彼の岸に咲く花

 ビロードのような真紅の花びらを舞台に、二匹の蝶がダンスしていた。
 あの独特なふらふらとした動きが、手を取り合って踊っているように見えたのだ。白く照りつける日差しすらスポットライトのごとく光量が絞られ、その中に鮮やかな南国色の羽が舞う。その時、確かに世界の主役は彼らだった。
 ぼくがあまりに目を奪われていたのだろう。まだ泳げるようになったばかりのアリルが、頬を膨らましながら腕を引っ張った。
「にーちゃん、オハカマイリは」
 遠のいていた蝉の声が帰ってくる。妹はいつの間にか目の前にいた。
「うん、お墓参り、行かなくちゃね」
 うなずいたついでに、脱げかけた麦藁帽子を直す。顎の下に結んだ紐がくすぐったいのか、せっかくばあちゃんが編んでくれたその帽子を、妹はすぐ脱ぎたがった。
 急かされるまま行き先に体を向けたところで、名残惜しくてもう一度だけ振り返った。あの蝶はもういなかった。立つ者のいなくなった舞台、名前も知らない真っ赤な花が、蒼天に向かって何かを訴えていた。
 首を振って、アリルの手を引いた。細くうねった坂道を上り詰める。汗で首筋に張り付いた髪の毛を、気持ちの良い風がほどいていった。
「あれ、ばーちゃんだ」
 アリルが間の抜けた声を上げた。え、とぼくも視線を追う。
 目的地であるぼくらの両親のお墓の前で、柿色の衣装を身に纏った小さな人影が忙しなく動いている。ばあちゃん、また背中小さくなったな、と胸に小さな痛みを覚えた。
 ぼくは持ってきたお花とお水を脇に置いた。
「ばあちゃん、草むしりはぼくがやるから」
「え? ああリンク。アリルはどうしたんだい」
「ばーちゃんアリルここだよー」
 と、ひらひら帽子を振る。ああ、またぞんざいに扱って。
「アリル、お花とお水頼んだ」
「はあい」
 間延びした返事をして、妹はとたとた駆けていく。ぼくはばあちゃんに代わって、腰を落として雑草をむしり始める。
 この前雨が降ったのは、いつのことだったろう。本日も相変わらずの雲一つない陽気に、太陽さんさん。おかげで、この前綺麗にしたところだったのに、もう草むしている。まあ、プロロ島じゃこれが当たり前なんだけど。
 手持ちぶさたになったばあちゃんが、よっこらせと手頃な岩に腰掛けた。
「剣の修行や勉強の方はうまくいってるのかい」
「うん。赤シャチも青ジイも、よくしてくれるよ」
 まだまだ一人前には遠いけど、ぼくはお隣の家の兄弟にそれぞれ剣術と読み書きを習っていた。だって、いざとなったら、ぼくが(!)ばあちゃんやアリルを守らなくちゃいけないんだから。
「赤シャチには筋がいいってほめられたよ。……一回だけ、だけど」
 ぽろっとこぼれた最後の小声は、伝わらないでいてくれると有り難いなあ。
 手元を空っぽにしたアリルがやってきた。お墓は鮮やかな花々でしっかり飾りたてられている。
「偉い偉い、アリルはばあちゃん自慢の孫だよ」
「えへへ。さ、にいちゃんもお祈りしよ」
「りょーかい」
 両手から土と雑草の切れ端を払う。すっかり手が緑色に染まってしまった。あとで海で洗わなくちゃ。真水は貴重だからね。
「二人ともそこに並んでおくれ。手を合わせて」
 風がやんだ。ばあちゃんがお祈りを紡ぐ。ぼくやアリルの耳には意味が理解できない発音だった。今はもう使われていない、古い言葉なのだという。文字は何百年も前から進化していないのに、いつしか話し言葉だけ変わってしまった。同じ言語でつづられた歌なら、ぼくにもいくつか口ずさめた。やはり歌詞の原義は失われているけれど、その曲は好きだった。どこか音楽的で、淀みないフレーズは聴いているだけでも心地いい。
 祈りに唱和しつつ。横目で様子をうかがった妹の表情は、真剣そのものだった。
 おとうさんおかあさん。どうか、ぼくとアリルが一人前になるまで見守っていてね。
 ばあちゃんとアリルと三人で、並んで帰った。あの赤い花のそばを通る。蝶はどこにもいない。
 下り坂では、よく海が見える。綺麗すぎて魚も住めない、大きな水たまりが。ふと、あの広大な青のキャンバスを一文字に割って進む、ひとつの船を幻視した。
 いつか、ぼくもあの水平線の向こうに、たどり着く日が来るのだろうか。未来は、不透明だった。

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