語り伝えられた物語

 ハイラル城の大改装計画が持ち上がっているらしい。
 城に仕える少年がその噂を聞いたのは、騎士団長からだった。食堂でたまたま会った時のことだ。
「ゼルダ姫様が積極的に進めているんだよ。何でも、お城全体のイメージアップを図るらしい」
 そこで、団長は苦笑いする。「……私たちの制服も、赤一色になるようだ」
「へえ」
 少年は興味深く耳を傾けていた。兵士の服以外にも、城のエントランス部分を拡張し、一般に開放する案があると言う。詳細を聞き出すため、これは是非とも個人的に王女と話をしなければ、と思う。何よりも、面白そうな提案だった。
 団長からゼルダは執務室にいると聞き、さっそく訪ねてみた。
「あら、ひさしぶりね」
 王女は書類に向かっていた顔を上げる。どうも徹夜したらしく、目の下には大きな隈ができ、金糸は乱れて輝きを失っていた。おまけに執務室の中はぐちゃぐちゃだった。ため込んでいた仕事があったのだろう。
 目の前に広がる惨状を見て、少年はまずそこら中に散乱した紙束を片付け始めた。
「しばらくカカリコ村の方に滞在していたので」
 彼も自分の案件にかかりっきりだったため、思い返せば執務室を訪れたのも久々だ。
「お土産は?」と、ゼルダはねだるように片手を差し出す。
「……忘れてました」
 ぶうっと彼女は頬を膨らませた。対する少年は相好を崩す。
「その代わりに、肩でも揉みますよ」
「本当っ! 嬉しいわ〜。がちがちになっちゃって、辛かったのよ。今の肩はアイスロッドでつくった氷よりカタいわよ」
「嬉しくない情報ありがとうございます」
 長い髪を邪魔にならないように前に垂らしてもらってから、王女の細い肩をじわじわともみほぐしていった。確かに石のように凝り固まっており、親指がなかなか入らない。
「……ふわぁ……気持ちいーい……このまま寝ちゃいそう」
「それは勘弁してください。こちらの用件が終わってないので」
 快楽に誘われるまま、うっとりと伏せられていた空色の瞳が、ぱちりと開く。
「そうだった。まさかキミが雑談しに来るわけないものね。で、用件って?」
「兵士の服と、ハイラル城の改装の件です」
「ああ、それか」
 一旦肩もみを終わらせ、ゼルダは机の上の図面を手に取る。
「前のクーデターで、すっかり兵士たちの評判が落ちちゃってね。あの緑とか青の鎧を見ると怖いって意見があるのよ。だから、布地をメインにした服をつくろうかなと思って」
 司祭アグニムによって操られた兵士たちは、守るべき王国を自らの手で荒らしてしまった。その被害に遭った人も少なくない。少年のカカリコ村滞在でも、そういう話をたびたび耳にした。
「しかし、それだと防御面が薄くなるのでは」
「いいのよ、これから平和な時代になるんだから。私がそうするんだから」
「はあ……」
 王女は自信満々に言い放つ。少年の反応が鈍いのは、きっと自分も相当手伝わされることになるんだろうな、と察したからだ。
「それともう一つはね、お城のエントランスを大胆に広くして、ばーんと一般公開しちゃうの。で、そこに歴史絵巻を掲げる予定になっているわ。もちろんハイラルが誇る勇者伝説の!」
 少年は眉をひそめた。とっさに言葉が出ない。
「もちろん、前に教会で言ったこと、忘れてなんかないわよ。キミの名前は大々的には残さない。……だから、私たちに都合良く改ざんしちゃいましょう」
「は?」
「勇者だけじゃなくて、七賢者——もちろん私が大活躍する話にするのよっ」
 時の為政者によって都合の良い歴史がつくられることは、よくあることだ。王が自分を神格化してしまう例など、枚挙に暇が無い。しかし、なんというかこれは——
「子供みたいだ」
 思わず敬語を忘れて呟いた。地獄耳のゼルダはむっとする。
「子供で悪かったわね。いい考えだと思うんだけどなあ。キミの冒険譚のようで、ちょっと違う話にするの。子供達が、希望をもらえるような伝説に……」
 窓からとろとろと差し込む、いかにも午睡がはかどりそうな日差しを浴びて、ゼルダは目を細めた。
「私は欲張りだから。現状が良くなってきたら、もっと先のことを考えたくなったの。前に約束した、誰か一人の『勇者』に任せなくてもいい国をつくるためには、どうすればいいか」
 わずかに少年の頬に赤みが差す。照れたのかもしれない。
「僕は自分が一人だなんて、思ってませんよ」
「知ってる。でも他の人から見れば、孤独に思えてしまうのは事実よ。
 それで、ずっと頭の中でこねくり回しているうちに、考えついた。——みんなが勇者になればいいのよ。そうすれば特別じゃなくなるでしょ」
「みんなが、勇者に……?」
 夢を語るゼルダの瞳は輝いていた。
「未来の子供たちが勇者の伝説を知ってね、こういう人がいたことに憧れたら、どう。自分もあんな風になりたいって思うの。素敵じゃない?」
「……さあ。僕は、別に勇者に憧れていたわけじゃないので」
 広げた城の図面に、少年はぽつりと言葉を落とす。
「でもこの案は、面白いと思います」
 ゼルダはぱっと顔をほころばせた。
「キミがそう言ってくれるなら、心強いわ!
 ところで、お願いがあるんだけど。この歴史絵巻に添える文面も、キミが考えてくれるわよね?」
「……所用を思い出しました」
 片付けかけた紙束もそのままにきびすを返しかける少年を、ゼルダは身を乗り出して引き留めた。
「手伝ってくれるわよ、ね?」
 逃げられないと悟ったときの、彼の表情の変化は見物だった。ゼルダはにっこりと……否、にやりと笑った。



 それから、月日は流れて——。
 遙か未来のハイラルで、リンクは教会のシスター・セレスが絵にされたという怪事件を伝えるため、お城を訪れていた。
 インパという老女にエントランスまで案内され、
「ここで待ちなさい」
 と言われる。きっと、飾られている五枚の絵でも眺めて待っていろ、ということなのだろう。
 リンクはつまらなさそうに壁に目を走らせた。ハイラル城の真正面にある家に住んでいる彼が、お城の一般公開日にこの歴史絵巻を見ていないはずがなかった。
 話も流れも完全に頭に入っている。トライフォースの話、それを狙う大魔王、七賢者と勇者による封印——。
(そういえば、勇者勇者ってうるさいやつがいたな)
 旅の商人、ラヴィオと名乗るウサギ仮面のことだ。リンクが教会で謎の男に敗れ、倒れていたところを家まで運んでくれた、らしい。それはありがたいのだが、何とも胡散臭いところが気にくわなかった。おまけに家に泊めてほしいという申し出を、リンクが断れども断れども食い下がり、最後には土下座までしてきたのである。宿代として押しつけてきた腕輪もおかしなニオイがするし、とんだ災難だと思った。
 そのラヴィオは、なぜかリンクの名前を訊きもせず、ひたすら「勇者くん」と呼んできた。ただの鍛冶職人見習いが、勇者であるわけがない。あまりにも鬱陶しいので、訂正するのも面倒くさくて放っておいたのだった。
 伝説に描かれた勇者とは、大魔王を打ち倒したものすごい人物だ。ラヴィオは別の国から来たようだから、軽々しく「勇者」なんて称号を口にしてしまうのだろう。しかし、リンクにとってそれは特別な存在だった。
 ハイラルで育った子供なら誰だって、幼い頃から刷り込まれている。きっとグリだって考えたことがあるはずだ——もし自分が勇者になったら、という夢想を、リンクもすることがあった。
 それでも、伝説の勇者とは違って、彼の歩いて行く世界は寂しくないだろう。偉大なる先人が辿ってきた軌跡が、力をくれるはずだから。
 見慣れた歴史絵巻の前で、いつしかリンクは物思いにふけっていた。
「姫様がお会いになられる。こちらへ……」
 老女が再び姿を現し、彼を現実へと引き戻した。聞くところによると、インパも賢者の子孫らしい。そしてこれから会う王女といえば、絵の中のお話では勇者を導く存在だ。ここにも伝説は息づいている。
「今、行きます」
 リンクは軽く胸を張り、ゼルダ姫の待つ玉座の間へと足を進めた。

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