人形の父

 あの時確かに手放したはずのパラセールが、ここにある。
 しかもそのパラセールは、始まりの塔のてっぺんまで悠々と飛べるほどの上昇力と推進力を持っていた。老人はそれを使って塔に降り立った。
 目を閉じると、ファイターと名乗る者たちが繰り広げる戦いがまぶたの裏に浮かんだ。体術あり剣術あり魔法あり火薬ありの戦いなので、あまりにも激しいダメージを受けると塔の屋根は崩れ落ちるが、やがて古代エネルギーの力によって元に戻る。そう、ここは「大乱闘」のステージであった。
 今、ここにファイターたちはいない。老人——ハイラル王は、塔の上から静かに大地を見渡した。
 彼の目線の先には、未だ厄災静まらぬかつての居城があった。あれはあくまで「背景」、要するに幻であると、巨大な右手に説明された。が、老人としてはなかなか簡単に割り切れるものではない。目に入るとどうしても注視してしまう。
 不意に、彼の背後で転送装置が動く音がした。
「あら、物思いにでもふけってたの? 悪いけどお邪魔するわよ」
 現れたのはピンク色のドレスを翻す、王女ゼルダだった。彼の娘ではない「ゼルダ」だ。歴代王家にしばしば登場する由緒正しい名前だが、さすがに他のゼルダに出会ったのは初めてだった。彼女の自信満々な表情や自在に魔法を操るさまは、彼の娘と大きく異なっていた。
 ゼルダは優雅な足取りで老人の横に立つ。一緒に緑の大地を見晴かしながら、
「残念だけど、いくら眺めてもここはあなたの王国じゃないわよ?」
「分かっておる」
 今や、彼の王国はどうにも手の届かない場所だ。
 未練はないはずだった。娘とその騎士が、厄災を封印する様を確かに見届けたのだ。ハイラル王としての最後の願いは果たされ、彼は彼岸へと旅立ったはずだった。
 ——なのに、気がつけばこんな場所に来ていた。彷徨える魂の終着点は、巨大な右手の支配する世界だったのだ。
 隣にいる少女は、柳眉をしかめて黒々とした城を睨みつける。
「このハイラル、一度滅びたそうね。敗軍の将の気持ちは——少しだけなら分からなくはないけど。ねえ、自分のせいで国を滅ぼした気分って、どうなの?」
 思いがけず厳しい言葉を受けて、老人の唇が歪む。彼女の瞳には強い光が宿っている。どうやら、老人に対してはっきりと怒りを抱いているようだ。
「聞くところによると、もう判断ミスに次ぐ判断ミスよね。あなたもあなたの娘も。王族の不始末のせいで、どれだけ大勢の民を死なせたのかしら」
「……わしのことは何と言っても構わん。だが娘は関係ないじゃろう」
「あるでしょ。そいつが力に目覚めなかったせいで国が滅んだのは、れっきとした事実じゃない」
 腰まである金の髪がふわりと浮かんだ。ふつふつと怒るゼルダの周囲に魔力が満ちる。今にも弾けそうなほどにふくらんでいく。
「私は、自分がそいつと同じ名前だってことが許せない。国を滅ぼした姫がゼルダだなんて、認められないわ!」
 感情のままに高められた魔力が一気に爆発しようとした、瞬間。
「そこまでにしてください」
 静かな声が、始まりの塔に響き渡った。
 転送装置から降りてきたのは勇者リンクその人であった。長めの金髪を後ろでひとつに結び、ロイヤルブルーの装束をまとった勇者——老人はかすかに目を見開く。
「八つ当たりなんて、あなたらしくもないですね」
 リンクは老人とゼルダの間に割って入る。
「あーら、正当な理由で問い詰めてただけよ?」
 ゼルダはいたずらがばれた子どものような愛想笑いをした。
「正当な理由、ねえ。お怒りの原因はあなたが一番ご存知でしょう」
 じろりとリンクに見つめられ、ゼルダは舌を出した。
「あーあ、なんかむしゃくしゃしたから組手でもしよっかな」
 彼女は軽くのびをして、転送装置に戻っていく。一体こんなステージまで何をしに来たのだろう。ゼルダは老人に興味を失ったらしく、もはや一顧だにしない。
 白いマントが光の向こうに消えた。リンクは大げさに息を吐くと、老人に向かって頭を下げる。
「大変失礼しました」
「いや、気にしておらぬよ」
 実際、膨大な魔力を向けられた時は戦慄したが、今は苦笑できるくらいの余裕はあった。
 それよりも……と老人はリンクを観察してしまう。まっすぐに背筋を伸ばし、こちらを見据えるその佇まいは、まさしく勇者リンクだ。声までそっくり同じなのだから、老人にはかつての近衛騎士と同一人物としか見えない。
 だが、決定的に違う点がひとつあった。このリンクが老人を見つめる視線には、ただ敬意しか含まれていないのだ。命令を賜るべき主君や、教え導く「おじいさん」に向けるものではない視線だった。
 老人のかすかな混乱には気づかず、「この世界」の勇者リンクは肩をすくめた。
「彼女の父も、いろいろあったようなのです。国の滅亡に関しては内心、忸怩たるものがあったのでしょう」
「そうじゃったか」
 この世界でファイターとして顕現している以上、あのゼルダだって平和なハイラルだけを見てきたわけではないのだ。いつか、機会があれば訊ねてみてもいいかも知れない。
 リンクはやや声色を和らげた。
「あなたのハイラルは、どんな国だったのですか」
 老人は赤黒い霧に包まれたハイラル城に思いを馳せる。が、そのイメージをすぐに振り払い、フードの下の目を細めた。
「食べ物がおいしかったのう」
「それはそれは」
 リンクはおかしそうに笑った。
「すみません、私もそろそろ行きます。あの姫にトレーニングに付き合えと言われているので」
 なるほど、彼らは練習用のステージとしてここを選び、先にゼルダが訪れたのだが、思わぬ形で彼女が老人ともめたところにリンクが飛んできた——ということらしい。
 リンクはきびすを返す。そして背中越しにこう言った。
「あなたのハイラルがどうかは知りませんが、この世界において戦いはあくまで道楽です。あなたも、観戦を楽しんでみてはどうですか」
 勇者は返事を聞かないまま転送装置に消えた。
 後日。複数人による乱闘の舞台となった始まりの塔へ、老人はパラセールを操って飛んでいく。いくらファイターたちが暴れても彼に影響は出ない。ならば、もっと間近で戦闘を眺めるのも良いだろうと思ったのだ。
 今回の参加者にはゼルダがいた。長剣を操るファイターと互角に渡り合っていた彼女は、塔に舞い降りた老人をちらりと確認すると、「あら」と唇を動かして微笑んだ。
 彼女は両手に魔力を溜め——爆発させた。塔の屋根部分が崩れ去り、白い煙が立ち上る。瓦礫に埋もれることはないにしろ、老人の足場は著しく狭くなる。乱闘はますます白熱していった。
 ああそうか、とハイラル王は嘆息する。彼はゼルダにぶつけられる感情の正体をよく知っていた。これは——反抗期だ。

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