走馬灯のように/希望する人

走馬灯のように 1


「本当に、こんなに広い大地があったんだねえ!」
 テトラの興奮した声が、幾度も反響しながら螺旋階段をかけ上がっていく。
 傍らにいたリンクは苦笑して、彼女の手を引いた。
「ぼくが先に行っていいかな。幽霊船の時みたいなことがあったら、困るから」
「ちえっ」
 眉間にしわを寄せて、テトラは渋々道を譲った。
 心躍るのも仕方ないだろう。悲願だった新大陸を、ついに発見したのだから。
 水平線が地平線になったあの瞬間、海賊船から上がった歓声は忘れられない。遠く懐かしい海の世界から抜けだし、二人は長い長い航海の末に、新天地へとたどり着いたのだ。
 上陸すれば、そこはどこまでも続く緑の大地だった。想像以上のスケールに、リンクたちはひたすら圧倒された。
 穏やかな草原のようだが、どんな危険が潜んでいるのか見当もつかない。と彼が強く主張し、一行は武器防具の準備は怠らなかった——が、いくら歩いても一匹たりとも魔物に出くわすことはなかった。
 むしろ利点ならいくつもあった。豊かな緑と真水、家畜になりそうな野生の動物。おまけに人里は見当たらない。移住先として、これ以上の好条件はないだろう。
 ただ、歩き続けるうちに不可解なものを目にした。そこかしこの地面に、おかしな線が引かれていたのだ。その線は、二本の金属の棒と、それらをつなぐ木の板で構成されている。例えるなら、トロッコのレールに近かった。
 新大陸の調査を進めるにあたっては、この謎の解明が不可欠だろう。リンクとテトラは他の海賊たちに別の仕事を与え、大地の中心にそびえる大きな塔に向かった。無数に引かれた線の終着点が、ここだったのだ。
 そして、塔の内部には長い螺旋階段があった。
(神の塔と雰囲気が似てる……)
 リンクは吹き抜けを見上げる。内装のせいか、雰囲気のせいか、海の上に立つあの塔を思い出させた。
 一階層分ほど上り詰めると踊り場に着いた。内部へ進入できそうな入り口があったが、扉によって閉ざされている。
「何かの紋章がついてる。どうも、封印されてるみたいだね」
 扉を調べ、テトラは鋭く指摘した。いにしえの血が覚醒してからは呪術にも手を出すようになったらしく、リンク以上の知識が飛び出ることもしばしばだ。
「へえー」
 リンクは何の気なしに、扉にふれ——ることはできなかった。
 接触する寸前、扉が消え失せてしまったのだ。最初から何もなかったかのように。
「あれっ?」
「やるじゃないか。さ、行こう」
 戸惑うリンクとは対照的に、テトラは躊躇なく踏み込んだ。このあたりの行動力と度胸は、まさしく海賊根性である。
 と。
「待ちなさい」
 静かな、低いしわがれ声が背後で響く。雷に打たれたようにリンクは振り向いた。素早く剣を抜きながら。
 踊り場には、薄紫色の髪をした老婆がいた。




希望する人 1


 ゼルダは、朝から気分が高揚していた。
 城の兵士が六人がかりで、大きな机を彼女の執務室に運び込んだ。古くて重厚で、胡桃色をしたいい木を使っている。
「これが、おばあさまの机……」
 初代女王テトラが愛用していたという執務机が、この度彼女に与えられることになったのだ。テトラ女王は有事の際、この上に足を乗せて指揮を執ったという伝説が残っている。
 ゼルダはうっとりと天板をなでる。表面はひんやりしていた。
 昔から、この机を使って仕事をするのが夢だった。一国の王女ならば何でも簡単に手に入るものと思われがちだが、そんなことはない。たった一つの机を譲り受けるため、どれだけ親に掛け合ったことか。
「引き出し、開けてもいいですよね!?」
 去り際の兵士は、苦笑いしてうなずいた。
 金の縁取りがついた引き出しを、そうっとスライドさせる。ゼルダの細腕には机の一部分でさえずしりと重たかった。引き出し自体の重量もあるが、この中には数々の書類が当時のまま保存されているのだ。
「あら、これは」
 整理された書類の間に、無造作に挟まれた小さな紙切れを見つけた。手に取ってみる。古ぼけて、セピア色がかった写し絵だった。所々色は残っているので、カラー撮影したことが伺える。
 ゼルダは写し絵に釘付けになった。背景は、真っ青な(はずの)空。隅に見える山から高所だと仮定すると、城のどこかで撮ったのかもしれない。中央では、十人ほどがポーズを取っていた。和気藹々とした雰囲気が、写し絵越しにも伝わってくる。
 真ん中を飾る人物は、もちろんテトラ女王だ。有名な海賊の子分たちがその周りを囲んでいる。初等教育を受けていれば、ハイラルの誰でも暗唱できる名前。セネカ、モッコ、ズコ、ナッジ——このシロクニそっくりの人はゴンゾだろう。若かりしころのニコもいる。
 そして、テトラの隣に写っているのは。
 思わずゼルダは瞬きをした。
「リンク?」



「うわっほんとだ。オレがいる」
 リンクは薄気味悪そうに顔をしかめた。すすだらけの眉間が、くしゃっと歪む。
 ちょうど、彼は城の車庫に入って汽車の整備をしているところだった。使いをやると、リンクはそのままの格好で登城した。真っ黒になったつなぎのまま、である。
 執務室に招き入れたゼルダはしばらくそんな彼を見つめ、絹のハンカチを取り出してリンクの顔を拭った。
「なっ何だよいきなり」
「せっかくの男前が台無しです!」
「そんな台詞、誰から教わったんだ」
「実はシロクニから」ゼルダはころころと笑った。
 リンクはほんの少し目を泳がせ、
「で。この写し絵、いったいどうしたんだよ」
「今日、おばあさまの机を私が譲り受けたんです。そうしたら引き出しの中に」
「テトラ女王の机か」
 建国百周年を過ぎた今になって、日の目を見たわけである。
 改めて例の一枚に目をやる。写し絵の中の人物と、目の前のリンクは、比べれば比べるほど瓜二つだった。
 ゼルダは写し絵を指さして、
「生き別れのご兄弟ですか?」
 二秒ほど無言の時間が流れる。
「……冗談だよな?」「当たり前です!」
 両者の間にひとつ違いがあると言えば、服装だ。リンクは赤い正機関士帽につなぎを着ているが、「彼」は緑を基調としたなじみのある姿をしていた。
「どう見ても、着てんのは兵士の服だよな。じゃあ一般兵か」
「まさか。この面々に普通の人が混じるなんて、あり得ませんよ」
 開拓者たるテトラ海賊一家は教科書に載るレベルである。無名の兵士が、女王の隣に立てるはずがない。
「だよなあ。うーん、ここで悩んでても仕方ないか」
 リンクは手袋をポケットにしまうと、出し抜けにゼルダの手首を掴んだ。
「きゃ!?」
「俺を呼ぶくらいだから、時間あいてるんだろ。モヨリ村まで行ってニコに直接訊いてみようぜ」
「は、はい」
 ゼルダは掴まれた手首に、じんわりとした熱を感じていた。
 実は、リンクも同じ現象を味わっていたりする。




走馬灯のように 2


「待ちなさい」
 声の主が老婆と知って、リンクはすぐに剣をおさめる。もちろん、完全に警戒を解いたわけではない。
 すっとテトラが前に出た。すれ違いざまに、素早く会話を交わす。
(いくら海賊だからって、喧嘩腰はやめてね。まずこっちから名乗るんだよ)
(わかってるって)
 修羅場における胆力なら断然、彼女が上だ。腰に手を当て、テトラは「演技」に入った。
「私はテトラ。こっちはリンク。遠い遠い場所から、海を越えてやってきたんだ」
「海の向こう——もしや、海王の領域の者か?」
 はっと息をのむリンク。テトラは表情を崩さず、
「海王のことをよく知ってるね、でも残念ながらはずれだ。遙かな昔、ハイラルって呼ばれてた海からさ」
 老婆は顎に手を当て、考え込むそぶりをする。テトラの背後から、リンクは注意深く様子をうかがっていた。
 二人の数倍は年齢を重ねているといえども、老婆の眼光が鈍ることはない。
「何が目的で、ここに来たのじゃ」
「地面にひかれた線の調査のためだよ」
 即答しつつも、テトラは慎重に言葉を選ぶ。嘘は言っていないが、それは真の目的ではない。こういう腹のさぐり合いが苦手だから、リンクは彼女に交渉を任せたのだ。
「あれは『線路』というのじゃ」
「センロ?」
 聞き覚えがない単語だ。二人そろって、頭に疑問符を浮かべる。
「そうじゃ、あの上を汽車が走る」
「き、汽車……」
「なんと、汽車も知らんとは。ずいぶん文明レベルが低い土地からきたようじゃな」
 せせら笑う老婆に、テトラはかちんときた。そういえば、かつて蒸気船も分からずラインバックに驚かれたこともあった——とリンクは回想してから、テトラの背中を小突く。
(挑発に乗らないでよ!)
 彼女は怒りのままに叩きつけようとした台詞を、すんでのところで飲み込み、
「……残念ながら、その通りだよ。うちの技術じゃ帆船が手いっぱいさ。だから、その線路とか汽車ってのがどういうものか、教えてくれないか」
「なぜ教える必要があるのじゃ」
「それは」
 テトラは絶句した。潮時を悟ったリンクが代わりに口を開く。
「ぼくらは、この大地に移住したくて海を越えてきました」
「ちょっとリンク!」これでは目的をぼかそうとしてきた今までの努力が、台無しではないか。
 当然、老婆は眉をひそめた。リンクは諦めずに言葉を重ねる。
「今まで暮らしていた海は、もう住めなくなるんです。見たところ、この土地は無人ですよね。魔物すらいない。探していた条件に、ぴったりなんだ」
「当然じゃ、ここは天上のお方が創造されてからこのかた、ずっと神のための土地だったのじゃ」
「神様のため、ですか」
 つまり、神やこの老婆が大地を独り占めしているということだ。こんなに広いのだから、少しくらい分けてくれてもいいのに、と子供たちは思ってしまう。
 老婆はリンクに刺すような視線をとばした。
「お主は何者じゃ。どうやって封印を破った?」
 先ほどリンクが触れた扉について言及しているのだろう。反射的に左手の甲を押さえる。今は空っぽなその場所を。
 テトラは自棄になったように首を左右に振った。
「もういい、洗いざらい吐いちゃうよ。私はハイラル王家の血を引いていて、よくわからないけど不思議な力を持ってる。で、リンクはハイラルの神に選ばれた勇者だ」
 荒唐無稽だと笑い飛ばされる可能性もあったが、老婆は納得したようだ。
「そうか、異常なフォースを感じるかと思えば……」
 フォースとは、トライフォースのことだろうか? しかしあれは海に沈んでしまい、テトラにもリンクにも宿ってはいない。
「どうしても、無理ですか」真剣な面もちでリンクは食い下がった。老婆は片目をつむる。
「考えてやらんこともないぞ」
「えっ」
「本当かい!」
 にわかに二人は活気づく。
「じゃが——」
 老婆は、深く息をすった。ピシッと人差し指を突きつけられたのは、リンクだ。
「勇者リンクとやら。神に選ばれたというその力を示してみよ。ディーゴ!」
 言い終わると同時に、背中に殺気を感じた。リンクはテトラの腕を掴んで、思い切り跳びすさった。振り返れば、見上げるような大男がそこにいた。物騒な形状をした金属製の義手をつけている。
「お呼びですか、シャリン様」
 ディーゴという男の、赤い隈取りをした目が冷たく睨みつけてくる。
「ああ。こやつの実力をはかってくれ、頼んだぞ」
 軽く息を整えてから、リンクは剣を抜いた。動きやすいので、旅立ちの日からずっと身につけている勇者の服。その裾を、テトラがぎゅっと握る。
「……信じてるよ」
「ありがとう」
 リンクは微笑をひらめかせた。




希望する人 2


「ついたぞー」
 乗客は王女ゼルダ一人という完全貸し切り状態で、神の汽車はモヨリ村駅に滑り込んだ。
 車輪が停止してからもしばらくの間、ゼルダはぼうっと座席に身を預けていた。
「どうした? 酔ったか」
 機関士席から戻ってきたリンクが、心配そうな顔でのぞき込む。
「いいえ、とても快適な旅でしたわ。ただ……」
「ん?」
「私、まだぜんぜん車掌さんの勉強ができてないんです」
 彼女はがっくりと肩を落とした。ははあ、とリンクは顎をなでる。
 機関士と王女の旅が終わりを告げたとき、二人はある約束を交わしたのだった。
「私、いつか必ず……リンクの汽車専属の車掌さんになります!」
「じゃあオレはキマロキの後釜をねらって、大臣にでもなろうかな」
 夢のような話だ。しかし大臣はともかく、秘書でも何でもゼルダの助けになれる職業に就きたいと、リンクは真剣に考えていた。もちろん機関士と兼任で。
 ゼルダも同じような夢を抱き、しかも実現に向けてひたむきに努力している。彼の胸に、言いようのない嬉しさが沸いた。
「別に何年かかってもいいさ。待ってるから」
「ええ……ありがとうリンク」
 はにかみながらスカートをはたき、ゼルダは立ち上がる。
「さ、ニコに会いに行くぞ」
 海辺にあるリンクとニコの家まで二人並んで歩いていると、村の善良な村民から冷やかしが飛んでくる。それらに赤面したり適当に流したりすることは、もはや日常茶飯事だった。
 今日は、いつもよりハトがたくさん飛んでいた。どういういわれか知らないが、ハトは正機関士の印でもある。青空に映える白い翼を眺めながら、
「しばらく家帰ってなかったからな、あのニコでもちょっとは心配してるかも」
「城下町の官舎にいたんですか?」
「いや、汽車ん中で寝泊まり」
「私と旅しているときと、まるで変わってませんね……」
 それでも屋内で寝ているだけマシだ。旅の最初期、リンクは「神聖な汽車の中で眠るなんて論外だ!」と言い張り、野宿を決行しかけたことすらあった。ゼルダの必死の説得の末、なんとか人間らしい生活を営むようになってくれたのだが。この歳にして一流の論客であるリンクを黙らせるのは、本当に大変だった——と彼女は回想する。
 そうこうしているうちに家までたどり着き、リンクはこぢんまりとしたマイホームの扉を開ける。もちろん鍵はかかっていない。
「ただいまー」
 おかえり、という声は帰ってこなかった。家の中は薄暗くて、人の気配がしない。
 リンクは盛大にため息をついた。
「まーたどっかほっつき歩いてんのか! 徘徊老人かよ」
「本当にお元気ですよね、ニコさん」
 ゼルダは笑った。お年寄りがいつまでも元気でいてくれるのは、喜ばしいことだ。
 徒労を感じたリンクは、どっかりと椅子に腰をおろした。同じく久々の訪問だったゼルダは、少し家の中を見て回る。そして机の上に紙の束を発見した。
「あっこれ、ニコさんの新作紙芝居じゃないですか」
「ふうん……」
 ニコ自慢の紙芝居には苦い思い出があった。魔王退治のエピソードもめでたく作品になったのだが、その製作過程がいただけなかったのだ。事実関係を確認するため何度も耳元で音読され、取り調べのごとく熱心にメモをとられた。過剰ともいえるニコの情熱に、リンクは心底うんざりしてしまったらしい。
 しかし、努力の甲斐あって紙芝居の評価は高く、一時期モヨリ村は英雄譚を聞きに来る子供たちであふれかえった。もちろん各地から村までは、リンクの汽車が送迎だ。
 一方のゼルダは、ごく単純にわくわくしながらリンクに許可を求めた。
「これ、見てもいいですか」
「いいけど」
 口先では何を言っても、やはり中身は気になるものだ。リンクはそれとなく椅子の位置をずらして机に近づける。大きな緑の瞳は正直だった。
 大人気でシリーズを重ねるリンクの冒険譚に比べて、今度の新作は枚数が少ない。
「まだ絵しかできてないみたいですね」
 お話の内容は推測に頼るしかないだろう。ゼルダの白い指が紙をめくった。
 一枚目。なじみ深い、神の塔がそびえている。
 二枚目。そこには見覚えのある二人が描かれていた。
「あっ」
「写し絵の!」
 テトラ女王と、例のリンクそっくりの人物だ。どうやら神の塔内部にある螺旋階段を上っているらしい。
 はやる指先で三枚目をめくった。視界の半分が空に埋め尽くされた景色のいい場所で、二人は何か会話を交わしているようだ。
 四枚目。これがラスト。遠くには神の塔と、それを見つめる海賊の子分だったニコ自身が、アップで配置されていた。隅に小さくテトラ一家が塊になっている。リンクそっくりの人物はいないようだ。
 分からないことばかりが増えていく。ゼルダの頭はパンクしそうだった。
「これは……いったい、どういうことでしょう」
 リンクはじいっと四枚の絵を眺めた。幾度も視線を往復させる。
 写し絵、そして紙芝居。己とうり二つの人物の存在。それらが意味するところとは——
 紙芝居を元の場所に戻し、リンクは立ち上がった。
「神の塔に行こう。たぶん、あそこの最上階に答えがある」




走馬灯のように 3


 目で判断したというよりむしろ戦士の勘によって、リンクは凶悪な一撃を回避した。
 ディーゴと呼ばれた黒い男が振りあげた義手が、突然フックショットのように伸びたのだ。中にワイヤーを仕込んであったらしい。リンクは狭い踊り場にテトラを残すと、階段を駆けあがった。
「逃げるのか、それもいいだろう!」
 あの義手は危険だ。ワイヤーの長さによっては、円形の吹き抜けすら飛び越える。上から狙い撃ちされることだけは避けたい。
 走りながら、リンクは己の手数を考えていた。念のため持ってきていた弓矢と爆弾だが、あの速さの前には無意味だ。となると、剣と盾の基本的なスタイルで戦うしかない。
(あとは、地形かな)
 ディーゴのちょうど反対側、相手を斜めに見下ろせる場所までたどり着く。そこでリンクは階段を蹴ると、ひらりと手すりに飛び乗った。すかさず、義手がうなりをあげて襲いかかってくる。その切っ先を睨むと、リンクは吹き抜けに向かって躊躇なくジャンプした。ガキィンという激しい金属音とともに、背後で手すりと義手がかみ合う。
「何!?」
 ディーゴと老婆シャリンは驚いた。遙か下の一階まで真っ逆さまに重力に引かれる——その数瞬前、リンクの手から緑色が生まれた。
「デクの葉か!」テトラが指を鳴らした。ぎりぎりデクの葉を扱える体重で、助かった。
 滑空しながら対岸を目指すリンクに、ディーゴは即座に対応しようとするが、手すりをつかんでしまった義手がなかなか外れない。
 綱渡りのロープのように対岸へとワイヤーを渡したまま、ディーゴは残った片手で小刀を取り出した。着地の瞬間が勝負だ。
「てやあっ!」
 リンクは足場の前でデクの葉を手放し、空中でくるりと前転する。たちまち叩き込まれた銀色の斬撃を、背負った盾で防ぐために。
 激しい衝撃を伴う、アクロバティックな荒技だった。背中に走った電流に耐え抜いたリンクはそのままディーゴに向かって全体重をかけ、懐につっこんだ。その拍子に、手すりを噛んでいた義手が外れる。
 もつれあって螺旋階段を転がり落ちる二人。
(リンク……!)
 テトラの手に汗が滲んだ。力での取っ組み合いではリンクが圧倒的に不利だ。
 しかし、結局は精神的な優位性が勝敗を分けた。風の勇者は経験に裏打ちされた冷静さを保っていたのだ。これまでの数合から、相手には命を奪う覚悟はないと判断していた。
 やけくそ気味に突きこまれた小刀をかわし、振るった刃先を男の喉に触れるぎりぎりで、ぴたりと止めた。
「ぐう……」
 ディーゴの声帯から、苦々しいうめきが絞り出された。
 リンクは剣を鞘に収め、手を差し伸べた。だが彼は膝をついたまま動かない。
(っ!)
 ディーゴの瞳の奥に、真っ黒な憎悪の淵を覗いた気がして、どきりとする。負けを認めた瞬間、あの表情——それはリンクがよく知っているものだった。
 戦慄をどうにか押さえ込み、リンクは見守っていた老婆の元に戻る。
「移民の件、どうかご再考を」
 シャリンは重々しくうなずいた。
「お主の実力はよく分かった。案内しよう。あとは、最上階で天上のお方が決められる」
 リンクは見事、対話する権利を勝ち取ったのだ。踊るような足取りでテトラが駆け寄る。
「ナイスだったよ、リンク」
「へへへー」
 二人はハイタッチした。こうして笑っていると、戦っているときの格好良さは微塵も現れないのが不思議なところだ、とテトラは思う。そして、照れ隠しにリンクを肘でこづいた。
 テトラは勢いよく手を振り上げ、天を指さす。
「さ、行こう。最上階へ!」
 シャリンの先導を受け、二人は螺旋階段を上り詰めていく。
 踊り場に、一人残されたディーゴは。
「神の修行など、何の役にも立たないではないか!」
 神の眷属である自分が、単なる人間の少年に負けた。修行に修行を重ねたのに、実力で勝ることは出来なかった。
 打ちひしがれるディーゴに魔の手が忍び寄るのは、また別の話だ。



 リンクは一歩、また一歩と段を踏みしめていた。輝く明日への架け橋となるはずの螺旋を。
 ディーゴが最後に見せた悔しげな表情が、どうしても頭を離れない。あれは、自分たちが好き勝手していた領土と既得権益が奪われる、と危惧している顔ではなかった。もっと別の、例えばリンクたちを完全に悪と見なしているような——
(昔、鏡で見たことがある)
 かつての自分だ。ガノンドロフを倒そうと躍起になっていた頃の、自分。
 魔王は水底の王国を手にする為、海の世界を侵略した。大好きな故郷や家族を踏みにじられるのが嫌で、リンクは立ち上がったのだ。あの砂漠の男と対話をしようだなんて、一度も考えた事がなかった。もしかしたら、ガノンも「同じもの」を求めていたかもしれないのに。
 そして、ハイラル王。喋る小舟「赤獅子の王」としてともに旅をし、最後にはリンクとテトラを新たな世界へと送り出してくれた。しかし彼もまた、過去の王国ハイラルに囚われ、在りし日の故郷を探していた。
 新しい大地を見つけようと言うテトラに向けて、王が別れの間際にかけてくれた言葉は。
「だが、そこは、ハイラルではない。お前たちの国だ!」
 今、手を伸ばせば届くところに、夢にまで見た新たな大地が広がっている。そうと分かっていて、リンクの内なる声は囁く。
 ——本当に海の世界には未来がないの? 本当に、この大地に国をつくってもいいの?
 空に近づくほど高揚するテトラに反して、彼は沈んでいった。
 もし自分が彼に負けていたら。シャリンもディーゴも故郷を失う心配をせずに済んだのだろうか。
「リンク、どうしたんだい。早く行くよ」
「……うん」
 二人は歩み続ける。ずっと探してきた「未来」に向かって。




希望する人 3


 書類の上では、神の塔の管理責任者はリンクとなっている。前任者であるロコモ族の賢者・シャリンがいなくなったためだ。
「リンク! こんなに埃がつもってますよ。ちゃんとお掃除してるんですかっ」
「お前は小姑かよ。こんな広い塔、掃除すんのとか無理だって」
「予算を出してくだされば、私たちの方で清掃員くらい雇いますから」
「なんか税金どろぼーみたいでヤダ」
 神の塔に到着してからというもの、ゼルダは終始ご立腹だった。ようやく職務が軌道に乗ってきたリンクは、本業に専念したいらしく、城がらみの仕事に関わろうとしない。というか、猛烈に抵抗するのだ。
 魔王を倒した業績は過去のものとして、あくまで機関士としての立場を崩したくない、らしい。ストイックかつざっくばらんな性格は、おおむね民衆に受け入れられているようだが。抜群の事務能力を持ちながら、まるで生かそうとしないその態度は、(主にゼルダに)評判が悪い。
「私は税金どろぼーなんかじゃありませんっ!」
「……そうだったな。それは、ちゃんと分かってるよ」
 リンクは穏やかに笑った。険がない表情になると、ぐっと大人びて見える。彼はこのことを知っているのだろうか。
 うろたえる王女に、リンクは頭を下げた。
「今更だけどさ、あのときのことは謝る。悪かった」
 冒険をはじめたばかりの頃、彼は王家のことが大嫌いだった。それも当然だろう、と今ではゼルダも思える。王国中の線路が消えていくという非常事態に対して——魔族キマロキの関与があったとはいえ——王家は無為無策だったのだから。
 おまけに、当時のゼルダは温室育ち故、現在よりもかなりわがままな性格をしていた。魂となった体では何も出来ないからと投げやりになり、リンクにすべてを任せようとした。あのときのことを思い出すと、恥ずかしさで頬が熱くなる。
「顔を上げてください。リンクが悪いことなんて、何もありません」
「いや、舌先三寸で丸め込んだとはいえ、かなり失礼な態度だったぞ。そもそも敬語使わなかったし」
 リンクは「魂の姿のゼルダは他の人に見えないんだ。オレが敬語で虚空に向かって話しかけてたら、いくらなんでも怪しい奴だろ?」という、納得出来るような出来ないような論法によってゼルダを騙し、彼女を呼び捨てにする権利を獲得した。誰もいない場所に向かって話すなら、どんな言葉を使っていても怪しい奴には違いない。
 まんまとのせられたことについては、ゼルダにもちょっぴり怒りが残っていた。
「……じゃあ、お互い様と言うことにしましょう」
「だな」
 二人は肩を震わせて笑いあった。
 神の汽車を大広間に安置すれば、自然と体が階段に向く。何度も二人で上ったものだ——一人は地に足がついていなかったが。一段一段に、冒険の思い出が詰まっている。
 リンクはゼルダから視線をはずした。
「写し絵と紙芝居を見て、ちょっと考えたことがあるんだ」
「ぜひ聴かせてください」
 彼は思考が行き詰まったとき、誰かに語りかけながら情報を整理することがある。承知済みのゼルダは、静かに耳を傾けた。
「あの写し絵は、神の塔の最上階で撮ったんだと思う。紙芝居の内容からするとな。たぶん、テトラ女王が初めて神の塔に上ったときに記念撮影でもしたんだろ」
 ゼルダはその光景を夢想した。まだハイラルが建国されていない時代だ。その頃の大地は、今とは違ったのだろうか。
「とすると、あの海賊たちに混じってるオレそっくりの奴——仮にミドリとしよう。ミドリは、どういうポジションの人間なのか?
 とりあえず、考えられるのは二つ。腕利きの航海士だったか、海の世界の代表者だったか」
「海の世界の代表者……?」
 航海士はまだすんなり理解できるが、後者がよく分からない。
「普通はさ、新天地探しなんて偉業、どっかのお偉いさんがスポンサーに付いてるはずだろ。テトラ女王はもともとどこかの王族の血を引いてたみたいだけど、いち海賊として活動していた。少なくとも、海の世界を支配していたという記録はない。だから、実はミドリが代表者だったって説な」
 テトラが海賊業に精を出していた時代は、歴史の授業でも詳しく習わない部分だ。今更、偉大なる女王のことをほとんど何も知らないことに気がつく。
「もう一つの航海士説は、分かるだろ。テトラ一家は、いくつもの海を越える、長い長い航海をした。そんじょそこらの海賊がおいそれと成し遂げられるはずがない。だから、新天地探し専用にミドリを雇った。
 ここまでは、いいな」
 ゼルダはうなずいた。
「まだ謎はある。どうしてオレに似てんのかは、ひとまず置いといて——なんでこいつの顔も名前も、何一つハイラルの歴史に残ってないんだ?」
 海賊の子分一人一人が百年もその名を残すくらいだから、代表者や航海士が史実に残らないわけがないのだ。
 リンクはぴしりと人差し指を立てる。
「つまりミドリは、ハイラル建国に関わっていない。新大陸は発見したけど、その後仲間を抜けたんだよ」
「え、どうしてですか?」
「……それを今から考える」
 ぱたとん、ぱた、とんとんぱた。二人の不揃いな足音が、螺旋を描く。
 ゼルダは、リンクの真剣な横顔を眺めていた。
「解雇されたか、仲間割れか。代表者説だと、解雇されたり切り捨てられるのは女王側だから、移民を受け入れてハイラル建国ってのはナシになるな」
「つまり、ミドリさんは航海士だったんですね!」
 次々と解かれる謎、導き出される真実に、ゼルダはすっかりワクワクしていた。
「いや、消去法だったらそうだけど、まだ分からないぞ。他にも可能性はなきにしもあらず」
「は、はあ」
 拍子抜けするゼルダを横目で見やり、
(代表者かつ航海士だった可能性もあるからな)
 海の世界では身分制度も未発達だったらしい。この場合は代表者というよりも、民衆に広く知られ、期待を背負うような存在だったと考えるのがいいだろう。——例えば、勇者とか。
 リンクはハッとした。どうしてこうも突拍子もないことばかり思いつくんだ。
「とにかく、かなり固まってきたな。この塔を上るまで、ミドリはテトラ女王と志をともにしていた。そして最上階で写し絵を撮ってから、どこかへ消えた」
 百年前、この塔で何が起こったのだろうか。尋ねてみようにもシャリンはもうおらず、神の塔は沈黙していた。
「ミドリは最上階で何かを見たのか……? いきなり心変わりするような、何かを」
 天辺から眺められるものといえば、ただただ広がる空と、ハイラルの大地だけだ。リンクも二度ほど訪れたことがあるが、見渡す限りの絶景というだけで、遥かな旅を唐突に終わらせるような衝撃を与える場所ではなかった。
 しかし、本当に空と大地だけなのだろうか。他にもまだ、何か。
「まさか」
 その呟きは吹き抜けに沿ってまっすぐに墜落していく。
 延々と続く螺旋の果てに、外の光が差し込んでいた。
「……まさか、な」




走馬灯のように 4


「ここから先は、お主たちだけで行け。天上のお方のお心を確かめるのじゃ」
 ごくり。リンクとテトラはどちらともなくつばを飲み込み、最後の一段に足をかけた。
 強い風が吹き、結い上げたテトラの金髪がなびく。リンクはふと、風の向こうに何かがいる気がした。
 すかっと視界が開けた。その上半分は空、下半分は大地だ。海の世界にあった神の塔では、下半分は当然海だった。そう思うと、眼下に広がる一面の緑は感慨深い。あちらの塔とは違い、ここには鐘楼ではなく何かの祭壇があった。
 どんな光景が待っているかと身構えていたテトラは、拍子抜けした。
「……誰もいないじゃないか」
 代わりにハトはいた。何故か一羽だけ、餌を探して地面をつつき回っている。ずいぶん高所まで飛んでくるものだ。
「まさかこのハトが?」
 おそるおそる近寄ってみると、ハトはどこかへ飛び立ってしまった。
「なんだよ」
 テトラは地面を蹴る。これでは、ただの展望台でしかない。
 リンクは日差しを左手で遮りながら、下界に目を凝らす。どこまでも広がる「大地」があった。
「すごい景色だね」
「ああ、素晴らしい土地だよ。ここなら、みんなが住める。新しいハイラルになれる!」
 彼女は本当にうれしそうだ。一方リンクは、ただじっと、地上を眺めていた。神の真意を探るために。
「あ」
 唇が開き、息が漏れる。
 ……見つけた。見つけてしまった。
 二人の道が決定的に分かたれたのは、まさにその瞬間だったのだろう。
「ここはだめだ、テトラ。ここは、神様のための土地なんだよ」
 テトラは聞き流しそうになった。その低い声が誰のものか、分からなかったのだ。ぎょっとして振り向けば、沈痛な面もちのリンクがいる。
「……リンク?」
 静かに視線を返す、緑の双眸。
「いきなりどうしたんだい。まさか、神様の言ってることが分かったのか?」
 リンクはこくりとうなずいた。
「そう、ぼくらは歓迎されてないんだよ。これは移民じゃない——侵略だ」
 テトラの表情が凍りついた。
「な。な、なんで……」
「分かっちゃったんだ。ぼくらは、この土地に求められていない」断言し、悲しそうに目を伏せる。
 テトラは、はらわたが煮えくりかえる思いだ。
「あたしたちは、新天地を探しているだけだ! こんなおあつらえむきの場所が他にないのは、リンクにも分かるだろ。ここはあの婆さんたち以外誰も住んでない。これだけ広い土地に!」
「住めないからだよ」
 激しい訴えにも動じず、リンクは即答した。決意は揺るがない。
 長い付き合いだ、自己主張の少ない彼が一見ふわふわしているようで、実は芯が強いことを、テトラはよく理解している。だから、相手を説得できる言葉を、彼女は持たなかった。
 ——これからも、ずっと一緒に、同じ方を向いて歩んでいけると思っていたのに。
 テトラは下唇を噛んだ。
「海の底のハイラルといい、神様なんて勝手なもんだよ。リンクだってさんざん振り回されたクチじゃないか。こっちが振り回し返してやればいいんだ。
 ……そうかい。それでも、どうしてもダメだっていうんだね」
「ごめん」
 リンクは決して目を逸らさない。瞳に宿った緑の炎が静かに燃えている。
 テトラは、乱暴に息を吐いた。
「もういい。リンクには頼まない。あたしたちだけでやらせてもらう」
 そうして彼を睨みつけ、思いきり首を背けた。平時なら笑いを誘うような子供っぽい動作にも、リンクは眉一つ動かさない。
 テトラが背を向け、突然塔の中に戻ったかと思えば、階下に待機していた老婆を引っ張ってきた。
「なんじゃ一体」
「あんた、シャリンとか言ったね。
 シャリン……様。どうも、あたしたちは神様に歓迎されてないらしいよ」
「ほう、そうかい。それはよかった」シャリンはうすら笑う。
「……でも。私は諦めきれないんだ」
 彼女の心のどこかで、雷が光った。テトラは地面に膝をついた。次いで頭を垂れる。
「百年!」
 あのテトラが土下座をした。どんな呼びかけにも動かなかったリンクの心が、はじめて震えた。
「百年でいい、私が死んだ後もちゃんと王国が続いているか、土地にふさわしい人間が住んでいるかどうか——見守って、判定してくれ。あんたたちには、それくらい短い時間だろう?」
 まだ二十年も生きていないテトラにとって、百年とはとてつもなく長い年月だ。なのに、あっさりと口にするその度胸! リンクは目がくらむようだった。
 シャリンは腕組みをする。
「ふさわしくないと判断した場合は、即刻退去ということじゃな」
「もちろんだよ」
 いつの間にか、先ほどのハトが戻ってきていた。シャリンは一瞬だけそちらに視線をやる。
「……よかろう」
 テトラはがばっと立ち上がると、感情の高ぶりに任せて老婆の手を取った。さすがのシャリンも仰天する。
「なっ、何を」
「ありがとう、本当にありがとう!」テトラは満面に笑みを浮かべ、何度も頭を下げた。
 しばし、テトラが先導する形で二人は喜びのダンスを楽しんだ。シャリンは強引な行動に弱いのか、されるがままになっている。
「な、リンク。何とかなるもんだろ?」
 テトラは相棒に、イタズラが成功したときのような眼差しをよこした。
 一か八かの策が功を奏しただけに、リンクの心は重かった。
「ぼくは——ぼくは、海に残る」
 ぐらり、とテトラは世界が傾いだ気がした。
「どうして……」
「新しいハイラルは、テトラが女王様になりなよ」
「どうしてだよ!?」
 彼女の必死の声も、なぜか遠くに感じる。まるで水の中で聞いているようだった。リンクは記憶の海に沈んで、かつてともに旅した仲間のことを思い出していた。
 赤獅子の王。トライフォースに海の底のハイラルの消滅を願い、未来にリンクとテトラという種子を放った。彼が本当に願ったものが、新しいハイラルを作れば手に入るのだろうか。
 リンクは、どうしてもそうとは思えなかった。
「プロロ島に、ばあちゃんがいるんだ」
 自分でもどう続けるのか分からないまま、彼は言葉を紡いでいく。
「ばあちゃんはこんなところまで船旅は無理でしょ。面倒見なくちゃいけないし」
「で、でもそれが——ひと段落したら、こっちに来ればいいさ。リンクが、あのハイラルの墓標になることなんか、ないんだ!」
「それは違う」
 リンクは強く否定した。
「ぼくが生きて死ぬ場所は、あそこ。あの海の世界なんだよ」
 きっぱりとしたその台詞を耳にして、ついにテトラの肩が落ちる。
 燦々と降り注ぐ太陽が、彫像のように立ち尽くした二人の影を、焦げつかせる。シャリンは瞳を閉じて何かを考えていた。
 そんなとき。
「あっテトラのアネキ! 探しましたよ、こんなところにいたんですか」
 ひょっこりニコが現れた。




希望する人 4


 外はすっかり日が傾いていた。涼しい風が吹いて、ゼルダのたんぽぽ色の髪を泳がせる。
 神の塔の最上階。かつて魔王の魂が封印されていた祭壇は、今では空っぽだ。
「何か、手がかりが見つかるといいのですが……」
 いくらあたりを見回しても、以前と何ら変わらない風景が広がっていた。
 あっちこっち探してみてから、彼女はやっと相棒が隣にいないことに気がついた。
「リンク?」
 いつもなら率先してゼルダの前を行くのに、今は何故か、塔の天辺に立ってすらいない。外の景色が見えるか否かの、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。
「どうかしたのですか」
「ちょっと心の準備を、な」
 リンクは汗をかいているようだった。果てしない螺旋階段を上ってきたことによるものか、冷や汗か——果たして。
「よし」
 リンクは意を決して最後の一段を踏み越えた。目にオレンジの光が柔らかく射しこんだ。
 呼吸を整え、大地を一望する。森の大地、雪の大地、海の大地、火の大地。二人のよく知る、美しい王国が広がっていた。
「……よかった」
 リンクは安堵のため息をもらす。
「はい?」
「オレが見てる光景と、ミドリの見た光景が違っててよかった、って言ったんだ」
 ゼルダは目をまん丸にした。
「ええー! それってつまり、なぜミドリさんがいなくなったのか、理由が分かったと……?」
「そーいうこと」
 下手なウインクを決めたリンクは、「どうして教えてくれなかったんですか!」とわめくゼルダを眺めて楽しんだあと、導き出した真実をざっくりかみ砕いて解説する。
「この大地には、もともとシャリンさまたちロコモ族以外、人は住んでなかったんだよな。そこにゴロンやユキワロシも含めて、テトラ女王が人間を移住させた。
 と、いうことはだ。まっさらだった土地は、もともと神様のものだったんだよ」
 ゼルダは想像の羽を広げた。お城も集落も何もない、白紙のハイラルの姿を。
 そして、その大地には。
「きっと升目みたいに縦横きちっとした線路の上を、神の汽車が走っていたんだ」
 雄大な山々、平原、丘。すべての自然は曲線で成り立っている。もしも、それらを網羅するように、整然と線路が引かれていたら——それは、人の手によるものではない。ミドリは、そのことに気がついたのだ。
「それでも、おばあさまは諦めなかったのですね。シャリン様にここに住まわせてもらえるよう交渉し、それが聞き届けられて……この国が、生まれた」
 ゼルダは勇気を出して、大地をもう一度よく調べた。縦横無尽に引かれた線路はまっすぐなものもあるが、獣道のように蛇行しているものもあり。全体を見れば、幹から生える枝のように、好き勝手に伸びていた。
 ゼルダはほっと胸をなで下ろした。これは、神様の引いた線路ではない。
「でも、どうしてミドリさんが見た光景と異なっているのでしょうか。線路を新しく引くような技術なんて、ハイラルにはないのに」
 リンクは少し驚く。
「忘れたのかよ。引いただろ、あの旅で。フォースを集めて石版に宿してさ」
 大地をかたどった石版に人々の感謝の気持ちが宿れば、新しい線路が生まれる。二人はそうやって、無数の道を切り開いた。
「そう、でしたね」
 人間の営みこそが、この国を「ハイラル」にしたのだ。
 不意にゼルダは、リンクの腕に寄りかかった。
「神様が、私たちを認めてくれたんですね」
 機関士の服に王女の体温がにじむ。安心のあまり力が抜けたのだろう。
 そっと彼女の肩を抱きながら、リンクは心の中で、百年前ここにいたはずの、自分そっくりの人物に語りかけていた。
 ——きっとテトラ女王もあんたも、すごく信頼しあってたんだろう。でも、どうしても譲れないものがあった。だからこそ、別れたんだ。誰よりも大切な、相手の意見を尊重するために。
 ゼルダも程なく同じ結論に行き着いたようだ。
「おばあさまにとって、ミドリさんはとても大切な方だったのだと思います。別れてからも、執務机にあの写し絵をしまっていたのですから。
 すごく、悲しいけれど……思いあってるからこそ、離れなきゃいけないこともあるんですね」
「オレは、そんなの嫌だよ。好きな奴と一緒にいたいのは当たり前だろうが」
 虚空に向かって呟かれたそれは、半ば独白だった。
 ミドリは写し絵を撮った後テトラと別れ、おそらく二度と現れなかった。つまり、海の世界を墓場に決めたということ。恐ろしく冷静で、途方もない選択だ。
 リンクには、生きていく場所は決められても、彼のように死に場所を決めることは——まだ、できない。




走馬灯のように 5


 ニコが最上階までたどり着いたとき、テトラはリンクと何やら話をしていたようだった。
 あれっ。アネキが泣いてる?
 彼女の目の端で、何かがきらりと光ったような気がしたのだ。が、どやどやと後続の海賊たちが上がってきたことによって、それは思考の隅に追いやられる。
 ゴンゾが見知らぬ老婆に近づき、見下ろした。何しろ身長が倍近く違うのだ。
「なんでい、このばあさんは」
 テトラは腰に手を当てた。
「だめだよ、ばあさんなんて呼んじゃ! これから私たちの保護者になってくださる方だからね。シャリン様だよ」
「保護者あ?」
 威勢良く、明るい声を張るテトラ。頬に涙の跡も見あたらない。
 ……やっぱり、気のせいだったのかなあ。
「この塔の管理者さ。私たちがここに移住することを、許可してくれたんだ」
 おおっ! と海賊たちは沸いた。リンクはというと、なぜか少し遠いところで表情を堅くしている。
 テトラはくるりと振り返り、シャリンに向き直った。
「さあて、汽車について説明してもらおうか?」
「仕方ないな……」
 だんだん老婆はテトラのペースに巻き込まれ始めているようだ。身振り手振りを交えながら口頭で表現すると、あちこちから質問が挟まれる。
 にぎやかな輪のはずれで、展望台の縁に立ち、リンクは一人景色を眺めていた。そこにニコが近寄った。
「リンク、元気ないな」
「……高いところ、怖いんだよね」彼は嘘をつけない人間だ。見事に目が泳いでいる。
「高所恐怖症だったっけ? なら、もっと真ん中に行けばいいのに」
「え、あっちょっと」
 目一杯抵抗するリンクを無理矢理、仲間の方へ押しやってやった。
 海賊たちのグループでは、気分が盛り上がったらしいナッジが、写し絵の箱DXを取り出していた。記念撮影をすることになったらしい。
 テトラはニコと共にやって来た相棒を見つけ、左手を差し出した。
「ほら、リンクも」
「……うん」
 手のひらが重なった。
 二人は海賊たちの中心へと導かれる。
「シャリン様、撮ってくれよ。このボタン押すだけでいいからさ」
 老婆は嫌そうにしながらも、見よう見まねで構えた。
「撮るぞー」
 ぱしゃり。
 これが、リンクと一緒に撮影した、最後の写し絵となった。




希望する人 5


『もう、リンクは帰ってこないよ』
 あの日、ニコたちが神の塔から降りると、リンクは無言のままどこかへと歩いていった。地平線の向こうに、小さくなる背中。
 疑問符を浮かべたニコに対して、テトラが呟いた言葉が、百年経った今も耳を離れない。
 それは、記憶を遡ればいつでも、走馬灯のようによみがえるのだ。
 同じように新天地を目指した仲間たちは、すでに代替わりをしている。年月は透明な枯れ葉のように降り積もっていくが、思い出は鮮明だった。あの頃の何倍も年老いたニコは紙芝居をそろえて、机の引き出しにしまった。
 そのとき、キイィと音を立てて扉が開き、玄関に人影が立った。
「オレに謎を解いてほしかったから、あの紙芝居を置きっぱなしにしてたんだろ、ニコ」
 開口一番、リンクはそう切り出した。ニコはゆっくりと目線をあわせ、笑顔になる。
「帰ってきたらただいまって言うんだよ」
「……ただいま」
「おかえり、リンク」
 リンクは肩をすくめると、話を続ける。
「語りはまだ完成していなかったわけじゃなくて、そもそも絵だけの紙芝居だったんだな。ニコは実際テトラ女王が『あいつ』と何を話したのか、知らなかったから。
 ま、ゼルダが写し絵を見つけたタイミングまでは、さすがに偶然だったろうけど」
 そこまで仕組んでいたとしたら、末恐ろしい老人である。
「あの写し絵が見つかったんだね、テトラのアネキの机から」
「ああ。で、昨日ゼルダと一緒に神の塔に行ってきた。オレの行動はシロクニ師匠あたりから聞いてんだろ、どーせ」
 ニコは身を乗り出した。
「それで、分かったのかい」
「うん。百年前、何が起こったのか。だいたいはな」
 リンクは昨日探し当てた真実を、一晩かけて整理した言葉で伝えた。「その人物」が神の塔で何を発見し、何を思ってこの土地を去ったのかを。
 木の椅子に座り込み、ニコはゆるゆると息を吐き出す。しわの中に小さな目が埋もれた。
「我々は許されたんだね」
「そうさ。百年経って、誓いは守られた」
「でも、テトラのアネキもリンクも、もう——」
 地獄耳のリンクは半眼になる。
「やっぱりあいつもリンクっていうのか。オレの名前、ぜってーあいつにちなんでつけたろ」
 刺すような視線が注がれているにもかかわらず、ニコは悪びれもしない。
「そうだよ。前にも言ったけど、リンクは汽車で生まれたんだからね」
 それはハイラルの子供なら、誰もが一度は親から聞いたことのある与太話だった。
 お前は汽車に捨てられていたんだよ。ある朝、うちの駅に機関士も誰もいない汽車が停まってね。変だというので調べたら、客車でお前がおぎゃあおぎゃあと泣いていたのさ——。
 リンクの出自はまさしくその通りだった。
 十数年前のある朝、ニコは聞き慣れない汽笛の音で目が覚めた。当時はまだ正機関士・副機関士制度が整っておらず、汽車はすべて定時に走っていたのだ。
 明け方だった。海も鳥も草もすっかり息をひそめて、まるで「何か」を待っているようだった。静かな緊張感に満ちた空気に首をひねりながら、のんびりと散歩をしていると、モヨリ村駅に見たこともない汽車が停まっていた。機関士も誰もおらず、代わりに何故か一羽のハトが、運転席に鎮座ましましていた。客車から響く甲高い泣き声に耳を澄ませば、座席のひとつに赤子が布にくるまれて放置されているのを発見した。
 赤ん坊を抱えて客車から降りると、汽車は独りでに走り出してしまった。
「そうそう、リンクがあの汽車に乗って、正機関士の任命式から帰ってきたときは驚いたよ。あのとき赤ん坊を見つけた汽車だったからね」
 ぎょっとした拍子に、リンクの頭の上から、大事な大事な正機関士帽がずり落ちそうになる。
「それって神の汽車のことか!? オレってあの中に捨てられてたのかよ。そんな大事なこと、なんで今まで黙ってた!」
 リンクはほとんど本気でニコのことを睨みつけた。この老人がボケるなんてありえないから、きっと承知の上で黙っていたのだろう。何という食わせものだ。これでは一生かかってもニコを越えられそうにない。
「ははあ、分かったぞ。オレが『リンク』に似てたから、自分で育てることにしたんだな」
「そうだよ。『リンク』そっくりの、緑の目をしてたから。あいつが生まれ変わって、帰ってきてくれたと思ったんだ……」
 当時すでに老境に入っていたニコが、赤ん坊を引き取って育てると主張すれば、もちろん大反対の声があがった。モヨリ村には子供のない若い夫婦もいたし、彼らが育てることだってできた。
 だが、ニコはついにわがままを通してしまった。最低限の手伝いだけ要求すると、あとはすべて自分で成し遂げたのだ。リンクはすくすくと育って(性格的な問題は多々あるが)、史上最年少で正機関士の座をもぎ取るような、優秀な子供になった。
「生まれ変わりねえ」
 あのニコが、魂の輪廻を考えていたとは。リンクは目を伏せて、正直に心情を吐露する。
「残念だけど、オレは『リンク』の生まれ変わりじゃない。と、思う。あいつみたいな選択はしない……できないから」
 たった十数年しか生きてないのに、死に場所を選ぶことはできないから。
「うん、どっちのリンクも、リンクはリンク。『彼』は親友だったし、きみは出来のいい孫だ」
 リンクは少し照れくさくて、わざと木で鼻をくくったような口調になる。
「しかしまあ、育ててみたらほんとにそっくりでしたーってことかよ。偶然にしては出来すぎじゃ」
 偶然にしては。自ら口走った単語が、やけに気になった。
「……オレの拾われた日って、建国記念日だったよな」
「うん。しかも、百周年記念ぴったりの日だったよ。城下町で記念式典が行われたからね」
 息を吸い込みながら、リンクは足下に目線をさまよわせる。
 テトラがロコモ族たちと交わした約束は、百年経って無事に果たされた。その記念として、「天上のお方」から何かしら贈り物が届けられたとしたら? それはおそらくテトラ女王と——「リンク」が求めていたもの。
 もし「リンク」があのままテトラの元で働いていたとしたら、今ごろこの国はどうなっていただろう。セピア色の写し絵の二人には、紛れもなく親密な空気が流れていた。つまり……。
 天啓と呼ぶべきひらめきに、リンクの心は揺さぶられた。だが熟考は避けた。それは胸の内に秘めておくべき推測、表に出してはいけない結論だった。
(それでも、望めるものならそんな都合のいい真実を……希望したいな)
 彼が時間を忘れて物思いにふけっていると、開けっ放しだった玄関扉の前に、新たな影が現れる。
「リンク!」
 高くやわらかい声が、彼の名を呼んだ。
「遅いですよ。機関士がいなかったら、汽車は走れないんですからね」
 ふくれっ面のゼルダが登場した。服装はいつもと違い、リンクの機関士服の色違いのような、深い紅のつなぎだった。それに、ハトのマークが白く染め抜かれた機関士見習いの帽子をかぶっている。
 百年という長い期間を要するものではないけれど、今朝はリンクにも約束があったのだ。
「悪い、悪い」
 リンクは急いで準備を始めた。
「ゼルダ様、おはよう」ニコはお辞儀する。
「おはようございますニコさん。さあリンク、もう行きますからね!」
「はいはい、んじゃ、ちょっと出てくるわ。——じいちゃん」
 ぶっきらぼうに下へ向けて放たれたその言葉は、ニコの耳にはちゃんと届いていた。
「ああ、行ってらっしゃい」
 扉が閉まる。鳥のさえずりと潮の香りが断ち切られる。
 ニコは、引き出しにしまった四枚の紙芝居をもう一度取り出した。
「これは……作り直さなくちゃね」



「もう! せっかく私が初めて車掌さんをやるっていうのに、リンクは……」
「そんなにむくれたら男前が台無しだぞ」
「誰が男前ですか!」
 もちろん、心身共に成長著しい彼女は、とても女性らしい容貌をしている。いっそ色香を漂わせているほどだ。既得権とは恐ろしい、とリンクは思った。
 ふとゼルダは真顔になった。
「……あの、さっきのお話、聞いてしまいました」
「別に気にすることなんかねえよ、すぐ話すつもりだったし」
 彼女はリンクの左手を取り、自分の両手で包み込んだ。ごわごわした手袋同士がこすれる。
「リンクのお誕生日って、建国記念日だったんですね」
「へ」
「記念日と同じ日に生まれた人は、お誕生日をきちんと祝ってもらえないのでしょう? それで世をすねてしまう、とジイに聞いたことがあります」
 世をすねるというのは言い過ぎである。リンクがひねくれているのは、ただリンクだからだ。
「ですから、今度のお誕生日は、是非私に祝わせてください!」
 ゼルダの瞳にはきらきらした光が宿っているようだ。
「よ、よろしく頼む」
 その熱意の向かう先が、どうも理解できないリンクだった。
 彼女ならあの仮定に対しても、別の視点から語ってくれるかもしれない。彼は自身のルーツに関する懸案を、あくまで雑談として持ち出してみた。
「もし『リンク』が線路のことに気づかないで、そのままこの国に残ってたら、今ごろどうなってただろうな」
「そうですね。そのときは、私たちはきょうだいだったかもしれませんね」
 リンクは酢を飲んだような顔になる。
「……じゃあ今のままでいいや」
 こちらから何らヒントを出したわけでもないのに、ごく自然に本質を言い当てる。リンクは内心、舌を巻いた。彼女はときどき驚くほど勘が鋭い。それもまた、血の成せる技か。
 二人が今日乗り込む予定の神の汽車は、線路の上で出発時刻を今か今かと待っていた。
 見送りに来たシロクニが、どしんとリンクの背中をたたく。
「リンク、姫様のことしっかりエスコートするんだぞ」
「わかってるっつーの」「行って参りますねっ」
 シロクニのなま暖かい視線を背中に受けながらリンクが運転席に入ると、ハトが一羽、ハンドルの上にとまっていた。
 白いハトは機関士の象徴。いわれは不明だが、縁起がいいことは確かだ。
 彼は面白がって、尋ねてみる。
「……乗ってくか?」
 くるくると首を傾げる姿が、まるでうなずいているように見える。ひとまず、運転の邪魔にならないよう床におろした。ハトはおとなしくされるがままになっていた。
 客車の窓からゼルダが顔を出した。リンクに目配せする。準備は万端だ。
「それじゃあ——」
 二人は、一緒に大きく息を吸い込んだ。
「出発」「進行!」
 神の汽車が往く線路は、曲がりくねっても必ず目的地にたどり着く。それは、まるで王国の未来を示しているようだった。
 ハイラルの大地に、緑の風が吹いた。




後日談:From L, To L


「——で、これが例の机か」
「ええ。この引き出しから、あの写し絵が見つかったんです」
「しっかし他の中身はガラクタばっかだなあ。海賊の宝にしてはシケてるぞ」
「失礼なっ。重要書類ばかりだったので、一度整理したんですよ。何なら倉庫から取ってきましょうか? 絶対リンクも驚くはずです」
「そうムキになることねーだろ、ゼルダ——って、あ。行っちゃったよ」

「確かにいい机ではあるな。もう少し、いじってみるか。
 うーん、なんでここに引き出しがないんだ? 板の厚さからすると空間があるはず……お。やっぱり奥に何かあるな。
 もしかして、持ち主しか知らない秘密の隠し場所、ってところか。どれどれ。
 ——綺麗な石。真っ青だ」

『もしもーし、赤獅子ぃ。いるんでしょー返事してよ』
「!?」
『おーい赤獅子さーん』
「石がしゃべった……っ!」
『? 誰、きみ』
「え、えっと、オレはリンクだけど」
『へえ奇遇だね、ぼくもリンクっていうんだ』
(マジかよ。それって、もしかして……いやいやまさかな)
『うーん、変なところと繋がっちゃったみたいだね。突然ごめん』
「い、いや、別に。それよりあんた、この石は何なんだ」
『知らないのに持ってるの? これは海賊のお守り——いや、ゴシップストーンだったかな。とにかく、遠くにいる人に声を届けられる石だって』
「なるほど。で、どうしてあんたは石に話しかけたんだ。赤獅子とやらに用件があったんだろ」
『ん、まあね。ちょっとダンジョンの攻略に手こずってて』
「……。ダンジョン、ねえ。オレが解いてやろうか?」
『えっいいの! あーでもシロートさんにはきついと思うよ。ホントに訳わかんない仕掛けばっかりでさ』
「一応、片手で収まらないくらいは、攻略した経験があるけど。それでどうだ」
『へ、へえー。リンクくん一体何者? ……ともかく、助かるよ。チンクルシーバーは意地でも使いたくなかったし』
「?」
『気にしないで、こっちの話だから。で、肝心の仕掛けなんだけど……』



「アホか、そこでカギづめロープだろうが! 何度同じパターン繰り返したら気が済むんだよっ」
『あっそうか。さっすがリンクくん、頭いいね』
「こういうのを馬耳東風って言うんだっけ……まあいいや」
『おっと。モリブリンが出てきたから片付けてくるね』
「はいはーい。やれやれ、やっと一息つけ——」
『終わったよー』
「早っ! 相変わらず戦闘は得意なんだな」
『剣はずっと習ってたからね。あ、敵全滅したからカギが出たよ』
「ボスカギはもう持ってたよな。そろそろ最後じゃないか」
『どうだろ……。あっ、それっぽいそれっぽい! ボス部屋みっけ』
「おめでとう、やれば出来るじゃねえか」
『えへへ。本当にありがとう。出来ればまた、リンクくんと組みたいなあ』
「オレは勘弁だけどな。もう一人で行けるだろ、剣の腕は申し分ないみたいだし」
『そうかなあ。謎解きだけはどうしても苦手で……。
 あのさ、聞いてもいいかな。リンクくんはどこに住んでるの?』
「っ。多分、あんたのいるところからは遠いな、一日じゃたどり着けないくらい」
『そうなの?』
(正確には百年くらい離れてるからな……)「こっちも質問がある。あんたは、海が好きなのか?」
『そりゃ、もちろん。
 海ってさ。昔から当たり前みたいにそこにあって、無視する人も多いけど——ぼくは好きだ。ぼくが生きてく場所は、やっぱりここしかないと思う』
「……」
『へへ、語っちゃったかな。リンクくんのいる場所にも、いつか行きたいな』
「いつかな。あんたは必ず来るよ」
『うんっ。じゃ、またね』
「ああ、また」

「……」
「リンク、どうしたんですか?」
「! ゼルダか。びっくりさせるなよ」
「普通に声をかけただけなのですが。資料を持ってきましたよ。ほら見てください、これはハイラルに城下町をつくる計画が立ち上がった頃のもので」
「ふーん」
「リンク、うわの空ですね」
「うん」
「……ハァ。あら。その青い石、どうしたんですか」
「机の中に隠し場所があって、見つけた。なあ、これちょっとオレが預かってもいいか」
「むー、そうですね。ちゃんと管理してくださるなら、構いません」
「ありがとう」



(って、この石持って帰ってきちゃったけど、どうしようかなあ。ニコなら何か知ってるかもしれないから、そっちに見せるか。ラインバックが鑑定出来たら早いんだけど。
 そもそも、どうして百年以上前の海の世界と、ここが繋がったんだ? うーんうーん……)
『おーい。赤獅子、いるー?』
「……またかよ」




おまけ:プロトタイプ


「待って。ぼくが先に行く」
 誰がしゃべったんだ、今のは?
 オレはぎょっとして足を止めた。聖なる石版とやらを手に入れるため、神の塔の螺旋階段を上っているときのことだった。オレの他には、魂のゼルダしかいないはずなのに。
「幽霊船の時みたいになるのは嫌だから。いいよね?」
 また声がする。しかも、ものすごく近くで。
「おい、ゼルダ」と言ったつもりだったのに、声帯が震えなかった。状況を理解できないまま、「オレの」意志に反して、「オレは」今まで上ってきた階段を振り返った。
 知らない女がそこにいた。金髪、碧眼、どこかで見たような気の強そうな顔。髪型が、シャリンと名乗ったロコモ族の賢者さまに似ている。
「あんなヘマはもうしないさ。ま、ここはアンタに任せても構わないけどね」
 いかにも負けん気の強そうな声。オレはほっとした。
 ん? なんでほっとしたんだ。
 オレはもう一度、階段を上り始めた。もう完全に自由が利かない。ちょっと怖いんだけど。
「本当に、こんな広い大地があったなんてね」
 女に対する男の声は、感慨深げだ。オレと同い年くらいか。どこから聞こえてるんだか。
 それに、いったい何の話をしてるんだ。大地があるのは当たり前だろうが。奈落の底にでも暮らしてたのかよ。
 隣を歩く女は目を爛々と輝かせる。
「ここが新しい、私たちのハイラルになるんだ」
 一方、オレの体を勝手に使いやがっている男は、幾分か冷めているらしい。
「まだそう決まった訳じゃないよ」
 諭すようなその台詞は、むしろ自分に言い聞かせているのかもしれない。
 ……新しい、私たちのハイラル。そうだ、この国は百年前に建国されたばかりだった。
 それにあの女、どこかで見たことあると思えば——ゼルダの執務室に飾られてたステンドグラスの人、だよな。
 てことは。あれが初代女王テトラか!?
「神の塔っていうとさ、海に建ってるあっちのを思い出すねえ」
 テトラ女王はうきうきが隠しきれない。神の塔が海に? あ、オレたちの先祖は海の向こうからやってきたんだっけ。つじつまは合ってる。
 じゃ、この姿の見えない男は——テトラ女王と一緒にいるこいつは、いったい誰なんだ。
「そだね」
 オレは軽く笑った。笑うつもりなんて全くないんだけどな。どうやら、姿の見えない男とオレの行動は、完全に一致してるみたいだ。
「ちょっと、リンク! 誰かいるよ」
 テトラ女王が鋭く叫んだ。この男の名前もリンクっていうのか。偶然、なのか?
 天へと螺旋を描く階段の、次の踊り場にいる人物。オレにはその正体が、すぐにわかった。
 シャリン……さま(ばあさんって呼んだら怒られたから、さまをつけておく)。
 賢者のシルエットはどんどん濃くなる。なんだか厳しい顔をしているようだ。
「ここはお前たちのいていい場所ではない。帰れ」
 氷のような言葉を投げつけられた瞬間。
『——リンクっ!』
「……!」
 水からあがったときのように、反射的に息を吸い込んだ。手のひらをグー、パー。体は自由になっている。
 オレと同じ名前の人物の気配は、なくなっていた。
 幽霊みたいに半透明なゼルダが、心配そうにしている。
『大丈夫ですか、どうかしたのですか』
「何でもねえよ」
 ぶっきらぼうに答える。なんとなく気に食わねえんだよな、この姫様。
『それはよかった』とすぐに笑顔になるのも、虫が好かない。
 こっちが立場にかこつけて相当無礼なことしてんのに、なんも文句言わねーし。そんなの優しさじゃなくて甘さだ。そんなんじゃ、国民から(オレ含めて)ナメられんぞ。
 本当は、そう一息に言ってやりたかった。もちろん実行はしない。前科持ちになって、ニコじいちゃんに迷惑をかけるわけにはいかない。
 同行者の内なる不満には全く気づかず、ゼルダは威勢良く宣言する。
『では、さっそく森の石版を探しに行きましょう! そして私の体を取り戻すのです!』
 オレは渋々ついていった。またこの螺旋階段で、必ずテトラ女王と「リンク」に再会することを、予感しながら。

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