道しるべの魔法使い



「わ、見てくださいテリオンさん、あれって金鉱山ですよね!?」
 首の後ろで結った金髪を揺らし、クリスがはしゃぎながら前方を指差す。その先には赤茶に染まったクオリークレストの山並みが広がっていた。
 家を離れたばかりの新米だったクリスはいつしか一端の旅人となった。そして今、何故かテリオンの目の前を歩いている。
「とっくの昔に見えてるぞ」
 テリオンはぼそぼそと答えた。見慣れた景色なので今更感動する点はない。一方のクリスはわくわくしたように目を輝かせた。
「僕この町初めてなんですよ。ボルダーフォールから近いのに、反対方向に旅立っちゃったから」
 彼はこちらの返事など耳に入れず、楽しげに話を続ける。やはりもう少し声を張るべきだったか。
 クリスの軽やかな足取りを追って集落に入った。鉱山の町は相変わらず活気に満ちており、往来には労働者と商人と住民が入り乱れている。碧閃石の採掘は順調のようだ。少しは労働者の財布も肥えた頃か、とすれ違う人の懐を盗み見る。
「テリオンさんはここでみなさんと待ち合わせなんですよね?」
「ああ。まだ誰もいないだろうがな」
 テリオンは迷いなく崖沿いをゆく。隣のクリスはお上りさん気分できょろきょろしていたかと思えば、急に声をひそめた。
「あの……ちょっと変な感じがしませんか」
「別に」
 テリオンはそっけなく応じた。この騒々しさは労働者の多いクオリークレスト特有の雰囲気であり、別段おかしくはない。
「こっちから不思議な気配がするんです」
 クリスは紫のマフラーの裾をつかみ、目的地と反対方向に歩いていく。テリオンは引きずられるようについていった。無論、面倒だから抵抗しなかっただけだ。
 張り出した崖の陰に回り込んだ。商店街から外れているため人通りのない場所だ。クリスは足元を凝視する。
「ああ、これです! この模様から何か感じます」
 乾いた地面には大きな円が描かれていた。テリオンは立ち尽くす。
(どうしてあの魔法陣があるんだ?)
 頭が疑問だらけになった。彼はこれが意味するところを嫌というほど知っていた。
 クリスが吸い寄せられるように歩み寄った時、不意に魔法陣が光を放つ。
「え、何!?」
 ぎくりと固まる少年の前で、白い光はすぐに止んだ。
 すると、昼空の下に一人の男が立っていた。突如として現れた彼を視界に入れ、テリオンは片目をすがめる。
「おや、テリオンに……クリス君? どうしてここに」
 肩に羽織った漆黒のローブ、それに異様に整った顔立ちは、どこからどう見ても学者サイラスである。彼は片手で杖をついて、秀麗な眉を上げた。
 クリスは声もなくぽかんと口を開けている。テリオンは肩をすくめて、
「それはこっちの台詞だ。なんでここに魔法陣がある?」
「ああ、それは……少し長くなるから、移動しながら話そう」
 サイラスはローブを翻して背を向けた。テリオンは黙って横に並び、クリスもおっかなびっくりついてくる。
 学者と顔を合わせるのはそれなりに久々だが、再会を祝う言葉はなかった。テリオンなど「ああ、サイラスがいるな」と思っただけである。相手もおそらく似た感想を抱いたのだろう。
 だいたい、この学者がいきなり現れたり消えたりするのはいつものことなので、いちいち驚いてなどいられない。ダスクバロウの一件でさんざん肝を冷やしたテリオンはそう学習した。
 クリスは遅れがちだった歩みを早め、サイラスを見上げた。
「お久しぶりですサイラスさん。いきなり出てきてびっくりしましたよ」
「すまなかったね。あれは空間転移の魔法陣なんだ」
「空間……?」
 クリスは首をかしげる。模範的な反応だ。手頃な生徒を前にしたサイラスは嬉しそうに説明をはじめる。テリオンはちらちらよそ見をしながら、半分くらい話を聞いた。
 入口と出口に描いた陣を空間ごと結んで、瞬時に行き来する魔法。サイラスがルシアの論文を読んで編み出したものだった。
「私はこれを、瞬きの間の旅――ファストトラベルと呼ぶことにしたよ」
 なんだか大層な名である。わざわざ名付けたということは、陣に関する論文でも書きはじめたのかもしれない。
 テリオンは一通り説明が終わるのを待ってから口を挟む。
「前ここに来た時に魔法陣を描いたのか。なんでクオリークレストなんだ。一箇所しか使えないんだろ?」
 転移魔法はまだ開発段階であり、入口ひとつに対して出口がひとつしか対応していないと聞いた。つまり、片方を描き直さない限り、まったく別の場所に転移することはできない。前はアトラスダムとボルダーフォールがつながっていた。今回も入口は学者の故郷として、何故出口がここなのだろう。サイラスが何度も行くべき用事があるのはダスクバロウではないのか。
「それを説明したいのは山々だが、先に挨拶をしようか」
 いつの間にか三人は崖際の階段を上りきっていた。頂上の一軒家の前に並んで立つ。幾度も訪れたおかげで、ここもすっかり見知った場所になった。
 サイラスは礼儀正しくドアをノックして、出てきた人物に笑顔を向けた。
「こんにちは、オデット先輩」
 以前と変わらぬ様相のオデットはひっつめにした髪を振って、半眼になる。
「幻じゃないみたいだね……っていうのは前もやったか。おかえり、待ってたよサイラス。あんたもね」
 和らいだ視線を向けられ、テリオンは小さくあごを引く。彼女にはダスクバロウの件で大きな借りがあるので、頭が上がらない。オデットはそのままクリスに目をやって、
「おや、あんたは初めてだね。わたしはオデットだよ。サイラスのいる学院の元先輩さ」
「ええと、僕は旅人のクリスです。今はテリオンさんのお世話になってます」
「ほう、あんたの舎弟かい?」
「そんなところだな」とテリオンがうなずけば、
「えっそうだったんですか?」
 まったく、本人がとぼけないでほしい。適当な冗談が失敗して閉口すると、サイラスが穏やかに笑い声を立てた。
 オデットはにやりとして、肩にかけたローブを揺らす。
「ま、上がっておいでよ。ちょうどお茶が入ったところさ」
 ありがたく招待を受け、テリオンたちは家に上がり込んだ。
 居間の卓に人数分のカップが用意される。よく冷えた茶は、クリフランドの暑い日差しを浴びた旅人たちにとってこの上ない歓迎だった。
 オデットは一息ついて、ずいと身を乗り出した。
「あんたたち、うちに来た後で一旦解散したんだってね」
 ――ダスクバロウの後始末をしてから、テリオンたちは八人でここを訪れた。サイラスの無事を報告し、オデットに迷惑をかけたことを謝罪するためである。その後、「解散した仲間たちが集まる場所としてこの家を使わせてほしい」とサイラスが手紙で依頼したはずだ。
 学者はこっくりうなずいた。
「ああ、みんな故郷で整理すべきことがあったし……何より、具体的な目的地がまだ決まっていなかったからね」
 ダスクバロウでサイラスが言い出したこと――もう少しの間だけ旅を続けたい――は、仲間に至極あっさりと受け入れられた。提案した本人が一番驚いていたようである。ともあれ旅の続行が決まってから、サイラスは「目的が曖昧なままみんなを付き合わせるわけにはいかない」「一度アトラスダムに戻って方針を固めたい」と主張した。
 彼にならって、帰るべき場所がある者は一度そこへ戻り、英気を養うことにした。そんな中、旅の薬師を続けるアーフェンと、もともと根無し草のテリオンは再び放浪をはじめた。仲間たちは期日までにクオリークレストに集うことを約束し、それぞれの道に別れた――
「テリオンは旅の途中でクリス君と会ったのかい?」
 サイラスの青いまなざしがまっすぐにこちらを射抜く。かつてはこの視線を感じただけで異様に緊張したものだが、今は平然と受け止められた。
「そうだ。こいつがまた目の前で行き倒れてたからな」
「う、すみません……」
 テリオンに指を差されたクリスは椅子の上で縮こまった。
 ――ハイランド地方で皆と別れた後、テリオンは集合場所を目指して大陸を北西に進んだ。再集合までの間、彼だけは完全に目的を失っていた。もともと彼の生きる道に目標や期限はなく、竜石奪還の旅が珍しい部類だった。どこかで大きな盗みをはたらくにしても準備期間が要る。ならばさっさと目的地に行って仲間を待とうと考えたのだ。プリムロゼあたりが知ったら「それほど人恋しいのか」と指摘しそうな行為だったが、気づかないふりをした。
 急ぐ旅ではないので、クリアブルックに寄ってアーフェンの友人でも冷やかして行こうかと考えていたら、川沿いの道の途中であわや魔物に殺されかかっているクリスと遭遇した。いつぞやのクリフランドを思い出す展開である。ただし、敵はそこらのバーディアンではなくフロッゲンの親玉だったので、クリスも多少は成長したようだ。テリオンは「いくらなんでも魔物に襲われすぎでは」と思いながら彼を助け、またブドウを分け与えた。
「うん? ちょっと待ってほしい。クリス君はシャットアウトリボンを所持しているだろう。あれで魔物の被害は抑えられるのでは?」
 話の途中でサイラスが割り込んだ。
「それが……このリボン、最近あまり効かなくなってきたんです」
 クリスは荷物に結んだ群青色のリボンを引っ張り、しゅんとする。以前テリオンがボルダーフォールの盗賊二人組から取り返したものだ。魔除けの効果があって云々、という話を聞いた覚えがある。
「そうなのかい? 私の持つリボンは十分に効力を発揮しているのだが……」
 証拠とばかりにサイラスが取り出したのは、クリスの持ち物とよく似た装身具だ。引き寄せのリボンという名前らしい。ほうっておくと魔物を近くに呼び寄せるため、まじないで効果を抑えているという。
 頬杖をついたオデットが、クリスのリボンをまじまじと見つめた。
「ふうん、魔除けのアイテムの効力がなくなったのか。専門外だがちょっと調べておこうか? わたしも学者だ、少しは役に立てると思うよ」
「いいんですか?」クリスが目を丸くする。
「研究も一段落したからね。あんたは他にやることがあるんだろう、サイラス」
「ありがとう、助かるよ」「お願いします!」
 クリスは何度も頭を下げながらオデットにリボンを渡した。それから大きく肩を落とし、
「僕、いつもテリオンさんたちに助けてもらってますね……」
 しみじみと嘆いてみせた。彼にとっては深刻な問題なのだろう。
 たまたま街道で出会くわして、ブドウを与える出来事が都合二回もあった。もはや偶然というレベルを超えている。こんな調子でクリスはどうやって一人旅をしているのか、テリオンには甚だ疑問だ。
「旅芸人の一座はもうやめたのかい?」
 サイラスが尋ねる。一行が最後にクリスと会ったのはゴールドショアだ。その時点で、彼は「父親の手がかりが見つかったので一座を抜けたい」と漏らしていた。
「はい。お世話になったお礼として、グランポートで買った顔料で一座の看板を塗り替えてからお別れしました。夜の間にこっそりやったんですけど、すぐに座長が気づいてくれて、結構喜んでもらえましたよ。
 その後、やっと見つかった父さんの手がかりを追っていたら、リボンが効力を失って……しょっちゅう魔物に襲われるようになったせいで、全然目的地にたどり着けないんです」
「目的地はどこなんだい?」
「……内緒です」
 クリスは何故か恥ずかしそうに目を伏せる。テリオンは呆れ返った。
「この調子だから、なんで俺についてきたのかもよく分からん」
 フロッゲンから助けた後に「これからクオリークレストに行く」と告げると、何故かクリスは同行を申し出た。テリオンを護衛代わりにしたかったのか、それとも単に目的地と近いのだろうか?
 サイラスが意味ありげに目を細める。あれは探りを入れる合図だろう。学者の悪い癖だ。
 オデットは茶で喉を潤し、話を戻した。
「で、サイラスはアトラスダムに戻ったんだろ? あそこで何してたんだい」
 それはテリオンも気になっていた。注意深く耳を傾ける。
「ああ、私はね……」サイラスはこほんと咳をして、いつもの長話をはじめた。
 アトラスダムに辺獄の書を持ち帰った彼は、さっそく王国との交渉に入った。今後も旅を続けるため、国王に直談判したのだ。相変わらずやることがストレートである。
「私の報告を聞いた陛下は、意外にもあっさりと旅立ちの許可をくださったんだ」
 ――黒曜会のボスを倒した? あなたの仲間が?
 ウォルド国王は虚をつかれたように表情を変化させた。
 サイラスは辺獄の書奪還と合わせてそちらの件も報告した。もちろん、エゼルアート家の生き残りであるプリムロゼが手を下した、という事実は伏せている。踊子には「自分の名前を出さないなら話してもいい」という許可をもらっていた。
 ――いや、確かにそういう噂は聞いていたが……本当だったのか。
 国王は独自の情報網によりおおよその事態を把握していたらしい。しかし、突如として舞い込んだ「黒曜会が何者かに潰された」という噂については半信半疑だったため、サイラスの話が裏付けになったわけである。
 オスレッド二世はしばらく難しい顔で考え込んでから、「今後はどこに行ってもいいし、辺獄の書も持ち出して構わない」というとんでもない裁量をサイラスに与えた。さらには、学院のごたごたはこちらで処理しておくと付け加えた。
(……うまくいったんだな)
 テリオンは内心胸をなでおろす。事情を知らないクリスが目を白黒させる横で、オデットは呆気にとられたように腕を組んだ。
「あの陛下がそんなことを……ずいぶん太っ腹じゃないか」
「ああ、出来過ぎなくらいだったよ。そして、陛下は最後に何故かこうおっしゃったんだ――誰もそこまでやれとは言っていない、と」
 一瞬沈黙があった。オデットは肩の力を抜き、肺の空気を限界まで絞り出す。
「……あんた、さては陛下に呆れられたね?」
「やはりあれはそういう意味だったのか……」
 サイラスは眉根を寄せて思考の淵に沈んでしまった。
 寝耳に水で大変な報告を聞いた国王は、さぞ面食らっただろう。辺獄の書奪還はまだしも、黒曜会云々なんて一介の学者の仕事ではない。実際に討ったのはプリムロゼだが、仲間たちも大いに手助けした。客観的に見れば、ただの旅人たちが成し遂げたとは思えない成果である。
 国王がサイラスを自由にさせたのは正しかった、とテリオンは思う。この学者に外圧をかけて操ることなど到底不可能なのだ。何故なら彼は、究極的には己の行動理念にのみ従うからである。もしもそれと合致しない命令が下れば、相手がどんな地位にあろうと平然と歯向かうだろう。イヴォンに見せた苛烈さからも、それははっきりしていた。
 ならば、好きに泳がせるのが得策というものだ。実際、国王はサイラスの報告した成果があまりにも大きすぎたので、そう判断したのだろう。
 サイラスは王国の後ろ盾を得て、好きに動けるようになった。それ自体は喜ばしいが、一方で腑に落ちないことがある。
(……もしかして、俺の話は意味がなかったのか?)
 町から出られないなら、辺獄の書はどこぞの盗賊に盗まれたとでも言え――ダスクバロウの遺跡で必死にサイラスを引き留めたことを思い出し、テリオンは憮然とする。サイラスどころか、オデットすら王国の出方を盛大に勘違いしていたようだ。てっきり旅が終わればサイラスはアトラスダムから出て来られなくなるのかと思ったら、全く違った。なんだか拍子抜けする結末だった。
 同じことを考えたのだろう、オデットはしばし目元を押さえて天井を仰いだ。やがて気分を切り替えたようにゆっくりと視線を戻す。
「でもさ、辺獄の書を読み解くにはアトラスダムやダスクバロウにある資料が必要になるだろ? 旅をしながら解読するのかい」
「そう、移動を挟む解読は相当厳しいものになるだろう。だから、ぜひオデット先輩にも手伝ってほしいんだ」
「さてはあんた、最初からわたしのことを当てにしていたね?」
 サイラスは黙ってにこりとした。オデットは「仕方ないか」とまんざらでもなさそうに引き受ける。なんだかんだ、この先輩もサイラスに甘いのだ。
「えっと、今の話ってウォルド王国の国王陛下のことですよね……? サイラスさんってやっぱり偉い人だったんですね」
 部外者のクリスはひたすら目をぱちくりさせていた。当然の反応だろう。あまりくわしく突っ込まれても面倒だと思ったのか、オデットが椅子に座り直して話題を変えた。
「そうそう、聞きたいことがあるんだった。あんたたちはどうしてここを集合場所にしたんだい? 手紙に理由は書いてなかったよな」
 その質問を待っていた、とばかりにサイラスが笑みを深める。
「私が決めたんだ。クリフランド地方には誰かの故郷がないから、合流地点として地理的な偏りが少ない。それに、この町は人の流入が多いので大人数が集まっても目立たないし、町に知り合いがいれば伝言を預かってもらえるだろう」
「まあそのくらいはするけどさ」オデットはふんふんと相槌を打つ。
「なら、あんたが魔法陣をクオリークレストに描いた理由はなんだ?」
 というテリオンの質問に、オデットが軽く目を見張る。彼女には魔法陣の件をまだ伝えていなかった。クリスも興味津々の面持ちになる。
「そうだね。私がファストトラベルの行先をここに設定したのは――」
 サイラスは言葉を切り、熱のこもった視線をオデットに注いだ。
「オデット先輩にいつでも会えるように、と思って」
 へ、とクリスの唇から間の抜けた声が漏れる。彼は何やら赤面し、説明を求めるようにこちらを見た。
 一方のオデットとテリオンは、白け切った雰囲気で盛大に顔をしかめる。
「はいはい。わたしに対してそういうのはいいから」
「今の台詞、絶対に他で言うなよ」
「え……?」
 二人の渋い反応に、サイラスはきょとんとする。彼が素面で女性を口説くのはいつものことだが、この先輩相手でなければどうなっていたことか。いい加減にしないと、いつか女に刺されて死にそうである。
 クリスは困惑した様子で火照ったほおを触った。
「そ、そういう感じなんですか? 僕はてっきり」
「クリス、こいつがやばいのは顔面じゃない。頭の中身だ」
 というテリオンの失礼な物言いを耳にしても、サイラスは首をかしげるだけだ。心底意味が理解できないらしい。オデットは静かに笑いを噛み殺していた。
 のんきな会話を繰り広げていると、出し抜けにテリオンの聴覚が部屋の外から物音を拾った。
「誰か来たぞ。多分……あいつらだな」
「さすがだね、ノックの前に分かったのか」
 サイラスが唇の端を持ち上げる。次いで、玄関扉が控えめに叩かれた。
「ああ、お客さんか。ならあんたたちもついてきなよ」
 三人はぞろぞろとオデットの後ろに従う。扉を開けた先には見慣れた二人組が立っていた。
「こんちはー! あれ、先生にテリオン……クリスも!?」
「お久しぶりね、オデットさん」
 薬師アーフェンに踊子プリムロゼだ。テリオンが足音から推測したメンバーと同じだった。とはいえ、彼らの訪問自体はまったくの想定外である。
 クオリークレストに着いたら、しばらく一人で仲間を待ちぼうけることになるだろう、と予想していた。途中の道のりを省略したサイラスはともかく、この二人が同日にやってくるなんて思いもしなかった。
「よく来たね、さあ入って入って」
 オデットはにこやかに二人を招き入れる。一気に訪問客が増え、居間が手狭になった。
 プリムロゼはくつろいだ様子で茶を嗜む。優雅な動きに合わせて見慣れた赤い衣がひらひらとなびいた。
「あんた、またその格好してるのか」
 テリオンが言うと、踊子はつんと顔を反らせた。
「なあに、テリオンはああいうおしとやかな服が好きなの? コーデリアさんもそっちのタイプだものね」
「何を言ってるんだか……」
 彼女のからかいなど日常茶飯事である。少しでも反応したら負けなのですぐに流した。サイラスはにこにこして、
「プリムロゼ君、キミにはやはりその衣装が似合っているよ」
「そうでしょ? 旅をするなら踊りやすくないとね」
 軽く指で天板を叩いてリズムを刻み、彼女は艶然とほほえんだ。
 ダスクバロウを出発した後、プリムロゼは故郷のノーブルコートに戻って父親の墓参りをし、そのままテリオンたちと別れた。あの時は貴族らしい落ち着いた格好をしていたが、もうやめたようだ。彼女にとってはこちらが勝負服なのだろう。
 服装は同じでも、サンシェイドで踊子をやっていた時と比べてずいぶん表情が穏やかになった。テリオンは初めて出会った頃の彼女をまざまざと思い出せる。「砂漠の地下道を抜けたい」と言う踊子は、華やかな衣装に似合わず殺伐とした雰囲気をまとっていた。とてもカタギの人間とは思えず、反射的に身構えたものだ。
 サイラスは新たな訪問者たちを順繰りに見つめる。
「アーフェン君は何故彼女と一緒に?」
「実はさ、プリムロゼに手紙でノーブルコートに呼ばれたんだよ」
 アーフェンは気の抜けた笑いを漏らした。
 ダスクバロウを出たテリオンたちは大陸を東回りに移動した。それぞれの故郷で順番に仲間がパーティを離脱していき、最終的に残ったテリオン、アーフェン、オルベリクの三人はコブルストンで解散した。アーフェンはその後に踊子から手紙を受け取ったらしい。
「うふふ。淑女にはエスコートが必要なのよ」と髪をかきあげるプリムロゼに、
「まったく人使いが荒いぜ……」とアーフェンがぼやく。
 とはいえアーフェンが選ばれたのはおそらく消去法だ。プリムロゼは、もし近くにオルベリクがいれば真っ先に彼を頼ったはずだ。一番断る可能性が低いからである。一方のテリオンはまずこういう誘いに応じないので、候補から外されたのだろう。そして、最も居場所が近いにもかかわらず、サイラスはそもそも選択肢になかったに違いない。プリムロゼはこの男にそういう期待をかけていない。
「なるほど、だからフットワークの軽いアーフェン君を呼んだのか。しかし、キミはてっきりハンイット君とともに行動すると思っていたよ」
 学者は自身のことを棚上げして踊子に疑問をぶつける。
「あーそれなんだけどさ……」「ハンイットは確かに来てくれたわ」
 気まずそうなアーフェンの発言を、プリムロゼが不満げに遮った。
「でも、途中で狩りの依頼が入ったからって……ザンターさんと一緒にどこかに行っちゃったのよ!」
 テリオンは脱力する。彼女がふてくされているのはそのせいか。
「ハンイットは一年も師匠と会えてなかったんだぜ。あっちを優先するのは仕方ねえって。最終的にみんなで集まるからいいだろー?」
 アーフェンが苦笑しながらプリムロゼをなだめる。ここに至る道中もずっと同じ調子で会話していたのだろうか。相変わらず、呆れるほど人の良い薬師だ。
 翻ってハンイットは、踊子はある程度放っておいても大丈夫だ、と判断して離れたのだろう。復讐に邁進していた頃と違って、今の踊子は明らかに吹っ切れていた。目的を失っても歩みを止めず、少なくとも表面上は元気そうにしている。そんな彼女の精神状態には、もしかするとこの旅の延長戦が影響しているのかもしれなかった。
 プリムロゼは足を組み替え、微笑をつくる。
「まあそれはいいとして。オデットさんも今度ノーブルコートに来てよ。歓迎するわ」
「あー……時間ができたら行くよ」
 オデットの返事は妙にぎこちなかった。薄々理由を察しているのか、プリムロゼもそれ以上は誘わなかった。
 頃合いを見計らったようにアーフェンが鞄から便せんを取り出し、卓の上に広げる。
「そうそう、オルベリクの旦那から手紙が来たぜ。あっちは他の三人と合流したってよ。でもここに来るのは俺たちよりちょっと遅れるみてえだな」
 残りのメンバーは神官、狩人、商人か。微妙にオルベリクの居心地が悪そうな組み合わせだ。そういえば、たまたまこちらには以前クオリークレストの地下遺跡に突入した面々が揃っていた。
「どのくらい遅れるんだ」テリオンが尋ねると、
「さあ、二日か三日か……」アーフェンが指折り数える。
 その程度で済むのか。海の反対側に散ったはずのメンバーが、ここまでスムーズに集合するとは。
 要するに、皆もサイラスと同じようにまだ旅を続けたいと思っていたのだろう。学者はそれに気づいているのかいないのか、思考を深めるようにあごをつまむ。
「待ち合わせに使わせてもらうとしても、ずっと先輩の家にいるわけにはいかないね」
 予定通り、だらだらと宿に滞在しながら到着を待つことになりそうだ。それはテリオンが今まで経験したことのない無目的な生き方だったが、悪くはないと思えた。
 アーフェンがぐっと親指を立てる。
「じゃあ俺があとで宿行くわ。クリスの分もついでに部屋とっていいよな?」
「お願いします!」
 クリスは座ったままきっちり一礼する。サイラスはその顔を覗き込んだ。
「キミはこれからどうするんだい? 父親の手がかりを追うのだろう」
「はい。でもこのまま一人になっても、また魔物に襲われそうですし……」
 テリオンは何度も首を縦に振った。その度に駆り出されてはたまったものではない。
「わたしがリボンを解析するまではこの町にいたらいいさ」と言うオデットにうなずいてから、クリスは体の向きを変えてぴょこんとお辞儀した。
「それなら……サイラスさん、僕に魔法を教えてください!」
 指名を受けた学者はぱちぱちと瞬きした。
「私が? 魔物と戦うすべならテリオンの方が――」
「俺が教えると思うか?」
 間髪入れずに断ると、サイラスは軽く肩を揺らして笑った。
「分かったよ。私で良ければ授業をしよう」
 オデットは卓に片肘をつき、反対の手をひらひらと振る。
「夕飯の時にでもまたおいで。歓迎の準備をしておくよ」
「ありがとう先輩」
「あ、私は残ってもいいかしら? オデットさんとお話ししたいわ」
「こっちこそ大歓迎だよ」
 旧交を温めるプリムロゼを置いて、男四人はオデットの家から退出した。
 テリオンは階段を降りていくサイラスにそっと近づく。
「決めてきたんだな、次の目的地」
「ああ」
 サイラスは小さく首肯を返した。
 今後の目的については、別れる前に二人で話し合って決めていた。サイラスは、それを達成するために何が必要なのかをアトラスダムで考えてきたのだ。
「私の勝手にみんなを付き合わせるわけだからね。旅程はしっかり立てなければ」
 わずかに眉を下げるサイラスに、テリオンは思わず「まだそんなこと言ってるのか」と口を挟みそうになる。仲間たちは皆、自らの意思で旅路に戻ってくるというのに。
(まあいい。そのうちこいつにも分かるだろ)
 これからはじまる新しい旅の中で、サイラスが学びを深める機会もあるはずだ。
「さしあたっての目的地と、最終目標についてはみんなが揃ってから発表しようと思う。それでいいかい?」
「分かった」
 サイラスは「予めテリオンと話を共有する必要はない」と判断したのだろう。ならば文句はなかった。
 木の階段からこつりと平地にかかとを落とし、学者が三人を振り返る。
「さて、クリス君には今からさっそく授業をしようか。魔法を使うから街道に行くのがいいかな」
「はい!」
 即席の教師と生徒を尻目に、テリオンはじろりと薬師を見やった。
「おたくはどうするんだ」
「俺? 魔法じゃあんまし役に立てねえからなあ……とりあえず宿を確保してくるぜ」
「すまないね、頼むよ。テリオンは?」
「……別にすることもないから、あんたたちの見学だな」
 途端にアーフェンが生あたたかい視線を向けてきた。「サイラスたちを放り出して、万が一何かあっても困るだろう」というテリオンの考えは筒抜けらしい。なんとなく腹が立ったので彼には肘鉄を入れておいた。
 宿の前でアーフェンと別れ、三人は街道に向かう。遠ざかる鉱山の騒音を背中で聞いていると、急にサイラスが話しかけてきた。
「その、先ほどのオデット先輩との会話だが……私はまたおかしなことを言ったのだろうか」
「何のことだ」と問い返す直前に思い当たる。学者が熱烈な言葉を先輩に贈った件だ。
「あれがあんたの本心だってのは分かるが、言葉は選んだ方がいいだろ」
「そう、本心なんだ。良かった、伝わっていないわけではないのだね」
 学者はほっとしたように肩の力を抜いた。彼もそんなことで不安を感じるのか、と意外な気分になる。
「今後も何かあったら教えてほしいんだ。私は……どうやら自分や他人の感情に鈍いようだから」
(い、今更気づいたのかよ……)
 テリオンは思わずのけぞりそうになった。何度も他の仲間が指摘した短所だが、その度に学者は一笑に付したものだ。こんなにあからさまな変化があるということは、ダスクバロウの遺跡での会話は一応それなりに効いたらしい。
 サイラスの抱えた大きな欠陥は、おそらく十五年前に起こった何かに根ざしているのだろう。だが、テリオンはそれを「知らなくていい」と結論づけた。今後何があってもその決定を覆す気はない。だからこう伝えた。
「分かってる。ちゃんとあんたのことは見ておいてやる。ほら、生徒が待ってるぞ」
 街道の少し先で、クリスが不思議そうにこちらを眺めている。
「おっと、すまなかったね」
 サイラスは大股になって先頭を歩き、盗公子の祠に降りる道の途中で立ち止まった。ここなら街道をゆく旅人の邪魔にもならない。
 いよいよ授業のはじまりか、とテリオンは後ろに下がって見物の態勢に入る。学者は魔導書を広げて準備を整えた。
「それにしても、クリス君はどうして私を選んだんだい? アーフェン君の調合や、プリムロゼ君の踊りだって旅の役に立つだろう」
「うーん……サイラスさんは、以前僕に魔法の才能があるって言ってくれましたよね。それに転移魔法を使いこなしていたじゃないですか。あれを発明したなんてすごいですよ!」
 サイラスはかぶりを振った。
「実はあの魔法陣は未完成なんだよ。今のところ私以外の使い手がいないんだ」
「えっ? そうなんですか」
「テレーズ君が――私の生徒が試してもだめだった。私が描いたものを発動させることはできたのだがね。陣を描く時にエレメントを織り込む関係だろうか……?」
 学者はなんだか小難しい理屈をこねている。が、テリオンにとって問題は明白だ。
「そりゃ、あんたと同レベルの魔力がないと意味ないんだろ」
「私ぐらいの魔法の使い手ならざらにいるけれど」
「いるわけないだろ……」
 テリオンは即座に否定した。戦闘中、さんざん彼の魔法の余波を浴びてきたから分かる。あの威力の魔法を放つ者がそうそういてたまるものか。
 サイラスはぴんと指を立てる。
「きっとクオリークレストにもいるはずだよ。大魔法の上をゆく、特大魔法の使い手が。彼らは私が扱えない風、光、闇の属性魔法すら我が物にしているだろう」
 テリオンはぎょっとした。
「本当か?」
「ああ。ただし扱えるのはその人が得意な属性一つ、多くても二つに限られるだろうね。失われた魔大公の力があれば、もっと自由に特大魔法を操ることができるのかもしれないが……」
 テリオンが渋面を作り、クリスが首をかしげたことに気づいたのだろう。サイラスは説明を付け加える。
「魔大公ドライサングはオルステラの十二神のうちの一柱だよ。キミの守護神・盗公子エベルと同格の神だ。
 ドライサングが守護する『魔術師』はすべての属性の特大魔法を扱えるという。しかし未だに祠は発見されておらず、現在は魔術師の恩寵を受けている人もいないね」
 要するに魔法のエキスパートか。思えば学者連中が魔法を使うのはあくまで本業の片手間であり、それとは別に専門家がいるというのは納得できる。
 祠といえば、訪れた者に神々の力を与える役割を果たしているようだ。未だにテリオンは納得していないが、この崖の下に祀られている盗公子エベルからは、十分すぎるほどの恩恵を受けていた。
「もし魔術師の力が使えたら……今後が楽になりそうだな」
「え? ああ、そうだね。考えたこともなかったよ」
 サイラスがこういう反応をするということは、魔術師という職はあまり世間に浸透していないらしい。魔大公の祠を見つけて盛大に祀り上げれば力を貸してもらえないものか、とテリオンは現金なことを考えた。
「あのーすみません、そろそろいいですか?」
 話の外にいたクリスが控えめに声を上げた。サイラスは慌てて姿勢を整える。
「ではクリス君、キミが使える中で一番威力の高い魔法を見せてくれ」
「は、はいっ」
 クリスはおもむろに両手を前に差し出した。無言の集中とともに冷気が集まっていく。すると、何の合図もなしにトゲのように鋭い氷が地面からせり上がった。氷は宙を貫き、すぐに音を立てて崩壊する。
 テリオンは目を見張った。魔法の威力に驚いたわけではない。今、クリスは完全に唇を閉じたまま魔法を発動させた。
「見事だね。やはりキミは詠唱を必要としないのか」
「はい、練習したら自由に使えるようになったんです」
 クリスははにかんだ。いつの間にそれほど成長したのだろう。詠唱もいらず、予備動作もなしで魔法が使えたら、いくらでも不意打ちができるではないか。戦闘における大きなアドバンテージだ。
 サイラスはおとがいをなぞって今の光景を反芻し、青い双眸を輝かせた。
「クリス君、キミにはやはり魔法の適正があるよ。一度ファストトラベルを試してみないか? キミなら使えるかもしれない」
「僕がですか?」
 クリスは瞠目する。サイラスは自分の杖を彼に渡し、いつも使っている手帳を見せて、「これと同じ模様を杖で地面に描いて」と促した。なかなか強引である。
「あっ……」
 すると、クリスが小さく喉を震わせた。
(なんだ?)
 テリオンは違和感を覚えた。杖を手にした刹那、少年の雰囲気ががらりと変わったのだ。焦点を失った両目がぼんやりと見開かれる。サイラスが「どうしたんだい」と声をかける前に、彼は杖の先端を地面につけた。
 すべるように動く杖が、片時も止まることなく真円を描いていく。まさかあの一瞬で文様を覚えたわけでもあるまいに、クリスは続けて内側の複雑な模様を描き出した。サイラスが息を呑んだ。
「クリス君、その陣は……!?」
 驚愕と疑問の混じった叫びは届かず、クリスは完成した陣の中央に立つ。すかさず地面が光りはじめた。
「まずい、発動してしまう!」
 サイラスが後先考えず魔法陣に突っ込もうとするので、テリオンは「待てっ」とフードを掴んで引き止めた。
 呆然とする二人の眼前で光が失せる。クリスはまるで最初からいなかったように、魔法陣の上から姿を消していた。

※続きは同人誌に収録

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