南天

 なんで。なんで、オレがこんなことしなくちゃいけねえんだ。
 きっとリンクは、心の中でこう叫んでいるのでしょう。「不機嫌」と顔に書いてあるのも同然でしたから。
 神の汽車を操る手つきはいつも通り、惚れ惚れするほどきびきびしています。標識を確認して(ときに記憶に頼って)加速し、レールを切り替え、汽笛を鳴らし、場合によっては大砲を起動させます。その動作は切れ目がなく、時として律動的です。蒸気機関の刻むリズムに乗っているようで、音楽性すら感じました。どうしてリンクは大地の笛の演奏が苦手なのでしょうか、理解に苦しみます。
 このように、機関士さんとしては非常に優秀なのですが。簡単に思考が読みとれてしまうのは、その大きな瞳に宿る緑の炎が静かに灼熱しているからでしょう。
 私たちはここのところ、機会があるごとに海の大地と森の大地を往復しています。海の大地にある「パプチアの村」に住むとある女性に頼まれて、彼女好みのお見合い相手を捜しているのでした。
 ちょうど条件と釣り合うかのように。森の大地の「サクーヨの村」では、晩婚化をくいとめるため、村の働き手たちのお嫁さんを募集していました。リンクはこれ幸い、と二つの村の連絡係を引き受けます。長い長い奔走が始まりました。
 パプチアの女性の好みは「鼻が大きく、髭が生えていて、男らしい方」。二人で悩み抜いて、ぴったり条件と合致する男性を連れて行きました。しかし、なんと男性の方が、「相手の女性の顔が気に食わない」という理由で却下してしまいました。パプチアの女性は大変なショックを受けていて、顔色をうかがうのも辛かったことを覚えています。
 ——初めてのお見合いが失敗に終わったその日、パプチアからの帰り道のことです。
「顔とか見た目とかって、そんなに重要なもんかねえ」
 汽車を走らせ、村が地平線の彼方に消えた頃。ため息とともに吐き出されたリンクの声は、肺に溜めていた悪い空気を絞り出すかのようでした。先ほどのことを思い煩っているのが伝わってきます。
 私も同様に、釈然とない気持ちを抱えていました。
『理想の容姿の方は、素敵かもしれません。しかし、それよりも私は気の合う方とお付き合いしたいです』
 胸の内をうまく言の葉に乗せられたかしら。
「だよな。オレもそう思う。思うけど……」
 リンクはもやもやを払いきれない、複雑な顔をしていました——。
 回想が終わりを告げた直後、汽車はサクーヨの駅に停車します。
 双方の都合を満たす男性を見つけるのにうんざりしたリンクが、片っ端から村人を引っ張っていったので、選択肢はとうとう唯一になってしまいました。相手の立場上避けていたのですが、仕方ありません。パプチアの女性に約束した手前、やり遂げる決意も意地もあります。
「じゃ、村長のところに行ってくる」
 最後の一人は、サクーヨの村の長でした。彼がいなければ村は困ってしまうけれど、背に腹は代えられません。それに、お見合いがうまくいっても、こちらで暮らすことだって可能ですもの。村を出るのは一時のことです。
『お気に召してくださるといいですね』
 リンクは神妙な顔でうなずきました。
 程なくして連れてこられた男性は、三つの特徴すべてに合致する方でした。たくましい鳩胸、重厚な三角のお鼻、顎を覆う白い髭。この方ならば、きっと大丈夫でしょう。なで下ろすべき胸はないけれども、私はほっとしました。
 早速リンクが客車に案内しようとしたところ、村長さんは、
「本当にお前さんが機関士なのか?」
 首を傾げていぶかりました。仕方もありません。なんと言っても彼は、史上最年少で機関士試験を突破した正真正銘の天才ですから。私だって、任命式で顔を合わせたときはびっくりしたものです。
 このようなお客さんには慣れたもので、リンクの対応はクールでした。ハトのマークが白く染め抜かれた帽子を取り出したのです。
「これで分かっただろ? さ、客車に乗ってくれ」
 国家に認められた正機関士である証をはすかいに被って、運転席に立ちます。目を丸くして客車に乗った村長さんは、狐につままれたような心地でしょう。
 魂である私はふわりと汽車を飛び出しました。屋根に乗って線路の旅を楽しもうという魂胆です(魂だけに、というわけではありませんよ。念のため)。
 リンクはまだ、割り切れていないようでした。



「こんなに素敵な人が見つかるなんて。まるで夢のようだわ!」
 きらきらした光が、感激に満たされたパプチアの女性から立ち上りました。黄金の三角を形作っていきます。
 人々の感謝の気持ちが形になった、その名も「フォース」です。これこそが、失われた線路を復活させる鍵でした。これを手に入れれば石版が輝き始め、大地に新たな線路が現れます。
 そう、お見合いは無事に終結したのです! でもリンクは浮かない顔。実は私も同感でした。
「うふふ、幸せ……。大ババ様の言葉を信じて本当によかった」
「むふふ、おぬしのおかげで幸せな生活を送れるよ」
 たくましい村長さんは、幸福そうに女性の肩に手を置きました。この海辺の村では、大ババ様と呼ばれる女性の占いが、信仰の対象なのです。彼女はその占いを受けて、今回のお見合いを発案されたのでした。
 何はともあれ、やっと肩の荷が下りたことは事実です。リンクはお礼を聞き流しながら女性の家を後にしました。
 神の汽車に乗り込み、路線図を指でなぞります。数え切れないほど書き込みされたマップは、くたくたのよれよれになってしまっています。
「そういえば、この村から北に線路延びてたっけ。まだ行ってなかったよな」
『あの方向は……途中に小島がありましたよね』
 海の上を走ると、やがて小島の上に寂しく佇む一つの駅にたどり着きました。予想通りです。下車してみると、何の変哲もない土地が広がるばかり。あたりには不気味な静けさが漂っています。カモメの鳴き声も遠く、なんだか草木まで息を潜めているようです。山肌には、天然らしき洞窟が真っ暗な入り口を見せていました。
『あれは何でしょう』
 岩場に身を隠すように、一隻の大きな船が寄せられていました。太いマストが空に向かって突き出しています。船体のドクロマークに見覚えがありました。
「あの印、海賊船か!」
 ということは、ここは海賊のすみかです! あの怪しげな洞窟が根城なのでしょう。
 ふっと苦い思い出が頭をよぎりました。以前ロコモ族の賢者・センリン様を海のホコラまで送り届ける途中、海賊船の襲撃に遭ったのです。
 あのときは大変でした。客車の窓が破られて、次々と海賊が攻めてきて……。その際、乗客であるセンリン様が危険にさらされ、しかも愛する汽車を傷つけられたことを、小さな機関士さんは相当根に持っています。
 いつしか、リンクは人の悪い笑みを浮かべていました。
「パプチアの村から、誰かが海賊にさらわれたって話だったなあ。いい機会だ。リベンジ挑むか」
 もう頭の中はアジト突入のことでいっぱいのようです。頭の回転の速い彼は、一瞬で結論を下しました。
「小細工抜きで、正面から堂々と。これしかないっ」
『待ってください! 海賊たちは男性をさらっているのですよ、もしあなたまで——』
 なんとか止めようとしたのですが、リンクはまともに取り合ってくれません。
「心配すんな。センリン……さま、の時はオレ平気だったし。ま、剣の腕はまだまだシロクニ師匠にも及ばないけどさ。いい加減信用してくれよ」
 言いながら、帽子を見習い兵士のものに替え、グローブを脱ぎ、兵士の剣を鞘から抜きました。
「行くぜ」
 ついていくしかありません。リンクの緑の帽子に、(いわゆる)魂の姿になって入りこみます。
 どうして私には、ただ彼を応援することしかできないのでしょうか。ご先祖様たちは、どうしてこの無為に耐え、待ち続けることができたのでしょうか。なぜ私はリンクの助けになれないのでしょうか……。
 自覚しているように、彼はそこまで戦い方に抜きんでているわけではありません。シロクニは機関士における師匠でしたが、剣術というもっとも得意な分野でリンクに稽古をつけたことはなかったようです。ですから、神殿探索が終わってみれば、機関士として大切な体はボロボロ、なんてことはしょっちゅうでした。
 神の塔ではファントムによって手助けできますが、いざ行動するとなると、彼の指示に頼りきっているのが現状です。リンク自身は歯牙にもかけていませんし、私が気に病んでいることが露呈すれば、かえって負担になるかもしれませんが……。乙女の悩みって、なかなか一筋縄ではいきませんね。
 それはさておき、海賊のアジトに突入です。薄暗い洞窟の中には、悪魔みたいな格好をした小さな魔物がうじゃうじゃいました。それでもネズミよりはましだと思えます。それらを適当に伸しつつ進むと、やがて鉄格子を見つけました。向こう側には人がうずくまっています! 一人の男性のようです。
「そこの奴、無事か。助けにきたぜ!」
『待ってくださいリンク、ここで大声は——』
「あっ」
 元気づけるために張り上げた声が仇となって、いよいよ海賊たちに見つかってしまいました。
 魔物が仕掛ける攻撃や、投げてくる檻(!)をかいくぐりながら、弓を射まくります。弓の腕にも自信がないので、とにかく数で勝負です。「下手な鍛冶屋も一度は名剣、ってやつか?」とリンクは皮肉りました。
 増援の切れ目ができた隙に、鉄格子の錠を剣の柄で叩き壊します。
「よし、今のうちに逃げよう!」
『あれが使えませんか!?』
 私は近くに放置してあったトロッコを指さしました。リンクが力強く頷きます。男性と二人で乗り込むには十分な大きさです。
 追っ手を撃退しながらトロッコで走り続けると、やがてレールの先に出口が見えました。思わず浮き足立ちます。足は元から浮いていますけど。
『ああっ!』
 出口の光を遮るあのシルエットは。センリン様の時にリンクが苦戦を強いられた、憎たらしい海賊のボスです! ゴールの目前に立ちふさがっています。私はあるはずのない唾を飲み込んでしまいました。ボスの手には、見るからに物騒な金棒が握りしめられています。危ない……!
 うっかり半恐慌状態に陥ってしまったようで、それからはあまり記憶が残っていません。気がつけば、潮風の吹く屋外に出ていました。少しだけ太陽が傾いています。
「ふう……。ゼルダ、大丈夫か? このまま超特急でパプチアにとんぼ返りするぜ」
『りょ、了解です!』
 助け出されたのはよく日焼けした男性でした。彼は不思議そうに、中空に向かって囁くリンクを見つめます。私のせいで彼が奇異の目で見られる度、心に透明な破片がグサグサ突き刺さるようです。
 ですが、リンクにも男性にも大した怪我はないので、ひとまずは安心することにしました。
 男性を客車に乗せて、神の汽車は一目散に南へと走り出します。すぐに左舷後方から大砲の玉が飛んできました。海賊船が迫ってきたのです。
「やっぱり追っ手がきたな」
 こちらも応戦の準備に入ります。大砲を打つのは私の仕事でした。神の汽車はその御業のおかげか、魂の私でも多少の操作ができるのです。それに、いくらなんでも運転手たるリンクが、広範囲を見渡さなければならない迎撃任務を兼任できるわけありませんもの。
 命を傷つける行為は心が痛みますが、こちらだって必死なのです。あ、でも、見事に相手を撃沈できると、ちょっぴり快感なのはみんなにナイショですよ。
 当たりどころがよくて、取り巻きの二隻はすぐに海の藻屑となりました。残りは、一番大きな親玉だけです。
 限界まで汽車のスピードをあげたリンクが叫びます。
「もうちょっとだ、耐えてくれ!」
 期待に応えたい。その一心で私は目を凝らして焦点を絞り、大砲を放ちました。命中——しました!
 ひときわ大きな爆発が巻き起こり、敵の帆船はぐらりと傾ぎました。一拍置いて、真っ黒な煙が立ち上ります。
『やりました!』
 歓声を上げれば、振り返ったリンクと目が合います。触れることはできないと分かっているけれど、私たちはハイタッチの仕草をしました。
 勝利の余韻に浸りつつパプチアの駅に滑り込みます。しかし、待っていたのは最悪の事態でした。
「送ってくれてありがとう。じゃあ、家に帰るよ」
 感謝の気持ちであるフォースをリンクに渡してから、男性が向かった先は。
「あの家は」
『もしかしてっ』
 私たちは急いで彼の後を追いかけました。すっかり足に馴染んだ道のりを辿ります。嫌な予感は当たってしまいました。
 アジトから連れ帰った男性は、例のお見合い相手を募集していた女性の、夫だったのです。
 もちろん奥さんの方はサクーヨの村の村長と、うふふむふふな甘い生活を営んでいます。そこに、誘拐されていた配偶者が飛び込んでも——あとは分かりますよね。それはもう、肺を圧迫されるような苦しい出来事でした。
 私は黙って推移を見守るしかありません。でも、「彼」は違います。新生カップルに、夫がすげなく放り出されそうになった刹那。
「オイ、ちょっといいか?」
 両方の事件に関わっていたリンクは、自ら修羅場に飛び込みました。鋭い舌鋒とともに。
 最初の矛先は妻である女性でした。
「なんでだよ! 見た目がよければ何でもいいのか。たかが占いが絶対なのか!?
 はじめはそういう考え方もあるかもしれない、って思ったけどな。こんなの、絶対におかしい!」
 ずっとくすぶっていた怒りは、露わになったとたんに、文字通り火を吹くような勢いを持ちました。緑の瞳がメラメラと燃えているようです。完全に目が据わっています。
 最早誰も一言も挟めません。ぐるっと彼の頭が回り、新たな標的を見つけました。
「あんたもだよ村長。なんで村をまとめる立場の人間が、大事な仕事放り出してイチャイチャしてやがる! 上に立つ者にゃ、簡単に放棄できない責任ってもんがあるだろが!」
 私はよおく知っていました。こういう時のリンクは、ハイラル一といっても過言ではないほど、すこぶる舌が回るのです。
 当然彼は、もとの鞘に収まることを諦めかけていた、最後の一人にも腹を立てていました。
「で、てめえだ。旦那さんよ。もっと怒ってみろ! お前らの結びつきってそんな弱いものだったのか? じゃあなんで結婚したんだ。いっぺん独身時代から人生やり直しやがれ!」
 怒号に耳を傾けつつ、私は驚いていました。苛烈な弁の内容は、心の奥底でわずかでも私が思っていたことと、ほとんど同じだったのです。もっとも、表現はこちらより百倍キツいものでしたが。
 ここでリンクの息継ぎタイムが発生します。私は素早く三人を見回しました。反応は三者三様でも、共通して顔面は蒼白です。わなわなと体を震わせる者、俯く者、言い返そうとして口をぱくぱくさせる者。
 反撃の先鋒として、女性がヒステリックに叫びます。
「部外者は口を出さないで頂戴! この村じゃ大ババ様の占いは占いじゃないの。さだめなの、運命なのよ!」
 これに乗じて村長も口を開きかけましたが、リンクは反論を許しません。
「へいへい。その運命とやらを信じて、妙な商法にひっかからねえようにな。
 オレの最後の老婆心を使うなら。なんであんたがそいつと結婚したのか、よく考えてみることだ。
 もうオレは知らねえから。あばよ」
 バタン! と勢いよく扉を閉めて、反駁をシャットアウトします。まこと厄介なことに、こういう引き際のタイミングを読むのも上手なのです。
 家の中での喧噪が嘘のように、パプチアの村はのどかでした。肩で息をして、リンクは私から顔を背けます。
『リンク……』
「言いたいことは分かってるさ」
 機先を制されてしまいます。あの怒りには、ほんの少し演技も含まれていたのでしょう。すでにその声はいつもの冷静さを取り戻していました。
「でもな、もうぶちまけなきゃ気が済まなかったんだよ。
 ——オレらしくは、なかったかもな。疲れてイライラしてたし。ゼルダだってがんばってくれたのに、悪い」
『私のことはかまいませんよ』
 正直に白状しますと。立場からも性格からも現状からも、私には絶対に口に出せない言葉がぽんぽん投げつけられる光景には、胸のすく思いでした。こんな時のリンクは、とっても男らしいのです。
 と、こちらは晴れやかなのですが、彼の心境はもっとこじれているようです。
「愛は勘違いだなんて言うけど……ほんと、何なんだろう」
 全身から立ち上っていた炎は鳴りをひそめ、その瞳には穏やかな海が映っています。
 私にもリンクにも言えることです。書物で得た知識は、肝心な時に役に立たないのでした。
「大きくなったら、分かるのかな」
 身を焦がすような、愛しいという感情が。理解できる日が来るのでしょうか。



 後日、諸用でパプチアの村を訪れると。
「あ、あの時のにいちゃん!」
 海賊にさらわれていた男性が近づいてきました。リンクは身構えます。が、男性はにこにこ笑顔で、警戒心は吹き飛ばされてしまいました。
 彼は深々と頭を下げてから、とうとうと語り始めます。
「その節は、ありがとうございました。あの後女房と話し合って……よりを戻すことになったんです。結婚した頃を思い出せっていう機関士さんの話に、えらく影響されたようで。
 サクーヨの村の村長さんは、村を発展させる責を果たすとおっしゃって帰られました。彼とはいい友達になりましたよ」
 一気にまくしたてられて、しばらくリンクは呆然としていました。私だってそうです。言葉をゆっくり反芻して、やっと「どうやら信じられないほど、ことが丸く収まったらしい」ことが分かりました。
 男性は余程嬉しいのか、笑みを崩しません。
「この後、お時間ありますか? 是非うちに招待させていただきたくて」
「え、いや、今はちょっと」
「残念です。いつか、是非!」
 熱のこもった握手を交わしてから、男性は去っていきました。私たちは目を丸くします。
「あの暴言が裏目に出ないなんて……奇跡だ」
『”難を転じて福となす”ですね』
 しみじみとしているリンクに、私は微笑みました。人知れず王国のために精を出している彼ですもの、このくらいのご褒美はあってもいいですよね。

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