山デート

「私がカモメだったら……ずっと遠くへ飛んでいくのに。いろんなところへ行って、いろんな人たちと歌うの。『かぜのさかな』に祈れば、私のお願い叶うのかしら」
 ぽろっとそう言ったら、りんくは少し変な顔になった。
 ……あれ、もしかして結構恥ずかしいこと言っちゃったかな。
 手のひらが汗をかいていた。スカートの裾を握る。目の前の海はごく静かで、隣のりんくがいつもより近くに感じられた。
 というか今の状況って……砂浜にあった流木の上に座ってりんくと隣同士。私はちょっとだけお尻をずらした。
「ねえりんく、ちゃんと聞いてる?」
「うん」
「ほんと? うわの空に見えたけどな」
 ぎくっとしたみたいに緑の肩が跳ねた。やっぱり図星じゃないの。でも正直「そうだろうな」と思っていた。多分りんくは濃淡のある青色の向こうを眺めていた。島の外にある、彼のふるさとだ。
「いつか、りんくのふるさとに行ってみたいな……なあんてね! フフフ……」
 冗談めかしてそう言うとりんくは急に真顔になって、
「いいよ。ハイラルっていう国だけど、来る?」
「えっ……」
 思わず言葉に詰まる。
 島の外がどんな場所なのか、ずっと知らなかった。ヤシの実が流れてくるからコホリント島と同じ温暖な気候だと想像していたけれど、りんくと出会ったことでそれは違うと分かった。彼が長袖を着ているということは、きっと寒い場所なんだろう。
 まだ見ぬハイラルをぼんやり夢想していたら、りんくはいたずらっぽく笑った。
「ま、今のところ島から出られないんだけどね」
 かっと顔が熱くなる。
「もう、からかわないでよ」
「ごめんごめん、からかってはないよ。結構先の話になっちゃうから、それまで待っててほしいんだ」
 えっと、つまりこれは「いつか」があるってことだよね……。
 ほおを燃やしながらそっと横を見ると、りんくは憎たらしいほど涼しい顔をして、思い出すように言った。
「ちょっと用があってヤーナ砂漠に行きたいんだけど、途中でセイウチが通せんぼしてるんだ。それでどうぶつ村で話を聞いたら、マリンちゃんの歌で起きるだろうって」
「え? セイウチさんが?」
 浜辺まで私を探しに来たのはそういう理由だったんだ。
「……いいわ、一緒に行く!」
 りんくは「やった」とこぶしを握り、何故か両腕を天に掲げた。一体なんのポーズだろう。
 流木から立ち上がってお尻をはたきながら、私はちょっと考え込んだ。
「今って島のあちこちにマモノがいるんだよね……。この格好じゃまずいかな。動きやすい服に着替えたほうがいい?」
 今はお気に入りの水色のワンピースを着ていた。日常生活なら問題ないけれど丈が長めなので、剣を持っているりんくについていくのはちょっと厳しい気がする。
「それがいいね。マリンちゃんがいるなら少し寄り道したいところもあるし」
 寄り道? それって、私を連れて行きたい場所ってことよね?
(……もしかしてこれ、デート?)
 どきんと心臓が跳ねた。そう思ってりんくを見返すと、なんだか彼もそわそわしている気がする。
「そ、そう。じゃあ私、家に戻るね!」
「ぼくも準備があるから。お昼に迎えにいくよ」
 あれ、なんか本当にそれっぽくなってきてる! これはいよいよ——いよいよなの!?
 見慣れた浜辺がなんだか違う場所に思えた。りんくと別れた私はふわふわした足取りで帰路についた。



 引き出しにしまっていた小さな手鏡を取り出す。
 デートとなれば——いやデートでなくてもりんくと二人きりで歩くとなれば、ただ動きやすさだけを重視するわけにはいかない。見た目はスカートだけれどズボンのように履ける、実用性の中にも可愛らしさをプラスした服を選んだ。頭に飾るハイビスカスも新しいものにした。
(……よし)
 意を決して家の外に出る。そこで、眩しい日差しに照らされたりんくが待っていた。
「お、おまたせ」
 彼はどきどきしている私を眩しそうに見て、
「似合ってるよ」とだけ言った。
 ……いや、変に期待した私が悪かったの。これで十分だから。
 気を取り直してりんくの格好を確認した。いつもの緑の長袖(暑そうだから脱げばいいのにと思う)に、何故か重そうな背嚢(はいのう)を背負っていた。普段村で見かけるより重装備だ。ヤーナ砂漠まで行くと言っていたから、このくらいの装備が必要なんだろう。
 なるべく平静を保って話しかける。
「それでりんく、寄り道ってどこに行くの?」
 二人でメーベの村を歩くとか? 知り合いしかいない村だから、そうなるとなかなか恥ずかしい。でも流行りのゲーム屋に連れて行ってもらえたら、りんくのために一肌脱ぐつもりだった。
「いいからついてきて」
 りんくはやや強引に私の腕を取る。それだけで頭が真っ白になりそうだ。
 しかし、浮ついた気分は長続きしなかった。彼が向かった先はどうぶつ村がある東——ではなくて、北だった。
「そっち、山しかないよ?」
 おそるおそる尋ねると、
「うん。これから山登りするから」
 ……え?



 聖なるタマゴにお願い事をしに行くのは、コホリント島の住人なら珍しいことじゃない。階段はきついけれど、ヤッホーばあさんだってたまに掃き掃除しているくらいだ。タマランチ山はちょっと苦しいハイキングコース——のはずだった。
 でも、りんくは正面の階段ではなく脇の登山道から登るつもりらしい。ほとんど通る人もいなくてろくに整備されていない道だ。
「ほ、本当に行くの?」
「いや〜マリンちゃんが動きやすそうな服を着てきてくれてよかったよ」
 有無を言わせぬとはこのことだ。もうりんくの中では山を登ることが確定事項になっている。
 こうして私たちはタルタル高地に突入していった。
 前を歩きながら剣で藪を切り開くりんくは、たまにこちらを振り返る。私はどうしても遅れがちになるから、その度に追いつこうと必死に足を運ぶ。そして木の根っこを乗り越え損ねて足首が曲がりそうになる。
 ……なんで山なんて登ってるんだろう。結局りんくは目的を教えてくれなかった。案外「そこに山があるから!」なんて言うタイプの人だったのかしら……。
「喉渇いてない? 水いっぱい持ってきたから言ってね」
 とても気を遣ってくれるけど、この状況になったのってどう考えてもりんくのせいだよね?
「ちょっと休ませて……」
 いい加減疲れてきたので、そうお願いして地面に腰を下ろした。
 まだまだ高度を稼げていないせいか、見渡す限りずっと木が生い茂っていて眺望も何もない。長い髪が蒸れて首筋に汗がだらだら流れている。家を出る時に「ちょっとお化粧しようかな」なんて考えたけど、実行しなくてよかった……。
「ねえりんく、今どこまで来たの?」
「あと半分くらいかな」
 半分! まだそんなにあるの! どうもショックが顔に出てしまったみたいで、
「でもマリンちゃんなら大丈夫だよ。根性あるからね」
 と妙な具合に労(いたわ)られてしまった。私、りんくにどういう風に思われているんだろう……。
 ぐったり座り込んで休憩していたら、平気そうにしていたりんくがふと顔を上げた。私のものとは違う、長い耳が何かの音を拾ったようだ。
「りんく? どうしたの」
「……誰かいる」
 彼はぱっと立ち上がり、山を駆け上って行った。
「えっ。ま、待ってよ!」
 りんくってば、体力余りすぎよ……。でもこんなところに置き去りにされる方が嫌だから、必死で追いかけた。
 緑の背中についていくと、山の木々を潤す小さな沢が見えてきた。その近くで誰かが座り込んでいる。あれはメーベの村に住む四つ子の父親パパールだ。
 パパールは駆け寄ってきたりんくを見るなり、
「やあ、約束どおり遭難したっスよ」と発言した。
 約束って……? しかも遭難という割には妙に平然としている。
 もしかして、りんくは遭難したパパールを助けるためにここまできたってこと? なんで私を連れてきたのかは分からないけど。
 りんくは背嚢に入れていた大きなパイナップル(!)をパパールにあげた。
 ああ食料の差し入れかあ……って、そうじゃないでしょ!
「りんく! これ貸して」
 背中の剣を指差す。
「え、何するの」
「何って……パイナップルなんてそのままじゃ食べられないよ。切ってあげなくちゃ」
 そっか、とつぶやいたりんくは感心したような顔をしている。本当に気が回ってなかったんだ……。そして、背嚢の中から小さなナイフを取り出した。
「さすがに剣じゃやりづらいだろうからこれで」
 準備がいいものだ。私はナイフで手早く切り分ける。果物の調理ならお手の物だ。
 三人でパイナップルと水を囲み、喉を潤した。
「ふう、これで帰れるっス」
「お気をつけて」
 パパールはしばらくしたら下山するらしい。りんくは彼と別れ、すたすた行ってしまいそうになる。慌てて気になっていたことを尋ねた。
「パパールとの約束ってなんだったの?」
「いや別に……最初に会った時『今度遭難するから』って言われて、こうなった」
「なにそれ?」
「ぼくにもよく分からない」
 そっか。ということは、まだ目的地についてないんだ……。
 絶句する私に気づかないまま、りんくはどんどん山を登っていく。森林限界というやつかしら、視界から木々が消えて赤茶けた土ばかりが目に入るようになってきた。景色が拓けて清々しいけど、木陰がなくなった分日射が厳しい。
 りんくは肩で息をしている私を振り返って、
「疲れたなら、おんぶしようか」
「別にいいもん」
 いくらりんくの体力が余っていても、汗でべしゃべしゃの体を彼に押し付けるなんて勘弁だ。それにもうゴールは見えている。ここまできたら目的地なんて一つしかない。タマランチ山の頂上、聖なるタマゴだ。
 白い殻に桃色の水玉が浮かぶ巨大なタマゴが見えてきた。あの中にこの島をおさめる神様が眠っているという。
 タマゴの付近は急峻な岩場になっていて、さすがに私は登れない。道をそれていつもの階段に合流した。麓からまっすぐこの階段を登ってきたら、ずっと楽だったのに……パパールは助けられなかったと思うけど。
 足を階段に下ろす度にふくらはぎやらふとももやらが悲鳴を上げた。それでもほとんど泣き言を漏らさない私を褒めてほしいくらいだ。
 ほとんど最上段付近まで上り詰めてから、りんくは足を止める。
「ここで座ろうか」
 え、階段に? 結構急なんだけど!
 それでも久々の休憩だ。りんくの隣に腰を下ろして、のろのろ顔を上げる。その途端、息を呑んだ。
「あっ……」
 青色のコントラストが目に飛び込んでくる。海と空が視界を二分している。足元にあるはずのメーべの村は緑の絨毯に紛れてあまり見えない。その代わり、海は水平線まではっきり見えた。朝りんくと見た景色が、山の上だとこんなにも遠い。
 今日は雲ひとつない快晴で、風もない。海面が穏やかに陽光を反射していた。
「ここまで来ても、ハイラルは見えないんだよね」
 布で汗を拭いながら、りんくは少し寂しそうに笑った。
「もしかして、私にこれを見せたかったの?」
「うん」
 タマランチ山に登るのは聖なるタマゴのためであって、眺望のためじゃなかった。だから、こうしてかぜのさかなと同じ景色をじっくり眺めるのは初めてだ。
 今ならりんくが山登りを敢行した意味も分かる気がする。自分の足で一歩一歩道なき道を進んだから、海と空なんていう見慣れた景色がここまで胸に迫るのかもしれない。
「遠いなあ……。海の向こうに行くには、マリンちゃんが言うみたいにカモメになるしかないかもね」
 やっぱり、私の話で山登りを思いついたんだ。
 りんくは膝をこちらに向けて、頭を下げた。
「ごめん、ここまで付き合ってもらって。大変だったでしょ」
「ううん。疲れたけど……たまには山登りも楽しかったよ」
 それは本心からの言葉だった。りんくは表情をふわりと溶かす。
「ありがとう。でも下山の方が怪我しやすいから気をつけてね」
 あ、やっぱり帰りも階段使わないんだ……。いや、もうどっちでも一緒かしら。
「もう少しだけここにいてもいい?」
 疲れでぼーっとしているせいか、りんくと距離が近くても気にならない。むしろ少しお尻をずらして近寄りながら、そうお願いした。
「もちろん。ゆっくり休んだらいいよ」
 理由は疲労回復だけじゃない。私は両手を広げて空と海を抱えるようにした。
「もうちょっとだけ、カモメ気分を味わいたいの!」



 後日。
 私は踏み板が外れかけた吊り橋の上でしゃがみこんでいる。少しでもバランスを崩せば谷底まで真っ逆さま、という凄まじいロケーションだ。そこはタルタル山脈の尾根だった。
 足が震えてろくに動けない。突風が吹いて吊り橋を揺らした。もうダメだ、と気絶する寸前——
「マリンちゃん!」
 吊り橋の向こうでりんくが叫んでいた。
 全身の力が抜けそうになって、慌てて気合を入れ直す。あの暑苦しい緑の格好を見るだけでこんなに安心できるようになるなんて、初めて会った時は思いもしなかった。
「あっりんく! マモノたちがイジワルして、こんなところに……」
 少し前の出来事は思い出すだけでも身が縮む。汗のにじむ手で服の裾をぎゅっとつかんだ。
 りんくは「そこでじっとしてて」と言うと、何かを左手に持った。そこからびゅんと鎖が伸びてくる。
 思わず頭を低くしたら、体のすぐ横を鎖が通り抜けていった。りんくがいる岸の反対側、吊橋を地面につなぎとめている杭に、鎖の先端のフックが刺さる。鎖がぴんと張った。
(な、何?)
 鎖が縮んで、りんくがものすごい勢いで近づいてきた。すれ違う一瞬で腰を持たれて、気づいたら吊橋を抜けて対岸にいた。「キャッ!」と遅れて自分の喉から悲鳴が響いた。
「大丈夫?」
 青い瞳が心配そうに覗き込んでくる。ここでやっと、私は思いきりりんくに抱きついていたことに気づいた。飛びのこうとして体勢を崩しかけたので、りんくが立たせてくれる。
「りんく、ありがとう」
 もし彼が来てくれなかったらと思うと身震いする。村に私がいなかったから、わざわざ探しに来てくれたのだろうか。
「マリンちゃんは、なんでこんなところにいたの」
 どきりとする。そうよね、気になるよね。
「あのね、私……」
 そこでぱっと顔を上げる。
「りんくに付き合ってタマランチ山に登ってから、うっかり山登りが趣味になっちゃったの」
「あ、ぼくのせいなんだ」
「そうよ!」
 間の抜けた表情をするりんくに、私はぷっと吹き出した。
 ……本当の理由は別にあるけれど、山登りが好きになったのは嘘じゃない。
「マリーン!」
 ひとしきり笑っていたら、斜面の下方からタリンが呼ぶ声がした。きっとキノコ狩りを終えて村に戻ったら私がいないから心配して来たんだろう。
「私、もう行くね。帰りはタリンが送ってくれるから大丈夫」
 りんくにはまだ山でやることがあるはずだ。前みたいに大荷物を背負っているから、このあたりに用事があるに違いない。
 別れる間際、りんくはなんだか嬉しそうにこう言った。
「一人の山行もいいけど……また今度、二人で山に登ろうね」
「うんっ!」

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