人形の魂

 人が、多い。いささか多すぎるほどに。
 ホールに集まった歴戦の猛者たちを見回し、リンクはげんなりした心地になる。天井の高い広間にもかかわらず、息が苦しい。
 手元のカードとそこに書かれた番号を頭に入れつつきょろきょろしていると、人混みをかき分け誰かがやってきた。
「あ、リンク。久しぶりだね」
「マルス王子」
 旧知の仲であるアリティア王国の王子であった。青いマントに鎧姿の重装備ながら、いつも通りの涼やかな顔である。
「王子は、お変わりないようで」
「ああ。きみは……また、ずいぶんと変わったね」
 苦笑され、リンクはうなずきながら己の姿を見返す。
 いつもの緑衣も、帽子すらもなくなった今の自分。金髪は長く伸びて後ろで一つに結ばれ、空色のすとんとした衣をまとっている。これが新しい「ハイラルの勇者」の姿というわけだ。
 事情をよく知るマルス王子は控えめに微笑んだ。
「時代が変われば姿が変わる、というのは面白いよね。クラスチェンジしたわけでもないのに」
「うちはそういう仕組みなので……」
「というかきみ、ペアの人は見つかったのかい?」
「いいえ。これだけ多いと、なかなか」
 二人が手に持つのは数字が描かれたカードだ。同じ数字を割り振られた者同士がペアになる。乱闘の相方ではなく、大掃除のペアに。
 今度はじまる新たな乱闘は、過去最大数のファイターが参戦することになった。常連の者、新たに参戦する者、数大会ぶりの参加となる者、あらゆるファイターが入り乱れてこの混雑っぷりである。初対面となる者同士も多い。そこでマスターハンドは一考し、ランダムに選ばれたペアによって新しく作り変えられた「施設」の大掃除を行い、各々交流を深めてもらうことに決めた。
「僕もまだなんだよ。早く見つけないとね。それじゃあ、また」
「ええ」
 マルス王子を見送り、リンクはホールに集まった人がずいぶん減っていることに気づく。いつの間にかほとんどのファイターがペアを見つけたらしい。三々五々、それぞれの持ち場に散っていく。
 早々に自分も続かねば、と焦りながら視線を巡らすと、
「ねえ、15番ってもしかしてあなた?」
 可憐な声が背中を叩いた。リンクはゆっくりと振り返る。
 まっすぐ腰まで垂れる蜜色の髪。幼いながらよく整った顔立ち。いつもは清楚なピンクのドレスに身を包んでいるが、今日は掃除のためか、簡素な水色のワンピースを着ていた。
 彼女は緑の瞳を細めてにっこり笑いながら、手を差し出した。
「同じ『シリーズ』同士で組むなんてこともあるのね。よろしく、リンク」
 ——ゼルダ姫。その名を冠する者の中でも、リンクが知る限りでは最年少の王女である。もちろん今回の大会で初対面だ。
 そのほっそりした手を取ることを、リンクは一瞬躊躇した。
 なぜなら、彼ははっきり言って「このゼルダ」が苦手なのだった。



「わあ、なかなかいい品揃えじゃない!」
 二人の担当は図書室だった。きちんと棚に並ぶ本もあり、閲覧机の上に山積みになった本もあり、総合的には雑然とした印象である。ちらりと本の題名を確認したところ、新しく参戦するファイターの世界に関する資料と見受けられた。
 数年に一度、マスターハンドによってこの世界の仕組みや施設、そしてファイターたちは入れ替えられる。この大掃除は、今までで最大級の大会に向けて新たな施設の準備が間に合っておらず、ファイターたちにその整理を頼んだ側面もあるのだろう。
 歓声上げてほうきを放り出すゼルダに、リンクは思わず、
「ちょ、ちょっと。掃除しないんですか?」
「本の中身を知らないと分類もできないでしょ。わ、全然見たことない字なのになんで読めるのこれ? おもしろいわあ」
 言い訳もそこそこに、ゼルダはページに目を走らせほおをほころばせた。リンクにとっては当たり前の自動翻訳機能にもこの反応である。そう、彼女はリンクと違って「初めて」なのだ。
 それにしても、なんという違いなのだろう。くるくる変わる明るい表情、ざっくばらんすぎる態度、どれをとってもリンクのよく知る「ゼルダ姫」とは違う。
「本当に知恵のトライフォースの所持者なのか……?」思わず呟くと、
「何、知恵がどうしたって?」地獄耳である。目線はしっかり本に注がれたままだ。
「だから、知恵のトライフォースですよ」
「なにそれ。トライフォースって属性があるの?」
 これにはリンクも驚いた。
「知恵と力と勇気です。知恵が巫女姫、力が魔王、勇気が勇者に宿るっていう。ハイラルの常識じゃないんですか……?」
「知らないわよそんなの。てことは、あの三つそれぞれに属性があるってことなのね。それがバラバラの人間に宿るってことは……あの聖三角、もしかして割れるの? 大変じゃない、そんなことになったら」
「その辺はトゥーンに聞いたら苦労がわかると思いますよ」
 このままではいつまでも無駄話に時間を費やしてしまう。リンクは意識を切り替えるためにぽん、と本の山を叩いた。
「では分類は任せました。私は棚を整理して場所を開けておきます」
「助かるわ。ありがとう、リンク」
 不意打ちのように素直な感謝を喰らい、彼は黙ってその場を去った。あの声で名前を呼ばれると不思議とむず痒い心地になる。
 ——なぜ、彼女が呼ばれたのだろう。もちろん彼女は正真正銘神代の姫であり、召喚されるだけの素質は十分である。だが本人曰く、魔法など使ったことがない上、封印の力も一人では発揮できないのだとか。あまりにリンクの持つイメージからかけ離れた「ゼルダ姫」。ファイターとして召喚されたからにはマスターハンドがどうにかして戦闘能力を授けるのだろうが、それにしてももっと適正のある者は他にいたのではないか。
 リンクは棚と棚の間を移動しつつ、本を読み耽るゼルダをちらちら観察した。どうやら案外真面目に分類を進めているらしく、彼女の周りにはきちんと整えられた本の列がみるみる出来上がっていった。二人の分担作業は思いのほか捗った。
 また一つ棚が空いたので、リンクはゼルダが仕分け終えた本を持ち上げる。
「この山は持って行ってもかまいませんね」
「ええ、頼むわ。——あら、ハイラルの歴史書があるじゃない」
 ゼルダは近くにあった本をぱらっと開く。思わずリンクは足を止めた。
「懐かしいなあ。これ、私が書かせたものよ」
「それは、ずいぶん偏った内容なんでしょうね」
 リンクは反射的に余計なことを言ってしまい、「しまった」と唇を閉じる。だがゼルダは気分を害した様子もなく口の端を上げた。
「言ってくれるわね。でも正解。なんたって、この本には勇者が出てこないんだから」
 リンクはいよいよ抱えた本をおろし、ゼルダを見つめた。
「……どういうことですか?」
「うちの『あの子』がそういうの嫌いだったから。それに、なんだか格好悪いじゃない。素人に頼って国の平和を保ったなんてね」
 勇者に国を救われることが、格好悪い? ——リンクは今までそんな視点を持ったことはなかった。そんな彼女が書かせたという歴史書には、一体何が記されているのだろう?
 リンクは思わずゼルダの広げたページへと手をのばしたが、
「……先に掃除を終わらせましょう」
 弾かれたように顔を背け、作業に戻った。
 ゼルダは何も言わなかった。
 二人はしばらく無言で担当箇所の掃除を続けた。窓から差し込む日差しが傾いていく。広い図書室は徐々に秩序を取り戻していった。
 ゼルダが急に声を張り上げた。
「よっし、本の分類終わり! 私もそっち手伝うわ」
 と傍らにあった山積みの本を一気に持ち上げようとしたので、リンクは慌てて飛んでいき、
「私が運びますから、姫はどこに何の本を置くべきか指示をお願いします」
「そう? 悪いわね」
 彼女は全く悪びれずに言い、むしろ嬉々として指示を飛ばしはじめた。さすがは国家元首、実に堂の入ったこき使いっぷりだ。
 本を抱えたリンクを先導し、機嫌よく棚の間を歩いていたゼルダは、ふと目線を横に固定する。
「ねえここ……何かありそうじゃない」
 いきなり何を言い出すのだろう。そこには空の棚が並んでいるだけだ。
 そういえば、この棚だけ他よりも背が低い。具体的には上から二段分棚板が少ないのだ。それに、隣の棚との間に大人が両手を広げたくらいの奇妙な隙間がある。言ってしまえばただそれだけであるが、ゼルダは気になって仕方ないらしい。
「いいえ、別に何も」
 さっさと作業を終わらせたいのだが、ゼルダはすっかり謎に夢中になってしまっている。
「もう、謎解きしたい気持ちはいくつになっても忘れちゃだめよ。この棚だけ小さいってことはどういうことか分かる?」
「え? 詰められる本の数が少ないとか……あ、ということは棚自体が他より軽いんですかね」
「正解」
 ゼルダはにやりと笑い、棚を横から押した。
 リンクは目を見張る。乙女の細腕でも簡単に棚が動いたのだ。そして、裏に隠されていた壁には秘密の扉が設けてあった。
「おお……」
 思わず感嘆してしまった。リンクは恥ずかしくなり、口元をおさえる。
「うちの城のレリーフよりずいぶん軽いわね。さ、入ってみましょ」
 ゼルダはリンクが止める間もなく扉を開ける。向こう側にはオレンジ色の光に包まれた小さな空間があった。
 掃除をはじめてから、いつの間にかずいぶん時間が経っていたらしい。一つだけある窓からは夕焼けが入りこみ、部屋をあたたかく染め上げている。施設の近代的な雰囲気とはまた別の、どこか木の香りがするノスタルジックな部屋だった。
 そこにあるのはベッドに勉強机、放り出されたままのノートと鉛筆。そして、大きなおもちゃ箱だ。
「ここは……?」
 戸惑いながらも堂々と入っていくゼルダとは対照的に、リンクはその場に立ち尽くしていた。
(そうか、今回は——こんな場所に)
「図書室とは関係ない場所よね?」ゼルダはノートをめくって白紙であることを確かめた。
「ここは……はじまりの部屋です」
 ゼルダは手を止め、棒立ちになったままのリンクを振り返った。
「ああ、例の部屋。本物なの?」
「いいえ。マスターハンドが本物に似せて作ったものです」
 リンクはおもちゃ箱に複雑な感情を込めた目線を落とす。そこにはかつて、十二体のフィギュアと使い古した手袋がおさめられていた。
 ゼルダは腰に手をあてた。
「私の生まれたハイラルは、三女神がつくったもの。そしてリンク、あなたの生まれたこの世界は、ここにあるおもちゃ箱からはじまったのよね?」
「そうです」
 この世界——「おもちゃ箱の世界」が生まれた経緯については、ファイターが召喚されたその時に、マスターハンドによって説明されていた。
 ファイターたちの正体はフィギュアである。創造主マスターハンドにより、別世界からコピーしてきた人格の入れ物となって動く人形だ。今や数十名の大所帯となったファイターたちも、はじめはたったの十二人——どこかの世界の誰かがおもちゃ箱にしまっていた十二体のフィギュアと、白い手袋だけだった。
 その所有者に特別大切にされていた彼らは、ある日、自分たちが各々意思を持っていることに気がついた。どうやら所有者の熱意を受けて、人形の体に魂のようなものが宿ったらしい。彼らは夜な夜なおもちゃ箱を抜け出し、自分たちだけの世界をつくった。
 そもそも十二体のフィギュアは、はじまりの世界において「別世界の英雄」として認識されている者たちの似姿として作られていた。そして彼らには共通点があった。いずれも、なんらかの形で「戦い」と深く携わる者だったということだ。フィギュアは自分たちだけの世界で互いに拳を交えるようになった。ただし、それで体を破壊しては元も子もないので、机の上を模した限られたステージから落ちたほうが負け、という単純なルールを定めた。
 繰り返される戦いは強力なエネルギーを生み出した。仮りそめの魂はみるみる育ち、世界は広がった。マスターハンド——所有者がフィギュアを触れる時に着用していた手袋だ——はついに創造神となって、生み出されたエネルギーを元に別世界から新たにファイターたちを召喚するほどになった。
 はじまりの十二人とはすなわちマリオ、ルイージ、カービィ、ヨッシー、フォックス、ピカチュウ、サムス、ネス、キャプテン・ファルコン、プリン、ドンキー、そしてリンク。彼らはゼルダ姫のように別の世界から人格を召喚されたわけではない。したがって基本的に「この世界」の記憶しか持たないのだ。マスターハンドが別世界に干渉することで、元の世界にいる「オリジナル」の記録を閲覧することができるようになったが、決してそれを己の記憶として心に刻むことはない。
 中でもリンクの事情は一番複雑だった。「ハイラルの勇者」は他の者とは違い、時代によってそれぞれ別人なのである。よってオリジナルの記録を閲覧してもそれぞれに連続性は皆無だ。そして彼は数年に一度の節目、「引っ越し」の際に大きく姿が変わる。それははじまりの世界における「ハイラルの勇者」の認識が更新されたからだ、などとマスターハンドが説明していたが、当然リンクには理解できなかった。
 とにかく彼は大会の度に姿が変わる。多様な時代のハイラルの、どこかの勇者の姿になる。だが、その中身としか言いようのない人格は、ずっと同じだった。
 沈思黙考するリンクの耳に、可憐な声が入ってきた。
「施設の中に自分たちの故郷を再現したのか。あの右手も、割と感傷的なところがあるのかしらね」
 ゼルダはもう一度ぐるりと部屋を見渡した。
「成り立ちの違う世界。それにあの本の山……」
 そして金の髪をなびかせ、振り返る。
「ねえリンク。私と一緒に世界征服しない?」
 そう言い放ったゼルダはとてもいい笑顔を浮かべていた。
 リンクは唖然として言葉が出ない。
「……あ、ちょっと言い間違えたわ」
「ちょっとどころじゃないですよね!?」思わず突っ込んでしまう。まさか、そんな魔王みたいなことを言い出すとは思わなかった。
「ごめんごめん。でもね、あなたと私が手を組んだら何でもできる気がする」
 一拍置いて、ゼルダはずっとあたためてきたであろう台詞を口にした。
「私はこの世界の記憶をハイラルに持ち帰って、自分の国を改革したいの」
「ハイラルを改革する……?」
 リンクは頭がくらくらしてきた。そもそもここの情報をハイラルに持ち帰れるはずがない。フィギュアたちは、オリジナル側から記憶を一方的にコピーすることしかできないのに。
 それでもゼルダはとめどなく夢を語る。
「この世界だけじゃなくて、もっと別の世界の成り立ちについても知っていきたい。ここにはあちこちの歴史書だけじゃなくて生き証人もたくさんいるわ。そして……私は、勇者に頼らない世界をつくりたいの」
 ゼルダはきっと脳裏に「あの子」と呼ぶ者のことを思い浮かべているのだろう。勇者に頼るのを格好悪いと断言した彼女は、今までリンクが相対してきた姫たちとは大幅に違う人生を送ってきたに違いない。
 今や完全に圧倒されたリンクは、かろうじて別の質問を投げかけた。
「あなたの言うことは、到底実現不可能だと思いますけど……その、どうして私を誘うんですか」
 一番気になるのはそこだ。国のことなど何も知らないリンクではなく、それこそもっと他に頼るべき人物がいるはずだ。
「あなたはハイラルの勇者じゃないけど、勇者リンクなんでしょう?」
「いや……私は勇者ではありえません。救うべき民も、滅するべき魔王もいないのに、どうして自分が勇者だなんて名乗れるというんですか」
 そもそもリンクはトライフォースというものを所持してはいない。かつての切り札は、マスターハンドによって擬似的に再現された力である。
「でも、あなたははじまりの世界では確実に勇者として認識されてるってことよ。そう、勇者でありながら勇者でないあなただからこそ、私の目的のために必要なのよ!」
 ゼルダの輝く瞳には何やら素晴らしいビジョンが映っているようだが、リンクにはまるで理解できなかった。彼は目をそらした。
「……それで、あなたに協力して私に何か得でもあるんですか」
「この可愛いお姫様の役に立つことができるのよ。それだけでとんだご褒美よ」
(一体なんなんだ、この人は!)
 もはやリンクは普段の丁寧さをかなぐり捨て、あからさまに不機嫌な顔になった。
 ゼルダはリンクのささやかな抵抗など素知らぬ顔で、
「さあこの手を取って、リンク?」
 歴代のゼルダ姫は、いつもすべてを見透かすような目でリンクを見ていた。正直言ってやりづらかった。おそらく彼女たちはリンクの向こうに、自分の世界に残してきた勇者たちを見ていたのだ。
 だがこの人の瞳はあまりにもまっすぐすぎる。今目の前にいるリンクを正確に認識し、不敵な視線をぶつけてくる。
(だめだ、流されるな。どうせろくでもないことに協力させられるんだ)
 リンクがそれでも躊躇していると、突然ゼルダの上体が揺れた。ふらりと前に倒れてくる。
「きゃっ」「だ、大丈夫ですか!?」
 思わず両手を差し出して細い体を支えた。その拍子に、リンクの手首ががっちりと掴まれる。
「……あの」
 顔を上げたゼルダは、実にあくどい笑みを浮かべた。漂う雰囲気はいっそ高貴ですらある。
「ありがとう、手をとってくれて」
 握り込まれた手首は痛いくらいだ。完璧にしてやられた。
「こんなの反則じゃないですか!」
「残念、もう離さないわよ。あなたは一生私の奴隷になるの」
「そんなこと聞いてませんよ!?」
 絶対に手を貸してなんかやるものか、と心に誓いながらも、リンクは無理に手を振りほどこうとはしないのだった。

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