持たざる者たち

「僕、やっぱりゼルダ姫に嫌われてると思うんです」
 勇者リンクはふてくされた表情でそう告白した。
 隣に座って真面目に聞いていたウルボザは、思わず忍び笑いを漏らす。
「……あの。こっちは真剣なんですよ」
「いや、悪かったよ。どうしてそう思ったんだい」
 ゲルド砂漠を闊歩する神獣ヴァ・ナボリスのバルコニー部である。主人たる英傑ウルボザの存在により、生命を持たぬはずの神獣は静かに鼓動を続けていた。
 二人はそろって軽装でくつろいでいた。遠くにゲルドの町の明かりが見える。砂嵐もなく、晴れ渡った夜だった。
 ウルボザが首をかしげると、たっぷり結った赤髪が揺れた。その視線に促され、リンクは怒りをおさめて、
「……前にウルボザさんに言われたことに気をつけて、行動してみたんです」
「ウルボザでいいよ。もしかして、『御ひい様を護れ』って言ったことかい」
「そう、です」
 リンクは憂鬱そうに目を細め、立てた膝に顔を押しつけた。砂漠の冷たい夜の風が火照ったほおをなでていく。
「護ったんです。魔物からも、イーガ団の奴らからも。そうしたら、会話もちょっと増えて、少しは打ち解けられたと思ったんですけど」
 夜を埋める沈黙に続きを促されるように、リンクは吐露する。
「だんだん、怒りだして。無茶しすぎだの怪我をするなだのと、小言ばっかりになってきたんです」
 リンクは英傑の服の裾を所在なさげに引っ張り、うつむいた。金縁の鞘に入った退魔の剣を脇に置いた彼は、そうしていると子供にしか見えない。
 ウルボザは少し間を置いて、
「御ひい様は複雑なんだよ」とだけ答えた。
「複雑すぎてついていけませんよ」
 はあーっと大きなため息をつく勇者。
「だいたい、マスターソードを見たらゼルダ姫が落ち込む、っていう理屈が分かりません」
 少し前、ウルボザに呼び出されてこのナボリスに来たとき、そう教えられたのだ。「ゼルダ姫は自分をハイラル王家の落ちこぼれだと思っている」と。
「どうして僕に引け目を感じるんだろう。封印の力が目覚めないから主君として認めない、なんて僕もウルボザも言うわけがないでしょう?」
 それはそうだけど、と彼女は相づちを打ち、
「あんたの問題じゃなくて、御ひい様自身の心の問題なんだよ」
 リンクはすねたように唇をとがらせた。
「そんなの……気にしなくていいのに」
 ウルボザは目だけで笑った。その仕草は勇者の若さを祝福するようであり——咎めるようでもあった、と「僕は」思う。



 その夜から、太陽と月が何度か天球を巡った後のことである。
 昼日中、急に降り出した雨を避けて、リンクは護衛していたゼルダを目についた木の下に誘導した。
「いつまで経っても止みませんね……」
 木の葉の隙間から雨雲を見上げ、ゼルダはつぶやく。今日は修行のためではなく、ほとんど趣味と化している遺跡探索のためにフィローネ地方まで足を運んでいた。
 何気なく雨宿りに選んだ場所は、眼下にハイリア湖と大橋を望む絶好のロケーションであった。晴れの日に訪れたかったものだ、とリンクは残念に思う。
 木の根元には、身を寄せあうように小さな二体の石像が配置されていた。その隣に転がった石を背もたれ代わりに、ゼルダは腰を下ろす。
「今日は、もう少し先に進みたかったのに」
 姫君は健脚で馬術にも優れ、起伏の多いハイラルの大地をどこまでも単騎で駆けていく。この日もまだまだ体力が有り余っているようだった。
「そうですね……」
 相槌を打つリンクは、主君の隣でじっとしているのもだんだん気恥ずかしくなってきた。
「ちょっと剣の鍛錬をしてもいいですか」
 返事を聞く前にマスターソードを鞘から抜く。雨雲の下でも白刃は清らかな光を放った。
 物心ついた時から、毎日欠かさずに行っているものだ。得物が練習用の木剣から退魔剣に変わっても、体が覚えている通りの動きをなぞっていく。
 しばらくそれを眺めていたゼルダは、不意に口を開いた。
「もし……もしも貴方に、剣の才能が全く無くて……」
 重苦しい調子ではじまったのは、例え話だった。
 もしも、近衛の家に生まれたのに自分に剣の才能がなかったとしたら。それでも周りに「絶対に騎士にならなければならない」と言われ続けたとしたら。貴方ならどうしていましたか。
 いつしかリンクの手は止まっていた。暗い思いに沈むゼルダの緑の瞳が、自らの心をのぞき込んでいる。これは他でもないゼルダ自身の話なのだ、と言われずとも気づく。
 ウルボザとのやりとりが頭によみがえった。
(御ひい様自身の心の問題なんだよ)
(そんなこと、気にしなくていいのに)
 リンクはマスターソードを手にしたまま、彼女と真正面から向き合う。
「ゼルダ姫」
 悩める少女は顔を上げた。不安と、かすかな期待の込められた表情を浮かべていた。
 リンクは自信を持って、
「才能があってもなくても、僕は騎士になりました。父への憧れは変わりませんから」
「そう、ですか」
 目を伏せる彼女を勇気づけたくて、リンクは一歩踏み出す。
「大丈夫です、ゼルダ姫。いつもあれだけがんばっているんですから。あなたなら絶対に……封印の力を手に入れることができます」
 ゼルダは一瞬目を見開いた後、「そうですね」と口の中でつぶやき、目をそらした。まるで、見えない壁が二人の間に隔たったようだった。
 どうしてそんな顔をするのだろう。彼は、リンクは——百年前の僕自身は、不思議で仕方なかった。つまり、このときの僕は何も分かっていなかったのだ。



「なんでそんなこと言っちゃうかなあ……」
 木の根元の小さな石像を見つめ、僕は思わず独り言を漏らす。百年前のその日とは違い、今は太陽が真正面に上っていた。
 シーカーストーンの写し絵の場所を訪ね、よみがえる思い出たち。それはいつもゼルダ姫に関する記憶だった。彼女は怒ったり悲しんだり恐れたり、たいてい負の感情をあらわにしている。それは厄災ガノンが大元の原因ではあるけど、いつまで経っても封印の力に目覚めない自分自身への苛立ちや、百年前のハイラル王や周りからのプレッシャー、それに「僕」の無邪気で無責任な期待が原因だったのだ。思い出した記憶は、はっきりとそう告げていた。
 いつか彼女の笑顔を見られたら、という気持ちは、百年前も今も変わらない。しかし、以前の僕はあんな顔をさせてしまって、その理由すら分からなかった。
「彼」は立派な勇者だった。完全無欠の、英傑たちのリーダー。生まれながらの勇者様。だから、力を持たない者の気持ちが理解できない。ウルボザの抱いた懸念通りだったわけだ。
(でも、今なら)
 百年経ったリンクは——僕は右手に視線を落とす。かつての愛剣マスターソードを大森林の奥で見つけたはいいが、台座から抜くことができなかった。厄災ガノンどころか配下のガーディアンにすらかなわない。そもそも、ガノンには一度負けているのだ……。
 今なら、あの時ゼルダ姫にかけるべきだった言葉が分かる。何故ならそれは、今の自分が一番欲しい言葉だからだ。
 僕がシーカーストーンをしまいこみ、思い出の地に背を向けると、隣にいた大きな四つ足の獣——「ウルフ」がこちらを見上げた。いつも黙ってついてきてくれる彼のためにも、厄災の中心で待っているゼルダ姫のためにも、僕は足りない力と勇気をかき集めてハイラル城に向かわなければならない。
 そしていつか言ってあげよう。百年前の非礼をわびた後で。
「それでもいいんですよ。聖なる力がなくても、勇者じゃなくても、自分は自分なんですから」

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