告白か実行か

 かさかさとカードをめくる音がする。
 ノースリーチの酒場は地元住民や旅人でにぎわっており、四人で丸テーブルを囲ってゲームに興じてもそこまで目立たなかった。
 最後の手番であるテリオンは窓の外を一瞥し、闇にちらつく雪を見てから、手札を二枚捨てて山札を引く。向かい側に座った学者サイラスがそれを確認して、ひとつうなずいた。
「では私から行こう。剣の七の三枚重ねだ」
 学者の指先が手札を広げ、宣言通りの役が示される。剣士オルベリクがぐっと喉奥でうめいた。彼の手指と比べると、相対的にカードが小さく見える。
「……杖の一から三の並び」
「俺は杯。二と五が二枚ずつだ」
 剣士に続いてテリオンも手札を見せた。ここまで役の強さはほぼ拮抗している。男性陣の視線が、この場で唯一の女性に集中した。
「剣の一から五まで揃いました」
 酒場にそぐわぬ神官服を着たオフィーリアは、ほほえみながら札を晒した。当然のごとく四人の中で一番強い役の上、無駄な札が一切ない。テリオンは息を吐き、オルベリクが額に手をあて、サイラスの目が大きく見開かれた。
「ううむ……これでは勝負にならないね。オフィーリア君の一人勝ちだ」
 酔いは覚める一方だった。テリオンは思わず恨めしい気分でサイラスをにらみつける。
「あんた、こうなるって分かってたんだろ」
「以前、トレサ君も含めて同じゲームをしたことがあったが、今回も負けてしまうとはね……」
 声色こそ沈んでいるが学者の表情は晴れやかで、ゲームの勝敗など大して気にしていないようだ。オルベリクが「恐ろしい実力だな」と感じ入ったようにつぶやいた。
 ――降りしきる雪をかいくぐって酒場にたどり着いた四人は、食事を終えて手持ち無沙汰になった。宿に帰ろうにもますます天気は悪化し、しばらく外に出るのは控えるべきだと学者が言ったからだ。そこで、テリオンがこのカードを取り出した。
「あんたたちはこういうの、やったことあるのか」
「ルールは分かります」
 オフィーリアが真っ先にうなずいたのが少し意外だった。サイラスも同意しつつ、ちらりと剣士を見やる。
「だが、このメンバーで遊んだことはなかったね」
 そりゃそうだろ、とテリオンは心の中で突っ込んだ。
 彼らのパーティの中でもこの三人――学者、神官、剣士は戦闘における中心人物だ。ほぼ常に隊を組んで、洞窟やら屋敷やらに出かけている。一方のテリオンは酒場で彼らの帰りを待ちぼうけることが多く、そのうち仲間内でこうした遊びに興じるようになった。
 聞けば、オルベリクも騎士団時代にカードを覚えたという。そこでテリオンは、手札の絵柄と数字を組み合わせて役を作る、オルステラで最も普及しているであろうゲームを提案した。
 テリオンはいつも比較的上位の勝率を誇っていたので、今回もそうなるだろうと高をくくっていた。真に恐ろしい女性がメンバーにいるとは知らず――
「賭博師になれるぞ、あんた」
 連敗したテリオンは自分の手札をひらひらと宙に泳がせる。オルベリクが呆れたように口を挟んだ。
「オフィーリアは神官だろう?」
「賭博で身を持ち崩した神官なんていくらでもいる」
 テリオンが反論すると、オルベリクは口をつぐむ。オフィーリアはおしとやかに笑った。勝者の余裕だ。
「わたしがカードで勝てるのは、きっと何も賭けていないからだと思います。賭博になれば別でしょう」
「ツキというものは些細なきっかけで変わるというからね」とサイラスが同意を示し、
「だからテリオンさんもお仕事の時に験を担ぐのですよね?」
 指摘されたテリオンは視線をかわし、頬杖をついて窓越しに屋外を見やる。
「……あいつら、帰ってこないな」
 サイラスはうなずいた。
「今晩は洞窟で過ごすのだろう。物資は多めに持っていったから大丈夫だ」
 彼らのパーティは八人と一匹という大所帯で旅をしている。今この酒場にいる四人以外は、ノースリーチ近郊にある「氷竜の口」という洞窟にいるはずだった。
 八人でノースリーチに向かう途中、洞窟の入り口を通りがかると、商人トレサが「中にキャットリンが入っていくのを見た」と主張した。それはめったにいない猫の魔物で、つかまえた者に幸運をもたらすとの噂があった。しかも、金貨や宝石をたっぷり抱えたとりわけ珍しい種だったそうだ。そこで、彼女を筆頭に踊子、薬師、狩人の四人で追いかけていったのである。
 オルベリクが山札と自分のカードを混ぜながら唸った。
「この時間まで帰らないとなると、キャットリンはすぐには見つからなかったようだな」
「もともとここに来た理由は、彼女たちが戦いの経験を積むためだったからね。ちょうど良かっただろう」
 サイラスが相槌を打つ。戦闘に関してはテリオンを除く三人にほとんど任せきりだったこともあって、各々の旅の目的を達成した今でも、仲間の実力には多少のばらつきがある。今回の遠出はその不均衡をなくすための措置だそうだ。
 オフィーリアがテーブルの上に広がったカードをきれいに揃える。いつの間にか全員のグラスが空になっていた。酒場の小さな窓を覗けば、外の雪も多少はましになっている。
「そろそろ宿に戻りませんか?」
「うん、そうしよう」
 学者が腰を浮かせ、テリオンはオフィーリアから渡されたカードを懐にしまいこんだ。これは彼がトレサから借りたものだった。
 サイラスが共通の財布からまとめて勘定を払った。その脇で、オルベリクがオフィーリアに付き添って酒場を出ていく。テリオンも続こうとして、横から注がれる視線に気づいた。サイラスがこちらを見ていた。
「テリオン、そのカードを貸してもらえないか」
「何をするつもりだ」
 怪訝な気持ちで問い返した。サイラスはさらりと告げる。
「一人で行うゲームもあるのだろう。試してみようと思ってね」
 彼が暇つぶしの手段に読書ではなくカードを選ぶとは珍しい。「まあいいか」と取り出しかけた時、テリオンの耳の奥にいつか聞いた音が蘇った。カードを切る小気味よい音は、はるか過去に置いてきたはずの記憶のかけらだ。あれは、ここよりもっと寂れた酒場での出来事だった。
「……二人でやるゲームも知ってるぞ」
 テリオンは反射的にそう切り出していた。サイラスが一拍おいて答える。
「そうなのかい? だが人数が――」
「俺が相手をしてやる」
 学者は目を瞬いた。
「珍しいね、キミが誘いをかけるなんて。私は構わないよ。むしろ光栄だ」
 かすかな驚きはすぐに消え、サイラスは秀麗な顔にほほえみを浮かべた。
 今まで使っていた丸テーブルだと大きすぎるので、二人は酒場の中を移動し手頃な卓につく。ついでに給仕を呼んでそれぞれエールと蒸留酒を注文した。
「別に、飲み足りないだけだ。それと……付き合ってやる代わりにちょっとした刺激がほしい」
「何だい?」
 改めて椅子に座った学者はきょとんとした。テリオンは真正面から彼に向き合う。
「告白か実行か……というゲームだ」
 聞き覚えがないらしく、サイラスは続きを促すようにあごを引いた。
「賭博の代わりみたいなもんだ。ゲームで先に五回負けた方が、告白か実行かを選ぶ。告白なら、負けた方は勝った方の質問に正直に答えないといけない。実行は――」
「さしずめ、勝った者の指示を聞く、というところか」
 学者は平然としていた。さすがは飲み込みが早い。テリオンが首肯すると、サイラスは整ったおとがいの稜線を指でなぞった。
「いいよ、やろう。ただし私たちは旅の仲間だ。相手に要求する内容は、あまり深刻にならないようにしなくてはね」
「そうだな」
 無論、テリオンも有り金全部を置いていけなんて言うつもりはない。あくまで遊びなのだから。
 テリオンはカードをよく切り、二人に配った。残りで山札を作りながら、簡単にルールを説明する。数字や絵柄が一定の枚数揃ったら手札を捨てられて、先に札がなくなった方が勝ちというシンプルなゲームだ。学者はすぐに理解し、新たな勝負がはじまった。
 サイラスは真剣に手札を吟味している。テリオンは見るともなしにその顔を眺めていた。
 ――テリオンにこのゲームを教えたのは、かつての兄弟分であるダリウスだった。
 ふたりとも、出会ったばかりの頃より背が伸びて、大人の仲間入りができたと喜んでいた時期だ。後から思えばまだまだ子どもだったのだが、そんなささやかなことにも心が沸き立った。
 その日、盗んできた品物の中にカードが一式混ざっていた。ダリウスはそれを換金する予定の品をまとめた袋から抜いた。テリオンが何故だと問うと「あとで分かる」と言われただけだったが、打ち上げを兼ねて酒場で飲む段になって、ダリウスは戦利品を出してきた。
「テリオン、お前もこいつのルールくらい覚えておけ。いつか賭けに手を出すかもしれねえからな」
 彼は酒場のテーブルの上にどんとカードを置く。テリオンはその束を構成する一枚一枚に色とりどりの絵柄と数字が書かれていることは知っているが、遊んだ経験はなかった。
「賭け? そんなもんが盗賊に必要なのか」と訝れば、
「賭博場じゃあ貴重な情報が飛び交うもんなんだよ。金持ちについての噂話とかな。それが仕事になることもある。
 だがな、ハマって身を持ち崩すなよ。俺たちはあくまで盗賊だからな」
 簡潔に答えるダリウスに「なるほど」と感心した覚えがある。いつだって彼はテリオンにない広い視野を持っていた。
「ほら、試しにやってみるぞ」
「わ、分かった……」
 ダリウスが配ったカードを、テリオンは訳も分からず受け取った。白いカードの表面はつるりとしている。裕福な家から盗んだためか、相当いい紙をつかっているようだ。杖や剣の絵柄は驚くほど細かく描き込まれていた。
 正面に座るダリウスが手札を広げる姿はサマになっていた。テリオンは気を引き締め、真剣にその声に耳を傾ける。
「イカサマするやつもいるが、まずはルールに慣れないとな。そうだ、賭けの代わりにちょっとした駆け引きをしようぜテリオン。『告白か実行か』ってやつだけどよ……」
 ――からんとグラスの中で氷が鳴る。
「キミの番だよ、テリオン」
 遠い回想に涼しい声が重なり、はっとした。幻影を振り払ったテリオンは己の手札を確認しながら、開いた手でジョッキを口に運んだ。それなりに酔いが回っているが、思考には影響なさそうだ。運良く数字が揃っていたので三枚選んで場に出す。
 サイラスは自分の手元を眺めながら――指先まで形の整った男だな、とテリオンは思った――不意につぶやいた。
「以前から気になっていたことがあるのだが」
「なんだ?」
 テリオンは警戒した。ゲームの最中に話を振るとは、もしや心理戦を仕掛けるつもりか。相手を動揺させてミスを誘うのはこういう場での常套手段だ。
「キミはダスクバロウで私が遺跡の扉を開けた時、『嫉妬した』と言っていたね」
 一瞬何のことか分からなかった。が、すぐに思い当たる。そして学者の記憶力の良さに呆れた。
 ウッドランドの森に埋もれた村の中で、サイラスが辺獄の書を求めて秘書ルシアを追っていた時だった。ようやく見つけた秘書が、突然壁の中に消えたのだ。サイラスはその壁が遺跡の一部であることを見抜き、何か仕掛けがあると考えて調べ回った末にボタンを見つけ、試行錯誤して壁を開けた。その時、たまたま近くで様子を見ていたテリオンは盗賊の手口との共通点に思い当たって、「正直嫉妬した」とこぼした。
 そこまで思い出すと、どきりと心臓が跳ねた。テリオンは動揺を表に出さないようにつとめる。
 壁の謎解きを終えた後、二人は「あんたは盗賊に鞍替えしてもやっていける」「テリオンこそよい学者になれる」などと言い合って、それから――テリオンは子どもの頃にサイラスと出会っていたら、学者になるのも悪くなかった……と思ってしまったのだ。
 テリオンはかぶりを振った。
「さあ、細かい話は忘れたな」
 サイラスは返事を無視して続ける。
「嫉妬というものは、相手の才能などを羨ましく思って、その相手を引きずり落とそうとすることだろう。キミは私の存在を脅威に感じたのかね」
 思わず相手を見返した。サイラスはいつもどおりの涼しい顔だ。テリオンはため息をつく。
「……そんなわけないだろ」
 あれは何気なく出た語彙だった。学のない盗賊が、常に正しい言葉選びをする前提で考えないでほしい。
「ならば、キミはきっと『羨望を抱いている』と言いたかったんだよ」
「細かい言い回しなんてどうでもいい」
「そうかな?」
 サイラスは首をかしげた。結局これは心理戦なのか、本当にただ気になっただけなのか――図りきれずにテリオンが思考を放棄しようとした時、ふと思い当たった。
 相手の才能に嫉妬して、引きずり落とそうとする。テリオンはそういった感情を真正面からぶつけられた覚えがあった。
 崖際で武器を向けられ突き落とされた過去、それから雪明かりに照らされた廃教会の地下を思い出す。
(ダリウス……)
 彼は「自分にはテリオンほどの盗みの才能はない」と何度も言っていた。ダリウスと別れるまでは――兄弟と呼びあっていた頃には聞いたことがなかったし、彼がそれを気にしていたなんてテリオンは知らなかった。
 そう、ここはノースリーチだ。どうしてもかつての兄弟のことを思い出してしまう。テリオンはダリウスから竜石を奪取した後、振り返らずに町を出た。次にここを訪れた時、ダリウス盗賊団の名は町から消えていた。
(くそ、学者先生の術中にはまってるな)
 自覚とともに奥歯を噛みしめる。いつの間にか再びテリオンの手番になっていた。どのカードを捨てるか悩みながら、反撃を図る。
「あんた、なんでここに来たんだ」
 短い問いかけだが意図は伝わったらしい。サイラスは簡潔に答える。
「目的地についてはオフィーリア君とオルベリクと協議した結果だよ。寒さの厳しい場所は経験を積むのに適している。魔物も特に強いようだからね」
「そうじゃない。あの場所から戻ってきた理由はなんだ?」
 鋭く返せば、学者が一瞬黙った。わずかにテリオンの溜飲が下がる。
 少し前、一行は「フィニスの門」という場所にたどり着いた。そこには八人の旅路の果てに残った謎の答えがあると目されていた。果たしてホルンブルグ合戦場跡地に到着すると、門の前には魔女とでも呼ぶべき女と、テリオンたちの知り合いの旅人クリスがいて、何やら意味深なことを言い残して門に吸い込まれていった。
 開いたままの門の中は赤い光にあふれ、明らかに異様な雰囲気を醸していた。仲間たちが魅入られたように引き寄せられる直前――サイラスが「出直そう」と水を差したのだ。
 学者は氷の浮かんだ蒸留酒で舌を湿す。
「言っただろう、私たちはあの時ろくに準備ができていなかった。門の先に何が待っているかは分からないが、リブラックの言った通り戻れない可能性があるなら、急いで突入すべきではない。もちろんあまり先延ばしにするわけにもいかないがね」
 そうだ、テリオンたちは今この瞬間もクリスを放置しているのだから。
 確かに話の筋は通っている。だが、普段どんな場所にも正面から乗り込んで魔法で蹂躙してきた学者にしては、妙に慎重なことを言うものだ。
 テリオンはカードを抜き取って場に捨てる。手札はかなり減ってきたが、残った数字の並びがあまり良くない。サイラスも同程度の手札を残しており、長期戦になる予感がした。
「……そうか。だが、あんたが逗留先にこの町を選んだ理由は、魔物が強いからだけじゃないんだろ?」
「それについては……キミが勝って『告白』を選べばいい」
 青目が鋭い輝きを帯びたかと思うと、サイラスは手札を一気に場に出した。絵柄と数字が見事に並んでいる。
「とりあえず私の一勝だね」
 涼やかな声が下した宣言に、テリオンは舌打ちする。すぐにカードを混ぜて配り直し、次のゲームがはじまった。
 こうして学者と面と向かって話す機会は、今まであまりなかった。途中で気詰まりになるかと思いきや、意外にも話は弾んだ。
「そういえば、あのルーンマスターとかいう力だが、あんたが使え。俺には向いていない」
 場がほぐれると、こういう文句も口をついて出る。ルーンマスターとは、いつだかエバーホルド近くの祠で神の似姿と戦って得た力だった。属性の力によって武器を強化する術が主力のため、テリオンに適しているとは思えなかった。一度、サイラスが使ってとんでもない火力を叩き出した場面を目撃したからなおさらだ。
「ふむ、分かったよ。なら今私が使っている魔術師は……プリムロゼ君に譲ろうかな」
 踊子も案外魔法が得意のようで、時折サイラスに教えを請うていた。無論、教師の気質が強い学者は喜んで手ほどきした。
「それがいい。俺は魔法なんて使う気はない」
「そうかな、キミには素質があると思うよ」
「……また学者になれと言うんじゃないだろうな」
 やや警戒しながら問い返した。無論ダスクバロウでの会話を念頭に置いている。
「その提案を覚えておいてくれただけでも十分だ」
 サイラスは氷すら解かすような微笑を浮かべた。
 この回は手札の運が傾いたのか、僅差でテリオンが勝った。
 それからゲームを繰り返し、互いに四回勝利した状態で最後の対局を迎えた。結果として勝負を制したのはテリオンだった。もちろん一切イカサマはしていない。実力というより、運でもぎ取った勝利だろう。
「負けてしまったか。さあ、告白か実行か……なんでもどうぞ」
 サイラスは余裕たっぷりに両手を広げる。テリオンは少し考えてから、声を低めた。
「告白を選ぶ。……あんたはダリウスの行方を知っているな」
 サイラスはわずかに眉を上げると、何ごともなかったかのように答えた。
「……そのとおりだ」
 やはり、か。テリオンはそっとまぶたを閉じる。
 ダリウスは廃教会でテリオンに敗れた後、傷ついた体を抱えてどこかへ行った。テリオンは彼を追いかけようと思わなかったし、積極的に情報を仕入れる気もなかったので、その後どうなったかは知らなかった。
 サイラスがフィニスの門からノースリーチに戻ってきたのは、もしかするとダリウスの行方を確かめるためだったのではないか――という突拍子もない考えが頭に浮かんだ。しかし、学者がそうする理由が分からない。いつものようにただ興味が湧いたのか、もしくはテリオンに行方を知らせるつもりだったのか。
 神妙な顔をしたサイラスが唇を開きかける。テリオンは即座に口を挟んだ。
「居場所は言わなくていい」
「そうか。……いつか、キミは私を恨むだろう」
 サイラスは力なく頭を振った。恨む、とはどういう意味だろうか。気になったが、テリオンは聞き返さないことにした。
 カードで勝負するうちに思い出したのは、ダリウスとともに過ごした穏やかな時間の断片だった。レイヴァース家との接点ができる前のテリオンは、ダリウスの存在が頭に浮かぶ度に胸がざわめいて舌打ちで取り消していた。だが今は真逆で、二度と会わないくらい離れたからこそ、彼のことを覚えていたかった。
 そういう心の動きを自覚できたのは、このささやかな駆け引きにおける一番の成果だっただろう。
 長く続いたゲームが終わると、酒場も酔客が減って落ち着いた雰囲気になっていた。時間も遅いしもう終わるか、と言ってテリオンはカードを片付けはじめた。
「なあ、もしあんたが勝ってたらどっちを選んでたんだ?」作業の合間につい好奇心が湧いた。
「そうだね……実行かな」
 サイラスの答えに、やや身構える。
「もしキミが学問に興味を持ったなら、いつでもいいからアトラスダム王立学院の門戸を叩いてほしい、と言うつもりだったよ」
 澄んだ青い視線がひたと注がれる。相変わらずの発言に、テリオンは脱力した。
「『要求が深刻にならないように』って自分で言ったんだろ……。この場ですぐできないことはルール違反だ」
「もちろん、本当に勝っていたら別の内容にしたよ。だが……あえてキミに何か頼むならそれしかないと思ってね」
 サイラスは平然とした顔でグラスを揺らす。強制力が低い割に、厄介な願いだった。
 つられてテリオンはすっかりぬるくなったジョッキを持ち上げる。泡の消えたエールが底の方に残っていた。
「あんたは当たり前に未来の話をするんだな」
 過去にもテリオンのそばにはそういう人物がいた。ダリウスだ。彼は「成り上がってやる」とよく言っていた。その先に目指すものは共有しきれなかったが、目先の盗みにかまけて「今が楽しければそれでいい」と思っていたテリオンにはない視点だった。
 ダリウスには、兄弟を蹴落としてでもなりたいものがあったのだ。
 サイラスは両手を組んでその上にあごをのせる。いつの間にか彼のグラスは水だけになっていた。
「先を見るばかりでなく、今を生きることも大事だと言いたいのかな」
「まあ……そういうことだ」
 また面倒な話がはじまりそうな予感がしたが、適当に流す。サイラスはふっと表情を緩めた。
「それについてはキミや仲間たちからすでに教わったよ」
「ほう」
 学者に何かを教えたつもりはなかった。サイラスはまるで酔いを感じさせない口調でなめらかに続ける。
「先ほどのカードゲームもそうだ。私にとっては暇をつぶすというと、本を読むことだったから……誰かと語らいながら手を動かして時間を過ごす、というのはトレサ君から学んだことだ」
 彼は故郷でこうしたゲームに興じることはなかったのかもしれない。テリオンは図書館でぽつんと一人、本を読みふける学者の姿を思い浮かべた。正直彼がカードで遊ぶ光景よりはしっくりくる。
「私が見る未来も、現在の積み重ねの先にあるのだと、旅を続けるうちに改めて発見したよ。今を生きて行くことはキミの得意分野だろう。ならばキミにもいつか見えるはずだ」
 そう言い切った男は完全に教師の顔をしていた。テリオンは壇上に立つ彼の姿を幻視した。
 テリオンの未来が学者の道につながっているとは到底思えなかったが、神妙な顔でうなずいておいた。
 その時、建物の外から複数の足音が聞こえた。直後に勢いよく酒場の扉が開き、寒風が吹き込む。人々のざわめきが一瞬止まって、すぐに戻った。
 テリオンは肩越しにそちらを振り返る。入ってきたのは色とりどりの防寒着を来た一行だ。
「あー、あったかーい!」
 リュックを背負ったトレサが明るい声で帽子を脱ぎ、扉の外に腕を伸ばして雪を落とした。続いてハンイットとリンデ、プリムロゼが登場し、最後に毛皮を肩にかけたアーフェンが扉を閉めた。氷竜の口に行っていた仲間たちが戻ってきたのだ。
「マスター酒! エールじゃなくてもっと強いのな!」
 寒さで顔を赤くした薬師はカウンターに向かって叫んでから、こちらを見つけて「おっ」と声を上げる。
「おかえり、みんな」
 サイラスは穏やかに迎えた。一行は二人のテーブルの周りに集まってくる。
「あら、珍しい組み合わせね。一体どうしたのよ」
 他の客の視線を受け止めてしゃなりとポーズを作ったプリムロゼが、テリオンたちを順繰りに眺める。サイラスはにこりと口の端を持ち上げた。
「暇つぶしに付き合ってもらっていたのさ」
「あ、もしかしてあたしの貸したカード? めくりやすかったでしょ」
「いい品物だったよ」
 サイラスが答え、テリオンが無言でトレサにカードを渡す。四人はテリオンたちの横にあった丸テーブルについた。雪豹は狩人の足元の定位置に座り込む。
「で、キャットリンは見つかったのか」
 椅子の上で体の向きを変えたテリオンの質問に、ハンイットが首を振った。
「それが全然でな。他の魔物とはたくさん戦ったが」
 捕獲もずいぶん進んだぞ、と狩人はにやりとする。リンデが自慢するようにしっぽを床に打ち付けた。
「キャットリンが落とした宝石はいくつか見つかったわ。せっかくだから売りさばきましょ」
 本命を取り逃がしたにもかかわらず、トレサは商人らしくほくほくした顔をしていた。
「そうか……では、戦闘の経験を積むという目的は達成したのだね」
 とサイラスが言えば、踊子が柳眉をつり上げていきり立った。
「良くないわよ。こっちは何度も魔物と戦って大変だったんだから」
「まあまあプリムロゼ、そんなことは酒飲んで忘れようぜ!」
 アーフェンが笑顔でとりなす。
 もう付き合う必要はないだろうとテリオンが腰を上げれば、サイラスは座ったまま眩しいようなまなざしで隣の四人を見つめていた。
 テリオンの脳裏に、雷鳴のように閃くものがあった。
(こいつがフィニスの門から戻ってきたのは……こういう時間を持ちたかったからか?)
 去りゆく時間を大切にしたい、仲間とともに過ごしたい――彼の言う「今を大切にすること」の根底には、そんな思いがあるのではないか。
 学者が浮かべる穏やかな表情には、ゲームで聞き出した内容よりも、よほど真実に近いものが含まれているように感じられた。



 永遠の黄昏を思わせる光に満ちたフィニスの門の内部にて、テリオンはぼろぼろに朽ちた石の台座の前に立ち、短剣を握りしめる。
 一行が緊張しながら見守る中、台座の中央にゆらめいていた青い火の玉が、みるみる見知った影を形作った。テリオンよりも上背でがっしりした体格を持つ男だ。
「あいつは……! テリオンっ」
 後ろでアーフェンの焦った声がした。彼も正体に気づいたのだ。
 テリオンは黙ったまま仲間たちの輪から一歩踏み出す。
 このおかしな空間において、一行はすでにあれと同じ火の玉が変形したドラゴンや槍使いと戦った。その後に残された手記の内容から鑑みて、ここは八人にとって馴染みの死者がいる空間なのだろう。
「ダリウス……」
 テリオンが呼びかけても、かつての兄弟は何も言わずに立っている。姿形は確かに人間だが、皮膚も服装もすべてが影に塗りつぶされていて、表情は伺い知れない。
 ここに影がいるということは、ダリウスはテリオンの与り知らぬところで死の門をくぐっていたのだ。
 獣耳の生えた毛皮のフードをかぶったトレサが、そっと横に並んだ。
「テリオンさん……大丈夫?」
 それには答えず、テリオンはやや離れた位置にいる学者を見る。魔剣士の青い装束に身を包んだサイラスは、こうなることを分かっていたのだろう、目をそらさず静かに佇んでいた。
 テリオンは肩にかけた薬師の鞄を背中に回し、はっきりと学者に声を届けた。
「言っただろ、あんたを恨まないって」
 サイラスがはっと息を呑むのが分かった。
 ノースリーチでカードゲームをした時点で、学者はダリウスの末路を知っていたのだろう。それを「告白」で話そうとしたが、他ならぬテリオンに遮られた。
 彼は、本来テリオンが引き受けるべき痛みをずっと一人で抱えていたのだ。
 そばに寄ったアーフェンが心配そうな顔で見つめてきた。テリオンはダリウスの幻影に視線を戻しながら、薬師の肩をぽんと叩く。
「おたく、やっぱりその神官の服似合わないな」
「え?」
 白くて丈の長い装束をまとったアーフェンはぽかんとした。一瞬間を空けてから、「今言うことじゃねえだろ」と抗議する。
 踊子、剣士、狩人、神官は一旦後ろに控えた。今回の幻影は他の四人で迎え撃つ、という方針を予め学者が定めていたからだ。
 影のダリウスが青黒く塗りつぶされた剣を持ち上げ、臨戦態勢に入る。
「告白か、実行か……」
 つぶやいたテリオンは短剣を携えて地を蹴った。
 ――どこかの町の、うらぶれた酒場で兄弟とカードゲームをしたあの日。初心者にもかかわらず勝利したテリオンは「告白」を選び、何気なくダリウスに質問した。
「ダリウスはよく『成り上がる』って言ってるが……最終的に何になるつもりなんだ?」
 前からずっと気になっていた。「見下していた連中よりも上になる」という台詞はよく耳にしたが、彼がどこを目指しているのかは聞いたことがなかった。
「あ? そんなの決まってるだろ」
 ふてくされた顔のダリウスが答える前に、閃いたテリオンが言葉を引き継ぐ。
「もしかして、大陸一の盗賊になるのか」
 ダリウスは音を立ててテーブルの上に突っ伏した。空のジョッキがぐらぐら揺れる。
「あのな、恥ずかしいからそういうのは胸の中にしまっておけ。もうそんなこと言う歳でもねえだろ」
「ならないのか……」
 テリオンはやや消沈して唇を尖らせた。二人でコンビを組めば、いい線まで行けると思ったのだが。
 顔を上げたダリウスは、面倒くさそうに手を横に払った。
「どうしてもっていうなら、お前がなれよ」
 ――懐かしい声と景色が記憶の彼方に遠ざかる。
 あれから十年近く経った今でも、テリオンは自分がこの先どうなるかなんて皆目分からない。彼にできるのは、ただただ今を戦い抜いて、己に未来を提示した人に力を貸すことだけだ。
 生を求めて軌跡を描いた短剣が、死者の振り上げた剣とぶつかり、火花を散らした。

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