寄り道の報酬

「……財布をなくした?」
 テリオンはぽかんと口を開けた。
 旅の連れの薬屋とともにサンシェイドの町を出発して、しばらく砂漠を歩いた頃に魔物と出くわした。問題なく撃退した後、テリオンの傷を手当てするため仕事道具を取り出した薬屋は、急にふところを探ってそう告げた。
「どうもそんな気がするんだよなあ。鞄が軽いっつーか」
 薬屋は珍しく苦笑している。テリオンはぎゅうと眉間にしわを寄せた。
(笑ってる場合じゃないだろ)
 まさかサンシェイドですられたのか? 可能性はある。だが原因など何でもいい。問題は、薬屋の所持金がなくなったという事実だ。
(ついにこいつを置いていく時が来たな……)
 今まで何度も別れようと思いつつ、機会を逃し続けてきた。さすがにもう付き合いきれない、限界だ。
「ま、調合の道具は全部そろってるし、どうとでもなるか」
 などとほざく薬屋を見捨ようとした、その時。
「こんにちは、お二人さん」
 背後から艷やかな声がかけられた。
 二人は同時に振り向く。しなやかな脚さばきで近づいてくるのは、赤くひらひらした衣装をまとった女だった。薬屋が目を丸くする。
「あんた……プリムロゼか! どうしたんだよ、こんなところで」
 サンシェイドの酒場で働いていた踊子だ。テリオンたちは昨日、何か目的があって地下道を抜けようとしていた彼女を手助けし、出口まで送り届けた。彼女とはそこで別れたきりだった。もう用事は済んだのか。
 踊子は朗らかな笑みを浮かべている。が、どうにも雰囲気が殺伐としており、テリオンはぎょっとした。薬屋は気づいていないらしい。
「お願いがあるの。私をあなたたちの旅に連れて行ってくれない?」
 踊子はテリオンに熱い視線を注いだ。薬屋が瞠目する。
「え、でも酒場の仕事は」
「クビになったのよ。砂漠も飽きたし、ちょうどいい機会だから他の町に行きたくて」
 絶対に嘘だ、とテリオンは確信した。同時にある程度相手の事情を察したが、それについては言及しないことにする。
 おおかた、町から町へと移動するための護衛がほしいのだろう。他にも何か目的があるかもしれない。警戒するに越したことはない。
 それに、テリオンはたった今薬屋を切り捨てようとしたところだった。これ以上連れを加えるなど論外である。すっぱり断ってやろうと口を開きかけて、
「俺は大歓迎だぜ! でも今、ちょっと困ってることがあってな……」
 薬屋の大声に遮られた。舌打ちしたくなる。
「あらどうしたの」踊子が興味を示す。
「実は俺、サンシェイドで財布をなくしちまってよ……町に戻るかこのまま進むか、迷ってたところなんだけど」
 そんな二択、テリオンは聞いていないのだが。
「ふうん」
 すると、踊子の整った唇が半月のような弧を描く。
「要するにお金がなくて困ってるのね。私、いいことを知ってるわ」
「え、何なに?」
 薬屋が前のめりになる。踊子はぴんと人差し指を立てた。
「私のいた酒場の客から、お宝の噂を聞いたことがあるの」
 彼女の元職場は高級酒場で、金持ちの客が多かったはずだ。薬屋の目がきらりと輝き、テリオンもつられて耳を傾ける。
 踊子は十分に注意をひいてから、わざとらしく声をひそめる。
「ここから東に行ったところに、砂笛の洞窟っていう場所があってね。その中にお宝が眠っているんだって」
「へえー! お宝探しか。いいなそれ、旅人っぽくて」
 薬屋ははしゃいだが、テリオンは内心で肩を落とした。
(なんだ、洞窟か……)
 彼女の提案する盗掘は、残念ながらテリオンの専門外だった。リスクもリターンも低い行為にはあまり興味がわかない。彼はどちらかと言うと警備の厳しい屋敷に忍び込むことを好んでいた。
「それはいつ聞いた噂なんだ」
 つい口を挟むと、踊子が怪訝そうに見返してきた。
「あんたの耳に入るくらいなら、とっくの昔に誰かが宝を発見してないか?」
「安心して、それはないわ。私だけに話してくれた秘密だから」
 彼女はウインクを決める。含みのある言葉だ。どこまで真実なのか、いまいち読みきれない。
「路銀稼ぎにはちょうどいいと思うんだけど。どうかしらアーフェン」
 しばらくうなっていた薬屋は、ぱん、と勢いよく両手を合わせた。
「頼むテリオン、その洞窟に行かせてくれ! あんたに迷惑はかけねえからさ……!」
 麦穂色の頭が深々と下がる。踊子は面白がるような目をこちらに向けた。
 テリオンはそっと息をつく。
(まあ、一度くらいはチャンスをやってもいいか……)
 薬屋の財布などあってもなくても一緒だが、踊子が持ってきた噂の真偽は少しだけ気になった。
「分かった。勝手にしろ」
「助かるぜ!」
「ふふ、良かった。もちろん私も一緒に行くわよ」
 踊子が嬉々として便乗する。こうして自然に連れが増えてしまった。しかし、三人で行動するのは洞窟で財布の代わりを見つけるまでだ、とテリオンは心に決める。
 地図を見ながら協議しはじめた二人を尻目に、彼は東に向かって歩き出した。



 三人は程なく目的地に到着した。
「砂笛の洞窟……って変な名前と思ったけど、こういう意味だったのね」
 踊子が内部の壁を見上げながらうなずく。そこには窓のような穴がいくつも空いており、風が通り抜ける度に音が聞こえた。なるほど「笛」である。
 さらに「砂」の由来か、壁の穴から外の砂が流れ込んでくる。そのため、屋内なのに砂まみれで探索する羽目になった。
 踊子は旅に不向きな服装にもかかわらず、文句を言わずについてくる。魔物の棲むサンシェイド地下道を単身で抜けようとしていただけあって、根性があった。
 道中、ヘビの魔物に襲われた。真っ先に踊子が飛び出して短剣を振るう。地下道でも披露した流麗な型だった。ただし動きがぎこちない。魔物の討伐には慣れていないようだ。
 仕方なしにテリオンが補助に入ろうとした時、後方にいた薬屋が何かを投げつけた。
「こいつは効くぜ!」
 魔物に当たると煙が立つ。相手はそれだけでぐったりと倒れた。テリオンは目を見張る。
「今のはなんだ」
「あれ、テリオンに見せてなかったか? 魔物に効きそうな毒を調合したんだよ。でも、あんまし使いたくねえんだよな」
「どうして?」
 踊子が質問する。敵を一方的に弱らせる毒なんてこの上なく便利ではないか、とテリオンも思う。
「だって、変なところに投げたら味方まで巻き込むだろ」
「それもそうね」
 納得する踊子。一方で、テリオンは「せっかくの毒を有効活用できないか」とぼんやり考えた。クリアブルックで戦ったマンダラヘビのように、強力な毒を自在に使いこなせたら——
「おっと。プリムロゼ、怪我してんじゃねえか」
 彼女の腕には一本の赤い線が走っていた。薬屋が駆け寄り、すばやく消毒と手当てを施す。
「ありがとう。お礼は……」
「お代? いらねえよ!」
 いつもの台詞である。踊子は奇妙な目で薬屋を見つめてから、つかつかとこちらに近づき、小声になった。
「ねえ、もしかしてアーフェンってずっとあの調子なの」
 テリオンは渋い顔でうなずいた。地下道でも薬屋は何かと踊子を気にかけていた。あの時の彼女は余裕がなかったため、今になって心に引っかかったのだろう。
「あれ、絶対長続きしないわよ」
(俺もそう思う)
 同意を得られて少しほっとする。改めて、薬屋の友人が持ちかけた例の賭けは無謀と思われた。
 三人は再び歩きはじめる。洞窟もずいぶん奥までやってきたが、今のところお宝らしきものはない。
「こうやって宝探しするの、結構楽しいな。いかにも探検してるって感じでさ!」
 薬屋がにこやかに振り返った。
「そうね、旅の醍醐味よね」
 意外にも踊子が同調した。少し声が弾んでいる。
(楽しい、か……?)
 テリオンには彼らの気持ちがまったく分からなかった。
 二人とも旅に慣れていないから、もしくは帰る場所があるからそう思えるのだ。これが日常になれば、そのうち何も感じなくなる。
 だが、テリオンも昔はああして浮き立つような気持ちを抱いていた気がする。色あせた記憶を紐解けば、ある人物と肩を並べて歩いた日々が蘇り——慌てて頭から追い出す。
 魔物を撃退しながら先に進む。やがて薬屋が立ち止まった。
「ここが一番奥みたいだな」
 岩壁によって行く手が塞がれている。だが、それだけだ。
「何もないぞ」
 テリオンは恨みのこもった目を踊子に向ける。今まで道の分岐はなかったから、ここが正真正銘の最奥だ。
「おかしいわねえ」
 彼女は悠長に首をひねっている。どうやらテリオンたちを騙そうとしていたわけではないらしい。
「ちなみに、プリムロゼはどういう噂を聞いたんだ?」
 薬屋が疑問を呈する。踊子は内緒話をするように、唇に指をあてた。
「うちの酒場の支配人が、ここにへそくりを隠しているって噂よ」
 最初の話と違うではないか。それに、支配人の隠し財産などどうやって聞き出したのだろう。あまり考えたくはないが……。
「え。それって勝手にもらってもいいのか?」
 薬屋は今更怖気づいたらしい。勝手にもらうも何もこれは立派な盗掘行為なのだが、気づいていなかったのか。
「いいのよ、私の退職金代わりだから。だって一番の稼ぎ頭だったのにお土産もなしで放り出されたのよ」
 これは方便だ。彼女はおそらく正当な手続きをせず酒場を抜けてきた。その上元雇い主のへそくりまで奪い取ろうとは、まったくいい性格をしている。
 とにかくここに宝はない。いい加減痺れを切らし、テリオンは外套を翻した。
「無駄な時間をかけたな」
 捨て台詞とともに来た道を振り返る——と、壁に空いた横穴を見つけた。流れ落ちる砂によって巧妙に隠されていたが、確かに通路がある。視点が往路と変わったため目についたのだろう。
「テリオン?」「どこ行くんだよ」
 声を無視して砂のカーテンをくぐった。その先の通路は天井が低く、かがむ必要があった。
(誰かが来た形跡があるな)
 岩壁に何本か線が引かれていた。きっと目印だろう。テリオンは確信を持って奥に進んだ。
 通路の突き当たりに、今度こそ紫色に塗られた箱があった。こんな大層なつくりの宝箱など、貴族の屋敷でしか見たことがない。自ずと期待が高まった。
「あら、宝箱よ」「おーそれっぽいな!」
 後ろからついてきた二人が興奮した声を上げる。薬屋がさっそく箱に手をかけたが、
「んっ……? 開かねえぞ」
「え、嘘」
「鍵かかってんな、こりゃ」
 当たり前だ。大事なへそくりが奪われないようにしたのだろう。
 薬屋たちが「どうすっかなー」と議論をはじめる横で、テリオンは鍵穴を一瞥する。
 簡単な錠前だった。これならほとんど一瞬で開けられる。彼は二人に己の生業を隠しているので、手元が見えないよう外套を広げて箱を覆った。テリオンにとっては服装も商売道具の一つである。
 厚い布地の中で、即席でつくった合鍵を回転させる。手ごたえがあった。
「開いたぞ」
 テリオンが声をかけると、薬屋たちはびっくりしたように箱を凝視した。
「あ、あれっ?」「ちょっとアーフェン、鍵なんてかかってないじゃない」
 三人はそろって中を覗き込んだ。重そうな革袋が入っている。中身は貨幣らしい。
「えーっと……六千リーフだって」
 袋に書かれた数字を踊子が読み上げる。テリオンはがくりと肩の力を抜いた。悪い金額ではないが、盗賊の期待を満たすほどではなかった。
「おおー! 俺が落とした金より多いじゃねえか」
 薬屋は素直に喜んでいる。発言の内容はまるで笑いごとではないのだが。
「案外しけてるのね」
 踊子は容赦なく評価を下した。雰囲気がいやに冷たいのは、へそくりの持ち主を思い出したのか。
「ねえテリオン、このお金どうするの? あ、私は情報料なんていらないわよ。お近づきの印ってことでね」
 テリオンは質問される前から用途を決めていた。
「薬屋、おたくが使え」
 革袋を押し付ける。反射的に受け取った彼は、きょとんとして己を指差した。
「え、俺? こんなにいらねえって」
「あのな……この先、俺がずっとおたくの代わりに金を払うのか?」
 言ってしまってから失敗に気づいた。これでは薬屋の同道を本格的に認めたようなものではないか。
 テリオンはどうにか気まずさを隠そうと、マフラーに顔をうずめた。薬屋は眉を寄せる。
「そうだよな、俺が財布なくしたからここまで来たわけだし……」彼は渋々といった様子で鞄に金を入れると、表情を明るくした。「じゃあ俺、この先できるだけこういう洞窟を探すようにする!」
 テリオンは目を瞬く。話の流れが読めなかった。
「いいわねそれ。私も協力するわ」
 踊子まで乗ったので、「ちょっと待て。どういう意味だ」と割り込んだ。
「今回は迷惑かけちまったし、そのお返しだ。だってテリオン、楽しそうに洞窟探検してたもんな」
「お宝が好きなの? 生粋の旅人なのね、あなた」
 そんなわけあるか、という反論が口から出ることはなかった。「楽しい」だの「好き」だの、ここ数年まるで意識しなかった概念を挙げられ、頭が追いつかなかったのだ。
(俺は楽しいと思っていたのか? まさか……)
 おまけに二人とも旅についてくる気満々である。やはり薬屋に金を渡してはいけなかった。テリオンはあの革袋を自分のものにして、即刻この場を立ち去るべきだった。
 つまり、また判断を間違えた。
「次に行くのはハイランド地方よね。山ならたくさん洞窟がありそう」
「テリオンのためにも精一杯探さないとな!」
 上機嫌で帰路につく二人を、呆然として見送る。
 今回の盗掘で、近頃テリオンが抱えていた鬱憤は少しだけ晴れた。しかしその代償に、これからずっと変な勘違いをされたままになるかもしれない。
 ついに訂正の機会を失った彼は、思わず「酒でも飲みたい気分だ」とつぶやいていた。

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