人形の会食

 試合が終わって空き時間ができたリンクは、食堂に向かった。
 お昼時だから、というわけではない。そもそも彼らの毎日の予定はまちまちで、気が向いた時に食事に行くのが習慣になっている。マスターハンドも、おそらく大勢のファイターが一度に食堂に集中しないように休憩時間を調整しているのだろう。
 食堂はがらんとしており、明るい日差しが遮られることなくさんさんと窓から入っていた。リンクは入り口付近にある掲示板で今日のメニューを確認する。
(肉か魚か……魚かな。揚げ物はやめておこう、焼き物と煮物のどちらにすべきだろうか)
 悩んでいると、誰かが隣に並んだ。緑色の帽子が低い位置にある。
「バッタさん」
「お前も休憩か」
 一昔前のリンクと似た格好をした子どものリンク——通称バッタは、メニューをにらんで腕組みする。
「ずいぶんと変わったな、ここの仕組みも」
 バッタは今より三回ほどの前の大会の時、一度「この世界」にやって来ていた。当然リンクともその時からの知り合いである。
 当時のリンクはバッタの大人時代の姿になっていたため、初めて会った時は相当警戒されたものだ。今ではこちらの見た目が変わったこともあり、ずいぶん穏やかな関係になった。
「そうですね。バッタさんがいた頃の大会からファイターの数も倍以上に増えましたし、こういうシステムでないと対応しきれないでしょう」
 以前の食事風景を思い出す。今振り返ると施設自体の整備も進んでおらず、全体として牧歌的な雰囲気が漂っていた。大乱闘自体は当時から変わらず本気の戦いだったけれど。
「お前はもう『あれ』は作らないのか」
 不意にバッタが問いかけた。「あれ、とは?」と首をかしげ、しばらく考えて思い当たる。
 リンクが答えようとした時——
「私もその『あれ』っていうの、気になるわ」
 突然二人の間に可憐な声が入ってくる。ぎょっとして振り返ると、ゼルダ姫が腰に手をあてて立っていた。
「どうしてあなたがここに?」
 思わず刺々しい声を出してしまった。「そんなに警戒しなくってもいいじゃないの!」とゼルダはふくれっ面になる。
「王族は別室で食事を摂ると聞いたのだが」
 バッタが冷静に指摘し、ゼルダは肩をすくめる。
「そうよ、毎食フルコースだってアフタヌーンティーだって思いのまま。でも飽きたの、そろそろ別のものが食べたいの!」
 ゼルダは掲示板に書かれた「定食」というこの世界独特のメニューを眺め、舌なめずりしている。
「ここは庶民が羽を伸ばせる唯一の場所ですから邪魔しないでください」
「そんなの気にしてるのはリンクだけでしょ」
 にらみ合う二人に、置いていかれた形になったバッタが口を挟む。
「なら、『あれ』の出番だろ。お前だってずっと作らないと料理の腕がなまる」
「えっもしかしてリンクがご飯つくってくれるの?」
 ゼルダは目をキラキラさせた。予想外に大きな声があたりに響き、リンクは慌てて食堂の中を見回す。
 食いしん坊どもにバレたらどうなることか。少なくともピンク玉がそばにいないことを確認して、ほっとする。
「……分かりました。そこまでバッタさんに言われたら仕方ありません。明日のお昼は私が作りましょう」
 バッタたちは満足気にうなずきあう。リンクは「ただし」と付け加え、にこにこしているゼルダに視線を突き刺す。
「今日は食堂での食事は諦めてください。あなたがいると目立ちすぎてしまいます」
「仕方ないわねえ。明日、期待してるからね!」
 ゼルダはスカートを翻して食堂から出ていった。入れ違いでやってきたファイターが不思議そうに後ろ姿を見つめる。
 やっと一息つけたという心地で、券売機(代金は必要ないのだが)の前に移動した。
 ボタンを押すと食券が出てくる。それを持って座席で待っていれば、番号で呼び出しがかかるシステムだ。なんとなく泥臭いやり方で、もっといい仕組みがありそうなものだが、「このちょっとレトロな感じがいいんだ」とマスターハンドが主張したらしい。
 バッタも注文を済ませ、リンクの真向かいに座った。
「お前はあの姫と仲がいいんだな」
 途端にそう言われた。今まで複数人から指摘され続けているため、リンクももはや認めるしかなくなっている。
「みなさん、そんなに私があの人といるのが珍しいのですか」
 ふてくされた声色になってしまった。バッタは茶化す気配はなく、言葉を続ける。
「というよりも、お前がああいう対応をしているのを、皆あまり見たことがないんだろう。特にゼルダ姫に対してはな」
 その通りだ。リンクはあの神代の姫がやってきてから、調子が狂いっぱなしだった。そもそも最初は苦手だと思っていたし、今でもある意味ではそうだ。
 彼女といると問答無用でそのテンションに巻き込まれる。あの妙な約束といい、のこのこついていったらリンクが想像もできないような境地に連れて行かれそうな気がする。そうした困惑が表に出てしまっているせいで、散々「珍しい」と皆に言及されているのだろう——
「おい」
 目の前でバッタが不審そうな顔をしている。何度か呼びかけられていたらしい。窓口の上を見ると自分の番号が出ていたので、リンクは慌てて食事を取りに向かった。
 カウンターに用意されていたお盆の上では、よく焼き色のついた白身の魚が湯気を立てている。席に戻ると、たまたま同じものを注文していたバッタが待っていた。
 二人は黙々と食事を平らげた。どちらも多弁な方ではないので静かな食卓になる。
「それにしても」ほとんど食べ終えてから、リンクは話を切り出した。「バッタさんが『あれ』をそこまで気に入ってくれていたとは思いませんでした」
「ここに来たら急に懐かしくなってな。それに……」
 バッタは空になった皿に目を落とす。
「昔は食事など何が楽しいのかあまり分からなかったが、今は少し違う気持ちになっているようだ」
 この世界だけでなく、バッタにもあれから時間が流れた。彼のハイラルで何か大きな変化があったのかもしれない、とリンクは推測した。



 翌日。マスターハンドに頼んで予定を空けてもらい(理由を話すと面白がって融通を利かせてくれた)、昼前からリンクは共用の厨房を占領した。自炊したがる者のために施設内には小さめのキッチンがあり、隣に食事スペースがくっついていることを彼は知っていた。調理器具は一通り揃っているどころか、リンクにはまるで使い方が分からないものもあるレベルで充実している。
 そういえば息吹の勇者は料理好きだったはずだ。リンクはそこまで好きではないが、久々にこういう時間を持つのは悪くないと思えた。食材の用意からはじまり、ひたすら効率のいい調理の順序を考えながら体を動かす。なかなか集中力が必要な作業だ。この感覚は大乱闘にも応用できるかもしれない。
 リンクは料理の醍醐味を感じながら一通りメニューを完成させた。お盆を持ってバッタたちの待つ隣の部屋に向かう。
「ふうんなるほどね。そういうやり方もあるのか」
「まだ仮説だからなんとも言えないが、可能性はある」
 ゼルダとバッタの二人は何やら真剣な様子で話し合っていた。リンクは入り口で立ち止まり、割り込むべきか逡巡する。
「あっもうできたのね。そんなところにいないで早く持ってきてよ」
 料理人の姿を見つけたゼルダがいち早く手を挙げた。リンクは変な気配りをして損をした、という気分で足を運ぶ。
「どうぞ」
 二人の前にお盆を置いた。食器は木でも陶器でもなく、すべて合成素材のつるつるした質感でできている。ゼルダが物珍しそうに観察した。
「へええ、これってあれでしょ、健康のお姉さんが言ってたやつ。和食だったかしら」
 リンクはうなずいた。
「このスタイルは給食というものですね。はじまりの世界の食事らしいです」
 主食として、炊いたコメが椀に入っている。その隣には出汁のきいた汁物。そして奥側には、段差で仕切られた一つのプレートの中に、メインである豚肉の照り焼きと鮮やかな野菜の和え物、デザートとしてくし形に切ったオレンジが盛られていた。
 瞳を輝かせるゼルダに、心なしかほおを緩めるバッタ。その反応に満足し、リンクは自分の分を用意して席につく。
「いただきまーす」
 真っ先に手を合わせたゼルダに続いて、他の二人も食器に手を伸ばす。本来の和食とは違い、さすがにナイフやフォークを使って食べる。
「うん、いけるわね。素朴な味って感じでいいわ」
 一口コメを頬張ったゼルダは気に入ったように何度もうなずく。
「米食は息吹のハイラルにも存在する習慣らしいですよ」
「へえ、そうなの。バッタくんのハイラルにもあるの?」
「俺はこの世界に来て初めて知った」
「でもわざわざリクエストするくらいにはお気に入りなのね」
「まあな」
 食事のペースは三人それぞれ違っていた。ゼルダはもちろん礼儀作法を守っているため遅めだ。普段の振る舞いと違ってお行儀よく食べていく。ナイフの扱いがどこか不慣れな様子のバッタとは対照的だった。
「昔はこうやってファイターが自分たちでご飯作ってたのよね」
「俺が前に来た時もそうだったな」
「さすがに人数が増えたので、メニューを考えて食材を用意するだけで負担が大きすぎますから。だんだん移行を初めて、前回大会には完全に現在のシステムになりました」
 一番最初、十二人しかいなかった頃は持ち回りで食事をつくっていた(ただし料理がどうしても不得意なものに無理強いはしなかった)。今回リンクが披露したのはその頃に覚えた技術だった。食事を提供した相手の反応を直接目にするのは、独特の面白さがあったものだ。
 ゼルダは白い液体の入った瓶を持って首をかしげる。
「でも、なんで飲み物がミルクなの?」
「これが伝統的なスタイルだとマスターハンドに言われました」
 正直リンクにもあまり理解できない趣味である。ゼルダは懐疑的だ。
「ご飯の味と合ってるのかしらね」
「いいだろ、ミルク。この世界のものは特に新鮮さにおいては間違いない。保存技術も進んでいる」
 バッタはそう断言してごくごくと飲み干す。ご飯を食べている時よりもスピードが早い気がする。
「……バッタくんってやたらとミルク飲むわよね。アピールでも飲んでるし」
「何が言いたい」
 眉をひそめたバッタに、ゼルダが指を突きつける。
「分かった、背を伸ばしたいのね! それで、きっと誰かの背丈を追い越したいんだわ」
「なっ……」
 バッタは分かりやすく絶句していた。まさか図星なのか、とリンクは驚く。
 以前の彼はそこまでミルクや背丈にこだわっていただろうか? 全く思い出せない。
 バッタを動揺させるだけさせておいて、ゼルダは悠々と食器を置いて、自分で用意していたテーブルナプキンで口元を拭った。
「おいしかったわ、ごちそうさま」
 その言葉はまんざら嘘でもないらしい。肥えた舌にはいまいちだった部分は確実にあるだろうが、実際彼女は終始楽しげに食べていた。
「私の勝手な頼みを聞いてくれてありがとう、リンク」
 やけに素直に感謝されたので、どきりとする。
「いえ、こちらこそ……久々に料理ができて良かったです。これから何度か作ってみようかと思いました」
「なら私もクッキー焼く!」とゼルダは何故か張り合ってくる。
「俺は食べる方専門だな」
 そううそぶきつつ、バッタはくすりと笑っていた。
 以前の——黄昏のゼルダ姫なら、こういうわがままは絶対に言わなかっただろう。あの頃はそれが当たり前で、何も疑問はなかった。しかし今回はたまたまこのゼルダ姫が来て、リンクたちと一緒に給食を囲むことになった。
 おかげで懐かしい思い出に浸ることもできた。このゼルダといると不用意に心乱されることも多いが、決して受けるのは悪影響ばかりではない。
「そういえば、うちハイラルの『あの子』もけっこう料理上手でね。私が忙しい時にお菓子の差し入れをしてくれたのよー」
 ゼルダのにやけた口からいつもの自慢がはじまり、リンクは唇を閉ざす。にわかに不機嫌になった彼に、バッタは憐れむような視線を向けた。
「……次は甘いものか」
「つくりませんよ、絶対」
 つんと顔をそらしたリンクに気づき、ゼルダは不思議そうにしていた。

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