空の勇者論

 大空に飛び込む夢を見たんだ。
 俺そっくりのその人は、なんだか見慣れた緑の服を着て、雲の切れ間に飛び込んだ。信じられないほど高い空の上から。どうやら直前まで、近くを飛んでる紅い鳥に乗ってたらしい。
 正直、怖かったよ。だってさ、こーんなに! 木が小さいんだぞ? 人間なんて見えないんだぞ。
 でも。その人は笑っていた。
「だからさ、空から飛び降りたら楽しいのかなー、って思ったんだ」
『ほーお。で、楽しかったか?』
「なかなか。大砲の一発昇天とは別の快感があった」
 そう言ってにっこり笑ったら、あのオレンジの髪の毛でミドナに頬をつねられた。痛いです。
『あのなあ。それが、天空都市から飛び降りた理由になるのか!?』
 彼女は、目が糸になるくらいまなじりをつり上げた。
 怒られるのは当然だと思う。でも飛び降りだなんて人聞きの悪い。ちゃんと天空砲を使って、地上に戻ってきたのだから。
 ただ一つ、致命的なミスがあったんだけどな。
「……アイアンブーツ履きっぱなしだったのは、うっかりしてたよ」
 直前まで、風がびゅうびゅう吹き渡る天空都市にいたわけで、安全確保のために重りを身につけていたんだ。重りつきで「飛び降り」たら、どうなるか分かるよな。
 ものすごい勢いで落下するわ、着水したハイリア湖にはズブズブ沈んでいくわ、俺はパニックになって失神するわで——てんやわんやだった。
『ゾーラの人に拾われなかったら、お前は死んでたところだったんだからな……』
 わなわなとミドナの肩が震える。これは何を言っても怒りが冷めないパターンだ。
『もうお前は城下町に帰って、ゆっくり休め!』
「へっ」
 あ、心配してくれてるんだな。妙なところでミドナさんの優しさが発動しちゃったよ。
 というわけで、俺たちは大人しく城下町に向かった。



「? なんかいい匂いがする」
 俺は鼻を鳴らした。やばい、ケモノの時の癖が抜けてないぞ。
 いつも通り西門から城下町に入って、すぐのことだった。このかぐわしい香りが漂ってきたのは。
『騒々しいな……祭りか何かか?』
 ミドナは別のことに気を取られているみたいだけど、そんなことよりこの匂いだ。俺のよおく知っているアレに違いない。すなわち、
「トアルカボチャと、ニオイマスと、トアル山羊のチーズを混ぜた匂いだ」
『聞き覚えのある組み合わせだけど』
 首をひねるミドナ。ふっふっふ。残念ながら、俺の方が先に、答えにたどり着いちゃったみたいだな。
 西通りから裏路地を駆け抜けて、南の商店街へ向かう。そこには。
「おお〜っ、久しぶりだのお!」
「まあ、リンクさん」
 見慣れぬ新しい屋台と、獣人の夫婦がいた。狭い通りをあの巨体が占領している光景には、なかなか迫力がある。相変わらずドサンコフの声はうるさいな。
 俺も負けじと声を張り上げた。
「よう、久々! こんなところで何やってんだよ!!」
『声が大きい、張り合うな』
 という冷たいツッコミの声は、もちろん獣人たちには聞こえないのだった。
「スープの屋台を出してるだあよ」
 何それ、俄然興味がわいてきた!
「あなたが、主人のつくったスープがおいしい、と言ってくれたでしょう? きっとハイラルでは重宝されるんじゃないかと思って」
 なるほど、奥さん発案なわけですね。あんな山奥に住んでいるのに、商売っけがある人だこと。
「どうだ、食ってくか?」
「ああ!」
 ちょうど空いていたビンに、詰めてもらった。並々注がれる橙色のスープに、むくむくと食欲がわいてくる。
 実はさ。「あのスープは雪山で飲んだからこそ、おいしかったんじゃないか?」なんて思って時期もあったんだ。全く、あの頃の俺を蹴飛ばしてやりたいね。
 ほとんど偶然できたような代物だったけど、これは間違いなく「極上のスープ」だったんだ!
「うん、めちゃくちゃうまい! 値段は?」
「10ルピーですわ」
『マジかよ!』
 思わずミドナもびっくりだ。お得すぎるだろその値段は。温泉水だって倍の20ルピーするのに。原価が気になるぞ。
「オメエが教えてくれた通りに、カボチャとチーズを仕入れたら、安くあがったんだーよ」
 そういやそんなこと熱弁したなあ。その場で紹介状まで書いて。さりげなく地域振興に貢献する俺、ナイス。
 極上のスープは、半分ほどビンの中に残しておいた。
「商売、うまくいくといいな」手を振って、夫妻と別れる。
「またいらっしゃってくださいね」
 スープをすすりながら、中央広場に足を向ける。ものすごく混雑していた。
「何だろう?」
 より人が密集している方へ歩いていったら、群衆がぎょっとして俺を振り返った。変なの。スタアゲームで有名になりすぎたのかな。
『見ろ。芝居をやってるぞ』
 ミドナは影の中から見放題だ。俺も、がんばって背伸びした。こういうとき、自分の残念な背丈がすごく悔しい。
(あれは……!)
 視界に入った役者を見て、はっとした。俺の服そっくりな緑衣を着ている。つまりこれは、古の勇者伝説を元にした芝居だ。
 でも、どうしてこれほど客が集まるのだろう。勇者が題材だなんてありふれてる。トアル村出身の俺ですら、絵本でさんざん親しんだお話だ。
「今度の芝居はね、新解釈なんだよ」
「シャッド!?」
 いきなり後ろから声をかけるなよ、びびるから!
「新解釈って、どういう意味だよ」
 学者らしく気取った動作で、シャッドは眼鏡をずり上げた。
「つい最近、『古の勇者は天空からやってきた』という新たな学説が出たのさ」
 とっさに思い浮かべたのは、空の上から飛び降りる、あの鮮烈なイメージだった。
 頭の中で、かっちり謎が組み合った。このタイミングで、天空大好きなシャッドが出てくるということは。
「なるほど、脚本にはお前が一枚噛んでるってわけか」
「まあね。それと、ラフレルさんの姪御さんも。彼女と共同研究したのさ」
「……誰だっけそれ」
「イリアさんの無事を祝うパーティで、レシピを提供してくれた人だよ」
「ああチーズフォンデュの人か!」
『その覚え方はどうなんだよ』
 ミドナのつっこみが入る。いや、そのインパクトが一番強かったんだよ。
 俺はわざとらしく両腕をかき抱いた。
「にしても、なんで広場で芝居なんてやってるんだ? こんなに寒いのに」
 シャッドが、メガネ越しの瞳をまん丸にする。
「何言ってるんだ。古の勇者の聖誕祭は、今日だろう」
 ぽかーん、と口が開いた。そうか。獣人夫妻が屋台を出したのも、そう言うわけだったのか。
 旅から旅への生活で、すっかり暦の感覚がなくなっていた弊害が、ここにきたわけだ。聖誕祭なんて光の世界の風習だから、ミドナも知るわけがないし。スノーピークに住んでいる獣人ですら覚えていたのに、俺ときたら……。
「そっか。記念すべき日なんだな」
 おあつらえ向きに、今日は快晴だ。俺は空を振り仰いだ。もしかしたらあの雲の向こうからやってきたかもしれない、先代のことを思いながら。

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