カゼイン

 カウンター席の奥から三番目。一つだけ買い足されたのだろうか、ズラリと並ぶ他の椅子たちよりもほんのちょっぴり新しくて、座り心地がいい。ここが俺の定位置だった。
「いつもの」
 それだけ言って、腰を下ろす。古ぼけた床が椅子の脚と擦れて年季の入った音をたてた。
「はいよ」
 落ち着いた返事と共に、乳白色の液体が入ったコップが目の前に置かれる。うん、これこれ。
 からからの喉が狂おしいほどに水分を求めていた。一も二もなく手を伸ばす。
 少しだけ中身を口に含み、舌の上で転がしてそれを味わいかけて——
「うええ、げほっ」
 むせた。な、なんだこの味は。いつものやつじゃ——トアル山羊のミルクじゃないぞ!?
 涙目になって店主のテルマさんを見ると、それはそれは楽しそうに笑っていらっしゃった。あ、畜生図られたな。
「ものの見事に引っかかったな、リンク殿」
「『牛乳』のお味はどうでしたかな」
 さらには左右からの声だ。いつの間にやら、女騎士アッシュと老剣士ラフレルさんが両隣に来て腰を下ろしていた。店主も含めて三者三様に「してやったり」という表情を浮かべている。
 ちぇ、みんなグルだったのかよ。
 むすっとした俺を見て、テルマさんはカラカラと笑った。
「悪いねえ。珍しく面白いものが仕入れられたからさ、みんなで驚かせてみたんだよ」
「なかなか良い反応だったぞ」
「誰でもビックリするだろ、これは……。
 で、これが『牛乳』ってやつですか? いつものミルクじゃないんですか」
 しかめっ面で諸悪の根源であるコップをつつく。
 舌が、独特の後味をハッキリと主張していた。愛飲している山羊のミルクよりあっさりしており、それでいてまとわりつくような奇妙なコクを併せ持つ——不可解さに、どんどん眉間に皺が寄っていく。なんだろうこれは。
「いや、似たようなものだ。山羊ではなく、ウシという動物から採れるミルクらしいぞ」
 と、生真面目なアッシュが答えた。俺は首を巡らせ、
「ウシかあ。見たことないな。どんな動物?」
 久々に「牧童リンク」が顔を出す。餌は? 運動量は? などと専門的な質問を思わず投げかけそうになった。
 俺が一人でワクワクしていると、再びアッシュが、
「ラフレル殿は知っておられるのであろう。よろしければ私にも教えてください」
 人の良さそうな笑みを浮かべ、ラフレルさんが頷く。
「昔はこのハイラルにも、たくさんウシがいたそうです。商品としてミルクを出荷している牧場もあったとか。さらには、なんと野生のものまで平原地下の至るところに存在したらしいですな」
「それなら……何故、今はハイラルにいないんですか?」
「理由はハッキリとは分かっておりません。その牧場がハイラルから撤退したのが原因かもしれませんな。
 しかし、そんなに繁殖していた種がいきなり途絶えるのは、おかしいとは思われませんか?」
「確かに」
 アッシュが顎に手を当てて目を伏せた。睫毛が長い。山に籠もってたと言うわりには、洗練された動作だった。
 彼女につられて、俺もテルマさんも思考を巡らせ始める。
 自分の世界に没入していく仲間たちに、ラフレルさんがにやりとした。
「そこで、老輩にはある考えが浮かびました。
 ——さて、現在、平原で最も栄えている生物は何でしょうな?」
「はい?」
 唐突な話題転換について行けない俺に対して、アッシュは素早く、
「カーゴロック……ではないな。スノーピークならもっと詳しいのだが」
「ふうん。リンクは知らないかい?」
 話題を振られても、俺は答えられなかった。いや、答えには行き着いたんだ。けど、これはまさか——。
 視線が集中しているのを感じる。言わざるを、得ない。
「ブルブリン、だ……」
「そうです。老輩は、ウシがアレに進化したのではないかと考えております」
「へえー」
「なるほど」
 女性陣はそれぞれに感心と尊敬の入り交じった眼差しで老剣士を見つめる。
 ちょ、ちょっと待て!
「感心してる場合じゃないって。それじゃ、俺があいつらの乳を飲んだってことに等しいんだぞ!? 顔合わせづらいだろ!」
「リンク殿は面白い発想をなさるなあ。この牛乳は他の国からの輸入だから大丈夫ですよ」
「気分の問題ですから! 俺にはラフレルさんの発想がおぞましくて仕方ないです」
 うう、ぞわりときた。この鳥肌は気のせいじゃないぞ。
「おいおい。ラフレルさんよ、いくらなんでもそれはないだろ」
 はは、ついに俺は天の声が聞こえるようになったらしいな。ん? その割には野太いぞ。これは……モイの声だ!
 救世主のごときタイミングで来店したモイは、ラフレルさんの隣の席に座って腕を組んだ。横やりを入れられたラフレルさんはとぼけた表情で、
「ありえない、ですと? 何故ですか」
「あのなあ、普通たった百年あまりでここまで進化するか? ウシって四つ足大型動物だぞ。おおかたアンタのお得意のホラだろう。
 リンクもリンクだ。ほら思い出せ、昔イリアが後生大事に抱えていた、白黒まだら模様のぬいぐるみがあっただろう。あれのモデルがウシだ」
「あーあれのことか。角のない山羊だと思ってた」
「お前な……」
 一方アッシュは、軽いとはいえ「尊敬する老剣士が嘘をついた」という事実にショックを受けたようだ。
「ラフレル殿、ホラというのは本当なのですか」
「ええ。すみません、リンク殿をからかうと反応が面白くてやめられなくなったのです」
「は、はあ。そうですか」
 こうもあっけらかんに言われると、逆に怒る気をなくしてしまう。ったく、なんで俺をからかっただけでそんなに楽しそうなんだ? その楽しみを分けてくれよ。
 おおかた、最初の悪戯も彼が提案したのだろう。意外とお茶目なおじいちゃんなんだな。あのゼルダ姫の養育係とか言うから、どんな杓子定規な人かと身構えてたのに。
 モイは言うだけ言って満足したのか、自分の役目は終わったとばかりに相好を崩し、
「おいテルマ、俺にも牛乳くれよ」
「あ、私も所望する」
 次々と注文の声が途切れなく続いた。結局、酒場で四人も知り合いが集まれば、必然的に飲み会になるしかないのだ。俺はまだ酒飲まないけど。
「はいはい。たっぷり仕入れてあるから遠慮しなくていいからね。
 あ、リンク。牛乳おかわりするかい?」
「しませんよッ!?」

inserted by FC2 system