世界平和の三箇条

 ひとつ、常に前を見つめること。
 ふたつ、焦らず余裕を持つこと。
 みっつ、絶対に諦めないこと。
 これすなわち、世界平和の三箇条なり。



 思えば長い戦いだったよ。
 人生山あり谷ありって言うけどさ、どっちかっていうと谷ばかりだった。しかも、一度ハマると全然抜け出せないんだー、これが。焦って上ろうとしたら崖から真っ逆さまだし、冷静なつもりで道を戻ってみても、途中で進路が逸れちゃうし。
 それどころか、くねくねした曲がり道! あれでもよく失敗してさ。なにぶん道が細いから、勢い余ってコースアウト、はしょっちゅうだった。
 だからといってゆっくり進もうとしたら、時間切れの可能性だってある。だいたい、急かされてばかりの旅路だった。
 でも……それももう終わる。この坂を上りきれば。
 俺は一気に駆け抜けた!
「あ〜っ」
 と声を上げたのは、俺とヘナと、どっちだったんだろう。
 全身全霊をかけて挑んだコロコロゲーム、第八面。「これでラストだ」「苦しい戦いだったなあ」と極限まで盛り上がった俺の思いは、そのまま手の角度に直結した。
 ちっぽけなガラス玉は盤面を飛び出して、床の上を転がっていく。
 釣り堀のほとりに建つ小屋で待つのは、悪夢のようなミニゲーム。
 ガラス玉を拾い上げ、ヘナはこれ以上無いほどにやにやしていた。
「ゲ〜ムオ〜バ〜! ……もっかい、やる?」
 カーン。頭の中に、乾いた鐘の音が鳴り響く。
「くっそぉ〜」俺は即行でポーチに手を突っ込んだ。コロコロゲームは一プレイ五ルピー、一面クリアするごとに賞金十ルピー。俺が費やした金額は……数えたくもない。
 だが、しかし。
 財布の中身は空っぽだった。「あれ?」隅から隅まで探しても、一ルピーも見つからない。まさに無一文である。以前戯れにマジックアーマーを装着してみた時も、ずいぶん懐が寂しくなったものだが。今はあれよりさらに酷い。
 俺の情けない顔で全てを察したヘナは、
「あかん! お金ないんやったら、やったらあかん!」
 無情にも両手をばってんの形に交差させた。
 俺は黙って、カウンターの隅っこにいるピロロちゃん(ヘナの愛鳥)を見据え——次の瞬間、ある行動に出た。行き場のないイライラを、回転アタックで鳥にぶつけるという非人道的な行為だ。
 頭に血が上ってたんです。今は反省してます、ハイ。
「ちょっと、いらんことせんといてや!」
 一度目は非難の声もその程度で済んだけれど、
「……自分、ほんまええ加減にせな、帰ってもらうで」
 次第にヘナは半眼になり、
「もう許さへん! しょうもないことする奴は、帰れっ」
 俺は釣り小屋から叩き出された。



『もう。何やってるんだよ、リンク!』
 膝を抱えてゾーラ川の水面を眺めていたら、影からミドナが出てきた。当然ながら、怒っているようだ。
『あんなミニゲームにムキになって……。お前、今がどういう時か、わかってるのか』
 わかってるつもりだった。俺は頬をふくらませた。
「ああ。だからこそ、気分転換したかったんだ」
『ならもう気は済んだよな。さっさとゼルダを助けに行くぞ!』
 そう、俺たちの旅は終盤も終盤。あとはハイラル城に殴りこんで、ガノンドロフとやらを打倒するだけだった。「魔王を影で操るさらなる黒幕」みたいな馬鹿げた敵が出てこない限り、それで全ての決着がつく。
 さっきコロコロゲームをしながら述懐したこと——人生山あり谷あり——も、勇者の旅路と少し繋がっていた。谷だらけの細い道を転がるガラス玉と、綱渡りな冒険の日々。少し似てるだろ?
 やるべきことは、わかっている。でも……なんとなく、俺は物足りなさを感じていた。何度も苦汁をのまされたザントを倒したんだし、本来ならもっと晴れ晴れしい気分になっているはずなのに。
 俺が未だにハイラルをうろついているのは、心がもやもやしているから。何かやり残したことがあるんじゃないか、どこかに忘れ物をしたんじゃないか。胸中には、かまどの火をつけっぱなしで外に出てきた時のような、気持ち悪さが漂っていた。
 この悩みを解消すべく、「やり残したこと」として真っ先に思いついたのが、コロコロゲームだった。昔、三面くらいで飽きて放置していた、あのささやかなゲーム。……いの一番に出てくるのがそれだなんて、自分でも笑っちゃうような話だけど。
 問答無用でハイラル城に攻め込みたがるミドナへ、俺は水を差した。
「いいや。まだ、行かない。覚悟が決まらないんだ」
『現実逃避してたら、覚悟なんて決まるわけないだろ?』うぐっ、全くその通り。
「これが最後だから! 一生のお願いだから!」
『城に行く前に寄り道したいって頼んだ時も、同じこと言ってたよな。何回一生のお願いを消費する気だよ』
 だんだんミドナの声が低くなってきた。やっとの思いでザントに打ち勝ったのに呪いは解けず、ゼルダ姫は囚われたまま。なのに、ハイラルで唯一ガノンドロフを打倒できる勇者(つまり俺)が、突然目的の見えない寄り道をはじめたら……そりゃあ、怒るしかない。
 ふと脳内に、影の宮殿の光景がフラッシュバックした。僭王ザントを玉座の間まで追い詰め——ミドナは一族の魔力を使い——ザントは、風船のように破裂した。
(!)
 俺は幻影を追い払うように、何度も頭を振った。
「で、でもさ。とりあえず、どこに行くにしても、先立つものは必要だろ」
『まあな』
「トアル村に帰って、牧場で山羊追いでもして路銀を稼ぐ。そのくらいは、許してくれよ」
『……わかった』
 不承不承、といった感じでミドナは頷いた。彼女が影に消えると同時に、不穏な空気も和らぐ。
 はあー。一日に何人怒らせたら気が済むんだろ、俺。



 というわけで、俺たちはトアル牧場までやってきた。ラトアーヌの泉までポータルで移動して、そこからはエポナを呼んだ。
 山に囲まれたトアル村に帰ってくるのも、思い返せば久々だった。果てしなく広いハイラル平原を馬で走るのはたまらなく気持ちいいけど、一方でこの狭苦しさがなんとなく癖になる。十何年、ここで育ったもんな。
 トアル山羊たちは数ヶ月前と全く変わらない姿で、牧草を食んでいる。
「おーい、ファドー」
 山羊小屋に向かって大声で呼びかけたら、牧場主が顔を出した。相変わらずぬぼーっとした面立ちで、見てると妙に安心できる。
「リンク! 久しぶりじゃないか」
「そうだっけ?」
 あんまりにもファドが変わらないから、ミドナに出会う前の日常に戻ってきたのだと勘違いしそうになった。そんなわけないよな。むしろ、俺が一番変わったんだ。村を歩いていて物珍しそうなまなざしを向けられるのは、「全身緑の格好がへんてこりんだから」だけじゃない。
 俺は事情をかいつまんで説明した。もちろん、ミニゲームで財布をすっからかんにしたりヘナを怒らせたりミドナを不機嫌にさせたりしたことは、全部すっ飛ばして。
「それで、お金が欲しいから山羊追いさせてくれないか」
 ほとんど小遣いをたかるような調子の俺へ、ファドは苦笑を返す。
 今の俺は失業青年だ。目まぐるしい非日常に生きていたから忘れてたけど、キングブルブリンから子供たちを取り返すという名目のもとに、牧童の仕事をほっぽり出したわけだ。村としては一大イベントだった城下町行きすら果たせず、大変な時期に狼の姿で村を荒らし回ったこともある。もはや故郷には迷惑しかかけてないんじゃないか?
「山羊追いか、いいぜ。リンクの仕事なら安心できるからな。じゃ、頼んだ」
 それでも村に帰れば、いつだってみんなが迎えてくれる。これが幸せな状況なんだってことは、俺でもわかるさ。家族がいないことなんか、大したことじゃないって思えるくらい。
「よおーっし、張り切っていくぞ!」
 俺はエポナを駆って、山羊たちを小屋に追い返しはじめた。とにかく声を張り上げて誘導するのがポイントだ。
 前は効率を求めて必死にやっていたけど、外の世界を知った俺には、山羊追いにすら違う感慨がわいてくる。ルーティンワークをこなしながら、目線は暮れなずむ村の風景へと飛んだ。
 ……小さいな、牧場。昔はめちゃめちゃ広く感じたのに。山間のトアル村からすれば、まっ平らで広い土地は貴重だった。その上、あんなにたくさん山羊を持ってるファドはすごいなあ、と素直に思っていた。今でも尊敬の気持ちは変わらない。俺は牧童や勇者にはなれるけど、牧場主には絶対なれない。
「おっと!」
 敷地の隅で草刈りをしていたファドの方へ、はぐれた山羊が向かった。俺はエポナで跳躍して割り込んだ。
 ファドは驚いたようにこちらを見上げてから、「ありがとな」礼を言った。
 旅立つ前に山羊やサルがやたらと騒いでいたのは、森の神殿にあった影の結晶石が影響していたんだろう。今のこいつらは大人しいもんだ。
 小屋に入れたのは、ひい、ふう……二十匹。これで全部だな。
「終わったぞ〜」
 エポナから降りて小屋の扉をしっかり閉めた。ファドに報告へ行くと、
「リンクは、すごいなあ」
 お駄賃とともに、何故かこう切り返された。「へ?」
「だって、今はお国のために各地を回ってるんだろ。子どもたちも無事だったわけだし……本当にすごいよ」
 村人の中ではそういう解釈になってるのか。多分、モイあたりがうまいこと言ってくれたんだろうけど。
 ミドナのことも、今ハイラルを脅かしてる魔王のことも告げていないのに、素朴に応援してくれるなんて——。いつもならごく単純に、喜びに身を任せていただろう。だが、わき起こったのは苦い思いだった。
「そうでもないよ」
 現実逃避に夢中になってるんだよ、俺は。コロコロゲームのガラス玉みたいに大きな谷にはまって、ちっとも抜け出せないんだよ。
「お金足りなくなって、知人にせびりに来るくらいだしなっ」
 口に出しては、明るく言ってみせた。それでもファドは食い下がった。
「でも、リンクは絶対、何かを成し遂げるさ」
「何かを成し遂げる……」
 俺はあごに手を当てる。まだやり終えていないことは、いくつも思い浮かんだ。
「そうだ、久々に柵越えの練習して帰るか?」
「うん、頼む」
 とは言ったものの、平原で魔物相手に鍛えたエポナにとっては、お遊びみたいなもんだ。
 いくつか柵をジャンプし、最後に牧場の門を飛び越える。黄昏時のトアル村を横切れば、愛馬の影がすうっと伸びた。
『さあ、リンク。いよいよハイラル城に——』
「悪いミドナ。その前に、スノーピークに行かせてくれ」
『はあ? なんでだよ』
 怪訝そうなミドナの声。俺の横顔は、気持ち悪いほどにやけていただろう。
「まだ雪すべりで奥さんに勝ってないだろ」
 だからどうした、と言われる前に、俺は堂々と断言した。
「俺、ミニゲームを全制覇する!」



 呆れてワープも使わせてくれないかと思ったけど、ミドナはもはや説得を諦めたのか、黙って雪山に飛ばしてくれた。
 まだ制覇していないミニゲームは、例のあれを除いて二つある。リズの貸しボート屋でやってる川下りと、ここの雪滑りだ。ラッカのトリトリップ、城下町のスタアゲームはとっくの昔に遊び尽くしたし、スモモちゃんの川上りなんてパーフェクトを狙いに行ったくらいだ。
 ポータルをくぐって目に飛び込んできたのは、空の青と雪の白。スノーピークの山頂には、獣人のドサンコフと奥さんマトーニャがいた。
「わんわん!」(訳:こんにちは!)
 自分で出した声だが、俺が一番驚いた。うっかりそのままの姿で話しかけてしまった。最近狼形態に慣れすぎて、人間としてまずいところに行っている気がする。
「おお! こりゃあ、あん時のうまそうな狼じゃあ〜」
 いつも通りの大声で、ドサンコフは恐ろしいことを言い放った。そういえば、雪山の廃墟攻略前にもこの姿で会ったんだった。あのまんまるな目から発した食欲が、ビーモスの攻撃みたいに俺の身をじりじりと焦がす。
「なぁ〜晩飯にどうじゃあ〜?」
「わたし、今日はお肉の気分じゃないわ」マトーニャさん、ナイスだ。
「そうかぁ……残念じゃのぉ」
 とドサンコフが俯いた隙に、雪の斜面を駆け下り、人の姿に戻る。寒さと恐怖で指先までかじかんでしまった。
 若干強ばった笑顔で近づいていく。獣人夫妻はすぐに気がつき、
「おんや、オメェは」「お久しぶりですね、リンクさん」
 良かった、さすがに食料としては見られていないようだ。にしても、雪山の廃墟からここまで自力で上ってきたのかな。だとしたら、けっこう健康的な夫婦だ。
「奥さん、雪滑りしませんか!」
 びしっと人差し指を突きつけて、俺はさっそく宣戦布告した。マトーニャさんは可愛い顔で頷く。
「ふふっ! いいですよ。では私の家まで競争しましょう」
「望むところだ」
 雪滑りに使うボードは、凍った木の葉っぱだ。俺は威勢のいい言葉とともに片足を葉っぱに置いて、残った足で地を蹴った。奥さんも葉を使うのか、と思いきや。
「よいしょっと」マトーニャさんは腹ばいになった。こちらの当惑にはお構いなしに、スタートの合図とともにそのまま滑りはじめる。お腹、痛くないのか。
 しかもテンションが上がったのか、勝負の最中奥さんは「きゃあ〜っ」「うふふ……」などと、謎の奇声を発した。ちょっと怖いんだけど。いきなり覚醒大氷塊フリザーニャになったりしないことを祈るばかりだ。
 奥さんにばかり気を取られていたら負け確定なので、滑りの方に集中することにした。ドサンコフ相手に何度も挑戦したおかげで、ほぼ完璧に把握したコースだ。ショートカットの道筋まで覚えている。コース中盤、針葉樹林へ向けて大ジャンプしてから、脇道にそれる。
 かなり真剣に滑っていると、不意に奥さんが横合いから割り込んできた。ものすごいインコース。「うわっ」バランスを崩した俺は、壁に激突してしまう。
「いででで……」
 鼻頭を押さえる。口の中に血の味が広がった。奥さんは既に雪煙の向こうだ。
 このタイミングでのショートカット失敗は痛すぎる。ああ、もう勝てないな。そう思ったら、急にやる気がなくなった。曲がり道で失敗するなんて、コロコロゲームを思い出す。俺はしばらく雪の上でぼうっとしていた。
『どうしたんだ?』
 のろのろ立ち上がりかけたら、ミドナが声をかけてきた。
「もう帰る」
『おいおい。奥さんとの勝負は』
「また今度でいいや……」
 ミドナは呆れてものも言えないようだ。
 俺は気分転換のために気分転換する、という謎の悪循環に陥りかけていた。
「そんなことより、釣りでもしようかな」
 空元気を出して、ゾーラの里まで戻ってきた。釣り針はもちろん、ラルスに貰った珊瑚の耳飾りだ。ちょうど出現スポットが近いわけだし、ニオイマスでも狙ってみようかな。
 竿は片手で持つのが俺のスタイルである。まだじんじん痛む鼻を押さえながら、親子岩のあたりに陣取った。
『おい、リンク』
「なんだよミドナ」
『最近のお前、なんか変だぞ。一体どうしたんだよ』
 ぎくり。彼女の気遣いを嬉しく思うと同時に、申し訳なくなる。迷惑、かけてるよな。
 浮きが沈んだ瞬間を俺は見逃さなかった。返事を考えつつ、体は自然に動く。
「よしっ」丸々と太った赤い魚を、うまいこと一発で釣り上げることができた。思わず顔がほころぶ。においは強烈だけど、これがなかなかどうして美味しいんだ。
 ——はっとした。今の俺は、狼を見つけたドサンコフと同じように、この魚を食料としか見ていない。
 その瞬間、本音がこぼれた。
「魚は殺せるのに、魔物はたくさん斬ってきたのに、なんで魔王は殺せないのかなあ」
 影の方から、かすかに驚いた気配が伝わってくる。
『リンク……』
「今さらこんなこと言って、ごめんなミドナ」
 ニオイマスを針から外す。ぷうんと鼻をつく独特のにおい。
 この釣り竿は、コリンがつくってくれたものだ。あの子が目の前でさらわれてしまった時の、身を焼き尽くすような憤りが、ほんのわずか甦った。
 旅をはじめた理由は、単純だった。「さらわれた子供たちやイリアを助けたい」という思いが高まったから。それが今は、違う。俺は何人たりとも寄せ付けない、結界の張られたハイラル城に攻め入って、敵を討ち取らなくちゃいけない。影の世界と、ハイラルのお姫様を助けるために。
「びびったんだ、俺。他でもない、人間を斬るのが怖いんだよ」
 相手は、影の国に送り込まれても「神に選ばれし力」とやらで復活を果たした、文字通り化け物みたいな奴なのに。ガノンドロフはどこまでも人間として立ちふさがり、俺の心にさざ波を立てる。
 それに……。あのザントの最期、俺には結構ショックだった。ミドナが持つ古の力のことじゃなくて、他でもない彼女に手を下させてしまったことが、どうしようもなく嫌だった。
 俺は自分がやるのも嫌だし、相棒にやらせるのも嫌なんだ。だだっ子みたいな「嫌だ」は、堂々巡りを繰り返す。
 重い沈黙がおりた。ミドナも影に溶け込んで、川のせせらぎとニオイマスが跳ねる音だけがあたりを支配している。



 結局俺は雪滑りを放り出し、もう一つのミニゲームに手を出すことにした。
「妹さんと仲直りするには、どうしたらいいですかね」
 と、爆発したような髪型のお姉さん・リズに質問してみた。ゾーラ川上流の貸しボート屋で、いざ川下りに繰り出そうとする直前のことだ。妹っていうのは釣り堀のヘナのこと。このあたりは「リズ&ヘナ姉妹の大人の遊び場」として、ラネール観光協会が宣伝している。
 目下の所ヘナと喧嘩中な俺としては、妥当な質問だろう——が、リズは面食らったようだ。
「え? ……魚でもあげたらいいんじゃないの」
 月並みな答えとともに、ボートは川面を流れ出した。
 この川下りという遊びだが、俺としても十分オススメできるアトラクションだ。ハイラルの豊かな恵みを満喫できるし、ちょっとしたスリルも味わえる。ザントに攻め込まれる前は、さぞや人気を博していたのだろう。ただ、爆弾矢を扱える技術がないと遊べないから、どういう層をターゲットにしてるのかよく分からない。それを言うならスタアゲームも大概だけど。
 ボートの行く手にはバイトのゾーラの女の子が泳いでいて、点数計算と道案内をしてくれる。川下りしながら爆弾矢を撃ちまくって吊された的を狙うという、いつ水面に放り出されるかも分からないゲームだが、水のスペシャリストのゾーラ族がいてくれるなら安心だ。
 壁とぶつかった、一点減点。あっ赤い的を逃した! 二点ロスだ。
 そんなこんなで、当たり前のようにパーフェクトは逃してしまった。やっぱり集中できてないのかな。
「ご利用ありがとうございました!」
「……」
 ハイリア湖にたどり着いても、ボートから下りずに沈黙している俺へ、バイトちゃんが話しかけてきた。
「どうしたんですか?」
「バイトさんは、なんであそこで働いてるんですか?」
 質問に質問で返すと、彼女はほんのりピンクなほっぺに手を当てて、思案顔になった。
「何ででしょう……店長はケチですし、最近はあんまりお客さんも来ませんし」
 雇い主に対してずいぶんな言いようだ。
「正直、バイトをやめようと思った時もありましたね。ちょっと前、落石で川がせき止められてしまった時ですけど」
 ちょうどその時期に俺がのこのこやってきて、貴重な男手とおだてられて岩を破壊した。あの大岩ももしかすると、ザントの仕業だったかもしれない。
 バイトちゃんは、湖に黒々とした影を落とすハイリア大橋を見上げた。
「でも、里ではできない体験がありますし、川を泳ぐのは気持ちいいです。ゾーラの里が凍りづけになったり、ハイリア湖が干上がったり……びっくりするような事件がたくさんありましたけど、近ごろは、だんだん景気も良くなってる気がしますよ」
 俺が勇者として成し遂げたことは、思わぬ場所にまで波及していた。
「ありがとう」
「え? なんであなたがお礼を言うんですか」
 はっ、しまった。「ははは、言葉の綾だ」笑って誤魔化すしかない。
 そして、バイトちゃんは期待するような視線を向けた。
「どうします、もう一度川下りしますか」
「いや……」
 心の中では、「勇者の使命を果たさなきゃ」「まだ寄り道していたい」二つの気持ちがせめぎ合っている。今の話を聞いて、前者がだんだん膨らんできたみたいだった。
「また今度、来ます」
 ボートをバイトちゃんに託し、俺は泳いで湖の岸へ向かった。
『さあて、どうするリンク』
 ミドナのひそやかな声に、振り返らずに答えた。
「カカリコ村に顔を出すよ。そしたら——城に行こうかな」
 そろそろ逃げ続けるにも限界が来たようだ。



 ぎりぎりまで弓弦を引き絞り、一発で決めるつもりで矢を放った。——が、力加減を間違えていたのか、矢は的のすぐ横を通り抜けていく。
 カカリコ村のてっぺんにある見張り台、そこに立ててある木の棒を狙っているのだが、今日はどうも上手くいかなかった。
「ふん……衰えたな」と、わざわざ店から出てきてくれたマロに酷評された。スミマセン。
 ここでホークアイを使ったら、どう考えても負けだよなあ。がっくりと肩を落としていると、背後から誰かが近づいてきた。
「リンク、何か悩んでるわね。きっとまた、大事なことから逃げてるんでしょ」
「イリア!」
 対面すると、幼なじみは緑の瞳を軽く細めた。心の奥まで見透かされているみたいだ。
「俺が、逃げてるって?」
 図星である。末恐ろしいくらいの洞察力。俺は思わず身震いした。
「そうよ。ちょっと、お話しましょう」
 逃げ出す暇も与えずに、彼女は近くのオルディンの泉まで俺を誘った。おおこわ。どんな説教が飛んでくるのやら。戦々恐々としながら、泉のほとりに腰を下ろす。
 イリアはこんこんとわき出す水に、優しいまなざしを向けた。
「ねえ、リンクは覚えてる? 写し絵の箱の事件」
「え……ああ、あれのことか」
 写し絵の箱っていうのは、ボタンひとつでその場の風景を写し取ってしまう、とんでもない発明品のことだ。それが数年前、どういうわけかトアル村に伝わってきた。
 城下町からモイが持ち帰ったのだが、誰もがその珍しさに興味津々だったので、数日おきにそれぞれの家を回ることになった。舶来ものと噂の逸品が俺のところにきたのは当然最後だったけど、嬉しくて仕方なかった。
 山羊とか山羊とかファドとか、とにかくいろんなものを撮りまくったなあ。当然まともに扱える技術なんて無いから、現像してみたらピンぼけが酷かったけど、それを補って余りあるくらい面白かった。今でもお気に入りの写し絵は部屋に飾ってある。
 そんな、トアル村で一世を風靡した箱を、ある日俺は机の上から落としてしまった。ガシャンという音がして、しばらくその場から動けなかった。なんてつまらないオチだったろう。今なら「物が壊れたところで……」と笑って済ませられるかもしれないが、当時の俺にとっては大問題だった。あの日感じた罪悪感は、思い出したくもない。
 あの時も、「早く誰かに言わないと」「ずっと隠しておけないかしら」二つの気持ちが戦っていた。ずいぶんスケールが変わったとは言え、今とやっていることは一緒だ。
 そういうわけで四六時中悶々としていた俺を、イリアが目ざとく見つけて、一緒にモイのところへ謝りに行ってくれた。
「箱を壊したこと、ずっと黙ってたでしょう。あの時も今みたいな顔をしていたわ」
「……鏡で確認してないから、わからないよ」
「またそんなこと言って。本当、変わらないわね、リンクは」
 イリアは笑いをこらえているようだ。
 俺はずっと変わってないのか。それともやっぱり変わってしまったのか。さあ、どっちだろう。
 旅のはじめから現在までの記憶が、写し絵の箱で撮ったように、断片的な絵として浮かび上がってくる。
 俺ははじめ、子供たちを助けるために旅に出た。正体不明のミドナにも渋々従い、影の結晶石を集めた。その過程で、ひとまず最初の目的は果たすことができたわけだ。
 旅を続けるうちに、だんだん目標はふくらんでいった。精霊、光と影の戦い、勇者と魔王。俺の旅はハイラル全土を巡る、大きなものに変わっていった。自分が中心にいるはずなのに、気がついたらそれは、俺個人じゃ太刀打ちできないレベルの渦になっていた。
 それでも今までは、ただ渦に巻き込まれているだけで良かったんだ。ザントに対する怒りはとっくに臨界点を超していたし、自分を突き動かす衝動があったから、前に進むことができた。
 ターニングポイントは、影の宮殿でザントを打倒した瞬間。燃え尽き症候群っていうのかな、いきなり目的が消えてしまったように思えた。だから俺は気分転換と称して、終わりの見えない寄り道に走りはじめた。
 でも……今、やっとわかった。俺が見失っていただけで、目的はずっと変わらなかったんだ。
 大昔のささいな出来事もしっかり覚えていて、俺を見てくれる人がここにいたから、気づくことができた。
 俺はすっくと立ち上がった。
「やっぱり、行かなきゃ」
 その台詞を聞いて、イリアは満足げな表情になった。
 ガノンドロフを倒す。ハイラルが全部あいつのものになるのは、癪だ。
 このカカリコ村は、影の侵略によって村人を失った。その後、子どもたちやゴロンのおかげでなんとか賑わいを取り戻したわけだけど、生き残ったレナードやバーンズの心痛はどれほどのものなのだろう。ハイラル全部がカカリコ村みたいなことになったら、「最悪」なんて一言じゃ済まないんだ。
 覚悟を決めた俺のもとに、子供特有の軽い足音がやってきた。
「リンク!」
 コリンだ。ひ弱そうだった表情はきりりと引き締まり、もう立派な男の顔だ。
「イリア姉ちゃんも。こんなところで、どうしたの」
 全身からあふれるのは期待と信頼。それに応えたい、と素直に思えた。俺はあえて、大言壮語を放った。
「コリン、そろそろ家に帰る準備しとけよ。あの平原、もうすぐ馬車が安全に通れるようになるからな」
「えっ」
 イリアともども、目を丸くしていた。俺が何を示唆しているのか、わかったんだろう。
「村に帰る時は、お前がみんなを守るんだぞ」
 下手なウインクを決めてみせると、コリンは感極まったように頷く。
「——うん!」
 大人の仕事は、子供の夢を守ること。かっこいいところ、見せとかないとな。
「それじゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。……気をつけてね」
 控えめに手を振って、イリアは微笑んだ。
 できるだけクールに見えるように背中を向けて、カカリコ村の出口方向へしばらく歩いてから、俺は影に向かって話しかけた。
「ミドナ、いるか」
『いるよ』
「……最後に一回だけ、いいかな」
『コロコロゲームだろ?』
 即座に言い当てられた。あれま、わかってたか。
 ミドナはごく短く息を吐く。
『いいよ。それでお前の気が済むなら、な』
 俺は笑った。ここにも、無条件で信頼してくれる相棒がいる。
「いつも待っててくれて、ありがとう」
『……気にするな。お前が城攻略の途中で帰りたいなんて言い出したら、困るしな』
 ミドナさんってば、素直じゃないんだから。
 まあ、コロコロゲーム以外の遊びは、また今度ってことでいいよな。マトーニャさんにはニオイマスをお土産に、勝負を途中で放り出したことを謝りに行こう。
 多少のやり残しがあったって、いいじゃないか。ハイラル城から帰ってきたら、いくらでも時間があるんだから!



 長い長い迂回路の果てに、俺はあの釣り小屋まで戻ってきた。女主人ヘナはカウンターの向こうから、じと目でこちらを見てくる。
「……なに?」
 ごくり、自分の喉が鳴った。
「御免なさい」
 俺は平身低頭した。結局、謝る方法といったらこれくらいしか思いつかなかった。
 ヘナはほうっとため息をつく。
「ほんま、ゴメンで済んだらハイラル兵もいらんねんけどな……。しゃ〜ないから許しとったるわ」
「ありがとう!」
 俺は男らしさを示すため、オレンジに光り輝く百ルピーをがつんとカウンターに置いた。
「これで八面をクリアする!」
 一プレイ分の五ルピーじゃないあたりが、多少の弱気を表すわけだが。ああどうぞ、笑ってくれ。これが精一杯なんだ。
「ほんまかいな。前は五百ルピー使ってもゴールできなかったのに」
「やるったら、やるんだよっ」
 そうだそうだ、こういう強い決意こそが世界平和に繋がるんだ。
 俺は、誰もがのんきにミニゲームで遊べるような、平和な世界をつくるんだ。ミドナもイリアも子供たちも、ヘナたち三姉弟も、獣人夫婦も、まだ見ぬゼルダ姫も。難しいこと考えずに、黄昏の空の色に感動して、飽きるまでのんびり釣り糸を垂らせる、そんなハイラルにするんだ。
 そのためなら、どんな深い谷だって越えるのは怖くない。
 俺の覚悟に呼応するように、ちっぽけなガラス玉はたくさんの坂を上っていった。最後のカーブを曲がった時、俺の心は不思議と薙いでいた。
「ゴ〜〜〜〜ル! おめでとう、全レベルクリアやでっ」
 ヘナの大喜びとは対照的に、胸中は静かな達成感に満ちあふれている。
「コロコロゲームは案外、大事なことを教えてくれたのかもな」
 俺の手のひらには、世界平和と同じくらいの重みがある十ルピーがのっかっていた。



 ひとつ、常に前を見つめること。
 ふたつ、焦らず余裕を持つこと。
 みっつ、絶対諦めないこと!
 これがすなわち、俺の見つけた世界平和の三箇条だ。

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