人形の茶会

「あなたは『この世界』の勇者なんだから、いざという時守るべきものを間違えちゃダメよ」
 自分で淹れた紅茶をすすりながら、ゼルダはそう告げた。
「……何の話です?」
 謎の茶会に招待され、テーブルの反対側に座っていたリンクは、不審そうに眉をひそめる。
「だってリンク、やたらと私を守ろうとするじゃない! ほら、この前あの変な敵に襲われた時とか」
「別に……たまたま近くにいたからです」
 目下、彼らは光の化身とでも呼ぶべき敵と交戦中だった。目的は侵略か破壊か、はたまた支配か。とにかく敵は「この世界」に向かって攻撃を仕掛けてくる。ファイターたちは自分の居場所を守るため、広い世界のあちこちに散らばって戦いを繰り広げた。
 今日のリンクたちはその行軍を一時中止し、施設に戻って休息中だった。もちろんただ体を休めるだけでなく、拠点の防衛という役割も担っている。ファイターたちはいくつかの組に分かれ、ローテーションを組んで休息と交戦を繰り返していた。今頃はどこかで別の組が戦っていることだろう。
 本来ならば皆そろって大乱闘に興じていたはずが、光の化身との戦いに加えてマスターハンドが行方不明になってしまったため、開催される予定だった大会は無期限で延期されている。
 施設の中庭に設けられたサンルームで、ゼルダはよく手入れされた庭木を眺める。午後の穏やかな日差しがテーブルの上をあたためた。こうしていると、世界が危機に瀕していることなど嘘のようだ。
「ふうん。それならいいけどね。あ、クッキー食べる?」
「食べます」
「私が焼いたのよ。考え事しながらお菓子作るのが趣味なの」
「それであんなに大量にあったんですか」
 朝、共用の台所に甘い香りを漂わせたお菓子が山積みになっているのを見かけた。休息組の中にカービィがいたら一瞬で消え失せていただろう。
「一人に一枚配るだけでも八十枚近く型抜きしなきゃいけないのよ。辛いわあ」
(そんなに限られた数のお菓子を何枚も食べていいのか?)
 とリンクは思ったが、他ならぬゼルダがぱくぱく口に放り込んでいくので、彼も遠慮なく手を伸ばした。
 すっきりした味わいの紅茶を口に含む。クッキーの甘さがちょうどいい具合に中和された。いきなりゼルダから一対一のお茶会に誘われた時は「どんな思惑があるのだ」と腰が引けたが、結果的には休息期間にふさわしい優雅なティータイムで、リンクは満足だった。
 しかし、クッキーを消費することがゼルダの目的ではないだろう。彼女の「考え事」とはつまり、冒頭の質問に関する話だ。リンクは改めて尋ねる。
「先ほどの……いざという時、というのは?」
「決まってるでしょ、あの光の化身との決戦よ」
「その時何かが起きるんですか」
「私、夢見の力だけは本物なのよ。ぼんやりと……だけどね、見えたの」
 ゼルダはそれ以上語らない。確証がないからか、言っても信じてもらえないからか、もはや知らせてもどうしようもない類の出来事なのか。
 いざという時とは、すなわち命を賭ける必要がある時、という意味だろう。フィギュアの肉体に命など宿っているのかは不明だが。ゼルダの夢見によると、リンクの存在の全てを賭けて立ち向かわねばならない時が、もうすぐ来る——
「ゼルダ姫は、自分の世界に帰ってやりたいことがあるのでしょう。それなら私に『自分だけを守れ』って言えばいいじゃないですか」
「そういうわけにもいかないわ。まだここの知識を吸収しきれてないもの。こんな序盤で『この世界』を壊されたらたまったものじゃないわ」
 まだ敵が現れる前、リンクはこの変わり者のゼルダに「自分の目的に協力しろ」と要請されていた。結局あの時は返事をごまかしたが、以降なんとなく彼女に従う形になっている。「リンク」としては王女にこうべを垂れるのは自然な流れなので、近頃はあまり気にすることもなくなった。
 しかし、今ゼルダがリンクに頼んでいることは、あの時とは意味合いが大きく異なっていた。ゼルダの顔にも別の真剣味がある。
「とにかく、その時が来たらあなたは誰を守るべきか分かるはずだから、この世界のために行動するの。いいわね?」
「……命令ですか。あなたは私の上司ではないでしょう」
「友人としてお願いしてるのよ」
 命を賭すべき最悪の事態というと、かつての亜空軍との戦いを思い出す。そんな瀬戸際で、自分にできることが一つでもあるとしたら——
 リンクはまた手を伸ばし、皿に盛られたお菓子を手にとった。
「このクッキーに免じて、それくらいは了承しましょうか」
「まったく素直じゃないわねえ」
 面白がるような瞳でゼルダに覗き込まれたが、リンクは澄ました顔でクッキーを咀嚼する。約八十分の一の味はなかなか上品だった。



 いつかどこかで見たような光景だった。仲間が全員肩を並べ、崖の上に立って海の向こうの光を眺めている。リンクの持つ「記録」の中から、「あの世とこの世が交わる時」というワードがぼんやり浮かび上がった。
 ただし、光源は海に沈む太陽ではなく、光の化身だ。ファイターたちはそろって武器を向ける。敵の周りには、行方不明だったはずのマスターハンドが何故か無数に増えて浮かんでいた。
 今にも攻撃を仕掛けんと機会をうかがうファイターたちの前で、マスターハンドから流れ出たエネルギーが光の化身に集まっていく。
(……来る)
 敵から破滅的な光線が放たれた瞬間、未来視の能力を持つ仲間から号令が発せられた。——逃げろ、と。
 すさまじい勢いでこちらへと襲いかかる光。あのスピードから逃げ切れるのは、仲間の中でもとりわけ機動力のある者だ。それはリンクでも、ましてやゼルダでもない。
(なるほど。こういうことだったのか)
 しかし、リンクとも付き合いの長い「彼」ならば、必ず逃げ延びて復活の兆しとなってくれるはず。それはファイターたち皆に共通した確信だった。
 自分の後方にいて、同じような算段をしているだろう姫のことは考えない。ただ、攻撃がこちらに届く瞬間に集中する。
 そうしてリンクは盾を構え、ゼルダから託された灯火を星の戦士へとつないだ。

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