旅立ちの朝来たるとき

 まず一打ち、余韻をたっぷり残し。続いて二度、短く響かせる。
 空気に溶けていく鐘の音は、時刻を示しているのではない。弔いが終わったことを知らせる合図だった。
 お城からほど近い教会。その庭は、ハイラルの民の先祖たちが眠る墓地になっている。
 変化のない灰色の中に喪服の少年が一人佇み、石に刻まれたエッジの鋭い——真新しい文字を見おろしていた。
「ここにいたんだ」
 後ろから声がかかる。同じく濡れ羽色の衣装をまとい、黄泉の国へ旅だった者への弔意を表している。澄んだブルーの目を持つ少女だ。ベールからこぼれる艶やかな金髪は、高貴な生まれであることを悟らせた。
「いきなり喪主がいなくなって、みんなびっくりしてたのよ。私の機転で誤魔化せたからよかったものの」
 生き生きとした瞳が優美に細められた。淑やかな所作の中に、漲る活力が織り込まれている。
「お葬式、お開きにしちゃったけど構わないわよね? ほとんど終了間際だったし」
 少年は軽く相づちを打ってから、苦い顔をした。
「いなくなったというか……埋葬の時からずっと、ここに残っていただけです」
「あら気づかなかった。あなた、案外影が薄いのね」
 馬鹿にされたのかと振り向けば、存外に真剣な目に出会う。少年はたじろいだ。
 一対の視線に、胸の奥までまっすぐ貫かれる。
「悼みましょう。たったひとりの家族なんだから」
「分かって、います。でも、この墓の下に、おじさんはいないんだ……っ!」
 彼は声を荒げ、そんな自分に驚いて身を震わせた。
 しめやかに行われた葬送は、彼の実のおじさんを弔ったものだ。しかし遺体を墓穴に葬ることは叶わなかった。ハイラル城の地下通路で命を落としたおじさんを、連れてくることができなかったのだ。
 悲しげに首を振り、少女は目を伏せた。
「それでも、儀式としては必要なのよ。心の区切りをつけるためにね」
 彼女の名はゼルダ。ハイラルの王女として生を受けた。カカリコ村の長老サハスラーラにも絶賛される知性を、生まれながらにして与えられ。幼き頃から書物に親しんできた。
 父王はよく国を治め、廷臣は聡い。王国の未来は順風満帆だった。……つい、先日までは。
 ハイラル王は突如勃発したクーデターに巻き込まれ、行方知れずとなっている。反乱の首謀者の言からすると生存は絶望的だった。
 半ば父をなくしたも同然だというのに、国葬を執り行うことは叶わない。そして成人を迎えていないゼルダが、謀反鎮圧の指揮を一手に担うことになった。兵士の大半は、今も占拠された居城に残っている——。
(必要な儀式、か)
 少年は深呼吸した。ゼルダに八つ当たりしても仕方ない。墓石へと視線を注ぐ。
 ハイラルのお墓は、基本的に代々同じ場所にある。子孫の魂は祖霊とともに眠るのだ。このつるつるした石の中には、亡くなった両親もいると聞いていた。なにぶん幼い頃の話で、顔すら覚えていないため、特に感慨深くもなかったが。
 ゼルダはあくまで少年だけを見つめる。
「あなたのおじさんは昔、騎士団に入っていたのね。さっきヘブラ山から帰ってきた団長が驚いていたわ。なんでも、数々の武勇伝を残してハイラルの発展に尽くされた方だとか。
 でもね、そんなに有名な人だったとしても。あなた以外に、家族として悲しめる人はいないのよ。涙を流せば思いの証拠になるってわけじゃないけど、こういう機会に目一杯泣いちゃばいいのよ」
「……」
 普段共感を覚えることなんて少ないのに、透明なこの言葉はなぜか深く染み込んだ。
 落涙すればスッとするだろう、とゼルダは言う。彼女がひたと前に向かって歩めるのは、ハイラル城脱出の際に思い切り感情を発露させたおかげかも知れない。一方姫を連れだした少年は、未だ形容しがたい思いを引きずっている——。
 考え考え、慎重に言葉を選ぶ。
「かけがえのない肉親を失って、悲しく思う気持ち……それが、よく理解できないんです。信じられない、というのが一番近いのかも知れません。こういう時はどんな反応をすればいいのか、わからない。
 そういえば、僕はおじさんに質問してばかりでした。自分ではろくに考えもせずに」
 うっすらと自嘲の笑みを浮かべる。言葉の割には、はっきりと寂しさが目立っていた。
「家に、帰ります」
 ゼルダの瞳孔が開く。
(誰も待っていない、「おかえり」の声が聞こえない家へ……?)
 背筋に冷たいものが走った。彼は、心を半分冥府に置いてきてしまったのではないか。家に帰らせてしまえば、もう二度と会えないような——不吉すぎる予感が胸をよぎった。ならば。今ここで、すくい上げなければならない。ゼルダは焦燥混じりに決意する。
 去り際の袖を、強く引いた。
「待って。どうせなら教会に寄っていかない? これからちょっとした会議があるんだけどね」
 鬱陶しそうにベールを脱ぐと、王女の沈痛な面もちは日が差し込んだようにガラリと変わった。きらきらする眼差しに射抜かれて、少年がたちすくむ。
「な、何ですか」
「まあまあ。そう身構えないでよ。お葬式の直後に会議だなんて不謹慎だ、とでも言いたいの? むしろ手向けになるかもしれないわよ。あの憎たらしい暗黒司祭を倒す作戦を練るんだから」
「司祭」の単語は、少年を見えない電撃で打ちのめした。
 もたらされた効果を楽しそうに咀嚼しつつ、ゼルダは、
「アグニムの奴は、キミのおじさんの間接的な仇でもあるのよね。話を聞くだけでもいいから、ね?」
 いつの間にか、少年の呼称が「あなた」から「キミ」に変化していた。身分などお構いなしの、分け隔てのない——有り体に言えばざっくばらんな——振る舞いは、本当にお姫様なのかと疑問がわいて仕方がない。
 提案の形式をとっていたが、袖をつかむ手には容赦というものがなかった。見逃すつもりは毛頭ないらしい。
 少年は眉を片方だけ、微妙な角度に上げた。居心地が悪そうにも、場慣れしておらず不安げにも見える。心に深く印象づけられる相貌だった。
「聞くだけ、ですよ」
「うんうん聞くだけ。もちろん聞くだけ」
 王女はすこぶる上機嫌だ。これは確実に、聞くだけでは済まないだろう。少年は嘆息してから、あたりをぐるっと見回した。
「それより、ベールはかぶった方がいいのでは。顔を見られたらまずいでしょう、司祭に狙われているのでしたら」
「大丈夫よ。こんなところで堂々と話してる、いかにも村育ちっぽい小娘がお姫様だなんて、誰も思うわけないじゃない!」
 ……それはそれで問題があると、少年は思った。



 作戦会議ということで、なかなか堅苦しいものを想像していたのだが。議長ゼルダの鶴の一声——曰く「肩が凝る、健康によろしくない」——のおかげで、教会の中には談笑の泡がそこここで弾け、砕けた雰囲気が漂っていた。出席者は長椅子にてんでバラバラに腰掛けている。つい先ほどまで葬式に参列していた者も喪服を脱ぎ捨て、おおっぴらに話し声をたてていた。
 少年はなんとなく空いていた席に座ったのだが、間もなく失敗を悟った。
「あれ、君は」
 通路を挟んだお隣には、顔見知りのハイラル騎士団長が座っていたのだ。少年は言葉を失った。
 即席で祭壇の前にしつらえた議長席と、私服に着替えてその上に寄りかかるゼルダを睨みつける。彼女はこらえきれずにニヤニヤしていた。
 はめられた!
「みんなそろったみたいね。顔を合わせるのが初めての人もいるみたいだから、軽く自己紹介してもらうわよ。
 私は周知の通りゼルダ。そして、こちらの方は教会の神父さま。昔から王家がお世話になっているわ」
 白い髭を生やした男性が席を立ち、黙礼した。
 続いて団長が、
「王国騎士団の団長です。勅命にてヘブラ山の落石調査をしていたところ、クーデター勃発の急報を受け、こちらに参上いたしました」
 以降、知らない人物の発言が右から左へと通り抜けていき、いよいよ「聞くだけ」だったはずの少年の番になった。
(何を話せばいいのか……)
 すでに、少年が城の地下牢からゼルダを助け出したことは知れ渡っているのだろう。聴衆は彼の素性が気になるのか、静かに耳を傾けている。期待にはある程度応えたいと思いつつも、いきさつを分かりやすく説明するとなると、なかなか一筋縄にはいかない。
「それにしても、なぜ君がここにいるんだい? 君のおじさんは確かにすごい方だったが、すでに引退してしまっているだろう」
 団長が助け船を出した。少年は迷わせていた視線を彼に集中させる。
「夢を見たからです」
「夢?」
「はい。謀反の主導者らしき男と、姫が対峙している夢でした」
「……なんですって」
 ゼルダが低い声でうめいた。城から教会へと続くあの抜け道で少年がこぼした、意味深長な文言。アグニムに向かって彼女が吐いた捨て台詞を、一字一句違わず暗唱されたのだ。あの手この手を使って問いつめても、ついに口を割らなかったのに。
 赤の他人が危機に陥る夢を見て、囚われた場所を割り出し、救出を完遂する。信じられないような、奇跡以外ではなしえない業だ。少年が城に侵入したのはおじさんを追いかけた結果であり、もともと姫を助ける気はなかったのだが……。
 聞き手に回っていた神父が、よく通る声で言った。
「それは、幼い頃宿していらした、ゼルダ様の不思議な御力ですね」
「な、何それ?」
 初耳だったらしく、本人が真っ先に反応した。神父は白い髭に覆われた口元に、柔らかな微笑を浮かべる。
「お父上はよくおっしゃってましたよ。ゼルダ様と同じ寝所で休んだ日は、亡くなられたお妃様の夢ばかり見ると。あなた様が知りようのないような、お若い頃の——」
「お父様が……」
 異なる理由で姿を消した両親のことを思うと、少し呼吸が苦しくなる。ゼルダは目を伏せ、しばし物思いに耽った。
 彼女自身も知らなかった、秘められた力。少年とハイラル王に影響を及ぼしたそれは、相手に夢を見せる天分だろうか。二つの事例を比べると、夢の内容にはばらつきがあるようだ。
 もしこれが応用できれば、便利な通信手段になりえる。が、実用化に関しては重要な問題があった。
「そんな力は昔の話、よね」
「ええ、物心つくと同時に失われたと聞いております」
 ならば、なぜ今になって復活したのだろうか。意見を求めて、ゼルダは教会をぐるっと見回した。
「もしかすると、姫と彼との波長……のようなものが合っていたのでは?」
「なるほど。それいいわね」
 団長の発言を受け、王女が意味ありげに少年に目配せした。
「はあ……そうですか」
 彼はあの曖昧な面もちになる。都合良く発動する能力なんて、信用できないのだ。姫とは同年代であり、本当に波長が合うのなら、幼い頃にもっと夢を見ていてもおかしくない。
 聡明な王女のことだ、これくらいの推測は説明せずとも分かっているはず。そう考えての生返事だったが、彼女は不満らしい。
「ちょっと、なんで反応薄いの。そこは喜んでほしかったんだけど」
「喜べませんよ。むしろ、目覚めの悪い夢を強制される方の身にもなってください」
 思い切り喧嘩を売っている口調である。少年は先ほどの意趣返しを図っているようだ。
 その思惑を看破して、ゼルダはこっそり唇に微笑を閃かせた。
「天下の王女様だからってね、いつもいつも乙女チックなシーンを演じてるわけじゃないのよ。それに、キミなんて私が大変なときに、のんきに寝てたんじゃないっ!」
「あんな時間に起きている方がおかしいんです!」
「ここにいるほとんどの人は起きてたわよ。ね、団長!」
「え、あ、私は眠っていた……と思います」
「……」
 びしっと決めた人差し指が下がり、沸騰した情が行き場をなくした。勝ち誇ったように、少年が鼻を鳴らす。
 ゼルダは肩を落として、壁掛け時計をチラリ——はしたないことに、舌打ちしそうになる。本題前に、貴重な時間を浪費してしまった。
 羞恥に少し耳を染めつつ、
「えー、ゴホン。少々話がずれたけど、とにかく会議を始めるわよ。
 まず団長、現存兵力は?」
「デスマウンテン遠征に臨んだ、数にすれば一個小隊程度になります。ほとんどは、一時休暇を与えて家族の元へ帰らせています。
 城を守っていた兵は……姫によれば、アグニムの魔術により操られているものと見えます」
「ありがとう。まあ、状況は芳しくないわね。
 次、相手の目的。これは、私を生け贄にして怪しげな宗教的儀式を行うことかしら。まったくロクな話じゃないわ」
 肺の空気を絞り出すようなため息は、大げさでもないだろう。事実、頭を抱えたい状況なのだから。門外漢の少年にも、ゼルダ率いる王家軍の苦境は手に取るように理解できた。
 ふと、少年は違和感を覚えた。それでも王女の声は明るかったのだ。明るすぎるほどに。
 なぜならば。
「基本的には相手の出方をうかがう姿勢だけど。実はね、切り札があるの」
 ゼルダのまなこが一番星のごとくきらめいた。
「建国の聖剣マスターソードを眠りから覚ますのよ」
 驚きが浸透するまで、多少間があった。どよめきは静かに広がっていく。
 マスターソード、それは生ける伝説の名前だ。この国の誰もが、昔話として枕元で聞いたことがある。ハイラルに危機が訪れる度に歴史に登場し、幾度となく国を滅亡の淵から救ってきた、魔を払う剣。
 普段は深き森の奥にある聖域にて、沈黙を守っているらしい。伝説をつづった絵草子のラストには、必ず台座に納められた聖剣が描かれる。静謐な空間にたたずむ瀟洒なフォルムが、目に焼き付いていた。
 肌がピリピリと緊張するのを感じた。
(他でもない退魔剣を使うからには、ゼルダ姫には覚悟がある)
 実質的な武器としての威力はもちろん、マスターソードには象徴的な意味合いが強い。
 クーデター鎮圧のために退魔剣を用いる。それは、司祭アグニムをハイラルに対する「絶対悪」と見なすことを明示していた。
 また、この処置からは、彼女がこの事件を重く見ていることも伝わってくる。聖剣を用いらなければ、鎮めることができないほどの規模と勢いを持っており、より悪い方向に転がる可能性があるのだ。
「算奪者アグニムの不当性を、真っ正面から示してやるわ」
 と、薄く笑うゼルダの風貌は、ほとんど悪役である。余裕綽々、の態度は演技なのだろうか。
 驚愕から冷めた団長が、異を唱えた。
「ですが姫、マスターソードはいったい誰が扱うのですか? かの剣は、聖地封印戦争でナイトの称号を得た者の血を引く者にしか、台座から抜けないのでは」
 至極まっとうな意見だ。
 マスターソードは使用者を選ぶ、と伝わる。かの剣がつくられる原因となった争いにて、聖剣が悪用されるのをおそれた当時の為政者が、血の呪縛をかけたからだ。味気ない真実は時を経るにつれ脚色される。子供心をくすぐり「特別さ」を演出する揺るぎない事実となって、英雄譚を彩るのだ。
 以前剣が抜かれたのが何代前か、少年の記憶にはなかった。場合によっては家系図がとんでもない長さになっているかもしれない。ナイトの血筋なんてものを辿っているうちに、アグニムにここを発見されてしまう。
(さあ、どうする)
 少年の挑むような目線にも、ゼルダはまるで動じない。むしろ「何をわかりきったことを」とでも言い出しそうだ。
「誰がって、決まってるじゃない」
 す、と人差し指が水色のワンピースの胸元を指した。
「私が使うのよ」

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