういう浮ついた話を一切したことがなかった。まさか、酒を飲んだ勢いで知らぬうちに暴露していたのか? いや、いくら酔っていても学者相手ではそんな話題にはならないだろう。
「あんた、なんで……」
 わなわなと震えるテリオンに、サイラスは不思議そうな顔をして、彼の考える「テリオンの好み」を語った。それはまさしく本人の認識とも合致していたのだ――
「……なにそれ、怖い話?」
 話を聞いたプリムロゼが、急に素面に戻ったように眉根を寄せる。
 それなりの時間をサイラスとともに過ごすうちに、テリオンはどうやら思考や行動の端々から好みを読み取られていたらしい。とはいえ普段ならああいう話の運びにはならないので、もしかするとあの時のサイラスは少し酒が入っていたのかもしれなかった。
 それにしても恐ろしい話だ。あれだけ鋭い学者が、自分に向けられる感情だけはさっぱり分からないらしい、という事実がますます意味不明になる。
「正直、もうあいつと異性の話なんてしたくない」
「その気持ちはちょっと分かるわ……」
 顔をしかめてグラスに口をつけたプリムロゼは、不意ににやりとする。
「で、テリオンの好みってどういうタイプなの?」
「少なくともあんたのような女とは正反対だな」
 予想できた質問だったので、即答してやった。踊子は緑の両目を吊り上げる。
「ふうん、言うじゃないの。それなら絶対当ててやるわよ。そうね、まず性格は……」
 躍起になって推論を展開するプリムロゼからは、酒場にやってきた当初の色気はほとんど消えていた。妙な見栄がなくなったとも言える。
 この見慣れた姿を引き出すことができたのだから、テリオンにとって都合の悪い話題も甘んじて受け入れよう。酒の場にふさわしい、エールの泡のように消えゆくエピソードにもそのくらいの価値はあったのだ。
 だからといって、自分の好みは断固として教えるつもりはなかったけれど。

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