その人はいつも、空を見上げていました。
「やあお月様。こんばんは」
今夜彼は、タウラ島の港にいるようです。夜空に浮かんだわたしに向かって、挨拶してくれました。潮風のようにふわりと笑いながら。
「今日はね、いつもよりお客さんが多かったんだ」
そう前置きして、語り始めます。
一人目は裕福そうな女の人。家族の航海の安全を祈願してほしいんだって。新大陸までは遠いから、気持ちは分かるけど……。そういうのじゃないんだよね、この仕事は。ぼくにできることっていったら、風を読むことくらいでしょ。とりあえずそれを説明してから、航路と風の調子を見てあげたんだ。
二人目は灯台の管理人さん。今週の船の往来が決まったから、入港期間を調整する打ち合わせをしたの。ぼくなんかが決めちゃっていいのかな? でも大事なことだもんね。
三人目は——。
「そうだ。みんな、リンク「さん」って言ってくれるの。年下のぼくに敬語で喋るんだよ。変だよね」
潮騒の聞こえる夜の港で、わたしたちは静かな会話をしていました。
そんなとき。
「リンクさん!」
タウラ島市街地の入り口である煉瓦のアーチをくぐって、息を切らした若者が走ってきました。筋骨たくましく、いかにも海の男と言った体です。
その人、リンクさんは腰を浮かしました。
「どうかしましたか」
「沖で、船が動かなくなっちまったみたいなんです」
「分かった。案内して」
その後ろ姿を、わたしの光がすうっと追いかけていきます。
島の反対側に出ました。そこで、漁船がすっかり止まっていました。今は完全な凪です。おまけに海流までうまい具合に相殺してしまって、もうにっちもさっちも行きません。
「よし。任せて」
リンクさんは風を呼ぶタクトを構えました。空気の流れにリズムを乗せて振るえば、強烈な風が一直線に吹きわたりました。船の帆がいっぱいに広がります。じわりじわりと漁船が動き始め、一度潮の流れに乗ってしまえば、後はすぐでした。
「さすが! ありがとうございますリンクさん。どうお礼をすればいいのか……」
その人は苦笑しました。
「お礼なんて、いらないよ。それよりも、この分だと明日は南の海域が時化になる。明後日に出航日をずらそう。
きっと、いい風が吹くから」
「分かりました」
若者の瞳は尊敬の念できらきら輝いているようです。リンクさんは、照れくさそうに金色の頭を掻きました。
わたしが太陽と交代する時間が近づいてきました。彼の言葉通り、南には雲が出てきたようです。
「お月様、またね」
その人は、バイバイと小さく手を振りました。わたしのまん丸い姿が波に落ちていました。