猫を呼ぶ笛の音色

 雨足が早い。
 ザアザアと石畳を間断なく叩く音が無視できないほどの大雨。お菓子作りの計量みたいにちまちま降り始めた一瞬後にはこれだ。空き瓶級からハイリア湖レベルへのとんでもない飛び級である。
 とりあえず雨に急き立てられて走ってはみたものの、どこで雨宿りしよう。東門から入ってきた瞬間の出来事で、しかも城下町に来た理由が「なんとなく」だからこれといった目的地もない。ひとまずどこか屋根の下で羽を休めたいなあ。
 一番近いのはあの医者の家だ。……却下。理由は言わずもがな。あの人がめついから、逆に滞在料金を採られそうだ。マロマートは……「カッチャイナー」というフレーズが頭に流れてきた瞬間全力で否定した。あんなところに長時間いたら洗脳される。仕方ない、ちょっと遠いけど、無難にテルマさんの酒場にでも行くか。
 駆け足で道を突っ切ると水が跳ねる跳ねる。たちまちブーツやズボンがドロドロだ。あー、勇者の服着てくれば良かった。あれならボロいから濡れても汚れても問題ないし……光の精霊には怒られそうだけど。
 俺と同じく、人々がわらわらと最寄りの店に散り目的地に駆け込んでいく。南門近くの露店は慌てて店じまいしているところだろうか。やがて真っ昼間に珍しく、城下町が閑散となる。雑踏が雨音に変わる。似たような雑音なのに、全然違う雰囲気をもっている。なんだか不思議な感じだ。
 ジェバンニの家の前を通る。いつか来たときはは浸水してたよな、ここ。……住んでて大丈夫なんだろうか?
 いつも広場にたむろしている猫たちはちゃんと避難しているらしい。きっとリーダーのゲンゴロウが誘導したんだろう。よく転がして遊んでいる赤い鞠だけがぽつねんと雨に打たれていた。
 あれ、鞠のそばに、一匹残っていた。明るい茶毛、濡れ鼠ならぬ濡れ猫。
 完璧仲間はずれにされたクチだな。ウロウロして落ち着きがない。ぐっしょり濡れた毛並みが切さを倍増させている……。ぐっ、いち猫好きのハートが刺激された。仕方ないなァ、連れてってやるか。あそこの酒場にはとっても頼りになるルイーズ様がいらっしゃるし。
 俺が近づくと、猫の耳がぴくっと動いた。途端に火がついたように走り出す。なんかショックだ。決して邪な魂胆があったわけじゃないのに……。
 でも、どこに行くんだろうか? 行くアテがあるということか。気になってこちらも走り出し、追いかけ、すぐに全速力に切り替える。水溜まりにも足をとられず、風のように駆けていく猫——あれに追いつくのは至難の業だ。ああ、こんなときケモノになれたら楽なのに!
 既に服はびしょびしょである。さぞかしみすぼらしい姿なんだろうな、俺。ここまでくると寧ろ濡れるのが楽しくなってきた。衆人環視が怖いから、子供みたいにはしゃいで遊べないのは残念だ。
 黄金の聖三角・トライフォースを模した王家の紋章が飾られた噴水が見えてきた。このコースだと、中央広場を斜めに横切る形となる。行き先は一体——あ、前方に背の高い建物が見えて、気がついた。
 展望台。
 なるほど、確かにあそこなら雨宿り先にはピッタリだろう。猫一匹くらい潜り込むのも容易いし。前はゴロン族が細々と商売やってたけど、今はどうなってるんだっけ。
 どうやらついでに俺も雨宿り出来そうである。しかもタダで! ラッキー。
 やはり予想は当たっていた。古めかしい建物の足下にたどり着く。ご丁寧にちょこっとだけ開いた観音開きの扉を、猫がしずしずと入っていった。俺もついに追いつき、なるべく音をたてないようにくぐる。
 ぼんやり薄暗い。ここ日当たり悪いのに、昼間は明かりないんだった。そんな室内に対して、妙に窓の外は白く明るい。たとえ雲で覆われてようが、お天道様は意地でも光を届けてくれるらしい。
 いつ来ても埃っぽいなあ……。と愚痴を言いつつ袖を絞る。そりゃもう、雑巾みたいに後から後から水分が追い出されていく。あーあ、よく出ること。
 その時。俺は出し抜けに顔を上げた。理由はとくになかったが、後で考えたら視線を感じたから、かもしれない。
 とにかく俺は間抜けな顔で首を動かした。そして、彼女と目があった。
「……誰?」
 というのは俺が発した問いだ。彼女はその辺に転がっている木箱に腰掛けて、こちらを見ている。偶然知り合いにでも会ったかのような「ああ」って感じの表情だった。なんでだ。
 その人は不思議そうに見返してくる。
「覚えてないんですか」
「初対面でしょう」
 即答すると、彼女はちょっと困ったように思案した。「私です、ええと……」慎重に小声で名乗る。
「ゼルダです」
「はあ、ゼル……ええぇっ!?」
 人目もはばからず盛大に驚いてしまった。即座に冷たい目を向けられ口を閉じる。
 彼女は、いやゼルダ姫は普通の格好をしていた。もちろん上流階級基準ではなく城下町基準の「普通」だ。信じられないほどサラッサラの茶髪も、くすんだ色合いのカーチフ(刺繍や柄のついた正方形の布)でさりげなく隠し。白を基調としたボーダー模様のストールをしゅっと肩にかけて。——どれもこれも、身につけているのは町で売っているような、なんの変哲もない品々だ。王国の最高権力者がこれを自然に着こなしているなんて……。これなら自称虫さん王国のプリンセス・アゲハちゃんの方が目立つだろう。あ、彼女はいつも目立ってるか、悪い意味で。
 じゃあ城にいるときの姫は化粧で誤魔化して……いや、なんでもない。
「いつもと違うお化粧ですから」
 彼女は憮然として言う。もしや持ち前の神通力で心を読んだのか。いや、多分顔に出ていたんだろう。無礼な奴もいるもんだ。俺のことだけどな!
 本当、化けるなあ。イリアもこうなのだろうか……。
「ちっとも気づきませんでした。お忍び、慣れてるんですね」
「ずっと前からよくやっていますから。でも、町の方は気づいていると思いますよ」
「え? お忍びの意味ないのでは」
「私がこの姿で町にいる、ということが重要なのです。王家は民のことをいつも考えている、という——」
「なるほど、アピールになるわけですね」
「俗な表現だとそうなりますね」
 冷えた口調、空気が悪くなる。あ、ちょっと嫌われたかな。
 分かっていたことだが、この人とは馬が合わない。というか俺が一方的に苦手意識を持っているだけかな。生真面目過ぎるのだ、このお姫様は。そして頭が固い。
 ミドナを陰りの鏡まで送って行く時だった。ポータルで移動すれば一瞬なのに、ゼルダ姫はハイラル兵に送らせると頑として譲らなかった。彼女は知っているのだろうか、鏡のある砂漠の処刑場への道は閉ざされており、翼のない種族は人間大砲で飛んでいくしかないということを……。
 その時はミドナが説得してくれたおかげで折れてくれたのだが、正直俺一人では相手に仕切れなかったと思う。
 嫌だな、気まずい雰囲気だ。なんとか取り繕おうと、無理矢理気味に話題を変えてみる。
「あ、俺猫を追って来たんですけど、どこいっちゃったのかな」
「猫ですか。あら、みんないなくなっていますね」
「みんな?」
 質問には答えず、おもむろにゼルダ姫はカナリア色のオカリナを取り出し、口をつけた。息が音楽になって空気を震わせる。水を横糸に、垂れ込める雲を縦糸にして織り上げ、奏でるのは雨の歌——。
 意思の強そうな唇が紡ぐ息は細く、頑固な性格に似合わず繊細なメロディだった。素朴な音色がじんわり心に染みる。
 いつしか、俺はどこからともなく湧いてきた猫に囲まれていた。いや、姫のオカリナに惹かれて出てきたのだろう。階段の上から、無造作に放置された木箱の陰から、次々に姿を現す種々雑多な猫たち。いくつか見知った顔もあった。ジェバンニ広場の常連だ。笛と猫か、なるほど。
 曲が終わりを告げる。満場の拍手を贈りたかったが、さすがにそれは叶わない話なので一人分の乾いた音だけが響いた。お見事!
 満足げにゼルダ姫は微笑んだ。この人の笑顔、初めて見た気がする。
「この子たち、笛の音色が好きみたいで。知らず知らずのうちに寄ってくるのです」
「良さがわかるんですよ、きっと。
 あの。なんでオカリナを……?」
 彼女はちょっとうつ向いた。あれ、耳が赤い。
「あなたが草笛で馬を呼んでいたでしょう。それに憧れて……」
 なんだそんなことか。俺もモイが鷹を飼い慣らしているのを見て必死に練習したんだった。ちょっと得意になって自慢する。
「お望みなら鷹も呼べますよ。草笛なら草で練習すればいいのに」
「草ではちっとも音が出ないんです」
 むすっとしてそっぽを向かれた。珍しくむきになってらっしゃる。
 ささやかな優越感に浸りつつ、なるべく爽やかに見えるよう俺は笑った。
「吹きやすい葉があるんですよ。今日は休日なんでしょう? 今から外に行って練習しませんか」
 思いもよらなかっただろう俺の申し出に、ゼルダ姫は混乱したように猫たちを見回す。
「でも……、外は雨です」
「もう上がりましたよ」
 肩越しに窓を指差す。もう雨音はしない。燦々と陽光が差し込んでいるはずだった。
 ゼルダ姫は目をキラキラさせてうなずいた。どんなに外見で「普通」を装っても、この瞳だけは誤魔化しきれない。未来を照らし出す青い光が輝いている。
 キリリと目尻を上げ、ゼルダ姫は頭を下げた。
「お願いします、リンク」
 俺は、使命を与えられたような気分だった。これが威厳というものか。突きささる視線に、痺れるような心地よい刺激を感じる。今なら勢いで敬礼とともに「イエス・サー!」くらい言えそうだ。
「わかりました大将!」
 残念ながら、口をついて出たのは全く別の言葉だったけれど。



 ここからは余談だ。ちょっと不名誉な話なので。
 城下町、南門前。不便な位置にあるので利用する人は少ない。多分俺くらいかな? なのに、城の正面玄関だけあってご立派な構えを誇っている。一体誰にだ。
 たまにアゲハちゃんがお花を摘んでいるような、ぽわぽわした場所に姫を連れ出し、俺は草笛に適した草を探していた。
「お……あったあった」
 体よく見つけて、数枚むしる。いつも使ってるよく音が響くやつではないが、これもなかなか音が出やすい。地平線に沈む太陽を上下逆さにしてくっつけたような、いかにも「葉っぱ」という形をしている。
 手招きすると、離れたところでエポナと戯れていた姫が寄ってきた。
「これがそうなのですか。もっと変わった種類なのかと思っていました」
「でも音は出やすいですよ」
 中指と人差し指を揃えて葉っぱを唇に押し付け、吹き鳴らす。思いがけなく大きな音が出る。うん、なかなか今日も調子がいい。得意げに音程を変える俺を見て、姫は俄然やる気を出したようだ。彼女は俺を真似して思いっきり葉に空気を送り込んだ。
 驚いたことに、一回で音が出た。しかし、まあ、あまり上品ではない音だった。俺は不可抗力で眉をしかめ、近くで所在なさげにしていたエポナはぎょっとしてこちらを見た。何故か謝りたくなった。
「下手ですね」
 おっと思わず本音が。慌てて口を押さえるも、時すでに遅し。
「……」
 彼女は無表情で暴言を聞き流し、それは辛辣な口調で言ってのけた。
「全く持ってその通りですね。では上達するまで付き合ってください。ついでに城の復興も手伝ってください」
 げ。「ついで」と言いつつそれが本命なんじゃないか! 面倒くさいのが嫌で逃げていたことがバレている……。やっぱりこの人苦手だー!

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