垣間見る兆し

「はい、これが約束の物です」
 と、ややぞんざいに手渡されたのは、小ぢんまりとした紙の箱だった。中には白いケーキが鎮座ましましているだろう。
 団長はありがたく受け取り、代わりに前もって約束していた代金の、二割増し程のルピーを彼の手に握らせる。少年は違和感を感じたようだが、それについては言及しなかった。
「いつもすまないね」
「奥さんのお口に合うか、分かりませんが」
「君からの贈り物なら喜んで受け取ってくれるさ」
「そうでしょうか。……」
 少年はふと言葉を区切り、まじまじと団長の顔を見つめる。気取りのない真っ直ぐな瞳に、少しドキリとした。
「何だい?」
「こういう物って、ご自分で用意した方が良いのではないでしょうか」
「普段なら、ね。今回ばかりは、君を緩衝材にしなきゃ不味い。体よく利用していることは認めるよ」
「それは、構いません。団長さんは『お得意様』ですから」
 すげなく言ってのける。お得意様、か。団長は苦笑した。
 少年と知り合ってから、季節が一巡りしてしまった。恥ずかしいことながら、初めての依頼は妻の浮気調査だった。
 一年前。誤解に誤解が重なり、家内との関係に亀裂が入りかけていた団長は、風の噂を頼りに彼を雇い入れた。なんとか状況を打開してくれ、と頭を下げて。その時すでに夫婦喧嘩は冷戦に突入しつつあった。
 するとどうだろう。一週間もしないうちに彼は妻とすっかり打ち解け、「結婚記念日に団長が遠征に行っていたから拗ねていた、浮気は事実無根だから安心していい」ということまで聞き出していた。まったく恐るべき才能だ。
 少年は、当時から巷で有名だった。団長は偏った依頼しかしないが、相応の報酬を払えば、何でもやってくれるという。老女の話し相手から、屋根の修理まで——引き受ける仕事は多岐にわたった。
 今回も例によって、うっかり妻の機嫌を損ねてしまった団長。仲直りのために、カカリコ村で評判の生菓子を彼に買ってきてもらったのだ。少年が仲裁に入ることが、もはや夫婦喧嘩の一部に組み込まれている気さえする。
「一刻も早く、君に頼らずに家庭生活を営めるようになりたいものだ」
「それは仕事がなくなるので困ります。どうぞお好きなだけ喧嘩していてください」
「容赦がないな……」
 愛想は皆無でも、不思議と人好きのする少年だった。寡言なのに、相槌のタイミングが絶妙なのだ。糸をたぐるように言葉が引き出され、気がつけば団長ばかりが喋っている。あらゆる質問が受け流されるおかげで、それなりに親しく付き合っていても、いまいち掴み所がない。団長は彼の親すら知らなかった。
 ふと浮かんだ疑問を、そのまま口にしてみる。
「君、将来は何になりたいんだい」
「特に……。孝行出来るだけの収入があれば、それで」
 興味がなさそうだ。若者らしい上昇志向など微塵も見受けられなかった。団長は苦笑し、こう切り返す。
「ならば騎士になるつもりはないか?」
「は」
「そんな顔をしなくても。意外と向いてるんじゃないかと思ってね」
「僕がですか?」
 思いもよらなかったようで、彼は目を丸くする。表情の薄い彼には珍しいことだ。不味いことを喋ってしまったように思えて、団長はぼそぼそと弁解した。
「いや、君みたいな人が補佐をしてくれたら何かと楽なんだ。よく気が回るからね」
「それは、どうでしょう」
 少年は首をすくめた。心当たりはないらしい。
「とにかくこのケーキ、助かったよ」
 そのとき団長は何かに気づき、「静かに」と小声で囁いた。
 カツ、カツ……。城側の出口から足音が近づいてくる。
 少年と連絡を取る場所は、いつもこの地下通路である。知る人ぞ知る、外部とハイラル城内を繋ぐ抜け道だ。入り口は城の中庭。それも植え込みの中に隠れていて、重箱の隅をつつくような探し方をしない限り、絶対に見つからない。外に出ていくときも、正門の兵士をうまい具合にやり過ごせる。密会にはピッタリの場所だ。
 そのような場所に、少年がいること——すなわち、部外者を城に入れたことが知れ渡ると、さすがにまずい。察した彼はすぐに身支度を整える。
「では僕はここで」
「ああ、ありがとう」
 目礼し、静かに外への出口へ駆けていった。やはり野放しにするには惜しい、と団長は一人ごちた。
 城へ戻ろうとすると、自然と足音の主とすれ違うことになる。薄暗くて誰か判別出来ない。
「おや団長殿」
 かけられた声は意外な人物のものだった。
「アグニム司祭? 何故ここに」
「いやはや……教会で礼拝があるのですが、正門をくぐるには少々時間がかかりますからね」
「それはそれは」
 団長は同情のまなざしを送った。この人は常に忙しそうにしている。まだ赴任して間もないが、国王からの信頼がとりわけ厚いので当然だろう。同性でも惚れ惚れする容貌の司祭は、兵士や給仕たちにも人気があった。目に付く場所を移動しようとすると、たちまち人だかりが出来る。団長には実感できない苦労だった。
「いつもお疲れさまです」
「いえいえ。私ごときに立ち止まって、時間を割いてくださる方々にも申し訳ありませんから」
 なんと、相手の状況すら慮っているらしい。彼らがアグニムにお近づきになろうとするのは、好奇とあこがれの結果であり、自ら進んでやっていることだ。それに対する処置にしては、いささか配慮が深すぎる気もする。
 アグニムと先ほどの少年の印象が似通っている、と団長は思った。さりげなく周囲に気を配りつつも、静かに己の道を歩む姿が重なった。全く接点のない二人に共通点があるのは、おかしなことだ。
 別れる寸前、アグニムが再び口を開いた。
「騎士団の遠征が、もうそろそろでしたね」
「はい。デスマウンテンの方へ行って参ります」
「嵐が近いですから、お気をつけてください」
「嵐……ですか?」
「ええ」
 司祭はふわりと微笑み、光のもとへと去っていった。
 かの司祭ならば、その力で天候を予測することすら可能なのかもしれない。そう解釈をして、団長はさしてその言葉に気を止めなかった。
 ほんの数日後——確かに嵐はやって来た。騎士団の遠征の真っ只中に。
 ヘブラ山の落石調査をしていた団長の頬を、雨粒が叩く。同時に起こったもうひとつの「嵐」はその心を突いた。
 嵐を予測できたのは、起こした本人ともう一人だけ——。

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