ハテノ入村会議

 リンクの特技は、いつでも望んだ時間に目覚められることだ。
 百年きっかり回生の祠で眠った反動だろうか。吹きさらしの高原で焚いた火のそばだろうが、思わず寝坊したくなる高級宿のふかふかベッドの中だろうが、彼は睡眠時間を完璧にコントロールできた。
(今日は疲れたし、昼まで寝よう……)
 その日、深夜にベッドに倒れ込む時、彼はそう決め込んだ。しかし次に目が覚めても、日の差し込む角度はずいぶん甘かった——つまり朝だったので、驚いた。
 まどろみの底の鈍い感覚の中、どんどん、音と振動を感じる。雷だろうか。そのせいで早めに起きたのだ。
(二度寝しよ)
 布団の中で寝返りを打つと、音はより激しくなった。
 誰かが階下の玄関扉を叩いているらしい。否応なしに意識が覚醒し、リンクは仕方なくベッドから抜け出した。その辺の床に放っておいた上着を肩に引っかけ、階段を降りる。
 あくびをかみ殺しながら扉を開けた。
「おはようございま」
「ちょっとあなた、一体どこの誰よ?」
 いきなり詰問調だったので、リンクは思わず姿勢を正した。
 玄関先にいたのは女性二人である。腰にエプロンを身につけ、一般的なハイリア人女性の格好をしていた。
 背の低い方の女が一歩前に出る。
「あなた、いつからここの家の住民になったわけ?」
 そこまで言われて、リンクはやっと自分の立場を思い出した。
 ここは彼が買った家だった。ハテノ村の外れにある、壊される寸前だった家。一目見た瞬間に自分でもよく分からない衝動に突き動かされ、気づいたら大量のルピーと薪の束を用意して、買取交渉に臨んでいた。
 解体を請け負っていたサクラダ工務店から家をもらい受けると、彼はすぐに愛馬の背に預けていたもろもろの荷物を運び込んだ。まだ照明も何もない家に荷物をそろえる頃には、とっぷりと夜が更けていた。備え付けの埃っぽいベッドに倒れ込み、気づけば翌朝——今だ。
 まだ寝ぼけているリンクは間抜けな質問をした。
「えっと……なんで僕がここで寝てるって分かったんですか」
「だって表で火を焚いてるじゃない!」
 もう片方の背の高い女性が憤る。夜に外の鍋で夕飯を作ったとき、疲れ果てて火を消し忘れたらしい。もしや火事になりかけているのでは……と慌てて確認したが、炭化した薪の上で煙が細く立ち上っているだけだった。
 そういえば、彼女らはいつもハテノ村の井戸端で会議を開いている奥様方だった。解体間近だった家の変化に驚き、理由を確かめに来たら、見知らぬ青年が寝泊まりしていた。怪しまれて当然だ。リンクは焦りつつ、
「あの、僕、この家を買ったんです。サクラダ工務店さんから」
「サクラダってあの変な大工?」
「家を買ったってねえ、いきなり住んで大丈夫だと思っているの? 村長に挨拶はした?」
 だんだんリンクの顔が青ざめていく。勢いに任せて家を買ったが、ここに住むということはつまり、ハテノ村の住民になるということだった。村長への挨拶なんて当たり前のことなのに、購入時には考えもしなかった自分を恨む。
 リンクが狼狽えてろくな返事もできなくなっていると、女性の後ろから人影がやってきた。
「あら、ナギコさん。おはようございます」
 丸めた頭にねじりはちまき、肩に青い法被を颯爽と掛けたサクラダ工務店社長がやってきた。思わぬ救世主の登場に、リンクはほっと肩を下ろす。
 女性たちはいきり立った。
「サクラダさん! 変なダンスを子供たちに広めるのはいいですけど、今回だけは見逃せませんよっ」
「えっいいじゃないのあのダンス。……じゃなくて、この家のことね。売ったのはアタシの判断よ。村長には今日挨拶に行こうと思っていたの」
 堂々とした態度に、女性陣の矛先が徐々に鈍る。
「別に私たちは、ちゃんと段取りを踏んでくれたら構わないんですよ。若い男性が村に増えるのは……その、悪いことではありませんし」
 ちらっと意味深な目でリンクを見たが、彼は全く気づかず、頼もしそうにサクラダを注視している。
 二人はいそいそとスカートの裾をはたき、帰る素振りを見せた。
「とにかく、村の少なくとも半分は賛成しないと、ここの住民とは認めませんからね!」
 という捨て台詞を残し、家の前の吊り橋を渡っていく。また井戸端で会議を開くのだろう。
 サクラダは丁寧に礼をしてその背中を見送り、くるりとリンクに向き直る。
「朝から大変だったわね」
「びっくりしましたよーもう。でも僕、村のこととか何にも考えずに家を買っちゃって……」
 落ち込むリンクを励ますように、サクラダは彼の肩に手を置いた。
「大丈夫。家を買ったときのあんた、かっこよかったわよ。あれぞ若さってやつ? どうしてもこの家がほしかったんでしょう。村長にも村の皆にも、あんたの情熱は必ず伝わるわ」
「はい……」
「朝食、まだでしょう? 食べたら村長のところにいくわよ」
「はい!」
 リンクはお礼も兼ねて、サクラダ工務店の従業員分の食事を用意することにした。昨日運び込んだ食材から選りすぐり、気合いを入れて料理する。付近の森でとれたきのこを使ったリゾットだ。
 遅れてやってきた工務店の下っ端カツラダはスプーンごと頬張り、瞳を輝かせた。
「うまいッス! 才能あるッスよリンクさん!」
「……これは、いける」
 もう一人の従業員、無口なエノキダにまでストレートに褒められて、リンクは照れ笑いをした。
「ど、どうも。おいしいのは食材のおかげだよ」
 そしてサクラダは、目を閉じて舌鼓を打ちながら、
「これ、使えるかもしれないわね」
 とつぶやいた。



 ハテノ村長クサヨシは、いつも村の高台にある麦畑で野良仕事に精を出している。リンクはサクラダに先導されて挨拶に行った。
 こちらの足音に気づいた村長は作業を止め、曲げていた腰を伸ばした。
「おや、サクラダさん。そちらが例の方ですか」
「ええそうなの。なかなか気っ風のいい青年よ」
 もう話が伝わっていたらしい。サクラダに押し出され、リンクはお辞儀をする。
「リンク、って言います。家を買ったので、この村に引っ越したいんですけど……」
 と口に出しながら、「自分は本当にここに住みたいのだろうか」という疑問が湧いた。いや、すでに大金を積んだわけだし、家に荷物も運び込んだわけだし、もう引き返せないところまで来ている。リンクはふわふわした気持ちを急いで押し隠した。
 村長は青空を仰ぎ、難しい顔をした。
「そりゃあ、私はもちろん歓迎したいですよ。でも村の皆にもそれぞれ考えがある。私の一存では決められません」
「……そうですよね」
 先ほどの女性は「村の半分を納得させなければ」と言っていた。村長さえ味方につければ楽勝だ、思っていたのだが。
 サクラダが人差し指をピンと立てる。
「ならこうしましょう。『暫定リンクの家』に、村の皆——仕事の都合で来られない人を除いて、できるだけたくさん招待するの。そこで会議を開くのよ」
 初耳のリンクは「えっ」と声をあげかけたが、どうもサクラダは最初からそのつもりだったようだ。村長はうなずいた。
「なるほど。それなら集まるのはなるべく早いほうがいいでしょう。今日中に開きたいですね」
「村長は人を集めてちょうだい。こっちで会場を準備するから。時間は……お昼過ぎがいいかしら」
 ぽんぽん進んでいく話に、肝心のリンク本人がついて行けていない。目を白黒させているうちに、村長は商店街の方へ向かっていった。
 リンクははっと我にかえり、
「あっ……家の掃除しなくちゃ」
「そっちはうちがやるから。あんたには別に、準備してもらうことがあるわ」
「へ?」
 サクラダはにいーっと笑った。



 村はずれの「暫定リンクの家」に、村人が次々とやってくる。解体寸前だったとはいえ、村の中でも一番大きな家なので、こういう会議をするには十分の広さである。
 玄関ではサクラダ工務店が村人たちを出迎えた。
「ちょっとサクラダさん、あの子はどこに行ったのよ」
 例の女性二人組——背の低いナギコとひょろりとしたアマリリが騒ぎ出す。リンク本人がどこにも見当たらないのだ。
「リンクはおもてなしの準備中よ。まあ上がって上がって」
 女性たちはしきりに怪しみながらドアを開ける。
 少し前までがらんどうだった居間には、カツラダたちが運び込んだ大きなテーブルが置かれていた。テーブルクロスがド派手なピンク色をしているのは社長の趣味だろう。卓の中央には可愛らしい季節の花が飾られていた。
 卓を取り巻くように十分な数の椅子があり、そこには商店主以外のほとんどの村民が座っていた。ナギコたち以外でこの会議を深刻に捉えているものは少ないらしく、物見遊山気分で隣との雑談を楽しんでいる。
 村人がそろったのを見て、村長はごほんと空咳をした。
「そろそろ、会議をはじめたいと思います」
「肝心のあの子はどこに行ったのよ?」
 ナギコが発した疑問が膨れ上がる前に、玄関から明るい声が飛び込んでくる。
「すみません! 遅れましたっ」
 リンクがばたばたと入ってくる。村長クサヨシが苦笑をひらめかせた。
「では、はじめましょうか」
 村民の一部からいぶかしげな視線を受けてびくびくしつつ、リンクが席につく。
「まずはリンクさん、自己紹介をお願いします」
「そうよね、村の一員になりたいなら、怪しい人じゃないって教えてもらわないと」
 口を尖らせたのはアマリリだが、他の住民も興味本位でうんうん相づちを打っている。リンクは頬を上気させながら声を張った。
「えっと……僕は、その、ハイラルのあちこちを旅してます。その途中でこの家を見て、素敵だなと思って買ったんです」
「旅人さん? ここに住むなら、旅をやめるの」という声が上がった。
「いや、旅は続けます。この家には、たまに帰ってきて休めたらって……」
「それって『住む』とは言えないんじゃない」
 ごく自然な質問だったが、リンクは返事ができなかった。ナギコが追い打ちをかける。
「あなたがここにいない間、家はどうするの? こんなに大きい家をちゃんと維持できるのかしら」
「え、ええと……」
 どんどん形勢が不利になるので、横から助け船が出る。
「この家はサクラダ工務店が責任を持って管理するわよ。ちょうど事務所が欲しかったのよねー。管理料とテナント料でトントンでしょ」
(それってつまり、家に帰るといつもサクラダさんがいるってこと?)とリンクは思ったが、口には出さない。
 ナギコは卓に身を乗り出した。
「サクラダさんが家を管理するとしても、村に住むってことはあなたが村の一員になるのよ。うちの村は持ち回りで共同水路の掃除をしてるし、年に何回かは村を挙げての祭だってあるわ。その準備に参加しないと、とてもじゃないけど村人とは呼べないわね。旅を続けるのに、行事の度にちゃんと帰ってきてくれるの?」
 お気楽に会議に参加していた村人たちも、何人かはうなずいている。
 こればかりはサクラダや村長にもフォローはできない。リンク自身が答える必要がある。
 会議の中心で、リンクはうつむきながら自問自答していた。
 ここに住む気があるのか、村の一員になる気があるのか。自分に都合のいいことばかり考えていたのではないか。
 でも、あのとき抱いた感情は本物だったはずだ。
(ここに住みたい。この家を自分のものにしたい……自分の居場所が、欲しい)
 リンクはすっと席を立ち、おもむろに玄関から家の外に出て行った。
 ばたん、と扉が閉まり、取り残された人々は騒然となる。
「え、何?」「もしかして逃げたんじゃないの」
「やっぱり、そもそも村に住むつもりなんてなかったのね」
 そう決めつけながらも、何故かナギコたちは残念そうな顔をしていた。
「……サクラダさん」
 クサヨシが少し心配そうに横を見る。
「大丈夫。秘密兵器を取りに行ったのよ」
 腕組みするサクラダのつぶらな瞳には力が宿っていた。そして頃合いを見計らい、高らかに弟子に命じる。
「カツラダ、扉を開けて」
「了解ッス!」
 開け放たれた扉から強い日差しが差し込む。逆光でよく見えないが、そこにはリンクのすらりとした影が立っていた。
 同時に漂ってきたのは、バターの溶ける香ばしい香りだ。
「これって……」「ハチミツ?」
 朗らかかつ真剣な表情で、リンクは卓に大皿を置く。
「がんばりハチミツのクレープです。ちょうど、おやつ時ですよね?」
 できたての菓子にはとろりと黄金色の蜜がかかり、しっかり焦げ目もついている。人数分に素早く切り分け、サクラダ工務店にも手伝ってもらって参加者全員に配った。
 村人たちは喜び、ナギコたちもまんざらでもなさそうに口に入れた。
 ハチミツの野性味と甘みが小麦の生地を包み込み、舌の上でとろける。素朴だがあたたかく、気持ちのこもったおいしさがあった。
「おお……」「おいしい〜!」
 アマリリがもぐもぐ顎を動かしながら、目を見開く。
「これ、もしかしてハテノ牧場の……?」
 リンクは満面の笑みになった。
「そうです! あそこで絞りたてのミルクを飲ませてもらったら、おいしくてハマっちゃって。クレープ生地も、もちろんこの村の小麦を使ってますよ」
 村の特産物が奏でる美味のハーモニーに、住民たちは酔いしれる。会議は一気に和やかな雰囲気になった。
 また扉が開く。「あら」とサクラダは声を上げた。
「イースト・ウィンドの店長さんじゃないの」
 洒落た赤シャツを羽織ったよろず屋店主アカエゾが、ずかずかと上がり込む。
「店は娘に任せてきた。この人が村民になるかどうかの会議をやってるっていうからな、どうしても来たかったんだ」
「僕ですか?」
 ぽかんと口を開けたリンクに向かって、アカエゾはにやりと笑う。
「そうだよ。だってあんた、うちの常連だろ。旅人だっていうのに、結構な頻度で寄ってくれるよな」
「それは……ここに来たら新鮮な食材がありますし、イースト・ウィンドさんの手作りの木の矢は使いやすいので」
 そこで背の高い女性アマリリがあーっと声を上げた。
「あなた昨日、イースト・ウィンドにたくさん宝石を持ち込んだっていう人でしょ!」
 かあっとリンクは耳まで赤くした。やはりこれも噂になっていたらしい。家を買い取るために手持ちの宝石類をまとめて換金したのだ。アカエゾがうなずく。
「そうそう。でもうちだけじゃ代金が用意できなくて、商店街で手分けしてルピーを出したんだ」
「あの宝石って、旅の商人にいい値段で売れたんだってね」
「ちょっと、皆さん」
 村長がわざとらしく咳をした。そしてごく自然に会議の結びに入る。
「こうして、村にたくさん物資を運び、お金を落としてくれる人がここに家を持ってくれたら……あとは分かりますよね」
 現金なもので、村人たちの気持ちは一気に歓迎ムードへと傾いた。目線がナギコたちに集中する。
「……メリットはよく分かりました。最後にリンクさん、あなたの気持ちが聞きたいわ」
 リンクは空になった皿に目を落とす。サクラダや村長に後押しされて気づいた自分の思い。今なら自信を持って宣言できる。
「ハテノ村は雰囲気がよくて、今まで訪れた中でも特に好きな村です。この家があれば、もっとたくさん来たいと思っています。できるだけ、お掃除やお祭りにも参加しますし、どうか……よろしくお願いします!」
 深々と腰を折ったままでいると、ぱらぱらとあたたかい拍手が背中に降りかかった。だんだん音は大きくなる。
「こちらこそ!」「あとでクレープのレシピ、教えてね」「今後ともうちの店をごひいきに!」
 顔を上げると、サクラダ工務店も手を叩きながら笑っている。気づけばリンク自身の頬もほころんでいるのだった。
 リンクは記憶を失い、回生の祠で目が覚めた。本当は帰るべき家がどこかにあるのかもしれない。でも今は、居場所を自分で手に入れたことが嬉しかった。
 そして、勇者として戦うことではなく、ただの旅人として物資を運び、村に貢献することができたら——そのときリンクは昔の自分以上の人間になれるのかもしれなかった。

inserted by FC2 system