微睡みの道

 あれは退却の合図じゃないか、とリンクは言った。あの、法螺貝吹き鳴らすみたいなあれだよ。
 いやどう考えても単なるコッコの朝一番でしょ、とチャットは訂正する。
 数呼吸おいて、確認してみる。なだらかな起伏のある牧草地は静まり返り、あの暗闇に蠢く不気味な光点はどこにもない。
 妖精はゆるゆると息を吐き出した。
『終わった、みたいね。あーあ、今回も長かったこと』
「そうだね」
 リンクは構えを解いて弓を下ろす。同じくほっと一息つくかと思いきや、彼は無遠慮に大欠伸をした。
『こら、みっともない』
「……ふう。自然現象だって。大目に見てよ、これくらい」
 軽口をたたき合っていると、山の端からきらきらした陽光が顔を出し、ロマニー牧場を柔らかい色に染め上げた。「二日目」の朝日は全てを洗い流してしまうような輝きを持っていた。二人は思わず無言になる。
 ……願わくば、夜のことはキレイさっぱりなかったことにして、乱射して野に散らばった矢を回収する羽目になんてなりませんように。
『何お祈りしてんの?』
「うん? なんでもないよ。
 さあて、ロマニーに報告しなきゃね。もうウシを守る必要はないって」
 一晩中リンクの足場となり盾となり、八面六臂の活躍をした感謝すべき砦(=その辺に無造作に放置されていた木箱)から軽やかに飛び降り、緑衣の少年は疲れを感じさせない足取りで雇い主の待つ牛小屋まで駆けていく。頭には脱ぎ忘れた兎耳が揺れていた。
『元気良すぎ……』
 うんざりしたように呟いて、妖精もヨロヨロと彼に続く。
 ベールのように降る日差しが二人を溶かし、やがてその後ろ姿は見えなくなる——。



 ミルクロードにて、リンクはこの上なく楽しげに遊び回っていた。軽快な鼻歌をBGMに、三十五歳の自称「妖精さん」を弓で打ち落としたり、意味もなくキータンを呼び出して雑談に興じたりしていた。
「もう、付き合いきれない!」
 などと愚痴をこぼしつつも、チャットは内心ちょっぴり安心してその行動を眺めていた。実際、リンクがはしゃぎまわっている姿を見せるのはかなり久々であった。前々回の三日間で太陽のお面奪還に失敗し、それまでの数十時間にも及ぶ苦労が吹っ飛んでしまったためだ。失敗後の彼はかなり口数も減り、目に見えて落ち込んでいた。こういうときに励ます言葉を持っていないチャットは、彼を案じながら見守ることしかできなかった。そのままずるずると暗い気分を引きずり、次の三日間もあっという間に過ぎ去ってしまう。
 そんなリンクが突然「シャトーロマーニが飲みたい」と言い出したのは前回の「三日目」、しかも時の歌を吹く直前だった。チャットは文句を言う間も、立ち直ってくれたことに安心する間もなく、短い歌のリフレインとともに白い闇に引きずり込まれた。そして、気がついたら「シャトーロマーニを飲む」どころか「今回の三日間はオフ! 有意義なことは何もしない」ということが決定事項になっていた。呆れて文句も挟めなかった。その代わりに質問はしたが。
『はいはい、仕方ないから今回はお休みにしてあげるわよ。でも、わざわざオバケを退治してクリミアさんの馬車に乗る意味あるの? 夜にミルクバーに行けばいいだけじゃない』
「あるよ。オバケを退治しなきゃ町まで馬車を出してくれない」
『だからなんでそんなことするの』
「そりゃ、僕が新鮮なミルクを飲みたいからだよ」
 何でそんなこと聞くの? とでも言い出しそうな顔で切り捨てられてしまった。
 そして今朝、無事オバケ退治を終えた二人は、ウシの世話をしているクリミアに「ミルクを届けにクロックタウンまで一緒に行く」という約束を取り付けた。今は出発時間の午後六時まで、牧場近くで暇を潰しているところだ。
「ナデクロさんにちょっかいかけに行くか、ドッグレースで一攫千金を狙うか……。エポナを呼んで走り回ってもいいなあ」
 回想するチャットを尻目に、リンクは実に楽しそうにロクでもない計画を練っていた。
「ねえ、チャットは何がしたい?」
 唐突に話題を振られた妖精はしばらく考える。知らない、勝手にしてよ、と言いそうになった時、あるアイディアが頭に浮かんだ。少し意地悪な気分だった。
『賭け、なんてどうかしら』
「じゃあドッグレースか。チャット得意だもんね」
 彼は勝手に納得した。前にドッグレースでまことのお面装備のリンクと勘だけで選ぶチャットの二人で対決をしたことがあったのだが、見事にリンクが全敗したのだった。それ以来彼は相棒の強運には一目置いている。
 しかし、その提案は不自然だった。あれ、と少年は首をかしげる。
「確か、賭け事は好きじゃないって言ってたよね?」
『そう。だから、レースじゃない賭けよ』
 意味深に言葉を紡ぐチャットに、何だろうとリンクは瞳を輝かせた。妙に子供っぽいその動作は意図してつくったものなのだろうか。
 チャットはそんな彼を尻目に、大胆不敵に言葉を続ける。
『ねえ、ゴーマン兄弟は優しい人だと思う?』
 ……。
 返事が、返ってこない。
 なかなか衝撃の台詞ではないかと自画自賛していた彼女は、やけに長い沈黙に不安になった。
 やがて、顔を上げ、リンクは申し訳なさそうに切り出した。
「あのさ、ゴーマン兄弟は複数人いるわけだから『優しい人たち』じゃないとおかしいと思う」
『今アタシが問題にしてるのはそこじゃないって分かるかしら? ねえバッタくん』
「いたっ! 謝るから耳引っ張らないで!」
 うっすら涙目になって必死に懇願する顔をたっぷりと記憶に焼き付けてから、チャットは潔く彼を許してあげた。彼はじんじんと赤く脈動する患部を大事そうにさする。
 痛みが引いた後、気を取り直してリンクは断言した。
「ありえないよ。あんなうっすいミルクを売る人たちが、いい人だなんて」
『でも座長のお面で弱気になってたじゃない』
「あれは眉の上下運動がなかなか面白かった。
 ……じゃなくて。だって、ミルクで悪どい稼ぎをする人なんだよ!?」
『アンタの価値観は全部ミルクで決まるわけ?』
「だいたいはね」
『ウシと結婚すれば幸せになれるかもよ』
「未来の自宅にはいるよ、ウシさん」
『まあ、飼っててもおかしくないわね』
「事実なのに……」
 小声でリンクが呟いたところで、やっと二人とも話が盛大に逸れてしまったことに気がついた。
 野花の咲き乱れる平和なミルクロードを舞台に、二人は対峙した。
「僕は、彼らは意地悪な人だと思う。
 で、僕が勝ったら……そうだなあ、三日目にイカーナの墓地に行って墓守さんの明かりになってもらうよ」
 思わずチャットは「げっ」と声を上げた。
 いつぞやの「三日目」のこと。イカーナ墓地のとある墓の下にお宝があると聞きつけた二人は、墓守をたらし込んでその墓を暴かせた。その墓守は目が悪く、チャットのもつ妖精の光によって導いていかなければならなかったが、チンタラチンタラ歩く墓守に業を煮やした彼女が途中で職務を放棄したのだ。リンクはあれ以来どうもその宝が気になるらしく、事あるごとにその話を持ち出していた。
『うぐっ、的確にイヤなとこ突いてくるわね……。
 アタシはあの兄弟は結構優しい人たちだと思うわ。勝ったら次の三日ずっと帽子の中で休んでる』
 今度はリンクが心底嫌そうな顔をした。「それは、勘弁だなあ」
 妖精は彼の嫌気を誘って、ちょっと得意そうだ。
「でもチャット、確かめる方法なんてあるの?」
『もちろん。えっとね……』
 耳打ちされた内容にリンクは眉を潜める。
「それって結構危なくない?」
『大丈夫。上手くやるわよ』
 視線を交わしたその様子は、数分前の対立していた時とは正反対に、共犯者という言葉がぴったりだった。



 ゴーマントラック。隣のロマニー牧場にも引けをとらないほど広大な敷地を誇る競馬場が自慢の、馬の調教場だ。経営者のゴーマン兄弟は弱者には厳しく強者にはとことんへつらうことで有名で、ここ数年はロマニー牧場の姉妹ともめているらしい。
 黙々と仕事にいそしむ兄弟の元に、一陣の風が迷い込んだ。馬蹄の響きが運ばれてくる。
 顔を上げるゴーマン兄弟の前に、颯爽と馬影が登場する。エポナに騎乗したリンクだった。
「すみません、ここで走れるって聞いたんですけど」
「ああ、走れるぜ。でもそんなチンケな馬でか?」
「俺たちと競争するのか? 負けても泣くんじゃねえぞ」
「ええ、望むところです」
 彼は余裕の微笑を見せた。
(よし。やっぱり嫌な人だ)
 ……いや、ほくそ笑んだ。
 一方チャットはガラリと雰囲気の変わったリンクに驚いていた。さっきあれほどふざけていた子供だとは思えない。心なしか背まで伸びたようだ。敬語の彼はやたら怖い、と彼女は改めて思う。
 彼と目があった。軽く頷きあい、段取りを頭に思い浮かべる。
 それは簡単かつシンプルな作戦だった。レース中にチャットが飛び出し、エポナを驚かせる。リンクは上手いこと演技して、怪我をしないよう落馬する。そこにゴーマン兄弟が助けに来るかを見るのだ。
 三頭がスタート位置に揃う。オレンジの服を着た方——確か三男だったはず——のゴーマンが雄叫びを上げ、それを合図に競争が始まった。
 瞬間、すっと見えない糸に引かれたように一番小柄な影が飛び出す。リンクだ。毎度の事ながらこのスタートダッシュには驚かされる。エポナと呼吸まで揃っているみたいだ。
 チャットはすぐに緑の帽子に飛び込んだ。決行はレース中盤、障害物の柵や砂地が連続するところだ。その前までは適当に抜きつ抜かれつを演出する。常に兄弟にリンクの存在を意識させなければならない。
 若干兄弟を引き離したところで、彼は帽子に向かってささやいた。
「チャット、そろそろだよ」
『了解』
 黄色い妖精がふわりと飛び出し、心の中で詫びながらエポナの眼前でチカリと強く光を放った。目が眩んだ子馬はたたらを踏む。
 予定通りに進む状況を馬上から俯瞰しながら、リンクは不思議と穏やかな気持ちになっていた。なんだかこんなこと、前もあった気がするなあ。
 そうだ、タルミナに来る前、森でスタルキッドに襲われたときだ。あの時はチャットとトレイルにエポナが驚かされて、彼は落馬し、背中を強かに打ったのだ。
 似てるなあ、あの状況に。特に落馬するところが。
 可笑しいほどスローモーションで景色は流れていった。いなないたエポナが急停止し、後ろ足を高く上げた。そういえば、エポナには鞍はあれど手綱はつけていない。つまり、騎手を固定するものは何もなく、リンクはそれまでの勢いに乗ってぽーんと前方の虚空に投げ出された。妙に遠くに地面が見える。唖然としているチャット、エポナ、ゴーマン兄弟。ぐるんと視界が回転したら今度は視界いっぱいにお空が広がっていた。
 意識が飛ぶとお花畑が見えるらしい。見たいなあ、お花畑。どこにあるんだろう。
 視界がブラックアウトするまで、リンクは有りもしない空想の庭園を探し続けていた。



 真っ先に考えたのは、今何時かな、ということだった。六時にはクリミアとの約束がある。それまでに牧場に行かなければ。
 だから、惜しいけどこのまま二度寝はやめておこう、と無理矢理起き上がる。
 寝床は敷き詰められた藁だった。リンクにはこのような場所で寝る趣味はない。何が起こったのだろうか。状況を把握するのが先決だ、とガンガン痛みが響く頭を働かせる。
『あ、起きた』
「チャット」
 所在なさげに漂っていた妖精がスィーッと飛んできた。
『大丈夫? 痛いとこない?』
「全身痛いんだけど。何でかなあ、不思議だなあ」
 リンクがじいっと睨むと、チャットは彼方を向いてそらとぼけた。
『記憶が曖昧なのね。大変』
「残念ながらものすごく鮮明に覚えてる。あのゴーマン兄弟が揃って呆然としてたのは新鮮だったよ。
 ね、ここどこ?」
『ゴーマントラックの馬小屋。大丈夫、藁は新しいみたいだから』
 頭なかでぐるぐる質問が回っていた。なるべく整理し、順番立てて尋ねる。
「連れてきてくれたのはゴーマン兄弟だね? てかさ、僕なんで生きてるの」
『あれくらいでポックリ逝かれても困るわよ。落ちたとこが良かったの。ホラ、あの障害物の柔らかい砂の上』
 ああ、あの馬で突っ込むと足並みが遅くなる砂場か。まさかあれで助かるとは……。
 ここで、彼は鈍い痛みにより、体が自由に動かせなくなっていることに気がついた。
「……これ、手当てしてもらってないよね」
『ええ。目立った外傷はないみたいだから』
「君は打ち身の辛さを知らない」
『だって妖精だもん』
 リンクはふん、と鼻息も荒く口を尖らせた。
「やっぱり悪い人だよ。運ぶだけ運んでおいて放置って、酷い」
 その言葉を聞いた瞬間、チャットがニヤリと笑った気がした。
『ちょっとこっち来なさい』
「やだよ。痛いから動きたくない」
『あのね……いつまで青いクスリ出し惜しみしてんの?』
 へへ、とリンクは照れくさそうに笑った。牧場に来る前に、沼の薬屋で買い求めていたのだ。
「ばれた? ニガイから飲みたくないんだ」
『そう言うと思った』
「チャットも飲む? 意外と美味しいかも」
『さっきニガイって言っておいてそれはないわよ』
 そう? と面白がるような視線を投げ掛け、どこからか小ぶりのビンを取り出す。そして一気に中身を、真っ青でドロドロした飲み物を呷った。
 彼は顔をしかめる。
「うへえ、不味い。ヒトの飲み物じゃないよ」
『やっぱり否定してるじゃない』



「で、何?こっちもただの馬小屋じゃん」
『いいから、静かに』
 良薬は口に苦しというが、まさにその通りだった。青いクスリは苦いだけではない。気力・体力ともに十全にまで回復したリンクは、チャットに導かれるまま馬小屋の更に奥へと進行した。しばらく行くと、馬以外——すなわちゴーマン兄弟の気配がしてきた。妖精はそこで物陰に隠れるよう指示する。
 壁に立てかけられている掃除用具の隙間にうまく身を隠すと、都合よく兄弟の会話が聞こえてきた。
「大丈夫か〜? お前、相当疲れてるじゃないか」
 これは……水色の服の方だから、長男の声だ。少しだけ顔を出して、様子をうかがってみる。
 エポナがゴーマン兄弟に囲まれていた。もしや虐待されているのでは、とリンクはさっと青ざめたが、違った。兄弟は談笑しながら子馬の体を洗ってくれていた。優しく、それはそれは丁寧なブラッシングだ。
 少年の目が点になる。チャットはにやにやする。
(どういうこと、これ)
(どういうことでしょうねえ)
 一方、ゴーマン兄弟は心配そうにエポナに声をかける。
「こんな子馬なのに、怪我の痕が多いぞ」
「ご主人様に酷使されてるんだな」
 その瞬間リンクは抜刀し飛び出しかけた。チャットが急いで引き留める。ギリギリのところで鞘に得物をしまったその顔は、さながら鬼神の形相だった。口から空気を吐く代わりに火を吹いているようだ。
(僕は一度もエポナを酷く扱ってなんかないッ!)
(それはアタシがよく分かってるから! お願いだから静かにして)
 狭苦しい場所がどたばた騒ぎで賑わう中、兄弟とエポナの会話は続く。
「ああ、ご主人様は無事なのかって? 大丈夫だろ。頑丈そうだったし」
「そろそろ起きてるかもな。ちょっと見てくるか」
 兄弟の声が近づいてくる。これはまずい、と彼は何気なさを装って隠れ場所から出ていった。
「起きたのか」
「どうも」
 少年は横目でエポナの様子をうかがった。改めて見ても、子馬の表情はかなりリラックスしていた。ショックを受けたリンクが恐る恐る近寄る。不安に反して、エポナはゆっくり歩み寄ってきた。
「さっきはごめんな」
 おとなしく撫でられている子馬の、その大きな黒い瞳が「分かってる」と言ってくれたような気がした。
 視線を戻すと、ゴーマン兄弟は先ほどのエポナに対する態度とは対照的に、胸を反らせて威圧的に見下ろしてきた。彼は気を引き締め、身構える。
 兄弟特有の太い眉がぴくりと動く。
「飼い主か」
「はい」
 返事の声はわずかに緊張していた。
「栄養が偏っているようだ。馬だからといってニンジンばかり与えてるんじゃないのか?」
「急に運動をさせるのはよくない。適度な準備運動をさせるのがいい」
 一瞬、意味が理解できなかった。胸の中で何度か言葉を反芻し、やっとじんわり染み渡るように発言の意図が分かった。
「は、はあ……。ありがとうございます……」
 理屈の通った、良識あるアドバイスだった。肩から力が抜けたリンクをチャットが小突く。
 結局、エポナを引いて帰るときも、ゴーマン兄弟は最後まで手を振っていてくれた。いつもの高慢ちきな顔のまま。



『ね、優しかったでしょ?』
「納得がいかない。馬たちには優しくても、僕の扱いが酷かった」
『でも、単純に嫌な人たちってわけでもなかったわよ』
「僕は良くない印象をもらっちゃったけど。
 というか、なんでチャットは知ってたの? 兄弟に優しいところがあるって」
『ばれたか』
「だって、あらかじめ知ってなくちゃ、こんな賭けは言い出さないでしょ」
 指摘は図星だったが、妖精は得意そうだ。
『前あそこに行ったとき、アンタがミルクを買うとか言って長々交渉に入るから、暇になったのよね。それで馬小屋に入って馬たちと世間話してたの。なかなか面白い事実がわかったわ』
「それを賭けに使うなんてズルい」
『相手が提案してきた賭けなんて疑って然るべきよ。当たり前じゃない』
「……話になんない」
 不服そうにリンクは頬を膨らませた。
「あの、ぼうやたち?」
 その時、馬車の御者台から遠慮気味の声がした。クリミアだ。二人は約束の時間に間に合って、彼女とともに牧場の馬車に乗り込んでいたのだ。
 クリミアはちらちらと後ろに目をやりながら質問する。後方には、馬車の荷を狙って先ほど突如闇夜に躍り出た二人組の強盗がいるはずだった。
「話し合いもいいけど、夜盗の方はどうなってるのかな?」
「座長のお面かぶってるんで大丈夫です。攻撃すらしてきませんよ」
「そ、そうなの? よくわからないけど、助かるわ」
 泰然自若とした彼の返答に、クリミアは登場時に反して不自然に静かな夜盗への警戒をいったん解いた。
「あの、クリミアさん」
 不意に、何かを決心したリンクが相談し出した。
「僕ら、ちょっとした賭けをしてたんですけど、キッチリ勝敗がつかなかった時ってどうすればいいんですか?」
 クリミアは前を向いたまま即答した。
「子供が賭けなんてしちゃダメよ」
 二人は顔を見合わせた。
「……怒られちゃった。ねえ、チャットが言い出したんだよね」
『話題を振ったのはアンタよ』
 互いに責任を押しつけ合うやりとりを聞きつけたクリミアは、からからと明るく笑った。
「ごめんごめん、冗談よ。ちょっと聞き分けの悪い大人のフリをしてみたくてね。
 うーん、そうねえ、引き分けにしちゃえば?」
「え」
『え?』
「だって決着がつかないんでしょう」
「そうですけど」
 満面を不満で彩ったリンクが未練たらたらに食い下がる。その様子を見てため息をついたチャットが、先にあっさりと身を引いた。
『仕方ないわね。アタシ、物わかりがいいからここは引き下がるわよ』
「そう言われたら、僕が一方的に勝利を主張しても意味がないよね」
 刺々しい言い方だが、交わした目線には相互に信頼が含まれていた。楽しげなクリミアの笑い声が風に乗って耳に届く。
「仲がいいのね。じゃ、これでめでたしめでたし」
「……これって『めでたし』でいいの?」
『いいことにしておきましょ』
 示し合わせたように、二人は同時に忍び笑いを漏らした。
 リンクは薄闇にぼんやりと思いを馳せる。もしかしたら、あの夜盗——正体はゴーマン兄弟なのだが——は昼間出会ったリンクに遠慮して、わざと遠巻きにしているのではないだろうか。そうだったらいいな、と思うとふわりと心が浮き立つような感覚を覚える。
 ——それからどれだけ月日がたっても、この日のことが、チャットの明るい声が心に蘇ると、いつでもリンクはもう少しだけ優しい人になれる気がした。



 おまけ。
「本当にありがとう、二人とも。バーテンさん、久しぶりのミルクだから喜んでいたわ!」
 タルミナ平原の、クロックタウン東口前。雨上がりの夜空は遠くまで澄み切っていて、小さな星までよく見える。それは馬車護衛をやり遂げた二人を祝福してくれているようで、一層晴れやかな気分を引き立てた。
 別れ際に、リンクとクリミアは馬車の傍らで向かい合う。お礼をしたいとクリミアが引き留めたのだ。彼女は馬車の中からウシを象ったかぶり物をとりだしてきた。
「これ、ビッグじゃないかもしれないけど、ロマーニのお面っていう——」
「あ、それ持ってます」
「あらそうなの? んー、ならどうしよう」
 腕組みして悩むクリミアに、不意に天使が舞い降りた。いや、魔が差したのかもしれない。一際彼女の笑顔が輝いたように感じられた。
 クリミアはリンクに歩み寄り、その肩に手を置く。
「これ、お礼に受け取ってくれる?」
 音もなく引き寄せられ、気がけばリンクは彼女の腕の中にいた。視界がクリミアの服の色で埋まり、よく分からないけれどふわふわしたものが顔に当たっている。
(!?)
 突沸する頭の中である予想が湧き上がる。これは、もしかして、クリミアに「ギュッとしてもらっている」……!?
 彼は目の前が真っ白になった。思考が停止する。息が苦しいと感じる直前、クリミアが離れた。
「ゴメンね、これくらいしかできなくて……また近くに来たら牧場に寄ってね、おもてなしするわ」
 クリミアが飛び乗った馬車はあっという間に平原の彼方に消えていく。
 ずいぶん長い時間がたった後、正確には残されたクリミアのぬくもりが消えた後、リンクはやっと我に返った。隣のチャットは光を白熱させて、わなわなと震えていた。
「……お礼、むしろ最初からこっちで良かったと思わない?」
『アタシは全ッ然思わないわよ!?』

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