人形の組手

 何故だ。どうして見つからないんだ。
 これはバグかもしれない。マスターハンドに文句を言わねば。いや、今はそれが不可能なのだった……。
 リンクがため息をつきながら「閲覧室」から出てくると、言い争う男女の声が廊下に響いた。
「だーかーらー! ちょっとくらいいいじゃないの。あなたの実力を認めてるからこうして頼んでるのよ、魔王サマ!」
「うるさい小娘だ。そこの勇者にでも相手してもらうのだな」
 ゼルダ姫とガノンドロフという組み合わせだった。宿敵同士とは思えないほどざっくばらんなやりとりをしている。うんざりした様子のガノンドロフはすっとリンクに視線を送り、立ち去った。
 それにしても、あのガノンドロフがゼルダ姫を小娘と呼ぶなんて。少なくとも、今までの姫たちにはもう少し敬意を持って接していたはずだ。このガノンドロフも前回までの魔王とは別人だが、「ガノンドロフ」はリンクやゼルダと違って基本的に同一人物らしいし、評価基準はそこまで変わらないはず。つまり、このゼルダはそれほど特殊な人格なのだ。
 ゼルダは明らかに不満げな様子でリンクの方にやってきた。
「仕方ない、あなたでもいいわ。トレーニングやりましょ」
「ものすごく雑な扱い受けてませんか、私」
「そんなことないわよ。あーリンクさんとトレーニングしたくてたまらなかったわー。ねえお願い!」
 姫の棒読みを適当に聞き流しつつ、断る理由もなかったのでうなずいた。
「いいですよ。トレーニング、やりましょうか」
 幸いトレーニングルームには空きがあった。
 真っ白な内装の部屋に入る。一人で使う際はサンドバッグくんという協力者がいるのだが、今回はファイター同士の戦いである。扉を閉めて、部屋を対戦モードにした。
 リンクと向かい合ったゼルダは、軽く足を開いて叫ぶ。
「どこからでもかかってきなさい!」
「では私からいきます」
 リンクは剣を抜いて走り出した。
 無手の相手に剣を振るうなど、おそらく「ハイラルの勇者」としてはアウトな行為だろうが、リンクもゼルダもその体はフィギュアなのだ。おまけにトレーニングルームでは致命傷を負ってもフィギュアにはならず、その場で対戦モードが解除されるだけ。つまりは大乱闘とほぼ変わらない状態だ。
「はっ」
 ゼルダの手がすうっと動き、魔力によって構築された壁が振り下ろされたマスターソードを防ぐ。彼女の操る魔法は今までの姫と比べても遜色ないものだった。
 ハイラルでは非戦闘員だった彼女は、歴代のゼルダ姫が蓄積してきたデータをもとに戦闘能力を与えられているらしい。そのおかげで、以前「知恵のトライフォースって何?」などとのたまっていた彼女が、黄金の力を使った切り札を持つことになった。マスターハンドも面白いことをするものだ。
「それじゃ、今度は私がいくわよ!」
 白いマントが翻り、リンクのそばで炎が爆発する。ディンの炎。長射程で厄介な攻撃だ。身をひねって回避しつつ、一度距離をとる。
「ちょっと! もっと殺す気でかかってきなさいよ」
「いくらなんでもそれは無理です。大乱闘は殺し合いじゃありませんし」
「大乱闘ね……本当に、やれるのかしらね」
 リンクの動きが止まった。肩を下ろす。
「ああ、いきなりトレーニングなんてはじめたと思えば……光の化身との戦いを考えていたんですか、姫」
 この世界に仇なす存在——光の化身と呼ぶしかない不気味な敵が出現したのは、つい先日のことである。以降、各地で配下の「敵」との小競り合いがはじまっていた。
 それは乱闘ではない。倒れるか倒されるか、命を賭けた争いだ。
「そうよ。私は皆と比べて全然戦場慣れしてないもの。あまり足を引っ張るのも、ねえ」
「それでガノンドロフに頼んでいたんですか」
 確かにリンクよりはよほど殺気に満ちた拳を持っているだろう。ゼルダ相手にどこまで本気になるかは不明だが。
 ゼルダは目を輝かせた。
「だって魔盗賊ガノンドロフよ! 歴史上の人物に会えるなんて夢みたいだし、もっとお近づきになりたいなって」
「なかなかの命知らずですね」
「ほら、姫って基本的に後ろに引っ込んでる存在じゃない。悪意とか殺意とか直接ぶつけられるのには慣れてないのよ」
「今回だって後方支援に徹する道はありますよ。マルス王子たちみたいに、戦いもこなせる王族というのはむしろ少数でしょう。何故そうしないんですか。殺気なんて慣れる必要もありません」
「そうなんだけどね。理由は、私がファイターとして呼ばれたから、というのが一つ。もう一つは——あの子の気持ちをきちんと理解したいのよ」
 あの子。彼女の口から時折発せられるその単語は、特別な色を帯びていた。ゼルダの瞳は遠くなり、郷愁が漂う。
「光の化身の手下と戦った時、私は何にもあの子のこと分かってなかったんだなあって思ったの。命のやりとりがどういうものなのか、その時になってやっと理解した。やられないように必死に戦わなきゃいけない……そんな戦線にあの子を送り出してたのよ、私」
 リンクは目線をそらす。
「姫とはそういうものでしょう」
「でも、こんな機会があるのなら逃したくないわ」
 ゼルダは思い出したように手に光を宿す。リンクはいつ攻撃が来ても回避できるよう身構えながら、
「どんな人なんですか、あなたのところの勇者は」
「なあに、気になるの?」
「……ええ、まあ。あなたの時代だけ、何故か記録が閲覧できなかったんです」
 閲覧室でいくら検索しても出なかったのだ。不満をぶつけようにもマスターハンドは行方不明。ならばゼルダに直接聞いた方が早い。
「ふうん。なんでそんなに気になるのよ」
「あなたのことをもっと知りたいからです」
 勢いで言い放ってから、リンクははっとした。
 にやり、とゼルダの顔に浮かんだ悪どい笑みと視線がぶつかる。
「大胆な告白ねえ」
「茶化さないでください」リンクはバクダンを投げる。腰の石板で起爆するシステムにはまだ慣れない。ゼルダはきゃあきゃあと逃げ惑った。
「ちょ、いきなり攻撃するの禁止!」
「殺気を浴びたいんでしたよね? 協力して差し上げますよ」
 逃げ回る姫を追いかけながら、勇者に対する問いをすっかりはぐらかされたことを悟った。絶対に勝って聞き出してやる、と心に決め、マスターソードを握る力を強くする。
 そんな練習風景を観戦していたファイターたちに「あんなに生き生きしているリンクは珍しい」と評されているなんて、彼は考えもしていなかった。

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