小ネタ集

目次


1.リザルブーメラン …… ウルフリンクの悲しい習性
2.毛皮の代償 …… 冬毛(抜け毛)ネタ
3.いねむりんく …… 居眠りリンクと困るウルフリンク
4.野宿の話 …… ウルフリンクの密やかな戦い
5.拠点攻略 …… 二人で魔物の砦を攻める話
6.黄昏の勇者服 …… ウルフリンクの正体を疑うリンク
7.祈りの行方 …… 雪山遭難で焦るウルフリンク+α
8.思い出のアルバム …… ウルフリンクの写し絵を撮るリンク


リザルブーメラン


『リザルフォスが好んで使う湾曲した剣。直接斬りつけるだけでなく、ブーメランのように投げて使うこともできる』
 リンクはシーカーストーンから顔を上げた。
「そっか、これって投げるものだったんだね」
 彼が魔物から奪った武器には持ち手がついており、その先の刃が中途で折れ曲がっている。それは確かにウルフのよく知る特殊な武器と似ていた。
(そうだよ……っていうかそっちがブーメランの本来の使い方だろ)
 リンクはリザルブーメランを手に入れてからしばらくの間、それを短剣として扱っていた。リーチも短いし、かなり使いにくそうだった。ずいぶん使い込んで壊れかけになった今になって、やっとハイラル図鑑を起動させて情報を得たのだ。
 駆け出し勇者はその説明に興味を惹かれたらしい。
「よし、投げてみよう。それっ」
 即行で草原に向かってぶん投げた。リザルブーメランはくるくると回転しながら飛び——草に伏せていたヘイゲンギツネのすぐそばをすり抜ける。無闇に驚かされたキツネは慌てて逃げていった。
 勢いが足りなかったのか、ブーメランはこちらに戻ってくる前に地面に落ちてしまった。
「あれ?」
(下手くそだなあ。まあ最初はこんなもんか)
 ウルフの持っていた武器は疾風のブーメランといって、風の妖精が宿った特殊なものであった。だからどんなに無茶な投げ方をしても手元に返ってきたのだが——そのことは棚に上げておく。
 ウルフは柔らかな下生えを踏みしめて平原を駆け、ブーメランを拾ってきてやった。もちろん、口にくわえて。
 リンクは笑顔で武器を受け取った。
「ありがとう。多分今の投げ方じゃあダメなんだよね。敵に当たっても威力がなさそうだし……」
 言いながら、もう一度投げる。今度は飛距離が伸びた。無意識に動くものを標的にしているのか、ブーメランはのどかに草を食んでいた野生馬の尻尾をかすめる。
「あっ! ……ダメかあ」
(しょうがないなあ)
 ウルフは再びUターンに失敗した武器を回収してやった。
「助かるよ。もう一度!」(またか)「こ、今度こそ失敗しないから」(……)
 五度ほど同じことを繰り返した時、ついにウルフはブーメランを渡す代わりにリンクの手に噛み付いた。
(お前俺で遊んでるのか!?)
「痛っ! ご、ごめんねっ」
 リンクは申し訳なさそうに、だが何故かにこにこして、
「悪気はなかったんだ。だけど……ウルフくんが楽しそうに尻尾振って取ってきてくれるから、つい……」
 ウルフは口を開けた。無意識のうちに左右に揺れていた尻尾が落ち着くのを待つ。
 脳裏に浮かぶのは、向こうのハイラルの城下町で、子犬におやつの骨を投げて遊んでいた記憶だ。
(は、早く元の姿に戻らないと……俺、本格的にオオカミになる!?)
 オオカミどころか犬レベルにまで退化しかけていることに、彼はまだ気づいていない。




毛皮の代償


 ブラシの柔らかな毛先がウルフの毛皮を撫でた。そろりそろりと優しく繰り返される、実に丁寧なブラッシングである。
「どう、気持ちいい?」
 正直、ウルフはリンクにこうして毛並みを整えてもらうことは嫌いではなかった。幼い頃、世話になっていたモイやウーリに頭を洗ってもらっていた記憶がぼんやり蘇る。料理を嗜むからかリンクの手つきは器用で、心地良い。
「リトの馬宿」という名の通り、タバンタ地方にあるリトの村近くの馬宿である。すぐそこに雪山があるような寒い地方なので、リンクは耐寒服を着込んでいた。
「いいよねーきみは。こんなに立派な毛皮があって、寒さも暑さも平気だなんて」
(そうだろそうだろ)
 気候に合わせて着替える必要のあるリンクと違って、どこに行っても気楽なものである。だいたい、ウルフは自分の冒険の時にもいちいち服を替えたことなんてない。裏を返せば「着替える楽しみがなかった」ということでもあるが……。
「よしよし、これで終わり……あっ」
 最後にウルフの毛皮を撫でたリンクが、急に目を丸くしてブラシを見た。なんだろうとウルフが顔を向けると、
「すごい、こんなに毛がついてる!」
 黒灰色の毛がごっそりブラシに残っていた。リンクは「どうりでいつもよりもふもふしてると思ったよ」「冬毛に生え変わったんだね」などと喜んでいる。
 一方のウルフは結構なショックを受けていた。
(それって……抜け毛ってことか!?)
 あちらのハイラルでオオカミになった時はそんな現象はなかった。あまりにも長時間オオカミ状態でいるから、体が適応してしまったのだろうか。
(そ、それじゃあ元の姿に戻った時……どうなるんだろう)
 まさか、髪の毛が抜けやすくなっていたりは——そこまで考えて、ウルフはぶるりと震える。
「寒いの? 大丈夫?」
 リンクは見当はずれな心配をしている。万能に思えた毛皮にも思わぬ欠点があるものだ、とウルフはがっくりするのだった。




いねむりんく


(まさか、ここまで予想通りになるとは……)
 自宅の机に突っ伏すリンクを見て、ウルフは呆れつつも妙に納得した気分になっていた。
 昼過ぎから降り出した雨はなかなか強く、止む気配はなかった。いつも通り自然豊かなハイラルを探索していたリンクは「今日は崖登りの気分だったのに」とクライム装備の裾を絞りながら口を尖らしたが、分厚い雲は彼の不満を聞き入れなかった。仕方なく、たまたま近くまで来ていたのでハテノ村の自宅へと駆け込んだわけだ。
 リンクは濡れた服を着替え、ウルフも毛皮を拭いてもらった。それでも空は暗く、エボニ山の向こうからどんどん雨雲が湧いてくる。
「今日はここで足止めかあ……」
 消沈していたのもつかの間、「そうと決まれば」とリンクが取り出したのは冒険手帳だった。
 彼が読み書きを習ったのは始まりの台地のおじいさん——ハイラル王からだという。リンクは回生の眠りから覚めた当初、試練の祠内部にある解説文すら読めなかったそうだ。なのでハイラル王に帳面をもらい、台地を降りてからも文字を書く練習を続けていた。そんな折、ハテノ古代研究所でプルア博士に「記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないし、日記をつけたら?」と言われて、練習帳を冒険手帳に切り替えたのだそうだ。
 内容は、日々の記録や試した料理のレシピが主らしい。らしい、というのは、ウルフはこのハイラルの文字が読めないため、リンクが書いている時の独り言から「こういう内容なのではないか」と推測しているのだった。
 ただ、ひとつだけ覚えてしまった単語がある。それはこのハイラルでの彼自身を示す「wolf」であった。
 野宿の時など気まぐれにリンクの手元を覗くと、揃った字の中に何度も何度もその単語が見えてしまう。ウルフの話題だけでどれだけ日記を埋めているのだろう。たまに冒険手帳を確認しているプルアは、一体それをどう思っているのだろうか。想像するだけでむずがゆい心地になる。
(こいつ、もし俺がいなくなったら日記に書くことあるのか?)
 と妙な心配までしてしまう始末だ。
「ここしばらく書いてなかったし、まとめて思い出さないと……」
 リンクはサクラダが「引っ越し祝いに」と用意した文机を使い、書き物をはじめた。
 この日の彼はいつも以上に熱心で、夕飯を食べた後もまだ何か書いていた。
 放っておかれたウルフは完全にすることがなくなってしまい、気づけば二階にある自分用のクッションに横たわって寝ていた。
(——はっ!)
 己のくしゃみの音で覚醒する。ウルフは全身をぶるぶる震わせた。窓の外はすっかり暗いが、家の明かりはつけっ放しだ。そしてリンクは机の上で寝ていた。
(まあ、こうなるのは目に見えてたけど)
 夜になっても雨は勢いを増す一方で、徐々に室温が下がってきている。絶妙に丈の足りない部屋着姿のリンクは、このまま放置していれば風邪を引いてしまうだろう。そんなの自業自得だ勝手にしろ、と言いたいところではあるが、ここで彼に寝込まれては行動を共にするウルフとしても困る。元の姿を取り戻すためにも、リンクにはマスターソードを見つけてもらわねばならないのだから。
(とりあえず、居眠りリンクをどうにかしないと)
 大声で吠えてみたが、まるで反応がない。屋根を叩く雨音に紛れてしまった上、昨日一日祠にこもって謎解きしていたリンクは疲れがたまっていたのだろう。
 叩き起こせないとなると次なる手段は、
(毛布でもかけてやるか……?)
 ベッドに放り出してあった毛布を掴み(もちろん口で)、引きずってくる。さて、どうしよう。リンクは椅子の上。ただ毛布を肩にかけるだけでも、狼の姿では一苦労だ。
 ウルフは勢いよく頭を振った。放たれた毛布は宙を舞い、リンクを飛び越えて——
(あっ)
 そのまま吹き抜けを通り、階下に落ちていく。
 ……やってしまった。
(こ、こうなったらいっそ、こいつをベッドに連れて行くか。途中で起きるかもしれないし)
 服を引っ張って椅子から引きずり下ろす。その拍子にこちらに倒れかかってきたリンクの体を、狼の長い胴を使ってなんとか支えた。
「んー……」
 こんなに大胆なことをしているのにリンクはすうすう寝息をたてるだけだ。彼は決めた時間ぴったりに目を覚ます特技を持つ代わりに、その時間までは何があっても起きないのだった。ウルフは野宿の時など割と頻繁に肝を冷やしている。
 無防備な頭を床にぶつけないように気をつけつつ、ゆっくり下ろしてやる。リンクのシャツの襟をくわえる格好でなんとか体勢が安定した。
(よし、じゃあベッドまで……)
 ずるずる引いていき、そこで気づいた。
(どうやって上にあげたらいいんだ?)
 我ながら間抜けであった。ウルフが先にベッドに乗り、引き上げるか。防御力に欠けるリンクのボロ服がいよいよ裂けそうな気がする。
(なんか面倒くさくなってきたな……でも風邪を引かせるわけには……。くそ、仕方ない)
 ウルフは眠りこけるリンクを一旦その場に放置して、階下に落とした毛布を取ってきた。
 床の上で幸せそうに目を閉じるリンクだが、今も冷たい床に体温を吸い取られているに違いない。どうにかしてあたたかさを確保しなければ。
 ウルフは考えた挙句——



 朝日がまぶたに差し込む。どうも雨は止んだみたいだ、と思いながらリンクは目を開けた。
 視界がなんだかおかしい。ハテノ村の自宅にいるのは確かだが、体がずいぶん低い位置にある。木の床に擦りつけられていたほおが痛い。
「え? なんで床?」
 上体を起こすと、全身が凝り固まっていることが分かった。なぜ自分は室内で野宿の真似事をしているのだろう。もしや冒険手帳を書きかけのまま寝ていたのだろうか。だからといって、床に転がっているのはおかしい。
「う、寒……」
 意外と空気が冷えていた。リンクはぶるりとして、なぜ今まで寒くなかったのだろうと考える。膝から毛布がずり落ちた。
 これのおかげか、と毛布をめくり上げる。
「あ」
 リンクの口元が思わず緩んだ。
 彼の体の横にはぴったりとウルフがくっついていて、静かに寝息を立てているのだった。




野宿の話


 野宿、それは旅人が最も頭を悩ませる問題の一つである。
 寝具の運搬、食料と水の調達、ただ「外で寝る」というだけで考えるべきことは山ほどある。それなのに、厄災により滅びたハイラルにおける野宿では、さらに大きな問題があるのだった。
「じゃあそろそろ寝るね。おやすみウルフくん」
 その少年、リンクという名の勇者も例外なく課題を抱えていた。彼は能天気な性格ながら、今日もきちんと「処置」を行ってから眠りについた。
 その問題とは、すなわち身の安全の確保である。
 リンクの寝息を確認してから、ウルフは地面に丸めていた体を起こした。いつものように危うくリンクの枕にされかけ、いつものように抵抗して勘弁してもらったのはつい先ほどの話だ。
 本日リンクの作った即席の寝床は、樹林帯の中にあった。そして、寝床を三角形に囲むようにして合計三枚、「お札」と呼ばれる紙が付近の木の幹に貼られている。
 それは、彼がシーカー族からもらった魔除けのまじない札だった。厄災の魔力に満ちたこのハイラルにおいては、日が落ちるとスタルボコブリンなど骸骨系の魔物がどこからともなく現れる。お札はそれらから身を守るための道具だ。どうやらお札に囲まれた領域にいると、まわりから見えにくくなる効果があるらしい。非常に便利な代物だった。自分のいたハイラルでは「相棒」の結界魔術に頼りきっていたウルフも、うらやましい限りだ。
 そして、リンクが深い深い眠りに落ちてから、一応お札の見回りをするのが野宿の際のウルフの定例となっていた。
(……げっ!?)
 彼は木の幹を見上げて絶句する。一枚、お札がはがれかけているではないか。
(阿呆かあいつ、一番大事なところを)
 確かにやけに眠そうな顔で作業しているなとは思っていたが——
 貼り直す必要があるが、ウルフは四つ足のケモノだ。鼻先を高く持ち上げてもお札には届かない。
 とにかくお札を回収すべきだ。最悪、風で飛ばないように石か何かで地面に固定してもいいのだから。
 ウルフはぐっと屈み込むと、勢いをつけてジャンプした。体当たりで木の幹を揺らす。
 はらり、と固定具が外れてお札は空気に投げ出された。落下に転じる——かと思いきや、そよ風が吹いて流されていく。
(ちょ、早く止まれよ)
 必死に上を見ながら追いかけた。こういう時、オオカミの体は不便だ。
 やっと風が止まった。勢いを失い急速に落ちていくお札。ウルフはほっとして落下地点を見極め、追いかける。
(……マジかよ)
 お札の落ちた先は——ボコブリンの集落のど真ん中だった。
 こんなに近くに魔物がたむろしていたなんて、全く気づかなかった。集落といってもドクロ岩の砦ややぐらがあるわけでなく、ただの野営地といったレベルだ。ウルフたちと同じように移動途中なのかもしれない。
 一刻も早く結界を貼り直さなければ、熟睡中のリンクが今にも骨どもに襲われるかもしれない。今すぐリンクを叩き起こすべきか? 否、彼は自分の決めた時間が来るまでは、天地がひっくり返っても起きないのだった。
 こうなれば、
(魔物に見つからずに即行で回収してやる……!)
 あたりはごく静かである。青ボコブリンたち総勢三体は腹を上に向けてすっかり眠りこけている。
 これなら、行ける。
 ウルフは足音を忍ばせ、そろりそろりと歩いた。お札のもとまでたどり着き、牙で破ってしまわないよううまい具合に口で挟む。
(やった!)
 と思った途端に油断が出た。
 ざり、と足が地面の上で音を立てる。一番近くに寝ていたボコブリンが起き出した。魔物の目はまん丸になる。そして仲間を起こそうと口を開きかけ——ウルフがすかさず喉元にかみついた。
 悲鳴を生み出す器官を失ったボコブリンは、沈黙のままに倒れた。
(あ、危なかった)
 他の魔物が体を起こす気配はない。思わず口から離してしまったが、お札も無事だ。ウルフは全身の力が抜ける思いだ。
(リンクはまだ寝てんのかな……まあ、そうだろうな)
 こちらの苦労を何も知らないで。これなら、多少骸骨どもに殴られていても「ざまあみろ」と言いたいところだ。
 それでもウルフは己の良心に逆らえず、リンクのもとに駆けつけた。においをセンスで辿れば、真っ暗闇だろうとあっという間に元の場所に戻れる。
 野営地に戻ってきたところで、ウルフは足を止めた。
(嘘だろ……っ!)
 リンクの寝床のごく近く、木を二、三本ほど隔てた場所をごそごそと歩き回るのは——イーガ団だ。
 リンクの旅の危険がウルフよりも格段に上であるのは、こういう点だ。まさか勇者が同じ人間に追われる立場であるとは。ウルフもその点についてはかなり同情している。油断していたら永遠の眠りに誘われかねないのだ。ウルフが念のためにお札の見回りをする理由でもある。
 そこで頼りになるのが、これまたシーカー族特製のお香である。特殊な香りをまとった煙を浴びると、気配を消すことができるとかなんとか。こちらは準備も大していらず、焚き火に香りの種を投げ込むだけというお手軽さだ。先ほどのお札と同時に備えることで、さらなる真価を発揮するらしい。
 だが、それも敵の視界に入らなければの話だ。姿を消すお札と気配を消すお香、そのうち片方しかなければ——結末は目に見えている。
(なんとかそれだけは回避しないと!)
 血の気が引いたウルフは、雷の速さで思考しはじめた。
 このままでは、すぐにでもイーガ団にリンクの存在がバレる。奴らは骸骨どもよりはるかに危険だ。無防備なところを首刈り刀の一突きで勇者の人生は終了である。
 おまけにイーガ団にはウルフの姿も知れ渡っていた。あちらがウルフを視認すれば、すなわちリンクがそばにいることを悟るに違いない。つまり、自分もリンクも見つかるわけにはいかない。非常にまずい状況だった。
(どうすればいいんだよっ)
 リンクも自分も生還するためには——どうすれば。
 お香のおかげで気配が消えているといえど、イーガ団はどうも何かを感じとり、あたりをうろついているらしい。が、その足取りは不確かだった。今日は曇り気味だ。ウルフはケモノ特有の勘と感覚(つまりはセンス)であたりを把握しているが、イーガ団の視界はかなり狭まっているはず。奴らは隠密行動を常とするため、もちろん明かりを持って行動などしていないし、もしかしたら——
 あることを思いついたウルフは、眠るリンクにこっそり駆け寄ると、荷物を漁った。
 食料の中に今晩解体したばかりのケモノ肉があるはずだ。いつもは、その日食べきれなかった肉は当然それなりの処理をして保存するのだが、今回は「眠い……明日でいいや」と言って後回しにしていた。(いや、腐るぞそれ)とウルフはすかさず心の中でツッコミを入れた。実際は多少肉が腐っても問題ないくらい、このハイラルは狩りの獲物に事欠かないのだが。
 においを頼りに肉をくわえ、荷物袋の外に引き出す。……やはり、すでに少しにおっている。
 それにしても、リンクは未だに爆睡を続けていた。ウルフはこんなに大変な思いをしているというのに。これなら、少しくらい嫌がらせをしても許されるだろう。
(悪いなリンク。ちょっと悪夢を見るかもしれないけど、まあ夢すら見られなくなるよりはマシだろ)
 ウルフは布団を引っ張り、リンクの顔の上までかぶせてやった。ここまでやっても呑気に寝ているのはいっそ才能だと思う。
 そして、布団の上に肉を放った。布一枚隔ててリンクは生肉を顔の上に乗せている面白おかしい状況になった。こんな場面でなければ笑っているところだ。
(あとは、イーガ団がどう出るか……)
 身を低くしてその時を待つ。目一杯抑えた足音が徐々に近づいてくる。
 闇の中で、お面の奥の瞳と目があった。
 ウルフはわおんと遠吠えを放ち、これ見よがしに肉にがっついた。わざと音を立てて、普段ならやらないような品のない仕草で。
 突如として大型のケモノに出くわしたイーガ団は、ぎょっとして身を強張らせていたが、
「なんだ、オオカミか……」
 と興味なさそうにきびすを返した。
 助かった! あたりが暗いため、相手は普通のオオカミと見分けがつかなかったのだ。それに、普通の人間なら動物同士の捕食シーンなんて別段まじまじと見たくもないだろう。月のない夜ならなおさらだ。
 ウルフの機転のおかげでリンクの布団は処理しきれなかった血やら何やらでベタベタになってしまったが、そのくらいは許してもらうしかない。
(ほら、やってやったぞ)
 思いがけない食事で腹が膨れたウルフは、リンクの上に前足を乗せて少し体重をかけてみる。
「うっ? んー……」
 小さな声が漏れたが、それだけだ。幸せそうな寝顔を眺めながら、明日は絶対寝坊してやるぞ、と心に決めるウルフだった。



 翌朝、リンクは珍しくウルフよりも先に起きた。
 布団の上に肉片が飛び散っているのを見つけて度肝を抜かれたが、自分のものでも、ましてや相棒のものでもないらしいことに気づいて、胸をなでおろす。
「もしかしてウルフくんの夜食だったのかな……?」
 ぐうぐう寝ている相棒は起きだす気配がない。ふと脇を見ると、シーカー族にもらったお札が地面に置いてあった。丁寧に石を上に乗せて。
 じいっとそれを見つめ、「補給のためにカカリコ村に一度戻らないと」と考えつつ、
「夕飯、足りなかったのかなあ。今晩は何かおいしいものを準備してあげるからね」
 それが密やかな戦いに勝利した相棒をねぎらうことになるとは知らぬまま、彼は軽くオオカミの毛皮をなでて微笑んだ。




拠点攻略


 目の前にあるのは、立派な家くらいのサイズのドクロ岩だ。内部は空洞で、このハイラルにおける魔物たちの拠点となっている。
 ドクロ岩の手前には物見やぐらが二つ設置されていて、弓を携えた見張りのボコブリンがそれぞれ立っている。奴らは敵を見つければ即座に警笛を鳴らし、砦内部の魔物に外敵の存在を知らせる役割を担う。
 まったくよく考えられたシステムだ、とウルフは思う。彼のいたハイラルでは、徒党を組んだりこのような拠点をつくったりする魔物など、ほとんどいなかった。
 ウルフは少し離れた物陰からドクロ岩の様子をうかがう。彼は今、一人きりだった。
(リンク……生きてるかなあ)
 静まり返った拠点の中には、リンクが一人で取り残されているはずだった。



 このハイラルの勇者リンクは、基本的に魔物と戦わない。「それって勇者としてどうなんだ」と先輩勇者のウルフは当初不満だったが、やがてリンクの考えも理解できた。このハイラルにおいては、どれだけ魔物を倒しても厄災の魔力によって七日に一度の周期で復活してしまうのだ。
 放っておけば魔物もただ自分たちのテリトリーを守って暮らしているだけだし、ヒトとの棲み分けさえできていれば問題ない、というわけである。そもそも、魔物の問題が深刻化する前に、諸悪の根源である厄災を討てばいいのだ。だから、よほどのことがない限りは魔物に戦いを挑まない。
 しかし、今回リンクが直面したのはその「よほどのこと」であった。
「全然武器がない……」
 ぽっきり折れた剣を見てリンクが呆然と呟く。路銀を調達するためイワロック討伐に精を出していたら、武器のストックがなくなりかけていることに気づかなかった、というわけだ。
 無論、普段ならこんな間抜けなミスはしないだろう。だが、ここのところリンクはどうも精神的に低迷状態にあるようだった。ぼんやりしたり、珍しくイライラしていることもあった。基本的にのほほんとして精神が安定しているリンクにしては珍しいことだが、「長く付き合っていればこんな時もあるかな」とウルフが見過ごしていたのも悪手だった。結果として、武器不足を招くことになったのだ。
 武器は魔物から奪うのが一番手っ取り早い。何しろ、その辺の雑魚がハイラル王家に伝わる剣を所持していたりするのだ。おそらく乗っ取られたハイラル城から持ち出されたものだろう。よって魔物の拠点ともなれば、お宝もザクザクという寸法だ。
 彼は手近なドクロ岩を見つけ、そこを襲撃することに決めた。順当な考えだが、客観的に見ると蛮族並みの行為である。
「ウルフくんも協力してくれる?」
(仕方ない、やってやるか)
 襲撃は深夜を選んだ。魔物たちも寝静まる頃だ。仮眠して、ちょうどいい具合の時刻になる(リンクはこれと定めた時間にきっちり起きられる謎の特技を持っている)。天候も曇りだから隠密行動には適しているだろう。シーカー族特製の忍びスーツを着込み、物音対策も万全だ。
 リンクは弓を装備した。武器は軒並み壊れたが、一方で矢の本数には比較的余裕があるからだ。そして、シーカーストーン。これこそリンクの最大の武器である。さらに彼は拠点を周辺からじっくり観察し、強力な武器になる「あるもの」を見つけた。
「それじゃ、作戦通りに行くよ」
 言うが否や、まずリンクが一心の弓(長射程でこういう時に役立つ)で手早く見張りを片付ける。このハイラルにも望遠鏡・ホークアイがあれば重宝されることだろう、とウルフは思う。
 ドクロ岩にそっと近づいて、中の様子をうかがった。敵数の把握は拠点攻略における最重要事項だ。ドクロ岩の中で眠りこけているのは、ボコブリン四体とモリブリン二体の混成部隊だった。白銀の個体も混ざっているので、まともに戦えば苦戦は必至だ。
 無防備に腹を上に向けて寝ている魔物たちを見て、ウルフは真正面から飛び込んで暴れまわりたい気持ちになったが、リンクがあくまで相手を無力なまま封殺する作戦をとったので、我慢している。
「ウルフくんは、口笛吹くまでここで待ってて」
 それに、二人いるからこそできる作戦も多いのだ。リンクはウルフのそばにあるものを置いていった。
 そして自身はシーカーストーンを起動させる。外にあった金属製の箱をマグネキャッチで動かし、ぽーんと敵の中央に放り込んで準備完了だ。
「……行くよ」
 リンクはドクロ岩によじ登り、穴になっている目の部分から飛び降りた。すぐさま空中で弓を構える。リンクの驚異的な身体能力が発動し、目にも留まらぬ速さで矢を放つ——鉄の箱に向かって、電気を帯びた矢を。
 電気は一気に拡散し、魔物たちを襲った。リンク自身は電気をガードする防具をつけているので、一方的に攻撃できるわけだ。
 魔物たちは寝耳に水どころか電気を浴びて声もなく倒れる。残酷だが実に効果的な方法だった。
 しかし、鉄の箱の置き場所が悪かったのか、一体のモリブリンが拡散した電撃の範囲を外れており、眠りから覚めてしまった。
 リンクは即座にピーッと口笛を吹く。
「ウルフくんっ」
 かねてからの作戦通り、ウルフはリンクに託されたアイテムをくわえてドクロ岩の入り口に立つ。
 それはチュチュゼリーだ。ウルフが頭を振ってゼリーを飛ばし、モリブリンにぶつければ、破裂して水が飛び散った。当然ただの水を浴びただけなのでモリブリンは怯まずウルフへと襲いかかるが、その背にすかさず電気の矢が刺さる。
 全身にかぶった水が効率よく電撃を伝えた。痺れて苦悶の声を上げたモリブリンはどうと倒れた。
「助かったよ、ありがとうウルフくん」
 リンクもウルフも、ほとんど消耗はない。事前準備にやたらと時間がかかったくらいだ。
 見張りも含めて合計八体もの大所帯を、リンクは作戦を工夫することで大した苦労もせずに倒してしまった。
(やるじゃないか)
 不甲斐ない後輩とばかり思っていたが、こういう時の頭の冴えはなかなかだとウルフは評価する。リンクはそれを特に誇ることもなく、いそいそと戦利品を漁りだす。
 そうなるとウルフはやることもないので、一度外に出た。
(今日はずっと曇りだなあ……ん?)
 雲の切れ間が妙に明るい。いや、赤い。
 曇っている上、しばらく攻略に熱中していたから気づかなかったが、これは——
(やばい、ブラッディムーンだ!)
 ウルフは吠えた。ドクロ岩の中でリンクがはっとして硬直する。二人の目の前で、厄災の魔力が満ちて魔物がみるみる形成されていく。
 僕はいいから、きみは逃げて——とリンクの唇が動く。
(で、でも)
 体を取り戻した魔物たちは今にも活動をはじめるだろう。ウルフは後ずさりした。少し目を離した隙に、リンクはさっさと拠点の中のどこかに隠れたようだ。
(くっ……)
 どうすることもできず、ウルフはドクロ岩に背を向けて、逃げ出した。



 ウルフはひたすら機会をうかがった。すっかり夜は明けて魔物たちの活動時間だ。ぐずぐずした天気はずっと続き、今にも降り出しそうで、ウルフの焦りに拍車をかける。
 今頃、リンクはドクロ岩の中で空きっ腹を抱えてじっとしているのだろうか。ここにきて、彼のバイオリズムの低下が気になり出した。よろしくない精神状態のままあんな場所にいたら、悪化の一途を辿るだけだ。
 ウルフは何度も殴り込みをかけようと考えた。だが、限りなく勝ち目の薄い戦いになるだろう。無闇に行動してはいたずらにリンクを危険に晒すことになる。
 昼になり、数匹の魔物がドクロ岩から外に出た。リンクの危険度は多少減り、代わりにウルフは何度か見つかりそうになったので、隠れ場所を転々とした。それでも常にドクロ岩が観察できる位置を陣取り続けた。
 そのうち、ついにぱらぱら雨が降ってきた。しかも暗い空は所々で光っている。
(雷雨か、やだなあ)
 見張りのボコブリンも雲を見上げて嫌そうな顔をしている。雷の餌食にならないよう少し移動しようか、とウルフが腰を浮かしかけた、その瞬間。
 ひゅっと風を切る音が聞こえた。ウルフは誰よりも早く、ケモノ特有の敏感さでそれを察知する。
 電気の矢が空を切る音だ。それが、赤い月を経てもなおドクロ岩の中に残っていた鉄の箱に浴びせられた。折しも、雨を浴びて砦に戻ってきた魔物たちへ、次々と電撃が伝播していく。
(リンクだ!)
 外に残っていた見張りが警笛を吹き弓を構えた。ウルフはそっとやぐらの真下に移動し、見張りの死角に入る。
 オオカミの彼はどうやってもはしごを登れないし、見張りに直接攻撃はできない。彼は一考し、拠点に転がっていた敵の武器を運んできて、やぐらの下に置いた。急いで離れる。
 間髪入れず、鉄製品に向かって雷が落ちた。見張りは黒焦げになる。
(大成功!)
 鋭い口笛が雨空を貫いた。ウルフは飛ぶように駆けた。
 リンクは敵から奪った武器で、仕留め損なったモリブリンの相手をしている。電気の矢は使い切ったらしい。ウルフは大きく棍棒を振りかぶる魔物の後ろから噛み付いてやった。モリブリンは足を振り回すが、そこにリンクが盾ごとぶつかって転ばせる。あとは二人でとどめを刺した。
 静かになった拠点の真ん中で、リンクは呆然と立ち尽くす。
「た、助かった……」
 びしょ濡れになった上、いよいよ雷が本格化してきたので、二人は慌ててドクロ岩の中に逃げ込む。せっかく敵を全滅させたのにまとめて落雷に遭う、なんてことになったら笑えない。
 リンクは濡れそぼったウルフの毛皮を、持っていた布で拭いた。
「ずっと外にいてくれたんだ。ありがとうウルフくん」
(そりゃ、まあ。さすがに心配だったからな)
「赤い月が来て、慌てて木箱の陰に隠れたんだけど、もういつ見つかるかひやひやものだったよ……」
 身につけていた忍びスーツと、直前に集めていた魔物からの戦利品(爪やら内臓やら体の一部である、これがまた小金になるのだ)が役に立ったらしい。それで気配と匂いを消していたわけだ。
 その時、いきなりリンクの足元がぐらりと揺れ、どっと背中から地面に倒れこんだ。
(ど、どうした!? やっぱり調子が——)
 リンクは目をぼんやり開けて、
「お腹すいたのと眠いのと、どっちを先に解決したらいいかな……?」
 どうやらエネルギー切れで動けなくなったらしい。心配して損した、とウルフは呆れかえる。
 雨がザアザアと天井の岩を叩く音が響いている。
 リンクは笑みを消した。
「……赤い月、変なタイミングで来たよね。それに、最近ずっと頭が痛かったのが赤い月の後に治った。いつもはそんなことないのに」
 だから近頃調子が悪そうだったのだ。肉体の不調は精神にも影響する。リンクの体調が赤い月と呼応している——それは一体どういうことなのだろう。
 リンクは起き上がって、ウルフと目線を合わせる。
「それだけじゃない。魔物たち、どんどん強くなってる気がする。トレジャーハンターの人たちが言ってたけど、ハイラル城があんな危ない場所になったのは結構最近なんだって。ちょうどシーカータワーが地面から出てきた頃——僕が回生の祠で目覚めたあたりから、だって」
 リンクが何を言わんとしているのか、ウルフには分かった。それは「勇者の存在があるから厄災が活性化しているのではないか」という危惧だ。
(そんなわけあるか。あいつらがハイラルに悪さするから俺たちがいるんだろ。そこが逆転するなんて、絶対にありえない)
 しばらく二人は見つめあっていた。リンクが先に視線を外す。
「変なこと言った。ごめん、ウルフくん。今回は本当に、ありがとう……」
 言葉の途中で、くたりとその場に丸くなる。緊張が解けて寝てしまったらしい。しばらく魔物の復活はないにしろ、ここはまだ危ない場所なのに。
 体力回復には、よく食べて寝ることが一番だ。ウルフだっていい加減休みたいけれど、少しだけここでのんきな寝顔を見守ってから、リンクの愛馬の元に荷物を取りに行ってやろうと決めた。平和な夢でも見たら、きっと妙な考えなんて忘れていつものリンクに戻るはずだ。
(そりゃあだって、どうしようもないことでうじうじ悩まれるよりは、いつもみたいにへらへら笑ってる方がいいだろ)
 ウルフは自分で思うよりずっと、こんな日々が続くことを望んでいたのだ。




黄昏の勇者服


 こちらのハイラルの夕焼けは、ウルフのよく知る黄昏時とどこか違う。
 見渡す限り広がるなだらかな丘陵や、遠くにそびえる雪山などはあちらのハイラルと時折よく似ているようにも見えるけれど、夕方を迎える度に「ここは自分の故郷ではない」という確信が強くなる。その理由ははっきりしない。光の加減が異なるのだろうか。
 それでも暮れかけた太陽を眺めると、ウルフの胸には郷愁のようなものがこみ上げてくる。それは、黄昏色の向こうに行ってしまった人のせいなのかもしれない——
「今日も疲れたねえ。このへんで休もうか」
 リンクは丘の上から夕日を見晴かして、隣のウルフに微笑みかける。
 彼は愛馬に預けていた荷物の中から夕飯の食材を探しはじめたが、やけに時間がかかっているところを見るとどうも何かが足りないらしい。
「そうだ! おいしいごはんでも出てこないかなあ」
 そう言ってリンクが取り出したのはシーカーストーンだ。ウルフは「げっ」と唸り声を上げそうになった。
 あの石版に宿るアイテムの中には、「ショウカン」というものがある。すなわちウルフをこのハイラルに呼び出した機能だ。基本的に、それは無生物かつリンクの助けになるものを異世界から召喚するというものである。以前気まぐれでリンクが使った時は、生魚がどさどさ空中から降ってきたこともあった。それも砂漠のど真ん中でやらかしたので、数匹は泣く泣く諦めなければなかった。さすがのリンクも全部食べきることは出来なかったのだ。
 今度は一体何が出てくるのやら、とウルフが注意深く観察していると——ゴン! 鈍い音を立てて何かが地面と激突する。なんと落下してきたのは鉄の宝箱だった。
「うわ危なっ」
 斜面に落ちた宝箱がこちらへ転がってきたので、二人は慌てて横に避けた。これが脳天に直撃でもしたら、シーカー族はどう責任をとってくれるのだろう。
「びっくりした。こんなものも出てくるんだ」
 それでもリンクはわくわくした様子で宝箱を開ける。中に入っていたのは布のようなものだ。
「服……かな?」
 ウルフは目を見張った。リンクが両手で広げたのは古風な衣装だった。落ち着いた緑色の長衣に、鎖帷子、薄手の長袖——
(お、俺の服だ!)
 間違いない。ウルフが自分のハイラルで着ていた服だった。確か、光の精霊に勇者の衣として着せられたものだ。古臭いデザインだったのでそのまま街を歩くのはどうかと思ったが、旅装にちょうどよかったので結局最後まで使用していた。
 リンクはごそごそ宝箱の隅まで漁って、
「ブーツと帽子もあるみたいだ。あったかそうだし着てみようかな」
 クライム装備で腕が丸出しだったリンクは、ウルフが止める間もなく着替えてしまった。
 目に優しい全身緑の勇者が誕生する。こうなると、全体的な印象が本来の姿のウルフにそっくりだった。髪型や顔つきはもちろん違うけれど、並んだら兄弟か何かと勘違いされるレベルだろう。
「サイズもぴったり! 何なんだろうこの服?」
(嘘だろ、俺の方が絶対背が高いのに!)
 ウルフは軽くショックを受けた。彼も決して背が高い方ではなかったが、百年寝ていた割に小柄なリンクよりはずっと体格が良い自信がある。リンクに合わせて服が縮んだのだろうか、いやそうに違いない。
 リンクはシーカーストーンをあれこれいじって服に関する情報を集めていたが、ウルフにとって幸いと言うべきかハイラル図鑑には載っていなかったようだ。
「プルア博士に聞いたら分からないかな。何かいわれがありそうな気がするし」
 リンクは何故かその服が気に入ったようで、クライム装備に戻すつもりはないらしい。そのまま足りない食材を調理して夕飯をつくった。妙に見覚えのある勇者の姿が目に入る度にウルフは何故か緊張した。そんな装備さっさと飽きてくれ、と思う。
 リンクも、さすがに寝る前にはラフな服に着替えたが、
「あれ、この服——」
 何故か脱いだ服の裏を注視し、それからウルフをじっと見つめていた。
(なんだよ一体)
 ウルフは嫌な予感がした。



 ハテノ研究所で二人を待っていたプルア博士は、こともなげに答えた。
「それは黄昏の勇者服だネ」
「黄昏の……勇者?」
「ウン。黄昏の魔物と戦った勇者が身につけていた服だって。それ以上の情報はないみたい」
 プルア博士は自前のデータベースを探り、服の正体をぴたりとあててしまった。
(ここまであっさりバレるなんて……)
 ウルフはおそるおそるリンクを見上げた。相変わらず例の勇者服を着ているが、帽子だけはどうもしっくりこなかったようで今は脱いでいる。
「黄昏の勇者って、一万年前の勇者ともまた違いますよね。タバンタのあたりにある、あの神殿と関係あるのでしょうか」
「ああ、ククジャ谷にある勇者の記録を残すための神殿だっけ。もうすっかり忘れ去られたみたいだけどネ。関係……は正直よく分かんない。でもショウカンで来たってことは、別の世界の勇者じゃないの?」
「そうですよね。分かりました。ありがとうございます」
 妙に素直に納得して、リンクはさっさと研究所の外に出ていく。ウルフも後を追うが、今日のリンクはなんだか不気味な沈黙を保っていた。
 半分ほど研究所前の坂を下ったところで、突然リンクは立ち止まり、屈んでウルフと目線を合わせた。
「……この服、裏側にオオカミの毛がついてるんだ」
(え?)
「いや、オオカミかどうかは分からないけど、黒っぽいケモノの毛。でもどこか見たことがあるような毛なんだ。それに帽子も……なんとなく僕がよく知ってる匂いがするんだよ」
 匂いってお前、それこそオオカミじゃないんだから。
 そんなツッコミが喉の奥に引っ込むほどに、リンクは真剣な表情をしていた。
「ウルフくん。この服はきみの服なの? きみって本当はハイリア人なの……?」
 ウルフは言葉に詰まった。
 そのとおり、彼は正真正銘のハイリア人であった。だが、今はそれを証明する手立てなどない。相手の言葉は聞き取れても何も話せないし、元の姿に戻ることもできない。たとえここでうなずいたとしても、ハイリア人に戻れない限り、リンクにとってはただのオオカミと同じなのだ。
 それにウルフは、何故か今の時点では自分がハイリア人であることを知られたくなかった。この「リンク」とは、言葉はなくとも気楽に接することができて、互いに踏み込みすぎない今のままの関係でいたかったのかもしれない。もしくは元の姿に戻った時、いきなり顔を見せて驚かせてやりたいと思っていたからかもしれない。とにかく、こんな形で正体を知られてしまうのは嫌だった。
(黙っておこう。今はまだ……ただのオオカミでいよう)
 緊張の一瞬が流れた。ウルフはじいっとリンクを見返す。内心冷や汗を流しながら。
 リンクはぱっと相好を崩した。
「——って、そんなわけないよね! ごめん変なこと聞いて。
 黄昏の勇者ってどんな人だろうね、僕と同じオオカミ好きだったら気が合うんだろうなー」
 いつもの調子に戻ったリンクを見て、ウルフはほっとした。決してオオカミ扱いに満足しているわけではない。だが、それでも安堵の気持ちが強いのは、人であると知られた瞬間、リンクの心が離れることが直感できたからだろうか。
 何故なら、リンクが相棒と呼んで慕っているのはただのオオカミのウルフなのだ。それは分かっていても、この釣り合わない関係——どうしてもリンクと対等になりきれないことに対して、ある種の寂しさを覚える。黄昏を見ている時と同じような気分になる。
(ああ、やだやだ)
 ウルフは頭を振って、そんな思考を追い出した。
(なんで俺がこんなやつに気を使わなきゃならないんだ)
 今晩は腹いせに極上のケモノ肉をリンクのストックから奪ってやろうと決めつつ、オオカミは緑色の背中を追いかけた。
 その後、リンクは気が向いた時に——新しい土地に足を踏み入れてどことなく不安そうな時や、また気合を入れて強敵に挑む時などに、進んでその服を着るようになった。
(そういうポジションって普通、英傑の服だろ)とウルフが思っていると、
「この服着てるとなんだか安心するんだよね」
 などと聞いているこちらが照れくさくなるようなことを言われてしまった。
 それでも徐々にウルフは「黄昏の勇者」姿にも慣れていった。つとめてあの服の来歴を考えないようにしていたとも言える。
(服なんかでいちいちびびるのは、もうやめたいよなあ)
 リンクがいそいそと勇者服に着替えるのを見る都度、今後はどんな服が空から降ってきても動揺なんて絶対にしないぞ、と彼は臍を固めるのだった。
 ——のちに大盗賊ラムダの宝を探している途中、水没した神殿跡でまたウルフの心をざわめかせる「冠」を見つけることになるのは別の話だ。




祈りの行方


 ミファーの魂が現世に呼ばれる時は、すなわち勇者リンクがピンチを迎えている場面だ。
「ミファーの祈り」という強力な癒しの力は、リンクが瀕死のダメージを負った時に発動する。だから力を解き放つ際、ミファーの魂はいつも地面に転がった彼と対面してしまう。
 とは言っても、毎度毎度シリアスな場面ばかりではない。たまにはリンクのちょっとしたドジが原因で呼び出されることもあった。
 たとえば、祭事の槍を持ったリンクがセラの滝の天辺から飛び降りて、台座に槍を刺せなくてそのまま地面に激突してしまった時とか。あの時甦ったリンクの気まずそうな顔は忘れられないし、ミファーは失礼だと分かっていながら後でダルケルの魂と一緒にちょっとだけ笑ってしまった。ここにリーバルがいたら——神獣ヴァ・メドーはまだ解放できていないのだ——一体どんなことを言われただろうか。
 今、呼び出されたミファーの目の前に広がるのは真っ白な世界だった。雪の降り積もる山の中である。温暖なゾーラの里では決して見られない景色だった。リンクはこんな場所も旅をしているのだ、という感慨を隅に置き、彼女はいつものように祈りを捧げる。
 確かに癒しの力は発動したはずだった。だが、防寒服に身を包んだリンクは起き上がらない。「どうして」と訝る彼女の視界に、四肢を突っ張って雪の上に立つ一匹のケモノがいる。
(あっ……)
 リンクが「相棒」として連れているオオカミだった。ウルフという名で呼ばれ、勇者の旅の助けをしている。何故そういう流れになったのかは分からない。だが、回生の眠りから覚めたリンクはいつも隣にいる「彼」に相当な信頼を置いていた。
 動かないリンクを前にして、ウルフは低く唸り声を上げてミファーを見つめる。
(ねえ、どうしてリンクは目覚めないの。何があったの)
 彼らのいる場所は切り立った崖に囲まれた谷底だった。どうも、不慮の事故で落ちてきたらしい。リンクの呼吸はずいぶんと浅かった。
 オオカミ相手に会話など成り立つはずがない。それでも彼女は話しかける。
(ごめんなさい、リンクを助けられるのはあなたしかいないの。私でも姫様でもなく、今この瞬間、ここにいるのはあなただけなの)
 それでも「助けてくれ」と言わんばかりにこちらを注視するウルフにミファーは困ってしまい、とにかくリンクのそばに近寄る。そこで、閃くものがあった。
(もしかして)とリンクの顔を覗き込んだ。唇が青くなっている。彼女はウルフを手招きした。
(リンクをあたためてあげて)
 ジェスチャーがなんとか通じたのだろう、鋭い目を少し細め、オオカミがリンクに寄り添う。一向にリンクが目覚めないのは、極度に体温が低下していたせいだったらしい。相棒のぬくもりを感じたのか、苦しげに歪んでいたリンクの顔が少し和らぐ。
 ミファーはその光景を眺めながら、決して届かぬ声をかける。
(ねえ、あなたはどこからやってきたの?)
 人語を理解する様子のオオカミなんて、百年前にはいなかった。いやそれだけではない、本当の意味であの近衛騎士の隣に立てる人物は誰もいなかったのだ。
(でも今は、あなたがリンクのそばにいてくれるのね……)
 嬉しさと寂しさが同時に込み上げてくる。幼なじみのミファーも、ゼルダ姫でさえも決して立てなかった場所に、そのオオカミはあっさりおさまったのだ。リンクが回生の眠りを経て記憶をまるきり失い、親しい人物など誰もいない状態から再スタートを切ったから、という理由は大きいだろう。しかし、それでも……。
 ウルフはその毛皮でリンクに体温を分け与えながら、ちらちらとこちらを伺っていた。
 その時だ。雪雲が割れて、夕焼けのあたたかな日差しが崖の切れ間から差し込んだ。
(あっ)
 ミファーは声を上げそうになる。傾いた太陽を浴びてさっと黄昏色に染め上げられたウルフが、一瞬——ハイリア人の男性に見えた。心配そうにリンクを見つめ雪の上に腰を下ろす、緑衣をまとった青年だ。その風貌はなんだかリンクによく似ていた。
 彼女が目を瞬くと、ウルフは再びオオカミの姿になっていた。
 日差しであたためられたおかげか、リンクのまぶたが動いた。ほっとしたミファーは再び幽世に戻るため、半透明の姿を薄れさせる。
(これからも、リンクのことをよろしくね)
 謎深きオオカミへ、そう声をかけて。
 去り際に「ありがとう、ミファー」と呟いた声はリンクのものか、それともあの青年のものだったのだろうか。



 五本の指が揃った両手が、地面から離れて自在に動かせる!
 ウルフは驚愕しながら己の篭手に包まれた手を見ていた。視界が高い。すっかり見慣れた古臭い緑衣の裾が、かすかな風に揺れていた。
 彼の目の前には台座に刺さったままの退魔の剣がある。ここは迷いの森の奥だろう。だが、見える景色はフィローネの森ものではない。
(そうか、ハイラル大森林だ。俺、こっちのハイラルで元の姿に戻ったんだ!)
 ならばこの姿をリンクに見せつけて、今まで散々愛玩動物扱いしてきた憂さを晴らすべき時だ。彼は嬉々として振り返る。そこにちょうど、旅装のリンクがいた。
 リンクは水色の瞳を大きく見開いて、こちらを見つめている。ああそうか、まだ俺が誰だか分からないんだ。
「あ、あの、ウルフくんはどこへ……?」
「俺がそのウルフだよ」
 腰に手を当て、自慢げに話してやる。ずっとこう言ってやりたかった。リンクと対等に口をきける日を夢に見ていたのだ。
 ウルフは混乱した様子のリンクに言い聞かせるように、
「あのな、お前と一緒にずっと旅してたオオカミは、実はハイリア人だったんだよ。ある日いきなりこっちのハイラルに呼び出されてさあ。しかもなんでか知らないけど、全然元の姿に戻れなくて……本当に苦労したよ。誰かさんの面倒も見なきゃいけないし」
 意地悪な気持ちで懇切丁寧に説明してやる。ウルフの口調にははっきりと喜びがにじんでいた。だが——
 気づくと、リンクは深々と頭を下げていた。
「ごめんなさい」
 ウルフはぽかんと口を開いた。
「そんな人を、無理やり連れ回してしまって——それに、ずっとオオカミだって思い込んでいたので、ものすごく失礼なことをしてきました。ごめんなさい」
「な、何言ってるんだよ。お前らしくもない」
 笑って流そうとするが、声が震えるのを止められない。リンクは顔を上げ、決然と言った。
「あなたはずっと何も言わず手伝ってくれたのに、元の世界に帰るための方法も探さないままでした。責任はとります。ちゃんと、戻る方法を見つけてみせます」
 真っ青になって謝るリンクを見ていると、視界がだんだん暗くなっていくようだった。
 そんなこと、今更すぎるだろ。別にこっちだって本気で嫌々やってたわけじゃないんだ。「オオカミが実はハイリア人だった!」なんて突飛な話、ちょっとびっくりして、それからいつもみたいにへらへら笑ってくれたら良かったんだ。なのにどうして——
 その時、ちかりとウルフの頭に閃くものがあった。
 そうか、リンクはオオカミの俺しか相棒と認めてなかったんだ。喋らない動物しかいらなかった——ハイリア人の俺は必要がないんだ。



「あ、起きた? もう少し寝てても良かったのに」
 薄く開けたまぶたの向こう側に微笑むリンクがいてどきりとする。肌を冷気が刺して一気に目が覚める。そこは迷いの森ではなく、タバンタ地方の雪山だった。ウルフは——四つ足のケモノ姿に戻っていた——自分たちが遭難しかけていたことを思い出す。
 そもそも、何故リンクが崖の底に滑落することになったのか。きっかけは単純だった。リトの羽毛服を着込んで雪山を探索していたリンクが突然、「たくさん食料がある!」と喜んで顔を突っ込んだ洞穴が、たまたまコウテイヒグマの巣だったのだ。
 ウルフが警告する間もなかった。背後の気配を悟った時にはもう遅く、現れた巣の主は猛スピードでリンクへ突進してきた。「あ」と間抜けな声を残し、リンクはもろに体当たりを食らい面白いほど宙を飛んで、崖下にゴロゴロ転がっていった。
 ウルフは棒立ちになってそれを見ていたが、一瞬ののちに我を取り戻し、安全に下へ降りられる道を探しはじめた。幸いにもヒグマはこちらを無視してくれた。
(おいおいおい、これで死んだら笑うに笑えないぞ!)
 リンクは厄災ではなく、大自然に殺されかけたのだ。ウルフは戦慄しながら坂を駆け下りた。
 ただし、瀕死のリンクには秘策がある。「ミファーの祈り」という英傑から授かった力のことを、もちろんウルフも考慮していた。おかげで谷底に突っ伏したリンクにも呼吸があった——が、一向に目覚める様子がない。ウルフと同じく心配したであろうミファーの魂が現世にとどまっていたので、思わず助けを求めると、「寒すぎるせいだ」と仕草で教えてくれた。
 ここでファイアロッドでもあれば手軽に暖がとれたのだが、リンクの荷物には真反対の効果を持つフリーズロッドしかなかった。仕方なしにウルフは己の体温であたためることにした。悔しいことに、幾度も毛皮を枕代わりに使われたのでもはや抵抗感はない。そうしていたら、たまたま空が晴れたおかげもあり、やがてリンクは目を覚まして——それからの記憶がない。どうやら、ほっとして眠ってしまったらしい。ウルフは短い夢を見た。
 ハイラル大森林の奥にあるというマスターソード。あれに近づけば、自分の国でもそうだったように元の姿に戻れるのではないか、とウルフは淡い希望を抱いていた。しかしその時、リンクに夢と同じ反応をされたら——
「もう夜になっちゃったから、今日はここで野宿だね」
 リンクは着々と寝支度を整えながら、無言でいるウルフに「さっきはあたためてくれてありがとう」と声をかける。物言わぬオオカミに対して、リンクはどこまでも優しい。人一倍信頼も向けてくれている。それが分かるだけに、ウルフは怖い。
 だが、先ほどまで死にかけていたことを忘れたかのように「今晩はありものを食べるしかないよね……ああ新鮮な野菜が恋しい……」とぼやくリンクを見ていると、もやもやした気持ちが雲散霧消していくのは確かだ。
(こいつのことだから、俺の正体が知れても、案外あっさり流してくれそうな気もするんだよな)
 へえ、ウルフくんって本当はヒトだったんだ。それなのにいつも手伝ってくれてありがとう——なんて。
 そう、罪悪感で頭を下げられるよりも、感謝してほしかったのだ。それも盛大に。
(ていうか感謝が先だろ普通。もし本当に謝ってきたら、ぶん殴ってやるぞ)
 今更ながらにむかむかしてきた。ウルフは見えないこぶしを固める。
(……俺がこんなこと考えてるなんて知れたら、英傑たちはがっかりするかもな)
 去り際、ミファーの魂は唇を動かしていたようだった。あれはなんと告げていたのだろう。おおかた「リンクをよろしく」だろうか。こちらのハイラルでは、シーカー族たちも含めて誰もが無責任にリンクの世話を一匹のケモノに託してくる。
(まあ、いいさ。最後までかは分からないけど、あっちから拒絶されるまでは面倒みてやるからな)
 ウルフはリンクの顔色をはかるように目を細めた。




思い出のアルバム


 ばあんと音を立ててカカリコ村の屋敷の戸が開いた。
 現れたのは勇者リンクであった。座布団に鎮座していたインパは腰を浮かす。
「おおリンク、ついに最後の記憶を取り戻し——」
 だが彼はそれを無視し、すたすた歩いて壁際に向かった。
「あの、リンク様……?」
 インパと同じく広間にいたパーヤが、いぶかしげに近寄る。
「これって、写し絵をシーカーストーンの外に出したものですよね」
 彼は指さした絵から視線を外さずに問う。
 壁に飾られたその絵は、回生の眠りについたリンクのためにゼルダ姫が残したものだ、とインパは説明した。絵に示された場所はここから半日ほど歩いた場所にあるらしく、そこに赴けばリンクの失った記憶がよみがえるという。そしてたった今、彼はその場所から戻ってきたのだ。
 件の絵はなるほど非常に写実的で、たとえば流浪の絵師カンギスのタッチとはずいぶん異なる。その絵柄は、パーヤが何度か見たことのある「ウツシエ」機能によるものと酷似していた。
「たしかにそれは写し絵じゃが……それで、姫様の記憶は」
「やっぱり! ということは、写し絵を普通の絵にする方法があるんですねっ」
 リンクはインパの話をまるで聞かず、目をキラキラさせている。
「プルア博士の発明なんですか? いや、ゼルダ姫の時代からあった技術かなあ」
「リンク様……」
 遠慮がちにパーヤが話しかけたとき、開けっ放しだった扉の向こうから吠え声がした。
 リンクを咎めるような声色だ。そこに相棒の姿を認め、途端に彼は自分の立場を思い出す。
「あ、ウルフくん……ごめんごめん」
 普段から険しいオオカミの顔が、よりしかめられているように見える。リンクはぴしりとかかとを揃えてインパに向き直る。
「インパさん、ちゃんと記憶は全部取り戻しました。ついに……ハイラル城に行ってきます!」
「そ、そうか。姫様の思いをしかと引き継いでくれよ」
「ええ!」
 力強くうなずくが、リンクの興味関心は明らかにハイラル城とは別にある。厄災討伐はまだまだ遅れることになるだろう。彼がシーカー族の思惑通りに動いたことなど、今までほとんどなかったのだから。
 リンクは何度も絵とウルフを見比べており、さすがにパーヤも彼のしようとしていることが分かった。
 ここにきての寄り道は、微笑ましいような迷惑なような行為である。だが、ある意味ではとても頼もしい。どれだけ切羽詰まった状況でも、彼は本当に「いつも通り」を貫ける。
 きっとリンクはそのまま世界を救ってしまうのだろう。もちろんウルフと一緒に。



「写し絵を、シーカーストーンの外に出したい?」
「はいっ」
 リンクは実にいい返事をした。カカリコ村からハテノ古代研究所まではるばるやってきて、何をするかなんてもう分かりきっている。一緒にここまで来たウルフはほとんど諦めの境地だ。
 プルア博士はすっかり呆れている。
「あんた、厄災はどーしたのヨ? 四神獣全部解放したんでしょ、今こんなことしてる場合なの?」
「そちらは抜かりなく準備を進めていますから! 今は必要な物資を集めてるんですよ」
「別に写し絵は関係ないような……まあいいや、撮った写し絵を外に取り出したいのネ。なら、一枚百ルピー」
 リンクがリンクならプルアもプルアである。実にがめつい研究者だ。ハイラル図鑑の一ページあたりも同じ値段だから、「ただリンクの趣味に協力するだけ」という点では逆に良心的なのかもしれない。
「それじゃ、これとこれとこれをお願いできますか」
 リンクはアルバムから三枚を指し示し、金色にきらめくルピーを取り出す。プルアにふっかけられるのを見越して、先にハテノ村で宝石を換金してきたのだ。あの村の雑貨屋も毎度毎度突然やってくるリンクから大量にものを買い取る羽目になっているが、近頃は慣れたのか即座に大金を用意してくれる。どうも、リンクのおかげで村全体が潤っているらしい。
 ふうんなるほどね、と呟くプルアは、何気なくウルフの方に目線を向けた。これで写し絵の内容はほぼ特定できたわけだが、もはやウルフは驚かない。
 プルアは受け取ったシーカーストーンを勇導石にセットした。そして何やら操作している。別の装置に接続して、写し絵を取り出そうとしているらしい。しばらくして、
「はい、できたよ写し絵」
 三枚の紙を持ってきた。シーカーストーンのサイズよりも引き伸ばされ、より細部が鮮明に写っていた。リンクはぱあっと満面に笑みを浮かべた。
「ありがとうございますっ! これだ……これだよ! ああ、これでいつでもウルフくんの勇姿を眺められるねっ」
(いや、別に俺は嬉しくないんだけど)
 リンクが構えるウツシエに対していちいちポーズなどとったことはない。リンクが絶賛する三枚の絵も、その辺の山を歩いている場面、自分で狩ったキツネを食べる(若干グロい)シーン、体を丸めて寝ているところ、といたって普通だ。ただ、ウルフはオオカミ姿でまじまじと鏡を見たことがなかったので、紙に描かれた自分の姿が結構新鮮だった。
(リンクはこの強面オオカミと出くわして、最初よく逃げ出さなかったよな……)
 今なら「あちら」のハイラル城下町をケモノ姿で突っ切った時の混乱もよく分かるし、何気なく歩くだけで故郷の村を荒らしてしまったことにも納得がいく。一方、記憶喪失状態だったこのハイラルの勇者はウルフを見ても全く怯えることなく、むしろ最初から好意的だった。シーカーストーンで自ら「呼び出した」という認識があったからだろうか。
 リンクは大事そうに絵をしまいこみ、有頂天になっていた。
「よおし、これからはりきってウルフくんを撮影するぞー!」
 ……厄災は? ウルフとプルアは同じ疑問を抱いた。
「あのねリンク、あんまり寄り道してるとインパに怒られるかもヨ。あの子も歳とって短気だし。そりゃあ、アタシはこれで儲かったら助かるけどさ」
「う、そうですよね。うちの壁を埋め尽くすくらい撮りたかったんですけど……やっぱりダメかあ。じゃあアルバムのページからすると残り二十枚分撮れるみたいだし、それを埋めよう」
(まだそんなに撮るのかよ)
 実はウルフもあまり人のことは言えない。彼のハイラルにはシーカーストーンではなく「写し絵の箱」というものが存在しており、それを村長が行商人から買ったことがあった。それを借りたウルフは嬉しがって何でもかんでも撮りまくり、自室には今でも大量に山羊の絵を飾っている。
 リンクの輝く瞳もあの時のウルフと同じものなのだろう。シーカーストーンを携えたリンクはさっそく野に駆け出していった。



 歩いて一枚、立ち止まって一枚。リンクはすさまじいペースでアルバムを埋めていく。もう二十枚なんてはるかに超えているだろうと思えば、気に食わない絵はどんどん消しているらしい。厳選に厳選を重ねるようだ。こうなると、最初の三枚もアルバムの中から選び抜いた絵だったに違いない。
(一体何のためにここまで必死になってるんだ、こいつは……)
 被写体となったウルフは、迷惑というより困惑している。
 一応、彼らは「厄災に挑むにあたって少しでも身体の強化を図るべく、センサーを頼りに古代の祠を探す」という名目であちこち歩き回っていた。もちろん準備は重要だし、すでにリンクはこの寄り道をあまり長引かせないと宣言しているのだから、もはや放っておくべきだろうか。
 リンクは「こっち向いて」などと言うことも、ウルフにポーズをとらせることもなく、本当にふとした瞬間に石版を向ける。これまで写し絵を撮られた時もそうだったが、今日に限ってはそれが何十倍もの頻度になる。
 気づけば、シーカーストーンの中身は困ったような顔のウルフで埋まっていく。
(こんなに俺ばっかり撮ってていいのか?)
 ふと、「リンク自身は写らなくてもいいのだろうか」と思ったのだ。縁起でもないが、厄災戦で万一のことが起こったら——その時に何かを残したくはないのか? 旅の思い出が、いくら相棒とはいえオオカミばかりでいいのか?
「うん、いい写真が撮れた」
 ぼんやり考え事をしながら沈みかけた日を眺めていたら、すかさず撮影されてしまった。もう夕方である。
「きっかり二十枚だ。これで終わりにしようかな。手伝ってくれてありがとう、ウルフくん」
 手伝ったというか、なんというか。兎にも角にも、ウルフにとっての気詰まりな時間は終わったらしい。
 二人はハテノ村から街道沿いにハテノ塔付近をぐるりと回り、カカリコ村の近くまで戻ってきていた。今晩は双子馬宿に泊まるようだ。
 リンクは夕飯をすませると、案外疲れていたのかすぐにベッドにもぐりこんだ。相変わらず羨ましいほどのスピードで眠りに落ちる。
 毛布がきちんとかかっていないせいで、腰のシーカーストーンが丸見えだった。風邪引いても知らないぞ、と横目で眺めているうちに、
(二十枚もあるんだ。一枚くらい俺の自由にしてもいいよな)
 ひとつ思いついたウルフはひょいとベッドに飛び乗った。



「こんにちはー。アルバム全部埋めてきました!」
 翌日、リンクは明るい顔で再びハテノ研究所を訪れた。
「にっちゅー……って、いや早すぎるでしょ。昨日の今日だヨ。もう二十枚撮ったの?」
「はい! 一刻も早くハイラル城に向かうべきだと思いまして」
「真面目なんだか不真面目なんだかよく分かんないわネ、アンタ」
 リンクが張り切ってシーカーストーンを渡すと、プルアはさっと中身を確認する。
「で、この二十枚全部でいいのネ? 本当にウルフばっかりだわ……一枚だけ変なの混ざってるけど」
「変なの?」
 リンクも一緒に石版を覗き込む。映し出されていたのは、布団にくるまり太平楽に眠るリンクの顔のドアップだ。
「あれっ! 何これ」
「心当たりないなら、ウルフがシーカーストーンをいじってて、偶然撮れちゃったとかじゃないのー?」
 リンクは不思議そうに写し絵と相棒を見比べる。ウルフはつんと横を向いた。
「偶然……そうかなあ。ウルフくんがこんなことするのは——あっ」そこで何かに思い当たり、「プルア博士、すみません。この一枚分だけ撮り直してこようと思います」
 プルアは手をひらひらさせた。
「いいよーいつまでも待ってるヨ。好きなだけチェキチェキしてきなさいな」
 二人は研究所の外に出た。撮影日和のきれいな晴れ空だった。年中雪に覆われたラネール山が近いため、空気は少しひんやりしている。
 リンクはまっすぐに相棒を見下ろした。
「僕の写真がないこと、気にしてくれたんだよね?」
 ウルフはぎくりとする。相棒が関わる話だとリンクは異様に察しがよくなる。
「でもね、僕はこれでいいと思った。写し絵のきみの目には僕が写ってるから——一枚一枚見るたびに、それを写した時の自分の気持ちを思い出せる。だから自分の姿は写ってなくてもいいって思ったんだ。
 でも……やっぱり自分の絵もあった方がいいよね。ねえ、一枚だけ、きみと一緒に撮ってもいいかな?」
 リンクは照れくさそうに笑った。ウルフが拒否しないと見ると、その隣にしゃがみこみ、右手だけで石版を構える。
「これ、手前側を写すこともできるんだってさ。何のためにある機能なのかよく分からなかったんだけど——こういう時のためだったんだね」
 写し絵の中に二人の顔が入るよう、角度を調整する。
「はーい、チェッキー!」
 小さな四角に切り取られたのは、いつもとまるで真逆の光景だ。ウルフは「こういう時は笑顔だろ」と言わんばかりに大口を開き、舌まで見せている。一方リンクは左手でそっと相棒の背に触れ、わずかに目を細めて顔をほころばせる。その輝かしい一瞬を噛みしめるように。
 思い出の一枚は、他の写し絵よりも小さなサイズで取り出され、リンクの家の玄関に目立たないように——しかし、帰ってきた時必ず視界に入る位置に飾られた。二人はしっかりとその絵を目に焼き付けてから、ハイラル城へと旅立った。

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