また会う時は他人

「毎度毎度思うんだが、この坂はどうにかならないのか」
 一面に雪が積もった上り坂を眺め、バッタはマフラーに顔をうずめてため息をついた。
 以前、ウォードが「荷物を持ってるとがんばりゲージを消費してつらい」と言っていた坂である。「彼ら」の集合場所になっているとある家屋は、その坂を越えた先にあるのだった。
「坂もそうだけど、きみのダサい格好もどうにかならないのかなって思うよ」
 横をすり抜けざまに不躾な台詞を吐いたのは、どろぼーである。「ダサい格好」という指摘はあながち間違ってもおらず、バッタは雪も降っていないのに頭にすっぽりフードをかぶっている。その上、マフラーを首に巻きつけているのだ。
 一方のどろぼーは明るい色をした毛糸の帽子をふわりとかぶり、落ち着いた色調のコートと合わせてさりげなくアクセントにしている。
 バッタはムッとして駆け足になり、どろぼーの隣に並んだ。
「寒いから仕方ないだろ。俺は温暖な森の出身だ」
「常春の楽園育ちのウォードさんは、いくら寒くても平気な顔してるのに?」
「そりゃあ、幼なじみの編んだマフラーに勝る防寒具はないだろ」
 小声で言い合う二人を、さらに大股で追い抜かしていく影があった。
「こんにちは! 今日は一段と寒いねっ」
 寒さをまるで感じさせない笑顔の持ち主は、ブレスであった。彼は耳の横に羽飾りのついた民族衣装を着ている。
「その服、あったかそう」どろぼーが羨むと、
「僕のところの一番あったかい防寒着。リト族っていう種族の子どもの羽が使われてるんだって」
 元気がはちきれそうな新人に、「へえ」とバッタは適当な返事をして腕を掻き抱いた。
「でも防寒着より、僕は寒くなるとウルフくんが恋しくなるなあ」
 ブレスは夢見るようなまなざしを、晴れた空へと向けた。ああ、またはじまった——と二人は顔を見合わせる。
 ウルフくん、とやらはブレスが頻繁に口にする存在である。どうやら仲間(彼いわく「相棒」)として一緒に旅をしていたらしい。だが、二人はその人物について詳しく知らない。気にはなるのだが、「話が長くなりそう」と話題を避けていたのだ。
 坂はまだまだ中途である。どろぼーは苦しみを少しでも軽減するために、ついにその質問をした。
「ねえ、ウルフくんってどんな人なの」
 待ってましたと言わんばかりにブレスがにこりとする。
「人じゃないよ。オオカミなんだ」
「オオカミ……?」バッタが眉をひそめる。
「そう。僕のことをいつでも助けてくれる、大切な相棒」
「オオカミって、動物だろ。ちゃんとお前の言うことを聞くのか」
「言うことを聞くどころか、自分で判断して敵を倒してくれたり、狩りをしてくれたりするよ。僕より賢いくらいかも」
 何かを察したどろぼーは、素早くバッタに目配せする。
「どういう見た目してるの、そのウルフくんは」
「大きくて、黒っぽくて……あ、そうだ、何故か耳にピアスをつけてる」
「もしかして片足に壊れた枷をはめてないか?」
 バッタが顔をしかめながら訊ねると、ブレスは目を見開く。
「よく分かったね! ウルフくんのこと、知ってるの?」
「いや……別に……」
 誤魔化し方が下手すぎるだろう、とどろぼーは苦笑する。
「あ、もう坂も終わりだよ」
 どろぼーが指差すと、「本当だ」とブレスはブーツで雪を巻き上げながら、一息に走っていった。元気なことだ。
 その背を見送った二人は、どちらともなく口を開く。
「さっきのオオカミって」「……アイツのことだよな」
 どろぼーは肩をすくめ、バッタはマフラーを嘆息であたためるのであった。



 彼らが本日集まった目的は、家屋の大掃除のためであった。十分な広さと部屋数がある家屋だが、いかんせん複数人が好き勝手に使っているため、片付けもままならず、個人の倉庫と化している開かずの間もある。年の瀬であるし、この際不用品をまとめて捨ててスッキリした状態で新年を迎えよう、というわけだ。たまたま今日都合がついたのは先の二人と新人ブレス、それにサイレンとライトであった。
 集まった者たちは三々五々散らばり、それぞれの片付けに入る。
 どろぼーはしばらく真面目に掃除に励んだが、そもそも私物が少なく普段から整理整頓を心がけているタイプである。同じような理由で暇そうにしていたバッタを誘い、とある人物を探した。
 彼は積み上げられた食料の前で唸り声をあげていた。
「ウルフっていうのはきみのことでしょ、ライトくん」
 後ろからどろぼーがずばり指摘すると、木箱の中身を確認していたライトが振り返った。
「……記憶にございません」
「とぼけるのか」
 バッタは低い声を出す。妙に威圧感のある年下二人に迫られたライトは、居心地悪そうに眉をひそめている。
「とぼけるも何も。本当に知らないんだ」
「ピアスをしたオオカミなんてお前以外にいないだろ」
「そうだけど、あいつの知ってるのは俺じゃない俺っていうか……」
「どういう意味だ?」
 首をかしげるバッタに、いち早く察したどろぼーが解説する。
「オカリナさんとバッタくんの関係みたいなものだね」
 例に挙げられた二人は同じ「時の勇者」であるが、同一の存在ではない。そっくり同じ旅路をたどっていても、考え方も性格もまるで違う。過去と未来、というつながりすらないのだ。あらゆる時代の勇者が集うこの場所で、二人はある意味どの組合せよりも特殊な関係である。
 その例からすると、ブレスの相棒「ウルフ」は、ライトと同じような冒険をした別の誰かということになる。
「心当たりも全くないの?」
 どろぼーが尋ね、ライトが腕組みをする。
「心当たりというか……ウワサを聞く限りは、ウルフって奴はいかにも俺がやりそうなことをやってるんだよなあ」
「へえ? それじゃ、ウルフはきみ自身の別の可能性ってこと?」
 ライトは顔をしかめる。
「そうかもしれない、としか言えない。でもさ、今、こうしてブレスと出会ってるってことは、もう俺は絶対に『ウルフ』には——あいつの相棒にはなれない。それをあいつが知ったところで、得も何もないだろ」
 人と人とが出会う時期やその経緯は、特別な人間関係を築くにあたって最も重要な事柄だろう。ブレスはおそらく「自分に足りない何か」を「一番必要としている時」にウルフに埋めてもらったからこそ、相棒と呼ぶほど彼を信頼しているのだ。
 しばらく黙っていたバッタが口を開いた。
「つまり、お前はブレスの期待を裏切りたくないんだな」
 ライトはぎくりと肩を震わせる。
「……別に、そういうわけじゃ。面倒に巻き込まれるのが嫌ってだけだ」
 そのまま彼はくるりと後ろを向いて、荷物整理に没頭するふりをする。
 バッタは眉を跳ね上げ、(分かりやすいなあ)とどろぼーはこっそり笑う。
 と、その時、廊下を歩いてきた乱暴な足音が部屋のすぐ近くで止まった。
「オイ、ちっとも見かけないと思ったら三人もサボってるのかよ!」
 開けっ放しだった扉の向こうには、国家公務員様であるサイレンが鬼のような形相で立っていた。「オレは貴重な休日を費やしてここに来てるんだぞ、無職のお前らが怠慢してどうする」
「お、俺はちゃんとやってたぞ!? この二人が絡んできたんだっ」ライトは指を突きつけ、
「……ちなみに僕は無職じゃないんだけど?」「さりげなく俺を差別したな、どろぼー」
 反論の余地のない二人は不服そうな顔で応じた。
「いいからさっさとこっち手伝え!」
 バッタとどろぼーは、一番背の低いサイレンに引っ立てられるようにして連れて行かれる。
「はあ……」
 やっと尋問から解放されたライトはブレスのことを頭から追い出すため、掃除に集中することにした。
 一方で、
(『ウルフ』はライトくんの未来の姿か、もしくは別の可能性ってところか。それなら、きっと——)
 連行されるどろぼーは、何かを思いついたように口の端に笑みを閃かせた。



 夜になるまで働き続け、やっと片付けのめどがついた。集まった者たちはぐったりした様子で居間に集まる。そこにはこたつがあり、冬場は彼らの拠り所——というよりほとんど生活の場になっていた。
 自分の担当箇所を終わらせたライトは、嬉々として安寧の場所に潜り込もうとしたが、
「台所でごはんつくってるから、手伝いに行ってよ」
 すでにこたつの一角を占領していたどろぼーが、お願いという名の命令を下した。
「え、なんで俺が」
「僕はもう座ってて、きみはまだ立ってるから」
「くっそー……」
 思いきり渋面をつくったライトは、嫌々向かった台所の入口で立ち尽くした。
「ああ、ライトさん……でしたっけ。手伝いに来てくれたんですか」
 かまどの前にいたのは、よりにもよってブレスだった。一丁前にエプロンを身につけ、忙しく立ち回っている。
 ライトが積極的に避けているため、二人だけで会話をしたことはほとんどない。そのせいか、ブレスは少しライトに対して心理的に距離を置いているようだった。
「……まあな」
 今さら回れ右をするわけにもいかない。もしやどろぼーはこの事態を予測していたのでは、きっとそうだ、後で問い詰めなければ、と心に決めるライトだった。
 ブレスは手際よく下ごしらえを済ませ、次々と具材を鍋に放り込んでいた。手伝おうとしたライトが近くの具材を持つと、
「待って。根菜が先で、葉物は後。火の通り方が違うから」
「そ、そうなのか。悪かった」
 身を引いたライトは、こまごまと働くブレスを見守るだけになってしまう。間が持たない。仕方なく口を開いた。
「料理、得意なのか?」
「まだまだ修行中です。どうしても食べて欲しい人がいるから。ライトさんは?」
「俺は自分で食べるだけだったからなあ。誰かに習ったこともないし。まあまあ得意な方だとは思うけど」
 ちなみに、ウォード、サイレン、バッタあたりは、あまり料理が得意でない、もしくはする必要がなかったメンバー。どろぼーはやらせたら大抵のことはできるので、料理もそつなくこなす。だが、ブレスは明らかに他のメンバーよりも情熱を注いでいるようだった。
「あ、お皿とらないと」
 ブレスは味見を済ませ、食器棚に行く。ライトが何気なくそちらを見やると、棚の上に乗せてある箱が、いかにも不安定にせり出していた。ブレスは気づかぬまま戸棚を開く。
 その衝撃で、ぐらりと箱が傾いだ。重力に引かれて下に落ちる。
「危ないっ」
 ライトはブレスを押しのけるようにして左手を伸ばし、木箱をなんとかキャッチした。同時に、よろけたブレスの肩をもう片方の手で支える。
「大丈夫か? 皿は?」
「あ、ありがとう。お皿も大丈夫——」
 ブレスはふと真面目な顔になり、ライトを見つめる。
「キミのその瞳……」
 ライトはどきりとして目をそらし、木箱を床に置いた。
「だ、誰だよこんなところに重い箱のせたの! ちょっとこれ、向こうに片付けてくるから——」
「待って」
 ライトに肉薄するブレス。鍋はぐつぐつ煮えている。あまりに真剣な雰囲気に、ライトは息を呑んだ。
 空色の瞳がきらりと光を放った。
「僕……人を探しているんだ。ここにはいろんな時代の勇者が集まってるんでしょう? だったら……もしかしたら、『彼』がいるかもしれないと思って」
 ライトの喉がごくりと動く。
「彼はいつも僕を助けてくれる。僕は、彼を——ウルフくんを、本物の勇者だって思ってる。もしかして、ライトさんは何か知ってるんじゃないですか」
 沈黙が降りた。じっと耐えるようにブレスは視線を注ぎ続ける。ライトがついに、かさかさになった唇を開きかけた時、台所の入口に誰かが立った。
「遅い。メシはまだか!」
 サイレンだった。彼は不思議な体勢のまま固まっている二人を見て怪訝そうにし、目線を横にすべらせて、
「うわ、鍋見ろよ鍋!」と悲鳴を上げた。
「ご、ごめんなさいっ」
 ブレスが慌ててかまどに駆け寄る。鍋は火加減が強すぎて吹きこぼれる寸前になっていた。
 やっと金縛りを解かれたライトは、これ幸いと皿やコップを持ってこたつに飛んでいった。
 のんきに茶をすすって待っていたどろぼーに、ずいと顔を寄せる。
「お前、何かブレスに吹き込んだのか……!」
「別に何も。晩ごはんお願い、って頼んだだけだよ。それにボロを出したのはきみでしょう」
 そう言われると反論できない。どろぼーは涼しい顔だ。
「『ウルフ』はライトくんの可能性の一つなんでしょう。いいじゃない、少しくらい仲良くしたって」
 それで、お互いの相棒の記憶が上書きされるわけではないのだから。
「でも、やっぱり、あんまり近づきたくないというか……」
 ライトはぶつぶつ言いながらこたつにもぐりこもうとする。
「あ、そこはダメだよ」
「え?」
 ふとんをめくると、こたつの中で丸まったバッタがぐうすか眠っていた。
「何やってんだこいつ……」
 大人びた精神とは別に、バッタの体力はやはり年相応のレベルなのだろう。ライトは肩の力が抜けた。
「そこのミノムシとも仲良く出来るんだから、ブレスくんぐらい楽勝でしょ」
 どろぼーの指摘に、「そうかもしれない」と思えた。バッタは時の勇者——ライトの前時代を生きた者だ。「こいつが全部終わらせてくれたら自分が楽できたのではないか」という思いは、心の奥底に確かにある。その点においては、自分よりよほど因縁があるであろうタクトが何も言わないので、ライトも黙っているのだが。
 ブレスが自分の過去の存在か、それとも未来に生まれてくる勇者なのかは分からない。けれど、せっかく交流を持ったのだから、少しでもこの関係をプラスにしていくべきなのだろう。ライトはそう考えることにした。
(もう少しだけあいつと会話してみるかな。ウルフとやらの話も、ちゃんと聞いてみたいし)
 ——翌日。ライトからその質問を受けたブレスは大げさに喜び、日が暮れるまで相棒の自慢話をし続けた結果、再びライトが遠ざかる原因をつくってしまうのであった。

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