ゆっくりと目を閉じる

(ちっ、降って来ちまったか。雷は嫌いなのに)
 青い髪をしとどに濡らしながら、少女は街道を駆け抜けていた。道の両側には家々が立ち並び、迷路のように連なっている。どこかセピア色がかった垣根、排他的な高さの塀。何の変哲もない、つまらない町並み——。
 折からのにわか雨により、軒先の雨樋には水が溜まり始めていた。
 正直、この天候には助けられた。箒で掃いたように無人の道が続いたおかげで、まっすぐ到達できたのだ。この、カカリコ村のとある一軒家まで。
 彼女は目的地のひさしに飛び込んだ。軽く滴を払ってから、ドアをノックする。
「いるかい? アタイだ、入るよ」
 開いた扉から音を立てずに滑り込んだ。身のこなしは、さながら豹のようにしなやかだ。
 少女はポケットの中にある小瓶を触り、確認した。目指していた部屋を見つけ、廊下で少しだけ呼吸を整える。すると、手を掛けたノブが、内側から回された。
「!?」
 ぎょっとするが、飛び退く直前にドアは開いてしまう。
「あ」
「あ」
 はち合わせた相手は、線の細い少年だった。質素な緑のチュニックにおそろいの三角帽子。肩から斜めにかけたベルトには、使い古された剣と盾がくくりつけてある。が、まるで似合っておらず、仕方なしに身につけているという印象が強い。背丈からして、彼女とは同い年くらいだろう。
「……どうも」
 少年は視線を避けるように顔を背け、立ち去ろうとした。とっさに少女は逃げかけた腕を掴んだ。いつでもナイフを抜ける体制を整えながら。
「待ちな! あんた、ここの家主とどういう関係だい」
 せいぜい物騒な表情を作ったつもりだったが、相手は動じない。
「別に。雨宿りさせてもらっていただけ」
 彼女は肩の力を抜いた。ごく一般的な村民らしい。
 誤解を解くためか、少年は空っぽの両手を振る。
「もう出ていくよ。この部屋の子に用があるんでしょ」
「そうだけど。あんた、これから雷が鳴りそうな時に、外に出るのかよ」
「……それが、どうかした? 君には関係ない」
 吐息に氷の微粒子が含まれているかのような、ひえびえとした声。心の奥底に根ざした、深い拒絶が現れていた。
 少女の背に冷たいものが流れたのは、決して塗れ鼠になったせいではない。
 と、そのとき第三者のか細い声が介入した。
「待っておにいちゃん。ここにいて。お願い……ごほごほ」
 心臓の跳ねるまま、少女は部屋に駆け込む。
 西向きの窓に、ぽつんと配置されたベッド。そこには小さな子供が、ふかふかの布団にくるまっていた。
「遅くなってごめんね、いつもの薬持ってきたよ」
 彼女は打って変わって優しくなり、ポケットから小瓶を取り出した。中身は粉薬だ。サイドテーブルの水差しを持ち、
「一人で飲めるかい?」
「うん。ありがとうガンティ」
 ガンティと呼ばれた少女が照れくさそうに笑った。少年は帰るに帰れず、手持ちぶさたにそれを見やる。
 病気らしき子供は鼻をつまんで、薬を胃に流し込んだ。
「ねえおにいちゃん。そこの棚に立てかけてある、アミをとってくれないかな」
「ええっ」と渋れば横目でガンティに睨まれ、一も二もなく少年は従う。
 それは虫取りアミだった。野山をかけ巡った幼少時代を想起させる、懐かしいアイテムだ。
「これ、おにいちゃんにあげる」
「……どうして?」
「おにいちゃんは健康でしょ。これで虫いっぱい捕まえてよ」
 無邪気な笑顔だった。ずきん、とガンティの胸が痛む。
「ありがとう」少年は感触を確かめるように柄を握った。
 まるで母親のようにベッドサイドに座り、ガンティがふとんを一定のテンポで優しく叩く。やがてすやすや寝息をたてて子供は眠りについた。
 窓を篠つくような雨が流れていく。
 ガンティはカーテンを閉めてから少年に椅子を勧め、自らも腰掛けた。
「この子、マモノの気にあてられて、病気になったんだって。薬代を稼ぐために両親は朝から晩まで出稼ぎさ」
 ガンティは淡々と話した。「……そう」少年の答えも素っ気なかった。
「さっきあげたのは、魔法のキノコからつくる粉薬。アタイの仲間が西の森に住んでるから、融通してもらっているんだ」
 ほとんど独り言のようにカーテンへ向かって語りかけながら、ガンティは指をすりあわせていた。
 カミナリ様、どうかこの子を起こさないでください。彼女はそれが、二人に共通する思いだと信じていた。
 少年は瞳の青色をわずかに細めながら、
「君みたいな人のこと、義賊っていうんだよね。でも、どうしてそこまでしてあげるの」
 何気なく放たれた台詞に、ガンティは愕然となった。
「な……どうして分かったんだい!?」
 しまった、これでは認めたようなものだ。青くなる少女。身なりだって目立たないように気をつけていたのに。
「盗賊にしては優しいから、義賊かなって」
 ガンティの葛藤を意に介した様子もなく、少年はぶっきらぼうに答える。
「そうじゃなくてさ。どうして盗賊だってことが」
「西の森に住むような物好きは、他にいないよ」
 見かけの頼りなさに反して、なかなか鋭い指摘だ。先ほど垣間見せた凍るような目線といい、変な奴だ、とガンティは思った。
 ため息をついて、
「頼むから、アタイの職業についてはあんまり口外しないでくれよ。
 ……昔、仲間があの子の父親に世話になったんだよ。アタイらはそういう縁とか、大事にするから」
「縁、か」
 少年は考え込む素振りを見せた。
 いつしか、雨の音は止んでいた。カーテンの隙間から帯状の光が射し込む。
「晴れたね」
「うん」
 どちらともなく立ち上がる。玄関先にて、二人は無言で別れた。



「いたわっおたずね者よ!」
 平和な午後のカカリコ村に、絹を裂くような悲鳴がこだまする。叫びたいのはこっちだ、と少年は思った。
 長い長い夢の一部のようだった夜が終わって、やっとのことで帰還した先——彼の家は、すでにアグニムの手によって封鎖されていた。
 懐かしき古巣は目の前なのに、立ちふさがる二人の兵士。昨夜彼が「ゼルダ姫救出」という大義名分のもとハイラル城に侵入した時、高価なツボを容赦なく割りまくって撃退した奴らだ。緑の鎧は最下級の兵士だとは知っていたものの、もちろん強行突破などという案を採用するわけもなく、少年は混乱したままUターンする。
 早足が目指した先はカカリコ村だった。仕事の顧客が多いのだ。落ち着くまでどこかに置いてもらおう——無意識下でそう考えたのだろうか。
 村をフラフラさまよううちに、天が泣き出してしまった。偶然に選んだ雨宿り先は……知っての通り。
 鈍色の雲が晴れ、少年は村で最も信頼が置ける人物である、長老を訪ねた。しかし、あいにく会う事は適わず。東の神殿に出かけているらしい。
 留守を預かっていた奥さんに「気をつけてくださいね」と声をかけられた。その言葉が意味するところは、直後に判明する。
 帰りがけ、ある立て札に釘付けになったのだ。おたずね者の人相書き。モノクロで描かれたそれは、鏡に毎日映る、見慣れた顔だった——。
「おたずね者 ゼルダ姫を城から誘拐した大罪人である。この者を見かけたなら、ただちに兵士に知らせる事 司祭アグニム」
 通りがかった、いかにも善良そうな主婦が、おそるおそる近づいてくる。人相書きと少年の顔をたっぷり見比べて、彼女は金切り声を上げた。
 呆然と看板の前に立ちつくす誘拐犯は、さぞ間抜けに映ったことだろう。一晩経ったら「王女救出」が「王女誘拐」にすり替えられていたなんて、冗談じゃない。少年は司祭の抜け目のなさにうんざりした。
 濡れた石畳の上で靴裏が滑った。追っ手の足音はますます近づいてくる。このまま逃げるにしろ、体力的な限界はすぐそこだろう。
 こんなところで濡れ衣を着せられたまま捕まってしまえば、どうなる。アグニムの前で裁かれるのだろうか? おじさんの敵である司祭の前で。
(それこそ死んでもやだな)
 強く唇を噛みしめ角を曲がった瞬間、
「うわあっ!?」
 不意に突き出した細い腕により、垣根の奥に引っ張り込まれた。露に濡れた緑陰で、しいーっと口唇に人差し指を当てたのは、つい先ほど別れたばかりのガンティだった。
(静かに。見つかりたいのかよ!)
 そろって姿勢を低くし、息を殺して追っ手をやり過ごす。金属のこすれる音はだんだん小さくなった。
 一息ついたガンティは、決まり悪げな少年を上から下までジロジロ眺める。
「人相書きを見たよ。あんた、アタイなんかよりよっぽどの悪党だったんだね。よもやお姫様をさらおうだなんて……ちっぽけな義賊には考えつかないぜ」
 少年はなにも言わず、ただ俯いた。悔しさが滲み出ている。
 ガンティは相好を崩した。
「なーんてね。安心しな、兵士に突き出すつもりはないよ。第一、あんたはそんなことできるようなタマじゃないさ。やったとしても理由があったんだろ」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなくかな」
 ガンティはおかしそうに笑った。少年も困ったように首を傾げる。その口元はかすかに綻んでいた。
「最近兵士どもがピリピリしてて、いけないや。アタイらの『慈善活動』もはかどらなくってねえ」
 彼はいよいよ苦笑した。
「あんたはこれからどうするんだい?」
「長老……サハスラーラに会ってくるよ」
 遠出になるけれど、東の神殿にたどり着いて長老に助力を請おうと決めていた。どんな状況でも少年の味方になってくれるのは、あの老人しかいない。それこそ、おじさんの代から「縁」が続く人なのだから。
「指名手配されてるってのに大胆だねえ」
 呆れ半分、ガンティは協力を惜しまない。垣根に守られていた空き家を指さし、
「この家、実は盗賊ブラインドの隠れ家なんだ。ブラインドがいたのは昔の話だけど。今でもアタイらが利用させてもらってる。ほら、隠れやすいように、他より垣根が高くなってるだろ?」
「……言われてみれば」
 ガンティは空き家の地下にある、秘密の抜け道に案内した。
「ここを通れば村から脱出できる。知られちまったもんは仕方ないから、いつでも使っていいよ」
「ありがとう」
 少年はゆっくりと目を閉じた。深々とお辞儀をする。「いいってことさ」とガンティは頷いた。
 別れ際、何かを手渡された。透明な包装紙でラッピングされた、数枚のクッキー。
「おっ。ちょうどお腹減ってたんだよね」感謝の言葉を告げようとしたときには、少年の姿は地下道に消えていた。
「あらら……ま、ありがたく頂くよ」
 空きっ腹を抱えたガンティは、さっそくクッキーをかじった。素朴な味がした。メープルシロップをふんだんに使った優しいこの甘さは、いつかの過去に、食べた覚えがあるような——
(教会だ!)
 今となってはどんな状況か思い出せないけれど、確かに教会でこのクッキーをもらった記憶がある。
 そうとなれば。ガンティは病気の子供の分もおやつを頂くべく、カカリコ村のはずれにある教会に足を向けた。



「いい? 私が、マスターソードを、使うのよ」
 つい数時間前——雨の帳が下りる前の教会は、騒然としていた。ハイラル王女ゼルダの問題発言がきっかけである。
 掟破りなこの御仁は、くっきり文節で言葉を区切った。聴衆の、より心深くに届けるために。
「ですが、姫。あなた様のお手に、真剣はいささか重すぎるかと」
 教会に集ったメンバーの中で、ゼルダの次に位の高い騎士団長が反論する。王女は鋭い視線をぶつけた。
「マスターソードは正当な血筋と権威の象徴って言ったでしょ? 王家の私が使うのが、あのいけ好かない司祭サマにとって一番のダメージになるはずよ。あいつが纂奪者だってことの証明になるんだから。
 それも、武器としての威力なんて期待しなくていいの。長年野ざらしだったから、錆放題だろうし。ちょっと掲げてみせるだけで、効果はあるわ」
 ゼルダの正論攻撃に、団長たちは目に見えてひるんだ。
「し、しかし。聖剣を扱うには血の呪縛を解かなければならないはずでは……」
「あーら忘れたの? 封印戦争の資料にしっかり書いてるわよ。ナイトの血を引く娘と当時の王が結婚したのよ」
「『ハイラル王家と封印戦争』、第七章三節ですね。ええ、確かに」
 さりげなく該当の図書を持ち出し、指摘箇所を指でたどる神父。
「ありがとう神父様。ね、これで分かったでしょ。条件はぴったりなの。まともに戦ったら兵力差がありすぎて、勝てるわけないわ。団長には悪いけど。
 そう、これぞまさしく伝家の宝刀ってやつね。便利なものは蔵に入れっぱなしじゃダメなのよ!」
 歯切れよく説得を続けているが、ゼルダの胸には苦い思いもよぎった。絶大な知名度を誇る伝家の宝刀だけに、ふるえば民草の余計な動揺を招きかねない。「たかが王家のごたごたが、封印戦争に匹敵するような危機なのか?」と。
 歴代の国王も、名ばかりが膨れ上がった退魔剣を持て余していた。封印戦争から数百年間。古びた伝説だけを残して、聖剣は沈黙を守ってきたのだ。
 それでもゼルダはマスターソードに頼ると決めた。歴史に名を残すという快感よりも、「伝説」の正体をこの手で暴きたいという気持ちが先行していた。これを英断となすか愚考となすかは、後の世の人々が決める。
(だから、せめて私が生きてる間にとやかく言われたりしないような、完全勝利を収めたいわね)
 神父から歴史本を受け取り、記憶を頼りにページをめくった。
「あったあった。マスターソードが眠るのは王国の西の森。……錆びるどころか、草に埋もれてるかもね。
 ——ちょっと待って。聖剣を台座から引き抜くには、『勇気』『知恵』『力』の三つの紋章を集めなくてはならない!? こんな記述あったんだ!」ゼルダは分厚い資料を取り落としかけた。危ない危ない。
 団長が横からのぞき込む。
「そうか、ナイトの血を引いたというだけで、聖剣にふさわしくない子孫がいる可能性もある。そういった試練を課して、保険をかけておいたわけですね」
「面倒くさーい。さすがに紋章の場所までは載ってないわよねえ」
 残念ながら書物はそこまで親切ではなかった。ゼルダは腕組みをする。
「誰か、紋章について知らない?」
 その問いかけをきっかけとして、ゼルダ・団長・神父以外の討論も活発になり、会議は作戦を煮詰める段階へと移行した。
 末席に身を連ね、(これ以上聞いていても仕方ない)と判断した少年は、何も告げず退出しようとした。
 緑の背中を目敏く見つけた王女が、呼び止めた。
「待って!」
「家に帰らせてください」
 その一言で、ゼルダは用意していた百の言葉を手放した。いくら彼と不思議な繋がりがあったとしても、無理強いして引き留めてはいけないのだ。今回の内乱とは関係のない人物。そして何を置いても、守るべき国民なのだから。
 今度は彼女が戦う番なのだ。
「もちろん。安心して、おじさんの敵は私が必ず。それと——」
 ゼルダは、おやつに取って置いたクッキーの袋を差し出した。
「いつでも帰ってきてくれて、構わないのよ」
 肯定とも否定ともつかない表情で、少年はゆっくりと目を閉じた。

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