Let Me Know the Truth



「キミはいつも、どうやって魔物の心を読むんだい?」
 のどかな声と硬い靴音が、ひんやりした風とともに木々の間を抜けていく。
 ハンイットは静かに息を吸う。故郷のウッドランドとは空気のにおいが違った。ここはハイランド地方、ストーンガードの奥にある幻影の森だ。
「藪から棒になんだ、サイラス」
 隣の彼は穏やかに笑う。
「直接聞いたことはなかったと思ってね。キミがリンデや魔物たちと心を交わし、使役することができるのは、黒き森の一族特有の能力だろう。それが生まれ持ったものなのか、狩人として育てたものなのか……是非とも教えてほしいな」
 二人は前を歩く雪豹リンデをそれぞれの視界に入れた。
 一族の血を引いていても、魔物と心を通わせる能力が発現しないことはよくある。現に、シ・ワルキでもそれができる者は、今やハンイットと師匠だけだった。
「答えるのはやぶさかではないが……逆に、あなたは普段どのようにして人を探っているんだ?」
 サイラスはくすりと声を立てる。
「そうきたか。私が誰かと対面した時、何から情報を得ているのか、ということかな」
「ああ」
 足を止めた彼につられて、ハンイットも立ち止まる。青玉のような瞳がじいっとこちらに向けられた。
「こうして相手を見て……表情だけでなく仕草もよく観察する。特に、動揺は目にあらわれることが多いね」
「なるほど」
「キミの目はとても綺麗だね。芯まで透き通っていて美しいよ」
 ハンイットはぽかんとした。
(いきなり何を言い出したんだ……?)
 そういえば、プリムロゼに以前警告されたことがある。サイラスのなめらかな舌には要注意だと。
「サイラス、口が緩んでいるぞ」
「そうかな? それは失敬」
 この対処で良かったのだろうか。いまいち分からないまま答える。
「魔物の心を読む時もだいたい同じだ。まずは相手の状態を確認する」
 喜び、敵意、怒り、戸惑いなど、彼らは様々な感情を全身であらわす。人間と違って基本的に気持ちを隠さないから、観察は重要だ。
「キミと魔物たちは、言葉を使わずに意思の疎通ができているようだが、そこはどうなんだい?」
「相手の声色を聞き分ける。人が言葉で伝えるような細かいニュアンスは、別の部分で補うんだ。言葉がなくとも、人と話す時より意思が通じる時もあるな」
 喋りながら再び歩き出す。黒いローブが追いかけて横に並んだ。
「なら、キミにとっては魔物と話す方が楽なのかい」
「どちらも同じだな。むしろ人には言葉があるからありがたいと思うことが多い」
 答えると、何故かサイラスは楽しげに顔をほころばせた。
「やはりキミは教師に向いているよ。今の説明はとても分かりやすかった。問い返すことでスムーズに話に入る手法も、素晴らしいね」
 また例の勧誘がはじまった。ハンイットは内心嘆息する。
「その話はいい。そろそろ目的地につくぞ」
 ブーツで下生えをかき分けた先に、木々のない開けた場所があった。森の天井をつくる枝がまばらになり、日が差している。
 小さな広場には、青灰色の毛皮を持つ四足の魔物がいた。こちらに気づいて駆けてくる。
「久しぶりだな、ハーゲン」
 ハンイットは顔なじみの魔狼の背をなでた。ハーゲンはぐるると喉を鳴らす。リンデも寄ってきて、しっぽを振って再会を喜び合った。
「元気そうで何よりだね」サイラスは和やかに言う。
「そうだな。ハーゲン、師匠を守ってくれてありがとう」
 ハンイットの視線の先には、伸びた草に埋もれるようにひとつの石像が佇んでいた。
 険しい顔で弓を構える男性は、ぴくりとも動かず前を見据えている。服も武具も、彼に属するものすべてが「その瞬間」のまま凍りついていた。
 彼はザンター。大陸中にその名を轟かせる狩人だ。ハンイットの師匠であり、大切な家族でもある。
 ハンイットはゆっくりと石像に近づく。サイラスも一礼してから従った。
「師匠。あのメモの通り、スティルスノウのスサンナさんに会ってきた」ハンイットは荷物から薬瓶を取り出す。「そうしたら、このヘンルーダの薬を授けられた。石化を解除する効果があるらしい」
 ひと思いに瓶のふたを開けて、石の上にさらさらとかけた。祈るような気持ちでしばらく待つ。リンデが鼻を鳴らした。
 期待に反して、変化はなかった。
(やはり、か……)
 ヘンルーダの薬は、攻撃を受けてすぐに使わないと意味がないらしい。ザンターがこの状態になったのは三ヶ月以上も前だった。
 サイラスに目をやる。彼は手帳に何かを書きとめていた。
「どうだ、サイラス?」
「私が見た限り効いている様子はない。スサンナさんの言う通りなら、薬が触れた瞬間に効果があらわれるはずだ」
「そうか」
 リンデが足にまとわりつき、そっとこちらの顔色をうかがう。ハンイットは表情をゆるめた。
「貴重な薬を無駄にするな、と師匠は言うだろうか? そんなことは分かっている。それでも一度試したかったんだ」
 サイラスは黙って手帳をしまい、気遣わしげな視線をよこした。
 学者を生業とする彼ならば、どのような結果でも冷静に受け止めて記録をつけるだろう。そう考えて連れてきた。おかげでこちらも落ち着いていられたので、正しい判断だったと言える。
 ハンイットはもう一度石像を注視し、次いで魔狼に声をかけた。
「赤目を倒せば師匠は助かるんだ。わたしは必ず赤目を狩ってくる。だから、それまで待っていてくれ、ハーゲン」
「赤目」と呼ばれる正体不明の魔物は、数ヶ月前にこの森に姿を現して以降、行方をくらませている。現在は聖火騎士のエリザが後を追っていた。新たな縄張りが判明次第、ハンイットはいつでもそちらに赴くつもりだ。
 ゆっくりと息を吐き、木々の合間の青空を見上げる。
(それにしても、どうして赤目はこの森にいたのだろう)
 前回ここを訪れた時、ハンイットたちは森の主と遭遇した。鹿と似たその魔物はひどく気が立っていて、いきなり襲いかかってきた。仲間とともに応戦し、なんとか鎮めたことを思い出す。
 おそらく森の主の乱心には赤目が関与していたのだろう。赤目に森を蹂躙されたことがよほど腹立たしかったのではないか。
 ザンターは「赤目はストーンガードに移動する」と見当をつけ、実際にここで対峙した。赤目の行方を追うためにも、この事実はきちんと考えた方がいい。赤目には特別な習性や、好みの縄張りがあるに違いなかった。
「ハンイット君、そろそろ戻ろう。みんなが待っているよ」
 サイラスの抑えた声が鼓膜を震わせる。ずいぶん長い間考え込んでしまった。ハンイットは軽く石像の肩を払ってやる。
「またな、師匠。次に会うのは赤目を倒した後だ」
 彼女はきっぱりと石像に別れを告げた。
 ハーゲンに改めて守りを頼み、リンデとサイラスとともに来た道を戻る。魔物と遭遇することはなく、ハンイットは帰り道でも赤目について思いを巡らせた。
 森の中央付近、集合場所として決めたあたりにたどり着く。朽ちかけた柱に——幻影の森にはこういう遺構がいくつかある——二人の仲間が寄りかかっていた。
「ハンイットさん、サイラス先生! ……どうだった?」
 ぱっと走ってきたのはトレサだ。若葉色の目が心配そうに瞬く。ハンイットは黙ってかぶりを振った。
「そっか……。なら、早く赤目ってやつをやっつけないとね」
「ああ、これで気持ちの整理もついた」
 ハンイットは相棒と目を合わせ、うなずいた。
「その前に、まずはこの依頼を片付よう」とサイラスが言い、
「ええ。こちらの準備はばっちりです」
 オフィーリアがにこりと笑って木の間を示す。
 そこには網が張ってあった。ハンイットが指示して二人に用意してもらったものだ。想像以上の出来ばえで、思わず感嘆の息を漏らす。トレサが近づいてまじまじと網を見つめた。
「これ、いつもハンイットさんが使ってる捕獲用のやつとちょっと違うわね」
「よく気づいたな」
「あっちは投網と似てるなーって思ってたの。でも、この網は——」首をかしげて単語を探している。オフィーリアが台詞を引き継いで、
「いつもより細い糸で編まれていますね。獲物から見つかりづらくしているのでしょうか?」
「そう、その通りだ」
 こちらの網は、捕獲用のものと違って粘度が低い糸を使用している。その分柔らかく、扱いやすい。獲物を傷つけないための工夫だ。これも当然師匠に教わったことである。
「ここに山羊を追い詰めて狩りを行うのか……いやはや、楽しみだね」
 この場にいる誰よりも目を輝かせるサイラスに、女性陣は苦笑した。そう、彼女たちはこれから森で山羊狩りを行おうとしていた。
 ——昨日、ハンイットたち八人はストーンガードに到着した。日が暮れかけた時刻だったので、すぐ宿に入って心身を休めた。
 翌朝になり、彼女はある用事を果たすためにリンデと二人で町を歩いていた。その途中、商人の男にいきなり声をかけられた。
「あなたはもしかして黒き森の狩人では……!?」
 彼は何故か焦った様子だった。
「そうだが」
 ハンイットはザンターと違って有名人ではない。しかし毛皮を使った服装を見れば狩人であることは一目瞭然であり、常に連れている雪豹の存在から、黒き森の一族と認識されることは存外に多い。特に隠す必要もないのでいつも正直に答えている。
 こういう時の話題は決まっていた。
「でしたら、あなたに狩りを頼みたいのです」
 商人は揉み手をしながら切り出した。
 曰く、普段から取引きしている狩人が仕事中に怪我をしてしまい、しばらく休養することになった。そのせいで求めている素材が手に入らず、困っているらしい。
「何が必要なんだ」
「子山羊の皮です。二頭分もあれば十分なのですが」
「もしかして、製本の材料か?」
「ええそうです」
 ストーンガードは近隣で最大の町であり、豊富な産業を抱えている。中でも一番有名なのが製本工房だった。多数の店が目抜き通りに軒を連ね、大陸中から学者たちを集めている。
 子山羊の皮は、本の表紙に使われる最高級の素材だった。ハンイットも以前別の場所で狩ったことがある。獲物は、町からほど近い幻影の森に生息しているらしい。
「分かった、引き受けよう」
 ハンイットは二つ返事で了承した。相手は正当な報酬を提示していたし、ここまで話を聞いてから断るつもりはない。
「では頼みましたよ」商人はほっとした顔で去っていった。
(さて、どうやって狩ろう)
 商品となる皮を傷つけないよう子山羊をとらえるには、大掛かりな罠が必要になる。とても一人では準備できない。
 よし、仲間にわけを話して手伝ってもらおう。ハンイットはあっさりそう決めて、町に散った仲間を探すべく行き先を変えた。
「あれーハンイットさん。難しい顔してどうしたの」
「何か悩みごとでもあるのかい?」
 折よくトレサとサイラスが声をかけてきた。
 二人は連れ立って製本工房の見学に行く途中だという。ハンイットが事情を説明すると、
「面白そう! あたしもついていきたいわ」
「一度、キミの狩りをじっくり観察してみたかったんだ」
 思わぬ快諾が得られた。胸のあたりがじんわりあたたかくなる。ハンイットはこみ上げた照れをしかめっ面の下に隠し、
「観察されては困る。あなたにも働いてもらうのだからな」
 と答えた。サイラスは目を丸くし、トレサがあははと笑った。
 ハンイットは二人を引き連れて、道具を準備するため宿に戻る。すると、ロビーでオフィーリアに出会った。ちょうど外出するところだったらしい。
「みなさんお揃いでどうされたのですか?」
「実は——」
 ハンイットの話に、オフィーリアは「わたしも是非ご一緒させてください!」とほおを上気させた。彼女も狩人の仕事に興味を持っていたようだ。
 こうして四人で幻影の森に向かうことになった。
(ちょうどいい。狩りのついでに目的を果たそう)
 もともと、ハンイットはヘンルーダの薬を試すため森に立ち入るつもりだった。なのでトレサとオフィーリアに罠を張ってもらっている間に、観察眼の鋭いサイラスを連れて師匠の元を訪れたというわけだ。
 ——トレサは木の根を飛び越えながら、声を明るくする。
「ふふ、この四人が揃うと昔を思い出すわね! あたしが旅に出たばっかりの頃みたい」
 そういえば、リプルタイドを出発した時点では、ここにハーゲンを加えたメンバーで旅をしていた。ハンイットは首をかしげる。
「そんなに昔の話ではないだろう?」仲間との出会いは今でも新鮮な記憶である。
「そ、そうだけど」
 トレサは何故か目を白黒させた。その隣でオフィーリアが木漏れ日を見上げる。
「わたしは、ハンイットさんと出会ったシ・ワルキの森を思い出しました」
 故郷の里からほど近いささやきの森は、ハンイットと師匠の狩場であり、オフィーリアたちと初めて顔を合わせた場所でもあった。
「ギサルマを狩った時だな」
 ——ザンターが赤目狩りのためにシ・ワルキを発ってから、一年が経過した頃。ギサルマという魔物がささやきの森に縄張りを移した。そのギサルマが森で隊商を襲い、死傷者を出したため、ハンイットは付近を領有する貴族から狩りの依頼を受けた。
 話を聞いて森に急行すると、隊商だけでなく獣たちまで倒れており、オフィーリアとサイラスが彼らを埋葬していた。
 先に目に入ったのは祈りを捧げる白い神官服だった。真っ黒な学者のローブは陰に溶け込んでいた。金糸の刺繍がわずかな光を反射し、ハンイットはそちらに注目する。ほぼ同時に、サイラスが立ち上がって静かな視線を返した。
 そうだ。その時ハンイットは、揺らがぬ青の中に何かを感じ取った——
「ハンイットさんの狩りはいつも見てるけど、こんなに本格的なのは初めてね。楽しみだわ」
 機嫌の良さそうなトレサの声を聞き、我に返る。
「トレサの働きも期待しているぞ」
「え、あたし?」
「もちろんだ。その弓があるだろう」
 トレサは父母から槍と弓の扱いを習ったという。旅を続けるうちに経験を重ね、同じ得物を持つハンイットがたびたび戦い方を教えていることもあり、かなりの腕前になってきた。
「あたしの弓で狩りをするの?」
「少し違う。張った網に子山羊を追い込む時に使うんだ。うまく狙いを外して射ってほしい」
「難しそうね……でも、やってみるわ」彼女は頼もしく請け負った。
 サイラスとオフィーリアがうずうずしたようにこちらを見た。ハンイットの采配を待っているらしい。
「わたしはリンデとともに山羊を探してくる。見つけたら指笛で合図するから、皆で輪をつくって群れを追い詰めるんだ。二人とも、それぞれ獲物を傷つけない方法でやってもらいたい」
 手早く指示を出すと、サイラスがにっこりする。
「……なんだ?」
 生あたたかいまなざしだ。なんだか背中がむずむずする。
「キミの教え方は的確だね。教師に向いているのでは——」
「そういう話は後だ」
 本日二度目である。ぴしゃりと遮ると、サイラスは肩をすくめた。
 トレサたちも苦笑いしていた。場所と時期をわきまえない彼の話は、もはや日常茶飯事である。
「ここは任せたぞ」
 仲間に背を向け、ハンイットは意識を切り替える。相棒だけを引き連れて森の奥に踏み出した。
 しばらく歩くと、リンデが低く啼いた。注意を促す声だ。
(……妙だな)
 森のあちらこちらに、人が立ち入った跡がある。刃物で傷つけられた木の幹など、見間違えようがないだろう。
 先ほどから一向に生き物の気配がしない。この痕跡をつけた者の仕業か? ここを狩り場にしていた狩人が怪我をしたことと、何か関係があるのだろうか。
 このまま山羊が見つからなかったら商人に報告しよう。ハンイットは顔を険しくして歩き回る。幸いにも、やがて四足の獣の足跡を見つけた。リンデがうなずく。間違いなく獲物のものだ。
 注意深く痕跡を追うと、木々の間にハイランドゴートの群れが見えた。小さな影もいくつか混ざっている。これを狙うしかない、と即座に判断した。
(行くぞ)
 ハンイットは身をかがめてリンデの背に手を置いた。相棒は放たれた矢のように駆け出し、背後から山羊の群れに襲いかかる。山羊がこちらに気づき、一目散に逃げ出す。そのタイミングでピィと強く指笛を吹いた。これで仲間たちが動き出すはずだ。
 ハンイットはリンデと並び、道なき道を走って山羊たちを網の方向へと追い立てる。時折木の幹を斧の柄で叩き、脅しをかけることも忘れない。
 もう少しで仲間の包囲網にたどり着くという時、小さな山羊が脇道にそれていくのが見えた。
 次の瞬間、強烈な風が木立を揺らした。子山羊が押し返されるほどの風圧だ。自然のものではない。
(トレサが呼んだのか?)
 否、風とは別の方角から矢が飛んでくる。狙いは見事に外れて木の幹に刺さり、はぐれそうになった子山羊を網へと導く。
 ということは、風を呼んだのはサイラスだろう。彼は最近トレサから商売の基礎を教わっていた。風を呼ぶ方法も習っていたらしい。
 ついに網が見えた。群れの先頭が危険を察知し、足を鈍らせる。「させません!」茂みに隠れていたオフィーリアがすかさず杖を振り上げた。木々の間に魔法の防壁が生じ、うまく子山羊だけを網に追い詰めた。
 罠にかかって行き場を失った山羊たちへ、ハンイットは捕獲網を放り投げる。数匹かかった。それ以外の山羊は逃げ出したようだ。必要以上に狩るつもりはないので、好都合である。
「やった! これで依頼達成ねっ」
 大はしゃぎで木の陰から出てきたトレサの前を突っ切り、ハンイットは狩猟用のナイフを出した。すばやく獲物の胸に刃を突き刺して息の根を止め、その場で解体をはじめる。肉の腐敗を防ぐため、なるべく早く内臓を取り除く必要があった。
「わ、わあ……」
 呆然とするトレサをよそに、サイラスが近くに寄ってくる。
「なるほど、そこから切ると内蔵が取りやすくなるのか」
「お料理と同じで丁寧なお仕事ですね」
 オフィーリアも後ろから覗き込んで感心している。目の前にはなかなか血なまぐさい光景が広がっていたが、彼女はこういう時もほとんど動じない。
 当たり前の技術を褒められるのはどうも慣れない。ハンイットはむず痒い気分になりながら解体を進めた。
「……できたぞ」
 取り出した内蔵はまとめて袋に入れる。商人が作業場を用意する手はずになっているので、皮は町に戻ってから剥ぐ予定だ。
「頼まれているのは皮だけだから、肉の方は今晩のおかずだな。宿の厨房を借りてわたしが何か作ろう」
「わあ、あたしハンイットさんのご飯大好き!」食いしん坊のトレサが舌なめずりした。
「わたしもお手伝いしますので、調理法を教えてもらえませんか」
「もちろんだ」
 オフィーリアにうなずきかけ、ハンイットは子山羊の手足を縄で縛った。そちらも別々に袋に入れて、四人で分担して肩にかつぐ。この場でやるべきことはすべて終わった。
「狩りって大変なお仕事なんですね……。でも楽しかったです」
「夕飯のおかずにもなるんだもの、やる気が上がるわね!」
 仲間たちは歓談しながら帰路につく。
 最後尾をゆくハンイットに、黒いローブが近づいた。
「少し持とうか」
「ああ、頼む」
 誰よりも多く荷物を持つハンイットを気遣ったのだろう。はっきり言って自分より非力なサイラスに持たせるほどではないのだが、申し出自体はありがたいので一つ渡した。
 二人はしばし無言で歩いた。珍しいことである。こういう時、普段の彼なら興奮しながら喋り続けるのに。
 思えば、近頃のハンイットはずっとこの機会をうかがっていた。おもむろに口を開く。
「サイラス。ひとつ聞いてもいいか」
「どうぞ」
「あなたは初めてスティルスノウに行った時から——わたしが師匠の矢文を拾う前から、スサンナさんのことを知っていたのだろう?」
 それは質問の形をとった断定だった。
 旅をはじめてから、ハンイットたちは二度スティルスノウを訪れている。一度目はプリムロゼが黒曜館に単身で突入した時だ。当時、ハンイットはスサンナという名の占い師が村にいることを知らなかった。一方のサイラスは、あの時点でスサンナの存在を承知していたふしがある。
 思い切って尋ねたつもりだった。しかしサイラスの表情は小揺ぎもしない。よく女性に騒がれている顔立ち——ハンイットにはよく分からない——が、唇を結んだままこちらを向いた。
「隠されていた黒曜館の位置をあなたが簡単に特定できたのは、スサンナさんに聞いたからではないのか?」
 あの時ハンイットはオルベリクとともに魔物をとらえに行き、その間にサイラスが村で黒曜館の場所を探った。彼は不自然なほど円滑に情報を集めてきた。それは何故か。深い知識を持つスサンナから聞き出したとすると筋は通るだろう。
 まっすぐ視線を合わせる。サイラスはすうっと目を細めた。
「その話は、誰から?」
 どうやら推測は当たっていたらしい。ハンイットはかすかに息をつく。
「わたしが勝手に考えたことだ。スサンナさんに直接聞いたわけではない」
「そうか」
 サイラスはそれきり黙ってしまった。本当にどうしたのだろう。具合でも悪いのか? 昨晩は普通に夕食をとっていたはずだが。
 この際だから思っていることを全部吐き出すつもりで、ハンイットは続けた。
「別に、隠しごとをするのは構わない。あなたにはそうする理由があるのだろう。それについて文句を言うつもりはない」
 だがな、とハンイットは彼の胸元に指を突きつけた。
「本当に大事なことは直接話してほしい。わたしだけでなく、オフィーリアもトレサも……みんな、あなたの言葉を待っているんだ」
 魔物とは違って、わたしたちは言葉という手段で気持ちを伝えられるのだから。
 一瞬が永遠に引き延ばされたような沈黙の後、サイラスは破顔した。
「ふふ……気遣ってくれてありがとう、ハンイット君。その時が来たら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
 ハンイットはなんだか居心地が悪くなって視線を外した。急に素直になるものだから、調子が狂ってしまう。
「まあ、なんだ。今日は手伝ってくれて助かった。あなたはストーンガードに戻ってからも用事があるのだろう? これを持っていくといい」
 彼女は荷物に忍ばせていたあるものを取り出し、サイラスに押し付ける。
「これは——クラップフェンだね!」
 紙包みを解いて中身を悟り、青い両目がきらりと輝く。
 シ・ワルキを出て三人で旅をしていた頃、気まぐれにこの揚げパンをつくってやると、サイラスはオフィーリアともども大喜びしていた。思えばハンイットはそれまで師匠以外の者に料理を振る舞ったことはなく、菓子をつくるだけであそこまで喜ばれるとは思いもしなかった。今でも積極的に料理当番を引き受けるのは、その時の記憶があるからだ。
「昨日、寝る前に暇があったから宿でつくっておいた。中身はプラムのジャムだ。あなたは何かに夢中になるとすぐに食事を抜くからな」
「ありがとう! 大事に食べるよ」
「いや、今日中に食べてくれ。油が悪くなる」
 サイラスは一瞬きょとんとしてから笑った。それを見たハンイットの胸に、何故か安堵の気持ちがこみ上げてきた。

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