タン、と乾いた靴音が鳴った。惜しい、タッチの差で僕の負け。
「やったっ。わたしの勝ち! 準備はどろぼーがやってね」
マリンは元気いっぱい両手をふりあげた。なんでそんなにハッスルしてるんだよ、もう。
僕らはお昼ご飯の準備を賭けて、勝負した。聖なるタマゴが安置されたタマランチ山のてっぺんへ、どちらが先にたどり着けるか。一回きり・恨みっこなしの競争だ。結果は前述の通り。頂上まで延々と続く急階段を一息で上りきったせいで、喉がカラカラになってしまった。
「ハイハイ……」
こちらにも言い分はある。競争に当たっては、それなりのハンデがあったのだ。僕は二人分のお弁当が入ったバスケットを抱えて上った。だから、惜敗。ちなみにこのカゴ、椰子の実でも入ってるんじゃないか!? というくらい重たかった。いや決して、僕の腕力が足りないわけじゃないよ。
荷物をどさっと下ろし、埃よけのギンガムチェックの布をめくって、食器と敷物を出す。「はやくはやく〜」マリンは手をぱたぱたさせながら待っていた。
「はい出来た。それじゃ手を合わせて」
「いただきまーす!」
バスケットの中にこれでもかっ! と詰め込まれていたのは、サンドイッチだった。痛まないような食材だけを挟んである。コホリント島は常に真夏の気候だから、当然だ。これが重りになっていたわけだな。
僕は一つ、瑞々しい野菜がメインのサンドイッチを手に取って、ほおばった。
コホリント島で一番太陽に近い場所。背後には、ふざけたピンクの水玉模様をした「聖なるタマゴ」がある。神聖な台座。屋根があれば神殿と呼んでも差し支えないだろう。
「ん、おいしいじゃん」
「腕によりをかけて作ったんだもの、とーぜんだよ」
そういう厳粛な場所で、盛大にパンくずをこぼしながら昼食にがっついている。ものすごくマナーの悪いことのようだが、マリン曰く村の人々も時々やって来ているらしい。なぜなら、眺めがいいからだ。マモノも近寄らず、ピクニックには最適な場所だった。
評判通り、景色は抜群にいい。視界の上半分は、果てまで続くライトブルーの空。下半分は、底まで見すかせそうなほど透き通った群青色の海と、手前にちょこっとコホリントの緑。
しばし僕らは会話もなく、ただただ広がるパノラマに圧倒されながら、サンドイッチを貪っていた。海、かあ。この島に来てから毎日のように目にしているけれど、いくつ夜を越してもまったく見飽きないのが不思議だ。光の加減や天候によっては全く違った顔になる。ハイラルは内陸国だったから、こんなに開けた景色が単純に物珍しいと言うのもある。
こっそりマリンを盗み見た。彼女の瞳にはきっと違う海が映っているのだろう。
だって、僕はあんなふうに海を見つめられない。憧れと諦め、悲しみと喜びがごちゃごちゃになった、あんな目では。
「ごちそうさま」
マリンが先に食器を置いた。あ、食べるの忘れてた。慌てて小麦粉の固まりを喉に押し込み、飲み物代わりの汁気たっぷりなマンゴーに手を伸ばしかけて——むせる。
「あーあ、何してるの」
苦笑して背中を擦ってくれた。ありがとう。
「いい天気だね」当たり障りのない話題を投げかける。マリンは頷いた。
「この夏一番じゃないかしら。ほら、海と空の境界線がクッキリ見えてる」
「ホントだ」
水平線まで見渡せる絶景。うん、起伏が激しいハイラルじゃあ絶対お目にかかれなかった。深く心に刻もう。
「ここまで登っても、他の陸は見えないんだよね」
寂しそうにマリンが言った。「ああ……」言葉に詰まった僕を察してか、すぐに話題を変えてくれた。
「ね、『目覚めの使者』のお仕事って、そろそろ終わりそうなんでしょ?」
「まあ、うん」
曖昧な返事をしてしまったのも、仕方ないのかもしれない。
正確を期するならば、「風のさかな」を目覚めさせるのに必要なセイレーンの楽器は残り二つ。終わりは近い。
知らない方がいいことは、本当にあるものだ。コホリントに来て「あのこと」を知って、僕は人生最大に後悔した。悩んで怒って苦しんで、よく眠ってから、何とか立ち直れた、と思う。
でも、ホントは。「聖なるタマゴ」を視界に入れるだけでも、心がざわついてしまう……。
だからタマゴと反対方向の、海を眺める。
マリンの夢が果てしなく続くマリンブルー。
「もうすぐ終わるよ。そしたら、一緒にハイラルに行こう」
パッとマリンの瞳が輝く。分かっていた、彼女はずうっとこの言葉が欲しかったことを。
嘘をついたわけじゃない。どんな結末を迎えようと、絶対に約束は守る。
「それじゃあ目覚めの使者サマに、風のさかなの祝福がありますように」
マリンは歌う、「風のさかなのうた」を。あの石板を見て以来聴きたくなかったのに、彼女の歌声は素直に心に染みた。
真上に燦々と輝く太陽は、僕と「風のさかな」に平等に試練を与えているようで、小気味良かった。