真夜中のティータイム

 気づけなかった——天望の泉で浴びた日差しが、ずいぶんと傾いていたことに。
 ファイに提案され、急いで天望の神殿から抜け出したものの、外はすっかり夜の帳が降りていた。
「しまった……!」
 呆然と立ちすくむ。リンクは見習い騎士であり、夜の空は飛べない。つまり、今日はスカイロフトに戻ることはかなわないのだ。
 いつもより遠くに見える月が、あたりをほんのり照らしていた。いや、今や彼にとっては、月よりもスカイロフトの方が遙かに遠い。
 背負った女神の剣から、マスターの様子を見かねた剣の精・ファイが飛び出した。
『マスター、明かりを探すことを推奨します』
「念のため訊いておくけど、空に戻れる可能性は……?」
『3%です』
「うー野宿しかないかー」
 リンクは恨めしそうに空を仰いだ。こうなったら天気の良さを喜ぶしかない。もしこれで土砂降りだったら、なんて考えたくもなかった。
 助言通りに明かり探すため、天望の神殿にとって返す。物色したあげく持ってきたのは、そこら中に生えていた光るキノコだった。松明よりも圧倒的に光量は足りないが、ないよりはマシである。野宿なんてまるで想定していない己の装備を、リンクは今更ながら悔やんでいた。
 次は、寝床を確保しなければならない。夜と言えば、スカイロフトでは魔物が支配する未知の時間帯だ。ファイを女神像まで追いかけた昨夜まで、彼はほとんど夜に出歩いたことがなかった。真っ暗な空は、リンクの奥底から原始的な恐怖を呼び覚ました。慎重を期するに越したことはないだろう。
 近くに小さな影を見つけて、おっかなびっくり近づいた。そうっとのぞき込むと、茂みの向こうに二匹ほどボコブリンがいる。ただ、
「寝てる……」
『スカイロフトの魔物と違って、フィローネの地の魔物は昼間活動していますから』
 知らないことだらけだ。水先案内人たるファイがいなければ、どうなっていたことか。まだまだ大地のルールには慣れそうもない。
 リンクはキュイ族の避難地を訪れて、食料を分けてもらうつもりだった。あそこなら魔物もきっとこないだろうし、なにより森を抜けて封印の神殿に行くのは、時間がかかりすぎる。
 ひたすら昼間に来た道を歩いて戻った。音を立てないよう、棒のようになった足を無理矢理ゆっくり動かす。
 思えば朝起きてから今まで、信じられない距離を自分の足で踏破したことになる。節々が鈍く痛むのも道理だ。全身運動であるロフトバードでの飛行とは、使っている筋肉が違う気がする。
 草に擬態したオクタロックを、ファイの助言で発見しては避け、危険な崖の地帯を抜けた。もうすぐキュイ族たちの避難地がある。
「ファイ。驚かせると面倒だから、しばらく隠れててくれないか」
『了解しました』青い光が消えた。珍しく姿を現したままだったのは、足下を照らすためだったのだと気づく。
 見上げるほど大きな影と、それに寄り添う小さな四つの影。いた、キュイ族だ。
 こうして遠くから見ると親子のようでもあるが、血縁関係はどうなっているのだろう。いや、そもそも血が流れているのか——リンクは脱線しかけた思考を振り払い、集落に向かって手を何度もふった。
「すみませーん!」
「きゅい〜っ」
 悲鳴を上げて、わたわたと逃げまどう。魔物に見つかったと勘違いしたのだろう。ひときわ低い声は長老のものか。とにかく臆病な種族だ。
「あ、あのー」
 丸腰であることを示すため、両手を開いて近づく。
「昼間の兄ちゃんだキュ!」
 ムギーかセブリーかマチャーかコブーが、リンクを指さした。ファイから名前の説明を何度も受けたが、彼は未だに識別できていない。
「どうしたのじゃ」
 にわかに調子を取り戻して、長老・ギョクロー(これは覚えていた)が尋ねた。リンクは頭を下げる。
「訳あって、空に帰れなくなっちゃったんだ。水と食料を分けてくれないかな。もしよければ、ここに泊まりたいんだけど」
「それなら大歓迎じゃ。でも……」
「でも?」
 長老は深刻そうな声を出した。しかし、月明かりに照らされた表情は、相変わらずほのぼのしているように見える。
「我々が長年愛用していた水飲み場が、魔物に占拠されてしまったのじゃ」
「え、いつ?」
「ちょうどさっきだキュー」しょんぼりする……ムギー?
 リンクは目を丸くした。なんというバッドタイミング!
「ど、どうしようファイ」
 リンクはキュイ族の面前と言うことも忘れて、精霊を呼び出してしまった。
「キュキュキュ〜っ!」
 たちまちパニックに包まれる亜人たちだが、
「ちょっと静かにして!」
 リンクに一喝されて押し黙った。背中のつぼみがプルプル震えている。
 ファイはちらりとキュイ族たちを目に留めてから、
『マスター、水を確保するにはその魔物を排除しなくてはならない確率85%』
「……やっぱり?」
 弱音を吐いても、仕方がない。なぜ天望の泉で水を汲まなかったのか、そんな昔のことをくよくよ悩んだって、前には進めない。
「僕が魔物を退治したら、水を分けてくれる?」
「もちろんじゃ」
 鷹揚に長老がうなずく。
「よし」
 リンクは女神の剣を念入りにチェックした。盾はギラヒムとの戦いの時に破損していた。リカバオールを持ってこなかったことが悔やまれる結果だ。おかげで、背中はずいぶん軽いのだが。
 しゃらり。剣を鞘に収め、覚悟を決めた。
「行ってくる! 誰か案内してくれ」
 大地の旅では、ゼルダの心配をする前に、自分の食糧を確保しなければならない。前途は多難だった。



 キュイ族(たぶんセブリー)の案内により、リンクはくだんの水飲み場へたどり着いた。大きな木の根本がぽっかりえぐれており、そこに水が満ちている。根が腐らないのかという至極当然な疑問は、ある光景を前に雲散霧消する。
「なに、あれ……」
「ボコブリンの一種だキュ。モリブリンっていうキュ」
 水場近くには、ボコブリン四体分くらいの肉の塊がどっかり腰を下ろしていた。さすがに長老の体よりは小さいが、それでも夜の空気を通して小山のような圧迫感を感じた。ボコブリンたちと同じように眠っているようだが、油断はできない。
「他に近くに魔物は?」
「オイラたちみたいに追い出されたみたいキュ」
「なるほど。ファイ、解析頼む」
『イエス、マスター』
 ファイも声を潜めていた。まったく優秀な精霊だ。
 茂みに隠れて様子をうかがいながら、リンクは頭の中で作戦を組み立てていた。残った体力的に、持久戦はつらい。ばれないように背中から近づいて急所を一撃——それが精一杯だ。まったく、あの魔族長にさえ出会わなければ! と怒りがわいたが、それはギラヒムも同じことだろう。
 少しずつ呼吸を調えていく。右手でしっかりと女神の剣を握りしめた。
(いち、にの、さん!)
 リンクは矢のごとく飛び出した。剣を構えたまま飛び込み、魔物の防具の隙間を縫って突き立てる。
「!?」
 異様な反発力が手を押し返した。あわてて左手も添えるが、まだ力が足りない。そのまま刀身が弾かれて、彼は大きくのけぞった。尻餅をつかなかっただけ上出来だ。
 リンクはなにが起こったかを悟った。分厚い皮膚と脂で、女神の剣が滑ったのだ。
(やばっ)
 この衝撃を受けた敵の目が覚めないはずがない。体勢を立て直し身を翻そうとしたところで、パッチリ開いた魔物の大きな瞳と目が合ってしまった。
 ぶるおおおっと雄叫びをあげ、ぶよぶよの胸板を叩くモリブリン。やめろ、他の魔物が起きるだろー! リンクはほとんど半泣きだった。
 モリブリンは鈍重な動作で、傍らにあった大きな木の盾を構え、槍を手に取る。はっとひらめき、リンクは敵の盾を足場に駆けあがった。思いっ切り頭を踏みつけてやったあと、背後に着地。そのままセブリーの待つ茂みにつっこむ。
「兄ちゃん!」
「はあ、はあ……」
 心臓がバクバクいっている。モリブリンのねぐらからは死角になっているといえど、見つかるのも時間の問題だ。早急に対策を立てなければ、セブリーもろともお陀仏である。
「ファイ、どうだ?」
『解析完了しました。種族名モリブリン・個体名不詳。現在の女神の剣の切れ味では、勝率25%』
「……へえー」
 絶望的な状況を、よくも平然と分析できるものだ。眉一つ動かさないファイが恨めしくなった。
 下生えを踏み分け、のそのそ動き回る音が聞こえる。リンクは思わず、剣を持ったまま祈りの形に指を組んだ。
(今の切れ味ではダメか。なら、威力をどうにかして上げれば——)
 月明かりを受けて、女神の剣の柄に埋め込まれた宝玉がきらりと輝いた。
「セブリー」
「マチャーだキュ!」
 間違えていた。
「……マチャー。ちょっと作戦があるんだ、協力してくれないかな」
 作戦内容を耳打ちすると、マチャーは暴れ出した。
「ひどいキュー! 兄ちゃんはマチャーを殺す気キュ!?」
「で、でもマチャーにしかできないし! ほらファイ、成功率は?」
『65%』
「微妙に低いキュ!」
 ふと、生臭さが鼻についた。月光が遮られ、影が差す。
 獲物を見つけ、モリブリンはニタリと笑った。
「ほうら来た! じゃ、作戦通りにお願いね」
「きゅい〜っ」
 マチャーを置いて、リンクは脱兎のごとく駆けだした。瞬発力には自信がある!
 すぐに逃げた彼に対し、もたもたしているマチャー。モリブリンがどちらを狙うかは明白だ。
 槍で退路を塞ぎ、魔物は着実にマチャーを追いつめていく。水飲み場の方へと。
 リンクは疲れた足にむち打って走り続ける。木肌を駆けあがりツタを利用し、あっという間に大木の枝まで到達した。木登りは得意中の得意だった。
(よし!)
 ちょうど真下に大きな標的がいる。リンクは女神の剣を天へと掲げた。
「キュー!」
 水際に追いつめられたマチャーに、槍の穂先が迫った瞬間。リンクは枝から飛び降りて、スカイウォードをまとった剣を下に突きだした!
 自分の体重と、落下のスピードと、スカイウォード。三つの要素を乗算した攻撃は、まっすぐにモリブリンへと突き刺さり、皮膚の下へと到達する。聖なる光で魔物の肉が焦げ、刺激臭が鼻を刺した。
 リンクは剣を魔物から抜き、地面に着地した。
「どうだ……!?」
 ビリビリと右手が痺れている。二度同じことをやれと言われても無理だ、これで決まってほしい。
 ぐらり、と巨体が傾いた。モリブリンは水場へと倒れ込み、大きな水柱があがった。
「やったキュー!」
 マチャーが歓声を上げた。『おめでとうございます、マスター』ファイも無機質に祝福する。
 飛沫を浴びてずぶぬれになったリンクは、乾いた笑いを漏らした。
「これだけ働いて、やっと水が飲めるのかあ……」
 スカイロフトの水とは、どこからともなく無限に湧いてくるものだった。なんと恵まれた生活だったのだろう。
 滞在一日目にして、大地での生活の厳しさを思い知ったリンクだった。



「兄ちゃん、起きてキュー」
 マチャー……ではない、セブリーに揺すられ、リンクは目を覚ました。
 やっとのことで手に入れた水を、空きビンに詰められるだけ詰めて避難地に帰還したとたん、リンクは倒れるように眠り込んでしまったのだ。
「疲れてるかもしれないけど、食べてくれキュ」
 たき火を囲み、キュイ族全員がそろっていた。
 リンクの鼻がぴくりとうごめく。このいい匂いは——
『成分解析完了。マスターが口にしても問題ありません』
 コブー(おそらく)に差し出されたのは、昼間に何度か見かけた大きな木の実だった。ほくほくに焼かれたそれは、どんなごちそうよりもおいしそうに見える。
「いいの?」
「もちろんだキュ!」
 むしゃぶりつこうとした寸前、ゼルダの叱る声が聞こえた気がした。一拍置いて、「いただきます」と手を合わせる。
 火傷しそうになりながら頬張った木の実は、ちょっと言葉で表現できないほど、おいしかった。
「お茶も入ったキュ〜」
 ムギー(消去方で決定)が、たき火の近くで暖めていたビンを一つ手に取り、差し出した。ビンはリンクが持参したものと、そうでないものとがあるようだ。
「お茶?」そんな高尚なものが大地にあるなんて。失礼ながら、驚いてしまう。
「長老のお茶キュ」
「え、どういう意味……?」
 首を傾げたリンクは、とにかく飲んでみろというので口を付けてみた。暗くてよくわからないが、濁った緑色をしているらしい。正直おいしそうには見えなかった。
「お……おおー」
 予想以上に、渋かった。しかし、次第に体の奥がぽかぽかしてくる。これまた熱々だったが、疲れた舌には心地よい。
「これ、いいかも。でも長老のお茶ってのは」
「ワシの背中の葉っぱを使っているのじゃ」
 擬態だけでなく、こんなことにも使えるらしい。リンクは少しキュイ族たちを見直した。
「そういうことかあ」
 ちょっと前までは「楽園のようなスカイロフトに比べて、大地とはずいぶん酷いところだ」と腐っていたが、どうやら悪いことばかりではないらしい。疲労がゆるゆるとお茶の中に溶けていく。
「他の人のお茶も飲んでいい?」
「どうぞキュー」
「ありがとう」
 ムギーのお茶は、長老・ギョクローのものよりも香ばしい気がした。未知の味覚に舌が驚いたのは、コブーのお茶だ。とにかく経験したことのない味だった。
 そして悲劇が発生した。
「苦っ!」
 反射的に口元を押さえる。それはマチャーのお茶だった。涙目になりながら口直しのため手に取ったのは、セブリーのお茶。
「あ、セブリーのは——」
「ぎゃあっ。もっと苦っ!」
 ほろ苦いどころか舌がしびれるほどだ。もはや刺激物と化している。
 むせたあげくムギーのお茶をがぶ飲みしながら、
(ゼルダはこんな酷いところで旅してるんだ。一刻も早く助けてあげないと!)
 幼なじみを思いやり、決意を新たにするリンクであった。

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