眠りから覚めて

 誰かが「その名」を呼んでいる。リンク、リンク……。
 もやがかかって見えにくいが、声の主は確かにそこに立っていた。そうだ、あの人に違いない。
「ゼルダ姫?」
 リンクが誰何の声を上げると、もやは晴れ、イタズラっぽい笑みを浮かべた少女が現れた。
「りんくってば、またわたしのこと間違えたー」
 冷水を浴びたかのように、リンクは飛び起きた。
「ご、ごめん、マリンちゃん!」
「リンク」と「りんく」。この二つは微妙にイントネーションが違う。「りんく」というのはおそらくコホリント訛りだろう。寝ぼけているにしてもひどい聞き間違いだった。
 彼女はマリン。顔はハイラルのゼルダ姫とそっくりだが、もちろん完全なる別人だ。まったく、この島で暮らし始めてから何日も経つのに、今更こんな失態を演じるなんて。リンクは自分の間の悪さを呪った。
 幸いにも彼女の機嫌を損ねることはなく、リンクは「朝ごはんできてるわよ」という優しい言葉を頂戴した。
 食卓の上でほかほかと湯気を立てているのは、コッコの産みたてタマゴをふんだんに使った、贅沢なスクランブルエッグだ。起き抜けの目に黄色が眩しい。
 テーブルにはすでにタリンもついており、開始の合図を今か今かと待っていた。リンクは急いで定位置に座る。
「いただきまーすっ」
 彼の胃袋は起床直後から糧を欲するタイプなので、朝食は豪勢であればあるほど嬉しい。喜びが食べ方にもにじみ出るのか、「はしたないわよ」とよくマリンにたしなめられていた。
 栄養バランスのいい食事を咀嚼しながら、感慨深げにタリンが息を吐いた。
「いやー、りんくもすっかりメーべ村に馴染んできただね」
「……それほどでも」
 リンクは照れたように、素っ気ない口調になる。そして話題を変えるためか、
「あっタリン、もう薪の残りが少なかったよな? オレが森に行って集めてこようか」
 と申し出た。タリンが返事をする前に、マリンは勢いよくうなずく。
「そうしてそうして。タリンってば、また寄り道してヘンなキノコ食べちゃうんだから!」
 ぷくっと頬を膨らませた。一家は彼女が切り盛りしており、その意見に逆らえる者は誰もいない。親代わりのタリンも立つ瀬なしだ。
 和やかな団らんが終わると、さっそくリンクは身支度を整えた。少し考えた結果、着慣れた緑の服に袖を通す。
 マリンが手早く包んだお弁当も、有り難く受け取った。
「じゃあ行ってくるな」
「りんく——剣と盾はどうするの?」
 首をかしげ、マリンが尋ねる。どことなく不安そうに。
 リンクはにっこり笑った。
「いらないよ」
 外に出る。今日も抜けるような青空だ。風見鶏の広場でキャッチボールをしていた子供たちに、リンクは声を掛ける。
「おはようみんな」
 散らばって遊んでいた子供たちがわらわら集まってきた。
「りんくだー!」「今日は遊んでくれないの?」
「悪いな、マリンちゃんに頼まれたシゴトがあるんだ」
 申し訳なさそうに頭を下げると、一人の男の子が意味ありげに相づちを打った。
「ふうーん……おいら子供だから、さっぱりわからんことにしとくよ」
 いや変な仕事じゃないから、とリンクは慌てて弁解した。妙な噂が広まったら大変だ。ただでさえ狭い島なのだから。
 その場を何とか取り繕って、広場を離れる。これ以上失言をして、ゴシップの種にされてはたまらない。
 朝の空気はおいしいもの。美しい景色があるのなら、なおさらだ。メーべ村の小綺麗な家並みは住民の自助努力によるものだが、中でも最大の功労者といえば、彼女しかいない。
「イヤッホー!」と、今日も元気に家の前をほうきで掃いているご老人だ。
「おはよ、ヤッホーばあさん」
「あたしゃ元気だよ。あんたも元気でやっとるかー!」
 リンクは袖をまくり腕に力こぶを作った。「そっちはバッチリだぜ。うるりらさんは達者か?」
「最近あんたが遠くから電話してくれないから、寂しそうにしてたよー!」
 リンクは苦笑した。わざわざ遠出してまで電話をかけてくる変人は、自分くらいしかいないだろう。
 窓からちらりと家の中を覗くと、うるりらじいさんはベルの鳴らない電話を眺めてしょんぼりしていた。
「じゃあ森を抜けたところの電話ボックスでも使うかな」
 リンクはヤッホーばあさんに手を振って、別れた。
 もはや日常茶飯事になりつつあるワンワンの過剰な愛情表現をさらりと受け流し、図書館の横を通る。どこもかしこも、いつもと変わらない——リンクの大好きな村の風景だ。
 てくてく歩いて不思議の森の入り口に差し掛かったところで、がさ、と木の枝が揺れる音がした。
「……?」
 振り返っても、何ら痕跡は見つけられなかった。一瞬、よく知った気配がしたのだが……。かぶりを振って、リンクは鬱蒼とした森に入った。
 昼間でも薄暗い森の中には相変わらず、モリブリンがうようよいた。が、リンクは丸腰でするすると分け入って行く。
「ちょいとごめんよ」
 モリブリンたちも特に邪魔をするそぶりを見せず、薪を拾い集めるリンクを無視していた。鬱陶しいゾルすら出てこない。平和そのものだった。
「こんなもんでいいかな」
 十分な量を確保して、背中にくくりつけると、彼は森を北に抜け電話ボックスに向かった。
 コホリント島には不思議なことがたくさんあるが、電話もそのひとつだ。どういう原理で動いているのか、さっぱり分からない。遠く離れた人と会話できるなんて——まさに夢のような話だ。
「もしもしー」
 チャッ、ジーコジーコジーコ……プルルルプルル、ガチャ。
「うるりらじゃ。最近物忘れが激しくてのう。りんく、わしが何を忘れてるか思い出してくれんか?」
 うるりらじいさんは普段とても無口なのだが、電話越しの会話になった途端に饒舌になる。今日は雑談モードだろうか。
「ちょっと、そういう依頼には対応できねーな。悪い」
「そうかのお。ううむ、わし一人でなんとか思い出してみるわい。
 うるりらー」ガチャッ!
 リンクは苦笑いすると同時にため息をつく、という器用なことをやってのけた。
 ここまでやって来たついでにゴポンガ沼まで足を伸ばし、そこでお昼ご飯を食べることにした。静けさ漂う沼のほとりは、ランチには最高のロケーションで、マリンの手作り弁当は抜群の美味しさだった。自家製パンが味わい深い。
 明るい気分で家に帰ると、タリン一人に出迎えられた。いつもならこの時間帯はマリンが洗濯物を干しているはずなのに、どういうことだろう。
「おかえりりんく。薪、助かっただ」
 薪を受け取ったタリンは、リンクがもの言いたげにしているのを素早く察知して、
「マリンなら浜辺だーよ」
 と言った。それで合点がいく。
「まーたいつものビーチコーミングかよ」
 メーベ村近くの浜には種々雑多なものが流れ着く。よく飽きもせずガラクタを漁れるものだ。と本人の前で言うと怒られるので、彼は心の中でしか呟かないことにしている。
 一休みしていかないかとタリンに誘われたが、断った。なんとなく、マリンのことが気になる。
 ひしめくオクタロックを適当によけて、トロンボ海岸のいつもの場所に赴いた。そこは二人だけの秘密の浜辺だ。
 マリンは白くなめらかな流木に腰掛け、海の向こうを眺めていた。暮れかけの太陽が水平線に腕を伸ばす、そんな時刻のこと。
「あ……」
 一瞬、声をかけるのを躊躇う。その背中は、いつになく寂しげだった。
「マリンちゃん」
 肩越しに少しだけ振り返った彼女に、リンクは取り繕った笑顔を向けた。
「どうしたんだよ、そんな憂鬱そうにしてさ」
 何気なく隣に座り、ポジションを確保する。マリンはくたりと腰を折って、立てた膝に顔をうずめた。
「うん、ちょっとね。りんくがウチに来た日のこと、思い出してたんだ」
 それは朝のやりとりがきっかけとなったのだろうか。
 リンクが初めてコホリント島で目を覚ましたときも、同じ会話をしたのだ。うっかり彼女を「ゼルダ姫」と呼んでしまい、首を傾げられたことは記憶に新しい。
 ひどい嵐に遭遇して乗っていた船から投げ出されたリンクのことを、この浜辺で拾ってくれたのは、他でもないマリンだった。
「あのときはありがとな」
 しかし、昔を思い返すことが、なぜ哀愁と結びつくのだろう。
「りんく……」
 マリンは涙をいっぱいに溜めて、何かを訴えるようにリンクを見つめる。
 今朝の夢。現実に引き戻される寸前に見えた、もやの向こうには、悲しそうな面持ちのゼルダ姫がいた。——今のマリンは、あのときの姫とそっくりな表情を浮かべている。
 マリンはしばし逡巡した末に、
「りんくは今、幸せ?」
 と質問した。
「マリンちゃんと一緒に暮らせて、何の不満があるんだよ」
 冗談めかして甘い台詞をささやくが、彼女はいよいよ顔をゆがめた。
「本当はね、わたし。りんくに、どこにも行って欲しくなかったの……!」
 ずっと押し殺していた思いだったのだろう。それを無理矢理に日の当たる場所へ引きずり出して、誰よりも苦しんでいるのは彼女だった。リンクは胸をつかれた。
 平和だけれど停滞した島に現れた、一人の少年。その存在がもたらしたのは、明るいおしゃべりだけでなく、ハイラルという異国の風そのものだった。
 マリンはいつだって外の世界に憧れていた。しょっちゅう浜辺を歩き、よその土地から届いた贈り物を探していた。そうしてようやく見つけたリンクはしかし、いつか島を出て行ってしまう。おそらくは彼女を置いて。——それを憂う気持ちは、リンクにもなんとなく理解できる。
「そうか……。でも、もうオレはどこかに行くことはないよ」
 リンクは彼女を安心させるように、そっと肩に手を置いた。だがマリンは、赤子のように小さく首を振る。
「そうじゃない。今は違うの。
 りんくがずっとそばにいてくれれば、それでいいんだと思ってた。でもね。あなたがあなたらしく生きてくれてないと、わたしも——みんなも幸せになれないってことが、やっと分かったの。
 だから、りんくが本当に幸せになるためには、やっぱり『役目』を果たさなくちゃいけないのよ!」
 マリンは真摯にリンクの双眸を覗き込んだ。
 そのとき、ばさばさと羽音を立てて舞い降りたのは、一羽のフクロウだった。ただの鳥ではない。言葉を操り、彼のことをここまで導いてきた。昼間、森の入り口で感じた気配は、確かにこのフクロウのものだった。リンクが剣と盾を置いてからは、見かけなかったのに。
 フクロウは無言だった。それでも、言いたいことは伝わってきた。
 そう。リンクはコホリント島で、決して代理が存在しない、重要な役をつとめていたのだ。
「オレは……そっか、オレは」
 納得がいったように、何度もうなずくリンク。
 マリンはすっくと立ち上がった。オレンジ色の髪を風が優しくなでていく。目尻に、もう涙はない。
「わたしも、みんなも。りんくに羽ばたいて欲しい……そう思ってるわ」
 吹っ切れたように微笑んで、「かぜのさかなのうた」の旋律を自らの喉を楽器にして奏で始めた。
 それは、目覚めのうた。夢から覚めるための、たったひとつの方法だ。
 懐かしいメロディに耳を傾けるリンクへ、マリンは瞳だけで語りかけてくる。
(これが私の役目。同じように、りんくにも大切な役割があるのよ)
 今、全てを思い出した。
 リンクは島の秘密を知ってから、歩みを止めてしまった。心の奥底に鍵をかけ、決して真実が表に出ないようしまいこんだ。自分は何も知らない、ということにしたのだ。
 ——コホリントは島にあらず。空・海・山・人・マモノ、皆すべて作り物なり。かぜのさかなの見ている夢の世界なり。かぜのさかな目覚めるとき、コホリントは泡となる。
 冒険の果てに待つのは夢の終わり、すべての完全なる消滅。リンクは自らの手で島を滅ぼすことに耐えきれなくなり、前に進むことを諦めてしまった。
 そうすると、マモノたちはリンクの邪魔をしなくなった。夢から生まれたマモノにとって、目覚めの使者をやめた彼は、むしろ共犯者なのだ。
 リンクは運命に負け、自分に都合の良い夢だけを見るようになった。……しかし、心のどこかではずっと、取り戻さなくてはならないものがある、と思っていた。
 メーベ村の誰もが、リンクに期待をかけていた。彼は必ず役目を果たしてくれると——島を滅ぼす存在にもかかわらず。このままではいけないということに、無意識で気がついていたのだ。
 だからこそ、今朝の夢で動揺したリンクに、それぞれのやり方を持って全力ではたらきかけた。旅立ちを見守りながら、マリンの元へ送り出した。
 これだけ気持ちが晴れたのはいつ以来だろう。リンクは立ち上がり、歌うマリンの手を取った。
「ありがとう、マリンちゃん。もうオレは迷わない」
 彼女はうっかり目から流れたひとしずくを拭った。
(いってらっしゃい、りんく)



 夢から覚めたリンクは、剣を支えに立ち上がった。目を開けても変わらない、真っ暗闇の世界。だが自分の姿は見えた。内側から光り輝いている。この光はコホリントの皆がくれたもの、託された希望の光だ。
 彼はふっ、と不敵に笑った。
「夢の中で夢を見るなんて、滅多にない経験だったぜ」
 聖なるタマゴの中で、かぜのさかなをむしばむ「悪夢」と対峙した彼は、一度敗北してしまった。最後の最後まで迷いを振り切れなかったのだ。そして内心の願望を読み取られ、自分にとって都合のいい夢の世界に送られた。
 それは、島の真実に打ちひしがれ、目覚めの使者を諦めたという夢。今の彼には最高の皮肉である。「いい趣味してるよ、アンタ」
「なぜだ、どうして……夢から覚めた!?」
 暗闇に目だけが爛々と光るそれ——悪夢は驚愕しているようだ。
「オレたちには皆、役割がある」
 リンクは体勢を整え、仇敵へと剣を突きつけた。
「たとえばオレなら目覚めの使者、お前は夢から生まれた悪夢。そして、マリンは目覚めのうたを歌うもの。
 皆はその役目を立派に果たしただけだ。オレだって、これ以上逃げたりしないぜ!」
「目覚めの使者」は、今ここに復活した。
 ヒミツの貝殻の力で強化した剣が燦然と輝き、闇を明るく照らし出す。ただの影となった悪夢はひとつに集まり、具現化していく。
 その姿が揺らいでいるように見えるのは、どうして今更リンクが意見を翻したのか、理解が追いついていないから——かもしれない。
 単純だ。今ある島を守って代わり映えのしない生活を続けることと、大切な思い出を守って前に進むことは、別なのだ。だからリンクは悪夢と戦うことを選んだ。この選択を決して後悔しない。それだけの覚悟はある。
「クックックッ。お前には、我らを倒すことはできぬ! 行くぞ!」
 悪夢は二つの大きな腕をもつ化け物に変貌し、リンクを押しつぶそうとした。
 どれだけ凶悪な姿を見せつけられようと、彼の精神にはもはやさざ波すら立たない。素早くロック鳥のハネを取り出し、軽く集中してアイテムに込められた力を引き出した。体が一時的に軽くなるのを感じる。今にも飛びたてそうなくらいだ。風を切って襲い来る腕を、踏み込みからのジャンプでかろやかにかわした。そのまま両腕を足場代わりにして自在に宙をかけ回り、相手に攻撃の隙を与えない。
「こしゃくな……っ」
 悪夢はリンクの姿をよく捉えようと、大きく目を見開いた。それこそ彼が待ち望んだ瞬間だった。
 危なげなく床に降り立ち、露出した目玉に弓矢を叩き込む。悪夢が上げた悲鳴は長く尾を引いた。わかりやすく弱点をさらす方が悪い、と二発三発、容赦無く追い打ちをかけた。かつて魔王を相手取ったこともある。弓の腕前は折り紙付きだ。
 なおも抵抗する腕を回転斬りであっさり切り落としてしまい、仕上げに目玉へ渾身の一撃をお見舞いする。悪夢はぐずぐずと溶け、黒い小さな塊になった。
「消えてしまう……壊れてしまう。我らの島が、我らの世界が……われらの、しま……われら……」
 その塊すら薄れていき、悪夢はただの暗闇に戻った。
 リンクはふう、と息をついて、納刀する。彼に託された光は薄れ始めていた。
「オレも年貢のおさめ時かな」
 ちらりとゼルダ姫の悲しい表情が頭をよぎったとき。目の前に一筋の光が差し込み、輝く階段が現れた。
「……りんくよ。よくぞ悪夢に打ち勝った! あがってきなさい」
 どこか懐かしい声だ。聞いたことがないのに、知っている気がする。リンクは直感でかぜのさかなが呼んでいるのだと悟った。
 階段の途中で、導き手たるフクロウに出会った。
「ホッホウ! ホッホウ!
 ぼうや……いやりんくどの! よくぞ、悪夢に打ち勝った。その知恵・力・勇気は、まこと勇者の証ぢゃ!」
「はは、ありがとさん」
 この鳥があまりにも一方的に指図するので、かつては仲があまり良くなかったが、今となってはそれもいい思い出だ。
「わしはかぜのさかなの心の、ひとつなのぢゃ。かぜのさかなが眠るあいだ、ユメの世界を守ることがわしの役目ぢゃった。
 ……ぢゃが、あるときユメの裂け目から悪夢がめばえ、島をむしばみだしたのぢゃ。そこへ目覚めの使者、つまりりんくどのがこられた。
 わしは、信じておった。お主は悪夢に負けることのない、強い勇気の持ち主ぢゃとな」
 それは違う、とリンクは思った。彼が悪夢に屈しなかったのは、ひとえにマリンをはじめとするコホリントの人々のおかげだ。持ち合わせた勇気は、そっと背中を押したに過ぎない。
「ホッホウ! ホッホウ!
 ありがとうりんくどの……。これで、わしの役目は終わった。かぜのさかなにかえるとしよう。
 さらばぢゃ! ホッホウ!」
 フクロウは、空という大きなものへかえって行った。
 階段を上りきったところに、祭壇がある。暗闇はいつしか満天の星空に変わり、その美しい背景に大きな影が浮かび上がった。
 それは、羽の生えた、おとぎ話に出てくる鯨のような生き物だった。
 途方もない質量をもつ海獣が、空気を振動させる。
「わたしは、かぜのさかな……」
 言葉を発したのだ。リンクはただただその存在に圧倒されていた。
「眠りについて、いったいどれくらい時が経ったのか。
 はじめ、わたしはタマゴのユメを、見ていた……。やがて、タマゴのまわりに島ができ、人や、動物が、うまれ——世界がうまれた」
 それこそがコホリント島、メーベ村やどうぶつ村であり、マモノたちのふるさと。
 リンクが旅したひとつの世界だ。
「だが、ユメは覚めるもの。それが、自然の定めなのだ」
「分かっているさ」
 誰よりも身にしみて知っている。いつか覚めるからこそ、人は夢を見る。
「わたしが目覚めると、コホリント島は消えるだろう。しかし、この島の思い出は現実として、心に残る。
 そして……キミはいつかこの島を思い出すだろう。この思い出こそ、本当のユメの世界では、ないだろうか」
 ふと、胸のあたりがあたたかくなるのを感じた。
(そうか。ここに、オレのコホリント島はあるんだ)
 リンクは服をギュッと握った。
「ありがとうりんく……」
 万感の思いがこもった言葉は、リンクの心に重く響いた。かぜのさかなの声はマリンのものであり、フクロウのものでもあり——コホリントに生きとし生けるもの全てを代表しているのだ。
 かぜのさかなは天を振り仰いだ。
「時は満ちた。ともに目覚めよう!」
 リンクは気がついた。自分もかぜのさかなと同じく、夢の世界の住人ではなかった。
 目覚めることができるのは、夢の外の人間だけだ。
「さあ! 奏でるのだ、目覚めのうたを!」
 星空にセイレーンの楽器が浮かぶ。この時この瞬間のためにつくられ、リンクが集めてきた、「かぜのさかなのうた」を奏でるための楽器たち。
 リンクは、オカリナに息を流し込んだ。



 広場で遊ぶ子供たちも、森でキノコを見つけたタリンも、ヤッホーばあさんもうるりらじいさんも、ワンワンさえも——すべてが霞んでいく。目の前でコホリント島が真っ白に還っていくさまを見せつけられながら、リンクは大切な人を探した。ほどなく広場で歌っている彼女を見つけ、手を伸ばす。
「マリンちゃん……!」
 しかし彼女は首を横に振った。分かっていた、だが諦めきれない。
(ありがとう、りんく。あなたはもう目覚めの使者じゃないわ)
 マリンは本心から祝福してくれていた。
(わたしも、歌い終わればこれで……)
「そうか」
 リンクはマリンをふわりと抱き寄せた。
「さよならとか、言わせないからな。マリンちゃんだって役割から解放されるんだ。もうかぜのさかなの夢じゃなくなる。
 だから、コホリント島はオレが抱えていくよ。どこにいても、何度でも思い出す! オレの、大切な夢の世界だ」
 マリンはにっこりしようとして失敗し、ぽろぽろ涙をこぼしながら、リンクの胸元に手をあてた。
(……ここに、わたしたちがいるんだね)
「そうさ。オレは目覚めの使者りんくから、リンクになる。ハイラルの勇者、リンクだ」
 どこからともなく、波の音がする。現実の海がすぐそこにまで来ているのだ。リンクが波間を漂っていた感覚を思い返しかけたとき、最後の旋律を完成させたマリンが、満面の笑みで「その名」を呼んだ。
「リンク!」

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