家宝の短剣

 視線を感じる。
 ただ見られているだけなら無視すればいい。しかし相手はテリオンの新たな旅の連れであり、こうも近い位置から露骨に視線を注がれると話は別だ。
「……何か用か」
 テリオンは手入れしていた短剣をくるりと回し、鞘にしまった。
 視線の主である踊子の唇が弧を描く。彼女は旅の最中だというのに丁寧に肌に白粉をはたいていた。服装も装備と呼べるものではなく、踊子特有の薄衣と繊細なサンダルである。その格好で弱音を吐かずに悪路を歩むのは見上げた根性だが、それはそれとして旅を舐めているのかと問いたい。
「いいえ何も。だって、聞いても教えてくれないでしょ?」
 いつの間にか隣に座っていた彼女は軽くほほえむ。
 ますます何の話だ。ため息をつくと、くすりと笑われた。
 間が持たない。どう接していいか分からない。頼みの綱の薬屋は近くの川に水を汲みに行っていた。
 旅の途中の休憩時間だ。朝から歩き詰めだったので一度休もうと薬屋が提案し、二人はそれに従った。テリオンは武器の手入れをはじめ、踊子は興味津々といった体でそれを眺めていた。
 そろそろ地図の上ではハイランド地方に差しかかる。砂漠のきつい日差しもいくらかやわらぎ、足元に緑が茂ってきた。厳しい気候の砂漠をやっと抜けられたという安心感もあり、薬屋が休憩を提案したのだろう。踊子も、張り詰めていた表情がずいぶんほどけてきていた。
 この踊子とはサンランド地方で出会った。サンシェイドの町で地下道を抜けようとしていたところを、薬屋が気に留めて付き添ったのだ。例によって例のごとくテリオンも付き合わされ、薬屋と共に地下道の出口まで踊子を送り届けた。あの町における踊子との接点は本当にそれだけで、魔物だらけの地下道に単身突入しようとしていた理由も、抜けた先で何をしたのかもテリオンは知らない。
「あなたたちの旅に連れて行ってくれない?」
 ちょうどテリオンたちがサンシェイドを後にしていくらか砂を踏んだ頃、プリムロゼと名乗った踊子は二人の前に現れてそう持ちかけた。薬屋は若い美人に頼られて分かりやすく喜んでいた。
 旅の目的は聞いていない。薬屋が聞き出そうとしたが「それは言えないわ」の一点張りだった。薬屋は「いつか話してくれるだろ」と楽観視していたが、どうだろう。少なくとも、彼のように「苦しむ人々を救いたい」という高潔な目的ではないはずだ。どちらかというとテリオンに近い、薄暗い過去とそれにまつわる目的がある。何故なら——
(この女は人殺しだ)
 おそらく元職場の支配人を殺して町を出てきた。
 サンシェイドを発つ直前、酒場の支配人と従業員数名が行方不明になったと小耳に挟んだ。さらに同道を願い出た踊子の隠しきれない殺伐とした雰囲気から、テリオンはそう推測していた。
 別段、彼女の行為についてとやかく言うつもりはない。ただ「やはり他人の考えなど分からないものだ」と改めて思った。
「私もお手入れしようかしら」
 気づまりになって回想に逃げたテリオンの隣で、踊子は自らの得物を取り出す。テリオンと同じく短剣だ。それも立派なつくりで、観賞用かと思うような美麗な逸品だった。貴族の屋敷にこれが飾られていたら、テリオンは間違いなく目をつけるだろう。
 道中魔物との戦闘になると、彼女はこの短剣を握りしめて相手に向かっていく。薬屋が「俺たちが戦うからいいって」とやんわり言えども、「自分の身は自分で守るわ」ときっぱり断る。確かに戦闘の素養はそれなりにあるようだった。踊りや芸事ばかり磨いてきたわけではなさそうだ。
 踊子は熱心に砥石で短剣を研いでいる。やすりで爪の形でも整えているのがお似合いなのに、不思議な光景だった。何気なく女を見つめていたテリオンは、ひっそりと指に巻かれた包帯に気づく。
(傷が増えたな)
 指以外にもちらほら怪我のしるしがあった。薬屋が丁寧に治しているので跡は残らないだろうが、肌を露出しているだけに目立つ。踊子は無謀な戦いにも果敢に挑むきらいがあった。薬屋が治療の度に苦言を呈するのも無理はない。
「……もっとリーチの長い武器にしないのか」
 うっかり、口をついてそんな言葉が出ていた。
「え?」
 踊子が顔を上げる。宝石のような緑目が丸くなっている。
「あんたの戦い方と武器が合っていない」
 ——はっきり言って、後ろからあの踊りで支援してもらった方がよほど戦いの役に立つのだが、そこまでテリオンが指図するいわれはないだろう。だから本音の代わりにそう告げた。
 踊子の手が止まった。瞬きを一つすると、もう表情を繕っていた。
「私の武器はこの短剣だけよ」それと美貌もね、と付け加える。
 薬屋ならはぐらかされるであろう妖艶な微笑を、テリオンは受け流した。
「なら、魔物相手には別の短剣を使え。そいつは——」
 人を斬るための武器だろ。
 低く抑えた声は、確かに踊子の耳に届いたらしい。軽く息を呑む気配がした。
「魔物との戦いでは、武器はある程度使い捨てになるぞ」
 硬い皮膚を持つもの、刃に厄介な脂を残すもの、粘った体液で切れ味を台無しにするもの。このオルステラには面倒な魔物がいくらでもいる。たった一本の武器ですべての困難を乗り切るのは、どう考えても不可能だ。
 踊子はしばらく短剣に目を落としていた。
「そうね。刃こぼれしたら、大事な時に使えないかもしれない」
 大事な時というのは、おそらくは。
 ……その答えが分かっていても、テリオンは彼女の目的に口を挟む気はない。薬屋が知ればうるさいだろうが、わざわざ教えるつもりもない。
 今のはただの、旅の連れとしての助言だ。
 踊子はにこりと唇の端を持ち上げた。
「意外だったわ。習うより慣れろって言うタイプかと思ったのに」
 まさしくそのとおりだ。いささか話しすぎた、とテリオンは自分でも失敗を悟っていた。
「……最初だけだ」
 苦し紛れの言い訳だった。相手もそれを分かっていて、こう返事する。
「ありがとう」
 踊子はその名にふさわしい、花開くような笑顔を見せた。それは誰彼構わず誘惑するための艶っぽい笑みとは違う。現在の生業に関わらず、生まれつき持っていたはずのものだ。
(お互い、向いてないことはするもんじゃないな)
 テリオンは嘆息とともにまぶたを閉じた。

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