君の涙が語るもの

 スカイロフトを吹き抜ける風の音に、ひそひそ声が混ざっていました。二人の子供が、女神像近くの草むらにしゃがみこんでいるようです。
「わかった? こーっそり近づくのよ」
「うん」
 子供特有の高い声は、それぞれ緊迫感に溢れていました。女の子の名前はゼルダ、男の子はリンクといいます。二人は幼なじみでした。
 リンクは右手に虫取りアミを構えながら、草陰に目を凝らしました。背中の向こうからそれを見守るのは、指令塔であるゼルダです。
「アミが届くぎりぎりになったら振りかぶるのよ——いまっ!」
 同時に、アミが地面に向かって垂直に振りおろされました。そうっと中を確認してみれば、中には見事、一匹のソラジマカマキリが捕らえられています。
「やったっ」
「成功ね!」
 ゼルダはリンクに駆け寄ってハイタッチしました。
 虫取りは、スカイロフトの子供にとって、数少ない娯楽のうちの一つです。リンクはのんびり屋だけれど、運動神経では誰にも負けません。ホーリーアゲハ、ロフトクワガタからソラホタルまで何でもアミの一振りで捕まえてしまいます。間合いを読むのがうまいゼルダとコンビを組めば、大人でも右に出る者はいません。
「早速みんなに自慢しましょ」うきうきとゼルダが言いました。
 リンクは、捕まえたカマキリに目を落とします。
「でも、話を聞いてくれるかな。最近みんな自分の鳥にかかりっきりだから」
 ゼルダはむっとして眉を寄せました。その話題は、あまり思い出したくなかったのです。
 同世代の中で、まだロフトバードに巡りあっていないのは、無敵の虫取りコンビの二人だけでした。あのバドの元にもやってきた、というニュースを聞いたときの、羨ましさと焦りがごちゃまぜになった気持ちは、いまだにお腹の底でくすぶっている気がします。
 自慢しに来た彼に対して、ゼルダは見向きもせず、これ見よがしにリンクと遊んでやりました。それでも、もやもやは晴れなかったのですが。
 空を見上げれば、騎士団の面々に混じって、小さな鳥影もちらほら飛んでいました。
「翼があるからって、みんな空を好き勝手に飛び回って……つまんないの」
「大丈夫だよ。ゼルダには、すてきな守護鳥が来るんだから」
「うふ、ありがと」
 リンクがあまりにもきっぱりと言うので、ゼルダは照れてしまいました。
 カマキリは虫好きのガルに贈呈することにして、二人はそろって島のふちに腰掛けます。ぶらぶら揺らす足下に広がる空には、色とりどりのロフトバードが旋回していました。
「あーあ、早く私にも鳥がこないかしら」
「そしたらゲポラさんの騎士学校に入って、勉強と修行にはげんで、首席で卒業するんだよね」
「よく分かってるじゃない」
 ゼルダはウインクしました。彼女が毎日夢を語るのを聞いているうちに、すっかりリンクも覚えてしまったのです。
「私、絶対にすばらしい騎士になるわ。それでみんなを守るの! リンクも応援してね」
「うん」
 約束のあかしの指切りは、物心ついたときから、幾度も繰り返してきた動作でした。
 そのときのことです。太陽の光が、一瞬遮られました。今日は雲ひとつない青空だったはずなのに……。
「あれは!?」
 ゼルダが指さす先に、染みのような真っ赤な翼が見えました。どんどんこちらに向かってくるようです。
「あぶないっ」
 立ち尽くす少女の手を引いて、リンクは島のふちから避難しました。
 二人の目の前で、深紅の翼を持ったロフトバードが舞い降ります。スカイロフトのどんな花よりも赤い色が、目に焼き付きます。なんて立派な姿をしているのでしょう。大きな黄金の瞳にじいっと見つめられて、二人は言葉が出ません。
 ロフトバードが、一声鳴きました。
 魅入られたように、リンクが一歩前に出ます。そのまま鳥へと伸ばされた手が、途中で止まりました。ゼルダが先に飛びついたのです。
「やったわ、ついに私の鳥が来たのよ! 近くで見るとこんなにきれいなのね」
 幸せそうな笑顔を浮かべて、羽にほおずりします。リンクは我に返り、目を細めました。
「おめでとうゼルダ」
「えへへ、ありがと。さっそくお父様に報告しなきゃね!」
 ゼルダは自分の家でもある騎士学校に、ほとんど飛ぶようにして帰りました。彼女の背中にこそ翼が生えたかのようです。リンクもアミとカマキリを両手に持って、必死で追いかけます。あまりに興奮していたので、肝心のロフトバードを置いてきたことにも気づきませんでした。
「お父様!」
 校長室の扉を勢いよく開けて、ゼルダが堂々と踏み込みます。休日なので、校長ゲポラはいつものように、先祖代々引き継いできた蔵書をひもといていたようです。
「どうしたんだね、二人とも」
 鷹揚な言葉で迎えられると、リンクは自分の家に帰ってきたような安らぎを覚えます。
「ふふ。何だと思う〜?」
「勿体ぶらずに教えて欲しいな」
 立派な白い髭をなでるゲポラ校長。ゼルダはにっこり笑いました。
「私にも、ロフトバードがやってきたのよっ」
「本当か!」ゲポラの表情は喜びにあふれていました。「それで、守護鳥はどこにいるんだね?」
「あ、えっと……女神像の前に待たせてるから、一緒に見に行きましょう」
 とゼルダは父の腕を引きながら、後ろでぼうっとしていた幼なじみを、
「リンクもついてくるの!」
 と叱りました。
 少女が抱いたほんのちょっぴりの心配もよそに、赤いロフトバードは羽をつくろいながら、ちゃんと元いた場所で待っていてくれていました。
「これは、まさか」
 鳥を見たゲポラの目が、大きく見開かれます。守護鳥は軽く首を傾げる仕草をしました。
「間違いない。幻の紅族だ」
「え?」
「絶滅したはずの、女神様が乗られていた鳥だ!」
 それを聞いて、ゼルダは有頂天になりました。
「つまり、ハイリア様と同じロフトバードってことよね!?」
 ここしばらくの我慢が、ついに報われる日が来たのです。ゲポラ親子は満面の笑みをこぼしました。
「……」
 そんなやりとりを尻目に、リンクはすっかり紅族の鳥に心を奪われていました。夕焼けよりも深いその赤を、ずっと前から知っていたような気がしてなりません。
 ロフトバードは、ぼんやり視線を彷徨わせるリンクを、静かに見つめ返しました。金の瞳に映り込んだ少年の唇が、わずかに動いています。
 僕は、あの空へは行けないんだ——
「……ほう」
 意味深にゲポラが顎をなでます。そして、驚くべき提案がなされました。
「この紅族は、リンクと一緒にいるときにやってきたのだな?」
「そうよ」
「なら、リンクのロフトバードという可能性もある」
 衝撃を受けたゼルダが、ゲポラにすがりつきました。
「どういうことなの、お父様!」
 大きな声に、リンクの肩がびくっと揺れます。ゲポラは噛んで含めるように言いました。
「可能性がないとは言いきれんだろう」
「でも……」渋るゼルダに、
「なあに、簡単なこと。ロフトバードを口笛で呼ぶだけだ。二人とも、吹けるのだろう?」
 二人は顔を見合わせました。スカイロフトの子供たちにとって、口笛の練習は物心ついた頃からかかせないものです。
「やってみるわ。いい、リンク」
「……わかった」
 意を決したゼルダを見て、リンクも腹を据えました。
 守護鳥であるロフトバードは主人がどこにいようと、口笛ひとつでたちまち駆けつける、と言われます。勝敗が分かりやすいように、二人は女神像の島の両端にそれぞれ移動しました。
「じゃあ、せーので吹くわよ。せーのっ」
 ピィーッ。
 ゲポラと小さな二人が見守る中、ロフトバードは赤い翼を広げました。大空に飛び立ち、ぐるりと旋回します。その先に目指すのは。
「——!」
 リンクは、息をのみました。まっすぐこちらに向かってくるその姿に、なぜか、デジャビュを感じたのです。
「嘘よ……こんなの嘘よ」
 ゼルダの暗い呟きが聞こえるはずもなく、リンクは頭を垂れたロフトバードの首筋を愛おしげになでました。
「おや、ゼルダは?」
 ゲポラが首を回すと、騎士学校へ走っていく小さな後ろ姿が見えました。リンクはどきっとします。彼女の頬に、光るものを見てしまったから。
「ゼルダ……」
「お前が気にすることではない。ワシから言っておくよ」
「はい」と返事をしながら、リンクはぎゅっと胸のあたりを押さえました。
 夜になっても、ゼルダは騎士学校にある自室から出てきません。自分の鳥を持たない子供は、もっと幼いガルたちをのぞいて、ついにゼルダ一人になってしまったのです。
 涙を流していた幼なじみの事が気になって、眠れない夜を過ごすうちに、リンクの脳裏にあるアイデアが閃きました。



 翌日、彼は校長室に呼び出されていました。リンクはまだ騎士ではありませんが、学校に部屋を間借りさせてもらっているのです。
「ゼルダはまだ出てこないか。あの子も、困ったものだな」
 ゲポラは難しい顔をしています。
「鳥がいなくてつらい気持ちは分かるから……今、仲直りの印をつくってます」
 寝坊助のくせに目の下に隈をつくってきたリンクを見て、校長は笑いました。
「なら、お前に任せておいてもいいかな」
「はい」
 リンクが部屋に帰ると、工具と木屑の山が待っていました。前からの趣味だった木彫りで、初めての大作を試みているのです。今日も一日かけて作れば、きっと明日の朝には完成するでしょう。
 閉じこもったゼルダは、食事の時間になっても階下にある食堂に降りてきません。直接彼女に渡すのは難しそうだとリンクは思い、校長と相談してある策を講じました。
 次の日の朝、ゼルダは大きな物音で目を覚ましました。グシャグシャの頭のまま首を巡らせると、リンクのロフトバードが窓から頭を出しています。
「あなたは……」
 無意識で伸ばした指先は、見えない壁に触れたように止まりました。いつまでも引きずるのは良くないと分かっているのに、一昨日の出来事がまだゼルダの頭から離れません。まるでリンクに裏切られたような、嫌な気持ちが拭いきれない。実際に顔を合わせると何を口走ってしまうか分からないから、ゼルダは昨日もずっと枕に顔を埋めていました。
 紅族は何かを咥えているようです。それを差し出すように、くちばしをぐいっとゼルダへ近づけてきます。
「これ、私にくれるの?」
 おっかなびっくり受け取ってみると、そのプレゼントは木彫りの鳥の像でした。繊細な作風には見覚えがあって、ゼルダは贈り主が誰なのか一目でピンときました。
 木彫りの像には一緒に手紙もついていました。
「ゼルダへ。いつか自分のロフトバードが来たら、像に色を塗ってね。リンク」
 何度も何度も短い文章を読み直しているうちに、気がつけば鳥はいなくなっていました。
 朝食の時間、ゼルダは一階に降りてきて、寝ぼけまなこをこすっているリンクの隣に座りました。
「絶対に私の鳥の方がリンクのより綺麗なんだからっ。それで、いつか必ず、スカイロフトで一番の鳥乗りになるの」
 自信満々に言い放ってから、ゼルダは耳を赤くしてそっぽを向きます。
「……あとで、おそろいで自分の像も作っておくのよ。そうしたら、一緒に色塗りしよう?」
「うん!」
 リンクは喜んでうなずきました。
 後日、ゼルダの元にやってきたロフトバードは、青空に朝焼けの紫を混ぜたような、見事な羽の色をしていました。

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