タウラ島経済学

 タウラ島の夜が、とっぷりと更けた頃。
 島一番のお金持ち・マギーの家では、露天商スズナリ主催によるオークションが開かれる。
 豊かな漁場の恩恵を受けて、この町には懐に余裕がある奥様・旦那様方が多く住まう。そういった人々の間では、競売に出品されるお宝を落札し、これ見よがしにリビングに飾り付けることが一種のステータスだった。
 定時の開催までに、真っ白な壁のお屋敷には続々と参加者が集まる。ある人は真珠のネックレスを首に下げ、またある人はきれいに髪を撫でつけて。
「例の彼は今日も来るのかしら?」
 近頃の話題は、もっぱらこれだ。最近、オークションに新たな上客が現れた。身なりからすると、とても道楽に更ける余裕があるとは思えない。ぎりぎり一人前——十二歳ぐらいの少年だった。
 だからといって侮ることなかれ。彼は見た目に反し、底なしの財力を誇っていた。
「今回こそは負けないぞ……」と、過去の手に汗握る勝負を思い出しては、拳を震わせる殿方までいる。
 この海域での主な収入源は漁業なのだが、あの年齢では大きな漁船に乗っても使い走りがやっとだろう。ましてや自分の船を持つなんてもってのほかだ。彼は如何にしてルピーを稼いでいるのだろう。
「しいっ。来たわよ」
 透明な石のピアスをジャラジャラさせたご婦人が、唇に人差し指を当てた。
 重い扉をよいしょと開けて、例の少年が入場した。ざわついていた会場が静まりかえる。彼はあたりを見回した。きりりとした眉は、今夜も強気に入札を重ねることを暗示している。
 足音もたてずに、ベテランのウェイターが近寄ってきた。
「お飲物をどうぞ」
 少年は林立するグラスの中から、迷わず水を選んだ。
「それではみなさま、お席へどうぞ」
 主催者スズナリの声だ。思い思いの場所へ客が腰を下ろしたところで、ステージ上に本日の品が次々とライトアップされていく。目玉商品は、付近の海からサルベージされたばかり、とれとれぴちぴちの海図だ。
 例の少年の大きな瞳が瞬いた。ターゲッティングの合図だ。
「まず、こちらの『ドクロの首飾り』からです」
 戦いはしめやかに始まった。



「赤獅子ーっ、海図とってきたよ!」
 リンクは満面の笑みと古びた紙切れをおみやげに、愛用の船のもとへ戻ってきた。立派な髭を蓄えた、その名も「赤獅子の王」が船首をぐいっと曲げる。
 赤獅子の顔は、いつもの二割り増しで渋い。
「いくらで、だ?」
「えと……このくらいかな」
 数本指を立ててみせる。無邪気そのものの様子で。
 赤獅子は密かに嘆息した。紫や銀色のルピーがザクザク入った財布を持ち歩く。景気よく散財する。これでは、経済感覚が麻痺しないわけがない! されど野暮な口出しをして鬱陶しがられるのも嫌だ。心の天秤はぐらぐらに揺れていた。
 赤獅子としては、リンクを(健康面教育面ひっくるめて)預かる保護者のつもりなのだろう。
「まーた、ため息ついちゃって。大丈夫、お酒は飲んでないよ」
「そういうことじゃなくてだな……」
 なおも続きそうな小言を制して、リンクは明るく言った。
「この海図のお宝をサルベージしたら、儲けは出るはずだからさ。そしたらチンクルさんに、トライフォースのマップを解読してもらえるでしょ。ちゃんと前進してるよ」
 無駄な寄り道を咎められた、と勘違いしたのだろう。どうも赤獅子の心境を察せないリンクであった。
 親の心、子知らず。



 にわか雨に振られることもなく、二人はチンクル島にやってきた。
 このところ、リンクの風の読みはバッチリだった。天候の崩れをいち早く予測しては、迂回ルートを生み出す。水と食料の補給具合も完璧だ。これならいっぱしの航海士として、どこに行っても食べていける。赤獅子は彼を誇りに思っていた。
「チンクル〜チンクル〜クルリンパっ!」
「わあ、いつ見てもすごーいっ」
 しかし、このチンクルという自称妖精の親父を、きらきらした瞳で見つめていることについては、納得がいかない。
 事実、チンクルはすごい人物ではあった。「トライフォースのマップ」を解読できる、海の上では唯一の人間(断じて妖精ではない)なのだ。
 かのマップはそれ単体ではちんぷんかんぷんで、子供の落書き程度の価値しか持たない。なにせ、海の底に沈んだハイラルの地図だ。大陸の存在すら知らないような人々が、読みこなせるはずもない。チンクルはそれを、リンクにもなじみ深い「海図」として描き直してくれる。どうやら、ハイラルの地図(数百年前もの)を複数所持しているらしい。正確無比のマップ解読術は、他の追随を許さない。
 ……ということは分かっていても、言動や見た目が怪しければ信用できないのが、人というものである。
「じゃあこれ、398(さんきゅっぱ)です」
 リンクはじゃらじゃらルピーを取り出した。マップ解読料だ。値段がぼったくりなあたりも、疑わしい。
「あ、言い忘れてたけど値上がりしたのだ。498に」
 色とりどりの石が盛大にこぼれ落ちた。
「はあっ!? なんでですか!」これにはリンクもご立腹だ。
「ごめんね妖精さん。前々から、タウラ島で物価が上がってたのだ。今までの価格じゃ対応できないんだよ」
 チンクルはもじもじしながら弁明した。
 そうか、こんな辺境でも影響を受けるのか——と、赤獅子は妙な方向に感心する。
 この海域での経済の中心は、タウラ島だ。ルピーという貨幣がハイラルの時代と変わらず使えるのも、あの島の影響が大きい。
「そんなあ〜」
 リンクは仕方なく、家族へのおみやげ代にする予定だった、とっておきの100ルピーを取り出した。
「これでお願いします……」
「ハイ、お釣り2ルピー」
 がめついマップ屋は、容赦なく金をひったくっていった。
 ふくれっ面のリンクが海岸まで帰ってくる。赤獅子は、嫌と言うほど愚痴られる事を覚悟した。
「もうっ、いきなりなんでだよ〜。赤獅子、説明して!」
「おそらく、ルピーの価値が下がっているのだろう」
「???」
 少し、リンクには難しい話かもしれない。
「例えば……今作っている食料で養える限界よりも、人が増えすぎてしまった時。つまり需要が供給を上回った時、物価を上昇させて釣り合わせるのだ」
「うー……ん?」だんだん赤獅子の冷静さが移ってきたようだ。「赤ちゃんがいっぱい生まれたから、値上がりしたってこと?」
「もちろん、それだけが考えられる原因ではないが」
 ガノンドロフの台頭により、海が危険な場所になった今。人口増のきっかけなど、存在しないように思われる。
 リンクは早々に思考を止めた。
「はああ。さっさと値下がりしてくれないかなー」
 ちょっとしぼんだ怒りとかなり軽くなった財布をひっさげて、リンクたちは次の目的地へと舳先を向けた。
 ——真相に気づいていたのは、近くを泳いでいた魚男だけだ。
(あんちゃんがタウラ島でルピーをいっぱいばらまいたから、値上がりしたんだよ。ちいと考えれば分かるだろうに)
 サルベージされたルピーは海の底出身。もともと市場には存在しなかったそれを、リンクが大量に地上へ持ち込んだ。それまでは、現在の人口に見合った数だけ流通していたのに……。余剰ルピーで飽和状態になった市場に対し、タウラ島商会は値上げを決行した。
 自分で自分の首を絞め続けていることを、リンクはもちろん知らない。

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