人形の終局

 決戦の地の周囲には瓦礫が散らばり、退路を塞ぐように炎が燃え盛っている。
 その中心には膝をつく大男と、胸を張って仁王立ちするドレスの女がいた。
 男が一声吠える。折った膝を伸ばして立ち上がると、その体はみるみる異形のものへと変化していく。
「魔王ガノン……この時を待っていたわ!」
 目を爛々と輝かせて腕を構えるゼルダ姫は、正義の味方というよりよほど魔王側に近い迫力があった。
 白いマントを翻した姫君と魔獣と化した大男。勇者のいない最終決戦が今、はじまる——
「あ、勝ち上がり乱闘の観戦? ゼルダ姫がやってるんだね」
 横合いから覗きこんできたトゥーンに声をかけられ、リンクはハッと我に返った。
 観戦用の部屋に並んだモニターのひとつに、ゼルダが魔法を操る姿が映し出されている。リンクはほとんどのめり込むようにしてそれを見ていたのだ。
「ええ。なかなか順調のようです」
 モニターから目を離さずに答える。トゥーンはくすりと笑い、
「でも魔王ガノン強いからなー、ここでスコア落とさないといいね」
「はい……」
 リンクがまったく会話どころでない状態にあることを悟ったのか、トゥーンはすぐに部屋を出て行った。
 画面の中で、ゼルダは双剣の一撃を危ういところで防御していた。
 試合と試合の合間に中途半端な空き時間ができ、たまには他人の戦いを眺めるのもいいかと観戦室に足を運んだのが運の尽きだった。リンクは不可抗力でゼルダの試合に釘付けになった。
 もちろん、ここまでリンクが一個人の試合に注目するのには理由がある。
 勝ち上がり乱闘と名付けられた連戦で、ゼルダ姫に用意されたシナリオは「知恵のトライフォースを狙う悪者を自力で退治する」というものだ。彼女は味方の助けを借りず、襲いくる敵を独力で切り抜けていく。リンクのシナリオではゼルダが味方に入ることがあるのにも関わらず。そして最後には、彼女は一人でガノンドロフと戦う。
(まったく、このシナリオ……マスターハンドの嫌がらせじゃないのか?)
 それにこの舞台、魔獣ガノン専用のステージは何なのだ。記録の閲覧で見た時の勇者のラストステージにそっくりだった。ガノン城が崩れ落ちた跡地ではじまる決戦である。ハイラルの記録では、そこで時の勇者が負けた場合、彼女の——神代のゼルダ姫が活躍する時代がやってくる、らしい。
 そう、この試合は、彼女が自力で運命をねじ曲げに行ったとも読み取れるのだ。
 ここで過去の発言と照らし合わせると、この試合は特別な意味を帯びてくる。ゼルダは以前「勇者が必要でなくなる世界を目指す」と言っていた。それはつまり「この世界」での記憶と技能を引き継いだままハイラルに帰還し、どうにかして時を遡って、勇者に頼らず自らガノンドロフをやっつけてしまおう、という算段なのではないか——?
 そう考えるとリンクはいてもたってもいられず、観戦を途中で切り上げて、転送装置の部屋に向かった。
「あら! わざわざお出迎え? ハイスコア更新のお祝いならとっておいてよ、まだまだ上を目指すんだから」
 しばらくしてステージから帰ってきたゼルダは自慢げに胸を張る。どうやらいい成績を残したらしい。不貞腐れた様子のガノンドロフはこちらを一顧だにせず、廊下を向こうに歩いて行った。
「ああ……おめでとうございます」
 リンクの返事は歯切れが悪い。ゼルダは眉をひそめた。
「なあに、なんだか変な調子ね。私の勇姿、観戦してくれてたんでしょ」
「そうです……あの、最後の試合についてなんですけど」
 いざ本人を目の前にすると、自分の考えに自信がなくなってしまったが——リンクは意を決して口を開く。
「ガノン戦がどうかしたの」
「まさか、あれと同じことを、自分の世界に帰ってからやろうとしているわけじゃないですよね?」
 確認という体で疑問をぶつけた。
 一瞬の沈黙ののち、ゼルダは吹き出した。爆笑である。姫君ともあろうものが大口を開けて笑うなんて、とリンクが顔をしかめたら、自分でも気づいたのか慌てて口に手をあてた。彼女は腰を折ってひいひい呼吸している。
「……そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
 リンクははっきりと不機嫌になる。顔を上げたゼルダの目の端には涙が浮かんでいた。
「ごめんごめん。でもね、さすがの私でもそれは無理ってものよ。そもそも、過去をどうこうするよりこれから先の未来の方に興味があるしね」
「なるほど」
 遠慮のない爆笑でリンクの自尊心はいたく傷つけられたが、抱いた不安が杞憂に過ぎなかったことで、ほっとした側面はある。
 やっと笑いの衝動がおさまってきたらしいゼルダは、目尻の涙を指で拭った。
「大丈夫よ。勇者がいらないハイラルっていうのはね、『リンク』なんていなくてもいい——私だけが戦えばいい世界ってわけじゃないから。そんなの、苦労する主体が変わっただけだもの。あなたやうちのあの子が面倒なことしなくても済んで、ついでに私も楽ができる世界ってことよ」
 リンクはどきりとする。ゼルダは正確に彼の不安を言い当てていた。そう、リンクはあの試合を見て、「ゼルダとガノンさえいればトライフォースの対立関係は成り立つのでは」という疎外感と危機感を覚えたのだった。
「というか、ハイラルの話に私は別に関係ないでしょう」
「ものの例えよ。勇者だから似たようなものでしょ」
「そんな乱暴な」
 ゼルダはにやりと口の端を吊り上げる。
「今度は二人で勝ち上がり乱闘やりましょうよ。そういうルールもあるんでしょ? 正しくトライフォースの二辺が協力して悪者たちをぶっ飛ばすのよ。楽しそうじゃない」
 その笑顔に釣られ、自然とリンクのほおはほころんでいた。
「あなたがそこまで言うのでしたら」
 ハイラルの勇者にとってはどうだか知らないけれど、リンクにとって知恵の巫女は、隣に立って背中を預けられる心強い仲間なのだ。それならば、肩を並べて共に戦うのが正しいあり方だろう。
 ゼルダと別れ、自分の試合に向かうリンクの足取りは、心なしか軽かった。

inserted by FC2 system