流れる者たちの公理

10

 その後、テリオンは数日間寝込んだ。
 同じく風邪を引いた学者は何故か一日で回復し、元気に遺跡の調査をはじめた。一方でテリオンは宿のベッドから起き上がれなくなり、様子を見に来た薬屋に笑われてしまった。
「ただの風邪がこんなに長引くなんてな。普段の生活のせいじゃねえの? 酒の飲み過ぎとか」
「お前にだけは言われたくない……」
 酒量というなら薬屋の方が圧倒的に上のはずだ。もっときつく言い返してやりたかったが、布団の中ではどうも弱々しい返事になってしまった。
 いつまで経っても熱は下がらず、クオリークレスト滞在はずるずると伸び続けた。
 学者は自身が全快した翌日テリオンの枕元にやってきて、楽しそうに調査結果を語っていった。ちなみに内容は全然楽しくないものだった。ギデオンの凶行の詳細など別段知りたくもない。一回だけ我慢して聞いてやった後、腹が立ったので「二度と来るな」と閉め出してやった。
 他にも旅の連れは代わる代わる部屋を訪れ、何かとテリオンの世話を焼いてくる。その筆頭が商人だった。
「テリオンさんたちと別れた後、あたしはアリーや労働者の人たちと一緒にモーロックさんの屋敷に行ったの」
 商人は地主との戦いについて説明した。
 屋敷の玄関口で労働者たちが騒ぎ立て、応対に来た者を男商人が口先で惑わしている隙をつき、商人は剣士たちと一緒に屋敷に忍び込んだ。結局窓を割って入ったらしい。そのあたりは素人なので仕方ない。
 彼女は監督とやらの情報をもとに、書斎にて不正取引の証拠となる書類を探りあてた。が、よりにもよってその時、オマールという傭兵の筆頭と出くわしてしまう。そのまま戦闘に突入したが、ついてきた三人と、知り合いに貸してもらったやたらと強い槍のおかげで、なんとか勝ちをもぎ取った。
 結局暴力に訴えつつも書類は無事に手に入った。豪商にも確認をとり、不正取引の事実が明かされた。
 地主が不当に儲けていたからくりはこうだ。地主は労働者から買い取った鉱石の半分以上を手元に置き、豪商には「最近あまり金が取れない」と言って相場の値段を吊り上げた。その差額がまるまる懐に入るというわけである。屋敷の中には、豪商が買い取った量の数倍もの金鉱石が溜め込まれていたのだという。
「その書類を突きつけて、モーロックさんを町から追い出したの。今のうちに損切りした方が身のためよって脅してね」
「……追い出した?」
「うん。これからは、おばあさんや監督たちをトップにした組織をつくって鉱山を管理することになりそう」
 どうやらこの商人は、宣言通り町の体制をすっかり変えてしまったらしい。
 彼女には大それたことを成し遂げたという自覚がないようだ。学者やテリオンの助言を受けて地主をやっつけただけ、というつもりらしい。それが十分とんでもないことなのだが。
「金も碧閃石も、あの豪商の人と適正価格で取引きする契約をしたわ。もうあたしの出る幕はないわね」
「お前は商売に絡まなくていいのか?」
「絡んでるわよ、しっかり。うちの父さんの店——コルツォーネ商会を通して、鉱石を中つ海の反対側に売ることにしたから。もちろん仕入れ値は上客限定のお得な価格でね」
 さらりと言ってのけるが、この娘少々有能すぎるのではないか。いきなり海の向こうからそんな知らせを受けるなんて、さぞ父親も驚くことだろう。
 商人はぺこりと頭を下げた。
「改めて、ありがとうテリオンさん」
「屋敷の侵入方法のことなら別にいい」学者も同じ結論に至っていたのだから。
「そうじゃなくて、もっと他の……いろんなことよ。あたし、この町で盗公子や盗賊について考えたおかげで、大事なものを見つけられたから」
 何故いきなり守護神の名前が出てくるのかテリオンには分からなかったが、とりあえず「そうか」と答えておいた。
 部屋を出ていく商人の背は少し大きくなったように見える。自分に自信がついたのだろう。
 また熱がぶり返してきて、テリオンはまぶたを閉じる。
(良かったな)
 決して口には出さないけれど、心の中でそう祝福してやった。



「……本当は、あいつを放り出すべきじゃなかったんだよね」
 その声はするりとテリオンの夢の中に入ってきた。
 ゆっくり目を開ける。やることもなくベッドに横たわっているので、昼間でもこうしてうつらうつらしてしまうのだ。開いたままの窓から午後の日差しが差し込んでいる。薬屋か誰かが閉め忘れたのか。
 窓の外から知っている声が聞こえてきた。学者の先輩だ。誰かと宿の前で立ち話をしているらしい。
「でも、オデットさんだって自分の問題があったのよ。あの人にばっかり関わってもいられないでしょう?」
 こちらは踊子の声だった。古い知り合いだという二人が小声で会話している。
 テリオンは不可抗力で盗み聞きする羽目になっていた。体がだるくて立ち上がるのも困難だし、窓を閉めてわざわざ踊子たちに見つかるのも滑稽だ。だから黙って息をひそめた。
「それはそうなんだけどさ。わたしがいなくなってから、学院でどうしてたかを考えるとねえ」
「けろっとして働いてたんじゃないの。心配することないと思うわ」
「平穏に生きてたら、あんな本とは関わるはずがないんだよ」
 二人は特定の人物を話題にしていた。この場合、「あいつ」「あの人」とされるのは一人だけだ。
(学者先生か……?)
 本人がいないところで、何を話しているのだろう。
「あいつとわたしたちじゃ、きっと見えているものが違う。気をつけなプリムロゼ、あいつが追ってるのはあんたが思うよりずっと危険なものだよ」
「でも、オデットさんはそれが何なのか教えてくれないのね」
「あいつがそう判断したからね。悪く思わないでおくれよ」
「分かっているわ」
「まあ、あいつがあんたたちと一緒にいることを選んだって言うなら、大丈夫なのかねえ……」
 最後の言葉は午後の空気に溶けていった。二人はどこかへ移動したらしい。
 妙な会話だった。やりとりの意味を考える前に再び眠気が襲ってきて、テリオンは寝台に沈み込む。
 その後は夢も見ずにぐっすり眠った。深夜に目が覚めると大量に汗をかいており、何日も体を炙っていた熱はすっかり消え去っていた。



 クオリークレストを旅立つ日がやってきた。
 やっとのことで全快したテリオンは、荷物を持って鉱山を見上げる。今日もツルハシの音が元気よく響いていた。
 大してこの町と関わりがなかった彼も、来たばかりの時とはまったく違う雰囲気を感じ取った。道行く労働者たちの顔が明るくなっている。横暴な地主がいなくなっただけでこうも変わるのか。誘拐事件の犠牲者たちも手厚く葬られ、誰もが一区切りついた気分で新たな道に繰り出そうとしているのだろう。
 町の入り口には住民が何人か見送りに来ていた。商人は、老婆や労働者の代表らしき男としっかり握手を交わす。その隣には檻に入れられていた孫娘もいた。無事に回復した彼女は、何故か熱っぽい目で学者を見つめている。
 テリオンの隣で薬屋がぼやいた。
「あの女の人、先生に惚れちゃったみたいだぜ」
「助けたのはおたくじゃなかったのか?」
「そうなんだけどよ、手当ての途中で起き上がったと思ったら、戦ってる先生を見て『かっこいい』って言ってたもんな。はあ……」
 テリオンにとっては別に羨ましくもないが、さすがに薬屋が哀れだった。
 学者の先輩も別れの挨拶に来ていた。彼女はぐるりと八人を見回し、
「いい仲間じゃないか、サイラス」
「そうだろう?」
 得意げにうなずく学者から、先輩は視線を移す。
「あんたたちに面倒見させて悪いね。こいつは謎があったらすぐに首を突っ込む性格だから」
 知り合いにもそう認識されているのか。アトラスダムで本当にきちんと教師を勤められていたものか怪しいものだ。
「申し訳ないけど、こいつをよく見てやってくれよ」
「もちろん」と踊子が答え、他の五人も異口同音に応じる。その中心で学者だけが話の意図を理解できず、ぽかんとしていた。
 先輩は何も言わないまま、テリオンに意味深なまなざしを向ける。「あんたは特に気をつけておいてくれよ」とでも言いたいのか。やはり、学者が水に落ちた時とっさに追いかけたのは失敗だったと言わざるを得ない。
 学者がローブの裾をなびかせ、一歩前に出た。
「一段落したら必ず報告に来ると約束するよ。それではまた、オデット先輩」
「ああ。待っているからな」
 クオリークレストで得た知り合いに手を振られ、八人は軽い足取りで崖道を降りていった。
 からりと晴れたいい天気だった。テリオンはやっと旅を再開できるということで浮足立っていたが、一方の商人は町に未練があるらしく、幾度も振り返っては遠ざかる鉱山を見つめていた。
 やがて、その鉱山も他の山の陰にすっかり隠れた頃。ぴんと張り詰めたテリオンの警戒の糸に、何かが引っかかる。
「旦那」
 前にいた剣士に小さく呼びかけた。
「テリオンも気づいたか」
 彼は振り返らずに答えた。
 ——誰かが後ろをつけている。距離は十分離れており、視線も通らないよう注意しているようだが、気配に敏い者なら簡単に感づくだろう。この動きは素人だ。先ほどまで気配を感じなかったのは、商人がしきりに振り向いていたからか。
「狙いは学者先生か?」
「おそらくはな」
 地主の恨みを買った商人という可能性もあるが、視線の方向が明らかに学者だった。本人は列の前の方をのんびりと歩いている。
「俺がサイラスに話してくる」
 剣士はさりげなく歩を速め、学者の横に並んだ。
 尾行者にばれないよう、普段の調子を崩さず会話している。剣士はすぐに戻ってきた。
「どうだった?」
「しばらく泳がせると言っていた。相手の出方を見るらしい」
 剣士は呆れているようだった。悠長すぎる判断だだろう。後をつけられているとなれば、関係のないテリオンたちだっていい気分ではないというのに。
「崖道を降りても追ってくるようなら対処しよう」
 テリオンは剣士の判断に従うことにした。相手は一人だ、いざとなれば取り押さえられる。
「まったく、度胸があるのか危機感が薄いのか……」
 と剣士が嘆くのも無理はない。学者の無防備な肩の上で、黒いローブがひらひら揺れていた。
 あの学者のために気を配ってやる虚しさを感じながらテリオンは歩く。視界の端の谷底では、相も変わらず川面がきらめいていた。
 ——キミにもアーフェン君のように恩人がいるのかな。
 数日前の夜、今まで考えたこともなかった可能性を示唆された。
 自分の中に抜けている記憶があるというのはどうにも気色悪かった。旅を続ければ、いつか思い出せる日が来るのだろうか。



 一行は崖道を下ってリバーランドに近づいていく。標高はみるみる下がり、やがて川と街道が真横に並んだ。
 もう尾行者はいないようだった。剣士にも確認したので間違いないだろう。
(どうして尾行をやめたんだ? 警戒されていることに気づいたのか)
 もしくは必要がなくなったのかもしれない。理由は分からないが、一応気に留めておく。
 八人は広い河原で休憩することにした。
 学者は座って例の本を読みはじめ、薬屋と商人は靴を脱ぎ、川に繰り出していった。雪豹と神官も混じって楽しそうに水を蹴っている。
 万が一流されても今度こそ助けないぞ、と思いながらテリオンははしゃぐ彼らを目で追った。幸い水深は浅いようだ。他の者たちも川遊びに興じる彼らを遠巻きに眺め、思い思いに体を休めていた。
 テリオンは手持ち無沙汰になって武器の手入れをはじめた。
「サイラス先生!」
 商人が川から上がり、学者に駆け寄った。学者は本をしまって立ち上がる。うるさいので会話が丸聞こえだった。
「実はあたし、新しい目的ができちゃったんだ」
「ほう、それは何かな」
「港町グランポートで行われる大競売よ! そこに胸を張って出品できるお宝を探すってアリーと約束したの」
 そういえば、あの男商人はテリオンが寝込んでいる間に町を出たと聞いた。その間に商人同士で結託していたらしい。
「ふふ、それは良い目標だ。それにしてもアリー君か……トレサ君にとって素敵な出会いだったね」
「そうそう、そうなのよ! まあアリーはともかくとして、クオリークレストでは旅の醍醐味を味わえたわ。なんたって、旅で得られる格別なものといえば『出会い』なんだから」
 商人はいつも持ち歩いている手記を取り出す。出会いが云々というのは、そこに書いてあるらしい。
「サイラス先生にも、この旅でいい出会いがあって良かったわね」
 返事には少し間があった。
「先生?」
「……私の出会いとは、何だろうか」
 学者は本気で考え込んでいるらしい。商人はにこりと笑って、
「ほら、あたしとかテリオンさんとか、みんなのことよ!」
 いきなり名前を出されてテリオンはぎくりと肩を震わせた。反射的に顔を上げれば、こちらを見つめる二対の視線と鉢合わせてしまい、余計に動揺した。
 学者はこちらに流し目をくれてから、そっとほほえむ。
「そうだね。キミたちとの出会いは私にとって、とても貴重なものだよ」
「でしょー? あたしはこれからどんどん商人として成長するからね。ちゃんと見ててよねっ」
「ああ、楽しみにしているよ」
 この二人は生徒と教師という枠にはまった関係なのだ、とテリオンは勝手に思っていた。だが、学者は商人を導きつつも、一歩引いた場所でその成長を見守る。地主との戦いに送り出した時の態度は最たる例だろう。それはどちらかというと、商人が自分を追い越してくれることを望んでいるようにも見えた。
(……まさかな)
 テリオンは小さく息を吐いた。
 商人と学者の話はまだ続いている。
「そうだ先生、今度あたしに魔法を教えてくれない?」
「ほう? 理由を聞いてもいいかな」
「モーロックさんの屋敷で傭兵と戦った時、魔法が使えたらなーって思ったの。いつもは先生に頼りきりになってたから。あ、でも雷の魔法だけは遠慮しておくわ」
「魔法の扱いを覚えるのは、少し長い道のりになるよ」
「大丈夫。あたしの旅も先生の旅も、まだまだ続くんだもの!」
「なら、私はキミから商人としての心得を教わりたいな。特にあの計算の速さは驚嘆に値するよ」
「あたしが先生に教えるの? なんか照れるわ」
 商人とやりとりする学者は終始にこやかだった。優秀な生徒がそばにいて、嬉しくて仕方ないのだろう。
 ならば、商人には是非ともあの身を隠す魔法を覚えてもらえないものか。学者がいない時を想定するなら、それが一番役に立つだろう——
 などと考えているうちに、すっかり手が止まっていた。テリオンが気を取り直して短剣を磨こうとした途端、手元に影がさす。軽やかな足音とともに商人が接近してきたことには気づいていた。
「テリオンさん。見て、これ」
 商人が手のひらを差し出す。その上に載っているのは、小さな金色の粒だった。
「砂金よ。さっき川で見つけたの」
 さすが商人、目ざといものだ。十分に大きいので一粒でもそれなりの価値があるだろう。
 商人は額に手をかざして陽光を遮り、空気の層の向こうにあるはずの乾いた山々を見晴かした。
「クリフランドから流れてきたものよ。まだまだ金の鉱脈もどこかに眠ってるのかもね」
 彼女は何やら大人びた表情を浮かべていた。なんとなくそれを崩したくなり、テリオンは商人が目を離した隙にさっと砂金を取り上げる。
「あっ、ちょっと!」
「せっかくの金もこうやって奪われてたら世話ないな」
 地主以外にも悪事を働く者は大勢いるのだ、と鼻で笑ってやった。商人はほおをふくらませる。
「むー。あたし、テリオンさんの技術もいつか盗んでやるわよ」
「……は?」
 急に話題が飛んた。もしや、盗みを覚えたいとでも言っているのか?
「目利きやお芝居、他にもいろいろね。ま、テリオンさんが先生みたいに素直に教えてくれるとは思えないし、勝手に見て覚えるわ。負けないんだから!」
 商人はこぶしを握り、やる気をみなぎらせた。一体何と張り合っているのだ。
「……覚えてもろくなことにならないぞ」
「そう? 今回クオリークレストの問題が解決したのはテリオンさんのおかげじゃない」
 確かに屋敷へ侵入するにあたって助言はしたし、遺跡の入り口も見つけたが、解決の決定打になったのはどちらもテリオンではないだろう。
 テリオンはふっと肩の力を抜いた。
「それは俺の功績じゃない。……トレサ、お前のものだ」
 砂金を返してやる。彼女は呆けたような顔で受け取った。
「テ、テリオンさんが、あたしの名前を呼んだ……!?」
 ややあって、河原全体に響き渡るほどの大声で叫ぶ。なんだなんだ、と他の連れが集まってきた。
 何故そこまで驚くのだ。別に名前くらい何度も——いや、確かに今までろくに呼んでこなかったかもしれない。
 テリオンは次第に熱くなるほおを隠すため、マフラーに顔をうずめた。

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